「自戦記」カテゴリーアーカイブ

羽生善治棋王(当時)「何故ならタイトル戦で敗れるとその次の年はそのショックで勝ち上がって来ることが少ないからです」

将棋マガジン1992年6月号、羽生善治棋王(当時)の第17期棋王戦五番勝負第4局〔対 南芳一九段〕自戦記「早囲いの攻防」より。

 今期の棋王戦は昨年に引き続き南先生との対戦になりました。

 南先生の棋風は重厚で攻め気が強いという矛盾しているようで矛盾していない所にあります。

 このシリーズはリターンマッチという形で、私自身としては始まる前は前期以上に容易ではないという気持ちでした。

 何故ならタイトル戦で敗れるとその次の年はそのショックで勝ち上がって来ることが少ないからです。

 そういうケースが多い中で南先生は挑戦権を獲得したのですから、その精神力は素晴らしいものがあります。

 その強さの秘密は私には解りません。簡単に崩れない所が一流棋士の証明なのでしょう。 

 そして、京都での第一戦を迎えることになりました。私にとってはちょうど1年振りのタイトル戦ということで、緊張もしましたし、新鮮な気分にもなりました。

(中略)

 言い古された言葉ですが、タイトルは防衛して一人前とよく言います。とりあえずその一つの目標が達成出来て嬉しい。

 しかし、対戦相手の南先生はタイトル戦の連投でかなりきついスケジュール、対して私は余裕があるスケジュール、条件的に恵まれたので勝つことが出来たのでしょう。

 内容的にも押されていて苦しいシリーズでした。

(以下略)

将棋マガジン1992年5月号より。撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

「何故ならタイトル戦で敗れるとその次の年はそのショックで勝ち上がって来ることが少ないからです」

羽生善治棋王(当時)は、1990年に竜王位を失冠後、その翌期の竜王戦1組では負けが先行し、2組に陥落している。

* * * * *

竜王戦に限って見れば、直近では広瀬章人八段が竜王位失冠後に竜王戦1組では負けが先行し、2組に陥落している。

森内俊之九段は、2014年に竜王位失冠後、2015年の竜王戦1組で負けが先行し、2組に陥落している。

渡辺明三冠は、2013年に竜王位失冠後、2014年の竜王戦1組で負けが先行し、2組に陥落している。

竜王戦の場合は、竜王位を失冠すると、1組→2組というケースが多いようだ。

* * * * *

一方、竜王戦七番勝負で敗れて、翌期にも挑戦している例もある。(年は年度)

