名局になりそこねた名勝負

将棋世界1981年1月号、加藤治郎名誉九段の「忘れえぬ観戦」より「未完成の一局」。

”忘れえぬ観戦”が編集部からの注文である。私は”観戦”にはこのうえなく恵まれた棋士の一人。歴代名人の木村、塚田、大山、升田、中原をはじめ、現代の棋界を代表するあらゆる棋士達の対戦を、ときには立会人、ときには観戦記者として、数え切れないほど数多く観戦している。

 従って、その中から一局だけ”忘れえぬ観戦”を撰ぶのは至難中の至難事である。

 ”さて、どれにしたら”と思い悩む日が幾日か続いた。が、ある日偶然手許にあった棋聖戦の古い切り抜き帳を眺めているうちにふと本局の大山、升田戦が目にとまった。

 あれから13年を経たいまでも、対局の情景が鮮明に浮かぶ、強烈な印象の一戦であり、両雄の数ある名勝負の中でも、稀に見る一大激闘譜である。私は瞬間これに決めた。

昭和42年11月8日、於・東京将棋会館
第13期棋聖戦・挑戦者決定準決勝
(持ち時間各6時間)
▲九段 升田幸三
△名人 大山康晴

▲7六歩△3四歩▲7五歩△8四歩▲6六歩△8五歩▲7七角△7二銀▲7八飛△8三銀▲9六歩△4二玉▲4八玉△3二玉▲3八玉△7四歩(1図)

火と火の戦い

 全将棋ファンを二分する両巨豪がまさか準決勝で顔を合わせるとは夢にも思わなかった。今期棋聖戦中、願ってもない好カードであり事実上の挑戦者決定戦ともいえよう。だが世の中は広大、別の見方をするものもある。

 本局の数日前、口の悪い新鋭棋士の某氏が”準決勝で大山、升田がぶつかってよかったですね。前期のように別々の組み合わせでは両人とも決勝まで残るかどうかわかりませんからね”と、冗談とも本気ともとれる言葉をはいた。(注=前期準決勝では、大山は高島五段、升田は中原六段にそれぞれ敗れて、決勝戦は新鋭同士の争いとなった。決勝戦では中原が勝って挑戦者となり、続く山田棋聖との五番勝負にも勝って、初の棋聖位に就いた)

 私はこの話を両人にした。両人ともぶすっとした顔で聞いていたが、やがて升田は”両人とも敗退したら強そうに見えて弱い。時代は変わったといわれるだろう”と、はっきり言った。時代が変わるかどうかは、大山、升田の勝者が挑戦者になるかどうか、続く挑戦五番勝負で、中原青年棋聖とどんな戦い方をするかにかかっている。

 さて、ムダ口をたたいているうちに、指し手は快調に進み、わずか10手前後で局面は早くも未知の世界へとびこんでしまった。

 いつもは升田の火、大山の水の戦いだが、本局はどうやら、火と火の戦いらしい。

 私の前述の告げ口で、両人とも怒っちゃったのかな。

 以上が、私の本局観戦記第1譜の観戦記である。

1図以下の指し手
▲8八角△7二飛▲7四歩△同銀▲6五歩△7五歩▲6八飛△6二飛▲2二角成△同銀▲5六角△5二角(2図)

新型の超急戦法

 両雄の将棋は戦型、戦略ともにスケール雄大、しかも一手一着が独創的で新鮮潑溂。そのうえ、宿命のライバル同士だけに、すさまじいばかりの闘魂が自ずと盤上に爆発する。ファンにはこれがたまらない魅力なのだ。

 本局、大山の居飛車は一般の定跡書にあるような平凡なものではなかった。いきなり右銀を飛頭にとびだす棒銀流の超急戦。いままでだれも試みなかった新型の超急戦法だった。

 大山は△7四歩(1図)と突きながら”この棋譜をだまって棋力鑑定にだしたら、係の先生から、両人とももう少し定跡書をご覧なさい、とたしなめられるだろ”と笑う。

 升田もすぐ”これが事実上の棋聖戦かな。だから読者にもおもしろく見せなきゃあ”と同じように笑う。笑いあってはいても、両雄の頭脳は猛烈な速さで回転、盤上の変化をくまなく読んでしまう。

 新型の将棋は地図も磁石盤も持たずに未踏の深山を踏破するようなもの。しかも、最長7分の快速でふっとばしている。両雄ならではできない芸当である。

 升田が角交換から筋違い角を5六に放って次の▲6四歩を狙えば、大山も5二に筋違い角を打ってこれを受ける。

 局面が棒銀から相筋違い角に変わるとともに、攻守もいつの間にかその所を変えながら超急戦局も一時的に小康状態にはいった。

2図以下の指し手
▲7八銀△3三銀▲7七銀△4二金▲2八玉△5四歩▲3八銀△4四歩▲6六銀△2二玉▲4六歩△5一金▲7八飛△7二飛(3図)

