「明けブタ」という奨励会用語

将棋マガジン1991年3月号、駒野茂さんの「三段リーグ&奨励会NEWS」より。

 三段リーグは年2回(4月~9月、10月~3月)行われるが、どちらも同じ条件かというとそうでもない。正月越えの10月~3月の方が、気合いの持続、精神面でつらいのである。

 世間がやれお酒だお節だと騒いでいる時、これに混じって気を緩めてしまってもいいのだろうか、と考えるらしい。特に、これまで好成績で、年明けが勝負!ということならば、なおさらだ。

 しかし、人間とは弱いもので、世間の流れに流されてしまう人もいる。

 年明けの例会。酒を飲み続けていたせいで顔がむくみがかかっている者。ハングリー精神の欠片も見られない程にふっくらした体躯。当然この緩みが将棋に表れるから、そりゃひどいものだ。

 玄人用語で”明けブタ”と言っているが、奨励会員にとって本当の正月は、四段に上がった時に来るのだ。それまではすこし自重して、精進すべきと思う。

(中略)

 1月9日に東西の会館で行われた三段リーグ。結果は上位陣(近藤、藤井、平藤、豊川)が2勝し、星を伸ばした。

 本命豊川が9勝1敗となったことで、1人は決まりの声もあがっているが、豊川より順位が上の3人が、ヒタヒタと付いてきている以上、まだ気は抜けないところだ。11,12戦目の鈴木、小池の目立たない好成績者との対戦をクリアして、初めて昇段に近付けると言えるだろう。

 本来ならもっと上位にランクしていてもおかしくない深浦だが、いかんせん序盤が雑過ぎる。終盤力はメチャ凄く、それでひっくり返す将棋だが、届かないこともままある。もう少し序盤を丁寧に指せば、楽になると思うのだが。今期、この時点の4敗は難しそうだ。

”ミラクル近藤”と呼ばれるほど、終盤での大逆転で勝ちを拾うことの多い近藤。1戦目の対藤井戦で必敗の将棋を王様を取って勝ってしまう強運の持ち主。もしかして、このまま勝ち続けるかも。

 対戦相手の組み合わせ抽選で、幸か不幸か上位4人が11戦目以降で当たっているのは、最終戦・豊川-藤井戦だけ。しかし、この一局がとてつもなく大きな一番になるような気がしてならない。

(以下略)

* * * * *

「明けブタ」という言葉、情け容赦のない厳しい使われ方だ。

今もこの用語が残っているのかどうかはわからない。

* * * * *

この時点の奨励会三段リーグの成績は次の通り。もちろん「明けブタ」とは呼ばれていない面々だ。

  1. 豊川孝弘三段(4位)9勝1敗
  2. 平藤眞吾三段(3位)8勝2敗
  3. 近藤正和三段(1位)7勝3敗
  4. 藤井猛三段(2位)7勝3敗
  5. 石堀浩二三段(25位)7勝3敗
  6. 北島忠雄三段(5位)6勝4敗
  7. 深浦康市三段(6位)6勝4敗

そして、結果は、

  1. 藤井猛三段(2位)15勝3敗
  2. 平藤眞吾三段(3位)15勝3敗
  3. 小池裕樹三段(7位)12勝6敗
  4. 真田圭一三段(23位)12勝6敗
  5. 豊川孝弘三段(4位)11勝7敗
  6. 深浦康市三段(6位)11勝7敗

本当に波乱が巻き起こるものだ。

昇段したのは、藤井猛三段と平藤眞吾三段。

藤井猛三段(当時)は1回戦で玉を取られるという反則負けを喫しているが、見事にそれをはね返した形。

藤井猛三段(当時)玉を取られた一局

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豊川孝弘三段(当時)と深浦康市三段(当時)は、この半年後に昇段を決めている。

豊川孝弘四段(当時)「人に情に燃えました」

深浦康市四段(当時)「三浦君とは仲がいいので、じゃあ研修室が空いてるからあそこで待とうという感じで」

 