羽生善治九段
1993年失冠●→1994年奪還◯
2000年挑戦●→2001年奪還◯

佐藤康光九段
1994年失冠●→1995年挑戦●
2006年挑戦●→2007年挑戦●

丸山忠久九段
2011年挑戦●→2012年挑戦●

竜王戦は32期中、番勝負で敗れて翌期にも挑戦しているケースが5期で、16%。

16%が多い数字なのか少ない数字なのか判断はつかないが、他の棋戦も見てみたい。

* * * * *

名人戦で敗れて、翌期にも挑戦している例は、

升田幸三実力制第四代名人
1953年挑戦●→1954年挑戦●

大山康晴十五世名人
1957年失冠●→1958年挑戦●→1959年奪還◯

米長邦雄永世棋聖
1979年挑戦●→1980年挑戦●

谷川浩司九段
1998年失冠●→1999年挑戦●

羽生善治九段
2004年失冠●→2005年挑戦●
2011年失冠●→2012年挑戦●→2013年挑戦●→2014年奪還◯

名人戦は78期中9期で12%。

* * * * *

王位戦は、

郷田真隆九段
1993年失冠●→1994年挑戦●→1995年挑戦●

佐藤康光九段
1997年挑戦●→1998年挑戦●
2005年挑戦●→2006年挑戦●

谷川浩司九段
1999年挑戦●→2000年挑戦●

羽生善治九段
2002年失冠●→2003年挑戦●→2004年奪還◯
2007年失冠●→2008年挑戦●

王位戦は60期中8期で13%。

* * * * *

王座戦は(タイトル戦となった1983年以降)、

中原誠十六世名人
1987年失冠●→1988年奪還◯

谷川浩司九段
1993年挑戦●→1994年挑戦●

島朗九段
1996年挑戦●→1997年挑戦●

佐藤康光九段
2005年挑戦●→2006年挑戦●

羽生善治九段
2011年失冠●→2012年奪還◯

王座戦36期中5期で14%。

* * * * *

棋王戦は、

米長邦雄永世棋聖
1979年失冠●→1980年奪還◯

谷川浩司九段
1986年失冠●→1987年奪還◯

南芳一九段
1990年失冠●→1991年挑戦●

佐藤康光九段
2008年挑戦●→2009年挑戦●

棋王戦45期中4期で9%。

* * * * *

王将戦は、

大山康晴十五世名人
1955年失冠●→1956年挑戦●→1957年奪還◯
1962年失冠●→1963年奪還◯

二上達也九段
1959年挑戦●→1960年挑戦●

加藤一二三九段
1966年挑戦●→1967年挑戦●

米長邦雄永世棋聖
1973年挑戦●→1974年挑戦●

中原誠十六世名人
1985年失冠●→1986年挑戦●

南芳一九段
1989年失冠●→1990年奪還◯

谷川浩司九段
1995年失冠●→1996年挑戦●

羽生善治九段
2001年失冠●→2002年奪還◯
2003年失冠●→2004年奪還◯

佐藤康光九段
2005年挑戦●→2006年挑戦●

王将戦69期中12期で17%。

* * * * *

棋聖戦は、

大山康晴十五世名人
1966年前失冠●→1966年後奪還◯

中原誠十六世名人
1967年後挑戦●→1968年前奪取◯

二上達也九段
1975年前挑戦●→1975年後挑戦●

屋敷伸之九段
1989年後挑戦●→1990年前奪取◯

郷田真隆九段
1992年前挑戦●→1992年後挑戦●

谷川浩司九段
1993年前失冠●→1993年後挑戦●→1994年前挑戦●

三浦弘行九段
1995年挑戦●→1996年奪取◯

深浦康市九段
2010年挑戦●→2011年挑戦●

棋聖戦90期中9期で10%

* * * * *

番勝負で敗れて翌期にも挑戦しているケースは、おおよそ9%~17%。

たしかに、「タイトル戦で敗れるとその次の年はそのショックで勝ち上がって来ることが少ない」ということが言えそうだ。

棋士別(3期以上)では、

羽生九段 12期
谷川九段 7期
佐藤(康)九段 7期
大山十五世名人 6期
中原十六世名人 3期
米長永世棋聖 3期
郷田九段 3期

ショックからの立ち直りが早い指標と考えることもできるかもしれない。

一つ言えるとすれば、将棋マガジン1992年6月号でこの文章が書かれて以降、これらの数値は羽生九段自身が最も上げているということ。(この文章が書かれて以降の、番勝負で敗れて翌期にも挑戦しているケースが32期。うち羽生九段が12期。全体の38%を占める)

それから、棋聖戦以外では、連続挑戦でタイトルを獲得した例がないということもわかる。

ただ、これらのことが分かったからと言っても、すぐに何かの役に立つというわけでもなさそうだ…

森内俊之五段(当時)「奨励会で返せなかった借りは順位戦で返すしかないと心にきめた。今回は5年前の雪辱戦である」

近代将棋1992年2月号、森内俊之五段(当時)の第50期C級1組順位戦〔対 佐藤康光五段〕自戦記「5年前の借りを返す」より。

 昭和61年12月の第2奨励会での事、僕は三段で、その日の1局目まで12勝4敗、昇段まであと1勝としていた。(三段リーグ発足前の事)

