深浦康市四段(当時)「自分はこの世代に生まれた事を、大変嬉しく思う。なぜならば、将棋の強い棋士が多いし、個性豊かな棋士も多い。自分で言うのも何だが、これからの将棋界が大変楽しみである」

将棋世界1994年5月号、深浦康市四段(当時)の第27回早指し選手権戦決勝〔対 羽生善治四冠〕自戦記「嬉しかったダブル優勝」より。

近代将棋1994年4月号より、撮影は炬口勝弘さん。

 今年の1月に、小学校時代の同窓会があった。小学校卒業が12歳の時なのだから、実に10年ぶりの再会となる。10年ひと昔と言うぐらいだから、みんながどんな変貌ぶりを見せてくれるのか楽しみに会場へ向かった。

 男女各15名ぐらい、総勢30名ぐらいの会だったが、いやはやみんな変わっていない。女の子の中では、「お、この子誰だっけ?」「こいつ綺麗になりやがったな」という子もいたが、男は鼻たれ小僧のまんま。今にも水風船をぶつけあったり、裏山を探検しても似合いそうな感じだ。唯一、変わっているとしたら、担任だった先生ぐらいだろうか。

 楽しい時間が過ぎていったが、悲しい話もいろいろ聞いた。ある女の子が、妻子ある男性と関係になり、そのいざこざが元で自殺してしまった事、18歳で2児の母となる。現在別居中……、という凄まじいものもある。ともあれ、いろいろな人生があるな、と感じた。ここに集まったみんなはどんな人生を送るんだろうか?そして自分は……。

 みんなは今年から社会人。2年前に四段になった自分は、社会人3年目と言えようか。

 これからの長い階段。その初めの一段を昇ったと感じた、”初めの一歩”がこの一局である。

(中略)

 今年度はいい年だった。なぜならば3回もの決勝戦を戦えたからである。

 最初の決勝戦は、第11回全日本プロトーナメント。名人になる直前の米長九段との五番勝負は、一生忘れられないだろう。

 次の決勝戦は、第12回早指し新鋭戦。四段同期の豊川四段との一局は、心底、負けたくなかった。

 そして今回の決勝戦は、羽生善治早指し選手権者。紹介するまでもないが、現在四冠王。紛れもなく、棋界第一人者と言えるだろう。

 決勝戦。優勝という名誉と賞金を争う事もさる事ながら、後の事を考えずに精一杯の力を出せる事も嬉しい。

(中略)

 この決勝戦には一つの記録が、かかっている。羽生早指し選手権者が優勝すると、前回の26回と合わせて2連覇となる。この記録は、13回・14回優勝の米長邦雄棋王(当時)以来の快挙である。

 次に私が優勝した場合、前述したが、早指し新鋭戦と合わせてダブル優勝となる。この記録は意外にも前例がないらしく、お隣の囲碁界で小林光一棋聖が達成しただけである。

 それだけに前々から狙っていた記録ではあるが、実際に決勝までこれるとは思わなかった。運が良かった。

 ダブル優勝は新鋭戦に出られる、新鋭の時しか達成できないので、大きなチャンスが回って来た事を感じた。

 振り駒で先手、矢倉へと進む。相変わらずの矢倉だが、今はこれしか能がない。強くなったら、いろいろな戦型を指してみたい。

(中略)

 後手側としては、先手の攻めをうまくいなしつつ、玉を囲ってしまえば、△3六歩が利いてくる展開になるだろう。

 先手は動かなくてはいけない。▲5八飛(途中図)。△5二飛の一手に、▲7五歩△同銀▲同銀△同角▲5五飛の決戦は……、などと考えていた。

 △3七歩成(5図)。これは何かあるぞ!

5図以下の指し手
▲3七同桂△3六歩▲4五桂(6図)

 △3七歩成の意図は▲同銀と取らせることによって、攻めのスピードを鈍らせようとする手。

 しかし、本局は最初から勢い重視と決めていたので、見る聞くなしに▲同桂。そして▲4五桂(6図)と、めずらしい桂に二段跳ねが実現した。形勢はいかに?

