「棋士のエピソード」カテゴリーアーカイブ

井上慶太六段(当時)「やっぱ、谷川、本間でやらなアカンな」

近代将棋1992年2月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

将棋世界1990年5月号より。

 阿部-谷川の棋聖戦挑戦者決定戦を見に行く。B1とB2の順位戦もあり、対局室はどこも満杯だった。

 阿部-谷川戦は、阿部良しと見られていたが、中盤、阿部さんにポカが出て棋勢は一変し、谷川さんがそのまま押し切った。打ち上げは近くのレストランで。

 阿部さんはアルコールを一滴も口にしなかった。表面上は明るく振る舞っていたけれどもつらかったに違いない。そのうち阿部さんが「池崎さん、マージャンをしましょう」と言い出した。見渡すと他にマージャンができそうなのはビギナーの井上さんしかいない(まさか谷川さんには頼めない)。で、3人で店を出た。

私「徹マンはナシですよ。僕、順位戦を見たいし……」

井上さん「ワシも順位戦が見たい」

阿部さん「はーっ?」

 結局、1、2時間だけやりましょう、となった。それでも私は内心、徹マンを覚悟していたのだが、3回目が終わって一人負けの井上さんが「止め、止め!こんな強い人たちとはやっとれんヮ」と投了したため、あっさり打ち切りに。私も阿部さんも大して強くはない。単に井上さんが弱いだけだ。「やっぱ、谷川、本間でやらなアカンな」と井上さん。どういう意味や?

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このように言った井上慶太六段(当時)だったが、有言実行、この3ヵ月後に、谷川浩司竜王(当時)、本間博四段(当時)と3人で麻雀をやっている。

この時の模様は、谷川竜王が自戦記で書いており、半荘を4回やって、4回とも井上六段が一番負けている。

谷川浩司九段が生まれて初めてカラオケボックスへ行った時

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西では井上慶太九段、東では佐藤康光九段の、麻雀で勝ったという話を探し出すことは非常に難しい。

 

「村山聖五段が車の免許を取るらしい」

近代将棋1990年1月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

「村山五段が車の免許を取るらしい」というウワサを耳にした。ムラヤマとクルマ。組合わせに違和感がありすぎてホンマかいなと思う。本人に確かめたら「田舎に帰ったとき車がないと不便だから」とのこと。ガセネタではなかった。本気で免許を取るというなら、ずいぶんコワイ話だ。少なくとも私は村山ドライバーの隣に座る勇気はない。

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近代将棋1990年2月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 師匠に隠れて、というわけではないが、村山五段が最近アルコールを飲むようになった。ビールでも日本酒でもなく、もっぱらワイン。もうオトナ(20歳)だから、まあ、いっか。そのうち素敵なガールフレンドができるかもしれないな。

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近代将棋1990年3月号より。撮影は弦巻勝さん。

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村山聖九段が運転免許を取ったという話は聞いたことがないので、このような思いはあっても結局は取らなかったのではないだろうか。

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棋士であり、なおかつ東京23区内や大阪市内に住んでいれば、車がなくてもほとんど支障が出ないと思う。

交通安全白書によると、日本全国では運転免許保有率は74.8%(男性85%、女性65.3%)。

25歳から64歳までの男性では、保有率が90%を越えている。

統計を取ったことはないが、棋士の運転免許保有率は、これほど高くはないと思われる。

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それにしても、今回調べてみて、25歳から64歳までの男性の中で運転免許を保有していない人の割合が10%未満であることには少し驚いた。

個人的な話になるが、私も運転免許は持っていない。

思った以上に少数派だ…

とはいえ、血液型がAB型の人の割合と同じと考えれば、それほど珍しくもないと考えることもできる。

私も村山聖九段もAB型だ。

ちなみに、羽生善治九段、勝浦修九段、森下卓九段、木村一基王位もAB型。米長邦雄永世棋聖、芹沢博文九段もAB型だった。

 

谷川浩司名人(当時)「みんな”先輩を立てる”とか何とか言っておきながら、ひどいですよねェ」

近代将棋1990年3月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 ところで、わが関西にも最近婚約した棋士がいる。神崎四段がその人。フィアンセは御坊市の久美子さん。こちらは久美子さんが和歌山駅前で通りすがりの神崎四段に道をたずねたのがきっかけ―と、最近本人から聞いた。

