将棋世界1997年10月号、沼春雄六段(当時)の第38期王位戦七番勝負第4局〔羽生善治王位-佐藤康光八段〕観戦記「羽生、復活の証明」より。
羽生善治王位に佐藤康光八段が挑戦する第38期王位戦七番勝負第4局は福岡県大牟田市の料亭「新みなと」で行われた。
羽生-佐藤戦というと第6期から第8期にかけての竜王戦での激闘がまだ記憶に新しいが、同世代対決として今後も多く顔を合わせることが予想されている。
そしてこのことは両者も当然意識しているだろう。
昔より互いに認め合ったライバルというものは盤上での熱い戦いとは裏腹に、読みの波長は妙に合うそうで、特に片方が不調の時などはタイトル戦の番勝負を進めるうち自然に治癒されてくるものだ。
これは過去中原-米長戦などを見ていてもその例は数多く、不調そうな方がよく勝利を収めていた。
今回も戦前は名人位失冠などで羽生の不調が噂され、佐藤優位と思われていたが、フタを開けてみると羽生が接戦を競り勝って2-1とリードをしている。
そして先月号の自戦記で佐藤自身が、羽生不調は錯覚だった、と書いたのはこの辺にその理由があるのかもしれない。
つまり、序盤から神経を使う空中戦を戦っているうちに自分に合う佐藤の波長が羽生一流の勝負感をよみがえらせて来ているのだろう。
ライバルの証明ともいえる現象だろうが、佐藤にとっては思いもよらぬ困った役回りになったというところか。
(以下略)
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羽生善治五冠(当時)が名人戦で谷川浩司竜王(当時)に敗れて名人位を失った直後の王位戦七番勝負第1局。
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「昔より互いに認め合ったライバルというものは盤上での熱い戦いとは裏腹に、読みの波長は妙に合うそうで、特に片方が不調の時などはタイトル戦の番勝負を進めるうち自然に治癒されてくるものだ」
ライバルの不調を自分が立ち直らせてしまう。
嬉しいような嬉しくないような、というか、やはり嬉しくない現象になるのだろう。
佐藤康光八段(当時)は、将棋世界1997年9月号の第38期王位戦七番勝負第1局〔対 羽生善治王位〕自戦記「空中戦の迷宮」で、次のように書いている。
羽生王位はやはり不調なのではないか。対局中、二度程私はそう考える時があった。
しかし終局後、それは錯覚であり、私は自分自身の甘さを痛感させられる事となる。
(中略)
羽生王位がなかなか角道を開けなかったのはこの狙い。極端に言えば▲7六歩を悪手にしようとの意志が感じられる。
ただややトリッキーな感じがしないでもない。普段、本格的なだけにやや調子が悪いのかなと感じた一瞬である。
(中略)
△2四歩を予想していたがいきなり△5四飛だった。
しかしあまりにも短兵急すぎはしまいか。やはり不調なのかなと思った。
こうなっては私も引けない。しかし―。
私はここで昼食休憩を挟んで87分の大長考。最初は楽しい時間であった。
もちろんこの一番激しい順は常に警戒していた。何しろここでの失敗は取り返しがつかない。
ただ長考中に読み抜けに気が付く。途中からは青くなっていた。
(以下略)
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羽生善治王位(当時)が対局の途中までは不調が続いていたのかもしれないが、沼春雄六段(当時)が書いている通り、佐藤康光八段と戦っているうちに、じわじわと調子を戻してきたとも考えられる。
そういう意味では、「羽生王位はやはり不調なのではないか」という佐藤康光八段の思いは、最初のうちは当たっていた可能性が高い。