先崎学四段(当時)「中学もあんまり行ってないですから。これから高卒のライセンスとろうかなんて。冗談ですけど」

近代将棋1988年2月号、湯川博士さんの「十代、この凄いルーキーたち」の「師匠ゆずりのエンタテナー」より。

 若い棋士の取材は、しゃべってくれないのでおじさんレポーターには少々辛い。ひとり先崎クンはエンタテナーで、感想戦や控え室の検討盤でも回りの笑いを誘っている。

 筆者がはじめて見たのは、数年前でまだ彼が中学生のころ。対局の記録係をやっていて、局後の打ち上げ会に誘われると、急に目が生き生きとし、なみなみと注がれたビールをキューッとうまそうに飲み干した光景が忘れられない。

 当時から天才少年と騒がれていたが、一方では酒と麻雀の噂も聞いて、奨励会足踏み状態を見ていると、この天才クンつぶれるんじゃないかと思ったくらい。

 奨励会の6年間は、どうだった。

「長かった、長かった。三段リーグに変わったでしょ。あれでもうチャンスは3回しかないと思った。なにしろ2級でストップしちゃって……長く辛かったァ」

 高校進学は考えなかったの?

「中学もあんまり行ってないですから。これから高卒のライセンスとろうか、なんて。冗談ですけど」

 米長家に内弟子に入っていたって言うけど、近頃じゃ貴重な体験だねェ(先崎クンのところだけなぜかインタビュアのことばがラフになるが、そういう雰囲気なので)

「小学校の4年から6年までの3年間ですけど。辛いばっかりで内弟子体験なんて役に立つもんじゃない、なんて思ったくらいです。先生の子供は遊んでいるのに、こちらは同じ子供でも、雑巾がけや皿洗い、庭掃除に便所掃除までやって。その上風呂の水をあふれさせたことが続いた時に、師匠にすごく叱られまして……。でも先生が雨でゴルフに行けない日なんかは将棋を指してもらいましたね。飛香落とか飛車落を10局ぐらいですか」

 本が好きとか。

「前は星新一や筒井康隆が好きでしたが、今は大江健三郎なんか読んでます。小説は相当読む方ですね」

 頭が良くてひょうきんで、そこの所は師匠似だが、驚異的な米長の集中力に匹敵する力があるかどうか。将棋は序盤から動き自分で作ってゆくタイプ。自分も楽しみ人も楽しませるエンターテナー先崎クンの今後やいかに。

近代将棋同じ号より。

* * * * *

「中学もあんまり行ってないですから。これから高卒のライセンスとろうか、なんて。冗談ですけど」

先崎学九段の著書『うつ病九段』には、通った中学が荒れた学校で、内弟子をしてこまっしゃくれていた先崎少年が酷いいじめのターゲットとされたことが書かれている。

そのために、中学には行かない日が多くなり(いじめについて訴えても担任の先生の対応が最悪だった)、将棋連盟へ行って記録係を務めることや仲間と将棋を指すことが多くなった。

どんな無頼派の少年であっても、中学へ行かなくなる理由は存在していたのだった。

* * * * *

「前は星新一や筒井康隆が好きでしたが、今は大江健三郎なんか読んでます。小説は相当読む方ですね」

中学へ行かない分、先崎少年は様々な本を読んで知識を得るようになる。

星新一・筒井康隆と大江健三郎ではほとんど真逆な世界だと思うが、このような幅広さも、そのようなことが背景にあるのだろう。

* * * * *

「風呂の水をあふれさせたことが続いた時に、師匠にすごく叱られまして」

これは、風呂の水だからということではなく、集中力の散漫さについて米長邦雄永世棋聖が叱ったと、何かの本で読んだ記憶がある。

 

「たとえばいま、若い女の子に”ボクの趣味は将棋だ”と告白するには、ちょっとした勇気がいる」(首都圏に将棋道場が100軒近くあった時代)

近代将棋1988年7月号、露樹陽さん(東京レポート)、池崎和記さん(大阪レポート)の「将棋道場は今!?」より。

〔東京〕

 仕事柄、私は都内の道場によく足を運ぶのだが、以前の賑わいがそのまま残っている道場はめっきり少なくなったように思える。中には恐ろしいほどの凋落ぶりを見せつけるケースもあって、席主がたった1人のお客さんを相手にマン・ツー・マンの指導をしていたり。室内があまりに森閑としているので駒音がかえって反響する。なにやら薄ら寒い気がしたものである。

