羽生善治五冠(当時)「将棋とは互いに最善を尽くせば短手数で終わるものではないかと、最近思うようになりました」

将棋世界1994年11月号、高林譲司さんの第35期王位戦〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕第7局観戦記「羽生、死闘を制す」より。

王位戦第7局。将棋マガジン1994年12月号より、撮影は中野英伴さん。

 「今期の王位戦は素晴らしかった」

 プロ棋士からもアマチュアの将棋ファンからも、すべてが終わった後の数日間、必ずそういう声をかけられた。

 羽生王位の2連勝スタート。この時点では昨年のこともあり、早い決着を予想した人が多かったのではないか。

 しかし今年の郷田五段は違った。一回りも二回りもたくましくなっていた。第3局から第5局まで、驚くべき短手数で無敵の王者羽生を圧倒。逆にカド番に追い込んでしまった。

 長考派と言われ続けている郷田だが、これほど深く読むとは―というのが正直な感想である。棋士の神秘性ここに極まれり。将棋界はすごい人材を得たものである。

 しかし敗れた三局、羽生がまたよく応じたことを忘れる訳にはいかない。結果的に、羽生から見て「◯◯●●●◯◯」という星になった。野球の日本シリーズでいえば、各々フランチャイズで勝ったという結果である。

 将棋の内容もまさにフランチャイズだったと言ってよい。敗れた三局、羽生は意識的に郷田の土俵に立った。ともに全身全霊、読みに読み抜いての結果は、郷田が読み勝ち、ある種、将棋の窮極の形を世に示した。

 「負けた三局も内容は満足しています。将棋とは互いに最善を尽くせば短手数で終わるものではないかと、最近思うようになりました」

 羽生の感想である。

 特に第3局と第5局の二局は、勝敗を超え、両者の共同作業による芸術作品という感じさえする。

 これにより郷田の評価は急上昇したはずだし、堂々と負けてみせた羽生も、王者のイメージをさらに定着させたと思う。

 しかし、中三局を上下からはさむ四局は、逆に羽生の土俵内だった。振り返れば、ここでこう指せば郷田にもチャンスがあったという局面が、各局にある。そうならなかったのは、相手が羽生だったからと言うしかない。

 ともあれ、互いにフランチャイズで自己を力強く顕示。そのためにきわめて面白く、きわめて盛り上がったシリーズになった。今期王位戦は、私は生涯、ことあるごとに思い出すことになると思う。

(中略)

 ともあれ今期最後の一局が始まった。羽生が矢倉に誘導し、郷田が追従。しかし二人の将棋は、まず尋常な形には収まらない。羽生が日々将棋を創造していく姿勢は周知の通り。郷田がまた、人真似が絶対に嫌いな頑固者なのである。

 エピソードを一つ。郷田は囲碁が覚え始めで、面白さが少しずつ分かってきたらしく、対局後に時々打つことがある。当方、ヘボながら郷田より経験があり、酔っ払って観戦している時など、つい口を出したくなる。助言ご法度の世界だが、ちょっと偉そうなことを言ってみたくなる時があるのだ。郷田側にいい筋が生じていたとする。それを教えると、「なるほど」と納得し、大いに感心する。ところが、その手は絶対に打たない。結果は逆につぶれてしまったりする。それでも他人から教わった手は何が何でも打とうとしないのである。

 郷田に勝たせたい時は「いい手がある。いい手がある」と連呼し、あとは本人が発見するまで待つしかないのである。

 郷田将棋も同じもので形成されているのではなかろうか。だから長考し、また長考する。自分自身の手で将棋を作っていくのである。

(中略)

 ここで郷田は2時間10分の大長考を投じ、次の手を封じた。

 前の第6局の時もそうだったが、封じ手周辺の郷田は、身をよじるほどに苦悶し、うなり声を上げ、髪の毛をかきむしった。対局時以外では、ついぞ見せたことがない凄絶な姿である。プロなるがゆえの苦悶。創作中の芸術家の苦悶である。

 夕食後、王位戦では珍しく、両対局者が娯楽室に姿を見せた。立会人の佐藤義則七段と記者の碁を、羽生は熱心に観戦。羽生の碁は急成長途上で、かなりの腕前である。ジャンルを問わず、ゲームそのものが好きなようだ。明日の将棋に備えて早く就寝したくもあり、碁の決着を見たいようでありという風情だった。しかし羽生の表情には、多くのタイトル戦を経験している余裕が感じられ、それは封じ手周辺の形勢は我に利ありの余裕かもしれなかった。

 郷田も娯楽室では2、3時間前とはうって変わって明るい表情をしていたが、「一日目で苦しくしました」という局後の感想を残している。

(以下略)

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現在の羽生善治四冠も「将棋とは互いに最善を尽くせば短手数で終わる」と考えているかどうかはわからないが、この時の王位戦七番勝負の手数は次のようなものだった。

第1局 125手で羽生王位の勝ち

第2局 140手で羽生王位の勝ち

第3局 76手で郷田五段の勝ち

第4局 63手で郷田五段の勝ち

第5局 56手で郷田五段の勝ち

第6局 100手で羽生王位の勝ち

第7局 115手で羽生王位の勝ち

短手数の将棋は郷田真隆五段(当時)が勝った将棋ばかり。

それを、羽生善治五冠(当時)が「将棋とは互いに最善を尽くせば短手数で終わるものではないかと、最近思うようになりました」と語っているのだから、本当にすごいことだと思う。

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76手で郷田五段が勝った第3局は次のような出だし。

羽生郷田1994年王位戦1

次は後手の手番ではなく、先手の手番。

羽生王位のひねり飛車に対して、郷田五段が76分の長考で△3四歩と突いた局面。

これは挑発をしているわけではなく、ひねり飛車に対する最善の対応と考えた郷田五段の研究手。

羽生王位は120分考えて▲同飛。

以下、△7四歩に78分、▲同歩に73分、△7六歩に105分、と進み、大熱戦が繰り広げられた。

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56手で郷田五段が勝った第5局は、やはりひねり飛車から次のような展開。

羽生郷田1994年王位戦2

▲3六飛~▲7五歩が穏やかなところ、少しでも得をしようという羽生王位の▲9七角。

△8九飛成とすると後手が不利になる丸田流ひねり飛車の定跡局面に似た形だが、郷田五段は郷田五段らしく△8九飛成。

この続きはまた明日。