「棋士のエピソード」カテゴリーアーカイブ

奨励会で10連勝する特効薬

近代将棋1982年2月号、木屋太二さんの米長邦雄棋王-小島一宏アマ五段(角落)観戦記「勝利を呼んだ米長玉」より。

 米長棋王の内弟子、林葉直子ちゃんがこのほど奨励会で4級へ昇級した。棋王がうれしそうにいう。

「昇級したら何が欲しいときいたんですよ。そうしたら寺尾聰のサインが欲しいっていうんですよ。約束した途端に10連勝しちゃいましてね。女の子には百の説教よりもああいうもののほうが効き目があるんですかね」

 それで今度、直子ちゃんのためにある雑誌で寺尾聰と一緒に写真をとることにしたと棋王。直子ちゃんはたのきん世代かと思ったら中年好みなんですね。

(以下略)

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寺尾聰さんが「ルビーの指輪」の大ヒットで日本レコード大賞を獲得する直前、『西部警察』でも活躍中の頃。

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考えてみると、芸能人のサインは名前だけ。

棋士の揮毫は何かの言葉と名前。

どのような歴史があって、棋士が何かの言葉を書くようになったのかは個人的にはわからない。

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それにしても、サインで奨励会10連勝できるのなら、これほど安い起爆剤はないとも言える。

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ただし、これも米長邦雄永世棋聖流の冗談の可能性もあるので、本当のことかどうかは何とも言えないところだと思う。

 

三浦弘行棋聖(当時)「羽生さんはオーラを発していますね」

将棋世界2005年12月号、高橋呉郎さんの「感想戦後の感想 深浦康市八段」より。

 さらに平成8年には、深浦は王位戦の挑戦権を獲得する。相手は、その年の2月、七冠制覇を達成した羽生だった。奇しくも同じ時期に、三浦は前年につづいて、棋聖戦で羽生に挑戦していた。

(中略)

 王位戦は1勝4敗で敗退した。その間に、三浦は棋聖位を奪取して、七冠の一角を崩す大金星を上げた。

(中略)

 その秋、「将棋の日」のイベントが千駄ヶ谷の東京体育館で催され、羽生も三浦も深浦も参加した。三浦は深浦と顔を合わせたとき、なにげなく「羽生さんはオーラを発していますね」といった。深浦は「きみは、その人を負かしたんじゃないか」といってやろうかと思ったという。

(以下略)

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三浦弘行九段が奨励会時代に尊敬していた棋士は大山康晴十五世名人と羽生善治竜王。

また、三浦九段の奨励会時代、三段リーグで勝てなかった時に、自分が羽生だったら簡単に抜けれるのではないかと考え、羽生将棋を研究し真似したら勝てるようになった、と紹介されている。

とても素直な三浦弘行三段(当時)

さらには三浦九段の四段時代の1994年、

「応募の葉書を出さなかったんですけど、羽生名人の就位式に行っていいのですか?」

と将棋連盟の職員に聞いたという事例もある。

非常に謙虚な三浦弘行四段(当時)

そのような経緯もあるので、1996年に三浦棋聖(当時)が「羽生さんはオーラを発していますね」と言うのは非常に自然なことだったと考えられる。

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三浦九段と深浦九段→深浦康市四段(当時)「三浦君とは仲がいいので、じゃあ研修室が空いてるからあそこで待とうという感じで」

 

佐藤大五郎八段(当時)「忘れもしません昭和31年2月、新宿の遊郭でヤクザとケンカしたことがあるんですよ」

将棋ジャーナル1984年2月号、才谷梅太郎さんの「棋界遊歩道」より。

 米長氏ばかりではない。ウン十年前、アルバイトのため新宿でラーメン(オデンだという説もある)の屋台を引いていた、佐藤大五郎氏の逸話もある。

 大五郎氏、現在の風体からも想像できるように、柔道で鍛えあげた肉体はヒ弱な将棋指しの中にあっては、群を抜いて立派なものだった。

 重い屋台を引いて、大五郎氏は歌舞伎町界隈に初出勤。ところが商売を始める間もなく、怖そうなお兄さん達に囲まれてしまった。一人のあんちゃん曰く、

「ここはウチらのシマじゃけん、商売したらイカン」

 しかし大五郎氏ひるまず

「俺は言われたまんまに、この屋台を運んでいるだけだ」

 と言い返した。

 次の瞬間、大五郎氏は3、4人のお兄さん達に、あっという間に地球と背中合わせにさせられていた。

 おまけに喉元には、キラキラ光る匕首まで突きつけられている。

 そこに駆けつけたのが、奇麗なお姉さん。大五郎氏にとって、結果的には救世主の出現になった。

「その人はかたぎの人だから、勘弁してあげて」

 そこで静かにしていればいいものを女性の援護射撃を受けて急に勇みこんだ大五郎氏、とんでもないことを言い放ってしまった。

「ヤイッ、てめえら。何人もでかかってくるなんて男らしくねえぞ。文句があるなら、一人ずつかかってこい」

 現在、大五郎氏に生あるのは、ただただ幸運というしかない。ひとえに、手を合わさんばかりに哀願してくれた、美しい女性のおかげである。

(以下略)

