将棋世界1990年3月号、谷山浩子さんのエッセイ「棋士のキャラクター」より。
わたしが一番最初に知り合いになったプロ棋士は、前竜王の島さんだ。
一昨年の秋に、パーティー会場で観戦記者の東公平さんから紹介していただいた。「オシャレで生活感が出るのを嫌うタイプ」という情報を雑誌から得ていたので、なんとなくカルくて世慣れた人物を想像していた。実際会ってみて、まるで違うので驚いた。
わたしがアイサツをすると島さんは最初チラッと目をあわせて、それからすぐに伏せた。照れたような笑いを口の端に貼りつけて、ナナメ下を見たまま
「あ、どうもこんばんは……いやァ……きょうはいろんな人に会うなァ……」
とボソボソと言ったのだった。
ずいぶん純情そうな人だな、とその時想った。初対面のアイサツで、いきなりこういうヒトリゴトみたいなことを言ってしまうのは、本質的に不器用な証拠だ。
その後、よく電話をくれて、月に1~2度くらい食事やゲームの会を開いた。知れば知るほど生マジメな人という印象を強くした。
島さんという人は、自分の行動にすべて題がついている。そのタイトルは「生活臭のないプライベート空間作り」だったり「今は何も考えず将棋にうちこむ私」だったり「体を作ることから始めよう」だったり「人とのつきあいも大切な仕事」だったりする。そして自分で題をつけると、それにそった行動をマジメにやりとげようとする。
こういうマジメさは、オトナよりも少年のものだ。島さんを見ると中学1年くらいの、ナマイキとスナオが同居した、背筋をピンとのばした少年をいつも連想する。
同じパーティーで小野修一さんにも紹介された。小野さんは落ちついたやさしい感じの人で、わたしが知らない人ばかりのパーティーで困った顔をしているのを見て、何かと気をつかってくれた。
「飲み物をとってきましょうか」
「何か食べますか」
「誰か話してみたい棋士はいますか」
転校生がみんなにとけこむようにあれこれと面倒をみる。気のやさしい学級委員みたいだった。
憧れの谷川さんを初めてナマで見たのは去年の全日プロの決勝第1局だった。なんてきれいな人だろうと思った。森内くんに負けて、感想戦では顔が怒っていた。傷ついた若い狼という風情だった。狼が、おとなしい人の皮を被っている、谷川さんが負けてクサッてる時に、わたしは内心「カッコいい……」とイケナイため息をついていたのだった。
その対局相手の森内くん(くん付けでゴメンナサイ)は、いつも黙って頬を染めてニコニコしている、カッワイイ少年だった。島さんが中学生なら森内くんは小学生だ。
彼は竜王戦の控え室で、色紙にサインをするように言われて「ダッ、ダメです。書けません」と顔を赤くしてあせっていた。
日浦さんがからかうように「書けないって、字書けないの?」と尋ねる。
「いや、書くことがないし……」
「なんだっていいじゃない。『努力』とでも書けば?」
そう言われて森内くんはホントに『努力』と書いたのだった。まさかホントに書くとは思わなかった。しかも字が左半分に寄ってしまって、右半分がまるまるあいてしまって。しょうがないからそこに日付を書き加えてバランスをとっていた。うーん、いいキャラクター。
その時の森内くん、先崎くん、日浦さんという三人組は、なんともアジのある人たちだった。ひとりひとりも魅力的だけど、トリオで売り出せば(売り出すってのもヘンだけど)ぜったいウケると思う。
ところで、世の中のたいていの人は、仕事をしている時がいちばんステキに見えるものだ。棋士も、将棋を指している時がなんといってもカッコいい。
だけど、もっとカッコよく見える時がある。それは『将棋を教えてくれている時』。テニスのコーチがモテるのと同じ原理だ。
六枚落ちであっというまに追いつめられて(弱いワタシ)、ふと見上げるとやさしい顔がニコッと笑っている。もう、好みのタイプじゃなくてもドキドキしちゃう。
今まで何人かの棋士の方に恐れ多くも将棋を教えていただいたのだけど、どの人もほんっとにステキに見えて困った(べつに困ることはないか)。
だから好きな女のコがいるヒトは、将棋を教えてあげるといいと思う。まあ将棋以外のことでもいいわけだけど、将棋ならたいていの彼女は初心者だから、きっとカンドーしてくれるに違いない。ただし、『バカ』とか『ボケ』とか『キミはモノスゴク頭が悪い』とか、暴言を吐いてはイケマセン。
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谷山浩子さんはシンガーソングライター。オールナイトニッポンなどのラジオパーソナリティも多く務めている。
面白い深夜放送を聴いているような感じにさせられる、絶妙なエッセイだ。
麻雀に例えれば、女性的な視点で一翻、作詞家的視線で一翻、作曲家的視線で一翻、歌手的視線で一翻で満貫、という文章。
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今もあるのだろうか。
昔は観光地に『努力』とか『根性』と書かれたペナントがあって、修学旅行生が買うお土産の定番となっていた。
今思えば、何であのような毒にも薬にもならないものを喜んで買っていたのだろうと、小学生の頃の自分が恥ずかしくなる。
そもそも『努力』、『根性』という言葉が重すぎるし気恥ずかしい。
そのような思いは、1966年生まれの日浦市郎五段(当時)も1956年生まれの谷山浩子さんも持っていたのだろう。
「なんだっていいじゃない。『努力』とでも書けば?」と半分冗談で言った日浦五段、まさか本当に『努力』と書くとは思わなかった谷山さん。
森内俊之四段(当時)が修学旅行に行った頃には、そのような気恥ずかしいペナントは売られていなかったのかもしれない。
しかし、仮にまだ売られていたとしても、森内四段ならそんなことは気にせず、平気で『努力』と書いていたようにも思う。
そのように思わせるところが森内俊之名人の強みであり個性なのだと思う。