「棋士のエピソード」カテゴリーアーカイブ

「名前が同じケンジで、しかも生意気なことも言って、とにかくよくしゃべる」

将棋世界2003年6月号、神崎健二七段(当時)の「本日も熱戦 関西将棋」より。

 竜王戦6組で大活躍の今泉健司準アマ竜王。今泉君が小学生の頃、関西研修会幹事の浦野七段がこう言った。

「研修生に神崎二世がいる」

「ほほう、そんなに素晴らしい才能の持ち主がいるのか」と聞いたら、

「名前が同じケンジで、しかも生意気なことも言って、とにかくよくしゃべる。神崎君の少年時代にそっくりなんや」(ガクッ)

 その少年は、その後、小林ケンジ門下となり奨励会に入会。生意気にひと言多かったりして、師匠にお叱りを受けることも何度か。苗字の読みで「コンセン」と皆から呼ばれ親しまれていた。

 三段リーグ在籍は11期。何度か昇段争いにも加わり、もう少しで四段というチャンスもあった。周囲の棋士からの評価も高かったが、残念な次点も含めて、あと一歩及ばず、平成11年秋に退会。

 退会して少し経ってから「奨励会にいる間はお世話になりました」という丁寧な手紙が来た。生意気なひと言多い少年ではなかった。

 それからしばらくして各大会で活躍。準アマ竜王ともなり、竜王戦への出場権も獲得。ちょうど筆者の自宅近くに引っ越してきたらしいので、昨秋、少し長めの持ち時間で久々に一局。

「将棋大会に合わせて早い持ち時間のスタイルに将棋が変わってしまったのだなぁ。昔の三段リーグはこんなスタイルで指していたんだなぁと懐かしく思い出した」

 秒読みになってこちらは乱れたので、「失礼ながら、神崎先生はそのスタイルでは、アマの大会を勝ち抜くのはとても無理でしょうね」

 ズバリ当たってはいるけれども、やはりひと言多いのが昔と変わらず。そういうところがまた少し嬉しかったりする。だから「持ち時間が5時間もある将棋がじっくりと指せるのが楽しみ」とも…。

 今回、見事に3勝。中尾四段がプロの意地を見せて6組ベスト4進出はならなかった。でも、コンセンは、たっぷり4局、持ち時間5時間の対局を楽しめたことだろう。

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今泉健司四段は奨励会の頃から楽しいエピソードが多かった。

相手のミスを突いて攻める習性

年齢制限で退会後も、このように話題になっているのだから、本当に人気者である。

そして、この4年後、今泉健司アマ(当時)は新たに創設された奨励会三段編入試験に合格。この奨励会在籍中に、2手目△3二飛戦法により升田幸三賞を受賞するという快挙があったが、奨励会三段リーグで4期内に昇段することができず、規定により退会。

さらにその6年後の2014年、プロ編入試験受験の条件を満たしたので、プロ編入試験にチャレンジ、見事に合格を果たす。

今日の神崎健二七段(当時)の文章を読むと、今泉四段のこの後の四段になれるまでの11年間が、より一層感慨深く感じられる。

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将棋界で「ケンジ」は、小林健二九段、神崎健二八段、今泉健司四段以外に、脇謙二八段、飯野健二七段がいる。

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2002年の竜王戦での大盤解説で、小林健二九段は「小林健二と脇謙二(立会人)でWけんじ」と話したと伝えられている。

Wけんじは、東けんじ、宮城けんじによる漫才コンビで、昭和40年代前半に非常に人気があった。

2002年の時点でWけんじの名前を知っている将棋ファンの方がどれくらいいたかはわからないが、なかなか踏み込みの良い思い切ったネタだと思う。

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福崎文吾七段(当時)と百貨店

将棋世界1985年1月号、神吉宏充四段(当時)の「関西若手はどないじゃい 福崎文吾七段の巻」より。

「5、6、7、8、早く指さなー10やでー」奨励会員がパシリと指す。その手がすこぶるいい手で、「ああー!まったや、まったやあ!」「だめですよ、福崎先生」。「もうーしゃあないなー5、6、7」。

 関西将棋会館の道場に行くと、たまに福崎七段(これからは文吾ちゃんと呼ぼう)が、奨励会員を相手に10秒将棋を指している所を見かける。「やったあー、これで5番勝ちね」とかいいながら、ズンチャカズンチャカ音頭を取り、さわいでいる。

