米長邦雄棋王(当時)「変人と奇人の対決です」

将棋世界1982年1月号、読売新聞の山田史生さんの第20期十段戦七番勝負第1、2、3局盤側記「加藤米長、盤外でも闘志」より。

 加藤一二三十段と米長邦雄棋王による十段戦七番勝負が始まる前、キャッチフレーズを作ることの好きな米長は、こういった。

「今回の十段戦は変人と奇人の対決です」

 私はあえて聞く。「どっちがどっちですか」。米長曰く。「私が変人で、加藤さんはやっぱり奇人でしょう」。

 昨年(55年)暮れから今年初めにかけての棋聖戦で、米長が二上達也九段と対戦した時は、米長は「人徳と人格の戦いです」といったが、今回はえらい違いようだ。

 つまり内容的には常識的にはならない、何が起こるかわからない、ということをいいたかったのだろう。

 それにしても、米長の加藤に対する闘志は相当なものがある。棋暦的には加藤が断然上で、米長がまだ級位の奨励会員であった昭和33年には、加藤は既に18歳のA級八段としてまぶしいばかりの脚光を浴びていた。

 米長は年齢的にそんなにへだたりのない(現在41歳対38歳)加藤を目標に、”今に見ろ”と切磋琢磨して七段、八段とはい上がって来たのではなかったか。

 当時の若い棋士たち―米長、大内、中原、桐山らにとって加藤は高い山の頂であり、標的であったろう。

 大山、升田は年齢的に離れすぎているので、ライバル扱いはできず、当面加藤が”若き獅子たち”の標的となった。そして今、頂きの上で相争う立場となり、その闘志は、むき出しにならざるをえなかった―。

 第1局開始の数日前から、二人の闘いは始まっていた。

 加藤は、今期七番勝負は、将棋連盟所有の名人駒が使い慣れているので、できれば全局それを使いたい、と事前に希望を出していた。

 前年の第19期も、同様の申し入れがあり、相手の中原十段(当時)も「私はそれでいいですよ」といったので、何の問題も起こらなかったが、今期は、米長にその旨を伝えると、しばらく考えたあと「私は旅館など対局場に対局用の駒が用意されている所ではそっちの方を使いたい」といった。

「駒のある所では、それを使った方が喜ぶのではないですか」とその理由を釈明したが、むしろ予想された返事であったともいえる。

 米長とて、名人駒が使いにくいはずはないが、相手の申し出に「ハイ、ハイ」では気合い負けに通じると見たのではないか。

 気合い負けは勝負師の一番好まないところである。

 渉外担当の二上達也連盟副会長と相談したりして、結局7局のうち1、4、6、7局が名人駒、2、3、5局は対局場の駒使用ということで意見がまとまったのであった。

(中略)

第3局

 まずは予定通り、1勝1敗のあとをうけての第3局は11月17、18日の両日、静岡県熱海市伊豆山温泉の「美晴館」で行われた。

「美晴館」は将棋や碁でおなじみの宿で、最近の例でいえば、昨年暮れ、加藤が中原から十段奪取を決めた最終第5局、そして今年の初め二上が米長から棋聖を奪った最終第4局が、ここ「美晴館」であった。

 加藤にとってはゲンの良い宿、逆に米長にとっては悪い宿と、天と地の格差だが、それをいい出したら、勝ち負けを常とする勝負師にとって、対局場はなくなってしまう。設営にあたる当方も、あえてしんしゃくせずに対局場を決めることにしている。東京-熱海間は新幹線が何本も出ており、便利で早いから、関係者は自由集合ということになった。夕方6時半ごろの食事時までに到着してもらえばいいと思っていたところ、何と一番乗りは米長であった。宿のフロントに聞けば、3時ごろお見えになりました、という。

 将棋界有数の”おいそが氏”で神出鬼没、あちこち駆け回って、タイトル戦前日でも一番遅く対局場入りするのが常だった米長だけに、意外であった。期すところがあっての一番乗りか。気合いも十分と見受けられた。

 一方、加藤は6時すぎに到着したが、こっちの気合いもすごい。自室へ荷物を置く前に、さっさと一人で対局室へ入り、既に用意されている盤、駒を検分していた。

 例の名人駒でないだけに、感触を確認しているのだろう。前日からもう対局が始まっているような気合いの入れようだ。

 そこへ一足遅れて検分に入って来た米長、加藤が駒を確かめているのを見るや、私に向かって「山田さん、私は連盟の駒で対局したかったんですがね」と、いたずらっぽい顔をして、ぬけぬけという。このあたりが米長一流のおとぼけで、こっちは返す言葉がない。加藤は憮然とした顔で無言。

(以下略)

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「人徳と人格の戦いです」と米長邦雄棋王(当時)が言ったのは、人徳が二上達也九段で人格が米長棋王のこと。

たしかに、二上達也九段には人徳という言葉がピッタリだ。

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この対局は米長邦雄棋王(当時)が勝っているが、七番勝負は加藤一二三十段(当時)が4勝2敗で防衛している。

ちなみに加藤十段はこの七番勝負で、名人駒の時に2勝1敗、対局場の駒の時にも2勝1敗の戦績。

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「山田さん、私は連盟の駒で対局したかったんですがね」というところが、この頃の米長邦雄永世棋聖らしさが出ていて面白い、というか山田さんも辛かったことだろう。