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羽生善治四段(当時)の驚異の金銀損の攻め

将棋世界1986年5月号、羽生善治四段(当時)の第8回若駒戦決勝〔対 神崎健二二段〕自戦記「ラッキーな優勝!」より。

○最後の出場○

 若駒戦の出場は2回目、前回は1回戦負けだったので今度こそがんばりたいと思った。1回戦から苦戦の連続ながら決勝まで勝ち残ることが出来た。関東の代表として恥ずかしくない将棋を指したいと思い、大阪に向かった。

(中略)

○早くも作戦負け?○

 関西の代表は神崎二段、前々回の優勝者である。もちろん今回が初顔合わせ、棋風も全く解らない。

 ▲7八金の所、▲6八玉から▲7八玉と一手得する作戦で来ると思っていた。それならば矢倉中飛車か急戦矢倉にするつもりだった。▲3五歩と突かれて、普通▲2六歩の形が▲2七歩になっているので少しおかしいことに気がついた。しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ。

1図以下の指し手
△同歩▲同角△4五歩▲6八角△5三銀▲4六歩△4四銀右▲4八飛△3四銀▲3五歩△同銀右▲4五歩(2図)

○飛先不突き矢倉の優秀性○

 ▲6八角の所で▲2六角と反対の方に引かれるほうがいやだった。こういうことができるのも飛先不突き矢倉の優秀な所だと思う。

 と言っても▲6八角は悪い手ではない。△3四銀まではよくある形と思ったが飛先不突きの利点で▲3五歩と打たれることに気がついた。

 ▲2六歩の形ならば△同銀右▲4五歩△3六歩▲4六銀△2六銀でこちらが良い。2図は手の広い局面なので長考に入った。

2図以下の指し手
△3六歩▲4六銀△6四角▲3五銀△3七歩成▲4九飛△4七歩▲6五歩△7三角▲4四歩△4八歩成▲4三歩成△同銀▲4四歩△5二銀(3図)

○金銀損○

2図で考えた変化は3通り。1つめの変化は△3六歩▲4六銀△5三角、2つめの変化は△6四角▲3六歩△同銀、3つめが本譜の手順。

 1つめは押さえ込んでいきたい将棋なので本筋だとは思うが、じっと▲7九玉(変化2図)と寄られて▲5五歩や▲3五銀△同銀▲4四銀など、玉型が良くなれば思い切った攻めが出来るのでとても受け切る自信がなかった。

 2つめの手順は▲同銀△1九角成▲4六角△同馬▲同飛(変化3図)で次に▲4四歩△4二金引に▲6一角が厳しい。なお▲4六角のところ▲4四歩△4二金引の交換を入れると、△4五歩▲4八飛△1四角でこちらが面白い。

 本譜の手順も銀損になるので自信がなかったが、この順が一番逆転の可能性があると思った。▲4四歩に手を抜いたのは勢いで、△3三金寄では負かされそうな予感がした。2度目の▲4四歩は小さなミスで、ここは▲6四歩△同角▲4四歩△5二銀▲6五銀△4九と▲6四銀△同歩▲7九玉△5九と▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化4図)ではっきりしていた。角をにげずに▲3七桂がいい手で角をにげると2段目から飛車を打たれて歩切れのために困ってしまう。

 3図で昼食休憩。

3図以下の指し手
▲3四銀△4九と▲7九玉△5九と▲4三金△4二歩▲3二金△同玉▲8八玉△6九と▲5七角△4七と▲6六角△3八飛(4図)

○望外の好転○

 昼食休憩中にはひどい将棋になってしまったと思っていたが先手の玉型が悪いので、苦しいながらも大変だった。

 △5九とは自慢の一手で、放っておくと△6九と▲同玉△3九飛で一枚使わなければならない。次の▲4三金が敗着になった。ここは▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化5図)で桂馬を取れば▲3三歩△同桂▲4三金で攻めが続く。

