ライバル物語

将棋世界1990年2月号、先崎学四段(当時)の「今月のハイライトシーン」より。

ライバル物語

「この将棋、もう逆転しないよね」

 彼は笑いながら言った。2年前の秋、僕らの前には順位戦CⅡの桐谷広人-佐藤康光戦が、現在進行形で進んでいた。

「うん、でも桐谷さんはよく大ポカが出るからなあ」

 僕が冗談でまぜっ返した瞬間、

「いや、絶対逆転しません」

 確信的な口調が部屋に響いた。あまりの言い方に驚き彼の顔を見た。彼は明らかに興奮していた。何かを必死に念じている姿だった。

 彼は桐谷さんが決め手を指すのを見届けると「うん」と大きく頷き終電の時間ですといって帰って行った。

 当時18歳になりたての森内俊之四段が佐藤に対するライバル意識をムキ出しにしたのである。「自分の参加できない順位戦で上がられてたまるか」。口には出さねど顔にはそう書いてあった。

 佐藤君はその年の3月に四段に上がった。12勝1敗で四段連続昇段の一番。昇段は確実である。ただ1回でも負けると4月に上がることになる。それでは来期の順位戦に参加できない。その差は大きい。

 その時、森内君と僕の意見は一致した。「上がられるのはしょうがないが来期の順位戦には参加させない」

 僕らは自分の手で負かしたかったが、幹事の指名は中川大輔君―。

 佐藤君が勝った後、僕らは泣いた。心底口惜しかった。おめでとうという偽善的な一言すら言えなかった。

 森内君はその後すぐ四段になった。だが先をこされたショックはいなめない。彼はCⅡ順位戦の日は必ず見学に来た。注目するのは一局だけ、にっくきライバルの将棋である。明らかに露骨だった。しかも佐藤君が2敗すると、こなくなった。

注1 断っておくが二人は仲が良い。だからこそ、この様な真似もできたのだ。

(中略)

 今期の森内君は不調だ。勝率も彼にしては信じられないくらい低い。なにしろこの僕よりも低いのだ。

 僕らはもしかしたら、おいてけぼりをくうかもしれない。

 だが森内君は大丈夫だ。昔佐藤君に対してみせたあの気持ちさえ忘れなければいつでも勝てるよ。

 明日は明日の風が吹くさ。

 それよりもまだ僕らは若い。大いに笑い、大いに遊び、春秋に富む青春を謳歌しようじゃないか。人生どうせなるようにしかならないのだから。

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森内俊之名人と佐藤康光王将は、お互いが認める昔からのライバル関係。

将棋世界の最新号でも、森内名人は、

「自分で意識して張り合ってきたのは佐藤康光さんになります。羽生さんとは同世代ですが、若い頃から遠い存在でした。羽生さんは道を作ってくれた人。歩んできた道も実績も全然違う。ライバルというより目標です」

と語っている。

佐藤康光王将が四段になったのは1987年3月25日。(三段昇段後13勝1敗)。

森内俊之名人が四段になったのが1987年5月13日。(三段昇段後、12勝4敗を2回)

三段リーグが復活する直前に四段になった二人だ。

佐藤康光四段は1987年度から順位戦に参加。

森内俊之四段は1988年度からの順位戦参加。

たった1ヵ月半の違いで順位戦への出場が1年変わるという世界だった。

ちなみに、三段リーグ復活後の最初の四段昇段者は、先崎学八段と中川大輔八段。

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ライバルの語源はriver、と中学の時の英語の先生に教えられたことがある。

川のこちら側の人達と向こう側の人達。

同じ川の水源や漁を巡って争う関係、ということらしい。

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gooで2007年に行われた「永遠のライバル」と言えば浮かぶものランキング」の結果は次の通りだった。

一位:ルパンVS銭形

二位:武田信玄VS上杉謙信

三位:源氏VS平氏

四位:武蔵VS小五郎

五位:明智小五郎VS怪人二十面相

六位:伊賀VS甲賀

七位:アムロVSシャア

八位:星飛雄馬VS花形満

九位:紫式部VS清少納言

十位:北村弁護士VS丸山弁護士

個人的には3位と6位と9位の感覚が好みだ。