1996年将棋の日@東京体育館(御城将棋制定200周年)

今日は将棋の日。

将棋の日は、江戸時代に将軍の前で御城将棋が行われた日を記念して制定された。

御城将棋自体は三代将軍徳川家光の時代から始まっているが、「御城将棋の日」として制度化されたのは八代将軍吉宗の時から。

旧暦の11月17日は現在の暦の10月4日にあたる。

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将棋世界1997年1月号、巻頭グラビア「第22回 将棋の日」より。

 江戸時代に将軍の前で御城将棋が行われた日(11月17日)を記念して制定された「将棋の日」。御城将棋制定二百周年である今年は、東京・千駄ヶ谷の東京体育館を会場に盛大に開催された。

 開場は12時からだったが、待ちきれないファンは朝早くから入口で並んでいたようだ。

 会場には多数の棋士による指導対局などのコーナーと並んで、15時の開会から行われる注目の10秒将棋トーナメントの予選1、2回戦も大勢の観客に取り囲まれるなか進行した。出場者は森内、真田、中座、久保、窪田、田村、北浜、先崎、中川、勝又、鈴木大、深浦、行方、堀口一、川上、佐藤康の16人。その結果準決勝進出は鈴木、堀口、久保、そして今話題の早指し男田村の4人。

 15時からNHK収録が始まり続いて10秒将棋トーナメントベスト8の戦いが再開されたが、今回の目玉は超大型の将棋盤だ。駒1枚が2メートル近くありそれを奨励会員が動かすのである。彼らの働きのもとスリル満点の早指し将棋が展開された。

 続いて羽生六冠王をモチーフにした新曲「たてがみ」を出したばかりの演歌歌手、長山洋子さんがゲスト出演し、イベントに花を添えた。

 第2部は恒例となった「次の一手名人戦」。対局するのは羽生善治六冠王と中原誠永世十段。ただし普段の対局とは異なり、盤駒は先程のビックサイズのもので両端に座った対局者が人間将棋のように▲2六歩などと指令を出し、奨励会員がまたもや大活躍となる。

 米長九段解説の本局は羽生の四間飛車に対し中原が急戦で挑む形となった。

 (以下略)

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1996年11月14日(木)に行われた大規模な将棋の日イベント。

この日の総合司会はNHKの村上信夫アナウンサー、進行が全身イエローのスーツの神吉宏充六段(当時)、アシスタントが高橋和女流初段(当時)。

次の一手名人戦、10秒将棋トーナメント出場棋士以外にも、(タイトル・段位は当時のもの)三浦弘行棋聖、谷川浩司九段、田中寅彦八段、清水市代女流四冠、蛸島彰子女流五段、藤森奈津子女流二段、山田久美女流二段、高群佐知子女流二段など。

棋士50名による指導対局も行われた。

平日にもかかわらず、5,500人を超える来場者があったという。

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長山洋子さんの「たてがみ」は、羽生六冠の寝癖による髪型をイメージした題名となっており、羽生六冠のことを歌っている。

たてがみ(劇場版) たてがみ(劇場版)
価格:¥ 1,121(税込)
発売日:1997-01-22

長山洋子さんはAB型。

演歌歌手としてデビューする予定だったが、当時16歳の若さだったためか、スタッフの意向によりアイドル歌手として1984年にデビューする。

しばらく伸び悩んだものの、1986年の「ヴィーナス」で一気にブレイク。

とても好感が持てるアイドルだった。

途中で演歌歌手に転向したのは個人的には衝撃的だったが、本来指向していた路線に戻ったと思えば、納得できる。

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近代将棋1997年1月号、湯川博士さんの「好きこそものの」より。

 加藤治郎(名誉九段)先生が亡くなったという報せをもらった。亡くなった日が文化の日というから、先生にはピッタリだ。将棋を単なる勝負事以上のおもしろさがあると知らしめた人だ。

 名著「将棋は歩から」を読まない人はなかろう。焦点の歩、ダンスの歩など、ネーミングそのものが手筋であり、将棋の文化性をも秘めるものだった。

 十年前、将棋ライターが集まってペンクラブをつくろうという気運が高まった時期、名誉会長を頼み込むとすぐに承諾され、

「会合にはウチを使って下さい」

 とおっしゃった。甘えて我々は何度も押し掛けていった。その縁で、現在は一番弟子の原田名誉会長宅で、新年会などやらせていただいている。

 葬儀委員長はその原田先生で、場所は芝・増上寺だ。

(中略)