 本譜の手順は先手の角が6六の好位置に行ったのだが、△3八飛と打たれると銀が渡せないので攻め方に困る。

4図以下の指し手
▲2二銀△同玉▲4三歩成△5五歩▲3三金△同桂▲同と△3一玉▲6八桂△4四銀▲7五歩△5七と(5図)

○勝利を確信○

 ▲2二銀には△3四飛成でも勝ちだが、△同玉のほうが勝ちが早いと思い選んだ。△4四銀と要のと金を取りに行って、どうやら勝負あった感じ。

 しかし▲7五歩といやな所を突いてくる。ここで△3三銀ならば▲同銀成△同飛成▲7四歩でうるさい。次の△5七との意味は、▲同金ならば△6八と▲同銀△7六桂で寄り筋。▲同角ならば△3三銀▲同銀△同飛成▲7四歩で、角をにげた時に▲5五角を消しているのである。

 どうやらゴールが見えてきた。しかしどんなに良い将棋でも油断すると危ないので慎重に指した。

5図以下の指し手
▲2三銀成△3三銀▲同成銀△同飛成▲5七金△3八竜▲6七金寄△5八銀▲3三歩△6七銀成▲2三銀△7八成銀▲同玉△6八と▲同銀△7九金▲6七玉△7六金▲同玉△8五金▲6七玉△7六金打▲5七玉△6六金▲4六玉△2四角(投了図)
まで、106手にて羽生の勝ち。

○若駒戦のこと○

 若駒戦は奨励会の有段者が参加できる唯一の棋戦です。対局の少ない奨励会員にはとても励みになるので、これからも続けてほしいと思います。僕も初段の時に初めて若駒戦の対局通知をもらった時には、嬉しくて対局の日が待ち遠しかったことを覚えています。

 この将棋を振り返ってみますと、序盤に▲3五歩と仕掛けられて早くも苦しくしてしまいました。しかし中盤で金銀損しても、玉型の悪さをついて2枚のと金で飛車を取りに行ったのが結果的には良かったようでした。神崎二段としては角を6八に置いたまま、それを取らせて攻めれば良かったと思います。ただ神崎二段は角を取らせるのを考えていなかったそうで、その点ではとてもツイていたと思います。

 そして4図になっては完全に逆転しました。5図以下は割合にうまく寄せ切ることができました。しかし内容としてはイマイチという気がしました。もっともっと勉強して良い将棋を指したいと思います。

 この後表彰式で優勝カップをもらいましたが、それをもって帰って来るのが意外と大変で、何となく優勝したんだなあという気持ちになりました。

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2図から3図に至るまでの金銀損の攻め。

中盤に入ったばかりの局面での、驚くほどの踏み込みの良さと勇猛果敢さ。

たしかに金銀損ではあるが、と金が2枚できているので金銀と金2枚の交換と見ることもできる。なおかつ先手の飛車を殺せるわけで、非常に説得力のある指し方だ。

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「しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ」

と羽生善治四段(当時)が書いているように、この頃の羽生四段は、序盤は荒削りだったものの、豪腕の中終盤力で勝利を重ねていた。

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この羽生四段の自戦記は、将棋世界での初めての自戦記で、15歳の時に書かれたもの。

月並みな言葉ではあるが、15歳の文章とは思えないほどしっかりとしている。

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下の写真は、この対局が行われた頃の羽生四段。中学3年生。

貴公子然とした少年なのに、この対局で現れたような、野蛮と賞賛したくなるような強烈な攻撃を仕掛けてくるわけで、そのギャップがすごい。

この頃の別の棋戦での羽生善治四段(当時)。中学3年生。将棋世界1986年4月号掲載の写真。撮影は中野英伴さん。

 

 

 

深浦康市六段(当時)のユニークな自戦記再び

将棋世界2000年9月号、深浦康市六段(当時)の第19回早指し新鋭戦決勝戦〔対 久保利明六段〕自戦記「新鋭戦3度目の優勝」より。

 目覚まし時計。厚い雲に覆われたくもり空。鏡。ちょっと疲れの残っている自分の顔。ごはん。みそ汁。焼魚。卵焼き。グレープフルーツジュース。皇太后さまご逝去。サッカーW杯南北統一チーム。「のぞみ」立ち席OK。佐々岡100勝目。丸山ボギー連発。福原愛、ダブルス1勝。


