末席幹事 のすべての投稿

「谷川さん、妬かないかしらね」

将棋マガジン1990年5月号、中平邦彦さんの第8回全日本プロトーナメント〔羽生善治竜王-谷川浩司名人〕決勝第2局観戦記「頂上決戦は対スコアに」より。

 将棋界が本当の意味で変わろうとしている。

 若さの奔流が、音立てて流れて、その勢いをもう誰も止められない感じがする。ソ連や東欧の激変、誰もついこの前まで予想もしなかった国際社会の枠組が変わるのに似ている。それがいい方向に向かうかどうかはわからないが、激動を自分の目で見ることができる幸せを思う。

 谷川名人と羽生竜王。

 将棋界の激動を代表するチャンピオンは、この二人以外にあるまい。この二人が、いつ”本気”で激突するか。それは、すべての将棋ファンが思い続けた夢だった。

 しかし、片や名人、片やB級2組の六段ではつまらない。強い、強いと言われた羽生が一日も早く谷川と肩を並べる地位に来て、正面からガツンとぶつからねば面白くない。

 そんな一日千秋の思いが全日プロで実現した。羽生はもう、名人と肩を並べる竜王である。タイトル戦ではないが番勝負、しかも、谷川の独壇場の棋戦だ。互いに負けられぬ意地の激突は必至である。

『今、タイトル戦で一番対局したい相手は、と聞かれれば、羽生六段とためらわずに答えるだろう』

 羽生竜王誕生で出版された将棋世界増刊号で、谷川名人が書いた文章である。ほほうと思った。内容にではない。行間から漂う意気込みを感じたからだ。

 大山、中原、谷川の三名人が見た羽生善治の原稿なのだが、大山、中原の場合はある一定の距離感が感じられるのに、谷川だけが乗っ込んでいるといおうか。ともかく、真正面から「わが敵、いざ」と対峙している感じがある。

 年齢が近いこと、これから気の遠くなるほど長年月、組んずほぐれつの激闘をやる立場もあるだろう。しかしそれだけではない何かがある。どう言えばいいか。鋭く尖った闘志ではなく、生涯の好敵手を得た、わくわくするようなおののきといおうか。

 谷川は羽生の「大物」ぶりも面白く書いている。将棋まつり席上対局の直前なのに、羽生が先崎と楽しげに囲碁を打ったこと。竜王戦のえぐい勝負の最中に欠伸をしていたこと。奔放ともいえるが、まだ子供といっていいその行動に少々あきれながら、大勝負にあがらない資質を見抜き、自分の過去も思っていたのではないだろうか。谷川もまた、大勝負ほど強かった。羽生をとりまく、そんなわからない部分、わかる部分を、多分、谷川は他の誰よりもわかっている。そんな気がする。

(中略)

 さて第2局は大阪の料亭「芝苑」。地元関西であり、谷川はここでまだ負けたことがない。谷川には好条件がそろっているが、羽生の強味は、実はそういった悪条件下で無類の強さを発揮する点にある。

(中略)

 2図で昼休みである。

 再開5分前に谷川は現れたが、羽生がなかなか来ない。朝から報道陣が多く、テレビ取材も2社あった。残った民放テレビは4月放送の特番を組むべく、羽生を追っていた。これまでならテレビは大抵谷川を追ったが、10代竜王は絵になるのだ。

「芝苑」の若女将で将棋三段、谷川ファンの久島真知子さんがこんな冗談を言った。

「谷川さん、妬かないかしらね。怒ったりしたら損して負けるわよ」

 羽生、急ぎ足で登場。テレビライトの中、高い駒音で▲8四飛。

(以下略)

東京・広尾「羽澤ガーデン」での第1局。昼食時、報道各社の注文に応え、縁側に出た両対局者。将棋マガジン1990年5月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。
着付けを手伝ってもらっていた時代。将棋マガジン1990年5月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

