私が20年近く通っていた、中野にある小さな店のママが亡くなった。
9月28日(月)に報せがあってお通夜は10月2日(金)。
仕事関係、将棋界関係、様々な人と一緒に飲みに行った店だが、何と言っても一人で通うことが圧倒的に多かった。
ママの個性が前面に押し出されていない居心地の良い店で、女性客も多かった。
ママは私より歳が3つ上で、心情的には姉のような存在。
最後に店に行ったのは3月下旬だったか。
将棋ペンクラブ会報の「広島の親分」が完結したので、掲載された会報5号分をまとめて店へ持っていった時が最後だったと思う。
「仁義なき戦い」などの話も大好きなママだった。
4月上旬に店へ行った時は閉まっていた。
ママにメールすると、体調が悪いので休んでいるという返事。
元気が良くなったらメールをくれるということだったが、その後メールはなく、あまりにも突然の展開。
肝臓の病気で、4月から入院をしていたと知る。
また、2年前にママのご主人が亡くなっていたが、病気をする以前に、別の男性と籍を入れていたことを知り、少しだけ救われた気持ちになる。
お通夜では、最後のお別れということで顔を見ることもできたが、見ることはしなかった。
生前と変わらぬ綺麗な顔ということだったが、もっと悲しくなるのでやめた。
その後、会場で会った知人と東中野で飲んで、0時頃一人で新宿へ向う。
故人が一度行ってみたいと言っていた新宿「あり」へ。
2時過ぎに「あり」を出て、歌舞伎町から大久保方面へ歩く。
5月まで新宿将棋センターがあった場所には灯りが点いている。何の店になっているのだろう。
歌舞伎町、中国人女性が声をかけてくる。
「いいクラブあるよ」
私は、日本人の客引きは全て無視するようにしているが、相手が外国人の場合は、国際交流上、多少の会話をしながら切り抜けることにしている。
この夜は感傷的になっていたので、会話が変だった。
「あっ、綺麗だね。出身は大連?」
アイドル系の顔立ちなら上海、美人系なら大連の出身。これは80%以上の確率で当たる。しかし、どちらが客引きかわからないような会話だ。
「私はハルピン」
ハルピンも大連も旧満州だ。
「そうなんだ。ハルピンの子も綺麗なんだね」
「お店にいるのは私よりずっと綺麗な子たちばかりだよ」
「でもごめん、帰らなくちゃいけないから」
「じゃあ、いいマッサージの店もあるよ。私よりずっと綺麗な子たちばかり」
「ごめんね、また今度来るときね」
立ち止まってはいけない。歩きながらの会話。
一人切り抜けてからも、
「マッサージ3000円だよ」
「ごめんね」
という会話を、歩きながら別々の中国人女性と何回か繰り返す。
彼女たちは客引きではなく呼び込みなのだろう。
職安通りに近づくと、このような女性も少なくなる。
職安通りを超えて大久保へ。
大久保は故人が生まれ育った場所だ。
大久保に行ったから何になるものでもないが、大久保へ行ってから帰らなければと思ったのだった。
中野は思い出のある街だが、中野へ行くことも少なくなるのだろう…