将棋世界1971年9月号、大山康晴名人の第18期棋聖戦第2局自戦記〔対中原誠棋聖〕「われながら不思議」より。
中原さんにはよく負ける。そして、なんとも合点のいかない負け方が多い。堂々圧倒されたというんなら、時代が移ったと観念するより仕方がないが、これなら負けられん、という形に持ちこみながら、自分で一番嫌いな手を指したり、勝ちを急いだり、ゆるんだりで、ころぶことが少なくないのだから、我ながら不思議に思えてくる。
25も年下の相手に対する妙な抵抗が無意識に体内を流れていくせいかもしれない。
2戦目も、これは手に入れたな、と思ったとたんに”バカモノ”と自分を自分でシカリつけたいような手を指し、負けてしまった。
次はカド番だが、平静な気持ちを持ちつづけ、魔に魅入られたような負け方をしないためにがんばるつもりだ。
(中略)
またも振り飛車でいくことにしたが、決して意地を張ってるわけではない。わるいとは思わないし、事実有利な形勢になる場合が多いからである。
そして、指すたびごとに新発見をしたり、むずかしさが加わっていくのもたのしいものなのだ。中原さんは、たんたんと、いつも同じように進めてくる。
振り飛車に対して、絶対の自信があるせいだろうが、中原自然流なぞといわれるのも、こうした指し方をするからに違いない。
(中略)
3図以下の指し手
△6四角▲6七銀△8六歩▲同歩△7五銀▲3五歩△同歩▲6四角△同歩▲7一角△8六飛▲8七歩△8四飛▲3五角成△3四歩▲4六馬 (4図)▲6七銀と引き上げずに、▲7七金と突っ張り合いたかったが、△7二飛とネライをつけられて、次の指し方がむずかしく、自信を持てなかった。
左側ではアッサリと対抗し、相手の玉頭攻めに主を注ぐ方針でいくのがよいと思った。中原さんが、△8六歩、△7五銀と攻勢にきたのは当然で、8四銀を働かすことが、なによりも大事なのである。
私の▲3五歩から、▲4六馬までは、おたがいに予定の応酬だが、簡単に馬をつくれたので、大勢の有利を信じて疑わなかった。そして、いつもの悪いくせをだすなよ、と自分に云い聞かせたのだが…。
4図以下の指し手
△9四角▲5八銀右△8六歩▲同歩△同銀▲5六馬△7七歩▲7九金△8三角(5図)中原さんの△9四角はきびしい着想で、勝負をかけるほどの気合いに満ちた手である。
(中略)
▲5八銀右の守りは弱かった。強く▲3五歩△同歩▲5六馬と、6七銀につなぎながら、▲3四歩から▲4四歩の反撃をねらう方がよかった。
相手に角を打たせた安堵感が、▲5八銀右の弱気となって現れたのである。中原さんの8筋攻めは当然で、角を手放したからには、シャニムニ攻め込んでいかないと、大勢上不利となる。
(中略)
5図以下の指し手
▲6五歩△7八歩成▲同銀△6五角▲6六馬△7四飛▲3六飛△8七銀不成(6図)馬角交換は損と思って、▲6五歩としたが、▲8三同馬△同飛▲7二角△8二飛▲6一角成も有力だった。時間の少ない勝負では、どうしても常識が先に出やすい。
中原さんの△7八歩成は損だが、△8七銀不成の当たりを強くする意味。△7七歩がムダ手であったことが、ここでわかるわけだ。私の▲7八同銀で、▲同金は、8九桂を浮かすから損な取り方。
それにしても、バカに順調に進行するので、なにか不気味な感じになっていた。
(中略)
6図以下の指し手
▲7七桂△7八銀不成▲同金△3五歩▲同飛△5五銀▲6七馬△7六角▲6八馬(7図)▲7七桂は、当然のむかえうち。この手を指せて、有利の拡大を信じた。中原さんの△3五歩は、6五角を救うための非常手段。
しかし、玉頭に危険を呼んでも、なお6五角を助けなければならない中原さんの心中は思いやられるところだった。
▲6七馬から▲6八馬の後退は弱気に見えるけれど、優勢にふるえているのではなく、金持ちケンカせず、の心境なのである。なにがなんでもぶっつかり合うつもりの中原さんと、ムキになって張り合うのは損な指し方である。このへんは心理戦術も必要なところだ。
7図以下の指し手
△9四角▲7六歩△同飛▲6七銀打△3四歩▲3九飛△7二飛▲5六歩△7六歩 (8図)”ケンカせず”の気持ちも、度がすぎると、弱気につながることが多い。私の▲7六歩は、その見本的な手。▲7六歩では、▲5六歩△同銀▲3四歩△2四銀▲3三銀△同桂▲同歩成△同銀▲3四歩△2四銀▲3六飛(H図)と強攻すべきだった。
これなら、▲2四馬の切りを見て、はっきり勝勢になれたはず。決めどころを逃して、心中に波風が立ってきたことは否めなかった。
中原さんも△3四歩を打つことができてホッとしたに違いない。
といっても、私だって形勢を不利にしたわけではない。▲5六歩で駒得にはなるし、馬の力も強いので動揺することはすこしもないわけである。
8図以下の指し手