 翌日が将棋の日というのも加藤先生らしい。当日は近所の将棋好きの駐在さん夫婦を誘って出掛ける。本当は11月17日が御前(お城)将棋の日だが、会場を借りる都合で繰り上げたようだ。

(中略)

 会場は千駄ヶ谷駅前の東京体育館。開場前すでに数百人の人が列を作っている。6,000人収容の入れ物だから、満員になったら大成功だ。私はここ何年も将棋の日に催しを観に行っていない。

 中に入ると体育館の大きさに負けないような、巨大な盤駒が目に入った。駒の大きさは、おそらく一個一畳はあろうと思われる。張り子のようなもので重くはなさそうだが、取り扱いはたいへん。トレーニングウェアを着た、奨励会の若手が大勢いて待機している。

 同行の駐在さんは将棋おたくというかミーハーというか、棋士とすれ違うと、

「あれ、今の人、◯◯四段でしょ」

 若手棋士の顔など、よく知っていると感心する。大物棋士が通りかかると、

「わあ、◯◯先生ですね~。凄いなあ」

 なにが凄いのか、本人のほうがよほど凄い。これでも巡査部長で、駐在所の所長なのだ。抽選で指導対局が当たって大喜び。若手四段と二枚落ち。二歩突ききりで中盤までは理想的な形だ。ところが簡単に角を切ってからぐずり出し、最後は飛車も自爆して、負けました・・・と。

「いやもう、なんか上がっちゃって・・・」

 昼食は奥さま手作りの弁当を、体育館外の芝生で太陽を浴びながら、いただいた。これが旨い。食べながら将棋の話をしていると私も昔の無邪気な将棋ファンに戻った気分で、楽しかった。この日は契約した取材はなく、自分であちこちに書くためだけの取材だから、気が楽だ。

 広い会場では、指導対局のほかに、テレビ用ソフトの試用コーナー、若手プロの十秒将棋選手権など盛り沢山の催しが並んでいる。

 午後三時からは、超大盤将棋と次の一手名人戦の同時開催。羽生六冠・中原永世十段の対戦で、米長永世棋聖・清水女流四冠の解説という、最高の豪華キャスト、加えて解答陣は、谷川九段をはじめ有名棋士がずらりと並ぶ。

(中略)

 会場には会社を抜け出した人がどっと増えたか、三時半ころには5,500人の入場者だと聞いた。平日でもこれだけのファンが集まるのは凄いことだ。女性の姿もけっこう多い。将棋ブームはたしかに来ていると感じた。しかし、一方で将棋道場や将棋雑誌が消えていく現状もある。つまりファンの将棋への接し方が変わってきているのだ。将棋ばかりではない。麻雀業者に聞いた話だが、ある麻雀大会で、

「人間とやるのは今日が初めてです」

 というお客さんが増えていて驚いたそうだ。私のやっているチェスクラブでもそういう人がときどき現れる。機械はお客を怒らないので、マイペースで覚えられるのがいいらしい。昔の客は教わりながら先生に叱られたり誉められたりするのを楽しんでいた。今はそういう人間関係の煩わしさを避ける人が多い。

 そうした意味でも、現実にプロ棋士接したり自分と同じような将棋ファンの群れに身を置くチャンスに、喜んで参加するのかもしれない。

 あちこちの催し会場でよく見かける、常連の人たち同士も自然に友達になっている。いわばイベントおたくもけっこう多いようだ。人と人が将棋を指すのが主体から楽しみ方が多様に広がっている。

 これは将棋の性質上、自然な形でありファン獲得の面では喜ばしい方向だと思う。なにしろいろいろなゲームがある中で、将棋の勝敗ほど悔しさ楽しさを含んでいるものはないと言っていいだろう。

 将棋は、勝てば官軍、負ければ賊軍的な極端さを秘めている。だから勝敗を求めるだけの方向だけでは、ファンは息苦しくて続かない。遊びの雰囲気があると勝敗の面は紛れて、気の弱い将棋ファンも参加しやすくなる。

 目の前で繰り広げられている、超大盤将棋を観ながら、ついつい将棋界の方向性などということを考えていた・・・。

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まさしく現代を予言したような湯川博士さんのエッセイだ。