「ソ連や東欧の激変、誰もついこの前まで予想もしなかった国際社会の枠組が変わるのに似ている」

この文章が書かれた1年半後、1991年11月にベルリンの壁崩壊、12月にソ連が崩壊している。

1990年時点では、ソ連や東欧が変わるとしても、ソ連の崩壊、ベルリンの壁崩壊まで至るとは予想されていなかったと思う。

そのことと同様に、将棋界も、1990年のこの時点では谷川-羽生という図式を激変の後に訪れる姿として多くの人が考えていたかもしれない。

しかし、この後に佐藤康光九段、郷田真隆九段、村山聖九段、森内俊之九段、藤井猛九段、丸山忠久九段の順にタイトル戦に登場、そして羽生善治九段は七冠達成と、羽生世代の棋士が猛烈な活躍をすることになる。

激変は、常に想像を上回るものなのかもしれない。

 

丸山忠久新四段(当時)「読書は嫌いですが、将棋の本、特に詰将棋はよく見ます。あれは、読書というより、図形の問題をやっているようなものですから」

将棋マガジン1990年5月号、駒野茂さんの「三段リーグ&奨励会NEWS」より。

昇段者の紹介

 丸山忠久新四段は早稲田大学社会学部在学中(1年)。

 大学生なら、友達に誘われて色々なスポーツ、趣味をこなすだろうなぁ~、と思って聞いてみたら、

「ない!」

 の一言。じゃ読書や音楽鑑賞は?に、

「特に音楽は聞きません。読書は目が疲れるからしません」という返事だった。

 丸山新四段は、対局(月4局)以外実戦を指さないと言う。それでこの強さは、どこに秘密があるのだろうか。

「読書は嫌いですが、将棋の本、特に詰将棋はよく見ます。あれは、読書というより、図形の問題をやっているようなものですから」

 将棋を図形と見る、それが丸山将棋の真髄だったとは。

(以下略)

将棋マガジン、同じページに掲載の写真

* * * * *

奨励会時代、月4回だけの実戦(=奨励会例会)でこれほど強くなるのだから、理屈抜きでとにかくすごい。

将棋を図形と見ることよりも、(将棋一筋+大学の勉強も真面目にやる)というストイックさが強さの源泉のような感じがする。

* * * * *

図形の問題も目が疲れると思うのだが、そうならないということは、図形が絵画のように見える境地に達していると考えることもできそうだ。

* * * * *

数学は好きだったし大学も数学系の学科を卒業しているが、補助線を引くような幾何学の問題は昔から苦手だった。

補助線は霊感を持っていなければうまく引けないのではないかとまで思っている。

もしかすると、この辺が将棋が強くならない遠因なのかもしれない。

* * * * *

丸山忠久九段は郷田真隆九段と同じ日に四段になっている。

1990年3月、郷田真隆四段誕生の日

「将棋の名人になる人には奇跡が起こっているような気がします」

近代将棋1985年3月号、「名棋士と語ろう 大内延介九段の巻」より。聞き手は小杉英夫さん、金子猛雄さん。

小杉 大内さんは週刊誌に、木村十四世名人が揮毫した「書」について尋ねたけれども、うまい具合にはぐらかされてしまった、という内容のエッセイを書いておられましたね。

大内 ええ。

小杉 私も木村名人に、他の教員と3人で揮毫をお願いしたことがありまして。その文字が今はっきり憶い出せないのですが、難しかった……。

大内 難しいのですよ、木村名人のは。名人は中国の歴史などをお調べになっているから、故事にならった言葉などが出てきましてね。おっしゃられたことはその通りで、私が質問しても答えてくれなかった。読めないのですよ。(笑)私の木村名人の思い出といいますと、まず小学校4,5年の時ですが、将棋大会に優勝して頭を撫でられて、「頑張りなさい」と言われました。それが強烈な印象ですね。もう一つ、私が奨励会の時に、引退された名人と二上七段(当時)の対局があって記録係を務めたのですが、その折に「君は誰の弟子だ」と訊かれました。「土居先生です」と答えたのですが、そしたら「人様に自分の師匠を言うときは、土居です、でいい」と怒られた。ですから誉められたことと怒られたことがありまして。(笑)江戸っ子でしてね、しゃべる口調が私と似てます。

