「自戦記」カテゴリーアーカイブ

「私がこんないい手指したのに、ずるい。私がお客さん楽しませたのに、賞金もっていっちゃってずるい」

素晴らしい自戦記。

将棋世界1985年1月号、小野修一五段の第15期新人王戦第2局〔対中村修六段〕自戦記「返してもらった70万円」より。

<何を思ったか>

 将棋観などというと口はばったいけれどもそれは自分自身の人生観であり、百人の棋士がいれば百の将棋観があると思うのだ。今回は自分の将棋観と中村君の将棋の質というものを中心に、新人王戦第2局を通して勝負というものの本質を考えていきたい。

(中略)

 今年度の新人王戦決勝三番勝負は、第13期と第14期の優勝者で争われ、結果は大方の予想を裏切り私の2連勝で幕を閉じた。ただ今期に関しては中村君をいままで苦手にしていたにかかわらず(1勝4敗)、負けると思っていなかった。

 これは強がりではない。正直そう思っていたのである。

 これからその理由をのべる。

<かっこうの良さ>

 将棋というのはいろいろな指し方がある。覚えたばかりの人は自由奔放だが、強くなるにつれ定跡を覚えそれに拘束されるようになる。勝ち方もだんだんかっこういい手、かっこうのいい勝ち方を覚えるとそれに味を占め陶酔してしまう。だれしもそういう時期はあるだろう。事実奨励会時代から四段になって数年間というのは将棋とはそうやって決めるものだという意識が私にもあった。

 参考1図を見ていただきたい。

これは昭和56年の十段戦4回戦、相手も中村君、ここで私は天来の妙手▲3五銀を放って、以下△同銀▲5三角成△6一玉▲3五馬△同飛▲2四飛△3一角▲3二銀。いかにもほれぼれする手順で今の私からとても考えられない。こういう勝ち方の好きな鈴木(輝)六段なら負けても本望であろう。

<意志が手を呼ぶ>

「意志が手を呼ぶ」以前金子九段がこのようなことを書かれていた。前の図面なんか本当にそうだ。好手を指してかっこう良く勝ちたいという気持ちがこの局面を作り上げ、作ったような好手を指し優勢になった。ところが勝ったのはだれか。中村君なのだ、私がこんないい手指したのに、ずるい。私がお客さん楽しませたのに、賞金もっていっちゃってずるいよう。この一件以来私は、妙手を必要とする序盤の組み立てはしなくなった。

<中村将棋>

 中村君の序盤はうまくない。というより、受け身に回るのが好きなのである。というより型通りの攻め合いの将棋が苦手なのだ。さらに言えば、そういう気持ちにならないのだろう。「ここよこせ」「ハイ」「ここもよこせ」「ハイ」。そういうことを繰り返しながらそれほどは取られていない。そのうち持ち時間と中終盤の足腰の強さを利用して逆転させる。本譜の4図においては後手の作戦勝ちであるが、残り時間において△2時間対▲3時間。千日手を避けるのは本来は先手の責任なのに、持ち時間の使い方で責任を相手に押し付けてしまった。本当に勝負に辛いのはいつもながら感心する。

4図以下の指し手
△8六歩▲同銀△8五銀▲7五銀△同角▲同歩△7六銀打▲5八銀△6七銀不成▲同銀△7六金▲同銀△同銀▲5八角(5図)

<70万円>

 ここでざっと本譜の進行を追ってみよう。本局は中村君のひねり飛車を予想した。最近は矢倉で上位棋士に勝っているのであるいは矢倉かと思ったが、飛先不突矢倉は意外であった。

 先手の雀刺し模様からの▲4六歩、これが問題の一手でここは▲3七銀から▲2六銀~3七桂が飛先不突矢倉らしい攻撃態勢。ただこの将棋に関しては、どうこられても作戦負けしない、つまり一局の将棋だが、そうする自信はあった。おそらく▲4六歩と突いた中村君、ことこの将棋に関してはそこまで洞察して序盤の組み立てはしていない。つまりこの形においては序盤の質量は、私の方が勝っていたから▲4六歩と指したと思う。それをとらえて7筋から一歩交換して後手番としては十分な作戦勝ち。

 ただ4図からの△8六歩は少し無理だが、時間切迫のおり千日手にはしづらい。そこでまた70万円の勉強のつもりで攻める側のもつ勢いに期待した。ただ▲5八角と打たれた5図では自信がなかった。

