大山康晴十五世名人の振り飛車第一号局

近代将棋1982年2月号、大山康晴十五世名人の連載講座「居飛車か振り飛車か」より。聞き手は前田祐司六段(当時)。

昭和25年1月
▲前名人 塚田正夫
△八段 大山康晴

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲2五歩△3三角▲4八銀△3二銀▲5六歩△4三銀▲3六歩△2二飛(1図)

大山康晴十五世名人の振り飛車第一号

前田 前回に引き続いて大山先生の将棋です。

大山 この将棋は私としては高段になってからの振り飛車第一号局に当たります。当時は大野さんと松田さんが振り飛車をするくらいで、あとの人はほとんどやりませんでした。私は当時は、矢倉とか腰掛銀とか相掛かりを指していました。

前田 どうして振り飛車を?

大山 大野さんが関東棋士を相手に振り飛車でよく勝っていたことと、私としても矢倉ばかりでは飽きがきて、子供の頃見よう見まねで覚えた振り飛車を指してみよう、くらいの気持ちだったのだと思います。

1図以下の指し手
▲5八金右△6二玉▲4六歩△7二玉▲6八玉△4五歩(2図)

受けと捌きの振り飛車

大山 私の師匠の木見先生も振り飛車を指しますが、木見先生のは全くの受けの振り飛車でした。捌きの振り飛車に変えたのが兄弟子の大野さんでした。私はこの二人から振り飛車の受けも捌きも学んだような気がしています。

前田 △4五歩で開戦ですが。

大山 この開戦は大野さんの影響でしょうね。先手陣はまだ6八玉型なので充分戦えるとみての△4五歩です。▲同歩なら、もちろん△8八角成▲同銀△4六角でおわりです。

2図以下の指し手
▲4七金△4六歩▲同金△8八角成▲同銀△4二飛(3図)

前田 塚田さんは、王手飛車の筋を▲4七金と防ぎました。

大山 先手の金を4六まで引き出して、その金を攻めの目標にして△4二飛となって、振り飛車側は充分の棋勢と思います。この局面(3図)では、先手陣はバラバラの状態で、この陣形をまとめるのは大変に難しいと思います。

3図以下の指し手
▲7七角△3三角▲5五歩△4四銀▲7八玉△4五銀▲同金△同飛▲3七桂△4六飛▲2四歩△4七歩(4図)

金・銀の交換

前田 ▲7八玉は仕方がありませんね。この手で▲3七桂は……。

大山 △4五歩なら▲5六金でうまいのですが、△3五銀と出られ、▲同歩△4六飛でやはり私の飛車があばれ出します。

前田 結局4筋で金と銀が交換され△4六飛となりましたが、▲2四歩で▲4七歩とか▲4七銀の受けはだめでしょうね。

大山 ▲4七歩はプロの感覚としてはない手ですし、▲4七銀打は△7六飛とされ、次に△5五角をみられて先手損です。▲2四歩で考えられる受けは形にとらわれないで▲5八金ですね。ちょっと形がくずれるので指しがたい手ですが力強い一手と思います。

前田 塚田さんは受けていてはだめとヨンで▲2四歩ですが、これはプロの第一感ですね。

大山 そう、後手が△同歩なら、あとで後手の角が動いた時、▲2四飛の走りをみています。私は△4七歩と打ちました。ここで△2七金はないかと思われるアマの方もいると思いますが、以下▲4七歩△2八金▲4六歩となって、打った金が2八で遊ぶので損です。▲2四歩に△同歩は効かされとみて私は△4七歩です。

4図以下の指し手
▲2三歩成△1五角▲1六歩△4八歩成▲1五歩△4七飛成▲3三と(5図)

一手の得

前田 △4七歩に▲5七銀は△3六飛ですか?