小杉 共通していますよ。

大内 歯切れがいいですね。江戸っ子らしく見栄っ張りで、その見栄っ張りのところが現在の将棋界の土台になっていると思います。例えば相撲も桝を持っていたりしてね。収入を全部将棋の社会的格上げのために費やしたのでしょう。僕は非常に尊敬しています。

(中略)

金子 大内先生の修行時代に辛かったことというと、どのようなことでしたか。

大内『僕は楽天的な方で、それほど辛かった思い出はないのですが、強いて言えば三段から四段になる時です。3年ちょっとかかりましたね。現在よりもはるかに厳しい予備クラス制度というのがありましたから。これは東京と大阪のそれぞれの奨励会で三段リーグを行い、優勝者同士の決戦によって勝者が一人だけ四段になれるものでした。例えば11勝1敗の成績をあげても、12連勝の人がいればその年は駄目だというわけで、実に過酷な制度です。その頃は、将棋連盟というのは随分みみっちい制度を作るな、と思ってましたよ。つまり、才能があって強い人はどんどん上がれる制度にするのが本当で、こんなことではいまに将棋界が滅びてしまう、というわけです。で、六段になって奨励会幹事になった時、亡くなった山田道美さんと二人で改革しました。9勝3敗とか12勝4敗とか、7割5分以上の勝率をあげれば昇級しても不思議ではなかろうとの考えのもとにね。それで今、奨励会員が百何十人にもなりました。僕らの時は2、30人でしたよ。ピラミッド形というか、三角形の底辺の拡がりが大きければ大きいほど、その社会は脚光を浴びるのですから。

(中略)

金子 昭和50年の名人戦では大内先生が中原名人に挑戦されて、最後、新名人誕生間違いなし、という局面になりましたね。それを落としてしまったわけですが、時間が経った現在の感想はどのようでしょうか。

大内 あれから人生が狂っちゃいましたよ。(笑)運命論者ではないのですが、人生というのははじめから決まっているのではないか、との気持ちにあの頃なりましたよ。ゴルフで言えば、目をつぶっても入る10センチのパットをその時に限って失敗したわけで、こういうのは実力とか何とかではない別の何かの作用ではないか。こう思ってちょっとぞっとしました。

小杉 関根十三世名人以降、木村、塚田、升田、大山、中原、加藤、谷川、各氏それぞれはじめから名人になることが決まっていた……。

大内 そう、運命的にね。雷電為右衛門があれほど強くても横綱になれなかった……。

(中略)

大内 名人の交代劇というのは、結果から見るといとも簡単に行われたようでも、内容は実にドラマチックですよ。大山さんが中原さんに奪られた時も、精密機械と言われた大山さんが終盤でとんでもない錯覚をしていました。あの大山さんが、と考えると、将棋の技術では割り出せないものを感じます。またそのシリーズでは、最後の二番、何故か中原さんが普段指さない振り飛車をやった。

金子 私もよく憶えておりますが、最終局は定跡書に書いてある通りの形になりましたね。私達アマチュアから言えば、中原さんは居飛車で勝てなくて、たまたま振り飛車にしたら勝った、との感じを持ちました。

大内 そうそう。得意な居飛車を止めて振り飛車で名人戦を戦う、というのはちょっと考えられないでしょ。非常に無欲で、今回は勉強させていただくという気持ちで指していたのだと想うのですが、それによって大山さんが転んでしまった。しかも大錯覚で。これは将棋界の奇跡ではないでしょうか。宗教の方を見れば、空海にしろ日蓮にしろ、キリスト、釈迦にしろ、皆奇跡で人を救ったり国を動かしたりしています。同様に、将棋の名人になる人には奇跡が起こっているような気がします。

(中略)

小杉 木村名人の読書好きは有名ですね。一方、大山名人や中原名人はその道一筋ではないでしょうか。

大内 そういうところがありますね。その一筋が偉さですよ。宗教で言えば、煩悩を断ち切って修行にひたすら邁進するわけです。すべて煩悩との闘いでしょうが、これに打ち勝つのが大変なことで、打ち勝った人がその道で一流になっていますね。その点僕は落伍者です。