 東京における老舗の一つ、渋谷・道玄坂の「高柳道場」に金準三郎氏を訪ねた。金さんは故・金易二郎名誉九段の実子で、高柳敏夫八段とは義理の兄弟にあたる。

 高柳門は周知の通り、中原誠名人を始め多くの俊英プロ棋士が巣立った名門だが、彼らの奨励会時代が道場と共に、ということは金さんの指導のもとにあったことは、あまり知られていないようだ。受付、手合係、盤駒の後片付け等、道場用務を通して高柳門下生が成長していった様子にも興味が唆られるが、今回は運営に的を絞って訊いた。

「お説の通り、お客さんの数はめっきり減った。うちばかりではなく、道場の客足は5年前と比べておよそ半分というところでしょう。昭和20年代の東京の道場数といったら、指折り数えられる程度だった。それが40年代、50年代にぐんぐん増えて、今では首都圏にざっと見渡して100軒あります。しかし軒数の増大に比べて客足は横這いでしょ、経営困難の根本原因はやはりここにある」

 花形プロ棋士がマスコミから引っ張りだこになって、触発された少年達が親子同伴で奨励会入会試験に群がる現象が起こり、読売新聞が超大型新棋戦「竜王戦」を発足させたとしても、将棋にお金を使うファンの数は増えていないかもしれない―将棋産業に生業を求める人達に、これはゆゆしき問題である。

 一昔前、庶民の趣味といえば、将棋、碁、麻雀、あとは映画に読書というところだったが、周知の通り、現在、レジャーははなはだしく多様化し、ありとあらゆる遊びが氾濫している。ファンの将棋離れが起こっても、いや将棋から離れるとは考えにくいから、新たなファンが生まれにくくなっているとしても、不思議はないかもしれない。

(中略)

〔関西〕

「将棋ファンが少なくなった」という話をよく聞く。ここでいう「ファン」というのは、実際に将棋を指す人のこと。あるいは新聞や専門誌の観戦記欄を好んで読む人のことだ。

 そういう「ファン」が減ってきているらしい。市場調査したわけではないが、私にも実感として何となくわかる。「縁台将棋」という言葉は、すでに死語になりつつある。

 寂しい時代である。

 たとえばいま、若い女の子に「ボクの趣味は将棋だ」と告白するには、ちょっとした勇気がいる。相手は「ステキね」とは言ってくれないし、「何段なの?」と聞いてもくれない。それどころか胸にグサリと「まあ、クライ人ね」とくる。

 将棋のどこがクライのか、わからないけれど、これが現実だ。あーヤダ。

 だれが何と言おうと、将棋は面白い。それなのに面白さがわからない(というより知らない)人が多すぎるんだね。思わず「あんたは不幸な人だ」と言ってやりたいけど、言ったところでどうなるわけでもない。

(以下略)

* * * * *

昭和が終わる頃に首都圏に将棋道場が100軒近くあったとは、今からは想像ができないようなこと。

近代将棋1972年1月号(道場が増え始めた頃)に掲載されている広告をチェックしてみると、東京都内だけでも例えば次のような場所に道場があった。

神田駅将棋センター 千代田区神田鍛冶町
新橋将棋センター 港区新橋3丁目
新宿将棋センター 新宿区歌舞伎町
新宿道場 新宿区歌舞伎町
東京将棋道場 新宿西口
王将クラブ 新宿区新宿1丁目
中野道場 中野区中野4丁目
阿佐ヶ谷将棋センター 杉並区阿佐ヶ谷北1丁目
上野将棋センター 台東区上野6丁目
広小路将棋センター
国際将棋道場 台東区西浅草3丁目 国際劇場地下北側入口
浅草将棋サービスセンター 浅草六区映画館通り
台東将棋クラブ 台東区日本堤1丁目
荒川将棋センター 荒川区荒川4丁目
亀有囲碁将棋道場 亀有駅北口
高柳道場 渋谷区道玄坂
渋谷将棋クラブ 渋谷駅東口
池尻将棋クラブ 世田谷区池尻
祐天寺クラブ 目黒区上目黒4丁目
下北沢将棋センター 下北沢駅南口
五反田将棋道場 五反田駅西口ヘルス東京隣
池袋道場 豊島区西池袋3丁目
立川将棋クラブ 立川市
町田将棋センター 町田市
町田将棋クラブ 町田市

