「その王手飛車が敗着でしょ」

将棋マガジン1984年1月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。

 大山-中原戦が終わるとすぐ、森(雞)-野本戦も終わった。

 森が「王手飛車をかけたのになァ。ツイてないよ」とボヤく。すると野本は「その王手飛車が敗着でしょ、金を打たれれば投げようと思ってましたよ」「エエッ、そんな手があった?」

 口で云われても私には判らない。その局面を作ってもらったが、それが3図。

 経過を云うと、これは急戦、持久戦、接戦、熱戦、愚戦、その他あらゆる形容詞がつけられる珍局だった。まず仕掛けで野本が優位に立って、徐々に差を開き大差の形勢。それから野本がグズリにグズンで、延々130手も戦われた頃に逆転。野本は1分将棋でもうろうとしていた。

 そういったところで、森は喜び勇んで(3図で)△7八飛成と飛車を切り、▲同玉に△3四角と王手飛車をかけた。これで勝ったという気持ちは判るが、▲4五歩と中合いされ、△6一角▲6七玉となってみると、意外にも後手敗勢になっていた。

 そんなことをせずに、3図で△5八金なら終わっている。森は▲7九玉で切れると読んだが、なんのことはない、△5七金で完全必至だ。それが判ると森は「こりゃあ10級の将棋だよ」とはきすてた。

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プロの対局は王手飛車取りをかけたほうが負ける、と言われているが、この一局はまさにその典型例と言えるだろう。

△5八金を逃しているとはいえ、△7八飛成▲同玉△3四角で後手が悪いはずはないと、どうしても思えてしまうような局面。

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先手の飛車が6一にいなければ、森雞二九段も瞬時に△5八金を発見していたと思う。

非常に味が良く見える誘惑があると、目がくらんでしまう。

選択肢が無い状況のほうが幸せになれる場合があるということだ。