NHK将棋講座2019年2月号「山崎隆之NHK杯-丸山忠久九段戦」観戦記

今日は、NHK将棋講座最新号の発売日。

◯表紙は森内俊之九段、谷川浩司九段、羽生善治九段のイラスト。

○深浦康市九段の講座「振り飛車なんてこわくない」、2月のテーマは「角交換振り飛車を攻略しよう」。1週目が四間飛車→向かい飛車、2、3週目が4→3戦法、4週目が4手目3三角戦法。4→3戦法はよくやるので、個人的には2週目と3週目は誰にも見てもらいたくないような内容。逆に言えば、4→3戦法退治のための実戦的にすぐ使える手段が見事に解説されています。

◯後藤元気さんの「渋谷系日誌」は、将棋の専門用語の話、ある噂の真相、飯島栄治七段発案の「歩く会」、読者からの手紙の紹介など、他では聞けない話が盛り沢山。

○段・級位認定 次の一手問題

○将棋連盟からのお知らせ

○女流棋士会からのお知らせ

○日本女子プロ将棋協会からのお知らせ

○「重箱のスミ」クイズ

○テキスト感想戦

○付録は、「阿部健治郎の囲い最前線 相居飛車編⑤矢倉2」。後手からの急戦、先手の早囲い、銀矢倉対策、対右玉、先手無理やり矢倉など、短い時間で効率よく学べます。

〔NHK杯戦観戦記〕

◯2回戦第15局 大橋貴洸四段-豊島将之二冠

「悪い流れの中で」 観戦記:高野悟志さん

◯2回戦第16局 阿久津主税八段-久保利明王将

「会心のさばき」 観戦記:小暮克洋さん

◯3回戦第1局 森内俊之九段-谷川浩司九段

「3人の永世名人」 観戦記:鈴木宏彦さん

◯3回戦第2局 山崎隆之NHK杯-丸山忠久九段

「NHK杯戦への思い」 観戦記:私


今月号には私が書いた観戦記(山崎隆之NHK杯-丸山忠久九段戦)が掲載されています。

山崎隆之NHK杯の心の動きを主軸として、テレビには映らなかったエピソードも盛り込んでいます。

NHK将棋講座2019年2月号、ぜひご覧ください。

 

NHK 将棋講座 2019年 2月号 [雑誌] (NHKテキスト)

羽生善治新四段(当時)「これからの僕の目標は名人です。やはりこういう将棋の世界に入ったのですから、最高位を目指してみたいと思います」

将棋マガジン1986年3月号、羽生善治新四段(当時)の自戦記「昇段の一局 目標は最高位の名人!」より。

 12月18日、昭和60年最後の奨励会でした。この日までの成績は11勝4敗、後2連勝で四段昇段でした。そしてこの日が僕にとっての記念すべき日になりました。

昭和60年12月18日
▲三段 石川陽生
△三段 羽生善治

▲7六歩△8四歩▲2六歩△8五歩▲2五歩△3二金▲7七角△3四歩▲8八銀△7七角成▲同銀△2二銀▲7八金△3三銀▲3八銀△7二銀▲3六歩△7四歩▲3七銀△7三銀▲4六銀△6四銀▲6八玉△9四歩▲3五歩△同歩▲同銀△8六歩▲同歩△2二銀(1図)

意外な戦型

 昇段の一局の相手は石川三段です。僕は矢倉になると予想しましたが、角換わり早繰り銀というほとんど指したことのない戦型に誘導されました。△2二銀のところでは△8五歩や△5五銀も一局ですが、結局受けにまわされそうなのでやめました。なお、△8六歩と突き捨てないで△2二銀とすると、▲6六歩と突かれてしまいます。

1図以下の指し手
▲2四歩△同歩▲2三歩△同銀▲2四銀△同銀▲同飛△2三歩▲2八飛△3六歩▲4五角△5四角▲2三角成△同金▲同飛成△2二歩▲2四竜△3三銀▲2五竜△7五歩▲同歩△3七歩成▲3四歩△2七角打(2図)