金子 そんなことはありませんよ。ところで、ゴルフの集中力も将棋のそれも突き詰めれば同じことではないでしょうか。

大内 似てる部分もありますが、将棋とゴルフは異質なものでしょうね。ゴルフの集中力は一時的なものですが、将棋はトータルなものですし、それにゴルフの明るさに較べて将棋は陰湿ですよ。

金子 ゴルフも集中している状態だと、長いパットが入ったりします。局面に埋没している時に好手を発見するみたいで……。

大内 もちろん共通する部分はあります。僕も山に登りますが、山はもっと将棋に似ていますよ。登っている時には様々な雑念が頭を掠めて行きます。頭の中に去来することを考えながら登って行くわけで、そこに昔の修験者が山に登るということの哲学もあったのではないでしょうか。ゴルフに哲学はありませんね。逆に何も考えさせないスポーツがゴルフのわけで、そこにゴルフの良さがある。将棋では、専門家なら局面を一目見てパッとわかるのですが、そこでいろんなことを考え、大長考して悪手を指すことがある。ノータイムで好手を指すのがゴルフの世界で、長考してポカをするのが将棋。

(中略)

大内 集中力という物事を煎じ詰めるようなイメージですが、本当は「無」という状態だと思います。相撲取りが大技を放って勝った後アナウンサーに、あそこでどうしましたか、とインタビューを受けて、いやあ、何も覚えていません、と答えることがよくありますが、あれですね。これは身体に備わっているものが、いざという時に出てくるわけで、普段の生活や修行によるものです。人間的なことは別にして、こと将棋ということでは、こういうことをずうっとやり遂げている大山さんや中原さん、若手では田中寅彦君みたいな行き方が一番素晴らしいのでしょうね。その点僕は野次馬で駄目なのですよ。

(中略)

金子 最近穴熊はどうですか。

大内 少ないですよ。西村さん、剱持さん、また居飛車穴熊では田中寅ちゃんとか、大勢穴熊をする人が出て来ましたから。こうなっては他のことをした方がいい。(笑)ただ、僕は穴熊が好きでやったわけではありません。以前は振り飛車は大野(故人・九段)の専売特許でした。そこに松田(九段)流ツノ銀中飛車が出て、あとの人はまず居飛車しか指しませんでした。腰掛け銀が全盛の時代でね。そんな時、大山、升田両名人が振り飛車をやり出した。強い人がやるから振り飛車の勝率が上がります。そうなると、それに対抗して居飛車の新戦法が登場してきました。5七銀左とか玉頭位取りとかね。で、玉頭位取りは美濃囲いに強いことが判って来まして、今度は振り飛車側が穴熊という新対策を採用するようになった。技術の進歩というのはこのように相対的なものです。そして振り飛車穴熊を居飛車が負かそうと、左美濃とか居飛車穴熊が出て来た。今はそういう時代です。

金子 穴熊はしなくても、やはり振り飛車が多いですか。

大内 多いですね。一つ大野先生の言葉で、印象深いものがあります。僕が記録係を務めていた時に聞いたのですが、俺は振り飛車だと思われているが矢倉だってやるよ、しかし家を出る時に”大野流三間飛車で勝ってください”とのファンレターを読むと、どうも居飛車はできん、とね。これはすごいプロ根性です。感動しましたよ。僕が飛車を振る理由の中には、大野先生に続く振り飛車党がいなければ駄目だ、との気持ちもだいぶあるのです。僕だって矢倉も他の戦法もできますよ。(笑)それと、修行時代に松田先生に一番よく教わりましたから、これも大きな要素ですね。

(以下略)

* * * * *

対談をしたい希望の棋士名を書いて読者が対談応募をする企画。

小杉さんは元小学校校長、金子さんは繭生糸問屋を経営。

* * * * *

大内延介九段が奨励会時代に「人様に自分の師匠を言うときは、土居です、でいい」と木村義雄十四世名人に叱られたことは、4月7日のブログ記事でも取り上げている。

木村義雄十四世名人「酒が好きで、女が好きで、バクチが好きなら、最低でも八段になれる」

* * * * *

「六段になって奨励会幹事になった時、亡くなった山田道美さんと二人で改革しました。9勝3敗とか12勝4敗とか、7割5分以上の勝率をあげれば昇級しても不思議ではなかろうとの考えのもとにね」

