数多くの虫の襲来と大逆転があった名人戦

将棋マガジン1995年6月号、毎日新聞の加古明光さんの第53期名人戦七番勝負第1局〔羽生善治名人-森下卓八段〕観戦記「一瞬の大逆転」より。

名人戦第1局。将棋世界1995年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

 劇的な(というには、森下に気の毒な感じもするが)フィナーレから記す。ずいぶん長く盤側にいるが、こんなのは初めてだ。

 対局場は、取材本部のあるホテル、京都宝ヶ池プリンスホテルから少し離れた純和風の「茶寮」だった。本部には、むろんモニターテレビが入っており、盤面の進行は分かるのだが、取材には一手一手の消費時間を記入した速報用紙も必要だ。

 だが、本部から対局室を往復するには、かなりの時間がかかる。そこで「茶寮」の厨房にファックスを設け盤側にいる私が、内線電話で指し手を送ることにした。当然、控え室の形勢判断は私のところに伝わってはこない。それでも、ヘボの私にして羽生の劣勢は感じた。

 メモにある―「8:30。両手を合わせアゴの下につけて、イヤイヤ風のしぐさ。盤上の不利を認めているよう」「9:42。残り20分の声に、小さく『ハイ』。顔にも疲労の表情がある」「9:58。残り15分には返事なし」……。

 豊富な持ち駒を使って、森下が100手目△7九銀と反撃を開始した(A図)。これが午後10時を回ったころ。

 角筋が利いて駒台には飛車もある。一見して寄せの態勢だ。控え室では、おそらく「森下、勝ち」を断言したのだろう。ホテルに待機するカメラマンが出てくるのが雪見障子ごしに分かる。

 ところが、その8手後、信じられないような局面が生じた。B図の△8三桂。

 この一手で第1局はひっくり返ったのである。もっとも、ヘボたる私は、これを「待ち」と見た。森下の顔が、このあと紅潮してくるのも「勝ち」を目前にした高揚の表れだろうと思っていた。

 さらに、もう一つ「ところが」…。寄せていたはずの森下が、羽生の▲8六玉を見て頭を下げたのだ。こんな驚いた終局を経験したことがない。記録係の今泉三段が「羽生名人の勝ち」と記録用紙に記入するまで、私の手も止まっていた。

 対局場の外で「森下、先勝」を信じて疑わなかったカメラマンの中には、レンズを森下に向けたのもあったというから、いかに意表の終局だったかお分かりいただけよう。

 あの紅潮は、ミスを悟った悔しさだったのだ。森下の心中、察して余りある。勝ったものの、羽生にも嬉しさはない。「どこで投げようか」と思っていた将棋が、相手の最後の最後のミスで転がり込んできた。嬉しさより「勝ってすみません」の気持ちがあったのではなかろうか。

 通常、1時間以上続けられる検討は30分足らずで終わった。続ければ森下のキズをえぐることにもなる。こんな通夜のような感想戦を初めて経験した。ともあれ、第1局を振り返る。

 20代の両対局者は、4月6日、新幹線「のぞみ」に同乗して京都に向かった。別行動をとる例が多い昨今で珍しいケースだ。もっとも両者を並べて座らせるのではない。

(中略)

 取材本部はホテルにあり、対局者ともども対局開始の時には出向かねばならない。ホテルのロビーに、出入りする対局者を見ようと若い女性が待機しているあたりが時代の流れを感じさせる。10年ほど前には考えられなかったことだ。

 6日の前夜祭は有料だった。その参加者とホテルに宿泊した人に対局開始時、観戦してもらった。ここでも女性ファンの多さに驚いた。さらにびっくりしたのが羽生の和服。薄いベージュの羽織にウグイス色の袴、羽織のヒモも鮮やかなグリーン。まるで新郎のようだ。対する森下は紺緑の羽織で、ぐんと対照的。しかし、申し合わせたようなこのコントラストには「おぬしら、やるのう」と思わざるを得なかった。

名人戦第1局。将棋世界1995年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

(中略)

「茶寮」では、一人の女性が両対局者を接待している。23歳の鈴木暁子さん。この「茶寮」専属の女性だという。普通、こうした接待係は「緊張して…」と言うものだが対局者と世代的に似ているのか「もっとピリピリするものかと思っていましたが意外に気さくなところもある人なんですね」。ここにも、フレッシュ対決と同世代の雰囲気があった。

(中略)

 2図の▲8八玉まで、谷川-南戦とまだ変わらない。ここで羽生が1時間近く考えたのは、封じ手を相手に渡そうとする気があったのだろう。過激な手を指せば、封じ手に苦慮しなければならないし、1日目の夜ものんびりできない。ここらが盤外の駆け引きである。

「このまま森下が封じるだろう。封じ手は△4四銀」。控え室が断定する。2日目は、その予想通りの封じ手開封で始まった。

 前日のポカポカ陽気で、周辺の桜が一気に開花したような洛北の里。近くに宝ヶ池があり、ボートで楽しむ家族連れなどが花見を兼ねている。この日は、土曜日の大安吉日だ。ホテルは朝から礼装、礼服に身をかためた人が出入りして結婚式ラッシュである。

(中略)