5図以下の指し手
△7七歩▲同桂△8七銀成▲同金△8六歩▲8三歩△同飛▲8五歩△8七歩成▲同玉△8六歩▲同玉△7八金▲5七角△5五歩(6図)

<勝負>

 私は割りと、勝負に関する本を読んだり考えたりするのが好きで、江崎誠致さんの「盤側の風雪」碁の勝負をあつかった本だけれども、これなど何度読み返したかわからない。その中に「勝負を決する一瞬」という言葉が出てくる。

 碁の橋本宇太郎九段といえば昭和の名棋士だが、その人が大盤解説のときしゃべった「勝負とは一瞬のうちに決まる」という言葉を土台に大山名人の将棋にふれ「一局の将棋には何度かのチャンスが訪れるもので、自分は初めのチャンスは見送って次のチャンスを待つことが多い。それを受けといえばいえるが、ただ受けるだけではない」といった大山名人を、引き絞った弓をもう一つ引き絞って矢を放つ姿といっている。勝負の決する一瞬を人目にも鮮やかにとらえるか、忍の中でとらえるか。それはそれぞれの棋士の才能の質によって異なるにちがいない。

 林海峰は誰の目にも触れない深い世界でその作業をあやつっているのではないか、いささか神秘的な考察にすぎるきらいはあるかもしれないが、そうした不思議な才能が林海峰にはあるように思えてならない、といっている。

6図以下の指し手
▲同歩△7七金▲7四銀△6七銀▲同角△同金▲8三銀成△4七角▲1四歩△同歩▲1二歩△同香▲1三歩△同香▲2五桂△2九角成▲8一飛△3一桂(7図)

<人柄>

 本譜にもどろう。二枚角を自陣に並べたあたりでは先手の方が良さそうに見えるが実際はいい勝負なのだろう。局後問題になった▲8三歩も難しい所で、▲8五歩と打っても△8七歩成▲同玉△5五歩でそれなりに手が続く。△7八金▲5七角に△5五歩が好手だった。これは本譜の進行を見てもらうとわかるように、▲8三銀成に対し(角を取らずに)△4七角と打つ読みである。

 このあたり私は勝ちを読み切ったけれども、記者室の検討は最後は正義(中村君)が勝つということだったらしい。なるほど人柄が良いとは素晴らしいことだ。

7図以下の指し手
▲1三桂成△同桂▲1四香△2四銀▲1三香成△同銀▲2五桂△8三馬▲1三桂成△同玉▲1四歩△2四玉▲3五銀△3三玉▲2二銀△同玉 (投了図) 
 まで、118手で小野の勝ち

<終わりに>

 中村君とは6年前、私が四段、彼が初段の時から研究会で指している。私が大幅に負け越している。率にすると私の2勝8敗ぐらいだろうか、この対戦成績、むろん中村君は時間の使い方もうまく勝負に辛いからこうなったのだが、その中でも私自身が中村君の強さを正直に見つめられない。これがまずかった。勝っている方が弱い、むろん微妙な相性もあるが、そんなことは勝負の世界では考えられない。

 つまり私は自分に都合の悪いことには目をつぶってしまったのだ。女性が常に自分を美人と見ようとする心理と同じである。それがお互い公式戦で争うようになり、王位リーグ入り、十段戦4回戦、全日プロベスト8入り。この大切な勝負をことごとく失うはめになる。

 ただこの新人王戦に限り中村君は好調ではなかった。参考2図を見てもらいたい。

 ここは酷評された局面で、▲1五桂△2二玉▲2四歩と打てば簡単な寄せだった。むろん弱いから読めない問題意識をスリ変える気はないけれど、相手を信用して、もっと細かい受けの手順を用意しているととらえ、▲1五桂を突っ込んで読まなかったのも事実である。局面を見ていながら局面を読んでいないのである。私も威張れたものではないが、今期中村君が好成績をあげているけれど、不調とみるのはこの手順に対する受けが用意されていないのだ。そんな雑な将棋ではなかったはずである。

 本譜は△4七角に受ける手はなくなっているので端攻めの勝負で、流石に一番いやなことをやってくる。△3一桂の受けでは△2四銀▲4一銀△2五銀▲同歩△4二金引でも残っていた。こちらは▲3二銀成△同金▲3三銀以下詰まされると思っていたけれど一枚足りない。こちらの手順がスッキリしていたが、△3一桂も勝ちを読み切って打った手であり、勝負とは勝つか負けるかなので、正しい勝ち方という考え方はあまり好まない。