この対談は、現在の三段リーグの制度(1987年度から)ができる前のこと。

本当は、この大内・山田方式が続けば良かったのだろうが、奨励会員の人数が増えるとともに四段昇段者が更に増えることが予想され、財政面から三段リーグに変わったのだと考えられる。

(大内・山田方式だった時代の四段昇段者の人数)

  • 1974年度 3人
  • 1975年度 8人
  • 1976年度 7人
  • 1977年度 1人
  • 1978年度 4人
  • 1979年度 4人
  • 1980年度 8人
  • 1981年度 5人
  • 1982年度 5人
  • 1983年度 4人
  • 1984年度 6人
  • 1985年度 6人
  • 1986年度 7人(5月の森内俊之四段を入れると8人)

* * * * *

「ゴルフで言えば、目をつぶっても入る10センチのパットをその時に限って失敗したわけで、こういうのは実力とか何とかではない別の何かの作用ではないか。こう思ってちょっとぞっとしました」

ゴルフの世界で「オーガスタには魔物がいる」という言葉があるように、「名人戦には魔物がいる」ということができるのだろう。

「将棋の名人になる人には奇跡が起こっているような気がします」

名人に挑戦した棋士だからこその実感。

* * * * *

振り飛車名人・大野源一九段は、戦前は居飛車を中心に指していた。居飛車で八段になっている。

戦後、持ち時間が短縮されたのを機会に、序盤に時間を使わなくて済む振り飛車を指すようになった。

江戸時代以来、振り飛車は受けに徹して相手が間違うのを待つ消極的な戦法だったが、大野九段は独自の工夫を加えて「攻める振り飛車」を確立した。

「”大野流三間飛車で勝ってください”とのファンレターを読むと、どうも居飛車はできん」

中学生の時、地元紙は最強者決定戦(棋王戦の前身)を掲載していた。

待ちに待った大野八段(当時)が紙面に登場した時のこと。

大野八段先手(後手は板谷進七段・当時)で、▲7六歩△3四歩▲6六歩△4二玉

すると大野八段はなんと▲2六歩。

板谷七段が振り飛車と決め打ちして△4二玉と早く上がったのが、大野八段の反骨精神を燃え上がらせたのだろう。急遽居飛車にしたのだった。

大野ファンである私は、全身から血の気が引くような感じがした。

まあ、この対局を大野八段が勝てば、次は振り飛車にしてくれるだろう、と思って毎日観戦記を見ていたのだが、結果は大野八段の負け……

かなり落ち込んだ思い出がある。

”大野流三間飛車で勝ってください”というファンレターを出す人の気持ちが本当によくわかる。

 

「羽生は、勝負のオニだ」

将棋マガジン1990年5月号、「ドキュメント’90 第48期順位戦最終局」より。

 3月6日。C級1組順位戦は大詰めを迎えた。昇級者2名のうち、1名はすでに羽生と決定。残る1名を目指しての争いは、ここまで1敗を保持してきた森下と2敗キープの土佐にしぼられていた。

 1敗の森下は、もちろん自力であるが、最終局の対戦相手は、あの羽生である。第9戦で、羽生は泉に土をつけ、泉の昇級の望みを断ち切った。自らの昇級が決まっていて、対泉戦は羽生にとってはいわば消化試合であっただけに、千日手2局を作ってまでも泉を負かしに行った羽生を見て、控え室の面々は、「羽生は、勝負のオニだ」と、うめいたものだった。

(以下略)

* * * * *

C級1組順位戦ラス前、羽生善治竜王-泉正樹六段戦(タイトル・段位は当時)が行われる直前は、

羽生善治竜王(8勝0敗、2位、昇級が既に決定)
森下卓六段(7勝1敗、20位)
泉正樹六段(6勝2敗、3位)
土佐浩司六段(6勝2敗、15位)

という状況。

泉六段にとってラス前は、まさに負けられない一戦。

このような中、羽生竜王が千日手2局を経て泉六段に勝ったのだから、「羽生は、勝負のオニだ」と言われるのも無理はない。

ラス前が終わって、

羽生善治竜王(9勝0敗、2位、昇級が既に決定)
森下卓六段(8勝1敗、20位)
土佐浩司六段(7勝2敗、15位)
泉正樹六段(6勝3敗、3位)