 今年はあわただしい春を過ごした。本来、好きな桜の季節でもあるのでのんびりしよう、というコンセプトは決まっているのだが、せっかくのオフシーズンだから旅行でも、名人戦をやっているから勉強という口実で見に行こうか、という欲が出て、結局いっぱいいっぱいの日程になってしまっている。

 ピークはこの早指し新鋭戦を挟む1週間。東京で対局した翌日に、長崎での名人戦第6局のNHK解説役(移動日含め4日間)。帰京翌日、芝公園スタジオでこの決勝戦。翌日、青森でのイベントのため、早朝空路八戸へ。というスケジュール。

 でも羽生、谷川に比べたら全然たいした忙しさじゃないですけどね。

 スケジュール管理は全て自分でやっているが、このように忙しくとも充実していられたのには要因があった。それは2年後に日本で行われるW杯。その6月からはW杯休暇(ブラジルやイタリアでは皆仕事を休んで自国を応援する)を取り、1ヵ月はサッカー狂者となって過ごす事。このためには今からポイントを挙げておかねばならない。

 手帳を見ながら日程の調整に勤しんでいると、突然妻が「もし優勝できたらその賞金は好きに使っていいよ」との信じられない言葉が。

 以前(結婚式の時)、米長先生に「同居人(妻)は神にも猿にも変わる」との言葉を頂いたのだが、遂に神に変わる時を見てしまった。

 もちろん賞金はW杯資金に。運は自分にほほえみつつある。


 ノートパソコン。盤と駒。スーツ。折りたたみ傘。AIKO。カブトムシ。東武東上線。ヤマンバ。電車の床に平気で座る女子高生。着メロ。東京タワー。久保家、塚田家、深浦家のファミリー3家族。島田さん。二上会長。島八段。中井女流名人……。


(中略)

 早指し新鋭戦は7年前と昨年に優勝している。2回の優勝は過去、何人かが記録しているのだが3回目はまだとの事。今回はそのチャンスが巡って来た。

 しかし…と考えてみると、3回目のチャンスがあるという事は、それだけ新鋭戦の資格(30歳、B2以下)に適していて、ほとんどの人はB1に昇がっているからじゃないか。

 再びしかし…。前期B1に昇がっていればここに居なかったわけだし、決勝戦を戦える事は幸せだ。そして何よりも目の前には久保利明が座っている。

 久保六段の名前を印象強くしたのは平成6年の出来事。自分はシーズンを終え8割ジャストという成績を残した。歴代でも9位タイという記録である。さすがに年間勝率賞は間違いないだろうと思っていたら、大阪に居た久保六段は8割1分、というものだった。強い若手が居るな、と感じていたら東京へ引っ越して来るとの事。もちろんすぐにVS(1対1の研究会)をお願いした。

 久保六段の先手となり、四間飛車藤井システム。対して居飛車側は、玉形をまとまった形にして反発する形を採った。現在では先手番ならともかく、後手番では居飛穴に組める事はまずなくなった。

(中略)

 TV東京の早指し戦と早指し新鋭戦が、継続のピンチに立たされている。直接的な要因としては視聴率の問題である。もちろん朝5時15分の放映なので起きて見るのは大変かもしれない。しかし前日にビデオをセットして頂く事で解消できる問題なので、ぜひともお願いします。

 新鋭戦に限って言えば、やはり若手の登竜門のイメージがある。四段になりたての棋士をずっとマークしていて、タイトル戦に登場、という事になったら面白いと思う。来期のこの棋戦には間違いなく渡辺明四段はエントリーされる。今期の本戦、屋敷-渡辺戦も注目の一戦であろう。

