経堂の森下卓八段(当時)

近代将棋1997年6月号、読売新聞記者の西条耕一さんの「経堂村日記」より。

3月某日

 飯塚祐紀五段の婚約を祝い、お相手の由理江さん(26)と一緒に経堂駅前のプランス料理屋でお披露目会。島夫妻、森下、鈴木大介新五段(森下さんと同じマンションに住む)、高野君が出席。

 経堂のお祝いは、目的を忘れてただの飲み会になることが多い。以前に深浦さんのお祝いで十人ほど集まった時も、出会うきっかけなどは聞かないで、将棋界の噂話や宝塚(島、中村夫人の独壇場)の話で盛り上がった。気配り高野が最後に「そういえば二人のことは聞いていませんでしたね」と申し訳程度に。この日はその轍を踏まないよう、きっかけや新居について聞く。藤井六段の奥さんと慶応時代からの友だちで、連盟野球部の応援に来て知り合ったという。

3月29日

 私事で大変恐縮だが、このほど婚約した。経堂グループはうるさいので、しばらく秘密にしていたが、森下さんから「ぜひお披露目を」といわれ、共同記者会見ならぬ「経堂棋士会見」。総勢11人になったので、場所を成城に移し、寿司屋へ。出席者は中村夫妻、森下さん、友人の弁護士など。島さんはキリン杯の対局で残念ながら欠席。取材するのが私の仕事だが、取材されるのはどうも苦手。職場結婚で相手は24歳です。

 ちなみに、”おしゃべり森下”はすでに21日の対局(竜王戦の佐藤康戦)の時に羽生さんにも話していた。その日の昼食休憩時に私が特別対局室に入ると、すかさず森下さんが「これはこれはおめでたい西條さんで」と。羽生さんからも「おめでとうございます。式はいつですか」といわれる。披露宴は10-12月が竜王戦のタイトル戦なので、関係者に迷惑がかからないようその前に何とかしたい。

4月某日

 奥さまなら皆さんご存知の雑誌「家庭画報」が着物特集別冊秋号で何ページか棋士の着物姿を特集する。担当編集者は私の大学時代からの友人のYさん。Yさんは森下八段の初めての合コン相手なので、「ぜひ森下さんを」と要望された。ミセス向けの雑誌なので「若手の渋め」がいいそうだ。

 私とYさん、ライターの3人で森下家を訪問。Yさんらは、マンションが余りにきれいなのに驚く。森下さん本人は奨励会時代のことを余り語りたくないらしく、三段の最後半年は四段に上がるために毎朝3時に起きて水をかぶってから将棋の勉強をした話を私がすると、ライターも唖然。私からは「気にしないで明るく書いてくださいね」と言っておいた。その後、森下合コン話で笑わせる。将棋界のPRとはいえ、担当記者もいろいろ大変だ。

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藤井猛九段の奥様は慶応大学在学中に囲碁部に所属しており、真田圭一五段(当時)が慶応大学囲碁部の女性部員たちを日本将棋連盟野球部の合宿に招待したのが知り合ったきっかけだった。

「藤井六段の奥さんと慶応時代からの友だちで、連盟野球部の応援に来て知り合ったという」とあるので、飯塚祐紀七段の奥さまも慶応大学囲碁部だった可能性が高いと思われる。

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島朗九段の奥様と中村修九段の奥様が宝塚にとても詳しいことは、島朗九段が1998年の将棋世界で書いている。

羽生名人のTAKARAZUKA

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森下卓八段(当時)は決して渋めなタイプではないと思うのだが、この時代は棋士であること自体が渋めと見られていたため、森下八段の指名となったと考えられる。

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「若手の渋め」というとわけではないが、「渋め」ということでいうと、中川大輔八段、中田宏樹八段の顔が浮かんでくる。

刑事ドラマに出てくる渋めの刑事を演じてもピッタリとくる雰囲気。

神谷広志八段も渋めだが、中田八段や中川八段とはまた違った印象の渋さ。バレーボールチームの渋めの監督といった感じ。

中田章道七段もかなり渋い。フランス映画かイタリア映画に出てくる俳優のような雰囲気。

勝浦修九段も時代劇の腕利きの用心棒のような渋さだ。

「渋い。渋谷の将棋指し」のギャグを飛ばす豊川孝弘七段も、話をしなければ十分に渋いと思う。