森下卓六段(当時)「どうしたら、谷川さんに勝てますか、教えてください」

将棋世界1992年3月号、大崎善生さんの「竜王戦後日談 そして、七番勝負は終わった」より。

 第4期竜王戦第7局、谷川浩司竜王は連戦の疲れも見せず、挑戦者森下卓六段を降し、4勝2敗1持将棋のスコアで竜王防衛を果たした。

(中略)

 対局翌日の12月28日、私は東京行きの切符をキャンセルして、札幌行きの飛行機に乗ることにした。年末の帰省ラッシュの真っ只中、偶然に山形-札幌便に空席があったのだ。

 朝9時30分、全日程を終えた谷川浩司竜王、読売新聞記者達をはじめとする一行は、滝の湯ホテルを後にした。予定を変更して午後1時の便に乗る私は、一行をお見送り。

 嵐の過ぎ去ったようなホテルのロビーに、いつも通りの静けさが戻ってきた。そして、そこに森下がいた。

 激戦の疲れをいやすために、もう一拍のんびりと温泉につかっていこうということであえる。

 外は昨夜から降り出した雪が、静かに降り続けていた。

「いやあ、悔しいです」

 と、森下は昨日の感想戦、打ち上げの席ではおくびにも出さなかった一言を、ポツリともらした。それでも、ニコニコと笑顔をたやさないのが彼らしい。

「どうしたら、谷川さんに勝てますか、教えてください」

 真剣だった。もちろん、そんなことが私にわかる筈もない。それに、勝負に敗れた棋士に、ああしろこうしろと説教じみたことをいうのはご法度と思っている。しかし、真剣な言葉にはいくらアマチュアとはいえ、自分なりに真剣に答えるのが礼儀だろう。その中の何かが、偶然何かのたしになっているという可能性も全くゼロとはいえない。それに、今は朝、アルコールが一滴も入っていないのがいい。

 私は自分なりに見たこと、思ったことを何も隠さずに、森下に伝えた。

 この時点で考えていたことは、終盤力に絶対的な自信を持っている谷川が、森下の序盤の研究を逆用しようとしたのではないかということだった。

 つまり、森下の研究はその優秀さ、綿密さゆえに、先後の優劣にほんの僅かな差しかできない。終盤型の谷川にしてみれば、安心して森下の序中盤に追随し、そして殆ど差のない終盤戦に突入することができる―。最終局の1日目の指了図、森下の研究をおそれていたら、おそらくは実現しなかった局面ではないか。それを凌ぐ谷川の新研究があれば、また話は違うのだが―。

 ちょっと不利な局面から、常に一発勝負を放ち、そして有利な場面からも最短の寄せを目指す谷川の棋風、シリーズ前半の苦戦のなかで、自分の最大の武器を忘れていたことに谷川は気づいたのではないか。

 そして、森下の研究を逆手に取ることを考えた。研究ならば、逆転の可能性はあると。

 私は森下にそのことを伝えた。

 フーッと森下は大きくため息をついた。

 もう一つ驚いたことは、第7局で谷川が自ら切り札という角換わりを採用しなかったこと。もし第7局で負けていれば第8局も矢倉で戦わなければならなかった可能性が高い。

 森下も、第7局は7割ぐらいの確率で角換わりと思っていたという。

「谷川さんに勝つには、広く局面を読むことよりも、1ヵ所をものすごく深く読んでいくしかない、どうもその考えがポカを誘っちゃったみたいです。本来私はポカが少ないタイプなんですがね」

 静かなロビーの喫茶に、森下の声が響いた。

「将棋の世界は、自分が一生懸命努力すれば、何年後かには必ず報われます。そう思って石にかじりついても頑張ります。私には、米長、中原先生をはじめとする素晴らしいお手本があります。あの年でも決してあきらめずに、最大の努力をしている。私も絶対にかじり続けます。歯がボロボロになっても、あきらめずに」

 ロビーからは中庭にパラパラと降り続け、少しずつあたりの景色を変えていくのが見えた。大きな勝負が終わったあとの、ポッカリとあいた穴を、埋めようとしているようだった。