 現在は将棋連盟がスポンサーになっている関係で、羽生四冠がCMに出たりもしている。他にも夏には、女流棋士がゆかたで出演している”お好み対局”も楽しい。見て損はしない。本当によろしくお願いします。

(中略)

 △5五香から△8六香と小駒が活躍し始めた。この辺りでようやく優勢を意識する事が出来た。しかしまだ玉形は弱いので飛車を大事にして、先手玉の左側から攻める事を心掛けた。

 勝負は常に断崖絶壁を背にして立っている様なもので、正面数百メートル先にはゴールのテープが張られている。目に映るのは勝利のゴールだけだが、その瞬間に崖の上に立たされているのを忘れてしまっている。随分ゴールには近づいたが、いつ突風が吹くか分からない。

 残り数十メートル。這い蹲って進む事にした。

(中略)


 感想戦。「▲6四歩突き捨ては入れた方が良かった」と話す久保六段。表彰式。記念撮影。打ち上げ。海斗君が恵梨花ちゃんと楽しそうに追いかけ回すのを口をあけてながめる凜人。凜人をあやすまゆちゃん。2次会。飲めない後輩の大橋さんをいたわる高橋プロデューサー。なぜか服を脱ごうとする、通称”江戸前君”神谷君。


(中略)

 これで新鋭戦は3度目の優勝になった。7年前のダブル優勝と加え、誇りに思う。

 本当に縁を感じる棋戦で、スタッフにも恵まれ、又将棋会館とは違う雰囲気が新鮮な気持ちにしてくれている。しかしこれからが大切なので、過去の事は大事に胸にしまって新たに頑張って行きたい。

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2000年6月17日(土)、この日の深浦康市六段(当時)の、起きてから眼に映ったもの(緑色の部分)も書いているユニークな自戦記。

当時の時代背景などもあるので、理解を深めるために注釈を付けてみた。

深浦六段は、この前年も早指し新鋭戦で優勝しており、同じ様式で自戦記を書いている。

深浦康市六段(当時)「困った顔をして欲しい北浜君」

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  • 厚い雲に覆われたくもり空…気象データによると、この日の天気は午前中が曇り、午後になってから雨が降っている。最高気温20度、最低気温17.5度。
  • ごはん。みそ汁。焼魚。卵焼き。グレープフルーツジュース…この日の深浦家の朝食。前年の早指し新鋭戦決勝戦のあった日の朝食はロールパンとグレープフルーツジュースなので、深浦六段の朝はグレープフルーツジュースが定番だったと思われる。
  • 皇太后さまご逝去…この前日、香淳皇后が崩御。97歳だった。
  • サッカーW杯南北統一チーム…この4日前の6月13日、朝鮮半島の分断後55年で初の韓国と北朝鮮の両首脳による首脳会談が行われている。
  • 「のぞみ」立ち席OK…1992年から運行されている「のぞみ」だが、2000年7月1日から立ち席がOKになった。ただし、まだ基本的には全席指定席で、自由席が設けられるのは2003年10月1日から。
  • 佐々岡100勝目…広島東洋カープの佐々岡真司投手が、前日の対横浜ベイスターズ戦で完封勝利。 史上115人目の100勝達成となった。
  • 丸山ボギー連発…ゴルフの丸山茂樹プロ。やはり丸ちゃんと呼ばれている。2000年からアメリカのPGAツアーに本格参戦している。
  • 福原愛、ダブルス1勝…福原愛選手が11歳7ヵ月で最年少日本代表入りした頃。
  • ノートパソコン。盤と駒…棋譜並べ。この頃はラップトップパソコンという呼び名が死語になりつつあったことがわかる。
  • 折りたたみ傘…家を出る頃は曇り。きちんと折りたたみ傘を持っていくところが緻密な深浦九段らしいところ。この日の午後3時頃から雨が降っている。
  • AIKO…aikoは女性シンガーソングライター。血液型はAB型。歌手としての表記は「aiko」で作詞・作曲のの時は「AIKO」と表記しているという。
  • カブトムシ…駅に向かう途中でカブトムシを見つけたのかなと思ったが、よく調べてみると、これはaikoのシングル曲。深浦六段は、家を出るまでにこの曲を聴いたということになる。
  • 東武東上線…深浦六段の家の最寄駅から東上線に乗る。
  • ヤマンバ。電車の床に平気で座る女子高生。着メロ…東上線の中の光景。ガングロの女子高生の全盛期だ。あの時代は何だったのだろう。
  • 東京タワー…この頃のテレビ東京のスタジオは東京タワーの麓にもあった。