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1984年、 国鉄の「ディスカバー・ジャパン」「いい日旅立ち」、富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」などのキャンペーンをプロデュースした電通の藤岡和賀夫さんが「さよなら、大衆」という本を書いている。

それまでの画一的な大衆消費から、それぞれの感性を共有する仲間たる「少衆」が個性的な消費を繰り広げる多様な消費の時代へ転化する、少品種大量生産から多品種少量生産に方向が変わらなければならない、と説いている。

趣味の世界も同様に、多様な時代へと変わっていった。

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とはいえ、将棋道場が隆盛を極めていた時代も、頭打ちとなった時代も、減少している時代も、若い女性に「ボクの趣味は将棋だ」と告白するのはかなり勇気のいることに変わりはなかった。

このような状況が改善しはじめるのは、羽生善治七冠誕生前後の頃から。

そのような面から見ても、羽生七冠誕生は、将棋に対する一般的なイメージを一気に変えてくれるような素晴らしい出来事だった。

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27年前の悲劇

内藤國雄九段「どういうわけか将棋の好きな大学生は女の子にもてないようである」

 

羽生善治五段(当時)「それに、ぼくあまり泳げないし……」

近代将棋1988年10月号、甲斐栄次さんの第11回若獅子戦準決勝〔佐藤康光四段-羽生善治五段〕観戦記「10代ホープの腕くらべ」より。

「大宮そごう将棋まつり」の会場で、出演棋士の一人として来ていた羽生に会った。

 ワイシャツにネクタイ姿は将棋会館で見かける時と同じで棋士が仕事に向かう常装だが、坊ちゃん刈りと大差ない無造作な髪型にあどけない表情が、いつもながらほほえましかった。

 棋士は盤前に座れば大きく見えると言われるが、それなら盤から放れた時には小さく、いや幼く感じられる人がいてもよかろう。羽生の場合は9月27日が誕生日だからもうじき18歳になるはずで、あどけなさ幼さは年齢に相応しいと片付けてしまうこともできようが、盤前に座した姿、というよりこれまでに盤上に残した実績があまりに大きいためにかえって目につくのである。

「夏休みを利用してあちこち旅行にも出かけたいのだけれど、将棋祭りが5つに対局が4,5局、その他研究会もあって時間が取れません。それに、ぼくあまり泳げないし……」

 8月の予定を聞かせてもらったのは「10面指し」を終えて控え室で憩うた時だったが、率直で多少のはにかみを含んだ声音が心地よく耳朶を打った。

「10面指し」の様子は私も遠くから拝見したが、輪形に並べられた10面の将棋盤に向かって10人のファンが腰掛け、羽生は内側で指し手の応接をしながら歩き廻る。その様子をひと目見ようと周囲は黒山の人だかり、おかげで本誌のカメラマンは椅子の上に立ち、上方から身を乗り出すようにしてシャッターを切っていた。C級1組・五段ながらA級棋士に勝るとも劣らぬ人気者である。

(以下略)

近代将棋同じ号掲載の写真。
近代将棋同じ号、10面指しの様子。

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この一局は佐藤康光四段(当時)が勝っている。

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「将棋祭りが5つに対局が4,5局、その他研究会もあって時間が取れません」

夏休み中、学校はないけれども、対局数はハイペースのままで、それに将棋祭りが加わるので、日程的に大変であることは、平時と変わらない。

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「それに、ぼくあまり泳げないし……」

しかし、羽生善治九段は、この数年後には水泳が趣味となっている。

体力を強化するのとリフレッシュが目的だったようだ。

必要と思えば苦手だったことを克服して趣味にまでしてしまう羽生九段。

超越した強さの背景には、このような努力も隠れているということがわかる。

十六歳の羽生四段、二十二歳の羽生五冠

羽生善治六冠(当時)のプール通い

羽生善治棋王(当時)「与えれば与えられるんです」

 

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将棋ペンクラブ末席幹事による将棋ペンクラブ非公認ブログ。近代将棋に連載していた「将棋ペンクラブログ」のネット版です。