 坂田栄男の天下が続くと見られた囲碁界で、それを負かした林海峰は、粘りの碁とか言われて評価が低かった。それを正しく評価したのが現在の覇者、趙治勲である。その評価は他人の見えないところを見ているという感じが強かったが、この誰の目にも触れない深い世界をあやつっていたのが、一時代前の将棋界では大山名人であり、周囲がどうやっても勝てなかったのは、大山名人の芸の高さもさることながら、負けた理由がわからないということにその根本原因があったのではないか。中村君の強さが計りづらいのはそれと同じ側面をもっているからではないだろうか。

 本局私の2連勝はそれなりに世間に強いインパクトを与えたかもしれないが、私自身は自分の強い部分も弱い部分もよく理解しているので、たまたまいい巡り合わせが来たと思っている。それと今回の私の勝因は、中村将棋の強い部分というものを、外見にとらわれないでよく考えたこと、これに尽きる。

 これで今まで取られっぱなしだった賞金額が約70万円、今回も同額ぐらいの差額がありやっと取り返した。対戦成績も互角に近くなってうれしい。中村君の強さは十分に理解したので中村君もこれからは相手を甘く見ず、なおかつお手柔らかにお願いしたい。

 それと今回は三番勝負自体に両対局者外の周囲の思惑が入り過ぎたようで、図々しい私が勝ってしまったが、本当はもっと静かな気持ちで将棋を大切に指したかった。勝負以外には人柄のいい中村先生には、また研究会で教えていただきたいと思っている。

* * * * *

非常に面白い自戦記。

故・小野修一八段の自戦記で最も有名なのは「もぐらだって空を飛びたい!」(「将棋自戦記コレクション (ちくま文庫)」に収録)だが、この「返してもらった70万円」はその2年前の自戦記。

「もぐらだって空を飛びたい!」に勝るとも劣らない自戦記だと思う。

* * * * *

参考1図からの▲3五銀は、滅多に見ることのできない、まさに内藤國雄九段の「妙手探し」に出てくるような華麗な一手。

このような手が指せれば、私などは一生の思い出のうちの一つに入ってしまうだろう。

しかし、プロの場合は事情が異なるということになる。

 

 

羽生善治四段(当時)の驚異の金銀損の攻め

将棋世界1986年5月号、羽生善治四段(当時)の第8回若駒戦決勝〔対 神崎健二二段〕自戦記「ラッキーな優勝!」より。

○最後の出場○

 若駒戦の出場は2回目、前回は1回戦負けだったので今度こそがんばりたいと思った。1回戦から苦戦の連続ながら決勝まで勝ち残ることが出来た。関東の代表として恥ずかしくない将棋を指したいと思い、大阪に向かった。

(中略)

○早くも作戦負け?○

 関西の代表は神崎二段、前々回の優勝者である。もちろん今回が初顔合わせ、棋風も全く解らない。

 ▲7八金の所、▲6八玉から▲7八玉と一手得する作戦で来ると思っていた。それならば矢倉中飛車か急戦矢倉にするつもりだった。▲3五歩と突かれて、普通▲2六歩の形が▲2七歩になっているので少しおかしいことに気がついた。しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ。

1図以下の指し手
△同歩▲同角△4五歩▲6八角△5三銀▲4六歩△4四銀右▲4八飛△3四銀▲3五歩△同銀右▲4五歩(2図)

○飛先不突き矢倉の優秀性○

 ▲6八角の所で▲2六角と反対の方に引かれるほうがいやだった。こういうことができるのも飛先不突き矢倉の優秀な所だと思う。

 と言っても▲6八角は悪い手ではない。△3四銀まではよくある形と思ったが飛先不突きの利点で▲3五歩と打たれることに気がついた。

 ▲2六歩の形ならば△同銀右▲4五歩△3六歩▲4六銀△2六銀でこちらが良い。2図は手の広い局面なので長考に入った。

2図以下の指し手
△3六歩▲4六銀△6四角▲3五銀△3七歩成▲4九飛△4七歩▲6五歩△7三角▲4四歩△4八歩成▲4三歩成△同銀▲4四歩△5二銀(3図)

○金銀損○

2図で考えた変化は3通り。1つめの変化は△3六歩▲4六銀△5三角、2つめの変化は△6四角▲3六歩△同銀、3つめが本譜の手順。

 1つめは押さえ込んでいきたい将棋なので本筋だとは思うが、じっと▲7九玉(変化2図)と寄られて▲5五歩や▲3五銀△同銀▲4四銀など、玉型が良くなれば思い切った攻めが出来るのでとても受け切る自信がなかった。

