「史上初のハプニング」と言われた4人による名人戦挑戦者決定プレーオフ(1979年)

将棋世界1979年4月号、毎日新聞の加古明光さんの「名人挑戦リーグ最終日 はたして挑戦者は…」より。

 2月26日。ことしの”2.26”は、雨にはじまった。

 いよいよ千秋楽。昨年6月1日、米長-桐山戦でスタートした今期リーグ戦は、今日の最終局5局で、長丁場を終える。長い9ヵ月を経て、今夜には挑戦者が決まるか、もしくは同率決戦となる。

(中略)

 館内テレビが写す大一番は、大山対米長。隣室で二上対加藤、さらに一つへだてて桐山対大内、廊下をへだてた部屋で森対勝浦に板谷対花村。この5局いずれも、誰かが挑戦権か降組に関係している。”気楽組”の対局は一つもない。

 さらに最終局で同率同士がぶつかり、その負けた方が陥落するという珍しい組み合わせが2局そろった。桐山-大内と板谷-花村戦である。「この部屋には入りにくいな」と誰かが言う。

(中略)

 森が記者室に顔を出しては「12.5%、12.5%」と言う。森が勝ち、大山、二上が敗れた場合にだけ米長を含めた4者同率決定戦がある。その確率を言っている。

(中略)

 二上は、加藤の威勢のいい攻めを、やや持て余し気味。大内-桐山はわからず。この将棋を「昇給のかかった将棋」という花村、相変わらずタバコをくゆらし、独特のポーズ。記者室にたびたび現れては「肝心のあなたの将棋はどうなの」と同僚からひやかされる森は、ややいいか。

 控え室に徐々に人が集まり出す。若手、ベテラン、そして将棋担当記者……。

(中略)

 9時57分、花村が126手で敗北を告げた。攻めまくったが指し切りのようだ。板谷の顔が自然にほころぶ。感想戦を1時間近く。終えて「ちょっと電話をしてくるから」。多分、名古屋で待つ師匠、父・四郎八段と夫人にだろう。

 セキを切ったように終局が続く。部屋は離れているが、10時6分、二上が101手で敗れ、森は122手で勝浦に勝った。

二上「作戦負け。受けにばかり回って、どうしようもなかった」とひと言。”1分将棋のピンさん”が何と2時間近くも残していた。

 ”遊び”回っていた森は、駒得を大きく生かし、勝浦を降す。森の豪腕を感じさせる一局だった。

 さあ、記者室は色めき立つ。これで大山の単独優勝か、4者同率の二つに一つしかない。もし、大山が敗れると、史上初の”四すくみ”。3人の同率決戦は、7期と12期に2回あるが、前代未聞の4人決戦だ。

(中略)

 11時58分、大山が「どうも、こりゃ負けですね」と投了、どっと入室する関係者。それに軽く視線を向けて、大山は感想戦をはじめた。

 大山、二上が負け、森が勝って、4人同率になる確率は12.5%だった。そのわずかなメが出た。アナである。ほとんどの人が予想しなかった4人同率が決まった。史上初のハプニング。

 挑戦者の決戦は4人とトーナメントではない。降級に順位がからむように、挑戦にも関係してくる。

 今期は4人のうち順位が森、米長より下位の大山-二上がまず対戦、勝者が米長と、その勝者がさらに森と当たる。

 順位1位の森は、一局だけ勝てば連続挑戦権獲得。その点では断然有利だが、下から勝ち進むものには勢いがつく。全く予断を許さなくなってきた。

(以下略)

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将棋世界同じ号、「名人戦挑戦者決定リーグ戦」より。

 2月20日、先に第8戦を済ませた森(5勝3敗)が普段着でぶらりと会館に現れた。「やっとるネ。大山、米長、二上(3人とも5勝2敗)とそろって負けてくれれば、ボクをまじえて3人の決戦になるんだけど……」

「大山-米長は最終で当たっているから3人というんだけど、まずご本人が勝たなきゃダメだろ。まず見込みなしと見るのが本当だよ」

「念力々々。それにしても気が気じゃないよ。ちょっと家に電話を入れてと……もしもしボクだけど晩めしはいらないよ。もう少し将棋を見ていくから」

 記者室ではテレビに映る大山-大内戦を観戦して「夕食前では大内さんのほうがよかったと思うんだけどなー、がんばれがんばれ」声援していた。10時ちょっと過ぎて、一番先に花村-二上戦が、つづいて大山-大内戦が、いずれも森君の注文どおりにならない結果でおわる。

 米長-板谷は、板谷に降級がかかっているだけに一番最後になって、ここだけ森の念力が通じたのか板谷の勝ち。板谷にとってはこの1勝が大きかった。A級に踏みとどまることになったのだから。

 2月26日(A級順位戦最終局)。大事な対局ということで一局ずつ別の室で行われることになった。森はそこでも、ガミさんが負けて大山さんが負ければボクの出番があるんだけど……と一縷の望みに念力念力と、穴熊で持久戦に持ち込もうという肚。中盤、勝浦にミスが出て森が早々と勝って、さあどうか。残された大山-米長戦で大山が勝てば大山7勝2敗でスンナリ挑戦者と決定で念力もパー。

 形勢二転三転。米長優勢と思われる局面になったときテレビの画面に向かって”▲3五歩と打て”と森はさけぶ。”ボクの出番が回ってきそうだ”と嬉しそうな声を残して深夜の帰還。

 確かにパラマス方式だと順位1位の森は一局だけに全力投球すればよいのだから有利に違いない。はじめ独走していた二上にとっては、その時点でガックリとするのではなかろうか、大山も4月16日から中国旅行を控えているとハードスケジュールを強いられることになる。米長は大山-二上の勝者と指して、勝てば森と争うのだが、その間に加藤一との棋王戦(3月2日、3月17日、あのあと、4、5局)があってみると、どうしても森の嬉しくなる気持ちはわかろう。昨年坊主頭で、一躍天下の話題をさらった森、またまた森語録で波乱を呼ぶか。

 さて注目の大山-二上戦は3月1日、最終戦は3月8日、あるいは9日と決まった。待たれる挑戦者の決定だ。

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2月20日ラス前、2月26日最終局と、この頃のA級順位戦は今よりもやや前倒しのスケジュールだったことがわかる。

パラマス方式の挑戦者決定戦は、6勝3敗の

森雞二八段(1位)
米長邦雄棋王(3位)
大山康晴十五世名人(4位)
二上達也九段(5位)

の4人によって行われた。

結果は、

3月1日 大山-二上戦→大山十五世名人の勝ち
3月6日 米長-大山戦→米長棋王の勝ち
3月9日 森-米長戦→米長棋王が勝ち挑戦者に

という展開。

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昨日のA級順位戦、史上初の6人(稲葉陽八段、羽生善治竜王、広瀬章人八段、佐藤康光九段、久保利明王将、豊島将之八段)によるプレーオフという結果となった。

昨日はトップの久保王将と豊島八段が二人とも敗れてプレーオフに、1979年の時もトップの二人(大山十五世名人、二上九段)が敗れてプレーオフという共通点がある。なおかつ、トップだった二人が相対的に順位が下位の二人。

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「史上初のハプニング」と書かれた4人によるプレーオフ。

その後、1992年、2015年も4人によるプレーオフとなったが、今回は一気に6人によるプレーオフ。39年振りの記録更新ということになる。

1992年は最も順位が下位だった高橋道雄九段が3連勝で、2015年は順位が最も上位だった行方尚史八段が1勝で、名人戦挑戦者となっている。

今回はどうなるのか。とにかく、歴史的なことであることは間違いない。