村山聖八段(当時)「住民票を取りに来たんです」

将棋世界1997年4月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

2月7日

 観戦で関西本部に行った。

(中略)

 控え室にひょっこり村山八段が顔を見せた。「アレッ、変な所で会うね」と言ったら「住民票を取りに来たんです」。

 東京を引き上げて、広島に帰るそうだ。

 東京に約2年いたわけだが、控え室をにぎやかにしてくれた。人気者がいなくなってまた淋しくなる。遊び仲間もたくさんいて、彼等も淋しがっているに違いないが、それを口にせず、体が弱くて気の毒だ、などとも言わないところが、将棋界らしい。変に同情しないのが、潔く、さっぱりとしている。

(以下略)

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村山聖八段(当時)は、2月5日、A級順位戦ラス前で加藤一二三九段に勝ち、その2日後の大阪でのこと。

『聖の青春』では、村山八段は2月7日に広島へ帰郷したと書かれているので、広島へ向かう途中で大阪で途中下車して、住民票を取りに行ったのだろう。

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「彼等も淋しがっているに違いないが、それを口にせず、体が弱くて気の毒だ、などとも言わないところが、将棋界らしい。変に同情しないのが、潔く、さっぱりとしている」

心の中では気の毒だと思っていても、本人が目の前にいてもいなくても、言葉に出しては同じ棋士として、村山八段に対して失礼になるということになるのだろう。

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3月3日、村山八段は上京して、最終局で島朗八段(当時)と戦うが、敗れてB級1組に降級している。

下の写真は、その時の対局の感想戦。

将棋世界1997年5月号より、撮影は弦巻勝さん。

記録係は松尾歩1級(当時)のように思えるが、断言はできない。

その後ろにいるのが木村一基三段(当時)。

木村三段は、この1週間後の3月10日に四段昇段を決める。

翌年の3月30日、木村四段は村山八段にとって最後の公式戦の対局相手となる。

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『聖の青春』には、村山八段は、4月19日、広島大学附属病院に入院、癌であることが判明したと書かれている。その間に順位戦が一局(対 中村修八段)あったが、6月16日に手術(膀胱摘出)。

術後1ヵ月の村山八段は、医師が必死に止める中、7月14日、B級1組順位戦2回戦(対 丸山忠久七段)の対局で大阪へ向かう。

先崎学六段(当時)「無神論者の僕だが、あの状態で、あれだけの将棋を指す奴を、将棋の神様が見捨てる訳がない。本心からそう思えてならなかった」

 

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