 その当時、佐藤君は二段から8連勝で三段に昇段したばかりでものすごい勢いだったが、その日は学校の期末試験ということで1局目には顔を見せなかった。

 正直に言って奨励会最強の彼に勝って昇段したいという気持ちと、指せば負けるかもしれないので指したくないという気持ちがあったが、できれば指したくないという気持ちの方が強かった。

 しかし、彼は2局目に来たのである。

 そして、必然的に2局目は佐藤君との対決となった。(昇段の一番は三段の中で一番成績が良い人とやることになっていた)

 自信を持って対局に臨んだが、結果は完敗だった。指してみて彼の方が強いと思ったので、結果は仕方ないと思ったが、この借りは必ず返してやるという気持ちが心に残った。

 しかし再戦の機会は訪れなかった。彼が3月に四段に昇段してしまったのだ。彼の昇段の一番は是非とも指したかったが、幹事の先生は中川三段(現五段)を指名した。

 5月になって、僕も四段に昇段できたが、佐藤君への借りはついに返せなかった。

 そして、奨励会で返せなかった借りは順位戦で返すしかないと心にきめた。今回は5年前の雪辱戦である。

(中略)

 佐藤五段は本格派の居飛車党なので、こちらの作戦を外してくることはないと思っていた。

 ▲5八飛に対し△5五歩と取ったので、朝から相矢倉の中では最も激しい局面になったが、こういう展開の方が緊張感があって、僕には良いようだ。

(中略)

 全棋士の中でも読みの深さと正確さでは一、二を争う佐藤五段が、1時間半以上考えてやってきた順なので、勝ちを読み切るのは無理だろうとは思ったが、△5二飛と決戦をいどまれては考えざるを得ない。ここで大長考に入った。

(中略)

 本譜は△同銀不成と取ったので、▲4六馬ではっきり勝ちになった。

 終了時間0時57分、全力を出し切った末の指運の勝利、今年度の中で最も嬉しい勝利でもあった。

* * * * *

近代将棋1992年2月号より。

* * * * *

森内俊之九段は、1987年5月、三段リーグ復活直前に四段に昇段している。

だが、佐藤康光九段が四段になったのが1987年3月。

佐藤康光四段(当時)は1987年度から順位戦に出場できたが、森内俊之四段(当時)の順位戦出場は1988年度から。

二人はもともと仲が良く、なおかつライバル関係。

そのような意味でも、順位戦出場の1年差が、森内四段の闘志を更に燃え上がらせたと言って良いだろう。

このような同世代間の切磋琢磨の積み重ねが、「羽生世代の棋士の時代」を築き上げていくことになる。

* * * * *

ライバル物語

森内俊之五段(当時)「ヨーロッパぼけの奴には負けたくない」

 

羽生善治棋王(当時)「このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです」

近代将棋1992年2月号、羽生善治棋王(当時)の勝ち抜き戦〔対 田丸昇八段〕自戦記「会心の一局」より。

将棋世界1992年2月号より。撮影は中野英伴さん。

 今月は久しぶりに自戦記ということで<勝ち抜き戦>田丸昇八段との一局からです。

 田丸八段は駒が全く後退しないという激しい攻め将棋。また、将棋連盟の理事職も務めています。

 この勝ち抜き戦はその名の通り、上位陣と下位陣に分かれて勝ち抜けばどんどんと対局のつくシステムで、この形式はトーナメント戦に慣れてしまっているのでとても新鮮です。

 上位陣から出場する方が勝ちやすそうにも考えられますが、群雄割拠の現代の将棋界ですから、何とも言えないでしょう。

 また、B1の田丸八段が下位陣で、タイトル保持者とはいえB2の私が上位陣というのも面白い所です。

 この棋戦で下位陣に登録されていても、いきなりタイトルを取ったりすると上位陣に寝返りを打ったりすることもあったりします。

 さて、局面は塚田流と呼ばれる横歩取りの将棋になりました。

(中略)