大山 そうです。以下▲3八歩なら△2四角で、これで5七の銀に当たるわけです。

前田 △1五角と出たのは手得の意味ですか。

大山 そう、▲2三歩成にすぐ△4八歩成なら▲3三と△4七飛成▲2一飛成(参考図)と先に飛を成られてしまいます。△1五角と出て、ここで角を取らせれば、大山の方が先に飛成ができるわけです。

前田 5図と参考図を見比べるとアマの方にもよくわかりますね。

大山 ちょっとしたことですが、それが一手の手得になるから大きいですね。私の△1五角という一手に対し、塚田さんは▲1六歩と▲1五歩の2手使っているのが原因です。

5図以下の指し手
△5六金▲7九銀△6七竜▲8八玉△6九竜▲7八銀打△5八と▲6九銀△同と▲2二飛打△5二銀(6図)

玉の逃げ

前田 △5六金に対し、先手は適当な受けがないんですね。▲6八銀と打っても△5八銀でだめですし……。

大山 ▲7九銀は6九の金を犠牲にしても玉を8八に移して粘ろうとしたものと思います。

前田 ▲2二飛打は、合駒で駒を使わせようとしたのでしょうか。

大山 私も△5二銀とがっちり受けましたが、これは、あとで駒の補充がきくと思ったからです。△5二銀で△5二金左などとやると▲4三とでうるさいことになります。なお塚田さんの▲2二飛打で▲2一飛成は、2八飛の横ぎきがなくなるので△7九ととされて負けになります。

6図以下の指し手
▲7八銀△7九銀▲9八玉△6八と▲同飛△8八金▲同角△6八銀成▲6九金△同成銀▲同銀△3一金(7図)

出た、大山流

前田 後手側がかなり駒得をしてから△3一金と寄ったのは一寸気がつかない手順ですがこの辺は現在の棋風とあまり違わないような感じですが。

大山 たしかに△3一金などは今の私でもやりそうな一手です。塚田さんも△6八とに▲同飛ととり、さらに▲6九金と粘りましたが、この局面(7図)では、えーと、大山の金2枚と角の二枚替えで駒得です。ここではやや大勢決すの感じがあります。

前田 先手の玉型と後手の玉型の差がそのまま優劣につながっている感じですね。

7図以下の指し手
▲2三飛成△4九飛▲7八銀打△6七金▲4五角△7八金▲同銀△6八金▲4三と△4五飛成▲同桂△5六角(途中図)▲6七歩△7八金▲2七竜△4五角▲5二と△同金▲4八飛△8八金▲同玉△3三桂▲7八金△4七歩▲同飛△5六銀(投了図)
まで、92手で大山勝ち

人生の変わり目

前田 △5六角で△7八金と銀を取るのはどうなんでしょう。

大山 それでもいいけど、角打って角で銀を取れば詰めよだし、△5六角の方が手厚い意味があります。

前田 塚田先生もずいぶん粘っていますが、やはり及びませんか?

大山 塚田さんもたしかに粘っています。が、銀桂損なのでここで投了しています。このあと指すとすれば▲4八飛には、△4七歩から△6七銀成があります。▲4九飛と逃げても△5八銀から△6七銀行成で先手陣は持ちません。

前田 総評をお願いします。

大山 この将棋は塚田さんの不用意な▲6八玉で大山の△4五歩の攻撃が決まり、案外な楽勝でした。こんな勝ち方ができたおかげで、いつしか私も振り飛車を指すことが多くなり、それが今の私の将棋となってしまったわけです。人生の変わり目というのは、このような一寸したことが因になることがあるわけで、そのような意味で本局を採り上げてみたわけです。

前田 ありがとうございました。

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大山康晴十五世名人の公式戦での振り飛車第一号局。

後の大山十五世名人らしくない振り飛車というか、兄弟子の大野源一八段(当時)を思わせるような非常に積極的な指し回しだ。

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大山十五世名人の師匠の木見金治郎九段は向かい飛車の大家。

攻めない振り飛車、とにかく受け続ける棋風だった。

兄弟子の大野源一九段は、江戸時代以来続いていた「振り飛車は相手が間違うのをひたすら待ち続ける戦法」という概念を一新し、攻める振り飛車を作り上げた。その捌きは神業と言っても良いほどだった。

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大山十五世名人が振り飛車を本格的に指し始めるのは、この7年後のこと。

やはり兄弟子の大野源一九段のアドバイスによるもの。

大野源一八段(当時)「大山、お前は今日から振り飛車をやれ」