淡路仁茂六段(当時)「明美は頼りないから、一人ではほっとけない」

将棋世界1989年1月号、故・池崎和記さんの「棋士の女房・お袋さん 淡路明美さん(淡路仁茂八段夫人)」より。

”長手数の美学”で知られる「不倒流」淡路仁茂八段。

 盤上では、危険な最善手より安全な次善手が好き。そして、どんな強烈パンチを浴びても容易に倒れない。

 実生活ではどうなのだろう。

 結婚して丸8年。10歳年下の明美夫人が語る「不倒流」の素顔―。

 

 結婚したのは昭和55年の11月23日です。主人はちょうど30歳。私は20歳で、短大(松蔭女子学院短期大学)の2年生でした。知り合ったのはその1年前。

 主人が元町で店(神戸将棋センター)をやってるでしょ。当時、私の友だちがセンターにバイトで行ってたんですが、ある日「急用ができて、どうしても行けない。代わりに行ってくれない?」と言われましてね。

短手数の恋愛美学

 たった1日だけの臨時バイト(受付兼雑用係)。この偶然の出来事が明美さんの運命を決めた。

 経営者の淡路八段(当時六段)が、代理で来た女子大生にひとめぼれしてしまったのだ。

 棋風に反した急戦早仕掛け―八段は、なぜかこのとき”短手数の美学”をめざす。その日のうちにデートを申し込んで……。

 ええ、バイトに行ったその日です。仕事が終わってから食事に誘われ、その席で「今度映画に行きませんか」と言われたんですよ。

 あの出会いの日。「目の大きい人だなと思いました。印象に残っているのは、それくらい」と明美さん。

 それからよくデートしましたよ。だって、あの人、しょっちゅう電話して来るんですもの。ほとんど毎日。

 なんてヒマな人だろうと思いました(笑)。そのころ私は学校の試験で一番忙しいときだったんですけど(笑)。そして1年後に結婚。

 えっ?気に入った点、ですか。うーん、困っちゃいますね。私は若かったし、相手は10歳以上でしょう。頼もしく見えたんですね。私の知らないことを何でも知ってたし……。

 プロポーズの言葉……そんなの、あったかしら。マトモに聞かれるとふと悩む。(笑)

 そういえば「明美は頼りないから、一人ではほっとけない」って言われました。

 ホホー。こんな”殺し文句”があったか……。なるほど、なるほど。

 大学の友だちに「結婚するよ」って言ったら、みんな反対して。

「まだ早いよ」とか「もったいない」とか―私がですよ(笑)「これから、もっといい男が現れるよ」とか、ずいぶん言われましたね。(笑)

 57年5月。長男修一君が生まれる。そして59年3月には長女・佳子ちゃんが。

 年子みたいなんで、結構きついんですよね。私、子供を育てるのに必死で……。だから結婚して2、3年は「ああ、もったいないことした」(笑)とホントに思いましたよ。

 あのころ、友だちの中には浪人してるのも何人かいて、私が子育てで悪戦苦闘しているのに、みんな遊んでるわけでしょ。それで私「早まった」と。(笑)

 でも、いまは逆でね。

 友だちはほとんど結婚し、ちょうどいまごろ、赤ちゃんができたとか、二人目が生まれたとか育児に専念してるんですけど―私のほうは、子供たちはもう幼稚園に行ってるし、主人は平日でもよく家にいますから、一緒に外へ食事に行ったり、映画を見に行ったり。

 最近、主人と近くのテニスクラブに入りましてね。初心者コースなんですけど。

 友だちは育児に忙しい。私は主人とテニス。いまは、それが快感で。フフフ。

盤の前で怖い顔

 淡路将棋の精密な読みは定評のあるところ。アスレチッククラブで鍛えた強靭な体格。そして落ち着いた物腰。

 将棋も外見も、悠然と構えた”大人”のイメージがあるが……。

 結婚する前は私、主人のことを「わりと几帳面な人なんじゃないか」って思ってたんです。でも、そんなことはないですね。新聞でも本でも、モノは結構散らかすし。

 ちょっとあわてん坊のところがあって、ときどき階段で転んだりして。(笑)

 主人は、時間に関しては何でも”早め早め”です。1週間前に何か予定があるとして、私なら「まだ1週間ある」と思うのに、向こうは「もう1週間しかない」という感覚なんです。