塚田先生好み

 1図がその局面ですが、大変激しい将棋で田丸八段好みと言えましょう。

 塚田流というのは本誌”塚田賞”でお馴染みの塚田正夫実力制第二代名人の愛用されていた戦法です。

 この塚田先生ともう一人”塚田スペシャル”で有名な塚田泰明八段、塚田と苗字のつく人は激しい急戦を好むのでしょうか。

 1図で2択、穏やかに▲3六飛か、激しく▲7四同飛か、その人の考え方があらわれる所です。

 プロの実戦譜では▲3六飛と指す人のほうが圧倒的に多くて、田丸八段もこの戦法を1年近く指しているようですが、▲同飛と指されたのは初めてだと言っていました。

1図以下の指し手
▲7四同飛△同歩▲4六角△8二角▲同角成△同銀▲5五角△8五飛▲8六飛(2図)

2図以下の指し手
△同飛▲同銀△2八歩▲8二角成△2九歩成▲4八銀△3八歩▲8一馬△3九と▲同銀△同歩成▲同金△4五角(3図)

緊張感がたまらない

 ▲7四同飛とすると中盤を通り越して終盤となり、研究にはまって負けてしまうということも十分考えられ、それは馬鹿々々しいということで、▲3六飛を選ぶ人が多いようです。

 しかし、▲同飛とすると超急戦の緩みのない将棋となり、その緊迫感が良いので、私は▲同飛と指してしまいます。

 そして、こうなると2図への展開が予想され、実戦もこうなりました。

 △4五角(3図)が攻防の一手で、攻めては△6六桂を見せ、▲6三馬の狙いを消している一石二鳥なのです。

3図以下の指し手
▲6五飛△3八歩▲4九金△2九飛▲4五飛△3九歩成▲6八玉△4九と▲7七玉△4八と▲7九歩(4図)

恐ろしい変化が!

 こういった局面はとにかく緩みのない手を指さなければなりません。

 緩みのない手とは先手、先手と相手を急がせることで、攻めだけではなく、受けにも緩みのない手というのはあります。

 そういう思想であれば、3図での正解は▲6五飛であるということも容易に発見できるでしょう。

 これも攻防の一手で、△6六桂を消して角取りと▲6三馬、▲6三飛成を見せています。

 しかし、ここで△3八歩が絶妙の利かし、▲同金なら△2九飛なので、▲4九金もやむを得ません。

 この局面では△5四角がまず浮かびますが、▲6三飛成△同角▲同馬△2九飛▲5四桂△同歩▲5三銀となると、△6二銀▲5二角(参考図)で後手玉は受けなしになってしまいます。

 このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです。

 よって、△5四角は成立せず、角取りを放置して△2九飛と攻め合いです。

 これも角をただであげるというのですから荒っぽい手なのですが、次の△3九歩成で角損の代償となりおつりも来るという読みです。

 こうなると私の方も受けなければなりません。

 そして、一段落した局面が4図。

 実はここまで過去に同じ実戦譜があり、それでこの局面はやや良しと、滝-飯野戦の感想戦でも聞いていたので、私は消費時間28分という短いペースで来たのです。

4図以下の指し手
△6四桂▲8八桂△7二銀▲9一馬△5八と▲7三香△6九と▲8五飛△4二玉(5図)

4図のみかた

 4図を形勢判断すると駒の損得は角金交換の駒得、駒の働きは互角、玉の固さも互角、手番は後手ということで、この手番を有効に使えば互角にも思えるのですが、後手は歩切れという痛い所があるのです。

