升田幸三九段「1億円積んでみろ!」

将棋世界1995年9月号、内藤國雄九段の連載エッセイ「熱き心」より。

 かつて大山さんがある講演の際、勝率、タイトル数などをあげて、いかに自分が強いかを強調された。相手は将棋界のことは詳しくない人が大半である。めったに威張らない人であったが、「説明しないと分かって貰えない」という気になったとしても不思議ではない。

 ところが、その後のパーティーの席で一人が「中原さんには分がわるいようですが」と一言いったとたん、さっと顔色が変わり「そんなこともありますよ」と突っぱねるように言ってプイと横を向いたという。「将棋は大層な名人ですが、人間はそうでもないと思いましたね」と、その人は私に語った。

 升田さんにも似たような話がある。例によって大風呂敷を広げているとき(実力プラス旺盛なサービス精神のせいでこうなる)「大山さんに何故負けるのですか」と誰かが聞いたものだ。升田贔屓で残念に思って聞いたのかもしれない。が、その一言で升田さんはカッと機嫌を荒げた。「1億円積んでみろ!」

 その勢いの凄さに周囲の人は驚いた。

 いずれの場合も、恐らくご本人にとっても意外な激しい反応が生じたのは、心中の秘かな痛みに不用意に触れられたからであろう。

 後になって「もっと穏やかに答えていればよかったな」と悔やまれたのではないか、と私は推察するのは自分の体験からである。思わず突慳貪な返事をして、「しまった」と思うことがよくある。

 芸と人間性との関係に頓着しない現代の若者は別として、一般にこういう話は「名人もただの人か」とか「人間の方は出来ていない」という風にとられかねない。

 しかし人間は、心の中には下手に触れば火傷させかねない熱いものを一つや二つ抱えているもので、それはいわばその人が生きている証のようなものであろう。

「角を矯めて牛を殺す」という諺があるが、燃えているものを消してしまうと活力、生命力そのものが消えてしまう。人から聖人と言われるようになれば、もう生命力も枯れはてる段階なのかもしれない。

 ある高僧がガンを告知された。全く取り乱さず淡々としてこれを聞いているので、さすがはと周囲を感心させる。ところがそれ以後、目に見えて衰弱し早々と亡くなってしまった。告げなければもっと生きられたろうにと、関係者は後悔したという。

 ガン宣告を受けた場合、従容として受け入れるのは一番立派なようでいてそうではない。いろいろなタイプの中で、これが最も抵抗力を欠き、早く亡くなっていくというのである。少々叩かれても「本当は俺の方が強いんだ」。この意地が生命力というものであり、病気になった場合にもこの有無がものをいうのであろう。

 初めの話はまだお二人が元気で現役バリバリの時代のこと。

 棋士も引退すればこういう覇気はなくなるかというと、そうではなかった。

 私が七段に上がったとき師匠が地元のごく親しいファンに声をかけて祝賀会を開いてくれた。その宴席で一人が「先生も弟子に抜かれましたね」と笑顔で師匠に話しかけた。

 常々、弟子の私の成長を喜んできたのを周りは知っていた。またその為の祝賀会である。この挨拶が素直に受けられると考えてなんの不思議もない。

 ところが意外や、師はその言葉を聞いたとたん、血相を変え力まかせにテーブルをドンと叩いたのである。どうしたのかと驚く人々に向かってこう叫んだ。「わしと勝負してみるか内藤。こい!」これには座が白けてしまった。しかし実のところ、最も驚いたのは私である。

 師は引退して20年にもなる。私はそのとき「なんとも凄い闘志だ」くらいにしか思わなかったが、実は原因はほかにあった。

 師は七段を名乗っていたが、これは阪田三吉師から許されたもので、連盟からの正式なものではなかった。大の親友、中井捨吉さんが七段を貰っていて自分はそうでない。それで余計に腹の虫が納まらなかった。

「師を抜いた」という言葉が、六段の上になったという意味に置き換えられて、心の痛みに触れたのであった。この後、師の七段が認められると同時に中井さんに八段が贈られるのだが、これがまた激怒を誘うことになる(師はこの「熱い心」を死の間際まで抱きつづける)。

 競争心、これを妬み心と言ってしまうとよくない響きがあるが同じことだ。嫉妬心がなくなると人間はどれだけ幸せになるかと思うが、一方これは知能の高い動物に共通して、「熱い心」を生み出すもとになっている。

 動物の種付け(交配)をする場合、目的の雄がその気にならない場合がある。そういうときはどうするか。雌に他の雄の糞を塗りたくるのである。すると雄は闘志を燃やして雌に挑みかかっていくという。

(中略)

―私がA級八段入りをしたとき、師匠は我がことのように喜んでくれた。

 教室に、私が子供の頃を知っている古いお客がくると、「内藤は将棋も酒もわしより上に行きよりましたわい」と目を細めて語るようになった。強かった酒が、目に見えて弱くなった。

 神戸新聞を通じて、師匠への贈八段を連盟に申し入れた。長年に亘る兵庫県での将棋普及とプロ育成の功績を生きている間に認めてやってほしい。

 しかし、返事は半年たってもこなかった。

―病院のベッドで」師匠の意識はすでになく、ただ死を待つ状態になったとき、八段の免状が速達便で送られてきた。私は「ああ遅かった。なぜもっと早くしてくれなかったのか」と、ただただ残念で悲しかった。

 しかし奥さんが師匠の手を握りしめながら耳に口をつけ、大きな声で「八段、ハ・チ・ダ・ンになりましたよ」と必死に伝えたとき、分かったという風に手を握り返した。

 師匠の心にまだ残っていた無念の炎はようやく消え、安らかに旅立っていかれた―そう考えて私は胸をなで下ろした。

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昔から思っていたことで、最近になってからはもっと強く感じるようになったことが、「角を矯めて牛を殺す」のは良くないということ。

小学校の先生が通信簿の通信欄に、引っ込み思案で無口な子には「落ち着きがあります」、とても騒がしい子には「活発です」と書くがごとく、人それぞれ長所もあれば短所もあり、長所の裏返しが短所であり、短所の裏返しが長所になっていることも多い。

例えば、異性関係が盛んすぎるミュージシャンがいたとして、それではいけないと諭し、聖人のような生活を強いたら、そのミュージシャンの芸は尖ったものではなくなるかもしれない。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に、それぞれの短所を直せと強制していたら、日本はまだ戦国時代だったかもしれない。

私は自分に甘いのでこう思ってしまう傾向があるのだろうが、限度を超えた短所矯正は決して良いことではないと思っている。