米長邦雄永世棋聖「羽生善治と森内俊之」(後編)

昨日からの続き。

将棋世界2004年6月号、米長邦雄永世棋聖の「羽生善治と森内俊之」より。

 次なるは母親の出来である。出来と言い切る所が米長流であって失礼千万な書き方なのは承知だが、これを書かない事には本質だから避けて通れない。父親?まあ付属品ですね。

 私の一大特徴は、彼等の父親や母親と仲良しであるという事だろう。家族同然のお付き合いという人も結構いる。考えてみればこれは当然かもしれない。というのは、タイトルを獲った棋士に対しては、その棋譜よりも母親の研究に終始してきたからである。

 新しいスターが誕生する。多くの人々はその将棋の中味を知ろうとする。序盤の研究、中盤の構想、終盤の読みの深さ等々である。

 私は全く別の手に出る。お母さんに会う。たいていは就位式に出て来るからご挨拶ということになる。たったの1秒で分かる。

「なる程ね。このお母さんの子だからな」

 大体において、私は棋士の親とは仲が良い人が多い。おたがいに認め合う点が多いからだろう。これとは全く反対のケースもあるが、これは書く訳にはいかない。良いお母さんの子は必ず子が世に出る。ただし、これは30歳までであり、50歳からは又別である。30歳までは親が問題だ。

 羽生と森内。母親は互角。この表現ばかりは本当に失礼で申し訳ありません。

 羽生の母親はリーダーズ・ダイジェストに勤めていて後にデュポンにトラバーユした当時のハイカラ娘である。

 森内の母親は京須行男の娘である。父から子へでなく孫へというのが良いのかもしれない。京須先生を父にもつ以上は将棋というものへの思い入れはアマチュアとは別のものがある筈である。まして我が子が将棋のプロを目指すのであれば、父親の将棋界に於いての日々とダブって育てていたに違いあるまい。将棋が骨の髄までしみこんでいる女性の子育てはどのようなものであったのだろう。

 両者を比較してここまでは対等である。一番の問題は嫁さんだ。30歳から50歳まではカミさんで決まる。今度はカミさんの勝負や如何に。

 羽生善治は亭主関白の鑑である。いや極みである。別に威張っているのではなく、ごく平凡、普通にしていて優位を保っている。これが偉い。自然体にして優勢。日々の生活の中で形勢が定まり微動だにしない。

 彼は「8時半。味噌汁」とだけ言って寝る事があるそうな。すると翌朝は和食となり、食べる直前に味噌を入れた風味豊かな味噌汁が出てくる。作っておいてから再び火を通して熱くするのではない。ただ本当の話かどうかは実際に見て来た訳ではないから分からない。

 信じられない話もある。谷川浩司の奥さんも素晴らしく二人は永遠の恋人同士の感がある。どれだけ尽くしても夫が負けては何を言われても仕方がない。羽生が天敵とも言うべき一時期があったが、遂にその羽生を倒して谷川がタイトルを奪回した。

 この時、ご尊父の大僧正は「良かった。良かった。これでウチの嫁は貧乏○んこと言われずに済んだ」と絶叫しつつ本堂を踊り回ったと伝えられている。多分これは某永世棋聖あたりの作り話ではないかと思う。

 森内竜王。素晴らしい奥さんと結婚した。知る人ぞ知る万葉集の研究者。私が森内竜王に出す手紙には駄作を一首書くようにしている。又、和歌の解釈についても米長流を披露すると「その方が趣きががあって楽しい気がします」等と誉めてくれる。

 ある時、子ども向けの将棋教室があった時に奥さんがボランティアで手伝いに来ていたのに出くわした。未だ子どもがいないので今ならばお手伝い出来るだろうが、これはなかなか実行出来る事ではない。本来なら夫が来るべき処、どうしても本人は出席出来ませんので、こうして私がせめてお手伝いなりとも致します。泣けてこないか。

 こうしてみると、人生観、母親、奥さんの人生の三大要素は互角であると判断出来る。

 なんと言っても本人の実力で決まる。羽生名人の強さはどこにあるか。その最も優れているのは先見性と洞察力であろう。

(中略)

 羽生ニラミ。これは本人のクセのひとつであろうが相手が今何を考えているかのセンサーが常に働いているかのようだ。錯覚するように指したとしか思えない逆転劇は、このようなセンサーの作動によるものだ。時として中盤で突如投了したりして周囲をビックリさせたりもするが、彼には勝敗の予見力も備わっているのかもしれない。

 挑戦者の森内竜王。堅実であり秒読みでもあわてない。彼は残り1分の時、50秒と読まれてから、1、2、3と秒を読まれ、あわてて手を盤上の空で浮かせて「あ、あ、あ」などというクセがある。しかしこれにだまされてはいけない。彼は全く動揺などしていないのである。

(以下略)

—————

リーダーズ・ダイジェストは1985年に日本法人を清算解散しているが、それまでは東京・竹橋のパレスサイドビル内にオフィスがあった。パレスサイドビルには毎日新聞本社やマイナビが入っているが、昭和の頃はパレスサイドビルのことをリーダーズ・ダイジェストビルと呼ぶ人もいた。パレスサイドビルは1966年にリーダーズダイジェスト東京支社ビルが建て替えられたもので、建て替え後も昔の名前で呼ぶ人が多かったということだろう。

デュポンはアメリカの総合化学会社。デュポン ファーイースト日本支社(現在のデュポン株式会社)が1961年に設立されている。

たしかに羽生善治棋聖のお母様の世代なら、外資系企業に勤務していた女性は、当時のハイカラ娘だ。

—————

森内俊之九段のお母様については、森内名人誕生の時のインタビュー記事がある。

森内九段のお母様は故・京須行男八段の長女。

森内少年の作文

—————

昨日の「共通点編」の鋭い視点に比べて、今日の「個々の秘密編」は、羽生善治名人の亭主関白ぶりについて「ただ本当の話かどうかは実際に見て来た訳ではないから分からない」と書いているなどから、エンターテインメント色が豊かな読み物として見たほうが良いのかもしれない。

どちらにしても、結局のところは、二人を様々な切り口で比較しても、全ての面で互角、という結論だ。