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この話については、1972年に佐藤大五郎九段自身が語っている。

将棋世界1972年6月号、連載対談:盤上番外「欲が出てきた新八段」より。ゲストは佐藤大五郎八段(当時)と大内延介八段(当時)、聞き手は医事評論家の石垣純二さん。

石垣「まあ、年長の順で佐藤さんからうかがいましょうか。新聞に暴れん坊と書かれていましたが、なにか理由があるんですか」

佐藤「将棋じたいが荒っぽいんですか―それもあるんでしょうが、若い頃、忘れもしません昭和31年2月、新宿の遊郭でヤクザとケンカしたことがあるんですよ」

石垣「31年というと16年前。とするとあなたはまだ19歳ですよ。未成年で、そんなところへ行ったのですか」

佐藤「イヤイヤ、遊びに行ったのではないんですよ。奨励会の二段ぐらいでしたが、お金がなくて屋台を花園神社から遊郭の入口まで運ぶアルバイトをしていたんです。オデンとかお酒が積んであって女の人では重たいんでね。それを一月半ぐらいしていたのですがそのときヤクザの人に、ここで商売してはいけないといわれたんです。しかし、私は関係ない”ここへ運ぶことを頼まれているけだ”と説明したんですが……」

石垣「なぐられたですか」

佐藤「ちょっと混戦になり倒されました」

石垣「アハハハハハ―混戦とはうまいことをおっしゃる……」

佐藤「倒されて、ここ(ノドのところへ手をやる)へ短刀をつきつけられましてネ」

石垣「アリャー」

佐藤「ビックリしているうちに、女の人が4、5人かけつけ”この人はカタギの人だから……”というと離してくれた。が、私も無鉄砲だったから、お前らなんだ、男なら一対一でこいと開き直ったんですよ」

石垣「女に助けられたら急に強くなりましたな」(笑)

佐藤「それはそうですよ。それまでは倒されて4人ぐらいに乗られているんですから声を出したくても出せないんですから……」

石垣「ずいぶんと苦労もしましたね。ところで大内さん、この話はなんべんめ―」

大内「この話ははじめてです」

石垣「はじめて―。五へんぐらいは聞かされたかと思った」

大内「聞いたのははじめてですが、そんなことがあったということは知っていました。その頃、関屋(現五段)、剱持(現六段)と新宿の三羽烏といっていましたから……」

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売春防止法が完全施行された昭和33年に赤線が廃止されたわけだが、廃止前には新宿に70軒ほどの遊郭があったといわれている。

新宿の遊廓は、現在の新宿2丁目の靖国通りにやや近い場所に集中していた。

そういうことなので、花園神社から新宿の遊郭までは、靖国通りを越えて少しという距離。

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奨励会時代の佐藤大五郎九段を助けたのは、遊郭の女将あるいは遊郭に勤める女性だったのだろう。

映画になるとすれば、助けた女性の役には、かたせ梨乃さんや名取裕子さんがピッタリだ。監督は五社英雄監督。

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佐藤大五郎九段のエピソード

豪傑列伝(2)

朝から闘志が充満している対局室

最短手数の将棋

佐藤大五郎九段自慢の一局

佐藤大五郎九段逝去

 

先輩棋士の家の前に置かれたオミヤゲ

将棋ジャーナル1984年2月号、才谷梅太郎さんの「棋界遊歩道」より。

 棋士とは総体的に、楽観派が多い。それも天性の躁病患者と思われる者がごまんといる。

 その正体を少々あばいてみたいが、この病名を聞いてまず目に浮かぶのは米長邦雄氏である。

 まだ奨励会時代の米長氏に、あの「○○○事件」がある。

 その日、米長氏は同期の桜の大内延介氏と、ネオンの新宿を出発点として呑み続けていた。二人とも20歳前後であり、体力はあり余っている。

 若さにまかせて午前1時すぎまで呑んでいたが、それまで特に変わった素振りをみせなかった米長氏は、突然こう言い出した。

「大内君、これから芹沢先輩の家に遊びに行こう」

 日頃から芹沢氏の舎弟分のような存在で、金がなくなると酒はむろんのこと、食事までごちそうになっていた米長氏だが、そんなやさしい先輩に、今日は常日頃お世話になっている御礼が言いたいという。

