羽生六冠王(当時)の予言

将棋世界1996年2月号、当時の将棋世界編集長の大崎善生さんの編集部日記より。

 ある飲み会である人から、羽生六冠王が「打ち歩詰めのルールがなければ、将棋は先手が有利」と発言しているということを聞いた。以前話題になった「寄せのパターンは800通り」という羽生さんの発言以来の衝撃である。早速、私は会う棋士、会う棋士にその言葉の意味を聞いて歩いた。そして、その過程でこの発言は半年ぐらい前に、森内八段、佐藤康光七段らがいる席でなされたらしいことをつきとめた。

 佐藤さんは三日間考え続けて、結局結論がでなかった。森下さんは一日考えて、考えることをやめた。森内さんは最初からバカバカしいと少しも考えなかった。

 誰が賢いのかわからないが三者三様で面白い。

 この話を先崎さんにした。彼は「そんなの、思いつきで言ってるだけですよ、どうせ」と言った。「また、煙に巻こうてんだ。ヘッヘ」と端から相手にしない。しかし、しばらくして、「もしかしたら、それはセオリーのことかな。それなら解らないでもない」という風なことを言った。「まあどうでもいいや」と続ける所が彼らしい。

(以下略)

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大崎さんは次のように考えた。

 自分も考えた。そして、ある推論に至った。全然、根拠のない妄想かもしれないけれどちょっとだけ聞いて下さい。

 将棋というゲームができた時、最初は先手が圧倒的に有利だった。何度やっても先手が勝ってしまうので、なるべく互角にするために、ルールが必要となった。取った駒の再利用、駒が成る(これらができないチェスは先手有利といわれている)、二歩の禁止等々。

(中略)

 先手がすぐに勝っちゃうゲームをなるべく先後の差をなくす均等なものにすべく試行錯誤が繰り返され、今のルールになった。

(以下略)

非常に説得力のある考え方だ。

ところが、「その心は」は、意外と早く明かされる。

将棋世界1996年4月号、七冠達成直撃独占インタビュー「羽生七冠王の将棋宇宙」より。インタビュアーは大崎善生さん。

大崎 例えば「打ち歩詰めのルールがなければ将棋は先手が必勝なのではないか」という羽生さんの発言があるんですが、そういう言葉はルール自体、つまり将棋の根源的な存在、ゲームの存在の本質に常に関わっていなければ、なかなか出てこない言葉だと思うんです。

羽生 今、自分が思っているのは、将棋というのはつまり、どういう結論になるのか、ということは常に念願にありますね。10代後半の頃であれば先手必勝だろうと思っていたし、またそれから数年経てばいやむしろ後手の方がやれるんじゃないかと思っていたり。あるいは今はなんとなく、カンだけれども打ち歩詰めがなければ先手必勝になるという気がしている。なんとなくそういうカンですよ。

大崎 カンですか。

羽生 ただ、それが一応盤面に向かう時の一つのスタンスみたいなものですね。あとは気持ちの持ち様でやっていくということですね。例えば、それが何なのかというと、自分は10代後半の時は先手必勝だと思っていたから、先手を持てばうまくやっていけば必ず勝利に結びつくものだということを前提に指していくわけです。後手番の時はどっちにしろ最初から悪いんだから、思い切ったことをやっていこうというスタンスになります。ただもちろんそんなこと(先手必勝)はあり得ないですよ。だから、その時、その棋士がどういう将棋の結論を持っているかということは、結構大きなことだと思うんです。

大崎 なるほど。

羽生 今は先手必勝とは思っていないです。まあどっちを持っても引き分けの可能性が高いという気はしています。

(以下略)

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羽生六冠王も含めて、それぞれの棋士の個性が表れている。

ある意味では、森内八段と先崎六段が一番真理をついていたのかもしれないし、佐藤康光七段の徹底的なアプローチが一番正しかったのかもしれないし、森下卓八段のバランスの良いスタンスが良かったのかもしれないしと、まさに羽生マジックにかかったような感じである。