難しい戦い

 1図以下の指し手は、どれが良い手か悪い手か見当がつきませんでした。しかし△3七歩成を手抜くなら、必ずこちらが有利になる手順があるはずと思い、長考に入りました。

 まず第一感は△4七とでしたが、▲3三歩成△同桂▲3四竜△3二歩▲2四竜で自信がありませんでした。次に考えたのが本譜の△2七角打でした。が、ここは△3六角打▲同竜△同角▲3三歩成△4七ととするべきでした。

2図以下の指し手
▲3三歩成△同桂▲3五竜△4九角成▲3三竜△7六歩▲6六銀△4八と▲3一竜△4一金▲1一竜△5八と▲7九玉△5九馬(3図)

見落とし

 本譜の手順は、△7六歩のところを△4八と▲3一竜△4一金▲1一竜△5八と▲7九玉△5九馬で、こちらに詰めろがかからないので勝ちと最初は思っていたのですが、平凡に▲3三桂とされて負けになることに気がつきました。この時負けにしたかと思いましたが、まだ時間がだいぶあったので、色々と読んでみると△7六歩以下の手順で勝ちだと思いました。

 何故かというと、本譜の手順で行くと△5九馬が△6九馬▲8八玉△8六飛以下の詰めろだからです(△7六歩を決めないと打歩詰)。それに△5九馬が受けにくいと思いました。しかし何度も読みを確かめているうちに、一つだけ嫌な受けが浮かびました。

3図以下の指し手
▲8七銀△7七歩成▲同銀△8七角成▲同金△6九馬▲8八玉△7八銀▲3三角△6二玉▲2二竜△5二金左▲7四桂△7三玉▲7六銀△7九馬▲7七玉△8九銀不成▲8五銀△7五銀▲5五角成△6四桂▲8四銀打△同飛▲同銀△同銀▲5六金△7八銀成(最終図) 
 まで96手で羽生の勝ち

寄せ切る

 嫌な受けとは▲8七銀です。この手を指されてまだまだ難しいと思いました。

 普通は△6九馬▲8八玉△6八とですが、平凡に▲同金△同馬▲7八金で寄りません。

 △7七歩成以下は苦心の手順です。普通は△7八銀で必至の形なのですが、▲7六銀で容易ではありません。▲8五銀では▲8五歩のほうがまだ紛れる余地があったと思います。▲8五銀を△同飛と取ればそれまでだったのです。だいぶ震えていたと思います。

 時間に追われて石川三段は▲5六金としました。僕は△7八銀成▲6六玉△7五銀打▲6五玉△7六銀打▲同金△同銀▲6六玉△7五金までの詰みを何度も何度も確かめました。そして△7八銀成と指し、石川三段は投了を告げました。

 こうして僕の奨励会生活に、ピリオドを打つことができました。

奨励会時代を振り返って

 僕が奨励会に入会したのは昭和57年12月、まだ小学生の時でした。それからちょうど3年で奨励会を卒業することができました。自分でも信じられないくらい順調なペースでした。

 その理由を考えてみますと、入会した時にはまわりの人たちよりやや若かったので、受験などの障害もなく将棋に打ち込めたのが良かったのだと思います。

 さて、これからの僕の目標は名人です。やはりこういう将棋の世界に入ったのですから、最高位を目指してみたいと思います。

 四段になりましたが、これに満足せず慢心せず、自分に納得のいくような将棋を指していきたいと思います。

* * * * *

中学3年の羽生善治新四段。

自分が中学3年のときに、このようなしっかりとした文章は絶対に書けなかったと思う。

1985年年12月18日、この日から将棋界の新たな歴史が動き始める。

 

「なんだかいやなところを押したね」

将棋マガジン1986年3月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

 ある日の夕食休み、米長、青野、私の三人が地下の食堂で夕食をとろうと、エレベータに乗った。米長が行き先のボタンを押すと、B1のランプがついた。それに目をやった米長は「ウン?」という顔で青野を見た。青野も気がついてニヤリとした。