(ここからはテレビ東京)

  • 久保家、塚田家、深浦家のファミリー3家族…スタジオには3家族が来ていた。
  • 島田さん。二上会長。島八段。中井女流名人…司会の島田良夫アナウンサー、二上達也日本将棋連盟会長(当時)、解説の島朗八段(当時)、聞き手の中井広恵女流名人(当時)。
  • 海斗君が恵梨花ちゃんと楽しそうに追いかけ回すのを口をあけてながめる凜人…久保家の海斗君、塚田家の恵梨花ちゃん、深浦家の凜人君。塚田家の恵梨花ちゃんは現在の塚田恵梨花女流1級。
  • 凜人をあやすまゆちゃん…前年の自戦記でも登場している、まゆちゃん。番組を制作している輝企画のスタッフ。深浦六段はちっちゃいまゆちゃんと呼んでいたようだ。
  • 飲めない後輩の大橋さんをいたわる高橋プロデューサー。なぜか服を脱ごうとする、通称”江戸前君”神谷君…飲みながら服を脱ごうとする人とはまだ出会ったことがないが、飲んで服を脱ぐ場合は、やはり野球拳をやって脱ぐのが王道なのではないか思う。

 

 

盤上が真っ黒になった対局

将棋世界1985年10月号、高橋道雄六段の第26期王位戦〔加藤一二三王位-高橋道雄六段〕第3局自戦記「結果は後から………」より。

 外は30度を越え、かなり暑い(らしい)。

 来道した三度、何れも猛暑で私には「北海道は暑い」のイメージしかない。

 昨年は第2局、北見温根湯温泉で行われた。北海道らしく普段はクーラーなど無用とのこと。当然その設備が無い。

 こりゃたまらん、とクーラーを付けてもらったのはいいけれど、その力が私の方まで届かない。対局中は汗のかき通しだったのを憶えている。

 その対局はその後珍エピソードがあった。

 二日目の最終盤。誰かが窓を開けた為に、虫が対局室へ大挙して乱入。盤上をも我が物顔で飛び回る。

 双方秒読みである。そんな事かまっていられる状況ではない。

 ビシッビシッ。可哀想に盤上が虫たちの墓場と化した。盤上まっ黒。

 妙な体験であった。

(以下略)

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北見温根湯温泉で行われた1984年の王位戦第2局は、高橋道雄王位(当時)と加藤一二三九段の戦いで、高橋王位が勝っている。

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盤上まっ黒になってしまったということは、ブヨの比率が高かったと考えられる。

加藤一二三九段は思いっきり力強く駒を打ち付けるので、相当の数の虫が一手ごとに盤上に張り付くことになったことだろう。

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春や夏の季節、対局中に窓を開けると、対局室が集虫灯と化してしまう。

窓を開けたわけではないが、テレビカメラ用のケーブルが引かれていることによってできた障子のわずかの隙間から大量の虫が入り込んできたのが1995年の名人戦第1局。

最終盤ではなかったためか、関係者が虫を撃退した。

森下卓八段(当時)痛恨の△8三桂 =第53期名人戦=

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晩秋なのに大量の虫が出たのが、出雲大社「勅使館」で行われた1995年の竜王戦第3局。

寒くなってきたので電気ストーブを急遽入れたところ、冬眠中の虫たちが起き出してきて…という展開。この時は観戦記者(武者野勝巳六段)と記録係(野月浩貴三段)と担当記者(小田尚英さん)が虫を排除している。

