藤井猛六段(当時)「冗談半分で問い詰めたら、少し教えてくれた」

将棋世界1997年9月号、藤井猛六段(当時)の第16回早指し新鋭戦決勝戦〔対 鈴木大介五段〕自戦記「新鋭戦優勝・雑感」より。

 早指し新鋭戦はこれで5回目の出場になる。

 テレビ棋戦ということで毎回気合いを入れて臨むのだが、なかなか思うような結果が得られない。

 10秒将棋で早指しの練習をしていくのだが、もともと早指しは得意でないので、効果があるかどうか……。

 一度は優勝したいと思っていたが、出場回数を重ねるにつれ、優勝から遠ざかっていくのがわかる。

 早指しは若者が強い。

 過去の優勝者を見ても、ほとんどが20歳やそこらで優勝している。

 しかし、あれこれ言っても始まらない。

 出場するからには優勝目指して頑張るのみである。

(中略)

 今回のトーナメント、2回戦は久保五段を想定していたが、清水女流三冠が勝ち上がってきた。

 ただでさえ意識する対女流戦。テレビ棋戦ともなればなおさらである。

 仕事で一緒になった久保五段をつかまえて、どんな将棋だったか参考の為に聞いてみたが、いやな顔をして答えてくれない。

 そこで、

「僕が清水さんと当たることになったのは君のせいなんだから、君は僕に将棋の内容を話す責任がある」

と冗談半分で問い詰めたら、少し教えてくれた(後で棋譜を見ればいいだけのことなのだが……)。

 清水女流三冠をはじめとする女流のトップの実力は、確実に年々上がってきている。

(中略)

 決勝の相手は昨年度の優勝者、鈴木大介五段。

 早指しで鳴らす、今最も勢いのある若手だ。

 最近の対局では後手番となることが多かったので、今日は先手になるはずだと勝手に決めつけ、先手を想定した作戦を考えていた。

 ところが後手。

 しかし、鈴木五段とは奨励会時代から相振り飛車になることが多く、今日もそれで行くと決めていた。

(中略)

 ▲7六飛(2図)が封じ手。

 これより両者1手30秒の秒読みに入るのだが、30秒ギリギリまで考える私に対し、鈴木五段は10秒かそこらでビシビシと指して来る。

 再開後、まだ秒読みに慣れずにいる私にこの攻撃はキツイ。

 たとえ形勢が互角でも、押されている感じがしてしまう。

 実際ここでは、先手がやや作戦勝ちで進んでいる。

(中略)

 今期のNHK杯戦で、鈴木五段には最終盤、信じられないような大逆転負けを喰らっている。

 早指しでは逆転勝ちも得意とする鈴木五段を前に、細心の注意を払ったつもりが、十通りもある勝ち筋の中から、たった一つの落とし穴に自ら落ちてしまったのだ。

 このように大逆転を喰らって、情けなくくやしい思いをすることが多い人間と、大逆転を起こしやすい人間とがいるように思う。

 私は子供の頃からの傾向として、前者であることは間違いない。

 この差はいったい何なのか、体質なのか、性格なのか、いろいろと考えさせられてしまった。

(中略)

 前述のNHK杯戦の後、竜王戦でも鈴木五段とあたったのだが、こちらは完敗だった。

 この2敗を含め、その頃棋士になって初めての5連敗を喫した。

 その少し前に、やはり5連敗をしていたN方五段に、

「100連敗はしないさ」

と、他人事のように励ましたのだが、いざ自分が同じ目に遭ってみると、とてもそんな気分にはなれなかった。

 1勝することの大変さと喜びを改めて実感した時期だった。

(中略)

7図以下の指し手
△4六歩▲8二角△4七歩成▲同玉△8二銀▲同桂成△9三玉▲5五竜△7四角▲6五歩△同角▲同竜△5七飛(投了図)  
 まで、154手で藤井の勝ち

 これならわかり易く勝ちであると、△4六歩としたが、ここでは△7二歩の方が手堅かったか……。

 ▲8二角は読みにない手で、再び動揺。

 △同銀でなんでもないことはすぐにわかったが、念には念を入れて読もうと時間つなぎのつもりで指した△4七歩成がとんでもない手だった。

 △8二銀▲同桂成の時に気が付いて唖然とした。なんと私の玉に即詰みが生じているのである。

 △9三玉に▲8三成桂△同玉▲8四銀△7四玉▲7五銀打△6五玉▲5六竜まで、働きのなかった9七の桂まできっちり役立ち、ぴったりの詰み。

 自作自演のこの作ったような逆転劇には、あきれるというより、感動すら覚えていた。

 もしかしたら相手も気付いていないかもしれないと、一縷の望みをたくし△9三玉……。

 鈴木五段も、最後はもう負けを覚悟していたようで、詰みには気が付かなかったらしい。

 このツキを生かし、早指し選手権戦でも頑張りたい。

将棋世界1997年9月号より、撮影は中野英伴さん。

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「早指しは若者が強い。」

藤井猛六段(当時)が26歳の時の言葉。

全体的に見れば26歳は十分に「若者」に入ると思うのだが、この頃の将棋界はそのようなイメージではなかったのだろう。

羽生善治六冠(当時)が26歳であったこと、羽生世代の棋士が複数タイトル獲得経験者であったことなどから、26歳は若者という言葉を超越した世代という感覚だったとも解釈できる。

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「僕が清水さんと当たることになったのは君のせいなんだから、君は僕に将棋の内容を話す責任がある」

この言葉を、藤井猛九段のしゃべりかたと声で脳内で再生すれば、可笑しさが倍増する。

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「しかし、鈴木五段とは奨励会時代から相振り飛車になることが多く、今日もそれで行くと決めていた」

1999年の竜王戦七番勝負〔藤井猛竜王-鈴木大介六段〕では、5局中5局とも、鈴木六段の振り飛車に対し、藤井竜王は居飛車で戦っている。

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「細心の注意を払ったつもりが、十通りもある勝ち筋の中から、たった一つの落とし穴に自ら落ちてしまったのだ」

「好事魔多し」という言葉とも切り口は多少変わるが、良い選択肢が多ければ多いほど、間違ってしまいがちになるという、人生の真実。

昔、赤坂にあった有名カレー店へ初めて行った時、多くのメニューの中から迷いに迷って選んだのは「フルーツカレー」。

これを美味しいという人もたくさんいたのだろうが、甘くて個人的には大失敗。

カレーの種類がもっと少なければオーソドックスなカレーを選んでいたと思うが、カレーを好きな人間が10数種類のカレーメニューを見てしまえば、ついつい変格的なものを選んでしまうもの。

次に行った時はビーフカレーを頼んだものの、食べている最中に鼻血が出てしまい、周りの人たちに気付かれないようにするのに、ものすごい苦労をした記憶がある。

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「この2敗を含め、その頃棋士になって初めての5連敗を喫した。その少し前に、やはり5連敗をしていたN方五段に、『100連敗はしないさ』と、他人事のように励ましたのだが、いざ自分が同じ目に遭ってみると、とてもそんな気分にはなれなかった」

「10連敗はしないさ」なら生々しさがあるけれども、「100連敗はしないさ」が、どれほど励ましの効果があるのかはわからない。

N方五段という書き方も絶妙だ。