兄弟同士の決勝戦〔畠山鎮四段-畠山成幸四段〕とお母さんの気持ち

将棋世界1991年4月号、池崎和記さんの第2回富士通オープン将棋トーナメント決勝〔畠山鎮四段-畠山成幸四段〕観戦記「直線と曲線の激突」より。

将棋世界同じ号より。撮影は炬口勝弘さん。

 いよいよ決勝戦である。

 お好み対局の高群佐知子女流プロ-林まゆみ女流アマ戦が終わり、廊下がざわついている。その中に弟の鎮四段がいた。控え室を抜け出してきたらしい。

 初めて見るスーツ。この日のために新調したそうだ。上下6万円。「僕はカジュアルが好きなので高級品はどうも…」と言っていた。

 抱負を聞くと、

「兄貴には公式戦で2連敗しているので、そろそろ勝ちたいです。賞金(100万円)には執着していません」

 2連敗とは、前期の竜王戦6組決勝戦と新人王戦2回戦で敗れたことを指す。前は兄貴の貫禄をしっかりと見せつけられたので、今度こそは…ということだ。

 しばらくすると兄の成幸四段がやって来た。「これはこれは池崎さん。わざわざ来ていただきまして。ご苦労さまです」

 兄はいつも、こんなていねいな言葉遣いをする。時代劇に出てくる呉服屋の大旦那みたいだ。こちらは見るからに高そうなダブルのスーツ。「どれどれ」と上着の裏側をのぞくと、クリスチャン・オジャールと読めた。

「決勝戦のために、わざわざ?」

「ええ、まあ。きょう初めて着ます」

 服で弟に差をつけようというのだな。しかし、あとで聞いたら値段はたいしたことがなかった。定価8万いくらのをバーゲンで6万ちょっとで買ったそうだ。

「きょうは、お母さんは?」

「見に来るって言ってたんですけど…」

 しかし会場には、まだお母さんの姿はなかった。

(中略)

 大阪・京橋のビジネスパーク内にある富士通関西システムラボラトリ。昨年に続いて、決勝戦は今年も公開対局。

 公式戦、非公式戦を問わず、公開対局はもっと増えたほうがいいと思う。最近はタイトル戦でもその試みが行われているが、まだ「全部お見せします」というところまでは行っていない。

 対局前の兄弟のあいさつ。

兄「弟との対戦は3度目ですから、やりにくいということはありません。いい将棋を指せればと思います」

弟「ファンの前で指すのですから、いい将棋を指したいです」

 申し合わせたように、二人とも”いい将棋を”と言った。真空パックの優等生みたいで、面白くも何ともない。

「100万円は僕がもらう。三タテを食らわせて、格の違いを見せつけてやります」

「そんな大ボラが吹けるのもいまのうちだよ、兄さん。きょうは秘策を用意してきたから、前のようにはいきません」

 ぐらいのリップサービスがあってもいいと思うんだけどね、僕は。

(中略)

 二人の棋風は対照的だ。

 兄は受け将棋で、相手の攻めをノラリクラリとかわすのが得意。柔軟な駒の動きはまるで軟体動物のようだ、というので、奨励会時代は「軟体流」と呼ばれていた。

 弟は過激な攻め将棋。とにかく自分が攻めていないと気がすまないタイプ。でも苦しくなると死んだフリして、一発逆転を狙う真剣師みたいなしたたかさも持っているから油断できない。「通天閣の一発屋」と呼んだ人がいる。

 解説の谷川竜王は、ファンの前で、軟体流とか一発屋といった、品のない言葉は使わなかった。

「成幸四段の将棋は曲線的です。対して鎮四段は直線的ですね」

 なるほど、こんな言い方もあったか。優しいね、竜王は。

大盤解説は谷川浩司竜王と林葉直子女流王将。将棋世界同じ号より。撮影は炬口勝弘さん。

(中略)

「10年前の米長・中原戦の将棋に似ていますね」と谷川竜王。

 こういう話を聞くと、プロの記憶力はすごいな、と思う。

 でも竜王が言うには

「プロ棋士で、自分の指した将棋は全部覚えていると言う人がいますが、ウソツキですね(場内ドッ)。私はいままで800局ぐらい指していますが、覚えているわけないです」

 この例に限らず、将棋界にはフィクションがけっこう多い。

(中略)

弟「▲5六金の形は玉が薄い。でも、後手が攻め合いで互角に渡り合える順は難しいのでは…と僕は思っていた」

 弟によると、本局は数日前に行われた村山-畠山鎮戦(王将戦、村山勝ち)がベースになっているようだ。▲5六金は弟のオリジナルではなく、実は村山五段が指した手。後手番を持って▲5六金に苦しめられた弟は、その村山流を富士通杯で兄にぶつけたわけ。