となり、泉六段の昇級の可能性がなくなった。

* * * * *

最終局、羽生竜王は勝っても負けても、翌期のB級2組での順位は変わらない。

そして、森下六段に勝って、結果的に森下六段の昇級を阻んだ形となった(土佐六段は最終局に勝ち昇級)。

控え室では、ラス前の時の「羽生は、勝負のオニだ」から更にエスカレートして、「鬼だ」「人間じゃない」などの声があがったという。

血涙の一局

* * * * *

よくよく見てみると、土佐六段も6戦目で羽生竜王に敗れている。

昇級の目があった泉六段、森下六段、土佐六段の全員が羽生竜王に敗れているわけで、実際には羽生竜王は3人の中の誰の得になることもやっていないし、相対的には誰の損になることもやっていないことになる。

同じ勝ちでも、タイミングの違いによってドラマになったりならなかったりする好例かもしれない。

* * * * *

将棋マガジン同じ号の「対局日誌」に掲載された羽生-森下戦の局後の写真

 

「屋敷、井上が決まり、後は中田宏か沼」

印象的な物語のような展開。

将棋マガジン1990年5月号、「ドキュメント’90 第48期順位戦最終局」より。

 3月13日、C級2組順位戦最終日。この日、56人という大所帯の成績のすべてが決まり、来期の自分の位置が確定する。

 棋士の大晦日にたとえられる順位戦最終日。いい正月を迎えられる可能性があるのは、上から中川、中田宏、屋敷、以上8勝1敗。井上、沼、神崎、以上7勝2敗。

 イキのいい若手に混じって、40代の沼の健闘が異彩を放っている。

 1敗の3人にしか自力はないが、井上と沼は順位が上まので、勝てば昇級の可能性は高い。順位の悪い神崎はよほど展開に恵まれないと難しいという状況。

 午前10時開始。東京千駄ヶ谷の将棋会館の対局室は、C2順位戦一色。

 モニターテレビに映る、特別対局室の最上座を、和服に威儀を正して占めているのが、佐瀬勇次八段。今期は9敗と、片目も開かない成績で既に降級点も決定している。

 やる気なしでもおかしくないが、この最終戦の対屋敷戦には期するものがあった。これにピンときた人は相当な事情通。

 昇級戦線に残っている沼は、佐瀬の弟子で娘婿。中川は孫弟子にあたるという関係を知れば、合点がいくと思う。屋敷に遺恨はないが、佐瀬一門の総帥としては、二人のライバルを倒して援護射撃をしたいところで、”ハイ、お通り下さい”とはいかないのだ。自力のない沼にとっては値千金だし、中川にとっては、負けて2敗となっても昇級の可能性が残っているだけに、この援護射撃が決まれば大いに助かる。

 持ち時間6時間の順位戦は、陽が落ちて夜戦に入ってからが本格的な勝負だ。夕休過ぎになると、明かりに吸い寄せられる昆虫のように、記者室に人が集まって検討が始まる。

 今年は例年に比べて、人の集まりが少ないように見える。1敗陣の中川、中田宏、屋敷の3人が手厚いので、波乱の目なしと思われているのかも?

 井上-大野戦。大野の四間飛車に対して、井上は居飛車穴熊。これを見た大野も穴熊に入る。しかし開戦後、井上にさばかれて、大野圧倒的不利。自陣飛車を放って必死に防戦したが、好転のきざしがない。

 井上は毎年好成績だが、いつもいいところで脱落している。昨年は最終局の昇級の一番、大ポカで敗れて涙をのんだ。プレッシャーに弱いタイプと見られていたが、今回の将棋は逆転の余地がないだろうというのが、記者室の診断。

 70歳と18歳、現役最年長と最年少の対戦なのが、佐瀬-屋敷戦。佐瀬は序盤、積極的に動く。勝負所では1時間半の長考と、若手顔負けの奮闘ぶり。しかし、大器屋敷の強烈なパンチが炸裂して、形勢は芳しくない。それにもめげず、佐瀬は粘る。