「なんだかいやなところを押したね」

 米長はポツリと言った。 

 A級の棋士で、5勝している大山、桐山以外は、みんな同じ気分なのだろう。挑戦権はそっちのけで、とにかく5勝と血まなこになっている。そこには、降級のつらさは、昇級の喜びに数倍する、の不滅の法則がある。

(以下略)

* * * * *

現在の将棋会館が建設された1976年以来、同じようなことを考えたA級棋士は数多かったと考えられる。

エレベータのボタンについては似たような話がある。

不吉な冗談

逆にB級2組の棋士はどのようにこのエレベータのボタンを見ていたのだろう。

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「降級のつらさは、昇級の喜びに数倍する」

人生の他のことでも同じようなことがある。

辛い言葉だ。

将棋が勝てなくなくなる演説

将棋マガジン1986年9月号、中原誠名人(当時)の「懸賞 次の一手」より。

 生まれて初めて、選挙演説をしてしまいました。お世話になった某候補に頼まれまして。公示の日は、人も多勢、ロボットやら音楽やら鳩をとばしたりとなかなか派手なもんでした。

 路上での演説は同じ高さなので、そうでもないのですが、選挙カーの上からというのは実に気持ちよかった(笑)。クセになりそうです。「私の勝負運を奪って当選してください」と、うっかり演説したら、ほんとうに将棋が勝てなくなってしまいました(笑)。どうやら、ほんとうにツキを奪われてしまったみたいだから、きっと当選するのではないでしょうか。(談)

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1986年は衆参同日選挙のあった年。

各党とも気合の入る選挙戦だ。

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「私の勝負運を奪って当選してください」

(コピー→貼り付け)ではなく(切り取り→貼り付け)のパターンになってしまったということ。

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棋士と会った後にパチンコをやったら打ち止めになった、棋士と電話で話した後にネット将棋をやったら1手目で相手が投了した、など本当にあった話だが、棋士は勝負に関するオーラを持っている。

中原誠十六世名人の演説が本当になってしまったとしても、不思議ではないような感じがする。

 

「これまで大山は常に7割か8割の世論を敵に回して戦ってきた。敵というのは適切でないが、応援する者がすくなかったのである」

将棋マガジン1986年1月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

 感想戦は観戦記用だから最初から順を追って行く。私には序盤中盤など興味がないから、その部分の感想を述べている間は席を外すことにしている。

(中略)

 ころあいを見計らって第二対局室へ行くと、ちょうど14図あたりの、核心の部分になっていた。

 優勢の将棋を負けたということもある。しかしそれにしても大山に繰り言が多いように感じられた。大山という人は、負けてもふてぶてしく構えているのだが、この日はそうでなかった。なんとなく人に同情をうながすような気配があった。

 なぜちがうのだろう、私は盤面のことよりそちらの方を考えていた。

 これまで大山は常に7割か8割の世論を敵に回して戦ってきた。敵というのは適切でないが、応援する者がすくなかったのである。対升田、対中原の名人戦がそのよい例である。ところが、この対森戦だけは、8割が味方であった。62歳、大病の後の挑戦者であれば、これは奇跡である。それを願ってみんな大山に声援を送ったのだった。

 大山コールは、かえってマイナスになったようである。大山は逆境にあって本領を発揮するのだ。大山将棋は、まさに大山の人間性をそのまま表しているのである。

* * * * *

あまりにも強すぎる期間が長いと、世論は”判官贔屓の反対”になって応援しなくなる傾向がある。

相撲などはそのような傾向が強い。

中原誠十六世名人は応援する人が多かったが、大山康晴十五世名人ほど独走期間は長くない。

そのような意味では、大山十五世名人よりも長い期間トップを走り続けてきている羽生善治九段を応援する人が昔から多いというのは、非常に素晴らしいこと、快挙だと思う。

 

将棋ペンクラブ末席幹事による将棋ペンクラブ非公認ブログ。近代将棋に連載していた「将棋ペンクラブログ」のネット版です。