 それを見ていた道場のアルバイトの学生は、福崎七段とはつゆ知らずに、「お客さん、もうちょっと静かに将棋を指してください」と注意した。すると文吾ちゃん、「うわあーごめんなさい」とそこはあやまり、アルバイトの学生が、向こうに行くとまた10秒将棋を始めるのであった。


 福崎文吾七段。25歳、血液型O型。とにかく、明るくて楽しくて優しい。何か吉野家の牛丼のキャッチフレーズみたいになってしまったが、本当に彼はいい男だ。

 また、彼を紹介するには、よき伴侶、睦美さんの事なくしては語れない。そこで福崎夫妻のエピソードを探してみた。


 福崎夫妻はいつも仲がいい。文吾ちゃんの無邪気な遊び心を睦美さんが理解している。例えば、こういう事があった。それは夏の暑い日の出来事であった。家には扇風機しか無かったので睦美さん、文吾ちゃんに「あなた、こう蒸し暑いと耐えられないわ。ねえ、デパートでクーラー買って来て下さいよ」とクーラー代を渡した。お金をもらった文吾ちゃん、「うん、そうだね睦美、よく冷えるやつを買って来るよ」と元気よく飛び出していった。が、この時一緒に行っていればと後で悔やむ睦美さんであった……。


 さて、デパートへ行った文吾ちゃんはどうなったか。クーラー売り場へ行きかけると何やらにぎやかなコーナーがあった。”何か楽しい事をやってる”そう思った彼は、クーラーを買いに行ったのを忘れて、その売場に寄ってしまった。


その売場とは、最近流行のパソコンコーナー。もともとゲーム大好き青年の彼は、ついついそのパソコンゲームに夢中になり、係の人の「今ならお買い得ですよ」の声に文吾ちゃん、「いえ、今日はお金を持ってないから」といいかけてサイフを見ると何故かお金がある。「あっ!お金があるから買うぅー」。

 後で睦美さんとケンカになったのはいうまでもない……。


 二人が初めて会ったのは、テレビ対局の時。文吾ちゃんが対局で、睦美さんは記録係だった。二人きりになったのは、北海道の百貨店の将棋まつりで。この時の二人のデート場所が凄い。「睦美さーん、ここへ入ろうよー」で入った場所が百貨店の恐竜展の会場。「うわー恐竜だ、ステゴザウルスだー」と一通り見て帰りに、「睦美さん、恐竜大図鑑買おうかー」。


 二人は外へ出る時も必ず手をつないで行く。また、遠くへ買い物に行く時は、先日買った一台の自転車(モナリザ号と命名)を二人で相乗りする。全く仲睦まじい夫婦だ。ただ、買い物が多いと文吾ちゃんは荷物のかわりに置いていかれるとか……。

(中略)

 彼は奨励会員達のよき兄貴役で、みんなと一緒によく遊ぶ。トランプ、パソコン、シミュレーションゲームと何でも来いだ。例えばシミュレーションゲームをやっている時など「睦美さんは上杉謙信ね、南君は徳川家康ね、僕は織田信長だ!」等と役割を決め一晩中遊ぶ。そして食事は睦美さんの手料理である。スープが出て来て文吾ちゃんは言った。「皆、早よ飲まんと熱いで」……ん?


 ほんとに陽気な人だ。先日も谷川研究会(略して谷研)に来て、将棋は指さずに、彼の愛唱歌”宇宙戦艦ヤマト”を1時間ほど歌いつづけてさっぱりして帰って行った。まあ、こういう風に普段は童心で明るい彼も、一旦、対局となると凄い勝負師になるのだ。


 とにかく、神秘的としか形容しにくい対局態度である。

 ”お願いします”対局が始まって福崎七段の手番、しかし彼は初手から一向に指す気配がない。そう、彼は必ず最初黙祷を数分間するのである。その意味は不明。とにかく”福崎神秘流”は最初から神秘なのである。先日のNHKの対局でも見られた方は多いと思うが。


 福崎将棋の特徴は何といっても穴熊と終盤の切れ味である。

 谷川名人が彼に3勝7敗と大幅に負け越し、”彼と将棋を指すと感覚を破壊される”と嘆き、その終盤感覚に脱帽した。

 今期の十段リーグでも大活躍、米長三冠王に頭ハネをくらったが、その実力から見て来期は優勝候補にあげられよう。

 また昇降級リーグ戦も好調で、こちらも昇段候補であり、彼はここ数年のうちに必ずタイトル戦に登場するだろう。

(中略)