▲5五歩△7七歩成▲同金△7六歩▲7八金△7三桂▲8八金△5五歩▲9五銀(途中図)△6五桂▲7八歩△5六桂 (9図)駒損となった中原さんは、△7六歩から△7三桂と、シャニムニ攻勢を取ってきた。しかし、歩はない。△6五桂から△7七歩成の攻めさえ与えなければ楽勝のケースと考え、▲8八金から▲7八歩の受け手をつくって攻めを待つことにした。
そして、すっかり楽観気分のトリコになっていたことも否めない。その気持ちが敗因ともいえる▲9五銀の大悪手を指させてしまった。
▲9五銀はムリに相手を退治にいく手で、私のもっともきらいな指し方。なのにどうして指す気になったのか、われながら不思議千万である。
▲9五銀で▲7八歩と備えておけば何事もなかったし、優勢を保つことができた。
勝負で一番恐ろしいのは気持ちの在り方、ということをいやなほど知りながら、▲9五銀のような手を指すとは、不覚とも、なんとも言葉がない。二枚桂のうまい攻め手を得て、中原さんは若さの元気をバクハツさせてきたことはたしか。これが一番こわいのである。
9図以下の指し手
▲4六馬△7七歩成▲同歩△6七角成▲同銀△4八銀▲3五歩△3九銀不成▲同金△3五歩(10図)▲4六馬はやむを得ぬ逃げ。▲5九馬は△5七桂成が生じていけない。中原さんの△7七歩成から△4八銀までは、まことに好調子な攻め手。これで9五銀はアホみたいな存在になったわけ。
してみると、▲7八歩と受けるあたりでは、とにかく▲9四銀と、角を取るべきだったかもしれぬ。
私の▲3五歩は、もう攻め合いで勝負するほかはない。しかし、▲3九同金では▲3九同玉が結果的によかった。実戦では指しにくい手だけれど…。
10図以下の指し手
▲3四歩△同銀▲6六角△6八飛▲同馬△同桂成▲5六銀△4六角▲3七歩△5七角成(11図)▲3四歩から▲6六角と打って、私はまだ十分の希望を持っていた。次に▲5五馬とすれば、はっきり勝勢になれるからだ。しかし、中原さんは△6八飛の強烈な勝負手で、▲5五馬のヒマを与えなかった。
△6八飛のときに、▲3九玉の形であれば、と悔やまれてきたのである。
▲6八同馬、▲5六銀は、やむを得ない応対だが、飛車を手に入れたので、いくぶんの勝ち味を感じていた。
中原さんの△4六角はいい攻防手だが、▲3七歩に対する△5七角成では、△3六歩と玉をめがけるほうがよかったようである。
とにかく、おたがいに時間に迫られる状態にあるので、最善をつくせないのは、ざんねんな気がしていた。
11図以下の指し手
▲5五角△3三桂▲6一飛△4二金寄▲4七銀打△3九馬▲同玉△5七桂成▲6四飛成(12図)▲5五角とでて、わずかに残れたかな、と思ったとたんに、▲6一飛の敗着を指したのは、不覚というより、恥ずかしいしだい。▲6一飛で、▲6五銀△同歩▲2六桂△4五銀▲3四銀△4四銀▲9一角成と指せば、▲6九歩の受けが効くので、むずかしくとも、一手を余すことができたように思う。
それをわざわざ玉頭を固めさせる▲6一飛を打ち下ろしては、勝ち味が薄くなった。中原さんも△4二金寄を得て、これで勝てたと思ったに違いない。
反対に△4二金寄を見て、私はがっかりした。
がっかりは弱気を呼んでしまい、▲4七銀打と守ったが、悪くとも▲6五銀が本当だった。△3九馬をそれほど厳しくない、と考えたせいでもあるが、銀を守りに手放しては、攻めに威力がなくなり、大勢判断を誤ったというほかはない。
中原さんの△3九馬は、キレのよい寄せ手で、決め手であった。大器といわれる棋士は、鋭い決め手を持っている。金一枚なので、なにか手不足に思われるが、△5七桂成がまことに威力のある存在。
おそく見えても、次の△4八金が実に早い寄せ手なのである。
12図以下の指し手
△5四歩▲同竜△5二飛▲5三歩△同飛▲3三角成△同玉▲6六角△5五歩▲同角△2四玉▲5三竜△同金▲2八玉△4八成桂(13図)
までで、中原棋聖の勝ち。中原さんの△5四歩から△5二飛は、まことに巧妙。勝負はこれで決まった。私の▲5三歩は窮余の一手で、▲3四竜と銀を取るのは、△5五飛▲同銀△4七成桂で、おしまいである。
最後の望みをかけた▲6六角も、△5五歩の軽手で対抗されては、あきらめるよりしかたがない。▲2八玉は未練の逃げで、時間があれば△5三同金の時に投げていたろう。
それにしても、”われながら不思議”をくりかえすよりほかない敗戦であった。
——–
大山康晴十五世名人が絶対に嫌いそうな▲9五銀。
魔に魅入られたとしか言いようのない一手。
投了の局面(12図)でもそのまま残っている9五の銀が、とても寂しく感じられる。
この記事を2時間以上かけて書いているわけだが、いまだに大山十五世名人が▲9五銀を指したとは信じることができないでいる。