谷川浩司名人(当時)「その日、連盟に着くまでの私は、正にルンルン気分であった」

将棋世界1984年8月号、谷川浩司名人(当時)の自戦記(第23期十段戦挑戦者決定リーグ 対加藤一二三九段戦)「見事に寄った一局」より。

 その日、連盟に着くまでの私は、正にルンルン気分であった。もちろん、名人戦3連勝を含めて各棋戦好調で、将棋を指すのが楽しくてたまらない、ということもあるが、それよりも、駅のホームでサインを求められたのが、電車の中で、素敵な女性だなと思って眺めていた、その人であったこと、の方が大きかったかもしれない。

 連盟までのタクシーの運転手も、私のことをよく知っていて、色々と話をしながら快適に到着。

 今日は奨励会のハイキングで記録係がいないため、金曜日にも関わらず、一局だけ。私は、対局が多い方が気分転換ができて好きなので、気が重いかな、と思ったが、加藤九段と、観戦記の橋本六段の笑い声が聞こえてきたので、何となくホッとして、対局室に入ろうとした。

 が、そこで私の足が動かなくなってしまった。私の座るべき場所(と思っていた)がないのである。

 手洗いへ行って、気を落ち着かそうとしたが、ままならず、動揺を押さえられないまま、下座に座った。

 やがて、上座の加藤九段が駒箱を開け、王将を手にした。

(中略)

 対局は異様な雰囲気の中で始まった。もっとも、それを演じていたのは私だったのだが、13分(初手の▲2六歩)は、作戦を考えていたのではない。

 冷静になるべきか、それともそのまま怒り続けるべきか。結局、ヒネリ飛車でガンガン攻めることに決めた。

 ▲2六歩の後の指し手は、全て2、3秒。ふてくされた手つきだった。そして、2分で▲9七角。全く、感情的になっていたとしか思えない。

谷川加藤1

1図以下の指し手
△4二銀▲7六歩△3四歩▲7七桂△4四角▲4六飛△4一玉▲4八玉△3一玉▲6八銀△9四歩▲7五歩△6四歩▲7六飛△6三銀▲6六歩△9二飛(2図)

 △4二銀は、30分考えただけあって、流石に最善手だった。これで▲2四歩△同歩▲同飛は、△5三銀右▲同角成△同銀▲2三銀△1三角で攻め切れない。

 それでも、最初は▲8六歩△同歩▲同飛△8五歩▲8七飛△7四歩▲7六歩△3四歩▲7七桂、とかで暴れ回るつもりだったが、考えているうちにその気がなくなってしまった。

 怒りが消えてしまったのである。(朝から晩まで怒り続けるのは無理だ、ということを私はうっかりしていた)

 読者の皆さん。これまでの文章は笑って読み飛ばして下さい。これからが真面目な自戦記です。

 実戦でも、ここからは冷静にもどり、▲7六歩と指した。

谷川加藤2

(中略)

 終局は23時50分。感想戦の後、弟弟子の井上君らと祝杯をあげてから、タクシーを飛ばして帰る。

 根が単純なのか、勝てば嫌なことは全て忘れる。その頃には、朝と同じ気分にもどっていた。

(中略)

 あ、それから、先の女性には、ただサインを求められただけですから、全国の若い女性ファン(そんなの居たっけ?)は、御心配なく。

 十段戦、頑張りますからね。

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電車やバスに乗っている時に「素敵な女性だな」と思った女性から、降りた後に突然声をかけられれば、これは最上級に嬉しいことだ。

サインを書きながら、「よろしければ今度の金曜日にでも飲みに行きませんか」と気軽に言えないところが有名人の辛いところ。

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1図のひねり飛車模様の将棋は、ハメ手風の狙いあり、▲8六歩からの向かい飛車への転換ありで、なかなか面白い戦法だ。

それと同時に、谷川浩司名人(当時)が腹を立てていた様子が指し手からよくわかる。

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加藤一二三九段が、この時のことについて書いている。

将棋世界1984年10月号、加藤一二三九段の「谷川名人の自戦記を読んで」より。

 本誌8月号で、谷川名人が私との対局のことを触れていました。それについて私の思ったことを述べてみたいと思います。

 対局当日、私も上座、下座のどちらに座ろうか、当然考えたのですが、読売新聞社主催の十段戦の対局ということを重視したわけです。読売新聞社は長年十段戦に尽力してくれています。私はこれまで十段戦に縁が深く、現在谷川さんよりもリーグの順位が上です。それで上座に座ってもよいだろうと思ってそうしたわけです。

 私はかねてより、それぞれの棋戦の対局でどちらに座るかと考える時、相手の現在の位置(例えば、七番勝負を終えた敗者の次年度の地位は大変なものだと思っています)を大きく評価するようにしています。

 連盟のこれまでのきまりは、名人戦リーグの順位によって座る位置を決めるべきとしています。これはずっと以前からの不文律です。私も実は対局の日の朝にどちらに座るかを考えなくてはいけない状況は、できればなくなってほしいと思っています。そういう棋士が多いため、連盟でも先のような不文律を決めたわけです。だから当然谷川さんが上座に座る権利があります。しかし、この規定も現在常に実行されているわけではありません。後輩が先輩に上座を譲ったり、その他いろいろなケースがあります。

 十段戦の対局が、もし王将戦や棋聖戦の対局であったならば、私は前年の実績がありませんから、ノータイムで下座に座っていました。

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加藤一二三九段の考え方も非常に明快だし、谷川浩司名人の思いもよく分かる。

明文化されていないことから起きたアクシデントということができるのだろう。

この10年後の1994年には、A級1年目の羽生善治四冠がA級順位戦で上座に座ったことにより波乱が起きている。

ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…前編

ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編

長い間採り続けられた順位戦での序列を基本に考える方式か、他棋戦も含めた総合的な状況で考える方式かの違いにより起きたことだが、現在では序列は、

  1. 竜王、名人(名人、竜王のタイトル保持者が異なる場合は、タイトル保持数が多い棋士が上位。同じ保持数の場合は棋士番号が小さい棋士が上位)
  2. その他のタイトル保持者(タイトル保持数が多い棋士が上位)
  3. 現役襲位の永世名人
  4. 現役襲位のその他の永世称号襲位者
  5. 前名人、前竜王(名人、竜王を失ってから1年間だけ名乗れる)
  6. 永世称号の有資格者
  7. 段位(同じ段位の場合、先にその段位になった棋士が上位)

となっている。