郷田真隆棋王のプロレス

将棋マガジン1992年8月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

郷田の最近の活躍ぶりは、私が書くまでもないが、人間全体に、他のエリートとは違う陰影のようなものがある。すらっと伸びているが、のっぺらぼうでなく、節があるのだ。その節は、苦労をした跡であり、魅力の一因となっている。

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将棋世界最新号に、郷田真隆棋王と佐藤康光王将のインタビューがそれぞれ掲載されている。

将棋のことのみならず、私生活や趣味に至るまで、非常に面白いインタビューとなっている。

そのなかで、郷田棋王がプロレスのことについて熱く語っている。(郷田棋王の趣味はスポーツ観戦全般)

今日は、そのことを取り上げたい。

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インタビュー記事より。

―澤田四段もプロレスがお好きですが、先生とどちらが詳しいでしょうか?

郷田 いやーっ、私はもう35年くらいは見てますからね、ハーリー・レイスを知ってるかなぁ彼は(笑)。プロレスの話になって申し訳ないんですが、(以下略)

この後、郷田棋王がハーリー・レイスへの思いを語る。

「先生とどちらが詳しいでしょうか?」という、この非常に挑発的な質問が絶妙だ。

それに対する郷田棋王。澤田四段とは手合いが違うよ、と言わんばかりの余裕。

プロレス観戦歴35年というのだから、郷田棋王は6歳(1977年)の時からプロレスを見ていたことになる。

私も昔はプロレスファンだったので、郷田棋王の口から”ハーリー・レイス”という懐かしい名前が出てきて、読みながらかなり興奮してしまった。とても嬉しかった。

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ハーリー・レイス。

1943年生まれのアメリカのレスラーで、美獣と呼ばれていた。

通算8回に渡ってNWA世界ヘビー級王座(当時のプロレス界でいえば、竜王と名人を合体させたような超メジャータイトル)を獲得したアメリカのトップレスラーだ。

とはいえ、地味ではなかったが玄人受けのするタイプだったので、日本においては、「スタン・ハンセン」、「ブルーザー・ブロディ」、「ミル・マスカラス」、「アブドーラ・ザ・ブッチャー」、「ドリー・ファンク・ジュニア」、「テリー・ファンク」、「ハルクホーガン」、「タイガー・ジェット・シン」よりも目立たない感じだったかもしれない。

そのようなハーリー・レイスに少年の頃から着眼していたとは、さすが郷田棋王である。

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1970年代後半から1980年代の日本のプロレス界は、ジャイアント馬場の「全日本プロレス」とアントニオ猪木の「新日本プロレス」の二団体に分かれていた。

「全日本プロレス」は、ジャイアント馬場の人脈のもと、メジャーな外人レスラーが多く来日・参戦していた。相手の技を全て受け、なおかつ勝つという主義(王道プロレス)が貫かれていた。

一方の「新日本プロレス」は、アントニオ猪木が提唱するストロングスタイル(闘魂プロレス)のもと、、「強さ」を表に出したプロレスを行い、「実力至上主義」のふれこみでプロレスを続けた。

この正反対なスタイルに、当時のファンは、全日派と新日派に大きく二分されていた。

私は、当然のことながら、力道山時代の「日本プロレス」の雰囲気を残す、アメリカンスタイルの全日本プロレスを全面的に支持していた。

インタビューから推測するに、郷田棋王も全日本プロレス寄りと見た。

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今回、いろいろ調べていて、日本テレビ系「全日本プロレス中継」のエンディングに流れていた曲の作曲が坂本龍一さんだったと初めて知る。

メインイベントの試合の興奮冷めやらぬ頃、CMも入らずにさっと画面が切り替わり「次週の予告」。その際に流れていた音楽だ。

次シリーズの来日レスラーなどという予告になって、この曲をバックに次々と外人レスラーの映像が流れると、鳥肌が立ったものだ。

名曲「カクトウギのテーマ」

 https://www.youtube.com/watch?v=HQgDJbUn5QQ