羽生善治四冠(当時)の「私より佐藤さんの名前を先にしてくださいね」

将棋ペンクラブ会報1999年秋号、島朗八段(当時)の受賞のことば『「純粋なるもの」たちの「読み」』より。

 さてこのたび、拙著「読みの技法」が特別技術賞を頂けるとのこと、大変光栄に感じております。どうもありがとうございました。

 それと同時に「81枡物語」にも著者の鈴木宏彦氏と共に私の名前が記されておりますが、こちらは完全に鈴木氏の労作で、自分は思い出せる資料を口頭で述べて協力したに過ぎません(主にその作業は週刊将棋編集室で行ったのですが、下村龍生氏の記憶力もさすがと思いました)。かつての名局・名場面を物語風に、しかもロングランの連載であれだけ読ませることに、プロの将棋ライターの基礎体力の強さをまざまざと感じました。これから歴史に残る大作であり、鈴木氏に心より祝福申し上げたいと思っております。

 「読みの技法」は、佐藤・羽生・森内三氏の個性が出た内容で、自分としても満足の出来です。数年前から構想はありましたし、実はメンバーもこの三氏しかいないと考えてもいました。お忙しい中、ご協力頂いた佐藤さん・羽生さん・森内さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 局面作成はかなり前から取り組んでいましたが、取材は(おひとり3回くらいに分けて)予想どおり長引き(タイトル戦や相互の対局等の前後を避けたりで)連盟とかではなく、ちゃんとお約束してできるだけ負担のないような場所や時期を選んだつもりではいます。

 それでも自分がもし答える立場であれば(やはり面倒だなあ)と思うに違いないので、改めてありがたく思うのです。もちろん執筆は取材以上に長引きましたが。

 今回は「角換わり腰掛け銀研究」に続いて、河出書房新社の浅川浩氏に大変お世話になりました。前作でもペンクラブで賞を頂いた経緯があり、氏が本の職人と呼ばれる理由がわかってきた気がします。

 ゲラ等が完成し、羽生さんからの注文がひとつ。

「私より佐藤さんの名前を先にしてくださいね」

 浅川氏と相談して、佐藤氏にこれを話すと、おそらく「いや羽生さんを先に」と言いかねないと予測し、本の出版が遅れるのはまずいので、そのとおりでいきました。

 「純粋なるもの」の人たちは、謙虚さとプライドのバランスが美しいといつも思います。

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『読みの技法』は、島朗編著、講師:佐藤康光・羽生善治・森内俊之となっており、1999年の将棋ペンクラブ大賞著作部門特別技術賞を受賞している。

また、鈴木宏彦さん著・協力:島朗八段(当時)の『81枡物語』が大賞を受賞している。

最終選考会では、『81枡物語』が直木賞作品、『読みの技法』が芥川賞作品と評された。

『読みの技法』の出だしは次のような内容。

photo (1)

 第1番

 図は角換わりの中盤戦。激しく駒交換が行われ、どちらも手が広い。こんなとき、先後どちらを持った場合でも、どのように考えていくべきか。最善手に到達するまでの要素・材料はどんなふうに選ぶのか。そもそも攻守の方針をどう決めるのか。実戦で感じる嫌味・含みといった感覚を感じとってもらいたい。

 なお、全問を通じて、ほとんどが実戦に現れそうな局面や、均衡のとれた局面である。作ったような妙手や次の一手が登場することはない。だれが見ても同じ答えのような問題は本書では必要としないからである。

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以下、佐藤・羽生・森内三者の読みがそれぞれインタビュー形式で取材されている。

羽生 攻め合いは負けを早める

―図を見てどのような印象を持ちますか。

羽生 まず、先手の駒のほうがさばけている感じがします。その象徴としては、後手の△8一桂が残っていること。

(中略)

森内 一瞬たりとも攻め合いは考えない

―図の感想は?

森内 先手が銀桂交換の駒得で、自玉も後手陣に比べて安定しています。

(中略)

佐藤 強い受けが必要な局面

―佐藤さんは図でどちらを持ちたいですか?

佐藤 一目、先手ですね。

(以下略)

内藤國雄九段(技術部門アドバイザー)の感想。

 私もじっくり読ませてもらいましたが、この本を理解できる人は、棋士、奨励会員などすべてを入れて、日本中で千人ぐらいの人ではないでしょうか。私が40年前の奨励会員でしたら、繰り返し読んだことでしょう。ある局面を研究しながら、答えを出さないという点が珍しいが、内容を理解するのはレベルが高い人でしょう。ただ、感心するのはこういう企画の発想が出ることです。3冊(候補作)の中からあえて推すとしたら、内容は難しいが、この本でしょうか。

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まさしくプロ仕様の作品。

会話の中に、変化が枝分かれで登場してくる。

島研メンバー三人の”読み”が生々しく描かれている純文学作品の雰囲気だ。

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ところで、羽生善治四冠(当時)の「私より佐藤さんの名前を先にしてくださいね」。

2003年の王将戦七番勝負の時に、佐藤王将と羽生竜王(当時)が、お互いにエレベータの譲り合いをしている。

佐藤康光王将「羽生さんお先にどうぞ」

1999年の段階でこのような光景を予測できていたとは、さすが島朗九段の読みだ。

”謙虚さとプライドのバランスが美しい”は、本当にその通りだと思う。

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