渡辺明五段(当時)「この前、初めて生・谷川見ましたよ。オーラがあって凄かった」

将棋世界2003年10月号、渡辺明五段(当時)の『渡辺明の「研究ファイル」』より。

 8月5日の王座戦挑戦者決定戦に勝つことが出来ました。初めてのタイトル戦です。タイトル戦に絡むこと自体が初めてだったので、自分でも驚いているのが本音です。

 この号が出る頃に始まる五番勝負、悔いが残らないように頑張りたいと思っています。

 今月は谷川王位の将棋より一局と、自分の将棋より一局を解説します。

「目標とする棋士は?」「尊敬する棋士は?」という質問をよくされますが、必ず「谷川先生です」と答えてきたように思います。小さい頃からの憧れで、「谷川浩司全集」を何度も並べた覚えがあります。

 残念ながら、まだ1回も谷川先生と対局したことはありません。谷川先生が東京での対局の時以外、お会いする機会がないので、今でも「あっ、谷川先生だ」と思って緊張してしまいます(ミーハーだなぁ=笑)。この事を人に話すと「会っただけで緊張してるようじゃ、実際に指したら勝てないじゃん」と言われました(笑)。

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同じ号の将棋世界、炬口勝弘さんの「棋士たちの真情 花はこれから―山崎隆之五段」より。

 8月5日、関西将棋会館で、王座戦の挑戦者決定戦があった。関西棋士の阿部隆七段と”渡辺君”のカードで、当然控え室には、山崎五段の姿が見られた。

 そして、渡辺五段が、王座戦史上最年少19歳の挑戦を決めた夜は、深夜まで、打ち上げの宴席に同席していた。

「この前、初めて生・谷川見ましたよ。オーラがあって凄かった。あこがれの棋士でしたから・・・」

 と渡辺が言えば、

「僕も、生・羽生見たときはそうでした」

 と山崎。

(以下略)

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この8月5日の夜のことは、故・池崎和記さんも近代将棋に書いている。

→ 「いや、それはちょっと・・・」

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私が生まれて初めて生でプロ棋士を見たのは小学生の頃、大友昇七段(当時)と中原誠五段(当時)だった。

仙台のデパートで行われた将棋まつりで、宮城県出身の大友七段と中原五段の席上対局が行われていたのだ。

まだ子供の時だったので指し手は全く理解はできなかったが、対局の光景は憶えている。

また、この時、棋士の写真展も行われており、私は一人の棋士の写真にくぎ付けになった。

大山康晴名人の顔はNHKの解説などで見て知っていたが、大山名人の向かいに座って将棋を指している長髪で髭を生やした棋士。

後に知ったことだが、升田幸三九段(当時)だった。

大山名人よりも強そうに見えた。

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次にプロ棋士を見たのが、名人になって9ヵ月後の中原誠名人。

中原名人の出身地、塩釜で行われた中原誠名人祝賀将棋大会。

私にとっては、高校の入学式の数日前の春休みの頃。

中原誠名人が審判長だった。

その穏やかさの中から発せられる最強者のオーラ。宇宙の果てを見てしまったような気持ちになった。

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時は過ぎて、その次にプロ棋士を生で見たのが1985年前後だったと思う。

升田幸三実力制第四代名人。

帝国ホテルで行われていた大規模な年賀会に升田幸三実力制第四代名人は出席をされていた。

私がたまたま見たのは、升田幸三実力制第四代名人の帰り際。

「あれは伊勢海老か?」

年賀会の会場の大きな飾り付けの一つを指さして、感心しながら、よく通る声で、そばにいる会場の女性に聞いていた。

偶然ではあったものの、私は直立不動の姿勢になって、その様子を遠くから見ていたと思う。

感動や思い入れを超越したような数分間。

後になって考えれば非常に感動的な瞬間。

升田幸三実力制第四代名人を生で見た、最初で最後の時だった。

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棋士が内面に積み重ねるているものは、計り知れないほど多い。

それがオーラの形として出てくるのだろう。

棋士は、映像や写真で見るよりも、実際に会うほうが1000倍魅力的。

そういう意味でも、生・棋士を見ることは非常にお勧めだ。