 2つめの手順は▲同銀△1九角成▲4六角△同馬▲同飛(変化3図)で次に▲4四歩△4二金引に▲6一角が厳しい。なお▲4六角のところ▲4四歩△4二金引の交換を入れると、△4五歩▲4八飛△1四角でこちらが面白い。

 本譜の手順も銀損になるので自信がなかったが、この順が一番逆転の可能性があると思った。▲4四歩に手を抜いたのは勢いで、△3三金寄では負かされそうな予感がした。2度目の▲4四歩は小さなミスで、ここは▲6四歩△同角▲4四歩△5二銀▲6五銀△4九と▲6四銀△同歩▲7九玉△5九と▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化4図)ではっきりしていた。角をにげずに▲3七桂がいい手で角をにげると2段目から飛車を打たれて歩切れのために困ってしまう。

 3図で昼食休憩。

3図以下の指し手
▲3四銀△4九と▲7九玉△5九と▲4三金△4二歩▲3二金△同玉▲8八玉△6九と▲5七角△4七と▲6六角△3八飛(4図)

○望外の好転○

 昼食休憩中にはひどい将棋になってしまったと思っていたが先手の玉型が悪いので、苦しいながらも大変だった。

 △5九とは自慢の一手で、放っておくと△6九と▲同玉△3九飛で一枚使わなければならない。次の▲4三金が敗着になった。ここは▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化5図)で桂馬を取れば▲3三歩△同桂▲4三金で攻めが続く。

 本譜の手順は先手の角が6六の好位置に行ったのだが、△3八飛と打たれると銀が渡せないので攻め方に困る。

4図以下の指し手
▲2二銀△同玉▲4三歩成△5五歩▲3三金△同桂▲同と△3一玉▲6八桂△4四銀▲7五歩△5七と(5図)

○勝利を確信○

 ▲2二銀には△3四飛成でも勝ちだが、△同玉のほうが勝ちが早いと思い選んだ。△4四銀と要のと金を取りに行って、どうやら勝負あった感じ。

 しかし▲7五歩といやな所を突いてくる。ここで△3三銀ならば▲同銀成△同飛成▲7四歩でうるさい。次の△5七との意味は、▲同金ならば△6八と▲同銀△7六桂で寄り筋。▲同角ならば△3三銀▲同銀△同飛成▲7四歩で、角をにげた時に▲5五角を消しているのである。

 どうやらゴールが見えてきた。しかしどんなに良い将棋でも油断すると危ないので慎重に指した。

5図以下の指し手
▲2三銀成△3三銀▲同成銀△同飛成▲5七金△3八竜▲6七金寄△5八銀▲3三歩△6七銀成▲2三銀△7八成銀▲同玉△6八と▲同銀△7九金▲6七玉△7六金▲同玉△8五金▲6七玉△7六金打▲5七玉△6六金▲4六玉△2四角(投了図)
まで、106手にて羽生の勝ち。

○若駒戦のこと○

 若駒戦は奨励会の有段者が参加できる唯一の棋戦です。対局の少ない奨励会員にはとても励みになるので、これからも続けてほしいと思います。僕も初段の時に初めて若駒戦の対局通知をもらった時には、嬉しくて対局の日が待ち遠しかったことを覚えています。

 この将棋を振り返ってみますと、序盤に▲3五歩と仕掛けられて早くも苦しくしてしまいました。しかし中盤で金銀損しても、玉型の悪さをついて2枚のと金で飛車を取りに行ったのが結果的には良かったようでした。神崎二段としては角を6八に置いたまま、それを取らせて攻めれば良かったと思います。ただ神崎二段は角を取らせるのを考えていなかったそうで、その点ではとてもツイていたと思います。

 そして4図になっては完全に逆転しました。5図以下は割合にうまく寄せ切ることができました。しかし内容としてはイマイチという気がしました。もっともっと勉強して良い将棋を指したいと思います。

 この後表彰式で優勝カップをもらいましたが、それをもって帰って来るのが意外と大変で、何となく優勝したんだなあという気持ちになりました。

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2図から3図に至るまでの金銀損の攻め。

中盤に入ったばかりの局面での、驚くほどの踏み込みの良さと勇猛果敢さ。

たしかに金銀損ではあるが、と金が2枚できているので金銀と金2枚の交換と見ることもできる。なおかつ先手の飛車を殺せるわけで、非常に説得力のある指し方だ。

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「しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ」

と羽生善治四段(当時)が書いているように、この頃の羽生四段は、序盤は荒削りだったものの、豪腕の中終盤力で勝利を重ねていた。

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この羽生四段の自戦記は、将棋世界での初めての自戦記で、15歳の時に書かれたもの。