異国人同士の会話

 ▲7八銀以下は第二次駒組み期。

 升田は▲2八玉と寄せながら”大山君と予選でこんなに早く顔を合わせるとはめずらしいね”と、つぶやく。大山はすぐ”タイトル戦では初めてでしょうね”と、答える。大山対升田戦は本局が151戦目。過去の戦績は大山84勝(不戦1)。升田65勝。持将棋1。公式戦の最多対戦の新記録である。これは、両雄がここ20数年間、他の棋士に比べとび抜けて強かったからにほかならない。

 若い頃の両雄はタイトル戦の挑戦権を争って戦った。当時の目標は木村名人であり、塚田名人(故、名誉十段)だった。木村が引退し、塚田が後退したあとは、タイトルの争奪戦に終始した。なるほど、こんな風にみてくると、タイトル戦でこれほど早く(といっても準決勝だが)顔を合わせたのは、あとにも先にもこれが初めてのようである。

 なお、両雄は対局中直接話し合うことは滅多にない。前述の会話も実は観戦子が間にはいっている。この点、両雄は言葉の通じない異国人同士のようなもので、間に通訳が入らなければ会談ができないのである。

3図以下の指し手
▲6四歩△同歩▲7五銀△6五銀▲4七角△4五歩▲同歩△4六歩▲5八角△5五歩▲6七角△4一金寄▲5八金左△3五歩▲7九歩(4図)

名人芸、升田の角使い

 昔から天才は角使いがうまいと言われている。現棋界でも角使いの名人は升田で、金は大山、飛車は大野八段(故、九段)との定評がある。(いまなら桂は中原名人と続くところだが、当時はそれほど有名ではなかった)。

 これから始まる、升田の角使いに注目されたい。

 升田はまず▲6四歩と戦端を開き、△同歩と取らせて▲7五銀と歩を取り返しながら、銀に銀を体当たりさせる。△7五同銀なら▲8三角成で升田優勢。

 大山はこれを嫌って△6五銀とかわしながら角当たりの逆先をとる。

 升田が▲4七角とかわせば、大山はさらに△4五歩▲同歩△4六歩で敵角を5八に撃退、続いて△5五歩と突き、次の△5六歩をねらう。△5六歩▲同歩△同銀と敵銀に進撃されては升田陣は壊滅する。

 升田陣危うし。が、升田は▲6七角とのぞき、敵銀の進撃をぴたりと止めてしまう。やはり升田の角使いは名人芸である。

 局後、大山も”▲6七角があるとすれば△4六歩は指し過ぎ。だまって△5五歩が本手でした”と、好手▲6七角を認めながら△4六歩を悔やむ。

 升田の▲6七角で大山の反撃が止まり、局面は△4一金以下またしても緩やかな流れにかわる。と、みられたとき、升田は突如長考に沈んでから▲7九歩の奇手を放つ。

4図以下の指し手
△3二金上▲6四銀△7八飛成▲同角△2五角▲5五銀△5八角成▲同金△4七金▲同銀△同歩成▲同金△4九飛▲3八金△7九飛成(5図)

疑問手対好手

 升田の▲7九歩は次に▲6四銀の決戦をねらった一着。あらかじめ飛車交換後の△7九飛打ちを消した渋い好手である。

 升田は▲7九歩と打ちながら、無言のまま大山の額のあたりをぎょろりとにらむ。相手の手応え、心の動揺をたしかめる得意のゼスチャーである。

 大山は真新しいハンカチをひざの上にひろげ、扇子を片手に悠然と熟考にはいる。ハタ目には全然動揺の色は感じられなかった。

 だが、形勢はこのあたりから徐々に升田に有利となっていった。

 局後、大山は「△3五歩は5二角をさばく意。が、角がいなくなったあと自陣を薄くするので疑問。△3五歩では△4三角から△5二飛-△5六歩の攻めをねらうべきだった」という。

 形勢の差は疑問手△3五歩と好手▲7九歩の差であるらしい。

 大山が11分で△3二金上と自陣を強化しながら決戦に備えれば、升田は再検討の7分でぐいっとばかり力をこめて▲6四銀とでる。

 いよいよ、乗るかそるかの大決戦の幕は切って落とされた。

 大山が飛車交換から△2五角と大さばきにでれば、升田は▲5五銀と歩を払いながら敵の攻めを催促する。一見、いかにもゆっくりした手にみえるが、次に▲4四歩の攻めと▲4六銀の受けとをみた攻防手。こんな落ち着いた手が指せるのも敵の△7九飛を消している▲7九歩のおかげである。

