末席幹事

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佐藤康光六段(当時)「何年か経ったら、また行きたくなるかもしれませんが、いまは行く気しないですね」

将棋マガジン1993年8月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳:佐藤康光 書斎派青年モロッコを行く」より。 名人戦第4局を取材に行った。尾道市の南端のベラビスタ境ガ浜には、1日目の午後5時ごろに着いた。さっそく控え室をのぞく。モニターに盤面が映っ...
インタビュー・対談

「米長邦雄新名人、大いに語る」

将棋世界1993年7月号、第51期名人戦・奪取翌朝、独占インタビュー「米長新名人、大いに語る」より。=1993年5月22日(土)朝、「リゾートホテルベラビスタ境ガ浜」1510号室の自室にて=―四段昇段からちょうど30年。やはり名人位は常に意...
自戦記

深浦康市四段(当時)「この決勝戦で、この羽織袴にどれだけ励まされた事か。それだけに最終局はどちらの和服を着る事も憚られた。一方を着ると、その和服をひいきしてしまう事になるから」

将棋マガジン1993年7月号、深浦康市四段(当時)の第11回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負第5局〔対 米長邦雄九段〕自戦記「頭の中が真っ白に」より。 第4局は完敗だった。 この一局ほど、将棋の難しさを味わった事はない。 後手番ながら...
インタビュー・対談

高柳敏夫名誉九段「中原は誰の弟子でも名人になったと思う。ただ芹沢の師匠は、私でなければ務まらない」

将棋マガジン1993年6月号、鈴木輝彦七段(当時)の「枕の将棋学’93」より。ゲストは高柳敏夫名誉九段。鈴木 先日行われた、先生の名誉九段をお祝いする会は大盛会でした。一門百段突破記念も兼ねられていましたが、それだけお弟子さんも多くて、いろ...
自戦記

深浦康市四段(当時)「1勝できた事は正直ほっとした。口の悪い奨励会員に『3連敗なら俺でもできる』と言われる心配がなくなったからである」

将棋世界1993年6月号、深浦康市四段(当時)の第11回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負第3局〔対 米長邦雄九段〕自戦記「和服の裾を踏む」より。 自分はかなり運がいい……… こう思ったのは準決勝の中村修七段戦が終わった直後である。 全...