某月某日

 周囲に気づかれないように、こっそり女性と交際し、ある日突然、婚約発表。「最近こんなパターンが増えてきましたね。浦野さんのときもそうだったし」と谷川名人に声をかけたら、「みんな”先輩を立てる”とか何とか言っておきながら、ひどいですよねェ」という返事が返ってきた。

某月某日

 昼すぎ、谷川名人が来宅。夕方からフェスティバルホールで「新春歌の祭典」というビッグイベントがあり、それに出演するという。「いまリハーサルを済ませてきたところです。突然おじゃましてすみません」と名人。本番まで3~4時間もあるのでコーヒータイムというわけ。谷村新司の「Far away」を歌うらしい。私は応援に行きたいが、あいにく先約(創棋会新年宴会)がある。で、ミーハーの妻が代わりに行くことになった。6時から宴会。吉田健さん、岡田敏さん、若島正さんetc。森五段と浦野六段もいる。どこを見渡しても詰棋界で高名な人たちばかりだ。文学であれ音楽であれ、すぐれた作品を産み出すには並外れた想像力が要る。この点は詰将棋も同じ。でもこの世界は不思議なことに、どんな名作を発表しても、それに見合った対価(原稿料)が支払われたことがない。この不幸な状況はいつまで続くのか―と彼らを見ていて私は思う。

某月某日

 谷川名人と一緒に彦根へ王将戦第1局(2日目)を見に行く。対局室に入ると米長九段が名人に「まさか棋王戦のほうを見に行こうとしてるんじゃないでしょうね」。近く棋王戦五番勝負を控えている南王将はニヤニヤ。先の竜王戦で谷川さんは「羽生将棋を勉強させてもらう」と、何度も対局場へ足を運んだ。米長九段にすれば、その名人が自分の王将戦には顔を出さないということになればプライドを傷つけられるわけだ。「はあ…」と谷川さんは苦笑い。将棋は米長九段の完勝だった。打ち上げの後、私は九段の部屋へ行って現在の心境や今後の抱負などを聞く。深夜の娯楽室はマージャンあり、酒ありと大層にぎやか。何とプロ同士の将棋もあり、桐山・長沼戦に続いて桐山・米長のビッグ対決が始まったのには驚いた。「A級順位戦が始まったよ」と名人。当人は私が貸したゲームボーイでテトリスに夢中。南王将の姿は見えない。もう眠っただろうか。

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将棋世界1990年3月号グラビアより。撮影は弦巻勝さん。

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「周囲に気づかれないように、こっそり女性と交際し、ある日突然、婚約発表」

普通はこの方が一般的だと思うのだけれども、どうなのだろう。

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「こちらは久美子さんが和歌山駅前で通りすがりの神崎四段に道をたずねたのがきっかけ―と、最近本人から聞いた」

このパターンから結婚に持ち込むのは、かなり難易度が高い。運命的な出会い、生まれた時から赤い糸で結ばれていたのだと言えるだろう。

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「みんな”先輩を立てる”とか何とか言っておきながら、ひどいですよねェ」

この時代のこの年代だけのことかもしれないが、結婚でも先を越されたくないという勝負師気質が表れている。

島朗七段(当時)と中村修七段(当時)との間で「先に結婚するほうが年齢✕1万円を払う」という契約が締結されていたが、先に結婚を決めた島七段から突然27万円を受け取った中村七段は、それからしばらくの間、ショックを引きずっていたという。

普通なら27万円をもらった方が嬉しいのに、そうではないところがやはり勝負師。

谷川浩司名人(当時)2.1倍、羽生善治竜王(当時)51倍

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「どんな名作を発表しても、それに見合った対価(原稿料)が支払われたことがない。この不幸な状況はいつまで続くのか―と彼らを見ていて私は思う」

これは難しい問題だ。クラウドファンディングのようなものを利用して、詰将棋の賞の賞金を劇的に上げるということも考えられるが、それが現実に合っているのかどうかはわからない。

