将棋ペンクラブが発足した日

近代将棋1988年2月号、河口俊彦六段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

 11月27日 将棋ペンクラブ発会式

 正直なところ、どうなることかと心配していたが、案に相違して大盛会だった。最悪の日時にもかかわらず出席して下さった方々にただただ感謝あるのみです。

 会を作ろうと世話人数人が集って話をしていたところ、謳い文句に「観戦記者の地位の向上をはかる」はどうだろうの案が出たら、「地位なんてあるの」の一言で吹っとんでしまった。現在の将棋ライターの意識はそんなものである。

 なかで年長というだけで、東公平さんと私が音頭を取って出来た「将棋ペンクラブ」に、加藤治郎先生をはじめとする、諸先輩と後輩・山口瞳さん、団鬼六さんなどの作家、それにファンの方々が、これほどまでに声援を送るだけでなく、実際に協力して下さるとは想像できなかった。東さんと私は、アレヨアレヨの毎日だったのである。たしかに将棋界はどこか変わって来た。私はそれをよい方に取って、積極的にさまざまな行事を開いてみようと思っている。

 とりあえず計画は二つある。

 (1)は、会報の充実である。

 物書きにとって、作品発表の場は生命線である。現状はそれがあまりにもすくない。自由に書ける場があれば、地方に眠っている才能が目をさますこともありうるだろう。それと期待するのは若いライターの出現である。

 (2)は、作品賞の設定である。

 今のライターは、いいものを書いても褒められるわけでもなく、下手な文でも貶されない。これでは、張り合いもないし、上手になるはずもない。自分の文章が、上手なのか下手なのかも判らない。せめて、いいものを書いたときは褒めてあげたいものだ。

 それが賞を作ろうと思い立った動機だが、次第にエスカレートして、観戦記の名人位を作ろうとなった。名人位が棋士の目標なら、ライターにも、目標になるものがあってもよいではないか。

 観戦記大賞を真に権威あるものにするには、将棋ペンクラブ会員であるなしにかかわらず、だれでも資格があること、広く、あらゆる出版物に掲載された作品を大賞とすること、それに審査委員の質の高さであろう。

 それは判ったが、あいにく我が将棋ペンクラブは貧乏団体である。選考にかかる費用をひねり出すことさえ難しい状態だ。

 私がメンバーに「認めてもらうだけで十分、賞金はなし、ボールペン一本でも嬉しいんじゃないかな」と言ったら、みんなうなずいたので、それを山口瞳さんに話したら、「それはおかしいよ。やっぱり賞金は出さなければ。そうだろ、受賞したら、仲間と気持よく飲むお金をあげなくちゃ」

 ごもっとも。経験のある人の言はちがう。

 いずれにせよ、右の二つを活動の柱にしたい。もし、それが実現するようなら、はじめて「将棋ペンクラブ」が誕生したといえる。

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1987年11月27日(金)、京王プラザホテルで「将棋ペンクラブ発会式」が行われた日が将棋ペンクラブが誕生した日。

私が将棋ペンクラブに入会したのは1996年の12月のことだった。

あるプロジェクトで将棋ペンクラブに仕事(?)をお願いすることになり、代表幹事の一人だった湯川博士さんに会いに行ったら、その場で入会させられてしまったのだ。

あれから18年、本当に月日が経つのは早いと思う。

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将棋ペンクラブ会報春号(2015年3月発行)の新春対談のゲストが決まった模様。

個人的にもとても楽しみなゲスト。

新春対談の情報については、また来年ご案内いたします。