小池重明10年忌

月刊宝石2002年の号、湯川恵子さんの「将棋・ワンダーランド」より。

 シゲアキとは誰も呼ばなかった。ジューメイ。小池重明。

  昭和23年1月2日名古屋駅前の町で生まれ、平成4年5月1日茨城県石岡市の病院で没。 

 10年忌に、生前つき合いの濃かった10数人が誘い合って江東区森下町の寺の墓参りをした。

 茨城からF氏も駆けつけた。新宿時代も茨城時代も小池を従業員にし金や車を何度持ち逃げされても面倒み続けた社長だ。

「おかしいなぁジューメイちゃんの卒塔婆が消えてる」

「バクチ好きなファンが持ってっちゃったんだよ」

「あら石碑にジューメイさんの名前が刻んでないわ」

「住職の話では亡くなる数カ月前に当人が挨拶に来たって」

 てんでに言いながら花や線香や酒やビールを供えた。

 複雑な家庭環境と高校中退後の夥しい職歴は書ききれない。将棋は高一の年に継父から手ほどきを受け、新宿の殺し屋、無冠の帝王の異名時代を経て32才の年から連続二期アマ名人。2年後に読売日本一戦優勝も果たした。プロキラーでもあった。 森けい二九段(当時八段)との指し込み3番勝負は昭和57年、将棋ジャーナル誌の企画。角落ちも香落ちも、平手も勝った。 図はその終盤。必敗形の小池が放った、妖しい焦点の歩!

 対して△5八同竜が元で勝負は逆転。6六馬(詰めろ)のほうがよかったらしい。

 プロを間違えさせた。苦しい局面で見せる念力の炎のような粘りが小池将棋の魅力だ。

 棋界は大騒ぎ。森プロはこの敗戦直後に初タイトル棋聖位を獲得した。片や小池の運命は、プロ入り話がもちあがり某九段の後押しで連盟に申請書を出すまでに発展したが、棋士会の猛反対で頓挫。このあたりから借金が増え酒浸りの日が増え読売新聞全国版の一面に「アマ名人の詐欺行脚」なる記事が出るに至った。

 逃亡生活の果て作家の団鬼六氏の元で将棋界の隅へ復活した頃は、何度目かの駆け落ち相手の女性と一緒だった。

 彼の人生がドキュメンタリー番組になったとき出演した田中寅彦九段は、「僕ら棋士が死んでも番組にしてもらえない」と言った。最近47才年下の愛人に自殺されしょげている鬼六先生は「書きたいこともなくなったが小池の映画だけは作りたい」と真剣に話を進めている。

 私は強姦未遂事件が今は嬉しい思い出だ。切羽詰って窓から逃げようとしたら急に彼が顔色変えて引きずり戻し、「参っちゃうよなぁ」と静かになった。思えばそこはF社長の不動産会社、ビルの高い所だった。

 棋勝院法重信士。享年44。

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湯川恵子さんが酔っ払った時に話してくれる故・小池重明さんの思い出話をそのまま文語体にしたような雰囲気の読み物。

それにしても、卒塔婆を持ち去るとは凄い人がいるものだ。

卒塔婆は基本的に五角形。そういう点では将棋の駒と一緒だが、共通の言われがあるのかどうかは永遠の謎かもしれない。

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団鬼六さんが小池重明さんの面倒をみるようになったのが、小池重明さんの人生にとっての最終盤の頃。

団鬼六さんの人間的な優しさをあらためて感じる。

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以前も紹介した、故・新井田基信さんがネット上で書いた「小池じゅうめい物語が絶妙に面白いので、まだお読みでない方はぜひご覧ください。

小池じゅうめい物語