「棋士のエピソード」カテゴリーアーカイブ

芹沢博文九段ならではの大人の会話

将棋世界1988年2月号、中野隆義さんの編集後記より。

 酒場にて、隣同士が口論。カッとなった一方が、グラスの中身をバシャリと相手に。流れ弾をしたたかに浴びました。後日。せめてクリーニング代を、との謝罪に、応えていわく。

「それより、今度は狙った相手にちゃんとかかるようによく練習しておいてくれ」

 急逝した芹沢博文九段の、酒にまつわるエピソードの一つです。さらりとした会話のできる男に、小生もなりたいものです。

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昔の新宿の酒場では、作家や個性派俳優が一緒に飲んでいると、口論になって喧嘩にまで発展することがしばしばあったという。

この酒場は、新宿二丁目の「あり」である可能性が高い。

常連同士、仲がいいのに酔って口論して、酒をバシャリ。

次に店で会った時、誤射した相手が謝って「せめてクリーニング代を」という展開だったと想像できる。

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「それより、今度は狙った相手にちゃんとかかるようによく練習しておいてくれ」

このような気の利いたことが言えるようになりたいものだが、誤射された場合限定なので、なかなか機会は少ないと思う。

芹沢九段が愛した店

 

森信雄五段(当時)と村山聖五段(当時)が一緒に見たホラー映画

将棋世界1988年9月号、森信雄五段(当時)の「創作次の一手解説」より。

将棋世界同じ号より。

 私は週末になると、レンタルビデオで借りた映画をよく見ます。

 先日も村山君と一緒に、スティング、続黒砲事件(中国映画)ともう一本見たのですが、これが手違いからホラー映画だったのです。

 途中で、恐い恐いと言いながらも見終わると、村山君の表情が心無しか青ざめ、「夢を見そうで、眠れません」

(以下略)

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今日は村山聖九段の命日。

村山九段が亡くなってから、21年が経った。

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この頃の森信雄五段(当時)と村山聖五段(当時)の住まいは、直線距離で500mほどの近距離。

このように、森信雄五段の部屋で師弟で映画を観ていたとは、嬉しくなるほど微笑ましい。

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『スティング』は、1973年公開のアメリカ映画。親同然の師匠を殺された詐欺師が、伝説の賭博師の協力を得て師匠を殺したギャングに復讐をする。

『続黒砲事件』は1987年の中国映画。自分にそっくりな身代わりロボットを作った博士が、会議など面倒臭いことはロボットに任せて自分は研究に没頭する。しかし、ロボットは暴走し、恋人を奪うなど、博士の生活を脅かし始める。

もう一本のホラー映画は何だったのだろう。

題名、パッケージともホラー映画らしくなく、夢に出てきそうなほど怖い映画というと、この頃の時期で思い浮かぶのは『フェノミナ』。1984年のイタリア映画。

フェノミナ(字幕版) 

『フェノミナ』ではなかった可能性も高いが、『サスペリア』『シャイニング』とともに、怖さのインパクトが強い映画だ。

分野は異なるが『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』もかなり怖い。

子供の時に見て、いまだにトラウマになっている。

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森信雄七段は先週、深夜に怖い映画を見たようだ。

なぜか怖い映画を見てしまうところが、31年前と変わっていなくて、とてもほのぼのとした気持ちになる。

麻雀を一時的にやめた村山聖五段(当時)

将棋マガジン1990年8月号、神吉宏充五段(当時)の「へえへえ 何でも書きまっせ!!」より。

 夕方の棋士室。若松六段、木下六段、村山五段、藤原四段、畠山(鎮)四段と結構棋士が集まっている。村山がマージャンをやめたと森さんに聞いた。何でも酒とマージャンを1回やると、罰金として10万円森さんに払うのだという。ほんまかいなと尋ねると「ええ、でもマージャンはやめてませんよ」

「?」「やめたのは棋士と打つマージャンの事。やりたい時やりたいんで、断りきれなくなるのがイヤだから仲間とはやめたんです」

「そうなんや」しかし森、「10万円は魅力やからなあ、たまに金のない時に師匠を助けてもらわんとな」冗談っぽく言ったが、実は本音。

 この後村山は阿部五段に電話を入れて、最近凝っているカラオケボックスに向かった。

 藤原が椅子の上に靴を脱いでアグラをかいている。ちょっとヘンだが、本人に言わせると「若松門下は皆このスタイルなんです」はて、井上五段はわかるが谷川名人がそんな格好をしていたかいな?