 昼食休憩時にホテルに戻る森下に結婚式の話をすると「この格好だったら結婚式にまぎれこんでもおかしくないですね。いい花嫁がいたらさらっちゃおうか」。

 余裕とみた。

 2日目の午後。もうゴールに向かって走るしかない。攻め合いだ。角を交換した森下は、満を持したように△8六歩と玉頭に一本入れた。自信に満ちた手つきだった。事実、控え室でも、このあたりから森下を持つ声が多くなった。

 夕食に「天ぷらうどん」を昼に続いて注文した森下(接待の女性いわく「よほど天ぷらうどんが気に入ったようですね」)△3六歩と伸ばしてと金づくりを狙う。

(中略)

名人戦第1局。将棋世界1995年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

 森下の押し気味の夜戦。ここでハプニングが起きた。思えばこれが終局直前の大事件につながったのか。

 室内にはテレビカメラが盤上、盤側2台置かれている。そのケーブルを室内につなぐためにわずかだが、障子に隙間があった。この間からブヨなどの小虫が入り込んできたのだ。「茶寮」の周囲は自然林。前は池。しかも室内はテレビ用でライトは明るい。小虫はみるみるうちに増え始め盤上でダンスをする始末。「こりゃ駒より多い虫ですね」と森下が悲鳴をあげ、係の女性と対局中の場で拭き取り、隙間に紙で目張りをした。生中継していたテレビが、どこまでこの場面を映していたかしらないが、とんだハプニングだった。

(中略)

 局面は、飛車を手にした森下の反撃が明瞭、明確になってきた。羽生の攻めを跳ね返して竜を遠ざけ△7九銀(A図)となったところでは、はっきり森下有利。

 痛恨の失着になったのが、B図の△8三桂だった。

 ここで△9五金としておけば、一手勝ちの最も明快な勝ちだった。また△6七飛成▲8六玉に△8三桂でも勝ちは動かなかった。おそらく、羽生も△9五金と打たれたら投了するつもりだっただろう。それが手順前後の桂打ちで、羽生に▲7五歩が生じた。この瞬間、将棋は逆転した!もう先手陣が詰まない。ここで盤側の描写は冒頭に移る。

(中略)

 皆、興奮していた。有吉九段は「こんな逆転は、43年前の木村-升田戦以来じゃないか」という。この時も桂がからんでいた。観戦子として、森下の顔を見るのにしのびなくなった。こんな終局は盤側でもつらい。

 しかし、打ち上げに臨んだ森下はいつもの森下に戻っていた。願わくが、この一局のショックは、ここだけで忘れてもらいたい。

 森下は翌日「円山公園の桜を見て帰りますから」と単独行動をとった。羽生も単独に京都を離れた。両者にどんな感慨が残ったのだろう。

(以下略)

名人戦第1局。将棋世界1995年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

名人戦第1局。将棋世界1995年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

名人戦第1局感想戦。将棋マガジン1995年6月号より、撮影は中野英伴さん。

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「6日の前夜祭は有料だった。その参加者とホテルに宿泊した人に対局開始時、観戦してもらった。ここでも女性ファンの多さに驚いた」

羽生善治六冠・七冠フィーバーは1995年から1996年にかけてずっと盛り上がっていたけれども、羽生六冠の女性ファンにとっては、この頃がピークだったのかもしれない。

この年の3月に行われた羽生五冠の棋聖就位式には150人の女性ファンが訪れたが、羽生六冠婚約発表後の秋に行われた棋聖就位式に参加した女性ファンは10人未満だったという。

羽生善治六冠(当時)の婚約前と婚約後

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「この格好だったら結婚式にまぎれこんでもおかしくないですね。いい花嫁がいたらさらっちゃおうか」

非常に面白い発想のジョークだ。面白い。

しかし、洋装の結婚式をしているところにまぎれこむと、ひと目でよそからやってきたとバレてしまう。

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「角筋が利いて駒台には飛車もある。一見して寄せの態勢だ。控え室では、おそらく「森下、勝ち」を断言したのだろう。ホテルに待機するカメラマンが出てくるのが雪見障子ごしに分かる」

「ところが、その8手後、信じられないような局面が生じた。B図の△8三桂。この一手で第1局はひっくり返ったのである」

誰もが驚いた大逆転。

有吉道夫九段の「こんな逆転は、43年前の木村-升田戦以来じゃないか」の言葉の通り、インパクトの大きい逆転だった。

現在の中継なら、コンピュータソフトによる評価値が、99:1から2:98に一気に変わってしまうような瞬間だ。

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「羽生にも嬉しさはない。『どこで投げようか』と思っていた将棋が、相手の最後の最後のミスで転がり込んできた。嬉しさより『勝ってすみません』の気持ちがあったのではなかろうか」

羽生六冠は将棋世界でこの対局の自戦記を書いているが、負けが決まっていた将棋を勝ってしまったという思いと森下卓八段(当時)への気遣いの両面があったからか、この逆転劇については非常にさらりと触れられている。

羽生善治名人の非常にさりげない自戦記

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「小虫はみるみるうちに増え始め盤上でダンスをする始末」

「虫が多い」とだけ聞くと、なるほどそうなのかで終わってしまうが、「こりゃ駒より多い虫ですね」と聞くと、途端に生々しさが伝わってくる。

想像しただけで、気味悪さが頭の中を駆け巡る。

この虫たちが森下八段の感情と思考にわずかでも影響を及ぼした可能性は十分に考えられるかもしれない。

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森下卓八段(当時)痛恨の△8三桂 =第53期名人戦=

名人戦、盤上を覆う虫たち

 

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