原田康子さんの観戦記

作家の原田康子さん(81歳)が亡くなった。

原田康子さんが書いた観戦記「王座戦第4局 谷川浩司竜王 対 羽生善治王座」(1998年)は第11回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門部門賞(現在の大賞)を受賞している。

非常に素晴らしい観戦記で、私は酔っ払った時に何度か読み返したりしていた。

情景描写、棋士の描き方が印象的で、情感がこもる文章。酔っ払って読んでいるうちに涙が出てくることもあった。

原田康子さんは、1956年に「挽歌」を発表、空前のベストセラーとなり、映画化・テレビドラマ化されるなど大きな反響を呼んだ。「挽歌」、「蝋涙」(1999年)で女流文学賞、「海霧」(2002年)で吉川英治文学賞を受賞。

将棋は、札幌のアマ強豪に習うほど大好きだった。

女性作家ならではの視点で書かれた珠玉の観戦記。いくつかの文章を紹介したい。(太字が原田さんの文章)

—–

羽生王位の1勝2敗のカド番でむかえた第4局。対局場は函館の湯の川プリンスホテル

第2譜

盤側につくのは二度目になる。十年も前の王位戦で専門誌に盤側記を書くため、二日にわたって盤側で観戦した。(中略)このときの対局者のひとりが谷川浩司であった。

あれから十年。私が古稀(こき)をむかえたごとく、谷川の上にも十年の歳月が流れた。それは大震災に遇い、一時は無冠にもなった歳月である。谷川の前に常に立ちふさがっていたのが、羽生善治であったろう。

第5譜

対局室からは海が見える。海側はカーペット敷きの広縁で、そこに窓がとってあり、次の間にも窓がある。盤側から見ると、どの窓にも津軽海峡の海面がはめこまれている。

夕休近くなると、イカ釣り舟の漁火が、沖にひとつふたつとまたたきはじめたが、日中の海面は明るく凪いていた。十月のこととて海面がぎらつかず、青に緑と灰色が入りまじった微妙にやわらかな色合いだった。

水の影が天井でゆれうごいていた。その下で盤をはさんでいる和服姿の両棋士。この国の美を凝縮したような情景であったが、二人の棋士の目に海面は映っていただろうか。

第7譜

角換わり腰掛銀模様の将棋。谷川竜王が優勢の局面。立会人は青野照市九段。

青野九段は早くに洋服姿にかわって奨励会の奥山浩士三段を相手に、検討をつづけていた。

「羽生マジック、出ないんですか」とたずねると「出ないようにしちまったんですよ」と青野九段は笑ってこたえた。

第8譜

対局者がたのんだ夕食は、羽生が松花堂弁当、谷川は天ざるのエビ天ぬきだった。夕食の内容から推して、羽生は闘志を失っていない感じを受けた。

(中略)

控室の読みははずれた。あろうことか、谷川は2五同桂とした。盤上にさざ波が立った。

(控室では、二上九段が1五香で谷川勝ちと読み、青野九段も1五香を逃すはずはないと見ていた。このとき21:00過ぎ)

第9譜

羽生が座をはずしたのは、本譜の前であったろう。対局者は無言で席を立ち、無言で席にもどる。羽生も無言であったが、不意にすっと立ちあがったような唐突な動きだった。羽生は扇子を手にしたまま、一瞬、座ぶとんの上に突っ立って宙に目を投げた。茫然としたような面持ちにも見えた。羽生の手から扇子がすべり落ち、羽生は扇子を捨ておいて対局室から出て行った。

終盤、羽生が席を立つ機会は二度あった。谷川が3三桂打ちをする前と、おなじく谷川が九時直前に十四分の読みを入れた折である。前者であれば(2五同桂の4手後の前)、局面の思わぬ展開に気持ちをしずめようとし、後者であれば(2五同桂の2手前)、羽生の頭にあったのは王座失冠の悪夢であったろう。 いずれにせよ、座ぶとんに投げだされた扇子は、私の目を捉えてはなさなかった。

(一度目に席を立ってから二度目に席を立つまでの間隔は、推定10~20分)

第10譜

羽生王座から強烈な反撃開始。

気づかぬうちに、羽生の姿勢がかわっていた。本局、羽生は盤面におおいかぶさるほどの前こごみになりがちで、控室のモニターに羽生の頭部が映ることさえあった。盤側で見ていると、扇子は小ぜわしく開閉するし、落ちつきを欠いた挙措に見えたが、いまは背筋をまっすぐのばして盤上を見据えていた。

一方の谷川は肩をいからせ、首すじから頬にかけて血がのぼっていた。物静かに対局していただけに、こちらの変化も目を引いた。

第11譜

谷川と羽生の口から呷(うめ)きがもれだしたのは、秒読みがはじまってからであろう。どちらが先に呷きだしたのか、わからない。気がつくと、二人の呷きが耳にはいっていた。

十年前の王位戦でも対局者の呷きを聞いた。はじめての体験であったから、私は少なからず衝撃を受けた。大の男が、もしくは青年が、呷き声をもらすとは夢にも思っていなかった。長時間にわたるタイトル戦の苛酷な側面を感じとらずにはいられなかった。羽生と谷川は、最後の気力をふりしぼって戦っている。それが、呷きとなって二人の口からもれる。谷川の額には汗が浮び、たえず白い手ぬぐいで口もとを押さえる。羽生も呷き、肩であえいでいる。

終局ぎりぎりの対局室は、修羅場そのものの切迫した空気に充たされる。呷き声に免疫があったとしても慣れることはできない。盤側についていても息苦しくなる。

沖の漁火はふえ、数珠つなぎにつらなって輝きを増している。目前で戦う両棋士の姿に引きくらべると、漁火は現実のものとは思えない。幻を見ているかのようだった。

第12譜(最終譜)

羽生王座が粘りに粘り、谷川竜王の失着を見逃さなかった。羽生王座の勝利。

原田康子さんは、次のように結んでいる。

打ち上げは十一時過ぎからになった。タイトルをかけた勝負の直後のせいか、なごんだ席についても、私の胸には哀感が残った。

—–

1999年の将棋ペンクラブ大賞贈呈式では、故・原田泰夫九段がとても喜ばれていた。原田康子さんとは「はらだやす」まで同じ読みだし、昔の文壇名人戦のときにも二枚落ちで指導対局をしている。

原田康子さん81歳、原田泰夫九段と同じ盤寿で、天国へ行った。

「聖の青春」、「将棋の子」などを著した大崎善生氏の生家は、札幌の原田康子さん宅の隣家だった。