(以下略)

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昨日の記事と同じ号なので、神吉宏充五段(当時)の記事の方が時間差で最新なのだろう。

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罰金として10万円は、森信雄五段(当時)から持ち出したのではなく、村山聖五段(当時)から自発的に持ち出された可能性もある。

この辺は、なんともわからないところ。

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「やめたのは棋士と打つマージャンの事。やりたい時やりたいんで、断りきれなくなるのがイヤだから仲間とはやめたんです」

と話している村山聖五段だが、少なくとも八段になって東京に来てからは棋士と大いに麻雀をやっているし、酒も飲んでいる。

いつ頃までこのことを守っていたのかはわからない。

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「若松門下は皆このスタイルなんです」

椅子に座って正座をして対局をしている少年の姿はたまに見ることがあるが、飲みに行って椅子の上でアグラはたしかに珍しい。

井上慶太九段一門に継承されているのかどうか、、、きっとされていないと思う。

米長邦雄王将(当時)「先崎は、アイツはもう破門にしようかと思っていたんだが、オレと一緒に脱いだんでやめにしたよ」

将棋マガジン1990年6月号、神吉宏充五段(当時)の「へえへえ何でも書きまっせ!!」より。

 今日は関西に珍しく米長大先生が来ておられる。格下の井上との対戦なのに、なぜ大阪へ?と思ったが、名人戦の絡みで京都へ行く予定があるのでらしい。私が挨拶に行くといきなり「もう、オレのフォーカス見てくれたかい?」

「もちろんですよ。衛星放送で出そうと思ったんですけど、さすがにディレクターから止められまして」何の事かわからない方もおられるだろう。米長は王将位奪取の喜びを相撲のシコをふむ格好で表現した。それがフォーカスされたのだ。もちろん浴衣の下には何もはいていなかった。そしてその横で弟子の先崎もパンツを脱いでいる……。

 小林が「これこれ」と言いながら自分のカバンの中から、フォーカスを取り出した。「どれどれ」と井上。米長は満足そうに「先崎は、アイツはもう破門にしようかと思っていたんだが、オレと一緒に脱いだんでやめにしたよ」。トレードは当分なさそうだ。

(中略)

 谷川名人が新居を購入した事は皆さんご存知だろうか?地元の神戸は六甲アイランドに新築マンションを買った。まだ完成していないが、赤や青や、原色を使った派手な壁で、ちょっと見は幼稚園のようにも思える。(そんな事はない!と谷川)

 間取りは4LDKである。なかでもリビングルームが33畳なのは驚く。「3.3畳の間違いとちゃいまっか、わしんとこなんか」とボヤく井上。東も「めっちゃいいとこやなあ。僕のとこもマンションやけど、環境がスゴイで」

「ええんですか?」

「そらな、1階がパチンコ屋で2階にサラ金があんねん。強盗が入りやすそうやし、なかなかやろ」

 谷川名人のマンションは、完成したら見に行こうと思っとります。ほんでリビングで絶対スモウをとったんねん。(ワシも行く・井上談)

(以下略)

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米長邦雄九段と内藤國雄九段の間で、それぞれの弟子の先崎学五段(当時)と神吉宏充五段(当時)をトレードしようという話が半分冗談で持ち上がっていた。

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「先崎は、アイツはもう破門にしようかと思っていたんだが、オレと一緒に脱いだんでやめにしたよ」

この時の打ち上げの様子は写真誌「フォーカス」に掲載された。

将棋紙誌にはもちろん脱いだ時の写真は掲載されていないが、そうなる前の打ち上げの写真は載っている。

将棋マガジン1990年6月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。

この時の細かい状況→1990年王将戦第7局の打ち上げ

 

「名人、今日のウイークリーはさすがに辛くて見ていないだろう。自分の完敗した将棋なんか見たくないものな。どうだ、見てるか見てないか、千円賭けないか」

将棋マガジン1990年8月号、神吉宏充五段(当時)の「へえへえ 何でも書きまっせ!!」より。

 6月3日の日曜日、囲碁・将棋ウイークリーのゲストは米長王将。解説は名人戦の第5局。そう、谷川名人の完敗譜である。

 番組が終わって米長王将はこう言った。「名人、今日のウイークリーはさすがに辛くて見ていないだろう。自分の完敗した将棋なんか見たくないものな。どうだ、見てるか見てないか、1000円賭けないか」

 すぐに名人の自宅にTEL。「もちろん見てましたよ」それを聞いて米長「オレの負けだ!しかしよく見てたものだなあ。これを見れるという事は、その精神力からして谷川名人の防衛しかない」そう断言した。

 それを名人に伝えると「はあ、でも名人戦の解説だけは見なかったんですけど……」

(以下略)

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人生、気がつかないだけで、このようなことが多いのかもしれない。