 4六歩を失っては万事休す。大山の△5八角成から△7九飛成までは絶対の攻めである。

5図以下の指し手
▲7二飛△7六歩▲6七角打△6九銀▲5六角△同銀▲同角△5八銀不成▲4四歩△4七銀不成▲同角△6八竜(6図)

優勢、升田ごきげん

 大山の△7九飛成に、升田は頭上高々と飛車を振り上げてから盤も割れよとばかり▲7二飛と打ちおろす。ノータイム指しと、いままで聞いたことのないような大きな駒音。形勢われに有利とみての会心の一着らしい。

 苦吟12分、大山は△7六歩と打って敵飛の利きを止める。角取りの先だ。この手で△6九銀では▲4四歩△7八竜▲同飛成△同銀不成▲6二飛△6八飛▲4三角以下、寄せ合い大山の一手負けとなる。

 升田は”目にもの見せん”と言いながら、ハデな手つきで▲6七角と打ち、角に角をつなぐ。単に角の受けというより、次の▲4四歩-▲4三歩成-▲2三角成の寄せをねらった攻防兼備の角打ちである。

 升田はこの角打ちもさきの▲7二飛と同様にお気に入りの手らしく”攻防綾なす将棋じゃな。こりゃ久し振りで名局ができた”と至極ごきげんである。

 大山の△6九銀から△5八銀不成までは大体一筋道。

 ここで升田は”いいさばきだね。お互いに”と言いながら▲4四歩と突く。▲4四歩は待望久しかった急所の攻め。次に▲4三銀と打つことができれば、大山の玉はほとんど受けなしとなる。どうやら”お互いさま”の言葉は、▲4四歩で勝ちとみた升田の大山へのお世辞らしい。

 大山は△4七銀不成▲同角と金銀を交換してから△6八竜と引く。

 △6八竜は敵の▲6五角出を消しながら△4八金(一手スキ)の寄せをねらった局面随一の勝負手。

 さあ、どちらが早いか、戦局は一手を争う寄せ合いの終盤戦へと突入した。

6図以下の指し手
▲6九歩△6一竜▲7六飛成△4五金▲4六銀打△4四金▲同銀△同銀▲4五歩△3三銀(7図)

無念、名局を逸す

 升田は”ははあ、敵は粘ろうというのだな”と、つぶやきながら少考3分で▲6九歩と打ち、△6一竜に▲7六飛成と成りかえる。

 ▲6九歩は自陣のキズを消した堅実な着手。無論これでも手数は多少長引くが升田の優位は不動と思われた。ところが、▲6九歩は失着であり、6図では升田に早く、かつ鮮やかな勝ち方があったのである。

 ▲6九歩では▲4三銀が正着。▲4三銀に△4八金なら▲3二銀成△同金▲同飛成△同玉▲6五角以下明らかに升田の一手勝ちだった。▲6五角は敵竜の利きに角をとびだす妙手。①△4一玉なら▲5二銀以下即詰み。②△6五同竜なら▲4三金△2二玉▲4八金まで、升田の玉は二手スキ、大山の玉は必至となり、いずれも先手必勝。

 右の順は、対局中はもとより局後の感想戦のときも、両対局者はじめ盤側のだれひとりとして気がつかなかった。

 ところが、升田が家に帰り床についたとたんに気づき、それを翌朝早く拙宅に電話で知らせてくれたのである。

 いつもの升田なら一瞬で発見できる順。体調が不順(当日は風邪ひきで高熱だった)だったか、あるいは魔がさしたというほかはないであろう。

 仮に▲4三銀で升田が勝っていたら本局は近来の名局と絶賛されたに違いない。早い勝ちと名局をともに逃す。升田にとってはまことに惜しい逸機だった。

 危機を脱した大山はすかさず△4五金以下自陣を立て直してしまう。

 苦戦の将棋を”勝負勝負”と相手に息もつかせず迫ってゆく呼吸といい、容易に決め手を与えぬ強靭な二枚腰のねばりといい、大山の強さ、とくに苦戦のときの強さには舌をまかざるをえない。

7図以下の指し手
▲7三歩△6七角▲7九竜△6六竜▲6八歩△8九角成▲同竜△4六竜▲4八銀△5五桂▲8三角成△5八銀▲5九金△4七銀打▲5八金△同銀不成▲5六銀△4九金▲5五銀△4八竜▲同金△同金▲1六歩△4七銀不成▲同馬△同金▲3八銀△4六歩▲同銀△同金▲5五角△4五金▲3四桂△1二玉▲4二桂成△同銀▲6四角△4六桂▲4七歩△3八桂成▲同玉△4六歩▲同歩△7四角▲4七桂△5八銀▲4八金△4七銀不成▲同金△5八銀▲4八銀△2六桂▲同歩△2七銀▲同玉△4七銀不成(投了図)
 まで、150手で大山名人の勝ち

