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羽生善治竜王(当時)「ショックが、全身を駆け巡る気がしました」

将棋世界1990年10月号、羽生善治竜王(当時)の連載自戦記「構想力の差」〔B級2組順位戦 対 吉田利勝七段〕より。

近代将棋1990年8月号グラビアより。撮影は弦巻勝さん。

 月に1局のペースで進めて行く順位戦。明け番などもあるので、月に2局の場合もあります。

 本局もその珍しい月で、前局の3週間後に行われました。

 前局で敗れているだけに連敗は何としても避けたい所です。

 さて、その対戦相手は吉田利勝七段です。吉田七段は相掛かりや空中戦を得意戦法にしており、プロの間では”吉田スペシャル”と呼ばれて恐れられています。

(中略)

 まずA図(…省略)を見てください。

 千日手が成立した局面です。

 私は金得なので優勢と思っていたのですが、打開するとその有利が消えてしまうと思って、千日手にしました。

 消費時間の関係で指し直し局の残り時間は吉田七段は3時間9分、私が1時間ということになりました。

 持ち時間に差があるので、序盤は飛ばして行こうと思っていました。

 指し直し局が始まるまで30分の休憩があるので、色々と展開を考えていたのでした。

 そして、指し直し局、やはり予想通り空中戦になりました。

 1図までは始まる前に予想が出来たのです。

 ところが、この局面で思いもよらない一手を指されたのです。

 私には100年考えても思い浮かばない着想です。

 さて、その一手とは?

1図以下の指し手
△8六歩(2図…省略

 最初は何をやろうとしているのか解りませんでした。

 少しして、▲同歩△同飛▲8七歩△2五歩の狙いかと思いました。

 また少しして、それは▲8六歩△2六歩の後、▲3三角成△同桂▲2三歩以下つぶれていることに気がつきました。

 そして、ようやく▲同歩△同飛▲8七歩△8四飛としてわざと一手損をするのが真の狙いだということに気がつきました。

 ゆっくりとした展開ならともかく、この激しい空中戦で、しかも一手の価値が高い序盤早々にわざと一手パスする着想に驚いたのです。

 そして、指されてみて自分の指す手が難しいので、二度ビックリ。

 吉田七段には他の人に思いつかない特異な感覚があるようです。

 この場合もその一例で、早くも本領発揮という感じです。

(中略)

 こういう将棋はどちらかというと手将棋になり易く。その人の構想力が問われるようです。

 手将棋というのは暗闇の中で手探りをしているようなもので、仲々正解が見つけにくいのです。

 私は確固たる自信を持って指し手を進めていたのではなく、何となく感じで指していました。

 それでもそんなに悪手もなく進めていたと思います。

 ところが、3図でひどい一手を指してしまいます。

 ▲7七桂がその一手で、この手が何故悪手かというと、先手の角は後手の駒組みを牽制しているのに、それを自ら止めてしまったのです。

 こんな手を指すぐらいなら、一手パスした方が、ずっと良かったでしょう。

 構想力がありませんでした。

(中略)

 ▲7七桂の狙いは、持久戦にしてお互いの玉を固め合うような将棋にすれば一歩得が生きるというものだったのですが、何手かけても先手玉は固くならないということまでは対局中は気がつきませんでした。

 玉を固めるよりバランスの良い陣形を作る方が良いのです。

 私の布陣より吉田七段の布陣の方が良いのです。

 見事に構想力の差が出てしまいました。そして、構想の場面でなく、戦いの場面でもひどい手を指してしまいました。

 ともかく▲5六歩(4図)では▲8六歩と戦わなければなりませんでした。

 以下、△9五歩▲8五歩△9六歩▲7九角△9四金▲9六飛の展開が予想されますが、難しい勝負です。

 ▲5六歩の悪手の結果は次譜で見ていただきますが、先程はパスした方が良い手、今回はパスに等しい手という感じです。

4図以下の指し手
△7四歩▲同歩△9五歩▲同歩△7四金▲3九玉△2一飛(5図)

 ▲5六歩というのは何かの時に▲7九角が先手になる(次に▲4五歩)ので損のない手と思ったのですが、本譜のように進められてみると、飛、角が窮屈ということに気がつきました。

