真部一男三段の投了図-振飛車党の古き良き時代(9)

有吉道夫八段(当時)による奨励会A組・東西決戦「兄弟棋士の誕生」より。真部一男三段-森安正幸三段戦。

この当時は、奨励会A組の東西両優勝者による決戦の勝者が四段になるしくみだった。

「この決勝戦はいつも、仲間内の注目を集める勝負である。それは新四段誕生の興味もさることながら、その勝敗による明暗の差が、対局者にとってあまりに大きく、人事ならず勝負のきびしさを感ずるからであろう。きびしさ、これのみを考えれば、現棋界の最大の勝負ではないか、という人もいる」

森安正幸三段は24歳、秀光五段の二つ年長の兄、昨年逝去された真部一男九段はこのとき19歳。

将棋は、森安三段の四間飛車→石田流、真部三段の玉頭位取りとなった。

1 (2)

ここで▲2七飛が筋なのだが、△3六飛▲6七金右△3八飛成▲3七飛△2九竜▲3三飛成△8六桂の痛打を受けるので▲2八飛と退去。

この後、森安三段がうまく指しまわし、また真部三段に退嬰的な手が一手あったため、森安三段が有利になる。そして、

photo (1)

なんと、この図が真部三段の投了図。

ここからが、後に「火の玉流」とよばれるようになる有吉八段の熱気あふれる文章。

「勝負所の一歩の後退は百歩の後退につながり、最終図に至って真部君は戦意を喪失して投了してしまった。図で▲8七歩と受けても△6三金から

△8三銀と上がられ、次に△6四歩▲7六銀△7五歩▲同銀△7四歩の銀の只取りをみられては、指す所がないとみての投了であろう。専門的にみれば確かにその通りである。潔いと感じる人もあるだろう。しかし私は心情的に物足りなさを覚える。投了図をみると、金銀四枚、飛角、なお健在である。これ以上指し続ければ、恐らくひどい負かされかたをするであろう。それでもよい。敵に一失を報うべく頑張ってほしかった。何かの本で読んだ記憶があるのだが、昔ある中国の武人が、我戦いに臨んで、刀折れ矢尽きれば、素手をもって敵と闘い、力尽きて捕われの身になれば、眼光をもって敵を射すくめ、もし盲目にされれば、舌をもって敵を刺す、といったとある。勝負を争う上において、可能な限り、力の限界をつくして闘う、この気迫は何より必要ではないかと思う。勝負に執念を持って、今後恵まれた棋才を伸ばされるよう望んでいる」

まさに「火の玉流」。

真部三段は、この一年半後に四段となる。

短所の裏返しが長所。真部九段のこのような潔さが真部九段の魅力を形成していたのかもしれない。