 たとえ、今回はかなわなかったにしろ、それでも、半歩でも一歩でもそこに近づこう、そんな森下の若々しい決意が、心地よかった。

 こんなことをいっては、敗れた森下には失礼だが、しかし、偶然に訪れた滝の湯での3時間は私にとって幸運な時間だった。

 森下は歯切れよく、いつにも増して能弁で快活だった。それが、彼のなかの勝負の余韻を語っていたのだろうか。

 将棋界のことからはじまって、女の子のことまで、実に色々なことをロビーでとめどもなく話した。

「それにしても、谷川さんは強い。本当に強い」。何かの話が終わるたびに、何度彼の口からそのつぶやきがもれたことだろう。その続きは口にはしないが、心意気は十分に伝わる。

「さっき米長先生に電話をしたら、よしっ、オレが仇をとってやるって言ってました。先生大丈夫かなあ、今の谷川さんは強いからなあ……」

 後日、編集部に現れた谷川に、第7局の▲7二角の局面のことを聞いてみた。羽生新手の▲9六歩に対する、石田八段の新構想の△8四銀の局面は、現在森下システムにおける最先端であり、後手がよしといわれている。

 谷川はあえてその局面に挑んだ。そして、▲7二角である―。

「あれは、考えれば考えるほど、いい手ではありませんでしたね」

「研究だったんですか?」

「いえ、あそこまでは仕様がなく行ってしまって、▲7二角はその場の思いつきです」

 私はあの日、滝の湯のロビーで森下に言ったことを聞いてみた。つまり、谷川は森下の研究に追随することによって、互角に近い終盤を引き出そうとしていたのではないか、ということをである。

 谷川の答えに驚いた。

「確かに、そういうところはありますね。でも、互角どころか、みんな悪くなっちゃいました」

 では、なぜ谷川は悪くなってしまう研究に、悪くなる方を持ちながら追随していったのだろう?△8四銀の局面が、後手若干有利といわれていることは、百も承知の筈なのにである―。

 竜王戦七番勝負は終わった。

 今期の戦いは、最先端の序盤研究を誇る森下と、最強の終盤を誇る谷川の、実に見応えのある対決だった。

 将棋を研究によってより精密に高めようとする科学者の森下を、その精度に悩まされながらも突然に荒々しい人間の勝負に持ち込んだ谷川が、首の皮一枚残したというのがシリーズを通しての印象である。

 そびえ立つ山があって、そして石にかじりつく男がいる―。

 人には見えない所で、マッチ棒を一本一本組み合わせて東京タワーを作り上げるような気の遠くなる作業を、おそらく森下はこれからも一生懸命繰り返していくのだろう。

 谷川がつきつけた不条理、それも解決しなければならない、大きな課題である。

 年があけ、東京に帰ると森下から年賀状が届いていた。

「全てはこれからです」と一行。

 本当にその通りだと思う。

第4期竜王戦第7局。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

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「つまり、森下の研究はその優秀さ、綿密さゆえに、先後の優劣にほんの僅かな差しかできない。終盤型の谷川にしてみれば、安心して森下の序中盤に追随し、そして殆ど差のない終盤戦に突入することができる」

東京で、手を縄で縛られ、車の後部座席に放り込まれて、そのまま大阪へ連れて行かれそうになったけれども、京都の辺りで縄抜けの術を使い手を自由にして、運転している相手に手錠をかけて運転席を乗っ取り、そのまま自分が行きたかった山陰へ向かう展開、のような感じなのだろう。

恐ろしい。

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「さっき米長先生に電話をしたら、よしっ、オレが仇をとってやるって言ってました。先生大丈夫かなあ、今の谷川さんは強いからなあ……」

この日は12月28日だが、翌日の29日に王将戦挑戦者決定リーグ戦プレーオフで谷川浩司竜王(当時)は米長邦雄九段と戦うことになっていた。

結果は谷川竜王の勝ち。

そして、12月31日に王将戦挑戦者決定リーグ戦プレーオフ決勝で、谷川竜王は中原誠名人(当時)を破り、挑戦権を得ることになる。

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年が明けてからの谷川竜王は、1月10日に南芳一棋聖から(当時)棋聖位を奪取、2月28日に南芳一王将から王将位を奪取、四冠王(竜王、棋聖、王位、王将)となる。

まさに怒涛の勢い。