月並みな言葉ではあるが、15歳の文章とは思えないほどしっかりとしている。

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下の写真は、この対局が行われた頃の羽生四段。中学3年生。

貴公子然とした少年なのに、この対局で現れたような、野蛮と賞賛したくなるような強烈な攻撃を仕掛けてくるわけで、そのギャップがすごい。

この頃の別の棋戦での羽生善治四段(当時)。中学3年生。将棋世界1986年4月号掲載の写真。撮影は中野英伴さん。

 

 

 

深浦康市六段(当時)のユニークな自戦記再び

将棋世界2000年9月号、深浦康市六段(当時)の第19回早指し新鋭戦決勝戦〔対 久保利明六段〕自戦記「新鋭戦3度目の優勝」より。

 目覚まし時計。厚い雲に覆われたくもり空。鏡。ちょっと疲れの残っている自分の顔。ごはん。みそ汁。焼魚。卵焼き。グレープフルーツジュース。皇太后さまご逝去。サッカーW杯南北統一チーム。「のぞみ」立ち席OK。佐々岡100勝目。丸山ボギー連発。福原愛、ダブルス1勝。


 今年はあわただしい春を過ごした。本来、好きな桜の季節でもあるのでのんびりしよう、というコンセプトは決まっているのだが、せっかくのオフシーズンだから旅行でも、名人戦をやっているから勉強という口実で見に行こうか、という欲が出て、結局いっぱいいっぱいの日程になってしまっている。

 ピークはこの早指し新鋭戦を挟む1週間。東京で対局した翌日に、長崎での名人戦第6局のNHK解説役(移動日含め4日間)。帰京翌日、芝公園スタジオでこの決勝戦。翌日、青森でのイベントのため、早朝空路八戸へ。というスケジュール。

 でも羽生、谷川に比べたら全然たいした忙しさじゃないですけどね。

 スケジュール管理は全て自分でやっているが、このように忙しくとも充実していられたのには要因があった。それは2年後に日本で行われるW杯。その6月からはW杯休暇(ブラジルやイタリアでは皆仕事を休んで自国を応援する)を取り、1ヵ月はサッカー狂者となって過ごす事。このためには今からポイントを挙げておかねばならない。

 手帳を見ながら日程の調整に勤しんでいると、突然妻が「もし優勝できたらその賞金は好きに使っていいよ」との信じられない言葉が。

 以前(結婚式の時)、米長先生に「同居人(妻)は神にも猿にも変わる」との言葉を頂いたのだが、遂に神に変わる時を見てしまった。

 もちろん賞金はW杯資金に。運は自分にほほえみつつある。


 ノートパソコン。盤と駒。スーツ。折りたたみ傘。AIKO。カブトムシ。東武東上線。ヤマンバ。電車の床に平気で座る女子高生。着メロ。東京タワー。久保家、塚田家、深浦家のファミリー3家族。島田さん。二上会長。島八段。中井女流名人……。


(中略)

 早指し新鋭戦は7年前と昨年に優勝している。2回の優勝は過去、何人かが記録しているのだが3回目はまだとの事。今回はそのチャンスが巡って来た。

 しかし…と考えてみると、3回目のチャンスがあるという事は、それだけ新鋭戦の資格(30歳、B2以下)に適していて、ほとんどの人はB1に昇がっているからじゃないか。

 再びしかし…。前期B1に昇がっていればここに居なかったわけだし、決勝戦を戦える事は幸せだ。そして何よりも目の前には久保利明が座っている。

 久保六段の名前を印象強くしたのは平成6年の出来事。自分はシーズンを終え8割ジャストという成績を残した。歴代でも9位タイという記録である。さすがに年間勝率賞は間違いないだろうと思っていたら、大阪に居た久保六段は8割1分、というものだった。強い若手が居るな、と感じていたら東京へ引っ越して来るとの事。もちろんすぐにVS(1対1の研究会)をお願いした。

 久保六段の先手となり、四間飛車藤井システム。対して居飛車側は、玉形をまとまった形にして反発する形を採った。現在では先手番ならともかく、後手番では居飛穴に組める事はまずなくなった。

(中略)

 TV東京の早指し戦と早指し新鋭戦が、継続のピンチに立たされている。直接的な要因としては視聴率の問題である。もちろん朝5時15分の放映なので起きて見るのは大変かもしれない。しかし前日にビデオをセットして頂く事で解消できる問題なので、ぜひともお願いします。