竜王戦秘話

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テレビ東京の早指し将棋選手権戦で、スタジオ内を飛んでいた1匹の虫を一撃で退治したのが、対局中の加藤一二三九段。

加藤一二三九段の虫退治

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1995年の名人戦第1局ではブヨが多く入ってきた。

蚊取り線香でブヨが近づかないのなら、それはそれで一つの風情だが、ブヨに普通の蚊取り線香はほとんど効き目がないという。

どんなことがあっても対局室の窓は開けない、というのがタイトル戦における鉄則なのではないかと思う。

 

 

中村太地四段(当時)「頭の疲れを将棋で癒やすのも棋士の性であろう」

近代将棋2007年10月号、「旬の棋士をピックアップ 若手棋士リレー大特集 中村太地四段」より。

 今回の若手特集は私、中村太地が務めさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。

 十代最後の年となる今年は私生活の面でも早稲田大学に入学するなど様々な変化があった。学業との両立は簡単なことではないと思うが、これが奨励会時代からの自分で選んだ道なので最後まで貫き通したい。

 大学では政治経済学部の政治学科に所属していて、今は主に政治哲学を学んでおり、毎日哲学者の思想の英語文献とにらめっこするとても充実した(笑)日々を送っている。

 これからの大学生活では幅広い知識を身に付け、また常に向上心を持ち続けて人間的に成長していきたいと思う。

 それでは、7月に対局した順位戦、対佐藤紳哉五段戦を今回解説させていただきます。

 佐藤五段と対戦するのは今回が二局目、一局目はNHK杯の予選で、そのときは完敗だった。本局は順位戦の初戦を落としていたこともあり、絶対に勝たなくてはならない対局だと感じて臨んだ。

 局面は1図。前回の対戦では私は向飛車で挑んだが、本局は矢倉で挑んだ。

 私は振り飛車党であるが、最近では多くの戦型を指しこなせるようになりたいという思いから居飛車の将棋を積極的に指している。とはいえ、まだ全然指しこなせておらず勉強中で、経験不足であることは否めず公式戦でも痛い目に多くあっている。ちなみにこの1図までは、順位戦は対局前に先後が決まっていて作戦が立てやすいために予定どおりの進行であった。

(中略)

 投了図は先手玉に詰めろが続かないため先手の勝ちとなっている。

 全体的に形勢の悪い局面が長く、苦しい将棋だったが幸い勝つことができた。感想戦が終わった後は心地よい疲れの中で他の対局の検討をしながら始発電車を待ち帰途についた。頭の疲れを将棋で癒やすのも棋士の性であろう。

 私は今年、棋士になって2年目に入ったのだが、振り返って見ると地方の将棋ファンの方々との交流や自分とは違う世界にいる方々との出会い、またお世話になった方々との再会など様々な人との出会いや再会があった。

 それらを通じて、自分が多くの人に応援していただいていることや支えていただいていることを改めて感じた。そしてそれは今後自分が生きていく上でかけがいのない財産となることだろうと思い、大きな励みとなっている。これからも感謝の気持ちを忘れずに自分らしく成長していきたい。

 次回は私が昔から通っていた八王子将棋クラブの先輩、伊藤真吾四段にバトンタッチします。

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中村太地六段が19歳の時の自戦記。

近代将棋、10年前の今頃に出された号。

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私は2013年、NHK杯戦 中村太地六段-松尾歩七段(当時)戦の観戦記を書かせていただいた。

