NHK杯戦が後押しした恋

将棋世界2004年3月号、元NHKアナウンサーの中林速雄さんの「棋士たちの真情 明日は今日より強くなれる―杉本昌隆六段」より。

―以前、テニススクールに通っていると聞きましたが、続けてますか。

「いえ、それが、初日に腰を痛めてしまいましてね、直ってから半年ぐらいは通ったんですが、どうも性に合わず、それきりになってしまいました」

―元々スポーツ少年というタイプではなかったようですね。

「ええ、小学校2年生ぐらいで将棋を覚えてからは、日曜日毎にアマ高段者の道場に連れて行ってもらってましたし、4年になると大村先生(和久八段)の教室や、東海本部・本部長の事務所にもなっている板谷教室の板谷道場に、下校後、毎日のように通っていましたから、野球やサッカーを楽しむ子どもではありませんでしたね」

―では、今は何を。

「はい、スポーツ施設で、ストレッチや、器具を使って出来るランニングなどの運動をしています。サウナもあるし、健康管理のための診断やアドバイスもしてもらえる所です」

 実は、そこで見初めたのが、26歳の、誕生日が偶然同じ11月13日という新妻の友美子さんだった。ここはひとつ、披露宴の司会をした神吉宏充六段の、新郎新婦紹介のことばを抜き書きして、読者へのご紹介としよう。

新婦は、兵庫県西脇市で生まれ、高校まで過ごした後、名古屋市立栄養専門学院を卒業、現在は栄養管理士の資格を持つ、運動全般の指導員としてご活躍です。

 体力増進をファンに勧められて、新郎が通っていた施設に、新婦が就職されたことから二人の物語が始まります。

 はじめて友美子さんの指導を受けた杉本六段は、明るくて優しそうな人だなと一目ぼれしてしまいました。しかし友美子さんにとってはワンオブゼム、何も特別な印象はなかったそうです。将棋と違って女性には全然強くない杉本さんのことです。九つという年の差もあって、二人の仲は遅々として進みませんでした。

 そんな二人に転機が訪れます。ある日曜日の午前、何気なくテレビのチャンネルを廻した友美子さんの目に、見憶えのある顔が映ったではありませんか。何と、あのおとなしい杉本さんが、気迫をみなぎらせて将棋を指している、そういえば、職業はキシとか聞いてたけど、キシってこういう人のことなんだ。それにしても、まるで別人のよう。

 友美子さんは、盤面や解説には退屈しながらも、時々映る杉本さんの顔を、男らしいと感じながら見続けたのでした。

 テレビ見ましたよ、と友美子さんに云われた時、本当ならここから、序盤中盤と指し進めて行くところなのに、臆病な杉本六段は、まだ、対局を開始すべきかどうか、長考に沈むばかりだったのです。

 そんな新郎が見るに忍びなかったのでしょう。神様はキューピットをお遣わしになりました。友美子さんの目に、杉本六段朝日オープン準決勝進出の記事が触れたのです。その記事を読んだ後、職場で新郎に会った友美子さんは、杉本さん、がんばって次も勝って下さいねと激励してくれたのです。ハッと我に返った新郎は、ここで勝負手を放ちました。では、僕が勝ったら食事につき合ってくれませんか。新婦はノータイムでニッコリ頷きました。

 こうして二人の仲は急速に深まり、晴れてきょうの佳き日を迎えることとなったのですが、実は新郎が告白するには、「あの勝負手は今思えば次善手だった。最善手は、次の将棋に勝ったらではなく、優勝したらだった。そう約束していれば、あの時タイトルは―」

 そらアキマヘン。そんなん虻蜂取らずになってたらどないするねん。(大笑い、拍手)

(以下略)

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杉本昌隆六段(当時)があまりにも微笑ましい。

神吉宏充六段(当時)の新郎新婦紹介も、神の領域と思えるほど絶妙だ。

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友美子さんがたまたま見たテレビの棋戦は、2001年度のNHK杯戦1回戦、杉本昌隆六段-山崎隆之五段戦と思われる。

この時、杉本昌隆六段は敗れているのだが、やはり、棋士が対局をしている時の姿に友美子さんは心打たれたのだろう。

テレビの力は偉大だ。

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2001年度の朝日オープンで杉本昌隆六段は、米長邦雄永世棋聖、田村康介五段、森内俊之八段を破って準決勝に進出。

準決勝の相手は、中原誠永世十段だった。

この対局に勝って、杉本六段は友美子さんと初デートをすることになる。

もう一つの山の準決勝は羽生善治竜王-堀口一史座五段で、こちらは堀口五段の勝ち。

そして迎えた決勝五番勝負の杉本昌隆六段-堀口一史座五段戦は、杉本六段が第1局に勝ったものの、その後3連敗して、惜しくも優勝を逃している。

ちなみに、この時の決勝五番勝負第1局の前夜祭には、朝日オープン選手権第20回を記念して、9人の歴代優勝者が出席していた。

そのうちの一人、森下卓八段(当時)は、朝日オープン五番勝負の対局場に勤めていた奥様と知り合い、結婚へと至っている。

「この棋戦でいちばん恩恵を被ったのが私です」

杉本六段と友美子さんの交際も、NHK杯戦が井戸を掘り、朝日オープンがキューピッドになった形。(森下八段の場合は、井戸を掘ったのもキューピッドも朝日オープン)

杉本六段は森下八段のスピーチを特にニコニコしながら聞いていたのではないだろうか。

 

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