 新鋭戦に限って言えば、やはり若手の登竜門のイメージがある。四段になりたての棋士をずっとマークしていて、タイトル戦に登場、という事になったら面白いと思う。来期のこの棋戦には間違いなく渡辺明四段はエントリーされる。今期の本戦、屋敷-渡辺戦も注目の一戦であろう。

 現在は将棋連盟がスポンサーになっている関係で、羽生四冠がCMに出たりもしている。他にも夏には、女流棋士がゆかたで出演している”お好み対局”も楽しい。見て損はしない。本当によろしくお願いします。

(中略)

 △5五香から△8六香と小駒が活躍し始めた。この辺りでようやく優勢を意識する事が出来た。しかしまだ玉形は弱いので飛車を大事にして、先手玉の左側から攻める事を心掛けた。

 勝負は常に断崖絶壁を背にして立っている様なもので、正面数百メートル先にはゴールのテープが張られている。目に映るのは勝利のゴールだけだが、その瞬間に崖の上に立たされているのを忘れてしまっている。随分ゴールには近づいたが、いつ突風が吹くか分からない。

 残り数十メートル。這い蹲って進む事にした。

(中略)


 感想戦。「▲6四歩突き捨ては入れた方が良かった」と話す久保六段。表彰式。記念撮影。打ち上げ。海斗君が恵梨花ちゃんと楽しそうに追いかけ回すのを口をあけてながめる凜人。凜人をあやすまゆちゃん。2次会。飲めない後輩の大橋さんをいたわる高橋プロデューサー。なぜか服を脱ごうとする、通称”江戸前君”神谷君。


(中略)

 これで新鋭戦は3度目の優勝になった。7年前のダブル優勝と加え、誇りに思う。

 本当に縁を感じる棋戦で、スタッフにも恵まれ、又将棋会館とは違う雰囲気が新鮮な気持ちにしてくれている。しかしこれからが大切なので、過去の事は大事に胸にしまって新たに頑張って行きたい。

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2000年6月17日(土)、この日の深浦康市六段(当時)の、起きてから眼に映ったもの(緑色の部分)も書いているユニークな自戦記。

当時の時代背景などもあるので、理解を深めるために注釈を付けてみた。

深浦六段は、この前年も早指し新鋭戦で優勝しており、同じ様式で自戦記を書いている。

深浦康市六段(当時)「困った顔をして欲しい北浜君」

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  • 厚い雲に覆われたくもり空…気象データによると、この日の天気は午前中が曇り、午後になってから雨が降っている。最高気温20度、最低気温17.5度。
  • ごはん。みそ汁。焼魚。卵焼き。グレープフルーツジュース…この日の深浦家の朝食。前年の早指し新鋭戦決勝戦のあった日の朝食はロールパンとグレープフルーツジュースなので、深浦六段の朝はグレープフルーツジュースが定番だったと思われる。
  • 皇太后さまご逝去…この前日、香淳皇后が崩御。97歳だった。
  • サッカーW杯南北統一チーム…この4日前の6月13日、朝鮮半島の分断後55年で初の韓国と北朝鮮の両首脳による首脳会談が行われている。
  • 「のぞみ」立ち席OK…1992年から運行されている「のぞみ」だが、2000年7月1日から立ち席がOKになった。ただし、まだ基本的には全席指定席で、自由席が設けられるのは2003年10月1日から。
  • 佐々岡100勝目…広島東洋カープの佐々岡真司投手が、前日の対横浜ベイスターズ戦で完封勝利。 史上115人目の100勝達成となった。
  • 丸山ボギー連発…ゴルフの丸山茂樹プロ。やはり丸ちゃんと呼ばれている。2000年からアメリカのPGAツアーに本格参戦している。
  • 福原愛、ダブルス1勝…福原愛選手が11歳7ヵ月で最年少日本代表入りした頃。
  • ノートパソコン。盤と駒…棋譜並べ。この頃はラップトップパソコンという呼び名が死語になりつつあったことがわかる。
  • 折りたたみ傘…家を出る頃は曇り。きちんと折りたたみ傘を持っていくところが緻密な深浦九段らしいところ。この日の午後3時頃から雨が降っている。
  • AIKO…aikoは女性シンガーソングライター。血液型はAB型。歌手としての表記は「aiko」で作詞・作曲のの時は「AIKO」と表記しているという。
  • カブトムシ…駅に向かう途中でカブトムシを見つけたのかなと思ったが、よく調べてみると、これはaikoのシングル曲。深浦六段は、家を出るまでにこの曲を聴いたということになる。
  • 東武東上線…深浦六段の家の最寄駅から東上線に乗る。
  • ヤマンバ。電車の床に平気で座る女子高生。着メロ…東上線の中の光景。ガングロの女子高生の全盛期だ。あの時代は何だったのだろう。
  • 東京タワー…この頃のテレビ東京のスタジオは東京タワーの麓にもあった。