最近稀な名勝負

 升田は勝機と同時に名局の誕生を逸した。このため戦局は長期戦の色が濃くなった。が、形勢は依然升田が勝勢である。それは持歩の数が4対1の大差だからである。

 ところが7図あたりから升田は急にペースを乱してしまう。

 ▲7三歩は不急の攻めで正着は自陣補強の▲5八銀。だが、大勢に影響するほどのことはなかった。

 ひどかったのは△6七角▲7九竜△6六竜と進んだときの▲6八歩である。

 升田「▲6八歩は大ポカ。結果は銀桂と角の二枚替えのうえ、味方の竜がそっぽへいってしまったのだからひどすぎる。▲6八歩では▲5六銀△4九角成▲6八歩△4八銀▲同金△同馬▲3八金△4七馬▲同銀で優勢だった」

 不急の攻めにつづいて大ポカを出す。やはり、升田の心のすみには”相手は二枚腰、戦いを長引かせては面倒”と、いった焦りがあったのだろう。そして、その焦りは大ポカで落胆に変わり、ここでまた▲4八銀の失着がでてしまった。▲4八銀は▲4八金打が正着。これなら大山の△5五桂から△5八銀の攻めがなく、勝敗は不明のまま長い戦いが続けられたはずである。

 大山の△5五桂以下は、食いついたら離れぬスッポン攻めだ。しかも、このスッポン攻めは、大山のお家芸の一つだけに相手にとってはまことに始末が悪い。升田もかなり頑強に抵抗したが結局は空しかった。

 △4七銀不成に、升田は”これまで”と、はっきり言って駒を投じ、大山は深く頭を下げて礼を返した。

 終了は午後5時18分。両雄ともかなりの早指しだったが、最近本局ほどスピードとスリルを満喫し、絢爛華麗な戦いに終始した将棋は稀だった。やはり当代を代表する、超ヘビー級の対戦はすばらしい。

注=この期、大山は決勝戦で二上八段(現九段)を降し挑戦者となったが、続く中原青年棋聖(当時六段、21歳)との挑戦五番勝負に1-3で敗れ、棋聖位の奪還に失敗した。

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升田幸三九段が「大山君と予選でこんなに早く顔を合わせるとはめずらしいね」と話すと、すかさず「タイトル戦では初めてでしょうね」と大山康晴名人。

この会話が二人同士ではなく、観戦記者である加藤治郎名誉九段に向けられているわけで、とても可笑しい。

さすがに感想戦では直接二人が会話をすることになるのだが、やはり本当はこの二人は仲が良かったのではないかと思えるほど。

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この一局、大山-升田戦の醍醐味、振り飛車らしい捌きと指し回し、を120%味わえる素晴らしい将棋。

お時間のある方は、ぜひ盤に並べてみてください。

 

 

真部一男八段(当時)「芹沢博文九段は子供時分、数学よりも国語の方が得意であったと云っていた」

将棋世界2001年6月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 1956年頃出版された「ザ・サイコロジー・オブ・ザ・チェスプレーヤー」(チェスプレーヤーの心理学)という稀書がある。

 著者はルーベン・ファインという人で専門は分からぬが、チェスにどっぷりと浸かった心理学の研究者と思われる。

 日本将棋についてはもちろん触れていないが、チェスと将棋は共通点も多く見られるから、引用して対比してみたい。

 1925年のモスクワでの国際大会に参加した12人のチェス・マスター(マスターの棋力は将棋でいえばプロ四段以上といったところか)に3人の心理学者が精神測定学によるテストを試みた。

 その結果の内、いくつかを述べると、マスターは配置を覚えるといった、チェスボードと駒に関連する全てのことにおいての制御に広くまさっていた、とある。

 これはまあ当たり前と云えば当たり前で、その能力がなければ、目隠しして将棋は指せない。

 他に、同時に別のものに注意を払う能力と抽象的思考(数列)では優越は認められなかったという。

 このうち前者については、対局は非常なる集中力を必要とされるから、その分、別のものに対して注意がゆき届かないのも当然と云える。

 後者については個人差が甚だしく、多くの棋士からクレームがつきそうだが、私のことでいえば、高校2年の一学期初頭、思いついて学校を10日間ほど休んだ。

 毎日、家に籠って数学の教科書だけを一日に7時間から9時間勉強してみた。

 その結果、一学期分の予習は済んでしまったが、数学の力がついたかというと全くそんな効果はなく、諦めの早い当方としては自分は数学に向いていないと分かり、それ以後そんなバカなことは止めてしまった。