 むろん大内氏は止めた。なんといっても時間が時間である。しかし米長氏は、

―だいじょうぶ、

 だと言う。さらには、

「先輩にとっては、実弟のように可愛らしい僕ら二人を、あのやさしい芹沢先輩が追い返すはずがない」のだと言い張ってきかないのである。

―そこまで言うなら。

 大内氏は、こう考えたかもしれない。さらには、

―またヨネのやつ、病気が出始めた。逆らうとウルさいから、しばらく話を合わせておくか。

 と、こう思ったかもしれず、こちらの方がより人間臭い、楽しい想像ではある。

 ともあれ二人は、店を出た。そして結婚後まだ間もない、芹沢宅へと向かったのである。

 時刻は午前2時に近い。

 二人はすでに芹沢家の近くに来ている。大内氏にすれば、これは意外だったかもしれない。

 当然、こんなところまで来るつもりはなかった。店を出たところで、

―まあまあ米長君。もう遅いことだし、俺がおごるからもう一軒行こうや。

 と言ったことであろう。

 しかし躁状態に陥った米長氏は意外なほど執拗だった。どうしても行く、という。

 冷たい夜風の中を歩けば、少しは頭も冷えるだろう、と大内氏は考えざるをえなくなった。それにこんな状態の米長氏を、一人放置するのは危険である。何をしでかすか判らない。

 ともあれ、こうして今二人は芹沢家の近くに来た。

 芹沢・大内両氏にとって不幸だったことは、そこに公衆電話があったことだ。

「大内君、10円玉を貸してくれ」

 何を思ったのか、米長氏は突然おかしなことを口走った。

「まさか芹沢先輩のお宅に、電話をするんじゃないだろうな」

 大内氏は、恐怖の念を体内に充満させながら反問した。

―そのマサカだよ。

 ある程度予想していた返事だったとはいえ、これを聞いた大内氏は大いに狼狽した。

―こんな時間に電話……。しかも日頃…せ、世話になっている先輩の家に。

 大内氏が、ここまで取り乱したのかどうか確証はないが、ともかく10円玉を貸さなかったことだけは間違いない。

 しかし、対する米長氏は少しも困った素振りはみせず、

「なんだ貸してくれないのか、ケチ。それじゃ仕方ない、自分のを使うからいいよ」

 と言うや、さっそくダイヤルを回しはじめた。

 かたわらの大内氏は依然として心配顔ながら、それでもようやく腹をくくった様子である。

「あっ、芹沢先生ですか、おはようございます。米長です。これから先生のお宅に遊びにうかがいたいのですが。―えっ、ああ、もちろん酔っ払っています。えっ、何時だと思っているのかって?ええっと、ただいまから午前2時7分20秒を、お知らせします。―えっ、私はフザケてはおりません。―はあ。それもそうですね。それでは先生のお宅にうかがうのは、残念ながらとりやめといたします」

 極度の緊張の中に、この会話の一部始終を聞いていた大内氏。

―どうやら最悪の事態だけは免れた。

 と、ホッと安堵の胸をなでおろした時だった。米長氏は電話は切らずに、もうヒト言つけ加えた。

「とりやめにしますが、ここまで来ておいてこのまま帰るのも味気ないな。そうだっ、これから大内君といっしょに先生の家の庭に入って、芝生の上にオミヤゲを置いていきます」

 そこまで一方的に喋りまくると、米長氏はようやく受話器をおいた。

 そして翌朝……。

 朝一番に庭に出た芹沢氏が、芝生の上に見たものは一塊の朝露に濡れた○ンコだった。

 さすがの芹沢氏も、ただ唖然とするばかりであったとか。

追記―電話のあと米長氏は、嫌がる大内氏を無理矢理に芹沢家の庭に引きずり込み、芝生の上に○ンコをするように強要した。

 仕方なく芝生の上にしゃがみこんだ大内氏であったが、酔いが吹き飛んでしまっているため理性が邪魔をして、どうしても事をなすことができない。

 数分後、隣で踏ん張っているはずの米長氏はと見ると、すでに出すものは出して、サッパリとした顔でこちらを覗き込んでいた。

 結局、大内氏は何もできなかったのである。

(以下略)

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紙は持っていたのだろうかと心配になる。

破滅型の天才棋士

 

「うおおおおおー!!初めてプロ棋士を見たぜ!!」

将棋世界2005年10月号、飯塚祐紀六段(当時)の「矢倉で強くなろう!」より。

 将棋会館の2階の道場で子供教室の打ち合わせで職員の方と話し込んでいたところ、少年に声をかけられました。

「うおおおおおー!!初めてプロ棋士を見たぜ!!すごく感激した!!」

「あぁ、いえいえ」(いきなりだったのでちょっと照れる)

「すみません、深浦プロですよねっ!!」

「………………」

 少年の夢を壊すのは実に切なくて心苦しいものがありました。

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飯塚祐紀七段と深浦康市九段は、二人ともメガネをかけているものの、決して似ているというわけでもない。

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初めて将棋連盟の道場へ行った日、この日は土曜日で二日酔いだったことと家が比較的遠くなかったということから、タクシーで将棋会館に向かった。

千駄ヶ谷に到着して料金を支払う時、運転手さんに「お客さん、将棋の先生ですか?」と聞かれた。

「いえいえそんな、バチが当たります」とわけのわからないことを言って降りた記憶がある。

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渋谷か新宿から「鳩森神社の隣の将棋会館へ」と言いながらタクシーに乗って、降りるまでに「お客さん、将棋の先生ですか?」と聞かれるかどうかを試してみるのも、趣のあることだと思う。