解説は木村一基八段(当時)。

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対局前の控え室、話題の中心は木村一基八段だった。

木村「中村くんはこの夏はどこかに行った?」

中村「はい、仕事で北京に3泊行ってました」

木村「本場の中国料理はやっぱり美味しかった?」

中村「うーん、、、日本の中国料理のほうが美味しく感じますね」

対局は中村太地六段が勝った。松尾歩七段に悪手らしい悪手はなく、敗因のわからない熱戦だった。

対局後、木村一基八段の誘いで、両対局者ともNHKの近所の蕎麦屋で昼食。蕎麦が出てくるまでビール。

木村八段と松尾七段は研究会も同じで元からの飲み友達。

松尾七段が「森さんも酒は結構飲まれるんですか」と聞いてくる。

「はい、かなり」と答えると、松尾七段は100年来の知己に出会った時のような嬉しそうな顔になりながらビールを注いでくれた。

木村「中村くん、君は少食だと聞いてるけど、そうなの?」

中村「いえ、僕は定食屋でいつも大盛で頼んでいるんですよ。結構大食いなんです」

何気ない会話を聞きながら、中村六段は、会社でいえば、顧客に信頼され、先輩に可愛がられ、後輩に尊敬されるような魅力を持った若手社員、という雰囲気だなと感じた。

テレビで見ると、完全無欠で隙がないように見えるが、良い意味で血液型B型的とでも言うのだろうか、やっぱり血液型B型からは逃れられないと言ったほうが良いのか、隙もあってユルさもあって非常に人間味溢れる人柄。

ちなみに松尾歩八段もB型だ。

松尾七段の、上着を脱いでネクタイをはずして、ビールを美味しそうに飲んでいる姿も忘れられない。

 

 

 

増田裕司四段(当時)「誰かがテレパシーを送ってくれたように…。そういえば8月8日は兄弟子の村山九段の命日だった」

将棋世界2001年12月号、増田裕司四段(当時)の第32回新人王戦準決勝〔対久保利明七段〕自戦記「14年の月日」より。

久保「もう苦しいです。食べられません」

増田「ギョーザ1人前しか食べてないやん」

 当時小学6年生で、5歳年下の久保さんと食事に行った時は、小柄でかわいい少年だった。

 あれから14年が経ち、盤の前には名人経験者をなで斬りにして王座挑戦を決めた久保七段が座っている。どこまで自分の力が通用するのか?不安もあったが対局できる楽しみの方が強かった。

(中略)

 久保さんとは、研修会からずっと一緒に修行をしてきた。研修会は私が一期生で、久保さんは少し遅れて入会してきた。奨励会入会は、私が昭和60年6月で、久保さんは昭和61年10月入会。三段の昇段の一番は久保二段(当時)が相手で、その将棋に勝って三段になった。しかし、三段リーグで途中参加できなかったので半年近く待っている間に、久保さんも三段になって結局、三段リーグは同時スタートとなる。

(中略)

 初参加の三段リーグは32名の中から2名が四段になれるリーグ戦。ちなみに私が三段になった日に、東京でも行方尚史さんと松本佳介さんが三段になったので、3人とも同じ順位だった(大きなお世話だと思うが3人とも負け越した)。

 その中で、久保三段がなんと初参加で、あと1勝すれば四段という所まで行った。

(中略)

 久保三段は昇段の一番を負けたが、次の三段リーグでは見事四段に昇段。私はこの後、9期(4年半)三段リーグを戦うことになる。

(中略)

 私が三段リーグを9期戦っている間に久保さんは、順位戦昇級、勝率第一位賞と勝ちまくり、東京に移籍する等、遠い存在になってしまった。

 △6五同飛には意表を突かれた。私は、△6五同銀を予想していた。△6五同飛の狙いは▲6六歩なら手順に△6一飛と引いての一手得である。本当に軽快な将棋だと思った。弱気に▲6六歩も考えたが、大阪に帰ってから畠山鎮六段に「そんな手は将棋の手じゃない!!」と言われそうなので、怖いが踏み込んでいった。

(中略)

 棋士という職業のいい点は、サラリーマンと違って上司とかの人間関係等、全く関係なく、すべて自分の力だけで出世が決まる所だと思う。悪い面は、成績が公表されるので負けが多くなった時は、ごまかしがきかない所で、人間全体が劣っているかのように思われることも多い。