 この局面、もし後手の持ち駒に一歩あればきっと後手有利でしょう。

 0と1はそんなに差がないようにも見えますが、あるとないの決定的な差なのです。

 後手は△6四桂を決め、△7二銀と投入して自陣を引き締めて来ました。

 自陣を固めれば自玉への攻めも緩和されますが、相手玉への攻撃力も落ちてしまい、その辺の兼ね合いが終盤での難しい所です。

 どちらが先に行き着くかという局面が5図です。

 この△4二玉が仲々の一手で、先手もどう指すか難しい所です。

 ”玉の早逃げ八手の得”という格言通りの一手です。

 まず▲7二香成△同金▲8一飛成が第一感ですが、△7一金打▲9二竜△7九と▲7三銀△7八と▲同玉△8二歩となりますと、先手が攻めあぐねている感じです。

 しかし、△7九とが厳しいだけにのんびりもしていられません。

5図以下の指し手
▲7二香成△同金▲6四馬△同歩▲3四桂△3三玉▲3五銀△7九と▲2四銀打△同飛成▲5一角△4二香▲2四銀△同玉▲4二桂成△3三角▲8七玉△7八と▲2九香△3四玉▲3六飛(投了図)まで、83手で羽生勝ち。

内容がよくて嬉しい

 少し焦り気味だったのですが、▲7二香成△同金▲6四馬の決め手を発見することができました。

 △6四同歩に▲3四桂が厳しい一手、△5二玉には▲1八角、△3三玉には▲3五銀の要領です。

 以下も変化の余地はあるようですが、先手の勝ちは動かないようです。

 投了図以下は△4四玉の一手ですが、▲3二成桂で後手玉は一手一手の寄りですし、先手玉は詰みません。

 この将棋は一手誤ると奈落の底に落ちるという将棋だけに良い内容で勝てて嬉しかった。

 毎局こんな感じの将棋が指せれば良いなあと思っている所です。

 そういう意味では会心の一局でした。

* * * * *

「このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです」

勘弁してほしいほどの、スリル満点の将棋。

映画『ミッション:インポッシブル2』の冒頭のロッククライミングのシーン、あるいは『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』でのドバイのブルジュ・ハリファ(世界一高いビル)の側面を走って移動したりしているシーンを思い出してしまう。

* * * * *

 

「先手、先手と相手を急がせること」

「先手、先手と攻め込んでいく」ではなく、相手を急がせるというのが、まさしく達人の極意。

見習おうと思っても、プロの実力がなければ難しいに違いない。

* * * * *

「この塚田先生ともう一人”塚田スペシャル”で有名な塚田泰明八段、塚田と苗字のつく人は激しい急戦を好むのでしょうか」

ほとんど同じ時期に発売された将棋世界1992年2月号での、羽生善治棋王(当時)の連載自戦記〔第25回早指し選手権 対 佐藤康光五段〕「二つの新手」では、次のように書かれている。

 今月は早指し戦、佐藤康光五段との一局を見て頂きます。

 佐藤五段は居飛車党の本格派、研究熱心で学究肌の若手棋士です。

 ファンの方々には一昨年の王位戦で谷川王位とフルセットの死闘を演じたことが頭に浮かんだと思います。

 佐藤五段と私は奨励会同期なので、研究会やその他でかなり指しており、棋風はお互いに熟知しています。

 話は変わりますが、C級1組には佐藤大五郎九段、佐藤義則七段、佐藤康光五段の3人の佐藤先生がいます。

 佐藤という名字は全国的に多いとはいえ、これはかなり珍しいのではないでしょうか。


羽生棋王は、近代将棋と将棋世界、同じタイミングで名字の話題をそれぞれで盛り込んでいる。

 

羽生善治棋王(当時)「棋士にはそれぞれ、相性の良い、あるいは悪い棋戦がある。私にもそういうのがあって、どうしても勝てない棋戦がある」

将棋世界1992年3月号、羽生善治棋王(当時)の連載自戦記「一手が敗因」(第33期王位戦、対 島朗七段)より。

 棋士にはそれぞれ、相性の良い、あるいは悪い棋戦がある。

 私にもそういうのがあって、どうしても勝てない棋戦がある。

 それは、王位戦。4勝でリーグ入りと条件は恵まれているのですが、今までほとんど1回戦か2回戦で敗退。

 今年こそはと思っていた所、私にとって研究会などでお世話になっている先輩、島七段と対戦することになりました。

(中略)