 文吾ちゃんは将棋に対してはすごく真面目で、彼が奨励会時代、四段になるまではと座布団を敷かなかったことは有名。しかし、一旦将棋を離れると童心に帰り、楽しいジョークのわかる好青年になる。

 睦美さんとの二人三脚も息がピッタリ、羨ましい限りだ。

 ファンの皆さん、筆者は声を大にしていいたい。彼こそ本当に愛すべき人物だと。

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福崎文吾九段が、非常に面白くてユニークなキャラクターであることが一般的に知られるようになる、はるか昔の時代の話。

一朝一夕で福崎九段が意表を突くような面白いことを話すようになったわけではないことが、これでよく分かる。

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福崎九段が結婚したのは1983年。奥様の睦美さんは女流初段で、1988年に引退、退会をしている。

「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」

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「信長の野望」が発売されたのが1983年。クーラーを買わなければならなくなったのが同じ年であったことが、このような展開に結びついたようだ。

ファミコンが大ブレイクするのは1985年頃から。

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恐竜の時代は1.5~2億年続いたと言われている。

人類は誕生してから、人類の最初をアウストラロピテクスとすると300万~400万年。現代人と同じグループとされるクロマニヨン人を最初とすると20万年。

神が天地創造をしたとすると、神の姿は人間に似たものではなかったのではないか、と思えてしまうほどの恐竜の先輩感だ。

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谷川浩司名人(当時)が「感覚を破壊された」という題名で書いた、対福崎七段戦の自戦記 →谷川浩司名人(当時)「感覚を破壊された」

 

 

「私、将棋の話はもういいの。普通の話がしたいの」

将棋世界2003年5月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目・2」より。

☆広恵ちゃんの悩み

 先日、仕事で北九州市に行ってきた。市政40周年と言う事で、棋士は谷川浩司王位、米長邦雄永世棋聖、森下卓八段、中井広恵女流三冠、山田久美女流三段、本田小百合女流初段、中倉彰子女流初段、とタマ、それから、2日前に棋士になったばかりの島本新四段の9人も呼ばれている、ゴージャスなイベントだった。棋士の方たちだっておもしろかったのだが、今回のメインは女流が5人もいた事。この話を書こうと思っている。

(中略)

中井「前夜祭とか打ち上げとかでファンの人としゃべる時ってたいがい将棋の話ばっかりだよね」

山田・タマ「そうかなあ」

中井「私、将棋の話はもういいの。普通の話がしたいの」

山田「たとえばどんな話?」

中井「政治でも、旅行でも星の話でもいいの。とにかく将棋以外。私の回りって将棋関係ばっかりでしょ。普通のサラリーマンなんていないもん」

タマ「広恵ちゃんが将棋以外の話だと退屈すると思われてんのかな?」

山田「広恵ちゃんが、将棋の質問とかすると一生懸命答えすぎてるんじゃない」

本田「いやぁー、やっぱ、大リーグの松井と話するとしたら、野球の話するでしょう。そんな感じで、相手は中井さんに気を使ってるんですよ」

中井「そんな気、使って欲しくないよ。私なんか、将棋の話が終わった……と思ってすぐに違う話をするのよ。でもまた将棋の話に戻っちゃってんの」

山田「それは、きっと間が悪いのよ。将棋の話、将棋の話、一生懸命した後、ホッと気を抜いていると、当然相手は、中井さんに退屈させちゃいけないと思って次の質問をしてくる。広恵ちゃんが違う話をしても、無理して私に話を合わせようとしてるんだと思って将棋の話をまた向こうから出してくる、って感じなんだよ。きっと」

中井「えーっそうかなあ」

タマ「他の話への持って行き方がヘタなんじゃないの。将棋の話になってもスーッと流して違う話に持って行けばいいじゃん」

山田「そうそう。名人戦の話になったら、対局の内容じゃなくて、その時のごはんの話とか、景色の話とかに持って行くとかさあ」

タマ「打ち上げの席なら、先に、もう将棋の話は終わりにして、楽しくやりませんかって宣言するとかぁ」

本田「先に聞かれそうな事は、全部言っておくとか」

山田「5歳で将棋を始めてネ。内弟子ん時は大変で、100手位は先の事読むんですよ。正座は結構つらいですよ。とかガーッとまくしたてといて、自分の好きな星座の話でもなんでもすれば良いじゃん」