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「当人は私が貸したゲームボーイでテトリスに夢中」

桐山清澄九段-米長邦雄九段戦が行われている横での谷川浩司名人(当時)のテトリス、という娯楽室のたまらない光景。

谷川浩司名人(当時)「シロウトさんをいじめて、どないしまんのや」

近代将棋1990年2月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 夜、関西将棋会館へ。C級2組の順位戦日だ。私は観戦記者になってから、取材のあるなしにかかわらず、順位戦は必ず見るようにしているが、この日は急用ができたため連盟へ行くのが遅くなってしまった。

 控え室をのぞくと東西のC2棋士が数名。もう何局か終わったようだ。その中の一人、神吉五段が「さあさあ、将棋を指しましょう」と私に言う。

 エライ人につかまった。用心棒カンキは順位戦で負けるとサド伯爵になる。つまりその、アマチュアの私(棋力は三段程度)をつかまえ、10秒将棋でトコトンいじめる悪いクセがあるのだ。かつて谷川名人に「シロウトさんをいじめて、どないしまんのや」と関西弁でたしなめられたこともあるほどだ。

 神吉・池崎戦は指し込み制で、二枚落ちからスタートする。私が勝てば次は飛車落ち、負ければ四枚落ちというわけだが、私が初戦で勝つことはまずない。それでも今までは四枚落ちで止まっていたのに、この日はなんと六枚落ち(!)まで指し込まれてしまった。

「10秒将棋ですからね」という村山五段のなぐさめの言葉も、頭に血の上っている私には「このアホタレが!」としか聞こえない。

 さすがに六枚落ちには勝ったが、もう一度四枚落ちをやっても勝てる自信はないので「きょうは、このへんで勘弁してください」と嘆願。しかしサド神吉は離してくれない。そこで「僕は囲碁将棋ウィークリーの大ファンです。毎週衛星放送を見てるんですよ」と言うと「わかりました。わかりました」とサド。やっと地獄から解放されたと思いきや、そうではなかった。敵は何と「それなら平手でやりましょう」と来たのである。「これなら負けても悔しくないでしょ?」。うっ、急所を突いてきた。もともとタダで教えてもらっているのだから文句は言えない。このあと何番、平手を指したかわからない。もちろん私が全敗。

 そばで浦野六段と小倉四段がニヤニヤ笑いながら見ている(ほんまに将棋界はサドの集団だ)。フラフラの頭で対局室に入ると森・大野戦が終わったところだった。

某月某日

 鈴木宏彦さんから電話があり「モノポリーをしませんか」と言う。取材で大阪に来ているらしい。「谷川名人と神吉さんがいます。先崎さんも。来るでしょう?」

 私は旅行から帰ったばかりでちょっと疲れていたが、カンキさん、と聞いてムラムラと闘志がわいてきた。この間、将棋でひどい目にあった(カタキを討たねば……。モノポリーなら何とかなるやろ。喜び勇んで行くと、神吉さんは用事があるとかで(何てこった)、代わりに井上五段が参加。

 関西勢は全員ビギナーなので先崎さんの圧勝かと思われたが、なぜか私が優勝(これで私のモノポリー戦績は過去3戦して優勝2回)。勝ってもあまりうれしくない。以前、谷川さんから「モノポリーは人間性の出るゲームです。性格のいい人は勝てません」と聞いたことがあるからだ。この説は正しいのだろうか。今度、島さんに会ったらよく聞いてみよう。

近代将棋同じ号グラビアより。撮影は弦巻勝さん。

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池崎和記さんが、いかに関西の棋士に愛されていたかがわかる。

村山聖五段(当時)の「10秒将棋ですからね」も、なかなかいい味を出している。

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「僕は囲碁将棋ウィークリーの大ファンです。毎週衛星放送を見てるんですよ」

この頃、神吉宏充五段(当時)が司会の「囲碁将棋ウィークリー」がNHK BSで始まったばかり。

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神吉宏充七段は駒落ちの下手殺しで有名だ。

池崎さんが六枚落ちを勝てたのも、かなり凄いことだと思う。

「未熟者めが」

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「シロウトさんをいじめて、どないしまんのや」

絶妙な言葉。

谷川浩司九段の関西弁はなかなか聞く機会がない。

棋士室、あるいは飲みに行ったときにしか聞けないのかもしれないが、ぜひ大盤解説などでも聞かせてほしいものだ。