 いいか悪いかは微妙だが、60歳になっても18歳の新四段と同じ土俵で戦わなくてはならない時もある。普通の会社では、社長と新入社員が対等で戦うとか、社長が新米に頭を下げることはまずない。

(中略)

 本局の数日後、クーラーを入れっぱなしで寝てしまったために、熱を出して4、5日間寝込んでしまった。完治するのに2週間かかった。自己管理も実力のうちだと思う。最近は週に一局のペースで対局がある。次の対局が気になって、心から休める日は1日もない。対局が終わって寝るまでの間だけは解放される気分だ。

 三段リーグを戦っている時は、例会の2週間前に友人と遊んでいても将棋が気になって、先に抜け出して帰ったりもした。2週間後の例会では負け…。

(中略)

7図以下の指し手
▲6四香△6三香▲同香成△同銀▲6五香△7二銀▲5五角△5四金▲4六角△6五金▲同歩△4三香▲1三角成△4七香成▲6四歩△1七竜▲3一馬△4一歩(8図)

 正月に師匠(森六段)の家で新年会があり、弟子一人一人が今年の目標を言っていくのが恒例になっている。私の目標は、同じ門下で3人目の新人王(棋界初)を目指しますと言った。師匠と弟弟子の山崎君が新人王になったので冗談半分に言ったのだが…。

 ▲6四香に△4一香とすると、手筋の▲5二歩がある。▲5五角のところで▲6三銀と指そうとした瞬間、△同銀▲同香成△6七銀の筋が見えた。誰かがテレパシーを送ってくれたように…。そういえば8月8日は兄弟子の村山九段の命日だった。

 ▲5五角は次に▲6二銀△同歩▲7一竜の筋を狙っている。

(中略)

8図以下の指し手
▲8八銀打△1四歩▲4二馬△同歩▲3三角成△3七竜▲6三金△4六角▲7二金△同金▲6三銀△7一金▲7二金△9五歩▲7一金△同銀▲6一竜△9六香▲7一竜△9八香成▲同玉△6四角▲8二銀(投了図)
まで、127手で増田の勝ち

 ▲8八銀打として勝利を確信した。この手で▲3三角成も、△1一竜なら▲同馬でうまそうな手に見える。しかし▲3三角成には△同金とされ、▲1七竜に△4四角が王手竜取りになる。▲8八銀打は王手竜取りを消した手だ。

 以後は、両者ほとんどノータイムで終局となった。

(中略)

 本局は運良く勝ったが、本当に勝ったとは思っていない。久保七段は5図から2手後の▲5二竜を軽視していたようで、その後は力を出せる局面がなかった気がする。次に対戦した時に勝てれば、本当の勝利だと思っている。

 久保七段はB級1組で、棋王戦、王座戦と挑戦者になり、猛スピードで走り続けている。彼の後ろ姿が見えない。

 自分なりに走り続けて、いろんな景色を見てみたい。棋士になったのだから…。

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村山聖九段は、19年前の今日、亡くなっている。

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悪手は指した瞬間に気がつく場合が多いので、指そうとした瞬間に気がついたということは、たしかに、非常に珍しいケースと思われる。

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「対局が終わって寝るまでの間だけは解放される気分だ」。

多くの棋士がこのように感じているのかもしれない。

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解放感は、味わおうと思ってもなかなか味わえるものではない。

曜日で言うと、土日休みの場合であれば、一番解放感があるのが金曜日の夜。

遠足の前夜が一番楽しい理論。

土曜日は、やや解放感が減少し、日曜日は午後になると一気に解放感がなくなる。

多くの方がそうかもしれないが、『笑点』のテーマ曲を聞くと、かなり憂鬱な気分になってしまう。

個人的には午後6時を過ぎると諦めがつくのか、『サザエさん』のテーマ曲はあまり気にならない。

月曜日にどのような楽しいことが待っていても、日曜日に解放感がない、というのが私の日曜日だ。

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増田裕司六段と村山聖九段→増田裕司四段(当時)「この日は師匠から、村山さんが心配なので終わるまで待機している様に言われていた」