 すぐに諦めてしまうといったあたりにその分野に向いていないということが表れている。

 芹沢博文九段は子供時分、数学よりも国語の方が得意であったと云っていた。

 ファインはこれら精神測定テストの結果について、テストそのものが未完成であり、方法論も貧弱だったのでこれらの結論にはあまり重きを置けないと述べている。

 別の研究で面白いのは、マスターの年齢と棋力の低下における関連性である。

 その査定によれば、50歳までは技能の衰えはなく、50歳以降は相対的に少し衰えがみられるとある。

 そして、プレーヤーが強ければ強いほど衰えは少ないということを発見した、となっている。

 これはかなり水準の高い話で、調査の対象が将棋でいえばB級1組以上と考えられる。

 現役最年長の関根茂九段は長い間A級の座を保持していたし、加藤一二三、米長邦雄、中原誠、これら超一流の人達の息が長いのは云うまでもなく、先頃千勝を越えた、内藤國雄、有吉道夫、共に60歳を越えて尚、充分な棋力を保持し続けていられるのは、元々強かったからだとも云える。

 アマチュアの場合は条件が異なっていて会社を定年退職してから棋力が上がった人もいる。その人は定年後、時間に余裕ができて、毎日のように道場に通えるようになったのが、棋力向上につながったようである。

 社会的なことで喜ばしいのは、ある犯罪学者の報告によれば、服役の間にチェスを学んだ囚人達は再犯率が最も低かったそうである。

 これは素晴らしい結果で、日本でも塀の中の人達に是非将棋を覚えてもらいたいと思う。

(以下略)

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正確性は保証されていないけれども、一つの実験の結果としては面白い内容。

後年、日本での大脳生理学からのアプローチによる棋士十数人が被験者となった実験では、将棋を考えている最中の棋士は、全員が活発に右脳を働かせていることが判明している。(アマチュアの場合は左脳)

1925年のモスクワの国際大会に参加した12人のチェス・マスターに対する実験での抽象的思考に関するものが、左脳を使う数列ではなく、右脳を使う幾何学的問題であれば、優越な数値が出ていたのかもしれない。

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「芹沢博文九段は子供時分、数学よりも国語の方が得意であったと云っていた」とあるが、芹沢九段のことなので、国語が全校で1番、数学が全校で2番の成績であったことをこのように表現している可能性もある。

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調べてみると、ルーベン・ファインはアメリカの人で、チェスプレーヤーから心理学者(大学教授)に転身した経歴を持つようだ。

専攻は違うが、アメリカ版の飯田弘之六段(北陸先端科学技術大学院大学教授)のような雰囲気。

Reuben Fine(Wikipedia)

 

 

A級入りを決めても表情が今一つ固い三浦弘行新八段(当時)

将棋世界2001年5月号、三浦弘行八段(当時)の昇級者喜びの声(B級1組→A級)「他力昇級」より。

 鬼のすみかと言われるB級1組。確かに凄いメンバーが揃っていて、自分はこの中で果たしてどれくらいやれるのかと開幕前から非常に不安な気持ちがあった。案の定、初戦から負けていてもおかしくない苦しい将棋が続いたのだが、内容とは裏腹に5戦目までは一度も黒星がつかなかった。おまけに他棋戦まで結果オーライの将棋が続いた。傍目には絶好調に見える成績とその内実との差は、他人には分からなくても自分自身は知っていたはずだった。しかし勢いに身をまかせて目をつぶってしまった。

 6局目の郷田八段との一戦は、終盤有利に立ったかと思ったが、見た目程良くなく、端攻めを凌ぎ切れずに敗れた。

 一つ負けると途端に尻に火がついた感じで、態勢を立て直す間もなく、続く南九段戦にも敗れた。この頃から他棋戦も負けが込み始め、一時期の異常な高勝率が、順当といえば順当な勝率に落ち着き始めた事に、妙に納得したものだった。

 8戦目を何とか勝ち、迎えた9戦目の井上八段との一局は、自分で書くのも変だが、壮絶な将棋だった。終盤に入ってから百手以上も指し続け、双方秒読みの中、私の玉に二度も詰みがある局面が生じたが、指運で逆転勝ちをした。

 10、11回戦を何とか勝ち切り、抜け番を挟んでの最終局。3人に絞られた昇級枠の中で、私は数字上一番有利に立っていたが、そう思う事自体危ないと考え、自分が勝たなければ昇級出来ない覚悟で臨んだが、高橋九段の巧妙な指し回しに終始苦戦を強いられて、結局敗れた。

