奨励会員用語集(1986年関西版)

将棋世界1986年3月号、信楽老さんの「信楽老の突撃レポート」より。

 奨励会員の日常会話や感想戦での言葉は独特のものがある。そこで奨励会員の用語集を作ってみたのでご覧いただきたい。

  • 「ボクノーガイイデショウ」=自分の優勢を主張する言葉

  • 「コマドクデスカラネ」=駒得だから優勢でしょうという意味

  • 「モー、トンチャンカイナー」=トン死を喰らったのをボヤく言葉

  • 「カエッテヨシ」=問題にならない手に対して言う

  • 「コドモノセメ」=素朴なわかりやすい攻め

  • 「ボウサンノアマタニジンヲウツト」=王さんの頭に銀を打てばどうかという意味

  • 「バイター!バケヤ」=あ痛、負けや、ということ

  • 「ウッ!」=急所を突かれ返答に窮した時の言葉

  • 「アジガイイ」「イミガナイ」「ミチャオレン」「ジツハソウデス」=そのままの意味だが、ボソボソとつぶやくように言う。

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「あ」と「お」を「ば」と「ぼ」に言い換えるのが一つのコツのようだ。「ギン」を「ジン」と言うのは法則性が見当たらない。

「帰ってよし」「子供の攻め」は使えそうだ。

 

 

「これがコテコテの関西将棋だ」

将棋世界2004年4月号、増田裕司五段(当時)の「関西将棋レポート」より。

 エピソードといえば、関西将棋会館で掃除、洗濯、奨励会員にアドバイス等々、お母さん的存在の楢原嘉子さんに話を聞いてみた。

Q.何年前から連盟で働いているのですか?

A.17年めになるのかなあ

Q.初めての連盟の印象は?

A.一番最初、ビルの中に対局場(江戸城を真似て作った)があるのがビックリしてねえー

Q.対局中に、おしぼりを出していただきましたが…

A.対局場に入ると、いつも緊張の連続で…。4、5年前かなぁー「失礼します」って対局場に入ったら米長先生が上座に座っておられて、鼻歌で「ちっとも失礼じゃあ~ないですよぉ~」って言われて吹き出しそうになったけど、それから気分がほくれたわ。

 話が変わるけど、一番つらいのは、奨励会の子が辞めていく時やねー。ほんとにいい子達が辞めていくのは心が痛むわ。何年か経って「楢原さーん」って連盟に会いに来てくれる時は、すごくうれしいけど。

 楢原さんがいると心が和むのは私だけではないだろう。

 1図は児玉-伊藤戦で、伊藤六段が△2七飛と打った局面。ここからの手順がすごかった。

 1図以下▲5八金!!△2五飛成▲4八桂!!△1五歩▲5五歩△4五竜▲6七銀△4三角▲6五歩△同角▲6六飛!!△4三角▲6五歩(2図)

私はこの棋譜を並べて、これが関西将棋だと感動したが、児玉七段の手順は力強く、自分をさらけだした人間臭さが感じられる。

 3図はその最終盤。

 伊藤六段の△7三同銀に▲8五桂!!△7二歩▲8六銀!!△2五竜▲3五歩△同竜▲7四歩!!△4六竜▲7三歩成△同歩▲7五銀まで児玉七段の勝ち。

 手順中、▲8六銀に△6六金は▲9四桂△9二玉▲7三角成で寄り。▲7四歩に△同金は▲3五角で竜がタダ。

 児玉七段の会心譜であった。

 終局後、両者は練習将棋を。

 伊藤「練習将棋はゆるめてくれるからなぁー。けど気持ちがちょっとは楽になったわ」

(以下略)

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楢原嘉子さんが今もご勤務されているのかどうかは分からないが、このような方が思い出話を書けば、良い話や面白い話がたくさん出てきそうだ。

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児玉孝一七段(当時)の▲5八金~▲4八桂が、何もさせないぞという手順。

形が乱れるし桂を手離して専守防衛させるのだから、感覚的には指しづらいところ。

そして、目標は後手の6四桂を殺しにいくことであることがわかる。

3図からの▲8五桂(△同金なら▲7四歩)~▲8六銀も凄い食いつき。

関西将棋と呼ばれる発端は阪田三吉なのだと思うが、本当に力強く感じられる。

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対局が終わった後も練習将棋をするところが、児玉孝一七段と伊藤博文六段(当時)の仲の良いところ。

 

 

