将棋世界1990年5月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル 特別編 C級2組最終戦」より。
3月14日、午前0時。将棋連盟の記者室は黒山の人だかりだ。青野、羽生、神谷、先崎、河口、富岡、その他対局を終えたC2の棋士がごっそりいて、奨励会員もごっそりいる。
C級2組順位戦、最終戦の夜。この時点ですでに屋敷は佐瀬を破って昇級を決めていた。井上も大野に勝って、沼-中川戦と、大阪で行われている中田宏-伊藤戦の結果を待っている。
0時8分、記者室にどっと驚きの声があがった。先崎いうところの大善戦を続けていた沼が、最後の最後までうまく指し、本当に中川を破ってしまったのだ。
この瞬間、井上の昇級が決まった。去年、悲劇的な展開で昇級を逃した井上が今年は最後のどんでんがえしで笑うことになったのだ。井上はまだ感想戦をやっている。
「井上さんに知らせに行こう」
先崎と羽生が記者室を出て行く。「驚いたなあ」だれかの声。だが、ドラマはそこからが本番だった。
午前0時15分。大阪の将棋会館から連絡が入った。「伊藤勝ち!」
ということは? 沼が昇級だ! 本当に? どう考えてもそうだ!
3階の事務所で電話を受けた将棋マガジンの中島編集長が、真っ赤な顔になって階段を駆け登って来て、対局室に向かって叫ぶ。
「大阪は伊藤勝ちです」
「沼さん上がったの?」「へえーっ」記者室の中が大騒ぎになった。
記者はその直後に対局室に入った。
「中田君、負けたの」。沼。
「今の連絡では・・・」と記者。
沼が「フッ」と苦しそうに笑った。
「ガセネタか・・・」
電話連絡は怖い。もう一度事務所に行くと、今度は手合係の角君が連絡をとっている。やっぱり伊藤勝ち。もう間違いない。
「伊藤勝ち」
今度ははっきりと伝えた。感想戦を続けていた沼が下を向いて、なにもいわなくなった。
(中略)
午前1時過ぎ、沼、屋敷、先崎、日浦、それに編集部の3人と連れだって、祝杯を上げに出た。先崎四段が井上も誘おうとしたのだが、井上は「寝る」といって、頑として応じようとしなかった。
感想戦が終わったあと、井上は涙を見せていた。先崎四段は「そんなはずはない。棋士は感情のコントロールができるよう訓練されているんです」というが記者の見間違いではなかったはず。
沼五段は飲み屋にいる間中、同じ言葉を繰り返していた。
「ほんとに上がったの?信じられない。信じられない」
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将棋世界の同じ号、井上慶太五段(当時)の「昇級者喜びの声」より。
昇級する事が、こんなにも嬉しい事だとは思わなかった。
それにしても四段に昇段したのが58年春、それからは本当に長く辛い7年間だった。
特に前期は最悪だった。最終局初めて昇級の一番を迎え、終盤必勝形を築きながら、相手の形作りの手に対して、とんでもない大ポカをやらかしてしまい、大逆転負けを喫してしまった。
茫然自失となった僕は毎日浴びる程、酒を飲んだ。もうやけくそだった。将棋をやめようとさえ本気で考えた。
そんな落ち込んでいたある日、某先輩から手紙を頂いた。その手紙には、
―残念な結果になってしまったけど、報われない努力というのはないと思う。決して悲観する事はない。自信を持って臨めば来期は絶対上がれる―。
一人暗い部屋でこの手紙を何回も何回も読み返した。涙が止めどなく流れてどうしようもなかった。どれだけこの言葉に勇気づけられたか知れない。今期、腐らず将棋を指す事が出来たのも、その御陰である。
最終戦、終わって感想戦の最中上がった事を知らされた時の感動は忘れる事が出来ないだろう。長かった7年間の色々な想い出が走馬灯の様に頭の中をよぎり、感想戦もうわの空の状態だった。
最後になりましたが、僕を励まし、又心配して下さった方々、本当にどうも有難うございました。これからもより一層頑張ります。
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有名な話だが、井上慶太五段(当時)に、「残念な結果になってしまったけど、報われない努力というのはないと思う。決して悲観する事はない。自信を持って臨めば来期は絶対上がれる」と手紙を書いた先輩は、兄弟子の谷川浩司名人(当時)だった。
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これからは、順位戦が大詰めの季節。
また、いろいろなドラマが生まれる。