 意気込みに比べて、余りにもひどい内容に、これで昇級出来る訳がないと自分に言い聞かせながら感想戦を始めた。

 終わりごろ感想戦を見つめていた人の空気が昇級成らずと私に言っている風に思え、”自分で勝たなきゃ駄目だよな”と納得しながら部屋を出た。その直後に昇級を知らされ非常に驚いた。あきらめていた気持ちがひっくり返り、”こんなこともあるのか”と自分では信じられなかった。取材の最後に将棋世界編集部から、「翌日写真撮影をお願いします」と言われた時に、ようやくこれは胸を張れない事だと思い、出来れば断りたかったが、編集部の都合でそれは出来なかった。勝てなかった自分が悪い。

 とにもかくにもこれで来期はA級で指す事になった。苦労するのは必至だが、全力で頑張るしかないと思っている。

 最後に応援して下さった方々に誌上をお借りしてお礼申し上げます。

 有難うございました。

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将棋世界2001年5月号グラビア「特集・棋士たちの栄誉と生活をかけた熱闘」より。

八段 三浦弘行

 3年連続の昇級でA級入りを決めても表情が今一つ固い三浦新八段。感想戦終了後に逆転昇級の事実を知らされた時も信じられない様子だったのも無理はない。来期A級順位戦は藤井・三浦の殴り込みで大変になるぞ!

将棋世界グラビアの写真の一部。撮影は河井邦彦さん。

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「傍目には絶好調に見える成績とその内実との差は、他人には分からなくても自分自身は知っていたはずだった。しかし勢いに身をまかせて目をつぶってしまった」

このような自分で納得できない中期的な状況の中で、最終戦での意気込みと結果とのギャップ。

A級に昇級はできたけれども、自分自身の中では、胸を張れないと思う気持ち。

対局翌日の今ひとつ表情が晴れない写真にそのことが映し出されている。

もっと喜んでもいいのに、と思うのだが、そうではないところが、将棋一途で真摯な三浦弘行九段らしいところ。

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「自分で書くのも変だが、壮絶な将棋だった」が微妙に可笑しい。

 

 

藤井猛竜王(当時)「上を向いて歩こう」

将棋世界2001年5月号、藤井猛竜王(当時)の昇級者喜びの声(B級1組→A級)「上を向いて歩こう」より。

 その日、東京の空はよく晴れていた。

「第一番 大吉」。おみくじをそっとポケットにしまうと、境内を後にした。初詣でも悪くない。気分が良かった。
 大吉は引いたことがあっても、「第一番」は初めてだ。21世紀最初の2001年お正月に「第一番」。
 頑張ればきっといいことがある。素直にそう思えた。

 2月、3月の順位戦、私が負ければ競争相手二人の昇級は即決定。絶対そんな楽をさせてはいけない。そのために勝つ。ただそれだけだった。自分の昇級のことはまったく頭になかった。
 自分が勝つ。すべてはそれからだ。勝たなければ何も始まらない。

 他力で昇級したのは初めてで、何か変な感じがした。
 プレッシャーに打ち勝って、ずっと先頭を走ってそのままゴールするのは相当大変なことだが、その分1年間順位戦を戦い抜いた達成感もまた大きい。
 その点、今回は気楽に戦えたが、まだ少し不完全燃焼の気分だ。

 棋士や、棋士を目指す多くの人が夢や目標に名人を挙げるが、私はそれを口にしたことがなかった。
 名人戦に出たい、名人になりたい、そう思うことすらなかった。
 プロを目指し、プロになってからも、ずっとA級が目標だった。
 そしてA級になった今、私はやっと名人を思う資格を与えられたのだ。
 棋士になって10年。何時の間にか、こんな高い所まで登って来ていた。

 この先の道は、さらに細く険しい。
 足元を見たら怖くて歩けない。
 だから、「上を向いて歩こう」。

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「第一番 大吉」とは、本当にご利益がありそうなおみくじだ。

竹俣紅女流初段も、以前、太宰府天満宮で「第一番 大吉」を引いている。

赤坂日枝神社(竹俣 紅 公式ブログ)

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私は子供の頃から学生時代まで、おみくじで大吉が出ると嬉しくなって、家に持って帰っていた。

小吉や凶が出た時だけ、それこそ神頼みで、「あとはそこのところよろしくお願いします」と境内の木の枝に結んでくるというパターン。

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よくよく考えてみると、私は初詣には生まれてから1回しか行ったことがない。

仏壇も神棚もある典型的な日本的な家に生まれているが、両親が初詣へ行くという習慣を持っていなかった。

行っても混んでいるから家にいる方が良い、という考え方だったのだろう。

私が行った唯一の初詣は、2000年1月1日の午前1時頃の東京・日枝神社。

2000年問題での1月1日9:30出社組で東京にいたこともあったが、初詣へ行ったのは他の理由が大きかった。

他の理由→第1期リコー杯女流王座戦五番勝負第1局/ホテルニューオータニ物語

ああぁ……

 

 