 大差で負けてしまって無念の気持ちはありましたが、今日は今日でそれなりに勉強になったし収穫もありました。

 まあ、それはそれで良しとしよう。

将棋マガジン1992年3月号より。撮影は中野英伴さん。

* * * * *

「棋士にはそれぞれ、相性の良い、あるいは悪い棋戦がある」

渡辺明三冠が、冬の棋戦(竜王戦、王将戦、棋王戦)で特に強さを発揮していて”冬将軍”と呼ばれるのは、相性の良いケース。

最近の逆のケースとしては、強いて挙げれば、藤井聡太七段の棋王戦2年連続での予選敗退。

* * * * *

「私にもそういうのがあって、どうしても勝てない棋戦がある。それは、王位戦」

とはいうものの、羽生善治棋王(当時)は、この翌期、王位戦の挑戦者となり、郷田真隆王位(当時)から王位を奪取している。

そして、その後は9期連続で王位を防衛。

1年後には景色が全く変わっていることもあるのが、勝負の世界だ。

 

谷川浩司竜王(当時)「結局、50手目で研究が外れた私が勝ち、66手目まで研究通りに進んだ森下六段が負ける、という結果となった」

将棋世界1992年2月号、谷川浩司竜王(当時)の第4期竜王戦七番勝負第5局〔対 森下卓六段〕自戦記「研究の功罪」より。

第4期竜王戦七番勝負第5局の時の谷川浩司竜王(当時)。将棋マガジン1992年2月号、撮影は中野英伴さん。

 対局場に向かう日、昼食の後。

 家で将棋盤に向かうことなど何日ぶりだろうか、と考えながら、駒を並べる。

 研究をしておかなければ、とは思っていたのだが、他の対局で忙しく、今日になってしまった。

 明日の対局は地元なので、家を出るのは3時半で充分。とすれば、2時間は研究できる。

 時期的にはやはりモーツァルトかな、と思いながらも、BGMには、一番好きなマーラーの5番を選ぶ。

 想定局面は、A図とB図の2つ。

 1勝2敗の苦しい状況であれば、やはり角換わりしかない。これで負けたら、竜王を取られても納得できるというものである。

 このうち、B図の方を相当に掘り下げて調べたのだが―。

 マーラーが終わり、CDを別のクラシックに変えても、私の作戦は遂に決まらなかった。

(中略)

 今期の竜王戦は、局面指定戦の趣きがある。

 私の方は先手を持って角換わりを指す以上は、1図は避けて通れぬ道、と考えているし、森下六段の方は、1図からの先手の攻めは無理、と考えている。

 双方が自信を持っていれば、その局面に進むのは当然というわけである。

 ただ、1図に至るまでのお互いの心境には、かなりの差があった。

 消費時間、森下六段の1時間5分に対し、私は2時間9分。それも▲3七桂66分、▲2五歩33分の後、1図でも51分。3連続長考をしているのである。

 1日目特有の間合いを計った時間ではない。仕掛けた後のことを、深刻に悩んでいた。

 第1局では、A図から▲3四角成△4三銀▲2五馬と進めたのだが、△5四角が攻防の一着で、以下苦戦に陥った。

 A図では単に▲2五角成も有力なのだが、△6五歩と反撃された時に、▲同歩と取って大丈夫なのか、または▲7二歩と垂らすのか、結局判らなかった。

(中略)

 実戦は結局、▲4五歩△同歩▲3五歩△4四銀▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2八飛(2図)

 ▲7五歩の突き捨ては指し過ぎになる可能性が高いと見て、単に飛車先を交換した。

 2図から△6五歩▲同歩△7五歩と進んだのがB図である。

(中略)