 息の抜けない好勝負を展開しているのが、中川-沼戦。

  ▲2六歩△3四歩▲7六歩△4四歩の出だしは、後手の沼がいわゆるウソ矢倉に誘導しようとしたもの。しかし、矢倉が好きでない中川は、すぐ▲2五歩△3三角と決める。

 矢倉ができなくなった沼は飛車を振るのだが、今度は中川の居飛穴を牽制するために向かい飛車に。

 昇級のかかった勝負とあって、いろいろな思惑がからんだ序盤だ。

 結局、沼は△3二金型の向かい飛車作戦から、△4五歩(1図)と元気よく開戦した。

 2図は夕休に入った局面で、△6六角成の王手に▲7七桂と受けたところ。

 まだまだ難しいながらも、若干後手が指せているのでは、というのが検討陣の意見。

 夕休後まもなく、「指しましたよ。ビックリしたなあ。△2五飛ですよ」と、既に対局が終わっている先崎四段が、指し手を伝えに記者室に入ってきた。

 2図で△4四銀▲7五角成△同馬▲同歩△3八角と飛車をいじめたいというのが、普通の発想。もちろんこれも沼の読み筋で、以下▲2八飛△5六角成▲5七金△2七歩▲5六金△2八歩成▲6六角というような進行に嫌なところがあるので、やめて△2五飛のぶつけを選んだのだ。

 ただ下手すると、△2五飛はいっぺんに負けにしかねない過激な手。

「△2五飛とは、ふるえてないね」

「いや。ふるえまいと意識しすぎて、じっとした手が指せない、逆ふるえがあるんだよ」

 予想と違った展開に、記者室の検討も熱を帯びてきた。進行につれて、沼よしの声が出始めた。

 有力検討陣の青野八段、羽生竜王も同意見なのだが、”私が指せば”という言外の意味が込められている?ので、まだまだ断定できない状況だ。

「沼さんがいいじゃないですか。勝ちですよ」と、対局が終わったばかりの小林宏五段が記者室に入るなり、きっぱりした口調で言った。

 前期のC2最終局、8勝1敗という成績で、勝てば昇級だった沼の前に立ちはだかったのが、小林宏である。14年ぶりに巡ってきたチャンスを打ち砕かれた沼が再び、最終局で望みをかけて戦っている。これが小林にとって嬉しくて声援したかったに違いない。

「こんなチャンス二度とない」と言っていた沼が、続けて昇級に挑んでいる。しかも、いい将棋を指している。記者室のムードは次点バネの沼の肩を持つ声で占められた。

 3図は、7六にいた馬を香で取った局面。

 中川は馬を犠牲に、と金を作って後手玉に迫る。次の一手は当然▲5二と。この時の指し手が難しいと見えた。△同香は寄ってしまうし、手抜きで寄せ合うのは後手足りない。”逆転”かの声があがったが、落ち着いて△5二同金という手があった。▲7一銀と打たれるが、△9三玉と上がって、上部に金が頑張っているので、寄りがない。

 実戦は△9三玉以下、▲2二竜△8六桂▲2五竜△7八桂成▲同金△7七香成▲同銀△9六桂。いよいよ寄せに入った。

 寄せ手順がくまなく調べられる。間違えなければ寄せ切れるという結論が出た。沼にとって幸運なのは、中川が残り2分なのに対して、1時間近くも時間を残していること。

 関西で行われている、中田宏-伊藤博戦の動向が気になるのだが、どうしても関西会館との連絡がとれない。ギャラリーのイライラも増す。

 11時27分、井上勝ち。後はキャンセル待ちだ。

 佐瀬-屋敷戦は、佐瀬が時間いっぱい使って頑張るが、形勢は絶望的。籠城して奮戦する老将を思わせる。

 富岡六段が佐瀬側をもって、しつこく抵抗していたが、サジを投げてしまった。

 11時49分、屋敷勝ち。昇級一番乗りである。必勝になっても、浮ついたところもなく、腰を落として寄せ切った。こういう点が大器と呼ばれる所以であろう。

 0時6分、ヨレながらも沼がゴールイン。この時点で井上の昇級が決定。

 音信不通だった関西会館と連絡がとれた。中田宏優勢だった将棋がもつれて、現在進行中。どちらが勝つか分からないという情報が入る

 中川-沼戦と同じ頃、隣の桐谷-木下戦も終わった。中川-沼戦を取り囲んだ取材陣に、桐谷が他の結果を尋ねたのに対して、「屋敷、井上が決まり、後は中田宏か沼」と手短かの応答。

