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豊川孝弘五段(当時)「子供の頃から憧れていた森雞二九段」

将棋世界2002年1月号、豊川孝弘五段(当時)の第43期王位戦予選〔対 森雞二九段〕自戦記「魔術師のひねり飛車と戦う」より。

 僕が将棋にはまって、夢中になりだしたのが中学2年生。その時初めて買った将棋の実戦集が「森雞二の中飛車好局集」。1局1局を「うぁーっ、すげえ」と感動しながら並べたことを、今でもはっきりと覚えている。

 森九段の将棋と言えば「終盤の魔術師」「イナズマ流」「一閃」等々、強烈な感じでかっこいいものが多い。実際、森九段の将棋からは、そういった匂いがプンプンしてくる。

 森九段と対戦するのは。本局で2局目。1局目の対戦、まずは頭に焼きついている図をご覧あれ。

 図で魔術師の指し手は、△3五歩。シブイ。1三馬の働きを消しにかかった受け感覚の一着。ただこの手は僕も読み筋で、狙いの一手を放った。▲8三歩。対してノータイムで△同銀。この手で僕はしびれてしまった。以下▲6三歩成と、と金を作って好調にみえるが△2九と▲3一飛△5一桂と進んでみると僕の敗勢。以下80数手将棋は続くが惨敗。持ち時間が3時間の将棋だったが、森九段の指し手はほとんどがノータイム、”力”と”センス””格”の違いを頭に刻まれた一局だった。そんなこともあり、実は8年半ぶりの対戦なのだが、心して本局に挑んだ。

(中略)

 四段になってから10年が過ぎた。盤上での活躍は『記憶』になし。これからの活躍も……。悲しくなってきたので、やめにしておこう。

 ただ今期順位戦は、今のところ結構たのしみがある。このまま茶飲み友達のI藤能さんとともに、上がったりなどしたら、「冴えない中堅の逆襲」と活字に書かれたりして、なんてことを考えたりしている(ウソ)。

(中略)

 森九段といえば、盤の脇に日本一高い山のミネラルウォーターがいっぱい、というイメージが僕の頭の中にはあったのだが、本局、森九段の脇には緑茶のペットボトル?今でこそ大勢の棋士が、ミネラルウォーターなどを脇に戦っているが、僕が奨励会に入ったばかりの昭和57年当時は、ほとんどの棋士が、野田さん(当時連盟4、5階の主と言われた伝説のおばちゃん)か塾生の入れたほうじ茶を飲む人が大半だった。

(中略)

 将棋指しの手は華奢な感じで、子供の頃から将棋の指し過ぎが原因で、人差し指が駒をつまみやすいように、中指側に反っている人が大勢。

 そんな中で森九段の手は、ごつく感じる。「ブシッ」。ふつう駒音は「ビシッ」と表現されることが多いが、森九段の力強い独特の駒運びからは「ブシッ」という感じで、僕の耳には響いてくる。好きな手つきの一つだ。

(中略)

図以下の指し手
▲6五歩△同歩▲同桂△6四角▲8八角△3三桂▲2七銀△7四歩▲同歩△7五歩▲7三歩成△同桂▲6六飛△6五桂▲同飛△8六歩▲同歩△8二飛▲7七角△7六歩▲5九角△7七歩成▲同角△7二飛▲7八歩△7六飛▲5九金(図)

 ▲6五歩が機敏な一手。4図の△9二飛では△8二飛が堅実で正解だった。以下▲2七銀ならば、そこで△9二飛~△7二飛と千日手含みで頑張る。ともかくそうやるべきだった。

(中略)

 ▲8八角。うまい手だった。全然気付かなかった。続く▲2七銀もいい手だ。完璧に”森ワールド”にはまってしまった。△7四歩の18分間は、手を読んでいたというよりは、唖然としている時間だった。▲7三歩成を利かしてから▲6六飛も冷静。▲7三同桂成ならば△7六歩でまだまだと思っていた。

 5図の▲5九金は、善悪を超越した森流の指し手だ。

5図以下の指し手
△7四金▲6六飛△7五飛▲8七桂△6五飛▲同飛△同金▲7一飛△6六歩▲7四飛成△5三桂▲6六角△8九飛▲7五角(6図)

 △6五飛とぶつけて、僕の残りは30分。森九段は依然ビシビシのノータイム指しで、1時間しか使ってくれていない。

 ▲8七桂は何だかよく分からない手なのだが、そうこられると思った。

 少し持ち直したか、そう思って△8九飛と打ちおろしたのだが、▲7五角が凄い手。8七の桂馬がジワリと効いてきた。

  

6図以下の指し手
△同角▲同桂△9三角▲7一角△7五角▲6九歩△9九飛成▲5三角成△同角▲6五竜△6四香▲7四竜△6九香成▲4九金△6八成香

(中略)

 5分で指された▲7一角が、森九段らしからぬ落手。▲6九歩と受けられていたら依然僕の苦戦だった。

 △7五角の1分は希望の光が、見えてきた時間だった。

(中略)

 投了図からは▲5七玉の一手に△4七飛以下簡単な即詰み。子供の頃から憧れていた森九段にやっと勝つことが出来た。嬉しい!やった!!

 たまに、アマチュアの人から「どうやったら強くなれるんですか?」と聞かれることがある。だいたいの場合僕の答えは決まっていて「自分より強い人とやる、負けて強くなるんです」そしてチョット間をおき「たまに自分よりも弱い人とやる、これも大切です」(オーッ偉そう)。これは目先の、実戦を主体としたものだが…。結局、強くなるか、ならないか、それを決めるのは、好きか、嫌いか、楽しいか、楽しくないか、そんなことだと思う。要は自分に合ったレベルの楽しいやり方であれば、程度の差はあれ、絶対に棋力は伸びるはずだ(余程変な勉強の仕方か、プロを目指すんでなければ)。

 プロとかアマとか、そういったものは関係なく『強くなりたい』『強くなる』こういった気持ちが、将棋が強くなるためには、一番大切な事だと思う。一番単純にして難しい”志”。夢中で将棋に打ち込めるよう、また頑張ってみよう。毎度の事だけど…。

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駄ジャレは現れてこないが、豊川孝弘七段らしさが溢れ出る自戦記。

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冒頭の、頭に焼きついている図からの△3五歩▲8三歩△同銀が凄い。

野蛮という表現も違うし、野性的という表現も違う。やはり森雞二九段には「魔術師」が一番ピッタリくる。

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5図の▲5九金のところでは▲3八金と落ち着くのが自然だが、豊川孝弘五段(当時)が「善悪を超越した森流の指し手だ」と書いている通り、▲5九金はいかにも森雞二九段らしい主張の入った一手。

6図の▲7五角も華麗で豪快な捌き。

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先崎学九段も、子供の頃は 森雞二九段の将棋に心酔し、何度も何度も棋譜を並べている。

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今日からの名人戦第4局の立会人が森雞二九段。

先週、現役最後の対局があった森雞二九段だが、どのような面白い話をしてくれるのか、目を離すことはできない。

 

 

大山康晴十五世名人の石田流崩し対抗策

将棋世界1982年5月号、中原誠名人の第31期王将戦〔大山康晴王将-中原誠名人〕第5局自戦記「石田崩しがウラ目」より。

 例によって、居飛車対振飛車の対抗形。

 四間飛車は当然予想された戦法。

 振飛車には左美濃というのが、最近の私の傾向だ。こんどの王将戦も第3局を除いてすべて左美濃で戦った。去年の王位戦あたりから多用しているが、戦法の優秀性を認めているからにほかならない。

 だが本局は、序盤にやや趣向をこらした。変化を求めたといってもいい。▲7八銀がそれだ。第1局でも▲6八銀という手を考えたが、そのときは考えただけにとどまった。▲7八銀は玉の囲いをあとまわしにし、左翼の盛り上がりを意図している。

1図以下の指し手
△3五歩▲6八玉△3二飛▲7七玉△7二銀▲8七玉△6二玉▲2五歩△3四飛▲4六歩△7一玉▲4七銀△1四歩(2図)

 ▲8六歩と突いた時点では次に▲8七銀から▲7五歩のような手をねらっていたが、△3五歩をみて気が変わった。△6二玉なら▲8七銀と上がったろう。△3五歩は、▲8七銀なら、場合によっては「△6二玉を見合わせる」という大山王将の感想があった。

 私は▲6八玉から▲7七玉と上がった。△4五歩なら▲8七玉と寄ってなんでもない。本譜の進行は▲8六歩の一手にムダがなく、むしろ得した感さえある。

 後手が△6二玉と移動してはじめて▲2五歩と突いた。石田流がもしいやなら、△3五歩と突かれたところで、▲2五歩を決めればいい。それはそれで別の将棋だ。

 石田崩しにはある程度自信を持っていたので、私はむしろ歓迎している。

 結果的には左美濃になった。

2図以下の指し手
▲5八金右△3三桂▲1六歩△8二玉▲3八飛(途中1図)

 図から4手進んだところで昼食休憩。

 ▲3八飛がねらいの一手。

途中1図以下の指し手
△1三角▲1五歩△同歩▲3六歩(途中2図)

 <▲4七銀-▲3八飛>+<△3四飛-△3三桂>の形だけいえば、48年の王座戦、対大野九段戦や、今期王将リーグ、対森安八段戦で経験がある。密かにねらっていた順だ。

 大山王将は△1三角とのぞいた。△2五桂なら▲4五歩といくつもりだったが、これも難しい変化になる。

 私は▲1五歩と突き捨て、▲3六歩と突き出した。対大野戦はこの形で後手が居玉だったから大成功をおさめたが、そんなことを思い出し、内心シメタ、うまくいくんじゃないか、などと思ったりもした。

途中2図以下の指し手
△1四飛▲3五歩△3二金(3図)

 大長考の末、△1四飛。局後、大山王将は「ここが一番つらかった」と語った。

 この手で△3六同歩なら▲1五香と走り、△1四歩に▲3五歩△同飛▲3六銀と出、△6五飛▲1四香(A図)で先手十分。

 A図以下△2二角と引けば、▲1一香成△同角▲6六香がある。

 また△1四飛で△2五桂なら▲3五歩△同角(△同飛は▲同飛△同角▲3三飛の角銀両取りで先手勝勢)▲3六飛(B図)と浮き、次に▲4五歩と▲2六歩をみて、先手十分指せるというヨミ。

 △1四飛はありがたいとは思ったが、指されてみると実にいい辛抱であった。

 ▲3五歩に△3二金は当然。

3図以下の指し手
▲3四歩△同銀▲4四角△4五歩▲3五歩△3七歩▲同飛△4六歩▲同銀△4五銀(4図)

 3図では先手有利である。

 私は長考の末、▲3四歩と突き出した。決めにいった感じだが、これがよくなかった。優勢を意識しすぎたきらいがある。

 別段焦っていたつもりはないのだが、どこかに焦りがあったことも否定できない。大局を見る眼がちょっと曇っていたのも事実だ。

 ここは▲3六銀ぐらいで十分だった。

 それもちらっと考えたが、59分の長考中、読みの大半は▲3四歩と▲4五歩に絞られていた。▲3四歩で▲4五歩は、△同歩▲4四歩のとき、△同銀と取る手があるので驚いた。▲3四歩と突くと△4六歩(C図)と突き返される。

 銀の取り合いは再び△4六歩とたたかれるのでとても指しきれない。藪をつついて蛇を出す感がある。

 △3四同銀に▲4四角で一日目が終了。

 大山王将の封じ手は△4五歩。

 この合わせ歩を少し軽視していた。角成りを受けてくれるものとばかり思っていたのだ。△4三金なら▲7七角、または▲2六角、どちらでも先手が指せる。

 私は再び長考で、▲3五歩と打った。突き捨てたばかりで元の位置に歩を打つのは少し変調だが、ゆっくり指そうという読み筋であった。

 ▲4五同歩とあいさつするのは、△同銀▲3三角成△同金▲同飛成△2二角打▲2三竜△9九角成(D図)とされてつまらない。

 D図で▲1四竜と飛車を取れば、△2二角引がぴったりだ。

 大山王将の△3七歩が好手。続いて△4六歩も気合の充実した一手。▲4六同銀で▲3六銀とかわすのは、△4五銀▲5三角成のとき、△3一角とぶつけられ、▲同馬△同金となるが、先手の得はほとんどないといっていいだろう。

4図以下の指し手
▲3三角成△4六銀▲3二馬△3七銀成▲同桂△3五角▲3六歩△4四角▲5五銀△2六角▲2七金△4四角▲4三歩(5図)

 自信があって角を切ったわけではない。容易じゃないと思いながら、▲3三角成を決断した。が、ここは、いったん▲5五角と引き、△5四歩と突かせてから▲3三角成もあった。微妙なところである。

 △3三同金ならもちろん▲4五銀。後手は△4六銀と取り、勢い▲3二馬△3七銀成▲同桂となった。二枚替えで悪いはずはないのだが、先手有利とも言い難い。△3五角と出られて思わず長考となった。

 1時間あまり考えたところで二日目の昼食休憩となり、再開後も念を入れ、ようよう▲3六歩と打った。このままだと△3九飛と打たれる筋が早い。(△6九飛成▲同銀△7九角成)角のいちを変えたいのだ。

 △2六角なら▲4八金打の読みであった。

 いったん△4四角と引き、▲5五銀と使わせてから△2六角が巧妙。もっとも▲5五銀では▲5五桂もあった。

 次に▲1五香△同飛▲4三馬が一つのねらい筋となる。あるいはこの方がよかったかもしれない。

 ▲4三歩で▲4五桂は、△4九飛とおろされて自信が持てない。ここではつらい局面といえるだろう。

5図以下の指し手
△9五歩▲同歩△9八歩▲同玉△2九飛▲8八玉△2七飛成▲4四銀△同飛▲5五角△4九飛成▲4二歩成△2九竜上(6図)

 大山王将の端攻めが素晴らしい大局観。

 △2九飛なら▲4二歩成△2七飛成▲4四銀△同飛▲4五歩△1四飛▲4三馬で勝負になると思っていた。

 △9五歩がとにかく凄い手だ。まさか手抜きもできない。▲同歩に△9八歩が鋭い。▲同香は△9九銀でしびれる。

 飛打ちを防いで▲7九金なら△2九飛、▲7七銀も同じだ。▲8八桂と穴埋めするよりないが、駒を使ってくれれば銀打ちが悪手にはならない。やはり△2九飛と打って後手がよい。

 で、▲9八同玉。△2九飛に▲8八玉もしかたがない。急いで▲4二歩成は、△9六銀▲7九桂△2七飛成▲8八玉△9七歩と打たれて先手が悪い。桂馬を使わされると楽しみがないのだ。

 封じ手以降、だんだん苦しくなっていたが、△4四同飛の場面が唯一のチャンスだった。▲5五角が敗着に近い。

(以下略)

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ここまで中原誠名人の3勝1敗。

しかし、この七番勝負は大山康晴王将が4勝3敗で防衛を果たしてしまう。

形勢判断のあやまりも敗因の一つ。

3図、いいと思ったものが、思ったほど良くはなかったと中原名人は後に述べている。

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▲4七銀-▲3八飛~▲1五歩~▲3六歩の石田流崩しは、中原名人が1973年の王座戦三番勝負第2局、対 大野源一八段(当時)戦で初めて指した手順。

石田流の悲劇(後編)

この時は石田流側がまだ居玉の段階での急戦ということで、破壊力は抜群だった。

しかし、石田流側がきちんと美濃囲いに入っている時には、同じような話にはならないというのが本局。

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途中2図からの△1四飛が、これぞ大山流という一手。

このような手もあったのか、と感心させられる。

以下▲3五歩△3二金(3図)と進んで、本譜は▲3四歩から先手が変調になったが、中原名人が書いている通り▲3四歩ではなく▲3六銀なら、これはこれで一局だったのだろう。

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しかし、3図から▲3六銀とされて、石田流側は動きづらい辛抱の局面。

大山康晴十六世名人だから指しこなせる展開であり、私のような「忍」とは縁遠い人間にとっては局面を維持できない可能性が高い。

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ここ2~3年は少なくなったが、以前は石田流本組に対して、▲4七銀-▲3八飛~▲1五歩~▲3六歩で攻めてくる方が結構いた。

今度、この順で攻められたら、一度は途中2図のような局面から△1四飛と指してみて、どれほどの苦難が待っているのか試してみたいと思う。

 

 

木村一基五段(当時)「俺ももうオッサンだなーと自覚する」

将棋世界2001年9月号、木村一基五段(当時)の自戦記(第27期棋王戦、対鈴木大介六段)「新たな目標」より。

 暑い日が続き、もう夏バテ。何もする気がしない。ああ、夏は嫌だナー。

 年々少しずつ感じる体力の衰え、ビールの飲み過ぎでたるんだ腹、行方君に「ワカメを食え」と言われたこと。俺ももうオッサンだなーと自覚する。

 自戦記を書くのは久しぶり。その時は某新聞記者のM本さんに「君は(文章は下手だから)将棋だけを頑張れ」と言われてしまった。

 今回は棋王戦の予選決勝、対鈴木大介六段戦。よろしくお付き合いのほどを。

(中略)

 鈴木六段(ダイチ君と呼んでいる)は昔から、いつも明るく楽しい男である。

 まあよくしゃべる。その点では私も同じなのだが、その量たるや…彼には全くかなわない。

 彼は振り飛車一本槍だが、振り飛車党の中でも特徴がある。居飛車穴熊に代表されるような持久戦を全く苦にせず、中盤以降のねじりあいに独特の力を発揮する。

 格下の私がこんなことを書くのは大変失礼だが、ここ数年でかなり実力を伸ばした棋士の一人だと思う。

 私は大抵、対局前日に対戦相手の棋譜を調べて、対策を立てておく。彼には何が有効だろう?

 いろいろ考えたが、急戦に決めた。

(中略)

1図以下の指し手
△7四歩▲9六歩△8五歩▲7七角△5三銀左▲9七香△4二金上▲5六歩△6四歩▲7八金△7二飛▲5八銀△7五歩▲同歩△同飛▲6七金△7二飛▲7八飛△6三銀▲4六歩△7四銀(2図)

 鈴木六段の▲9六歩、▲9七香は、居飛車側の出方をうかがった手。私の△4二金上もそういった意味合いで、ここに微妙な駆け引きがある。大雑把なようだが意外と神経を使うところである。

 ▲5八銀から▲6七金。局後の感想戦で鈴木六段は「指してみたかった」と言っていた。善悪は今でもよく判らない。

 △7四銀と前線に銀を繰り出す。振り飛車側の金銀の繰り替えをどう咎めるか、これが本局における、私のテーマとなった。

2図以下の指し手
▲6五歩△7七角成▲同飛△7五歩▲6四歩△同銀▲4五歩(3図)

 本局のこの局面。振り飛車側の金銀を除けば、よく見る形である。

 最近は振り飛車に限らず、矢倉、角換わり、横歩取りなど、あらゆる戦法において、似ているとか、ある程度まで同じ、といった局面をよく見る。そして、そのことがコピー将棋だの没個性だのと批判されることも多いようだ。

 最近の若手(私はオッサンである)の人たちは、以前に比べ、より変化を突っ込んで研究する。そして、そこで出される「やや有利」といった結論は、微差でありながら、逆転が不可能な、決定的な差である。

 棋士である以上、将棋に勝ちたいのはあたりまえ。時には、相手のミスを心から願うことさえある。対局の時に限らずいつも将棋の研究をするということは、それだけ「勝ちたい」という気持ちのあらわれだ。

 今後どのように言われようとも、いつまでも新しく指される最新形の研究についていきたい。そして、少しでも多く勝ちたい、その気持ちを持ち続けたいと思う。負けては何も残らない。

 ▲6五歩はいいタイミングの仕掛け。角交換した後△7五歩は仕方ないところ。ここで△6五歩は▲7三歩△同飛▲8二角で振り飛車良しとなる。

 ▲4五歩は4六から角を打つ狙い。まだまだ互角である。

3図以下の指し手
△5三金直▲4四歩△8二飛▲7二歩△同飛▲5七金(4図)

 3図で私は△9八角と打つ予定で、この手に期待していた。桂取りが受けづらく、これなら金銀の形を咎めている。私は角をつまんだ。

 ところが、それは▲6一角△6二飛▲5二角成△同金に▲8八金と打たれ、悪くなってしまうことに気づいた。

 明らかな読み抜けをした……。私は焦りを感じた。とはいっても替わる手が難しい。△8二飛は▲7一角から馬を作られてしまう。

 困ったな。そう悩んでいた時、ふと△5三金直という手が浮かんだ。そしてすぐ、「俺の感覚は異常だ」と思った。

 一手費やして自陣を崩す、全くプラスになっていない手である。しかしこれが前述の2通りの角打ちを防いでいる。

 急戦にすると、振り飛車の美濃囲いに比べ囲いが弱いため、不本意な辛抱をさせられることが結構多い。

 苦心の一手であった。

 しかし続く▲4四歩がまた好手。△同歩は▲6一角があり、良くない。△8二飛もやむを得ない。苦労したわりに良くならない。

 ▲7二歩も取るよりない。しかし▲5七金がまたまた好手。ここでは指しにくさを感じた。

(中略)

5図以下の指し手
▲1三歩成△8八飛成▲6七飛△1三香▲同香成△6六歩▲同飛△6五歩▲6七飛△7六歩(6図)

 この辺で夕方に差し掛かった。鈴木六段はテンポよく指す。ここまで比較的早い進行だ。

 私はここでも少し悪い、と悲観していた。

 ところが感想戦では、鈴木六段も、

「悪いと思っていた」

 嘘か本当か?局後、お互いに相手の感想を「そんなことないでしょ」と否定しあった。

 もっとも私は感想戦が嫌いだ。だから適当で、半分は嘘だ。疲れた頭で考えてもあまりいい結論が出るわけないし、負けた時は特に後悔するだけだからである。

 ともかくも難しい形勢なのだ。苦しいのは自分だけでなかった。

 5図の△8六飛に対して、私は▲8七歩を予想していた。以下△8五飛(△7六歩の両取り一点狙い)と引くが、そこで▲6七飛が味のいい手。次の▲6四飛から▲4五歩が厳しい。これでまだ大変だな、と思っていた。

 ところが鈴木六段は▲1三歩成。結果的にこの将棋の敗着となってしまった。

 しめた!指された瞬間、私はそう思った。△1三香と端を一回清算して△1六桂の含みを作り、歩を連打して飛車道を止め、じっと△7六歩。急に手ごたえを感じた。

6図以下の指し手
▲7八歩△同竜▲6九銀△8八竜▲5八金引△7九と▲8九歩△同竜▲1二成香△3四歩▲3六馬△6九と▲2六香△1六桂▲1七玉△1五歩(投了図)  
 まで、94手で木村勝ち

 △7六歩と突かれた局面、このゆっくりとしたと金攻めを受ける手段がない。やはり飛車を成らせたのは良くなかったようだ。急に差がついてしまった。

 最終手△1五歩は、次に△2八角▲1八玉△6八とを狙っている。これは△1七銀▲同桂△1九角成▲同玉△4九竜▲同銀△2八金の詰めろ。

 これに対する適当な受けがなく、鈴木六段投了となった。

  私としては中盤苦しんだものの、これといった悪手もなく、満足できる内容の一局であった。

 棋士になってから4年が経った。成績は思ったよりもいい。

 何より奨励会時代、迫り来る年齢制限を意識していた頃と比べれば夢のようである。

 しかしその反面、目標がはっきりしなくなったから、将棋に対して純粋に打ち込むことがなくなった。棋士は幸いにして、一回負けても別の棋戦がある。

 自分にとって、一敗することによって失うものが明らかに変わってしまった。

 お金は稼げるようになった。でも、信念がなくなって、棋士として人間として弱くなった。

 このままでは俺は腐る。だから、新しい、達成することの難しい目標を持つことにした。

「タイトル戦に出る」

 俺は将棋を頑張る。

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この時、木村一基五段(当時)は28歳。

序盤が笑える路線で、中終盤がシリアスな路線の自戦記。

木村一基五段は、この年の竜王戦決勝トーナメントを勝ち進み、挑戦者決定三番勝負で羽生善治四冠(当時)に敗れている。

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「某新聞記者のM本さん」が誰かは、以下の記事をご覧いただくと正解が載っている。

藤井猛竜王(当時)「誕生日は2日違い、結婚式は3日違い。しかし将棋では大先輩」

将棋サイボーグ

藤井猛竜王(当時)の矢倉のように重たい振り飛車

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「ワカメを食え」。

欧米では海藻をほとんど食べないというが、Wikipediaによると、スコットランドやアイルランド、チリ沿岸部には海藻料理があるとのこと。

スコットランドと言えばジェームズ・ボンドの生地ではないか、とすぐに頭の中に浮かんでくるほど、まだ私の頭の中は007だらけであるが、まあそういうことだ。

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海藻というと思い出すのが。楳図かずおさんの漫画『半魚人』。

半魚人になりつつある少年が海藻を咥えているトラウマになりそうなシーンがあったのだが、今回調べてみると、海藻を咥えていたのではなく、海藻が頭の上に乗っかっていたということが判明した。なおかつ青年。

それにしても怖い。

半魚人になりつつある青年(金沢美術工芸大学:ウメズ・ダイアローグ)

 

 

深浦康市六段(当時)「困った顔をして欲しい北浜君」

将棋世界1999年9月号、深浦康市六段(当時)の第18回早指し新鋭戦決勝戦〔対 北浜健介六段〕自戦記「6年振りの新鋭戦優勝」より。

―今日、眼に映ったもの―

 目覚まし時計。今にも降り出しそうなくもり空。鏡。自分の顔。ロールパン。グレープフルーツジュース(100%)。優優。60%。27℃。21℃。ドキッチ。ルナッチ。G連敗。ペイオフ。「ふげん」。イタリア行っても大丈夫かよ、の名波。日本0-4パラグアイ。リモコン。


 最近は新鋭と呼ばれる事はまずなくなった。それもそのはず、もう27歳になる。6年前には新鋭戦優勝の自分が居たとはなかなか信じ難い。決勝の相手は四段同期の豊川五段(現段位)だった。2手目に△3二金と指されたので、滅多(めった、とは何故こういう字を書くのだろう?)に指さない振り飛車を指した。そして勝った。少しばかりまぶしい。

 その年は当たり年でもあった。全日本プロ優勝に始まり、早指し新鋭戦と早指し選手権戦のW優勝。まさに三段リーグの呪縛から解き放たれた勢いの産物であろう。これを実力だと思い込んでしまうと火傷を負ってしまう。当時はそれだけを自分に言い聞かせていたのだが、時が経った今、それは正解だったとの確信がある。

 ここでやはり考えてしまう事は、21歳の自分と、27歳の自分ではどちらの実力が上かという事。地道に培ってきた部分もあれば、失った部分もあったんじゃないか、そんな気がしてならない。

 まあこんな事を考えるのも原稿を書いている間だけ。これからは生き残りを懸けた、厳しい中堅の戦いが待っている。何事も保守的に考えるようになったらもうダメである。

 今回の決勝進出は、6年前を思い出しただけでも良かった。そう思うようにした。


 パソコン。盤と駒。北浜-□□戦。詰将棋の本。昨日から用意していたスーツ。黒のくつ。梅雨らしい雨。傘。First Love。焼肉丼。コンビネーションサラダ。アイスコーヒー。東武東上線。池袋駅。土曜日に居そうなカップル。コントのような厚底のくつ。なぜか新宿駅。線路に落ちた傘。こちらに話しかける少年。マジックハンドを持った駅員さん。恵比寿駅。東京タワー。浅香光代。島田紳助。島田良夫。二上会長。ヒロスエ並の出席率を誇るとの噂の現役ワセダの北浜君。


第18回早指し新鋭戦決勝
平成11年7月3日
於・東京都港区「芝公園スタジオ」
(持ち時間各10分)
▲六段 北浜健介
△六段 深浦康市

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七角

(中略)


 テレビ東京の収録後には旦那が迎えにくるという高群さん。「ナナナナ角」の発音がいつも言えないので、発声練習をしている和ちゃん(ウソ)。「深浦だから長いよ」と言っている副音声室。輝企画の(仮想)マスコットガール、ちっちゃいまゆちゃん。藤井竜王。矢内女流三段。困った顔をして欲しい北浜君。


 北浜六段とはVS(1対1の研究会)で教えて頂いている。攻めに特徴のある棋士だと思うが、B2に上がってからはしぶとい受けも身につけたようだ。数多くの番数をこなしたと思うが、本局の作戦は▲7七角からの変則角換わりで、VSではなかなかお目にかからない作戦だ。決勝戦のために温めておいた作戦だろうか?

(中略)

 現在、小学館発行の週刊誌「少年サンデー」で”歩武の駒”という将棋マンガの監修をさせていただいている。サンデーさんでも将棋マンガは初の試みだそうで、期待の懸かる連載である。

 描いているのは新人の村川和宏さん。当初は棋譜の譜号もなかなか伝わらず四苦八苦していたが、現在ではお手のもの。しかも教えたものをどんどんと吸収していくので幹が太くなっている感じがする。絵質は底抜けに明るく、小、中、高校生にはぜひ見てもらいたいマンガ。これから歩武君は奨励会入会し、プロを目指していく。

 話がそれたついでに、本局の対局前は久々の決勝戦という事もあって、緊張していた。そこへ前回優勝者の野月四段が差し入れの久保田(この久保田は後で野月四段の師匠の勝浦先生を喜ばせる事になる)を持って陣中見舞い。和ちゃんも加わって国際フォーラムの話を聞いていたら、気分がほぐれてきた。持つべきものは日本酒、ではなく友達である。

 ▲2五歩から開戦。△9五歩も微妙なタイミングで、すんなり香交換するのも先手は有力だった。

(中略)

 危機が去り、飛車を入手してからは後手が優勢になった。雀刺しの9筋がこの形になって初めて活きてきたので、更に△8四桂と端を狙う。

 ▲9五馬と香を喰いちぎった手に、北浜六段の本局への意気込みを感じた。これに動揺し、△7七桂成は時間ギリギリの着手。「ヒヤッとしましたよ」というスタッフ皆の言葉に反省。

(中略)


 耳がまっ赤な北浜君。「中盤は面白いかと思ったんですが」と話す北浜君。表彰式。打ち上げ。約50名程の人。サングラスをかけた忠幸さん。赤ワインの似合う中倉宏美ちゃん。ヒロスエの事でからかわれる北浜君。するするとすり寄って、いきなり頭を下げる編集部のNさん。


(中略)

 満足できる様な内容では決してないが、6年振りの優勝をいう結果が出せた事と、久し振りの本戦出場が決まって(準優勝を含め2名)嬉しかった。

 2次会は20名程で。今回異動になるプロデューサーのサッカー好きの松本さんらと隣で飲んだが、遠くで北浜六段の陽気な声も聞こえる。少し救われもしたし、また、彼とはいい将棋を指せる、そんな気持ちもした。

 やはり後先の事を考えなくて良い、決勝の舞台は最高で、今日はすがすがしい決勝戦だった。

 もちろんこれからが勝負ではあるが、6年前と今日の日。心の勲章を1つでも多く増やして行きたい、そんな事を思わせる様な夜だった。

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1999年7月3日(土)、この日の深浦康市六段(当時)の、起きてから眼に映ったもの(緑色の部分)も書いているユニークな自戦記。

当時の時代背景などもあるので、理解を深めるために注釈を付けてみた。

  • ロールパン。グレープフルーツジュース(100%)…この日の朝食と思われる。コンチネンタルブレックファストっぽい。

(ここからはテレビで見たこと)

  • 優優…輝優優という女子プロレスラーもいたのだが、これは佐渡トキ保護センターで誕生した「優優」のことだと思われる。
  • 60%。27℃。21℃…この日の天気予報での湿度、最高気温、最低気温。気象観測データによると昼から雨が降っている。
  • ドキッチ…エレナ・ドキッチ。ユーゴスラビア出身のオーストラリアの女子プロテニス選手。この頃の全豪オープンでベスト8まで勝ち進んだ。
  • ルナッチ…いくら調べても分からない。
  • G連敗…7月1日の対ヤクルト戦(1-5、敗戦投手ガルベス)、2日の対横浜戦(3-9、敗戦投手ホセ)
  • ペイオフ…どこかの銀行が破綻したわけではなく、ニュースで話題になっただけだと思われる。
  • 「ふげん」…福井県敦賀市にある原子力発電所。調べてみると、この頃に特に大きな動きはない。
  • イタリア行っても大丈夫かよ、の名波…名波浩選手はセリエAのACヴェネツィアに移籍する。しかし、翌年クラブはセリエBに降格。契約上、クラブが降格すれば退団ということで、深浦六段の読みは当たった形。
  • 日本0-4パラグアイ…7月2日コパ・アメリカ。監督はフィリップ・トルシエ。
  • リモコン…テレビを消したと思われる。
  • パソコン。盤と駒。北浜-□□戦…対戦相手である北浜健介六段(当時)の棋譜を検索して、それを盤に並べる。
  • 詰将棋の本…対局に向けてのウォーミングアップと思われる。
  • First Love…宇多田ヒカルの3枚目のシングル。1999年4月28日発売。
  • 焼肉丼。コンビネーションサラダ。アイスコーヒー…家での昼食。さすが気合が入ったメニュー。
  • 東武東上線。池袋駅…深浦六段の家の最寄駅から東上線に乗る。目的地はテレビ東京の芝公園スタジオなので日比谷線神谷町。池袋で山手線に乗り換え恵比寿で日比谷線に乗り換えるというのが定跡。
  • 土曜日に居そうなカップル…ツッコミどころ満点。
  • コントのような厚底のくつ…ガングロ、ヤマンバの子を中心に履かれていた。
  • なぜか新宿駅…なぜ新宿駅で途中下車したのか謎。
  • 線路に落ちた傘。こちらに話しかける少年。マジックハンドを持った駅員さん…深浦六段が、新宿駅のホームで傘を線路に落としてしまって困っている少年を助けた(駅員さんに声をかけた)ことは確かなようだ。
  • 恵比寿駅。東京タワー…恵比寿で日比谷線に乗り換え神谷町下車。スタジオは東京タワーの麓。

(ここからはテレビ東京)

  • 浅香光代。島田紳助。…テレビ東京芝公園スタジオですれ違ったと思われる。
  • 島田良夫…早指し新鋭戦の司会。局アナ。”島田紳助。島田良夫”と島田姓で続けているところが深浦六段の芸の細かいところ。
  • 二上会長…二上達也日本将棋連盟会長(当時)。テレビ将棋決勝戦にはなくてはならない顔。パーティーなどでの乾杯の音頭では、「乾杯は完敗につながるので」ということで「おめでとうございます」の発声が多かった。
  • ヒロスエ並の出席率を誇るとの噂の現役ワセダの北浜君…広末涼子さんがこの年の4月に北浜六段と同じ早稲田大学に入学。しかし仕事が忙しく初登校は6月26日。「ヒロスエ並の出席率」とは3ヵ月に1日、1.3%とみられる。
  • テレビ東京の収録後には旦那が迎えにくるという高群さん…棋譜読み上げと記録は高群佐知子女流二段(当時)と高橋和女流初段(当時)。「旦那が迎えにくるという高群さん」の旦那とは、当然のことながら塚田泰明八段(当時)。結婚前、二人の仲が多くの人に知られてしまったのは、テレビ東京早指し戦がきっかけ。→南の島事件
  • 「ナナナナ角」の発音がいつも言えないので、発声練習をしている和ちゃん(ウソ)…「7七角」の発音がうまく言えない高橋和女流初段、ということ。たしかに「ナナナナ」が結構難しい。伸ばしたときの母音が5文字「あ」が続くのも影響があるかもしれない。
  • 「深浦だから長いよ」と言っている副音声室…「深浦六段は粘り強い棋風なので放送時間に収まらない可能性が高いよ」という意味。そうなった場合、時間を短く編集する必要が出てくる。
  • 輝企画の(仮想)マスコットガール、ちっちゃいまゆちゃん…(仮想)なので現実世界の女性ではなく二次元キャラクターかもしれない。輝企画は番組制作会社。
  • 藤井竜王。矢内女流三段…当日の解説と聞き手。
  • 困った顔をして欲しい北浜君…真面目で温厚で紳士的で優しい深浦九段でもこのようなことを考えるんだ、と嬉しくなる。
  • 耳がまっ赤な北浜君。「中盤は面白いかと思ったんですが」と話す北浜君…耳がまっ赤というところで感傷的になってしまう。
  • 表彰式。打ち上げ。約50名程の人…テレビ棋戦版の就位式。
  • サングラスをかけた忠幸さん…観戦記者の故・田辺忠幸さん。怪老と呼ばれ、本人も気に入っていた。
  • 赤ワインの似合う中倉宏美ちゃん…20歳の中倉宏美女流1級(当時)。この頃はまだハーレーではなく、250ccのヴィラーゴに乗っていた。
  • ヒロスエの事でからかわれる北浜君…広末涼子さんの初登校の日は3,000人も集まったと報道されている。北浜六段にとっては時期が悪かった。
  • するするとすり寄って、いきなり頭を下げる編集部のNさん…この自戦記の原稿を頼まれた瞬間。

 

 

加藤一二三九段と森下卓八段(当時)の文体を模写した日浦市郎七段(当時)の自戦記

将棋世界2001年12月号、日浦市郎七段(当時)の「自戦記・日浦市郎風」より。

 僕の好きな作家に清水義範という方がいる。たくさんのオモシロ小説を発表しているのだが、彼の得意としているものにパスティーシュ(文体模写)というのがある。

 いろんな有名作家の文体をマネているのだが、これを将棋の観戦記や自戦記に使ったら面白いのではないか、とわたくしは思ったのである。というわけで無謀だとは思いつつ将棋界初(だろうな。確かめたワケじゃないけど)のパスティーシュ自戦記をやってみるのだ。

 中には「オレ、こんなこと絶対書かんぞ」と抗議するヒトもいるかもしれないが、そういうヒトは僕に抗議せず僕に原稿を依頼した編集部に抗議してください。

(中略)

〔その1 加藤一二三九段風〕

 中川七段と私とは平成元年の新人王戦の決勝で顔を合わせた。このときの第1局で中川七段は角換わり棒銀できた。苦しい将棋だったが終盤で中川七段に見落としが出て私が勝った。第2局は相掛かりの将棋となり、私が快勝して優勝を決めた。

 これは私にとって非常に喜ばしいことであった。このときに中川七段は粘り強い将棋だという印象を受けた。

 本局は振り駒で中川七段の先手となり▲2六歩と突いてきた。私は△3四歩と角道を開けた。対して▲7六歩ときたので△4四歩と角道を止め振り飛車を目指した。

 数手後に△4二飛として四間飛車の戦型となった。最近私が多く用いる指し方である。

 中川七段は▲7七角として持久戦を目指してきた。棒銀でこられることを心配していた私はこれを見て少し安心した。

(中略)

1図以下の指し手
△9六歩▲同歩△9七歩▲同銀△6五歩▲8八銀△6六歩▲7七金△1三桂▲1七桂△1五歩▲4五銀△1六歩▲4三歩△同飛▲4四歩△4一飛▲3四銀△4七歩▲4三歩成△4八歩成▲5二と△6七歩成▲3三銀成△7七と▲同銀(2図)

〔その2 森下卓八段風〕

 実は1図の局面で4筋の位は取り返されたものの、自陣は銀冠の堅陣になったのでいい勝負だと思っていた。

 ところが読み直してみると、ここで思わしい手がなく、すでに形勢不明になっていることに気付き愕然とした。

 1図までの指し方に問題があったわけなのだが、序盤戦といえど一手一手慎重に指し進めなければいけないのに、漠然と指してしまっていた。これでは棋士として失格である。

 仕方がないので△9六歩と端にアヤを求めたが、△9七歩に対する▲同銀が全く読みになかった。▲同香の一手と思い込み、△8五桂と攻めて難しいと思っていたのだからヒドイ。▲同銀は指されてみれば当然の一手で、△6六歩と取り込めたものの、逆に自陣にも▲6四歩のタタキが残ることになってしまった。

 △1三桂と跳ねるときの30分の長考は読んでいたというより自分の大局観の悪さ、将棋に対する集中力のなさにア然とし、あきれ果てていた時間である。

(中略)

 実は対局中は▲5二とのところで先に▲3三銀成を中心に読んでいて、以下△4三銀▲4二歩△8一飛▲4三成銀△4七飛で難しいと思っていたのだが、▲5二とと指されてみるとハッキリ苦しいことに気づきボウ然。自分の読みの甘さにホトホトいやになってしまった。

 全くヒドイ将棋を指したものだ。自分自身に対して怒りがこみあげてくる。明日からは禁酒をして1日15時間将棋の研究をしなければ、と心に誓った。

〔その3 遊駒スカ太郎氏風〕

 オイラは2図の局面を眺めながら「もうダメかあ……。オイラにはやっぱり将棋は向いていないんだ。田舎で畑を耕していた方がよかったかにゃあ……」という世紀末人類絶望的悲観に陥っていた。

 何せ△4七飛成でも△3九飛でも▲6四歩がムチャクチャ厳しく、ハッキリ負けなのである。

 しかし、何かないかと読み直していると、あったのだ。

 それが△9七歩から△5八飛である。

(中略)

 本譜は△5六飛成と歩を取った手が味良く、今度こそ本当に勝ちになった。

(以下略)

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加藤一二三九段風も森下卓九段風もスカ太郎さん風も、みな特徴がよく出ていて、面白い。

加藤一二三九段の自戦記の特徴は、

  • その対戦相手と以前に戦った時の戦型に触れる
  • 「私は」が多く用いられる
  • 「私は▲3八飛と寄った。すると○○九段は△2二角と引いた。ここで私はいったん▲9六歩と様子を見た。これに対し○○九段はすぐに△9四歩と突いた」のように一手一手が丁寧に述べられる

橋本崇載八段も、 NHK将棋講座 2013年 01月号の自戦記(対 羽生善治三冠戦)で加藤一二三九段の文体模写をしている。

森下卓八段(当時)の自戦記は「自分に厳しい」ということが最大の特徴と言えるだろう。

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私が文体模写を初めて見たのは大学3年の時、和田誠さんの『倫敦巴里』という本でのことだった。(今年に入ってから、初版の『倫敦巴里』に未収録作を加えたものが発売されている)

いろいろな作家の文体模写による、川端康成の『雪国』の出だし。

パロディの一種になるのだろう。読んだことのない作家の文体模写までも笑って読めた思い出がある。

出だしの例としては、

  • 野坂昭如 「国境の長いトンネル抜ければまごう方なきそこは雪国。夜の底深くなり…」
  • 星新一  「国境の長いトンネル。そこを抜けると雪国の筈だった」
  • 井上ひさし「トンネルを抜けると雪国であった。ケンネルで寝るのは白犬であった」
  • 谷川俊太郎「トンネルでたら ゆきぐにだった ゆきのなかには うさぎがいてね」
  • 筒井康隆 「国境の長いトンネルを抜けると、そこは隣国だった。国境を超えたのだから隣国であることに間違いはない。この小さな国は四年前まで新潟県であったのだが、今では独立した新興国である」
  • 横溝正史 「金田一耕助のすすめで、私がこれから記述しようとするこの恐ろしい物語は、昭和十×年×月×日、国境の長いトンネルを汽車が通り抜けたところから始まった」

実際には1ページの半分に和田誠さんによるその作家の似顔絵イラスト、もう半分にその作家の文体模写の構成。作家によって、それぞれ途中からストーリーがそれらしく変わっていく。

『倫敦巴里』の紹介は国際基督教大学図書館のブログ、和田誠さんによる文体模写の中から数人の作家に焦点を当てて掘り下げた早稲田大学リポジトリに収録されている論文、がとても良い。

和田誠『倫敦巴里』(国際基督教大学Library Blog)

パロディーの楽しみ―「雪国」を用いた和田誠による文体模写―(水藤新子さん 早稲田大学リポジトリ)

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8年近く前になるが、私もブログの文体模写をしたことがある。

神奈川県三浦市で毎年12月に行われる「マグロ名人戦」について、船戸陽子女流二段、アカシヤ書店の星野さん、バトルロイヤル風間さんがブログで記事を書いたらどうなるだろうと作ってみたもの。

一つの記事に6~10時間かかった記憶があるので、文体模写をやり遂げるのは本当に大変だと感じた。

物真似(船戸陽子女流二段篇)

物真似(アカシヤ書店の星野さん篇)

物真似(バトルロイヤル風間さん篇)