(ここからはテレビ東京)

  • 久保家、塚田家、深浦家のファミリー3家族…スタジオには3家族が来ていた。
  • 島田さん。二上会長。島八段。中井女流名人…司会の島田良夫アナウンサー、二上達也日本将棋連盟会長(当時)、解説の島朗八段(当時)、聞き手の中井広恵女流名人(当時)。
  • 海斗君が恵梨花ちゃんと楽しそうに追いかけ回すのを口をあけてながめる凜人…久保家の海斗君、塚田家の恵梨花ちゃん、深浦家の凜人君。塚田家の恵梨花ちゃんは現在の塚田恵梨花女流1級。
  • 凜人をあやすまゆちゃん…前年の自戦記でも登場している、まゆちゃん。番組を制作している輝企画のスタッフ。深浦六段はちっちゃいまゆちゃんと呼んでいたようだ。
  • 飲めない後輩の大橋さんをいたわる高橋プロデューサー。なぜか服を脱ごうとする、通称”江戸前君”神谷君…飲みながら服を脱ごうとする人とはまだ出会ったことがないが、飲んで服を脱ぐ場合は、やはり野球拳をやって脱ぐのが王道なのではないか思う。

 

 

盤上が真っ黒になった対局

将棋世界1985年10月号、高橋道雄六段の第26期王位戦〔加藤一二三王位-高橋道雄六段〕第3局自戦記「結果は後から………」より。

 外は30度を越え、かなり暑い(らしい)。

 来道した三度、何れも猛暑で私には「北海道は暑い」のイメージしかない。

 昨年は第2局、北見温根湯温泉で行われた。北海道らしく普段はクーラーなど無用とのこと。当然その設備が無い。

 こりゃたまらん、とクーラーを付けてもらったのはいいけれど、その力が私の方まで届かない。対局中は汗のかき通しだったのを憶えている。

 その対局はその後珍エピソードがあった。

 二日目の最終盤。誰かが窓を開けた為に、虫が対局室へ大挙して乱入。盤上をも我が物顔で飛び回る。

 双方秒読みである。そんな事かまっていられる状況ではない。

 ビシッビシッ。可哀想に盤上が虫たちの墓場と化した。盤上まっ黒。

 妙な体験であった。

(以下略)

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北見温根湯温泉で行われた1984年の王位戦第2局は、高橋道雄王位(当時)と加藤一二三九段の戦いで、高橋王位が勝っている。

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盤上まっ黒になってしまったということは、ブヨの比率が高かったと考えられる。

加藤一二三九段は思いっきり力強く駒を打ち付けるので、相当の数の虫が一手ごとに盤上に張り付くことになったことだろう。

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春や夏の季節、対局中に窓を開けると、対局室が集虫灯と化してしまう。

窓を開けたわけではないが、テレビカメラ用のケーブルが引かれていることによってできた障子のわずかの隙間から大量の虫が入り込んできたのが1995年の名人戦第1局。

最終盤ではなかったためか、関係者が虫を撃退した。

森下卓八段(当時)痛恨の△8三桂 =第53期名人戦=

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晩秋なのに大量の虫が出たのが、出雲大社「勅使館」で行われた1995年の竜王戦第3局。

寒くなってきたので電気ストーブを急遽入れたところ、冬眠中の虫たちが起き出してきて…という展開。この時は観戦記者(武者野勝巳六段)と記録係(野月浩貴三段)と担当記者(小田尚英さん)が虫を排除している。

竜王戦秘話

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テレビ東京の早指し将棋選手権戦で、スタジオ内を飛んでいた1匹の虫を一撃で退治したのが、対局中の加藤一二三九段。

加藤一二三九段の虫退治

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1995年の名人戦第1局ではブヨが多く入ってきた。

蚊取り線香でブヨが近づかないのなら、それはそれで一つの風情だが、ブヨに普通の蚊取り線香はほとんど効き目がないという。

どんなことがあっても対局室の窓は開けない、というのがタイトル戦における鉄則なのではないかと思う。

 

 