(中略)

 大きな舞台で初めて兄に勝った弟。100万円という、でかい賞金も手に入れたから、過去の2連敗はこれで帳消しとしたものだろう。今回の100万円は、兄が昨年手にした竜王戦6組の優勝賞金(60万円)より大きいのである。

 ところが負けず嫌いの弟は、これでもまだ満足しない。ニコリともせず、こう言ったものだ。「兄貴には、まだ一つ負けてる…」と。

 後日、僕は兄に電話をかけた。「100万円、惜しかったですね」と言ったら、次のような返事が返ってきた。

「僕の60万円(竜王戦6組の優勝賞金)は、3,000万円につながる60万円でしたからねェ」

 兄の負けず嫌いも、かなりのものだ。


顔色で形勢判断 兄弟の母、阿紀子さんに聞く

「まさか、成幸と鎮が決勝戦で戦うなんて思ってもいませんでした」

 と、畠山兄弟の母、阿紀子さん。この日は会場の最後列でこっそり観戦。

「アマチュアの方も、皆さん強いでしょう?だから今回の富士通杯だって、そううまい具合に行くはずはないと私は思っていたんです。一昨年、二人が同時に四段になったときもそうだったけど…。子供たちの将棋を見るのは何年ぶりかしら。小学生のときはちょくちょく顔を出してたんですけどね」

 会場で偶然、本間四段と野田四段に会い、”一番前の席で見たらいいですよ。森安正幸先生(兄弟の師匠)は、も前の席にいますから”と教えられたが、最前列で観戦する気にはなれなかったという。

 どっちかが勝つ、ということは、どっちかが負ける、ということだ。これを思うと、とても子供たちの目の前で観戦する勇気はなかった。結局、最後列から動かず、しかも最後まで立って見ていた。

 阿紀子さんは将棋を知らない。それでも二人の顔色を見て、どっちが形勢がいいのか、わかったそうだ。

「遠くから見ていたら、成幸が一手指すたびに首をかしげているんですよ。きっと不安なんだな…これは成幸のほうがダメになるんじゃないか…と思いました。鎮のほうは、表情に特に変わったところはありませんでした」

 さすがに棋士のお母さんだ。よく観察しているなと感心する。

「あの日は、鎮の方が席に家に帰って来ました。たぶん成幸に気を遣ったのでしょうね、そんなに喜んでいる感じじゃなかったです。賞金(100万円)については、両方から前に”優勝したら少しあげるよ”って言われてまして…。まだ具体的にはもらってませんけど、感じでは、だいぶもらえそうな気がします(笑)。主人が働いているから、別に要らないんですけど、鎮があげるって言うから…」(私が鎮四段に確認したところ”3割ぐらいプレゼントしようかな”という返事でした)。

 ところで、お母さん、兄弟にはガールフレンドがいますか?

「どっちも、決まった人はいないと思いますよ。結婚?全然まだ早いですよ。ウチはみんな遅いんじゃないかしら。私、子供たちに”あんまり早く結婚したら、つまんないわよ”って話しているんです。”稼いだ分、全部、奥さんに取られるんだから、遊べるうちに遊んどきなさい”って」

将棋世界同じ号より。撮影は炬口勝弘さん。

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「軟体流」と「通天閣の一発屋」、なかなか良いネーミングだと思う。

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「プロ棋士で、自分の指した将棋は全部覚えていると言う人がいますが、ウソツキですね。私はいままで800局ぐらい指していますが、覚えているわけないです」

谷川浩司九段の場合、「600局くらいは覚えているけれども、全部は覚えているわけないです」という意味かもしれず、なかなか油断はできない。

ただ、名棋士・二上達也九段をはじめとして、自分の指した将棋を覚えていない棋士が多いのも事実。

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「▲5六金は弟のオリジナルではなく、実は村山五段が指した手」

今になってみると、この時期のこのようなところに村山聖五段(当時)が指した手のことが触れられているのは嬉しい。

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「どっちかが勝つ、ということは、どっちかが負ける、ということだ。これを思うと、とても子供たちの目の前で観戦する勇気はなかった」

兄弟の中から優勝者が出るのは嬉しいけれども、それ以上にどちらかが負けるのを目の前で見るのが辛い、この時のお母さんの気持ちはとても複雑なものだったろう。

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「私、子供たちに”あんまり早く結婚したら、つまんないわよ”って話しているんです。”稼いだ分、全部、奥さんに取られるんだから、遊べるうちに遊んどきなさい”って」

以前も紹介したが、お母さんの阿紀子さんは、おおらかさと信念と優しさを持った素晴らしいお母さんだ。

「畠山成幸と畠山鎮、双子でありながら名前に共通点はない。これには理由がある」