将棋界の大旦那「七條兼三」(3)

湯川博士さんが近代将棋で連載していた「アマ強豪伝」シリーズから、「将棋界の旦那」と言われた故・七條兼三氏の話の3回目。

今日は、七條兼三氏と大山康晴十五世名人の交流について。

(湯川博士さんのご厚意により、「アマ強豪伝 七條兼三」のほとんど全文を掲載させていただきます)

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はじめ升田幸三をひいきにした。酒と囲碁と豪傑肌。ずいぶん気が合って付き合っていた。升田は戦争で体を悪くした後遺症があり順位戦を休場するくらい悪化したこともあるゆえ、家族にとって酒はいちばんの心配のタネだった。七條が料亭などで升田とよろしく呑んでいると、心配した升田夫人が現れ、連れて帰ったこともあったらしい。

それを、おもしろおかしく語るのが、酒席での七條ネタのひとつであった。

「ヒゲの大先生がネ、奥さんには弱くてネ」

(奥様や息子さんに聞いた話では、凄い亭主関白で、升田が帰宅するときは家中緊張していたという…)

大山ファン

将棋会館建設の一件(真っ先に寄付を申し出たし建設中の仮住まいの保証人にもなったのにビル完成の報せがなかった)で、大山康晴と塚田正夫が謝罪に訪れてから、その謝る姿勢(七條と升田が碁を打っている間、何時間も辛抱強く謝るために居た)に惚れた。

筋が通らないことが起きると、頭が噴火するのではないかというくらい怒るが、相手が言い訳もせず一心に謝れば、一転許した上に親しくなる。

大山は酒を呑まないが、七條の会社の旅行会(年二回、国内と海外)には必ず招待され、大山もそれに応えた。また大山が主催する旅行会(船の旅)には、七條が人数を引きつれて参加していた。

こう書くと簡単だが、有名人が何日も旅行のためにスケジュールを空けるのは並大抵のことではない。超お忙し人間の大山が、欠かさず年二回も付き合うのは、よほど七條の会が楽しく、魅力を感じていたからだ。

私のようにたいして有名ではないライターでも、国内四日間、海外一週間も毎年付き合うのは、いくら招待とはいえたいへんなのだ。知らない人は招待で行けていいだろうと思うが、旅行や遊びなどは自分で好きなようにやるのがいい。それに一週間も連続で原稿が書ければ、どれほど仕事がはかどることか…。

ところが、将棋派大山十五世名人、囲碁は梶原武雄九段が必ず参加、ほかには、詩吟、尺八、書道、詰将棋の専門家も同行する。晩年には作家の団鬼六さんも参加し、おおいに旅行会は盛り上がった。

単に金持ちの社長の旅行会なら、私も毎回参加しなかった。私がそう思うくらいだから、大山十五世名人もそうだったと思う。いくら将棋界の旦那でも、つまらない会にはたとえお金を積まれても行かない。ところがこの会は各界の錚々たる人物と私的にゆっくり旅が楽しめる。この魅力と、七條さん個人の魅力が相俟っての盛会ぶりだった。

大山さんの誠意ある付き合いに七條さんはそれなりの付き合いで将棋界に返している。

棋士のお祝いの会には、必ず花か、ご祝儀を届けさせた。

「これで旦那もたいへんなの。なにか頼まれると一応話を聞いてやらなくてはいけない。碁将棋のほかにも、色々きますから…」

詩吟、書道、絵画骨董、町内会、業界の集まり、大学のOB会、知人、親戚…など我々庶民では考えつかないほどさまざまな人が頼ってくる。それを付き合わないと、ケチと言われる。たしかに旦那はたいへんである。

旦那道の強豪たるには、ただ金を遣うのではいけない。強烈なポリシーがなくてはならぬ。

(中略)

七條さんは、ただ、プロを呼んできて喜ぶ旦那ではない。旦那の初級中級はとっくに超えた、旦那強豪である。当然プロを見る目が辛い。

「将棋が強いだけではダメです。人間が出来ていないと、文化とは言えません。ボクは、碁将棋が好きですから応援しますが、筋の通らないこと(常識はずれ)は許しません」

プロ棋士なら誰でも大歓迎する優しい旦那になれていると、うるさい旦那を敬遠し、あまつさえ悪く言う人も出る。一流は一流を呼ぶというが、升田、大山ほどになると、お互いの凄さが解かってくるのだろう。

(つづく)

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大山康晴十五世名人と塚田正夫九段が七條兼三氏のもとへ謝罪に訪れた時の詳細な模様は、今日のもう一つの記事で。