松田茂役九段「いやー、ぼくムチャ茂って仇名が付いているだろ。あれは困るんだよほんとに」

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

大山名人が若い頃にムチャ茂こと松田茂役流と対戦して負かされた話は、大山名人の自伝にも出てきてます。そのときの勝負に勝ったムチャ茂流だけがご馳走攻めにあったことが余ほど悔しかったんですね。
相手と同じ色の和服を着ようという発想は、将棋指しに宿っている相打ち精神からなるものと思います。これは将棋に限ったことではないでしょうが、こちらだけ楽に勝つのはなかなか大変ですので、相手にも自分だけ楽に勝つのはなかなか大変という状況を作ろうとするわけです。
ムチャ茂流には一度、棋譜解説をしてもらったことがあります。
「いやー、ぼくムチャシゲって仇名が付いているだろ。あれは困るんだよほんとに。だって、ファンの皆さんはあの仇名を見て、ぼくの将棋がムチャな将棋だって思っちゃうでしょ。そうじゃなくて、あれは、ぼくがマージャン打っていてあまりにも降りないで上がろうとばかりするから、それで付けられちゃった仇名なんだよ。そりゃぼくだってマージャンでも守りが大切ってのは知っているさ、でも、あれ、遊びでやってんだから守ってばかりじゃ面白くないでしょ。ぼくの将棋はね、ヒジョーに緻密な構想と読みの入った将棋なんだよ。そこんとこしっかり書いといてくださいね」
私め「・・・・・・あの、先生のではなくて・・こ、この将棋の解説を・・」
「あっ、そうだそうだ。ははは、そうだったね。そうそう、君の将棋さっき見てたらさ、顔に似合わずなかなかやるじゃないか」
「は?」
「だから、君、強いんだから、君が思ったように書いておいてくれればいいから」
そ、そんな無茶な。
ムチャシゲ恐るべしの一幕にございます。

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松田茂役九段はツノ銀中飛車の開祖。

「君の将棋さっき見てたらさ、顔に似合わずなかなかやるじゃないか。だから、君、強いんだから、君が思ったように書いておいてくれればいいから」

プロ棋士から言われたら嬉しいような、しかし仕事のことを考えると憂鬱になるような、非常に微妙な言葉だが、記事を書かなければならない記者にとっては、やはり憂鬱度120%だと思う。

 

 

先崎学少年がアマ初段からアマ四段になるまでの期間

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

いずれのおんときにか、新宿将棋センターにて、先崎流に「俺が将棋の写真撮り始めてからもうゆうに十年は経つけどさ、最初は初段あるかないかぐらいだったのが、今は四段くらいは指せるようになったかなあ。そうだ、先崎、お前、内弟子してたころここに通っていたことあったよな。お前、初段から四段までどれくらいかかった?」と弦巻カメラマンがたずねたことがありました。
そばにおりました私めは弦巻さんとともに先崎流の答えを興味津々で待ちました。
「そうですねえ」と言ってから少し間をおいて先崎流は言いました。
「ま、三秒くらいでしたか」
こ、これには、ワッハッハッハと笑うしかありませんでしたねえ。弦巻さんは笑い終えてすぐ「こいつめ」とつぶやいたのでありました。

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ここに出てくる新宿将棋センターは、現在の新宿西口にある新宿将棋センターではなく、靖国通り沿いの歌舞伎町にあった頃のこと。

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今日は複数の記事をアップしていますが、ブログの表示高速化を試みている最中で、その際に今までできていたことができなくなるという現象が起きて、条件を変えながら記事をアップして原因を探っているところです。

今日は、あと1つぐらい記事をアップする必要がありそうです。

 

 

升田幸三実力制第四代名人の仕返し

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

升田流のところに取材に参りましたおりに、奥様がこんな話をしてくれたことがありました。
「主人たらね。この間私が近所で銀行の副頭取だかをされている方の庭先の道を通りましたら骨董品というのですか、いくつも並んでいるのを見せられていろいろ講釈をされましたんですよ、って、そう話しましたらね、二三日したら、『おっ、副頭取の骨董品を見てきたぞ』って言うんです。私ちょっと心配になって『なにかまた仰ってきたんですか』って聞いたら『おお、ちゃんといろいろと見させてもろてだな、最後に、銀行の副頭取では、ま、この程度のものだな』って言ってきてやったって言うんですよ。私、恥ずかしくてもうご近所歩けませんわ」
もうご近所歩けませんわ、と言いながら、奥様はころころと笑っていらして、私めはこのとき升田流は奥様をこよなく愛されているのだなと思ったのです。

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昔の漫画「意地悪ばあさん」を思い出させるような升田幸三実力制第四代名人の行動。

数々の大物財界人や芸術家と親交があった升田実力制第四代名人だからこそ言えるセリフだ。

 

 

将棋ペンクラブ末席幹事による将棋ペンクラブ非公認ブログ。近代将棋に連載していた「将棋ペンクラブログ」のネット版です。