 中田宏-伊藤博戦にすべてをゆだねることになった沼。次報が入るまでの時間、長い長い時間に感じられたに違いない。

 感想戦の途中で、伊藤博勝ちの報が入った。沼の昇級決定だ。これを伝えても、「ええ!? 本当なの」をくり返し、信じられないといった顔の沼。電話で確認した旨を話しても「ガセネタじゃないの?」と顔のこわばりは消えない。

 選挙の当確情報で、バンザイをした後に、当確が消えた例もあることだし、無理もないところか。また、昇級を逸した中川の無念さを思えば目の前で大喜びもできないのだ。

 それでも、次第にこわばりもほぐれて、笑みが洩れる。信じられる頭の状態になったようだ。

 前期の最終局の光景がオーバーラップしてきた。

 将棋会館飛燕の間―全く同じ場所に沼は座っていた。背を丸め、口をとがらせ、泣き出しそうにも見える顔で感想戦をやっていた。

 前には対照的にピンと背筋を伸ばした、小林宏がいた。そういえば、沼の隣には、今日と同じように桐谷がいた。その前に座っていたのは中川だ。中川は桐谷に勝って、新参加の順位戦で8勝目をあげたところだった。順位を上げて、来期こそはと夢をふくらませていたろう。

 今年も何か同じような顔と場面だ。しかし、配役が違う。昨年脇役に甘んじた男がついに主役の座を射止めた。

 今期は、井上、沼という、前期泣きを見た二人が上がった。一方では屋敷のようにノンストップで飛ばしていく者がいると思えば、沼のように15年ぶり、40歳で初のC級1組という珍しい例も起こる。

 いろいろなドラマを秘めた勝負の一つ一つ。今期も560個の白黒の星が全部表に埋まった。

 昇級した沼、屋敷に、日浦、先崎と加わって、数人でささやかな打ち上げをやるために外に出た。

 うまそうにビールを飲み干し、バカッ話に興じていた沼だが、突然しんみりした口調で「2月末に亡くなったオヤジが、一昨晩、夢の中に出てきたんだ。励ましてくれているような気がしたよ。昨晩は出てこなかった。きっと眠れなくしては、と思ったんだろうね」。はっとして顔を見ると、目が潤んでいた。

* * * * *

「佐瀬-屋敷戦は、佐瀬が時間いっぱい使って頑張るが、形勢は絶望的。籠城して奮戦する老将を思わせる」

弟子、孫弟子の援護射撃のために奮闘する和服姿の佐瀬勇次八段に、心打たれる。

* * * * *

「有力検討陣の青野八段、羽生竜王も同意見なのだが、”私が指せば”という言外の意味が込められている?ので、まだまだ断定できない状況だ」

ハッとさせられる視点。

* * * * *

「前期のC2最終局、8勝1敗という成績で、勝てば昇級だった沼の前に立ちはだかったのが、小林宏である。14年ぶりに巡ってきたチャンスを打ち砕かれた沼が再び、最終局で望みをかけて戦っている。これが小林にとって嬉しくて声援したかったに違いない」

昨日も登場した小林宏五段(当時)。今日も清々しい。

* * * * *

「2月末に亡くなったオヤジが、一昨晩、夢の中に出てきたんだ。励ましてくれているような気がしたよ。昨晩は出てこなかった。きっと眠れなくしては、と思ったんだろうね」

苦労人の沼春雄七段。

佐瀬勇次名誉九段が亡くなって以降、沼春雄六段(当時)が木村一基三段(当時)の師匠代わりだった。

木村三段が三段リーグ最終戦に敗れて昇段を逃したとき、沼六段と飲みながら泣いている。

1996年三段リーグ最終局

木村一基四段(当時)「あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない」