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米長邦雄王将(当時)「最善手はどちらか。私は八王子の羽生善治邸へ出掛けて行って教えを請うた」

将棋世界1991年5月号、米長邦雄王将(当時)の連載自戦記〔第40期王将戦七番勝負第3局 対 南芳一棋王〕「温故知新」より。

将棋世界同じ号より。

 近年、将棋の戦術が大きく変容を遂げているということであるが、ここらで昨今の流れをまとめてみたいと思う。

 かつては矢倉と振り飛車が戦型の主流であった。ごく最近は角換わり腰掛け銀も一大主流をなしている。塚田スペシャルに代表される急戦調の相掛かりはやや鳴りをひそめているようである。

 このように、戦法の善し悪し、流行りすたりが3ヵ月から半年周期でグルグルと動いている。

 皆、血と汗のにじみ出るような独自の研究、あるいは数人での合同研究のたまものである。確かに次から次に新しい形が生まれ新定跡が打ち出されてはいる。しかし、それで将棋の戦術が進歩し開発されつつあるかというと、必ずしもそうとは言い切れない面もある。

 これはまた後日、違う所で詳しく書くつもりだが、ここに一つ面白い話を載せてみようと思う。A図を見ていただきたい。

 この局面を見てピンと来た方は相当な将棋通、定跡通である。

 これは横歩取りの有名な一変化で、今後手が△6六銀と必殺打を放ったところ。

 横歩取りは先手が有利、取らせる後手が無理というのが大体の定説になっている。ところが研究熱心な若者がこれに新手を試みて、一時成功し、またそれが不発に終わるという歴史を繰り返している。

 A図の△6六銀もかつてしばらく鳴りをひそめていた横歩取りにブームを呼んだ一手で、天才と謳われた若かりし日の谷川浩司少年が愛用した一着である。

 ここの応手が実に難しい。

 本来、このような激しい将棋でこの辺の局面まで来れば、この一手、正解はこれしかない、ということがほとんどなのだけれども、この場合に限っては難しい。

 ▲3三香成と桂を取る手と▲5八金と手厚く受ける手の二通りある。

 最善手はどちらか。私は八王子の羽生善治邸へ出掛けて行って教えを請うた。

 羽生先生は

「▲3三香成の一手です」とのことだった。

 序盤研究の大家、森下先生は▲5八金を推奨した。そして、現在は三冠王となられた中年の谷川先生に訊いてみた。「たしか▲3三香成で一手勝ちになると思います。しかし、この変化は非常に難しく▲5八金と上がるのもありそうです」ということであった。

 確かに▲3三香成は変化が多岐にわたり誠に難解である。私が研究熱心な若者と戦えば、▲3三香成とやっても勝てないような気がする。

 そして▲5八金、この一着は幾多の変遷を経て、この平成の時代にようやく編み出された手かと思いきや、何とこの金上がりは江戸時代の大橋柳雪・宗英の著書に出ているというのである。これには私も驚いた。早速、文献を調べてみると確かに柳雪の本にこれが出ている。

 このことに鑑みて谷川先生曰く、「江戸時代の将棋は相当に深い所まで研究が進んでいたはずです」。

 また羽生先生も「現代の将棋をちょっと見て慣れればトッププロと対等に戦えるのではないですか」。

 江戸の頃の将棋なら、もう序盤作戦などまるっきり稚拙なものだろう、という先入観が私にはあったので、この両者の見解には驚き感心した。このように、先へ先へと研究して進んで行ったはずが、結局元に戻っているということがしばしばある。この横歩取りの結論などはその最たるものだろう。また昨今の矢倉は20年程前に盛んに指された形が主流になりつつある。

 常日頃から教えを請うている森下先生に言われたことがある。

「先生にとって格好の勉強方法があります。それは米長先生の10年前の将棋を一生懸命並べることです」と。

 私も嬉しいような面映い気持ちだった。

 こうして、将棋というものは先へ先へ進んでいるかと思えば、順繰りに回っているようである。だいたいが、角換わり腰掛け銀が升田幸三先生の棋譜を調べるのが一番ということもあるし、矢倉なら10年前の将棋が非常に勉強になるということであるし、横歩取りに至っては江戸時代の文献まであさらなくてはならない。まさしく温故知新を地で行ったようなものである。

 ということで、近頃は女流棋界の将棋まで目を通している若者もいるようだ。

(以下略)

* * * * *

将棋世界同じ号、先崎学五段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

 今月号の米長自戦記。たぶん題名は『温故知新』となっていると思うが、この題に落ち着くまでには紆余曲折があった。とてもじゃないがさしさわりがあってその全部を書くわけにはいかないが、ちょっとだけさわると、最初に米長先生がつけてきた題は温故知新ではなく◯◯◯知新だったそうな。この抱腹絶倒の3文字に将世編集部は議論百出、大いにモメにモメた末にこの題に落ち着いたとのこと。◯◯◯は書いてもいいんだが、マ、書く必要もないのでここでは省略。

(中略)

 升田幸三名人の将棋からヒントを得るのが温故知新なら、俺は清水市代さんの将棋からヒントを得たので◯◯◯知新とのこと。さすが兄貴三人は頭が悪いから東大へ行ったと豪語する人の考えることは違うと一同感心しきり。

 一時は題を変えれば原稿執筆ストライキを起こすとまでに態度を硬くした師匠も、最終的に将世編集部の必死の説得工作を受け入れ、断腸の思いで白紙撤回にあいなったとさ。この一件で本誌の大崎氏は胃潰瘍寸前になったという噂である。

* * * * *

「先へ先へと研究して進んで行ったはずが、結局元に戻っているということがしばしばある」

現在の角換わり腰掛け銀、▲2九飛▲4八金型は、昭和20年代に現れていた形。雁木は江戸時代の味わい。

コンピュータソフト由来で、当時よりは玉形が薄く、背景となる考え方は異なるものの、形が昔に戻る現象は今も続いている。

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タイトルが「温故知新」に落ち着くまでの経緯。

たしかに、胃がいくつあっても足りなさそうだ。

 

羽生善治棋王(当時)「家に帰って所司五段の『横歩取りガイドⅡ』を見ました」

将棋世界1991年5月号、羽生善治棋王(当時)の連載自戦記〔第24回早指し戦決勝 対 加藤一二三九段〕「33手目の敗着」より。

将棋世界同じ号より。「34手目、必殺の勝負手△4六歩を羽生に浴びせ、どうだとばかり加藤は肩をいからせた」と書かれている。

 今回は早指し戦の決勝、加藤一二三九段との一戦を見ていただきます。

 私にとって早指し戦の決勝は初めての進出です。

 しかし、このテレビ東京でやっている早指し新鋭戦では2回準優勝なので、今回こそはと思っていたのですが……。

 加藤(一)九段については”神武以来の天才”とか”一分将棋の神様”など色々な評価がされている大棋士です。

 この早指し戦でも過去2回優勝されています。

(中略)

 加藤(一)九段の棋風から当然じっくりした将棋になると思っていたのですが、何と加藤先生の注文で横歩取りになりました。

 私自身、まったく予想していない出だしで意表を突かれました。

 そして、こういう一番であまり指したことのない形で来るとは大胆だと思いました。

 しかし、私は横歩取りは若干先手が良くなるのではと思っているので、迷わず取りました。

 1図で後手の作戦が決定します。

 私は何をやって来られるのか楽しみにしていました。

1図以下の指し手
△3三桂(2図)

 加藤先生の作戦は△3三桂戦法でした。

 この作戦は手将棋模様にして、先手の歩得を生かさせない、早く攻撃態勢が敷けるという利点があります。

 しかし、その反面大変激しい変化も避けられないこともあって、研究していないと指しこなせない意味もあります。

 2図での先手の候補手は▲2四飛、▲8七歩、▲3六飛、▲4八玉、▲5八玉の5つが考えられます。

 激しい変化になる順番に候補手を挙げています。

 特に▲2四飛、▲8七歩は勝因にも敗因にもなりかねない一手です。

 まだ序盤の17手目ですが、重大な岐路だと思います。

2図以下の指し手
▲3六飛△8四飛▲2六飛△2五歩(3図)

 ▲3六飛は第一感の平凡な手ですが、次の▲2六飛は恐い一手です。

 何故なら直ちに△4五桂の筋があるからで、それなら▲5六飛と対応して以下大乱戦になります。

 そんな展開を予想しあれこれ読んでいたのですが、指された着手は△2五歩でした。

 私はこれを見て少し安心し、そして、もしかしたらポイントを稼げたのではと思いました。

 専門的になるのですが、ここに歩を使ってしまうと数十手後に駒組みが完成して攻撃という時に後手には歩が1枚しかない為、攻撃できないということになりそうなのです。

 しかし、ここで安心してしまったのが私の甘い所でした。

3図以下の指し手
▲5六飛△4二銀▲4八玉△1四歩▲2七歩△1三角▲3八玉△4四歩▲4八金△4五歩▲7五歩△6二玉▲7六飛△4六歩(4図)

 普通に組み上がれば作戦勝ち、私はそんなふうに考えていたので、注意力が散漫になっていた様です。

 それにしても雑な指し方で自分でも呆れます。

 同じ手を指すにしてももっと腰を落として慎重にならねば。

 ▲7六飛が手拍子の悪手、すかさず△4六歩が機敏な一手です。

 見落としたことより危険を感じ取ることが出来なかったのが残念。

 4図は先手が一本取られている感じです。

 家に帰って所司五段の「横歩取りガイドⅡ」を見ました。

 4図とほとんど同じ局面が出ていて危険と書いてありました。

4図以下の指し手
▲4六同歩△4五歩

 何はともあれ、▲同歩しかありません。

 ここで後手も指し方が色々とある所です。

 まずは△8六歩、▲8五歩△同飛▲7七桂△8四飛▲8五歩△4四飛となればうまいのですが、▲7四歩△8七歩成▲7三歩成△同桂▲6六角の大決戦で難しい勝負。

 次に△8八飛成▲同銀△6五角が考えられますが、▲5六飛△4五歩▲7七桂となれば大変ですが、△4五歩では△3六歩が好手筋で先手がつぶれているようです。

 ▲同歩は△8八飛成▲同銀△6五角▲5六飛△4五桂で先手がつぶれています。

(中略)

 8図以下は勝負所がないので、指し手のみ記します。

 最後、王手竜取りをかけられて投了図では大差になっています。

 この将棋は序盤で△4六歩の先制攻撃を軽視していたのが全てでした。

 その先は、難しい所はあったものの、勝ちにくい流れになっているのでしょう。

 対局後、表彰式があり、その後に打ち上げがありました。

 準優勝とはいうものの気分は晴れませんでした。

* * * * *

「2図での先手の候補手は▲2四飛、▲8七歩、▲3六飛、▲4八玉、▲5八玉の5つが考えられます。激しい変化になる順番に候補手を挙げています」

細かい変化はわからなくても、それぞれのその先を知りたくなる、とてもワクワクとする書き方だ。

* * * * *

「専門的になるのですが、ここに歩を使ってしまうと数十手後に駒組みが完成して攻撃という時に後手には歩が1枚しかない為、攻撃できないということになりそうなのです」

横歩取りなので細かいことはわからないけれども、やはり、このような書き方も嬉しい。

* * * * *

「見落としたことより危険を感じ取ることが出来なかったのが残念」

これは、動物的本能というか棋士的本能が働かなかったことへの後悔。

五感を超越した第六感の世界と言うこともできるだろう。

* * * * *

「家に帰って所司五段の「横歩取りガイドⅡ」を見ました。4図とほとんど同じ局面が出ていて危険と書いてありました」

棋士が、他の棋士の書いた棋書を調べるというと意外な感じがしてしまうが、たしかに、棋士の家に棋書が一冊もないということは不自然なわけで、このようなことも珍しくはないのかもしれない。

 

羽生善治前竜王(当時)無冠返上の一局の自戦記「知らぬが仏」

将棋マガジン1991年6月号、羽生善治棋王(当時)の第16期棋王戦〔羽生善治前竜王-南芳一棋王・王将〕第4局自戦記「知らぬが仏」より。

羽生前竜王(当時)タイトルホルダーに復活。感想戦の模様。将棋マガジン1991年6月号、撮影は弦巻勝さん。

 1月29日、棋王戦挑戦者決定戦。

 久しぶりに満足のいく内容で勝つことが出来て挑戦権を獲得した。

 調子はそんなに良くないと思っていたが、棋王戦にだけ限ってうまく勝ち進めた。

 そして、第1戦が始まるまでの2週間ちょっとは楽しい時間だった。

 あれこれ作戦を考えてみたり、今回のシリーズはどんな風になるのかと想像してみたり。

 第1戦の前日は当然ながら対局場の検分や前夜祭があって緊張したが、またこういう舞台で将棋が指せるという喜びもあったので、いわゆる快い緊張だった。

 そんなわけで気分良く対局が始まったが、昼休み過ぎから苦しくなり、負けも覚悟したが、南先生らしからぬミスが出て逆転勝ち。これで勢いがついたのか第2戦も勝つことができた。

 こういう風になると欲が出て来て早く決めたい、早く決めたいと思うようになってしまった。

 始まる前の気持ちはどこへやら。

 こんな浮ついた状態では良いわけがなく、第3戦は完敗。

 南先生は一昨年の棋王戦でも2連敗後の3連勝の離れ業を演じており、次に負けるとまたそれが実現しそう。

 そんな不安な気持ちを持ちつつこの第4戦を迎えました。

 1図が先手の私にとっての作戦の岐路です。

 ▲3七桂か▲3七銀かどちらが最善かは人間の力では到底解ることは出来ないと思いますが、最近の流行では▲3七桂の方が多いようです。面白いもので○○先生がある手を指して流行になると、当然ながらそれを真似する人が出て来ますが、と同時に、流行に反発して全く違う指し方をする人が出て来ます。

 流行を作る人、それを追いかける人、それに反発する人、そして、忘れてはならないのが流行に関心のない人。棋士もこのタイプのいずれかに当てはまるのではと思っています。

 さて、局面。私は▲3七銀の方を選びました。

 第2、第3局が▲3七桂の将棋だったのでまた同じだと少し気が引けるという意味もありましたし、久しぶりに▲3七銀の将棋が指したくなったという意味もあります。

 矢倉というのはこのあたりから駒がぶつかるまでの指し方が一番難しいのではという気がしています。

 具体的な解説はここでは省略します。あまりにも専門的過ぎますから。局面を進めます。

 駒がぶつかった局面が2図。

 この△2四歩には本当に驚きました。

 自ら玉頭の歩を突くのは棋理に反する手ですから。

 机上の研究ではまず絶対に出て来ない実戦でひねり出した感じのする一手です。

 それにしてもカド番でよくこんな大胆な手が指せるものだと感心しました。

 私は今まで南先生の将棋は保守的な居飛車党と思っていたのですが、今回のシリーズで考え方が変わりました。

 確かに南先生は指す戦型が決まっていますが、その中で序盤は実に意欲的な指し方をするのです。

 第1局では▲2六銀、第2局では△9七桂成、第3局では▲6五歩、そして、本局の△2四歩。

 何れも印象に残っています。

 さて2図でどう指すかですが、まず考えられるのが▲3四歩△同銀▲3六歩と桂頭を守る手。

 以下、△7三桂▲2六歩△6五桂▲2五歩△同歩▲3五銀(変化1図)の展開が予想されます。

 もう一つは本譜の▲2六歩です。

 59分の長考はこの二つの比較だったのですが、結論は出ませんでした。変化1図の方が攻めは手厚いのですが、攻め合い負けの可能性があり、本譜は一方的に攻められるけれども攻めが軽いという心配があります。

 気分的には▲2六歩として△2四歩をとがめに行きたい所ではあるのです。

 ▲2六歩と指せば3図までは一本道です。

 桂損ながら後手の陣形は乱れているので先手も戦えるのではと思っていました。

 それでまずは1回味付けと▲5五歩としたのですが、これが悪手。

 ▲3五歩△4五金▲同銀△同歩として、そこで▲5五歩が正しい手順だったのです。

 形を決めるのはつまらないという判断は間違っていました。

 ▲5五歩までに私の消費時間は89分。もう少し丁寧に指さなければなりません。

 本譜は△8六歩の突き捨てを入れ、強く△3五歩。

 これが好手順で4図の△7四桂が厳しい。

 ▲7七銀でも△8六歩の追い討ちが来ます。

 銀が逃げられないのでは銀損確定。形勢悪化に気づきました。

 この局面で本局最長の63分の長考。こうなるのだったらもっと前にしっかり考えておけば良かったと思っても後の祭りです。

 難局打開の手を探しますが、焦りと不安が増すばかりで、なかなかうまくいきません。

 この将棋を負けたら流れからいって最終局も勝てないだろうなあと弱気なことも考えていました。

 結局63分の長考の内容は▲5五歩を生かす▲5四歩でしたが、後手に正しく応接されると先手が悪いという結論になりました。

 それでも着手します。63分の長考▲5四歩。

 人間には、もし~なら良いのになあと思うことがよくあります。

 夢とか願望とかもちろんそんな大袈裟なものではなくても日常の小さな出来事でも。

 そういうことを実現する為には諦めないで思ったり想像したりすることが大切だという話を聞いたことがあります。

 スポーツ選手がよくやるイメージトレーニングもその一種です。

 本局も4図の時にもし5図のようになれば良いのになあと思っていました。

 何とそれが実現してしまったのです。

 対局中、5図の局面の実現の可能性が高くなるにつれて胸の高鳴りを抑えることは出来ませんでした。

 ▲6七角は攻防に利く一手で、△6六飛ならば▲3一銀△同玉▲2三角成で後手玉は必至です。

 5図、先手玉を守るのは飛車と角2枚の大駒3枚だけですが、その3枚がどれも絶好の位置にいて自玉を守り、敵玉を睨んでいるのです。

 しかし、5図での△6六金も南先生らしい実に粘り強い一手。

 ▲7六角△同金の後に△5五角の王手飛車取りを狙いに寄せてみろと催促しているわけです。

 ▲7二飛~▲7六飛成とする余裕はないのです。

 先手は忙しい、この手番を生かして寄せ切ってしまわなければなりません。

 そこで浮かんだのが▲4四角。読みの裏付けはないけれども盤上この一手という確固たる自信だけはありました。

 6図、5図と同じように大駒3枚が実によく利いていて躍動している感じがしました。

 ▲6七角や▲4四角は指していて実に気持ちの良い一着です。

 一局で2回もこんな手が指せるのはかなり珍しい。

  プロの将棋は相手の狙いを消し合っていくことが多いので。

 6図で南先生は△4一銀と辛抱。しかし、ここさえ凌げれば豊富な持ち駒で反撃可能なので楽しみある辛抱です。

 私の方も▲4二銀と追撃、とにかくこの瞬間しかないのです。

 以下押せ押せムードで7図を迎えました。

 私はこの局面、勝ちを確信していました。

 7図で受けるとしたら△4二歩しかなく、そこで▲同飛成とすれば変化はあるものの、先手の勝ちだからです。

 ところが、7図の後手玉は完全な詰めろではなかったのです。

 何故、そのことに気づかなかったかというと先入観で詰めろと思っていたからです。

 難しい形ならば一手一手読みますが、7図の場合は簡単に詰みと読みを省略してしまったのです。

 具体的な手順を書くと△5五角▲7七歩△2八角成(これで詰めろが消える)▲3二銀成△1二玉▲3一成銀△2二金▲2三歩△8七金▲同玉△8六歩(変化2図)となって先手に勝ちはありません。

 ▲4三金では▲3八飛と王手飛車取りを防ぐのが正解で、それならば先手が少し良かったでしょう。

 しかし、対局中は△5五角でまずいということにまったく気づいてなく、それに気づいたのは南先生が△3三金(7図からの次の一手)と着手される数秒前だったのです。

 もし、私がもっともっと早くそれに気がついていたら南先生も気配を察知して△5五角に気づいたような気がします。

 知らぬが仏とはよく言ったものです。

 まずい変化があるのを知っていて平静を装うのは容易にできることではありませんから。

 △3三金と着手された直後に私が考えたことは△5五角以下の変化です。もう実戦とは無関係のことなのですが本当に危機だったかどうか確かめたかったのです。

 その時は△5五角でも先手勝ちだと思ったのですが、前述の変化で先手負けと感想戦で解った時は青ざめました。

 知らないで崩れかけた橋を渡っていたとは。

 さて、実戦。△3三金に寄せがあるかどうかです。

 しばらくして解りました、即詰みがあることに。

 何回か確認をして着手しました。

 ▲3二銀成以下は手数は長くなりますが即詰みです。

 南先生は▲3六桂で投了されました。終了は午後7時21分。

 相矢倉の攻め合いの将棋の投了図は本局の様に全体の駒が働いていて整然とした感じの投了図が多く、それが矢倉という戦法の魅力の一つだと思っています。

 南先生も一番形がきれいな所なので投了されたのだと思います。

 例えば投了図で指すとすれば△5五玉なのですが、その時は▲4六銀となってそこで投了では投了図より整然としていない感じがします。

 このあたりはうまく言葉では表現はできませんが。

 何はともあれ、3勝1敗で棋王位を獲得、やはり嬉しいです。

 しかし、内容的には苦しいものが多く、ツキに恵まれたのでしょう。

 これは盤上のみならず色々な面で。南先生は王将戦とのダブルタイトル戦、遠征につぐ遠征の状態。

 私の方はちょうど良い間隔で対局がついて棋王戦一本に絞れる状態。 

 この差は結構大きかったような気がします。

 この棋王戦で今年度も終幕。

 竜王に始まり棋王で終わったわけですが、果たして来年度はどうなるやら。

 楽しみの様な不安な様な心境です。

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特にそのような言葉は出てきていないけれども、ほのぼのとした喜びが伝わってくる自戦記。

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「これで勢いがついたのか第2戦も勝つことができた。こういう風になると欲が出て来て早く決めたい、早く決めたいと思うようになってしまった。始まる前の気持ちはどこへやら。こんな浮ついた状態では良いわけがなく、第3戦は完敗」

羽生善治九段にもこのような時があったのかと、感慨深い気持ちになる。

羽生前竜王(当時)にとっては2度目のタイトル戦。

1度目の竜王戦では、出だしで2敗と負けが先行しており、2勝引き離すのは初めてのこと。

誰もが通る道なのだと思う。

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「人間には、もし~なら良いのになあと思うことがよくあります。夢とか願望とかもちろんそんな大袈裟なものではなくても日常の小さな出来事でも。そういうことを実現する為には諦めないで思ったり想像したりすることが大切だという話を聞いたことがあります」

これは、ぜひ見習いたい。

* * * * *

「もし、私がもっともっと早くそれに気がついていたら南先生も気配を察知して△5五角に気づいたような気がします。知らぬが仏とはよく言ったものです」

これは対局中のテレパシーのようなもの。

一般的なテレパシーは思っていることが伝わるものだが、将棋の場合のテレパシーは、こちらが気づいていないことは相手も気づかなくなる、という性質を持っている。

「まずい変化があるのを知っていて平静を装うのは容易にできることではありませんから」も大きな理由なのだろう。

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「△3三金と着手された直後に私が考えたことは△5五角以下の変化です。もう実戦とは無関係のことなのですが本当に危機だったかどうか確かめたかったのです」

実戦とは関係のない変化も考える、真理を探求する姿勢。

なかなかできることではない。

 

谷川浩司竜王(当時)「竜王症候群というのも存在するのではないか」

将棋世界1991年5月号、谷川浩司竜王(当時)の連載自戦記〔第58期棋聖戦 対 小野修一五段〕「一瞬の逆転」より。

 初めてタイトルを取った人が、その後不調に陥る事を、タイトル獲得症候群と言った人がいるが、竜王症候群というのも存在するのではないか。

 島七段、羽生前竜王の場合は初タイトルでもあったが、私も、竜王戦以降ここまで7勝7敗。

 その間、王将戦、全日プロ、早指し戦などでチャンスを逃した。

 この対局の前日も、NHK杯で南棋王に負けた。何となく帰りづらく、数人で遅くまで飲んでしまった(遅くまでとは言っても、日付は変わっていないのだが―)。

(以下略)

* * * * *

竜王就位式。将棋マガジン1991年3月号、撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

初タイトル獲得後に調子を崩す棋士は多いが、竜王症候群は初めて聞いた。

竜王症候群は、初めて竜王を獲得した後に調子を崩す状態、という意味になるのだろう。

言われてみると説得力がありそうに思えたので、これ以降、竜王位を獲得した棋士の初獲得前年、初獲得年、初獲得1年後の勝率を調べてみた。(勝率は「棋士別成績一覧」のデータによる。赤字は獲得年度)

佐藤康光九段
1992年度 .766
1993年度 .704
1994年度 .550

藤井猛九段
1997年度 .625
1998年度 .729
1999年度 .688

森内俊之九段
2002年度 .591
2003年度 .719
2004年度 .527

渡辺明三冠
2003年度 .750
2004年度 .724
2005年度 .745

糸谷哲郎八段
2013年度 .650
2014年度 .769
2015年度 .556

広瀬章人八段
2017年度 .600
2018年度 .672
2019年度 .600(1/15までの勝率)

豊島将之竜王名人
2018年度 .636
2019年度 .688(1/15までの勝率)

竜王獲得後に調子が崩れたのが、佐藤康光九段、森内俊之九段、糸谷哲郎八段。

勝率に特に大きな変化がなかったのが、藤井猛九段、渡辺明三冠、広瀬章人八段。

そういう意味では、1993年度以降は、5割の確率で竜王獲得後に調子が崩れる、ということになるのだろう。

竜王獲得年の勝率が高いのは必然的なので、翌期に調子が崩れるか崩れないかの二つに一つ、と考えれば5割の確率は当然とも考えられるし、「5割の確率で調子が崩れる」と思うと恐ろしい感じもするし、何とも解釈の難しい数字だ。

 

羽生善治前竜王(当時)「その場所にいたメンバーはみんな穴熊をやったことのある前科持ち?だったような気がするのですが、気のせいでしょうか」

将棋世界1991年4月号、羽生善治前竜王(当時)の連載自戦記〔第24回早指し戦 対 大山康晴十五世名人〕「20秒の危機」より。

 今回は早指し戦、大山十五世名人との将棋を見ていただきます。早指し戦は40手目までは持ち時間各10分、それからは1手30秒という文字通り早指しです。

 考慮時間などはない為、1回気が狂ってアワワになるとそのままズルズル土俵を割ってしまうケースもあります。

 しかし、二転三転という感じのスリルがあって、それは長時間の対局では味わえません。大山十五世名人については改めて説明する必要はないと思います。

 偉大な名人とだけ書いておきます。

(中略)

 大山十五世名人の振り飛車の傾向としては、先手なら三間飛車、後手なら四間飛車が多い様です。

 しかし、本局は中飛車、僕はちょっと意表をつかれました。もっとも大山十五世名人はとてもデータなどでは計り切れない物を持っているようですが……。

 ある先輩棋士の言葉(誰が言ったかは忘れてしまいました)。

「大山名人は毎回同じ様な振り飛車をやっているようだけれども、実は毎回毎回工夫して微妙に違う形を指しているんだ」

 僕はこの言葉が印象に残っています。

 さて、今回はどんな作戦を見せてくれるのでしょうか。

(中略)

 対振り飛車には急戦、左美濃、穴熊、玉頭位取り、色々と対抗策はありますが、今回は後手番なので、一手の遅れの差がつきにくい持久戦の穴熊を採用することにしました。穴熊については賛否両論、色々な意見があると思いますが、僕個人としては優秀なら採用し、駄目ならやめるつもりです。とりあえず負けにくいからだとか、実戦的だからという理由では使いたくありません。

 ところで、後日、この将棋を研究会で見せた所、△1二香を見て「25歳以下の人間は穴熊などやらず急戦をやらないと」と笑いながら言われましたがその場所にいたメンバーはみんな穴熊をやったことのある前科持ち?だったような気がするのですが、気のせいでしょうか。

(以下略)

* * * * *

将棋マガジン1991年3月号より。撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

「考慮時間などはない為、1回気が狂ってアワワになるとそのままズルズル土俵を割ってしまうケースもあります」

この表現が絶妙だ。

* * * * *

本局は、羽生善治前竜王(当時)が勝っている。

* * * * *

「穴熊については賛否両論、色々な意見があると思いますが、僕個人としては優秀なら採用し、駄目ならやめるつもりです。とりあえず負けにくいからだとか、実戦的だからという理由では使いたくありません」

居飛車穴熊に限らず、これが、現在に至るまでの羽生善治九段の将棋を貫いている心なのだと思う。

* * * * *

「25歳以下の人間は穴熊などやらず急戦をやらないと」と言われたのが、当時、羽生善治前竜王が所属していた島研究会(島朗七段、佐藤康光五段、森内俊之五段)でのことなのか、森研究会(森雞二九段、小野修一七段、森下卓六段、森内俊之五段、先崎学五段)でのことなのか、あるいは他の研究会でのことなのか。

最も言いそうなのが、先崎学五段(当時)であることは間違いなさそうだ。