羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」

将棋世界1998年10月号、羽生善治四冠の村山聖九段追悼文「突然の訃報」より。

 8月10日、連盟で対局をしていると、昼休みに村山八段が亡くなられた事を知った。

「そんな…」信じられない気持ちだった。

 結局、4月に広島で行われた名人戦イベントの時に会ったのが最後になってしまったのだが、その時は楽しそうに検討に加わり、終局まで見ていたので、1年間、ゆっくり休養して来期から再び対局を続けると思っていた。

 彼とは10局ちょっと公式戦で戦ったのだが、どれも重要な位置での対局が多く、印象深い将棋が多い。

 図はその中の一局で、平成9年2月、竜王戦の将棋から。(便宜上先後逆)この局面で、私は二歩得で、△5八銀の狙いもあり、少し指しやすいのではないかと思っていた。

 村山羽生

 ところが、ここで予想外の強手を指され、自らの形勢判断が甘かった事を気づかされた。

 それは▲3五飛で、△5八銀なら▲同玉△7八飛成▲5五飛、△4四銀なら▲3六飛△3七角成▲同飛△5八銀▲同玉△7八飛成▲3九飛(実戦の進行)でどちらの変化も先手が良いのだ。

 この一手は大胆で鋭い彼の将棋の特長がよく表れているように思う。

 もちろん、序盤の研究も深く、読みの正確さも高いのだが、勝負所を知る嗅覚の鋭さにはいつも感心させられた。

 ある時、大阪で偶然、彼に会ったので、行きつけの定食屋さんに案内してもらった。

 将棋の事、好きな本や映画のことなど(彼は飄々と面白いことを言う)楽しい話を聞かせてもらったが、帰り際、今日も連盟に行って将棋の勉強をするという。

 プロの世界だから毎日、訓練するのは当然のようだが、現実として続けるのはとても難しい。

 棋士としてこれからという時にさぞ無念だったと推察するが、一つだけ確かなことがある。

 彼は本物の将棋指しだったと。

 御冥福を心よりお祈り申し上げます。

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制作中の映画「聖の青春」でどのようなシーンが盛り込まれるかは分からないが、村山聖九段が羽生善治名人を「福島食堂」に誘って会話をしているシーンは、決して悲しくはない場面だけれども、私などは涙がボロボロ出てしまうと思う。

福島食堂とともに「聖の青春」に出てくるのが「更科食堂」。

JR福島駅ガード下の更科食堂は、師匠の森信雄四段(当時)と村山聖少年が毎晩のように二人で夕食を食べた定食屋。

森信雄四段と村山少年が更科食堂へ行っているシーンも泣けそうだ。

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自分が先手だったのに、それを村山九段側から見えるように図を先後逆にしているところも、羽生四冠の気持ちが表れている。

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羽生四冠は、村山九段が亡くなったことを知った翌日、朝一番の飛行機で広島市に向かい、弔問のために村山家を訪ねている。

1998年8月11日の羽生善治名人