(以下、エンエン2時間、山田・本田・タマの3人で広恵ちゃんを指導する)

中井「……わかった。私、この4人の中では、一番無口だって事が」

山田・本田・タマ「(一斉に広恵ちゃんから目をそらせて)クックックッ」

中井「私ってやっぱ、シャイだからなあ……」

―大爆笑の渦―

 ファンの皆さん、中井さんと話をする時は、くれぐれも、将棋以外の話をしてあげて下さいね。

☆翌朝

中井「ねェねェ彰子ちゃん。ファンの人と話をする時って将棋の話が多いよね」

中倉(彰)「エッ。あーそうですかね」

タマ「広恵ちゃん、何言うてんの、相手(中倉)は、話のベテランやんか。新人(中井)がそんなん言うてもスーッと流されて終わりやっちゅうねん」

中井「ちょっと聞いてみたかっただけ……」

(以下略)

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将棋以外の話で無難なのは、

「今まで行った海外の中でどこが一番好きですか?」

「嫌いな食べ物は何ですか?」

「よく見ているテレビ番組は?」

「今まで見た映画でお薦めの作品はありますか?」

「ジンギスカンは下味がついているタイプとタレにつけるタイプ、どちらが好きですか?」

などだろうか。

「昔の星占いにはへびつかい座がありましたが、どうして今はなくなってしまったか、知ってますか?」

「山手線の駅名全部言えますか?」

「幽霊は見たことがありますか?」

などは、ハイリスクかもしれない。

 

 

中原誠十六世名人「あっちは方角が悪いからやめました」

将棋世界1982年12月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。

 相手の中原だって、かなりの映画ファンだ。これもまた今期の王位戦がらみの話だ。中原が無冠になった翌日の午後、連盟の近くの寿司屋に寄ったら、中原の弟弟子の田中寅彦六段がいた。そんな日だから、自然と話は王位戦のほうへ向く。

「中原名人も12年ぶりの無冠。やはり寂しいでしょうね」と田中は心配顔だ。

「オレも、永年中原さんにはいろいろと面倒をかけているんで、気になっているんだ」などとわたしもいって、カン酒を頼んでもう呑みだした。

 そして、勢いに乗って中原の家に電話してしまった。中原本人が出てきた。

「いま寅ちゃんといっしょに話したんだけど、近々いっぱいやりませんか?」

「そうですね、ちょうど王位戦の7局目の日程があいていますから、新宿あたりで食事しながら呑みましょうか」

 実際にはなくなってしまった対局日を7局目というあたり、中原らしいユーモアのセンスだ。

 その夜、3人のほかにやはり弟弟子の大島映二四段も加わって、4人でにぎやかに呑んだ。その席で中原「能智さん、こんどの将棋世界の棋士の楽しみではなにを書くんですか?」と聞く。「映画でもやろうかと思っているんですよ」と答えると、三人とも映画好き、いろいろなおもしろい話が出てきた。

 田中はギターが得意なので、「何度もロバート・レッドフォード主演の”追憶”を見ました。その結末にひかれたんです」といったあと、「いま、私の子供は映画に出演してるんです」と異なことをいう。

「しかし、まだ赤ちゃんだろ?」と聞き返すと「ええ、9ヵ月ですが、女房(タレント・日下ひろみさん)といっしょに、ある企業内PRビデオに出たんです。誠を泣かせたり笑わせたりするのにだいぶ苦労したらしいですが」

 これを聞き、大先輩の誠はにこにこ笑っている。

 次は大島だ。いつもはにかんだように話し出すが、この夜もそうだ。

「ぼくは最近、将棋世界の竹内君といっしょにアニメ映画の”千年女王”(松本零士原作)を見に行ったんですが中は子供ばっかり。でも、女王の顔があんまりきれいなんで、この間また見に行っちゃったんです。そして、券が余ったのでマンガ狂の高橋君(道雄五段)にあげようとしたら、『もう見ました』といわれちゃいましたよ。彼はマンガ映画は見逃さないみたいですね」

 そして、しんがりは中原だ。

「ぼくも子供のころから映画は大好きでしたね」といって少年時代を振り返って話し出す。

「チャンバラから西部劇、なんでも見ましたよ。小学1年のころ、塩釜で佐貝正次郎さんという人に将棋を習ったんですが、その人の家のすぐ裏が映画館で、将棋のお稽古を受けているときに、いつもチャンバラの音などが聞こえてきて、気が入らなくなり、よく怒られました」