 こちらの方も、▲1五歩か▲6六銀か決めかねていて、指されてからもう一度考えるつもりだったのだが、森下六段は△6五歩▲同歩の後、△同桂(3図)。

 対局前日、1日目と、2図の局面は4時間程考えたのだが、△6五同桂という手は殆ど読まなかった。

 3、4、5局と、攻めるつもりなのにどうも受けに回る展開になってしまう。森下六段は受けの棋風というのは、嘘ではないかという気さえしてきた。

 ここで封じ手となった。▲2二歩△同玉▲6五銀△同銀▲3六桂△5五角は少し無理気味なので、穏やかに▲6六銀。

 以下、△6四角▲5九角△4三金右▲6五銀右△同銀▲同銀△5五角▲7七銀(4図)。この8手が、2日目に入って僅か45分で進んだ。

 △6四角に▲2七飛だと、△8六歩▲同歩△8七歩が嫌なので、▲5九角と受ける。

 ▲6五銀右からの桂得が確定しているので、ここは辛抱である。

 ただ、気になったのは森下六段の早い着手である。△4三金右などは、普通10分では指せないはず。2日目の午前中というのは、一番手が進まないものなのだが―。

 4図では、△8六歩▲同歩△8八歩▲同玉△8五歩のような攻めかと思っていたら、森下六段は△8六歩▲同歩の後、△3六銀▲4八金△4六歩▲5六銀△7三角(5図)。

 驚いたことに、森下六段は5図までが研究手順で、これで指せるという結論を出していたらしいのである。

 66手目までが研究範囲。将棋もとうとうここまで来てしまったか、の感があるが、考えてみれば、47手目の2図までは想定局面の一つ。

 その後、△6五歩▲同歩△同桂の攻めを進めてゆけば、5図まで到達するのかもしれない。

 桂損だが、先手の駒を押さえているし、△5四歩~△5五歩が回れば必勝、というのが森下六段の見方。

 だが、ここで私にある手が閃いたのである。

 5図。最初は▲4五歩△3五銀▲5五桂の予定だったが、これは△4二金引▲6三桂成△8四角で大したことがない。

 ▲4五歩△3五銀▲6四歩△8七歩▲4四桂△8四角▲2五桂(6図)。

 ▲6四歩の垂らしが、森下六段の研究から抜けていた一手。角が6四に居れば、▲5五桂~▲6三桂成で角が死ぬ。

 32分、31分、21分。森下六段に連続長考が目立つようになった。

 とはいえ、△8七歩も嫌な手で、とても自信のある局面ではない。

 後手の攻めにプレッシャーをかける意味で▲4四桂。△3三金上なら▲2五桂があるので逃げられず、形の上では金得となった。

 そして、△8四角に▲2五桂。開き直りである。

(中略)

 結局、50手目で研究が外れた私が勝ち、66手目まで研究通りに進んだ森下六段が負ける、という結果となった。

 もちろん、研究することも大切だが、それは先入観を生み、局面を新しい目で見ることができなくなる、という副作用もあると思う。

 ▲6四歩と打った局面は先手が良さそうだが、こんなに楽に勝てるとは思っていなかった。少なくとも、16時5分に終わる将棋ではないはずである。

 森下六段の66手目までの指し手が、対局中の考慮によって主に指されたものであれば、▲6四歩を見て必要以上に悲観的になることもなかったのでは、という気がする。

 私自身も、最近データに頼ってしまうことが多い。勝ちはしたが、自戒の一局でもある。

* * * * *

1図は、昨日の記事「角換わり腰掛け銀盛衰記」で出ていた、この当時の課題局面。

* * * * *

「結局、50手目で研究が外れた私が勝ち、66手目まで研究通りに進んだ森下六段が負ける、という結果となった」

今の時代なら、コンピュータソフトが▲6四歩を指摘してくれて、3図の△6五同桂は実際の対局の場では日の目を見ることはないということになるのだろう。

これはこれで仕方がないことだが、少し寂しいような感じがする。

* * * * *

一方で、コンピュータソフトを使ったとしても、

「もちろん、研究することも大切だが、それは先入観を生み、局面を新しい目で見ることができなくなる、という副作用もあると思う」

は、永遠についてまわることなのかもしれない。