藤井猛竜王(当時)「特別対局室で指したい」

将棋世界2001年5月号、河口俊彦七段(当時)の「〔B級1組順位戦最終局〕自分自身との戦い」より。

 最終戦のとき、昇級は郷田、三浦、藤井の争い。降級は小林がすでに決定し、残り一人は、福崎、森雞、神谷のなかから、という形勢。昇降級とも少数激戦だ。

 朝、ちょっとしたことがあった。

 この日はB級1組順位戦五局の他に、王座戦その他の棋戦も行われていた。そこで事務局は考え、王座戦二局を特別対局室で行い、順位戦五局を大広間にまとめた。大広間に王座戦を入れると、早く終わるので、感想戦その他で、順位戦の対局者に迷惑がかかる、と考えたのである。

 ところが藤井は、自分は特別対局室で指したい、と言った。情勢はご存知の通りで、藤井は郷田、三浦に負けてもらわなければ昇れない。大広間のいちばん奥で、その二人を見ながら指すのは嫌だ、というわけ。気持ちはわかるが、事務局も困っただろう。対局前に盤の移動は大変だから。

 しかし、結局藤井の言い分が通った。うがった言い方になるが、ここで藤井の昇級は決まったのである。藤井は気をよくしたし、郷田、三浦は、藤井の断固たる態度に気圧されるものがあったに違いない。

 対局前の駆け引きは、木村・升田から、最近の加藤に至るまで、それこそ枚挙にいとまがないほどである。言い分も人さまざまで個性があらわれて興味深く、いっぺん特集をやってみたいくらいだ。ただはっきりしているのは、言いたいことを、はっきり言った者が勝ち、変に我慢した方が負けるのである。

 ここで話は深夜の場面に大きく飛ぶ。

 藤井は勝てれば昇れるのを確信を持って指し進めれば、南はなんとなく指し手に元気がなかった。押されっぱなしの形で、夜戦に入ったころは不利がはっきりした。三浦もまた萎縮しきっていてやや不利。そもそも「相穴熊」なんて三浦らしくない。そういえば、この日の順位戦は全部穴熊だった。

 午後10時すぎ、藤井対南戦が大勢決した。

(中略)

 △6八金以下はわかりやすい寄せで、藤井は難なく勝った。

 控え室は、10秒将棋で遊んでいる棋士がいたりして大混雑。息苦しいので老人席に行くと、そこには見知らぬ先客がいた。そこで反対の端に座って一息入れた。ここにいると何とはなしに疎外感を味わえる。

(中略)

 降級争いはA級順位戦と同じようなことになっている。つまり加藤の立場が福崎で、勝てば助かる。その場合は、島対先崎戦と同じく、森対神谷戦の負けた方が落ちる。だから問題は福崎の動向で、大阪から棋譜を送ってもらい、みんなおもしろそうに眺めている。

 途中、みんなをアッと言わせた手が出た。4図で福崎は△8四飛と出たのである。

(中略)

 善悪はわからぬが、△8四飛が勝着というべきだろう。この後、以外にあっさりと福崎が勝った。

 こうして、森対神谷戦は負けられぬことになった。2、30年前の関西本部だったら、こういうとき、一杯引っかけた大先輩が、森と神谷が戦っている盤側に行き「福崎君は強い将棋や、見事に勝ちおった」などと言っただろう。こういった類の嫌がらせがしばしばあった。そんな目にあって若手棋士は鍛えられたのである。

 時代がかわり、この日などは、大阪の結果を知らせぬよう、全員が気を遣っていた。いつもなら、控え室に来て大阪の結果を気にする森が、そんなそぶりを見せなかった。他力頼みはなし、と覚悟していたのだろう。将棋は序盤から、すこしずつ森が苦しげだった。その状態をここまでずっと保ちつづけている。

 大広間の奥では王座戦二局の感想戦が賑やかだ。負けた石田九段が盛んにボヤき、私を見て「河口さん生きてますか」と声をかけたりする。こちらもマイペースなのである。

 午前0時近くに三浦が敗れた。3図で慌てたものの、高橋はその後をうまく収拾し、最後は完勝だった。

(中略)

 こうして大広間に二局だけ残った。森と神谷だけでなく、郷田も他力で助かる目があった。藤井が負ければそれで決定だったが、その望みはなくなった。三浦の勝ち負けは、郷田に関係はない。

(中略)

 ▲6二歩成で森の負けが決まった。それでも森は考える。私はそっと席を外した。

(中略)

 終わっても、取材の記者以外誰も対局室に行こうとしない。落ちた人を見るのは辛いのだ。

 さて、郷田対中村戦である。形勢は終始郷田がほんのわずかだがリードしつづけていたようである。それが煮詰まって8図。次の一手を考えているとき、背後で森が投げた。

 郷田はあぐらになったり、正座になったり。身をよじった次は頭をかかえ込む。こんなによれた姿ははじめて見た。だいたいが谷川のように冷静をよそおうタイプなのである。中村はそれをじっと見ていた。