 それと、一つの場所にあまりじっとしていません。居間で新聞やテレビを見ていたと思ったら、2階へ上がってパソコンやったり、寝転んで本を読んだり。

 パソコンはゲームではなく業務用。店と自宅に1台ずつあり、顧客管理や集計などに使っているという。

 たとえばサラリーマンだと、月曜から金曜までは仕事で土日は休み―という風に、生活にリズムがありますよね。

 棋士にはそういうのはない。でも棋士は、家にいても、それは決して休みではないんですね。原稿書いてたり、対局の前だったり……。主人の場合は店の仕事もありますしね。

 対局の前は1日中、家にいます。和室で、一人で将棋盤に向かって……そのときは、怖い顔をしています。私は将棋のことはわからないから、何も言えませんけど。

 対局から帰ってきても、主人は勝敗結果は言わないし、私も聞きません。だから勝ったのか負けたのか、よくわからないのですが、この間は(B級1組順位戦の小林八段戦)何となく、機嫌が良かったみたい。(笑)

たまには私と遊んで

 淡路八段は自ら「趣味は将棋観戦」と言うほどの”マジメ棋士”。

 酒。飲まない。

 タバコ。吸わない。

 マージャン。しない。

 ゴルフ。しない。

 スキー。しない。

 旅行。しない。

 子供たちが「お父さんは遊んでくれない」って、よくコボしていますよ。「いえ、子供たちだけでなく「私とも遊んでほしい」。(笑)

 主人はしょっちゅう家にいるわりには家族と遊んでくれなくて。

 私はゴルフもしたいし、スキーもしたい。旅行もしたい。それで「一緒にしようよ」って誘うんですけど、主人がしないからできないんです。

 私、これまでほとんど遊んでないから、いまやたらと遊びたい(笑)。最近、テニスだけやろうってことになりましたけど……。やっと、ですよ。

自転車は危ない

 ウチには車がないでしょ。それで私、「免許取りたい」って言ったんですよね。すると「お前はどんくさい。事故を起こすからやめてくれ」。

 私や子供たちが何かしようとすると、主人はすぐ「危ないから」って言うんです。以前、私が自転車を買おうとしたときだって「危ないからダメ」。(笑)

 私、いま免許を取りたいんです。「お父さん、ぜひ取らせて下さい」。そう書いといて下さいませんか。

 八段の生活は実に規則正しい。

 午前7時、起床。

 正午、昼食。

 午後6時、夕食。

 午後10時、就寝。

 ウーム、完ペキだ……。

 早寝早起き―棋士では珍しい?

 あ、そうですか。昔からそうですよ。対局でどんなにおそくなっても、翌朝はちゃんと起きますからね。

 主人の食事時間は、きっちり決まってましてね。昼ごはんは12時、晩ごはんは6時。家にいようがいまいが、それが主人の食事時間で、家にれば家で食べるし、外にいれば外で食べる。

 だから、これ以外の時間に外から帰ってきても、私は食事をつくる必要なないんです。この点は非常にラクですね。

 食べ物の好き嫌いはありません。和食派で、とくに豆腐料理が大好き。冷や奴、湯豆腐、マーボ豆腐、揚げ出し豆腐―と、豆腐なら何でも。

 性格は「人に合わせるタイプ」。他人に気をつかわせない。「家ではむしろ、私のほうがマイペースですよ」と明美さん。

 夫婦ゲンカはしません。

 たとえ私が怒っても、向こうは「フムフム」とか言って相手にしてくれない。返ってくるものがないから、ケンカにならないんです。

 主人が「不倒流」と呼ばれているのは知っています。でも、どういう意味かはよく知りません。

 悪くなっても、なかなか倒れない……、ああ、そうですか。家ではそういうこと、ないんですけどねねェ。

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一目惚れをした場合、お互いに一目惚れをしている可能性が高いという。

それにしても、「明美は頼りないから、一人ではほっとけない」は、ものすごいプロポーズの言葉だ。

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8月28日に「淡路仁茂九段引退慰労会」が行われている。

関西の棋士がほぼ総出での記念写真は非常に貴重だと思う。

淡路仁茂九段慰労会 8,28(森信雄の写真あれこれ)