将棋世界2002年5月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
佐藤康光が遂に王将位を奪取した。
第6期竜王戦で羽生からタイトルをもぎ取ったが、翌年すぐさまリターンマッチを挑まれこれを凌ぎきれず、一期で冠返上の憂き目を見た。
以来、幾度となく立ち向かうのだが羽生のぶ厚い壁は康光の挑戦をことごとく退けてきた。王将戦でも47期、49期と二度ヤラレテいた。下世話に云えば、顔も見たくない相手であろう。
だが、今期康光の充実ぶりは只事ではなく、驚くべき勝ちっぷりを見せて見たくもないはずの男の顔を見てやろう、とばかりに棋王、王将という二つの舞台に出向いたのだった。
3月8日、棋王戦第4局に敗れた康光は1勝3敗でまたもや苦杯を嘗めさせられる。しかし、ここから彼は真骨頂を見せた。素晴らしい復元力と鉄の精神力を発揮し、4日後の3月12日念願の王将位を宿敵から奪取したのである。
これでダブルタイトル十番指しは双方5勝5敗と痛み分けの形となった。
結果は一対一でもやはり第一人者の牙城の一角を切り崩したとの印象は強く話題性は十分だ。このシリーズで私が特に感心したのは、王将戦第4局A図からの佐藤の読みである。
図は6六の角が▲3三角成と桂馬を取った局面。誰が見ても△同銀と取る一手で他の応手は考えられないだろう。
ところが驚いたことに独り康光のみがここで△3三同金!と取られる手を心配していたという。その絵解きはこうだ。
実戦はここから△3三同銀▲6六飛△3五歩▲8八金△8四飛▲8五歩△6四飛▲2六飛△3一玉(B図)と進み、次に▲2三桂で羽生陣の一角が敗れ、康光が優位を築いた。▲2六飛と回った局面で次の飛成りに対する適切な応手がなかったのである。
△3三同金の意味は本譜と同じ様に進んだとすれば、▲2六飛に△3二玉というピッタリした対応ができるということだ。
恐れ入った読みの深さであるが、真に評価すべきは並み居るプロ棋士の総てが△3三同銀と指すものと決めてかかっている場面で、只一人康光だけが違うことを考えていたというところにある。
彼は常識という枠組みから解放されて自在の境地に羽ばたいたのだ。
常識を超えた発想をすることに於いては人後に落ちぬ羽生でさえ△3三同金は考えなかったようである。
康光はこの読み筋を局後の感想で示したそうだ。現在大流行の横歩取り空中戦ではA図は今後も実戦に現れる可能性が高い。しかも誰も読まぬであろう△3三同金は機密事項といえる。敢えて感想で講評せずとも良いのである。
このシリーズでも不慣れと思われる色々な戦型を採用し、自らの疑問の答えを大舞台を通して見つけようとしている。
きっと今までとは違った何かを発見したことだろう。今後の彼の将棋表現に大いな期待が抱かれる。
(以下略)
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真部一男八段(当時)が佐藤康光王将のことを、”佐藤”ではなく”康光”と書くところが、理由はうまく説明できないが非常に感動的だ。
たしかに、A図での△3三同金は、あまりにも変な形なので、通常であれば読むことさえもしない手だと思う。
佐藤康光王将の奔放な指し手には、すべて理論の裏付けがあるということがよくわかる。
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ところで、将棋世界のこの号には、他のページで本局の棋譜が掲載されているが、手の解説はほとんどされていない。
「将棋論考」のこの文章も枕の部分であって、本編で取り上げているのは別の棋譜だ。
そういうことなので、B図の△3一玉のところ、△2三歩と受けてなぜ悪いのかが見えてこない状況だ。
後手からの狙い筋は、△8六歩と垂らして次に△8七歩成▲同金△7八角なので、歩を手放してしまっては攻め筋が一つもなくなるということなのか。
どちらにしても、羽生・佐藤両者の読みが、△2三歩はないということだ。
横歩取りは難しい。