 郷田残り時間は、このとき10分。

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8図以下の指し手
▲6九金△8九桂成▲同玉△7七桂▲8八玉△6九桂成▲8三金△同金▲6一銀△8九金▲7七玉△6五桂▲6七玉△6六金(9図)
まで、中村八段の勝ち。

 郷田勝勢といっても、あやがいろいろあって難しい。▲6三銀と攻めて勝てれば問題ないが、△9三香▲同歩成△5五飛となったその次、先手玉が一手すきになっているかどうか。一手すきでなければ▲8三と、で勝ちだが、そのとき先手玉の詰むや詰まざるや、がわからない。

 それなら、先手玉を絶対に詰まない形にする手はないか。考えはそこにたどりつく。そうして郷田がすがったのは▲6九金という筋だった。

 この▲6九金は上級者向けの手筋。△同金と取らせれば、先手玉は駒を何枚渡しても詰まないから、好きなように攻めてわかりやすい勝ちだ。

 ただ、このとき▲6九金の他に▲6八金も見えていた。△同成桂と遠ざけるのは▲6九金と同じ意味で、これも先手勝ちだ。どちらでもよい、と読んで、△6九金を選んだところに、郷田の指運のなさがあった。

 △8九成桂といきなり来られた。これを見たときの郷田の驚きはどんなものか。たいていの棋士は、頭の血が逆流する。

 一手遅らせようとしたのが、一手早めてしまった。△7七桂と王手がかかっては、おしまいである。もし▲6八金なら、この△7七桂はなかった。

 最後、9図のときはあってもなくてもいいような、5一の角、7三桂などが働きだした。9図で▲6六同玉なら、△8四角といったように。これを「勝ち将棋鬼のごとし」と言う。

 午前0時12分、郷田は投げた。

「ああひどい」と頭をかかえ込んだ。「▲6八金なら勝ちだったでしょう」。

 中村はなにか呟く。声が細くて遠くからは聞き取れない。投了図と同じ盤面のまま駒を動かさずに、会話での感想戦が始まった。感想を言うというより、郷田の嘆きであった。

 控え室に戻るとごったがえしていた。藤井と三浦がインタビューを受けているらしい。

 老人席にずっといた人は、上毛新聞の記者で、群馬出身が二人昇級するかもしれないと、取材に来ていたのだそうだ。タバコを随分すったけど、粘った甲斐がありましたね。

 藤井と三浦が4階に戻ってきた。それぞれ2、3人ずつ気の合った者同士で帰って行く。三浦は「酒を飲みましょう」とか言って興奮している。そう言ったって仲間はもういない。編集部のN君が兄貴分ぶって「よし行きましょう」。二人共人生の初級者だがなあ。手合いが合って楽しいのだろう。

 残ったのは、毎日の山村、中砂両記者。ためしに「二人に大阪の結果と藤井の結果を伝えた?」と聞くと「とんでもありません」と手を振った。

 対局者では、森と神谷、郷田と中村がまだ残っていた。本当は、他の結果次第で、嬉しくなる目もあったのだが、森も郷田も、結果を聞かずとも、空気でいかんと知っていた。

 1時半ごろ、郷田が帰った。残った中村に一局のポイントをたしかめると「▲6三銀なら負けです。こっちは気楽に指してたけど、相手は大変ですからね。最後はなにか様子がおかしかったですよ」。

 敗因は郷田の内面にあり、口には出さねどそう言っていた。

 郷田のここ一番での弱さはどうしたことか。終局前後の姿など、全盛期の升田に似てきた。

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この期のB級1組順位戦、最終局が始まる前の段階で、

三浦弘行七段(13位)9勝2敗
郷田真隆八段(1位)8勝3敗
藤井猛竜王(12位)8勝3敗

  • 三浦七段(当時)は、自分が敗れて郷田八段・藤井竜王とも勝った場合以外は昇級
  • 郷田八段(当時)は、自分が勝つか、敗れたとしても藤井竜王が敗れれば昇級
  • 藤井竜王(当時)は、自分が勝ち三浦七段・郷田八段ともに敗れた場合のみ昇級

という状況。

藤井竜王のみが他力だったが、三浦七段、郷田九段とも敗れて、藤井竜王と三浦七段がA級へ昇級することとなった。

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これからの順位戦、このような息の詰まりそうになるドラマがいくつも生まれる。

 

 

将棋ペンクラブ末席幹事による将棋ペンクラブ非公認ブログ。近代将棋に連載していた「将棋ペンクラブログ」のネット版です。