藤井猛竜王(当時)「彰子に出会えただけで棋士になって幸せ」

近代将棋1999年3月号、読売新聞記者の西條耕一さんの「普段着の棋士たち 関東編」より。

1月某日

 指し初め式。カメラマンとともに将棋会館へ。藤井竜王に1月9日付けから4週連続で土曜日の夕刊文化面に「週間日記」を書いてもらうことになったので、その撮影と原稿の打ち合わせも兼ねている。その欄は著名人に1周間を日記風に書いてもらっており、囲碁では趙棋聖が昨年3月に登場している

 藤井竜王は生まれたばかりの悠人君と奥さんの3人で年末から群馬の実家に里帰りしていたが、東京に戻るのを一人だけ早めた。「竜王ですから、これも公務と思いまして」と笑顔で会館にやって来たが、将棋堂の祈願祭には15分の遅刻。「遅刻するのは対局の時と変わらないね」と周りから冷やかされていた。

 指し初め式では、二上会長の初手▲7六歩、佐藤名人の2手目△3四歩でスタート。次が原田九段と藤井竜王だったが、原田先生は連盟の元会長だが、「巨匠に藤井システムを教えて頂こう」と、さっと下座に着いてしまったので、竜王が上座へ。

 「緊張して思わず飛車先を突いちゃいましたよ」と、なぜか▲2六歩と藤井竜王が居飛車にした。

 取材が終わると夕方になっていたので、中倉彰子女流2級宅に電話。三人で鮨一へ。藤井竜王、私ともに大の彰子ファン。男二人はかなり酩酊していたので、「彰子に出会えただけで棋士になって幸せ」 「将棋担当記者になって幸せ」 「一緒にニューヨークへ行けて幸せ」と佐藤名人の真似をして遊んだ。

—–

中倉彰子女流2級は、前年の10月にニューヨークで行われた竜王戦第1局〔谷川浩司竜王-藤井猛七段〕のNHK衛星放送の司会兼聞き手として同行していた。

そういうわけなので、「彰子に出会えただけで棋士になって幸せ」とともに、「一緒にニューヨークへ行けて幸せ」は藤井猛竜王(当時)の言葉ということになる。

—–

「◯◯◯になって幸せ」という佐藤康光名人(当時)の真似は、一昨日の記事に出てきた、この年の将棋世界2月号での佐藤名人の「藤井システムに出会えて幸せ」が元になっているようだ。

—–

将棋世界1999年2月号の記事は、佐藤康光名人(当時)と羽生善治四冠(当時)の対談「進化を続ける藤井システム」。

該当する部分はこの対談の最後の箇所。

木屋 藤井システムというのはそう簡単には消えない戦法ですか。

羽生 居玉で最初からこの形でやっていくのは、どれくらいかは分かりませんが、しばらくは続くような気がします。でも10年後も藤井システムばかりやっているとは思えないですね(笑)。

佐藤 そういう意味では今の時代に生まれてよかったかもしれませんね。藤井システムに出会えて幸せかもしれません。50年前にプロになっていたらこういう戦法は現れなかったわけですから。

羽生 昔なら破門されてますよね(笑)。

佐藤 藤井システムに出会えただけでもやりがいがありますし、棋士になってよかったと思います。

(以下略)

—–

「藤井システムに出会えて幸せ」よりももっと熱烈な表現だ。

鮨一で正しく真似をするとしたら、「彰子に出会えて幸せ。50年前なら会えなかった。彰子に出会えただけでもやりがいがある。棋士になってよかった」という感じになる。