行方尚史四段(当時)「いつか羽生の将棋を僕が最大限引き出せるようになるまで、彼には絶対的な存在でいてほしい」

将棋世界1995年1月号、行方尚史四段(当時)の第7期竜王戦第3局〔佐藤康光竜王-羽生善治名人〕観戦記「羽生、王道を突き進む」より。

竜王戦第3局。将棋世界同じ号より、撮影は中野英伴さん。

 羽生名人、佐藤康竜王ら「57年組」の存在は、僕に重たくのしかかってくる。ただ、漠然と奨励会生活を過ごした僕と比べて、奨励会入会時あるいはそれより前からのライバル関係を、十年以上続けている彼らは、考えられる上で最良の環境に、あらかじめ祝福されていた。

 一種の桃源郷に自意識が芽生える前から身をおいた彼らは、夢想におぼれることもなくリアルな少年時代を過ごすことに成功するのだ。ほしいものは、すでに分かっている。その道のりを歩むことによて、大抵の人よりも面白い人生を生きることになるだろう。うぬぼれがちな少年ならば、ここで鼻にかかって達観してしまうのだが、彼らはさらに自らを律することによってそれを防いだ。うぬぼれると、すぐに置いてけぼりにあったから。将棋に乗っ取られ、なんだか体が重たくなっていき、街の空気が肌に合わなくなったが、奨励会で競い合うことが楽しかったから、日常なんてどうでも良かった。普通であることに、軽蔑にも似たあこがれも持ったが、「ジャンプ」を買って読むなんてことは想像もつかないことだった。

 こうして彼らは棋士になり、次第に勢力を拡げ、ブランド名までつけられた。

  羽生の2勝で迎えた第3局。先手番の本局で負けたら後がない佐藤は、やはり伝家の宝刀矢倉をくり出してきた。もっとも現在の佐藤にとって問題なのは、一秒に一万何手だかと言われた精密な読みに、若干狂いが生じているのが感じられることであって、矢倉だの相掛かりだのというのは、戦型の選択に過ぎない。

 対して羽生は、堂々と追随型を採った。序盤での細かい時間の使い方は、急戦を考えていたためとのことだったが、相手の最得意型に飛び込んでいって負かさなくては意味がないと、思い直したのだろう。それにしてもありきたりの後手の布陣も、羽生が指すと伸び伸びして見えてくるから不思議だ。

(中略)

 定山渓は、この日も晴れていた。穏やかな日差しが、おととい降ったらしい雪を跡形もなく溶かしていた。枯れ落ちた木々が、過ぎ去った季節を思い起こさせるように、寂しく揺れていた。およそ、五十年前、木村、土居もそれぞれの思いを胸にこの空を眺めていたのだろうか。

(中略)

 ▲2八飛から佐藤が見せた。攻め手順の組み合わせは実に巧みなものだった。▲2四歩~▲5五銀~▲1四香の流れるようなさばきを見よ。

 この展開に、本意ならざるものをいだいたのだろう。△3六銀では、△8六歩の攻め合いだったか、との感想を羽生は残している。

(中略)

 銀を2七に打たされた格好の本譜は、羽生のバランスが崩れてしまった感があり、△4五歩の突き出しも見た目程いい味とは思えなかった。羽生が苦しい局面で、このような自然な一着を指す時は、局面が逆に不自然な状況であることを示していると、僕は思う。苦しい局面で、予定調和的な手を指す棋士ではない。羽生の将棋のつくり方から考えて、あきらかにおかしいと思ったのだ。しかし、僕のくだらない直感は、数手後の妙着で否定されることになる。

 (中略)

行方観戦記1

 モニターに映った3図を眺めながら、僕はもうすぐ終わってしまうのではないかと思い、羽生もたまにはポッキリ折れるから、と考えていた。△5八成銀と飛車を取るのは、▲1三歩成△3一玉▲5一角成でひどいが、受けもなさそうだ。控え室の空気もゆるみ、真面目に検討を続ける気がしなくなった。 

 △2三玉はそんななか指された。羽生のみが、この局面の難しさを知っていた。僕は最初、わけが分からず奇抜さを愉快がっていたが、どうやらこの手は。「羽生マジック」のようだった!▲5一角成には、△1四玉と体を張って入玉を狙いに行くのだ。以下、▲2九香△5八成銀▲2七香△2六歩▲1五銀△2五玉▲2六銀△1六玉▲2八銀△2六角▲同香△2七歩(参考図)で意外にも寄らない。

行方観戦記2

 しかし、それにしても▲1三角成は、あまりに簡単に指されたように思われた。このあたりの佐藤の、気持ちの揺れ動きがつかめない。優勢を意識していた様子だったが、それならここで腰を落ち着けて読みを入れるのが、佐藤のスタイルだったはずだ。

 羽生にしても、△2三玉の効果がこれほどはっきりした形で表れるとは、思っていなかっただろう。

 ▲1三角成△3三玉で、急に羽生玉は広くなった。そして、△9四桂が佐藤の楽観を吹き飛ばす反撃の控え桂。一見ボンヤリしたこの手が、かなりの破壊力を秘めてるってことは、すでに混戦になっている証拠だ。

(中略)

 △2八歩を打つときの羽生の手つきは、確信に満ちていた。

 その表情を見取って僕は、北海道まで来て良かったと思った。

 この男を僕は将来、青ざめさせなくてはいけない。やはり、羽生の勝ちに終わるのか?佐藤の胸元がはだけ、耳たぶは赤くなっている。

(中略)

 最善を逃し、かなり危ない橋を渡っていた羽生だったが、リアルタイムで見守っていた僕にとっては完璧な寄せに思えた。勢いと技術がかみ合った素晴らしい将棋だったが、終わってみると羽生が正しかったことになる。

(中略)

 竜王戦などで、とても暑く長かった夏が終わった後、僕は余りの自分の弱さにすがすがしささえ感じた。

 僕の現在の小手先の将棋では、まったく羽生には通じなかった、という事が分かって本当に良かったと思った。

 でも、もちろん僕も変わっていく。いつか羽生の将棋を僕が最大限引き出せるようになるまで、彼には絶対的な存在でいてほしい。

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竜王戦挑戦者決定三番勝負で羽生善治五冠(当時)に敗れた行方尚史四段(当時)による観戦記。

行方尚史八段による自戦記は何作も書かれているが、観戦記は非常に珍しい。

行方四段から見た羽生世代観、羽生善治五冠への思いなどが、非常に率直に語られている。

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3図からの△2三玉が羽生マジック。羽生マジックは2手一遍に指したいような非常に忙しい局面で指される一見とてものんびりした手である場合が多いが、このケースはなかなか気が付かない一手。

「どうにでも好きにして」という感じの手に見えるけれども、大きな意味を持つ手。

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野口健二さんの「編集後記」より。

 生まれ故郷の青森で仕事の後、竜王戦第3局の観戦に来た行方四段は、なぜか意気消沈の様子。

 訳を尋ねると、東京を出発した朝、バッグを置引きされ、青森では自転車で転び手首を挫き、おまけに風邪までひいているとか。

 それでも、対局室の片隅で感想戦を見つめる姿からは、ひたむきなエネルギーが伝わってきました。

 頑張れ!行方。