矢倉を好きになれるかなれないかのリトマス試験紙のような自戦記

将棋世界1975年2月号、米長邦雄八段(当時)の棋聖戦自戦記〔対 中原誠名人〕「棋聖位挑戦権を賭けて」より。

 私は、残念ながらコーヒーの味というものがわからない。インスタントとひきたての味が区別できないのである。

 日本酒も同様で、特級酒と二級酒の違いが全然できない。

 子供の頃は、まぐろの刺身というのは、鯛やイカに比べてしか違いがわからなかった。

 最近は、ピンからキリまで、味も値段も違うのがわかってきた。

 さて、1図を見ていただきましょう。

 この局面が、これから述べる対中原戦の一場面。これをマグロの切り身とするなら、二人が、ずいぶん食べてきた局面である。

 昨年中でも、新春の王将戦、夏の王位戦、秋の十段リーグ等々、苦い思い出やら、会心の一局やら、枚挙にいとまがないくらいだ。

 形は全く同じでも、中身が違っている。

 二人が初めてタイトル戦で会った、昨年の王将戦の時は、私は、この局面で作戦勝ちしたと思ったほどだった。

 実際、その通りの運びとなった。

 ところが、半年ほどして、王位戦で会った時、私の自惚れはケシ飛んでしまった。

 簡単に触れると、王将戦の時は、1図で△1四歩と受けてきた。そして、私の作戦勝ちになったのだが、王位戦の時は、△1四歩でなく、△9四歩と突いてきたのである。

 もっとも、その将棋は、私のだらしない将棋だったが、私の作戦負けだったのは確かである。

 その後、数局を経て、この将棋、この局面となった。

 1図では△9四歩、△1四歩、△4三金右、△6四角、△8五歩などが予想されるところだ。

 私の予想した本命は、△9四歩であって、当然そうなると思っていた。それには対策があった。

 しかるに、△1四歩とすなおに受けてこられた。

 その瞬間、私はなぜかしら妙な殺気を感じた。実に不思議な気がする。

 それで、次の▲6七金右に、実に44分も考えてしまったのである。

 そして、数手進んで2図。

 私が▲1七香と上がったところだが、今度は中原さんが50分考えて△7三銀と上がった。

 この局面から、全く新しい方向へ動き出すのだが、1図から2図の辺りが、実に微妙だったのである。

 しかし、この辺の本当のところは、男女のセックス同様、二人だけにしかわからないのだと思う。

 全く不甲斐ない話だが、1図も、2図も、どちらが作戦勝ちになるのか、どの手が最善なのかわからないまま、またこの一局が終ってしまう。

 ただ、王将戦での確信、王位戦での失敗、それらを一歩進めて”またわからなくなってしまった”というだけ、強くなっているのかもしれない。

 どうか、読者も、この”違い”だけは理解しようとしていただきたい。

(以下略)

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「しかるに、△1四歩とすなおに受けてこられた。その瞬間、私はなぜかしら妙な殺気を感じた」

①王将戦で中原名人が△1四歩として中原名人作戦負け

②王位戦で中原名人が△9四歩として中原名人作戦勝ち

③棋聖戦で中原名人が△1四歩

という時系列なので、あえて△9四歩に安住せずに△1四歩としてきた中原名人に殺気を感じた、ということになる。

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「1図から2図の辺りが、実に微妙だったのである」

1図から2図に至る手順は、△1四歩▲6七金右△8五歩▲3七銀△4三金右▲2五歩△6四角▲1七香(2図)

実に微妙と言われても、この微妙さを理解するのは至難の業だろう。

「しかし、この辺の本当のところは、男女のセックス同様、二人だけにしかわからないのだと思う」とも書かれている。

このわかりづらさが、後年の「矢倉は将棋の純文学」という言葉に通じるのだと思う。

米長邦雄二冠(当時)が「矢倉は将棋の純文学である」の真意を語る