6図以下の指し手
△4五同歩▲5五銀△5二飛▲5四歩△5五角▲同飛△4四銀打(7図)

 ▲4五桂となった局面は先手十分。戻ってみると、5図の△3七歩成が悪手で、△5二飛が正解だった事になる。

 テレビ将棋は持ち時間が短いため、一瞬一瞬の判断が非常に難しい。だからこそどんな番狂わせがおきても不思議ではない。勝つコツは、いかに自分のペースに持ち込む事だろうか。

 ▲5五銀が気持ちの良い一手。桂損でもこの銀が出られて、▲7一角成が残っているのでバランスが取れている。

 △5五角のところでは、△8二角の方が息が長いが、▲7五歩とされて勝負所がないと思われたのだろう。△8三銀と引くのではつらすぎる。

 さて△4四銀打の7図。当然とはいえ、次の一手が決め手となった。手筋の力とは絶大である。両取り逃げるべからず。

7図以下の指し手
▲3四歩△5五銀▲3三歩成△同金上▲5三歩成△同金▲6一銀(8図)

 ▲3四歩が手筋の一着。△同銀なら、▲4四角△同金▲5三歩成。△同金は▲5三歩成。△4二銀は▲4四角△同金▲5三銀でいずれもつぶれている。

 △5五銀は仕方のないところだが、銀を取ってからの▲5三歩成~▲6一銀(8図)が堅実な攻め。後手陣は飛車に弱い形をしているので、飛車を攻める事が自然と玉を寄せる事になる。

 後手側としても、△6四桂が一発入れば勝負になるのだが、3一玉の形がここにきて祟っている。

8図以下の指し手
△5一飛▲6二角△6一飛▲5三角引成△2二玉▲3四歩△同金▲4三馬△3五金▲3二金△1二玉▲6一馬△1四歩▲2二飛(投了図)  
 まで、81手で深浦の勝ち。

 投了図以下は、△1三玉の一手に▲2一飛成△1五歩▲1六歩と、わかりやすい寄せである。

 羽生棋聖の思いがけない不出来な将棋に、ちょっとひょうし抜けした感じだが、嬉しいダブル優勝となった。

 感想戦後すぐに表彰式があり、優勝旗を手にした時はちょっとジーンとしてしまった。

近代将棋1994年4月号より、撮影は炬口勝弘さん。

 これでこの芝公園スタジオでの勝率は10割!有線放送で、九州の佐世保にまで映されるので頑張ってしまうのだろうか?

 話は変わるが、収録の前日に対局料・賞金の年間ランキングが発表された。話題になったのは、当然羽生四冠王である。

 将棋界初の1億円突破という事は、どんなに意義のある事だろうか。

 自分はこの世代に生まれた事を、大変嬉しく思う。なぜならば、将棋の強い棋士が多いし、個性豊かな棋士も多い。自分で言うのも何だが、これからの将棋界が大変楽しみである。

 さあ、Jリーグでも見ながら、今後の事でも考えようかな?

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「小学校時代の同窓会があった。小学校卒業が12歳の時なのだから、実に10年ぶりの再会となる」

20歳頃に行われる小学校の同窓会は本当に楽しいものだ。ただ、悲しい話は辛い。

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深浦康市四段(当時)は、前年の5月の全日本プロトーナメント決勝五番勝負で、名人になる直前の米長邦雄九段に勝って優勝をしている。

深浦康市四段(当時)「この決勝戦で、この羽織袴にどれだけ励まされた事か。それだけに最終局はどちらの和服を着る事も憚られた。一方を着ると、その和服をひいきしてしまう事になるから」

七大タイトルではないものの、この当時の朝日新聞が主催する唯一の棋戦で、非常に大きな実績をあげたことになる。

普通ならば、この時点で「これからの長い階段。その初めの一段を昇ったと感じた、”初めの一歩”がこの一局である」と考えても不思議ではないのだが、そうにはならず、その直後の早指し新鋭戦で豊川孝弘四段(当時)に勝って優勝してもそのように考えるに至っていない。

深浦康市四段(当時)「実はこういう手、好きなんです」

この早指し選手権戦決勝で羽生善治四冠(当時)に勝って優勝して、初めて「”初めの一歩”がこの一局である」と感じたのだから、深浦四段がいかにどっしりと腰を据えていたかがわかる。

四段で同じ年度内に3回の優勝を果たしたのだから、ものすごい快挙だったと言える。

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「戻ってみると、5図の△3七歩成が悪手で、△5二飛が正解だった事になる」

深浦四段の▲4五桂(6図)からの迫力満点の攻撃。7図から投了図までは一瀉千里の収束だ。

△3七歩成が悪手だったとはいえ、羽生四冠らしさを出させなかった一局だった。

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「自分はこの世代に生まれた事を、大変嬉しく思う。なぜならば、将棋の強い棋士が多いし、個性豊かな棋士も多い。自分で言うのも何だが、これからの将棋界が大変楽しみである」

素晴らしい言葉だし、これからの将棋界を見事に予言した言葉でもある。

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近代将棋1994年4月号のグラビアでは、

 前回の選手権者羽生は、敗戦の痛手か、表彰式が終わるまで、終始「憮然」とした表情だったのが印象深い。

と書かれている。

冒頭の写真は、羽生四冠のズボンについた皺から、対局後の写真と思われる。

憮然とした表情は、優勝をできなかったことに対してではなく、自分の不出来だった将棋に対して向けられたものであることは間違いない。