中村太地四段(当時)「頭の疲れを将棋で癒やすのも棋士の性であろう」

近代将棋2007年10月号、「旬の棋士をピックアップ 若手棋士リレー大特集 中村太地四段」より。

 今回の若手特集は私、中村太地が務めさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。

 十代最後の年となる今年は私生活の面でも早稲田大学に入学するなど様々な変化があった。学業との両立は簡単なことではないと思うが、これが奨励会時代からの自分で選んだ道なので最後まで貫き通したい。

 大学では政治経済学部の政治学科に所属していて、今は主に政治哲学を学んでおり、毎日哲学者の思想の英語文献とにらめっこするとても充実した(笑)日々を送っている。

 これからの大学生活では幅広い知識を身に付け、また常に向上心を持ち続けて人間的に成長していきたいと思う。

 それでは、7月に対局した順位戦、対佐藤紳哉五段戦を今回解説させていただきます。

 佐藤五段と対戦するのは今回が二局目、一局目はNHK杯の予選で、そのときは完敗だった。本局は順位戦の初戦を落としていたこともあり、絶対に勝たなくてはならない対局だと感じて臨んだ。

 局面は1図。前回の対戦では私は向飛車で挑んだが、本局は矢倉で挑んだ。

 私は振り飛車党であるが、最近では多くの戦型を指しこなせるようになりたいという思いから居飛車の将棋を積極的に指している。とはいえ、まだ全然指しこなせておらず勉強中で、経験不足であることは否めず公式戦でも痛い目に多くあっている。ちなみにこの1図までは、順位戦は対局前に先後が決まっていて作戦が立てやすいために予定どおりの進行であった。

(中略)

 投了図は先手玉に詰めろが続かないため先手の勝ちとなっている。

 全体的に形勢の悪い局面が長く、苦しい将棋だったが幸い勝つことができた。感想戦が終わった後は心地よい疲れの中で他の対局の検討をしながら始発電車を待ち帰途についた。頭の疲れを将棋で癒やすのも棋士の性であろう。

 私は今年、棋士になって2年目に入ったのだが、振り返って見ると地方の将棋ファンの方々との交流や自分とは違う世界にいる方々との出会い、またお世話になった方々との再会など様々な人との出会いや再会があった。

 それらを通じて、自分が多くの人に応援していただいていることや支えていただいていることを改めて感じた。そしてそれは今後自分が生きていく上でかけがいのない財産となることだろうと思い、大きな励みとなっている。これからも感謝の気持ちを忘れずに自分らしく成長していきたい。

 次回は私が昔から通っていた八王子将棋クラブの先輩、伊藤真吾四段にバトンタッチします。

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中村太地六段が19歳の時の自戦記。

近代将棋、10年前の今頃に出された号。

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私は2013年、NHK杯戦 中村太地六段-松尾歩七段(当時)戦の観戦記を書かせていただいた。

解説は木村一基八段(当時)。

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対局前の控え室、話題の中心は木村一基八段だった。

木村「中村くんはこの夏はどこかに行った?」

中村「はい、仕事で北京に3泊行ってました」

木村「本場の中国料理はやっぱり美味しかった?」

中村「うーん、、、日本の中国料理のほうが美味しく感じますね」

対局は中村太地六段が勝った。松尾歩七段に悪手らしい悪手はなく、敗因のわからない熱戦だった。

対局後、木村一基八段の誘いで、両対局者ともNHKの近所の蕎麦屋で昼食。蕎麦が出てくるまでビール。

木村八段と松尾七段は研究会も同じで元からの飲み友達。

松尾七段が「森さんも酒は結構飲まれるんですか」と聞いてくる。

「はい、かなり」と答えると、松尾七段は100年来の知己に出会った時のような嬉しそうな顔になりながらビールを注いでくれた。

木村「中村くん、君は少食だと聞いてるけど、そうなの?」

中村「いえ、僕は定食屋でいつも大盛で頼んでいるんですよ。結構大食いなんです」

何気ない会話を聞きながら、中村六段は、会社でいえば、顧客に信頼され、先輩に可愛がられ、後輩に尊敬されるような魅力を持った若手社員、という雰囲気だなと感じた。

テレビで見ると、完全無欠で隙がないように見えるが、良い意味で血液型B型的とでも言うのだろうか、やっぱり血液型B型からは逃れられないと言ったほうが良いのか、隙もあってユルさもあって非常に人間味溢れる人柄。

ちなみに松尾歩八段もB型だ。

松尾七段の、上着を脱いでネクタイをはずして、ビールを美味しそうに飲んでいる姿も忘れられない。