 そういえば、いつか中原後援会刊行の「まこちゃんの思い出」という小冊子で、佐貝氏が似たようなことを書いていたのを思い出す。少しだけ転載させていただく。

「そんなまこちゃんにも、やはりどうにもならないこともありました。2時か2時半頃来て二番ぐらいすると、外にはこれまた毎日欠かさない紙芝居屋の、チャンチャンと鳴る拍子木の音が聞こえてくるのでした。その魅力にはまいったとみえ、駒を指しながら私の顔を見て、もじもじとした態度で「小休止?」をつげることも、たびたびありました」

 いくら将棋が好きとはいえ、まだ小学1、2年ではそうだろう。中原が子供時代のことを話しはじめると、実に楽しそうな顔になる。また続ける。

「そのあと、仙台の石川孟司さんという人の指導を受けに通うことになったんですが、その人がまた映画館の中で売店をやっていたんです。ただで見せてくれるんで洋画や邦画など、なんでも見ましたよ。そのころは三本立てでね」

(中略)

 そこらで中原に「中原さんは、ポルノなんか、見たことあるの?」と聞いてみたら「いや、まあ―。それより塚田先生(正夫名誉十段)がたいへん映画好きでした。先生から『空が出てくれば映画は終わりなんだ』という名言を聞いたことがありますよ。たしか、映画評論も書かれていたはずですよ」とうまく逃げを打ち、ナゾめいたことをいった。

「この間、好きな小津安二郎監督の作を三鷹の映画館でやっていたので、見に行こうと思ったんですけど、あっちは方角が悪いからやめました」

 これに田中と大島は大爆笑したが、わたしはキョトンとしてしまった。田中は「ほらほら、能智さんは新名人の住んでいるところを知らないんですか}―中原も口が悪い。その後、十段戦の挑戦者にもなり、ますます二人の間はおもしろい。

(以下略)

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中原誠十六世名人は1947年生まれで、奨励会入会が1958年。

日本でテレビ放送が開始されたのは1953年だが、家庭に普及するのは、1959年、皇太子 明仁親王(今上天皇)御成婚の中継があった以降。

そういうわけなので、中原十六世名人の子供時代は、映画が全盛で、街頭紙芝居も盛んだった頃。

映像といえば映画しかなかった時代で、生活における映画の比重が今よりもはるかに大きかったと言えるだろう。

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田中寅彦六段(当時)の「いま、私の子供は映画に出演してるんです」の赤ちゃんは、元奨励会員で現在は囲碁将棋チャンネルの田中誠さん。

『追憶』は1974年、田中寅彦九段が17歳の時の映画。

『千年女王』は1982年、大島映二七段が25歳の時に上映された。

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中原誠十六世名人の「この間、好きな小津安二郎監督の作を三鷹の映画館でやっていたので、見に行こうと思ったんですけど、あっちは方角が悪いからやめました」。

これは、中原十六世名人が1980年に十段位、1982年に名人位を加藤一二三九段に奪われており、その加藤一二三九段が三鷹に住んでいたことから、そうなったという話。

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私が生まれて初めて見た映画は、まだ幼稚園に入る前、『キングコング対ゴジラ』(1962年)だと思う。

以下、

  • 『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)ゴジラ、キングギドラ、モスラの幼虫、ラドンが登場する超豪華怪獣映画。
  • 『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年)地底怪獣はバラゴン。プラモデルを買った。
  • 『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)ガイラは人を食べる。ガイラが怖くて、トラウマになった。
  • 『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)ギャオスも人を食べるがそれほど怖くなかった。ギャオスのプラモデルは買った。
  • 『ドラキュラ’72』(1972年)クリストファー・リーとピーター・カッシングの黄金コンビ。
  • 『エクソシスト』(1973年)後にキリスト教(プロテスタント)の牧師となった高校の同級生と見に行った。

大学に入ってからは見る映画の傾向は変わったが、こうやって見ると、怪奇系にかなり偏っていたことが分かる。

現在の私が最も高く評価する映画は、『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPART II』『ニュー・シネマ・パラダイス』。

よく普通に変われたと思う。

 

 

