森下卓八段(当時)「羽生さんに、森下さんは楽観的ですねと言われました」

将棋世界1994年10月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。

8月6日(土)

森信雄六段の新居へ。梅田から阪急に乗り35分、素晴らしく環境のいい所だった。お子さんも、内弟子の山崎君も伸び伸びとして、笑顔のたえない奥様と実に明るいムード。夏休みと称してついつい二泊してしまった。

(中略)

8月10日(水)

森信さん東京へ。最近なぜか虫食い算にこっている。そこへ数字大好きの勝浦九段が現れたから大変。三人で午前様まで暗算やら方程式やら。勝浦先生の数字への感性に私と森さんはびっくり。編集部員はかわりばんこに夏休みで、デスクは虫食い算状態。

(中略)

8月22日(月)

米長-森下のA級順位戦。池崎さんから原稿を頂く。先月の森下さんの巻は凄い反響だった。しかし、今月の佐藤康光さんの巻も凄い。

8月23日(火)

沼さんに、毎日2、3時間の勉強ではプロとはいえないそうですというと、「私は毎日、それ以上……」「そ、それ以上?」「それ以上、飲んでます」。堂々たる?解答に拍手。

8月24日(水)

有森浩三、登場。「何、一日7時間勉強?」しばし瞑想の後、「わしゃどう考えても一日、5分や、5分。ダッハッハッハ」。やっぱり人それぞれ持ち味というものがあるのだろう。しかし、一日5分の勉強であの強さなのだから、一日7時間すればどの位強くなるのか、といえばそうでもなかったりするのが将棋の不思議さだ。

「お茶を飲みに行きましょう」と森下さん。約2時間喫茶店で二人でコーヒーをのむ。「羽生さんに森下さんは楽観的ですねといわれました。羽生さんは40歳過ぎてもトップクラスにいる自信がとてもじゃないけどないといっていました」等々、トップ棋士達のマル秘話を山の様にうかがいました。「順位戦の時、米長先生はずーっと頭を抱え込んで、一言も声を発さない。何か深刻な悩みごとでもあるのかなと心配していたら、形勢が逆転したら胸を張られまして」と笑顔の森下さん。「それは局面が深刻だったんじゃ」と私。「そうでしたか、私は甘いですね」と森下さん。そういえば、森さんは虫食い算で考える癖をつけるんやといっていたっけ。7時間の人、5分の人、悩む人、心配する人、虫食い算も深酒も、棋士は勝つために頑張るのである。

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山崎隆之八段の内弟子時代の様子が書かれている貴重な編集部日記。

この頃は、山崎隆之初段、13歳。

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虫食い算は、いくつかの数字が伏せられた計算式を与えられ、明らかになっている部分から伏せられた数字が何であるかを推理し、完全な計算式を導き出すもの。

虫くい算(ニコリ公式WEBサイト)

Wikipediaには、1976年に詰将棋パラダイス誌上で「虫食算研究室」のコーナーができたと記されている。虫食い算というジャンルの詰将棋ではなく、本物の虫食い算。

虫食い算には難解な詰将棋と同じような感覚・アプローチがあるということだろうか。

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43歳で3度目の名人復位を果たした羽生名人は、5月21日の記者会見で次のように語っている。

報知新聞 北野新太さんの「いささか私的すぎる取材後記 第27回 奪還 震える夜」より。

 (今後の目標は)目の前にある一局、シリーズを大切に指していくことなのかなあと思っています。40代になってタイトル戦にどれだけ出られるか分からないので1回1回を大切にやっていきたいなあと。

いささか私的すぎる取材後記「第27回 奪還 震える夜」(みんなのミシマガジン)

40歳過ぎてもトップクラスにいる自信がとてもじゃないけどない、と話していた23歳の頃の羽生善治五冠(当時)。

今でも羽生名人は、20年前に考えていたことを、常に感じ続けているのだろう。

その警戒感の持続が、羽生名人の強さを支えている要素の一つになっているのかもしれない。