棋士が出題する戦慄の棋士クイズ

将棋世界2003年3月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目・2」より。

 毎年恒例の指し初め式が1月6日に行われた。

 東京では、特別対局室に将棋盤を一つ置き、関係者が入れ替わり立ち替わりして一手ずつ進めていくらしいが、関西ではちょっと違う。イラチ(短気)の関西人気質のせいかどうかは知らないが、将棋盤を御上段の間という立派な部屋に並べられるだけ置き(確か12面あった筈)どの盤の前でも座ってよい。一回で24人ずつ進んでいくため、待ち時間はほとんど無いくらいだ。

 ただし、一人一手じゃないのがミソ。スイスイッと2人で相矢倉に組み上げても良いし、四間飛車で美濃囲いにしても結構。もちろん一手で交代しても良いのだ。この鷹揚な所もまた関西気質なのかもしれない。

 しかし、勝負をつけない所は東西とも、同じである。もうだいぶ昔の話だが、私と某若手棋士が指していて、私が王手飛車をかけてしまったことがあった。ギャラリーに大ひんしゅくを買ってしまったことは言うまでもない。

 さて、その後はこれまた恒例の宴会だ。理事の挨拶の後、乾杯の音頭は谷川王位の発声だった。

谷川「カンパイ、と言うのは将棋界では縁起が悪いですから、おめでとうございますでご唱和お願いします。では、おめでとうございます」。

一同「おめでとうございます」。

 と、始まった。いつもおもしろい挨拶を考えている人だ。

(中略)

 横のテーブルでは、神崎七段がとってもニコニコしている。

神崎「鹿野さん鹿野さん、聞いてくださいよ。このテーブルに居てる、浦野、南、平藤、神崎の4人を、生まれた順に並べよ。って村田君に問題出したんですよ」。

タマ「おーっ、それは難問やなあ、けど私はわかるけどね」。

村田四段「いや、難しいっすよ」(彼は村田女流2級のお兄さんだ)

平藤「神崎さんは自分が一番若く見られてご機嫌やねん」。

神崎「いや、村田君、君は見る目があるよ」。

平藤「見る目無いっちゅーねん。まちごうとるがな」。

タマ「エッと、南先生が6月で、平藤さん10月で神崎さんは11月?12月?。浦野さんは翌年の3月だっけ。みんな同い年でそんな質問するかなあ」。

神崎「私、12月です」。

タマ「井上さんも同い年じゃなかった?」

平藤「あっそうそう、1月やったなあ」。

 もうすぐ厄年になろうかと言う連中が、こんな事を言って若手をおちょくっている。

タマ「今年は、福崎先生が来てはれへんねェ」。

平藤「去年も来てへんよ」。

南「ウン」。

神崎「福崎先生がおらんかったら、なんか場が静かだと思いませんか」。

残りの人「ウーー(そうでもないと思っている)」。

神崎「福崎さんにはいつも神崎君はうるさいなあって言われるけど」。

残りの人「ウンウン」。

神崎「福崎さんが居てたらちょっと雰囲気がちごてると思いませんか」。

タマ「それはそう思う思う」。

平藤「それはあるかな」。

南「ウン」。

 話はエンエンと続きますが、福崎八段は、どう雰囲気が違う人なのか、謎を残したまま、今月はこれにておしまいです。なごやかな指し初め式の一日でした。

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谷川浩司王位(当時)の「カンパイ、と言うのは将棋界では縁起が悪いですから」。

これは、カンパイは完敗に通じるということで、将棋界では縁起が悪いとされている。

ある年の将棋ペンクラブ大賞贈呈式で乾杯の音頭をとった二上達也九段も、同様のことを話されている。

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浦野真彦七段、南芳一九段、平藤真吾六段、神崎健二七段(段位は当時)を生まれた順に並べよ、という問題を一層難しくしているのが、この4人が全員1963年度生まれであること。

4人の順列は24通りなので、いい加減に答えたとしても当たる確率は約4.2%しかない。

なおかつ4人が目の前にいるわけで、問題を出された村田智弘四段(当時)にとってみれば、気が遠くなってしまいそうなほどの状況だ。

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とはいえ、問題を出題する方の立場から見れば、非常に面白いクイズであることは間違いない。

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福崎文吾八段(当時)が、どう雰囲気が違うのか、現代では多くの人に知られるようになっている。

「雰囲気が違う」という表現が絶妙だ。

福崎文吾八段(当時)「これはなんとかして秘密にしとかなあかん」