 そして、しばらく考えると、もしかしたら受けがないのではと思いました。

 時すでに遅し。

 もうどうすることも、できないのです。

 先手玉が2八ならば強い戦いができるのですが、一手遅い為にそうはできないのです。

 入城をしっかりしていないと流れ弾に当たり易いのです。

 局面は悪くなって来る、時間もなくなって来るという最悪のパターンになってしまいました。

5図以下の指し手
▲7二歩△7三桂▲7九角△9八歩▲同香△7五歩▲9六飛△8四金(6図)

 ▲7二歩とは何とも辛い一手で、△7一飛を防ぐだけの意味しかありません。

 そして、△9八歩が決め手です。

 この手の意味は6図になってみると解ります。

 この打ち捨てによって▲9八飛を消していて、6図では飛車が死んでしまっています。

 まさに次の一手に出て来そうな感じ。

 そして、この局面で敗戦を覚悟し、どうしてこんな場面になってしまったのだろうと、後悔の気持ちでいっぱいでした。

 順位戦での2敗目というのは特別な意味があって、(昇級が絶望的になる)何とも情けない気分です。

 駄目だと思っていても一縷の望みを託してつい指してしまう、それが順位戦なのです。

(中略)

 吉田七段はあまりにも形勢が良すぎるので楽観してしまったのでしょう。

 △7六歩に▲7五香の反撃ができて、悪いながらも攻め合いの形になりました。

 しかし、この程度では形勢が変わるわけはなく、局面は終盤になりました。

 そして7図、△2五桂では△1六桂▲同香△1九銀▲同玉△3八飛成で先手玉は必至がかかり、後手玉には詰みがない。

 つまり、私の負けということなのですが、実際の指し手は△2五桂。

 懐を広げつつ攻めるという一石二鳥の手ですが、この手なら勝負になると思い、思わず座り直してしまいました。

 形勢は微差になり逆転のチャンスも生まれて来ました。

7図以下の指し手
▲5一と△4二玉▲4五桂△同銀▲同歩△7九飛成(8図)

 残り13分という少ない残り時間から貴重な10分を投入して、▲5一と~▲4五桂、必死の勝負手です。

 他の手では簡単に負けなので、これしかないという確信を持っての着手でした。

 △同銀▲同歩△7九飛成は予想された手順。

 そして、この8図、▲3五角か▲6三とかで迷いました。

 残り時間が3分しか有りませんので、とても読み切れるものではありません。

 こういった所は勘で指すしかありません。

8図以下の指し手
▲6三と△1七銀▲同香△同桂成▲同玉△2五桂▲1六玉△1五香▲同玉△1四歩▲1六玉△1五香▲2六玉△3四桂▲3五玉△1三角(投了図)

 ▲6三とに△1六桂▲同香△1七銀なら▲1九玉で、打ち歩詰めで詰まないので勝ち。

 この変化が勝ちならば他の変化でも勝ちだろう、と思って▲6三とを選びました。

 吉田七段の22分の考慮中に気がつきました。

 △1七銀以下私の玉が詰んでしまうことに。

 吉田七段が駒台の銀を持った時に、私は負けたと思いました。

 その数分後に私は投了しました。

 順位戦での連敗は初めて。

 ショックが、全身を駆け巡る気がしました。

* * * * *

初めてタイトルを獲得した後、その棋士は調子を崩すケースが多い。

さすがの羽生善治竜王(当時)も、3月に全日本プロトーナメント決勝で谷川浩司名人(当時)に2勝1敗で勝ったものの、年度の出だしで4連敗することになる。本局は3連敗目の対局。

* * * * *

「私には100年考えても思い浮かばない着想です」

手渡しをして相手を窮地に陥れることも得意とする羽生善治竜王(当時)がこのように驚くのだから、吉田利勝七段(当時)の構想がいかに凄かったということがわかる。

* * * * *

「順位戦での2敗目というのは特別な意味があって、(昇級が絶望的になる)何とも情けない気分です」

この期は羽生竜王がB級2組に昇級して1年目だったので順位は下位、2敗で絶望的になるという見通しは間違ってはいなかった。

年度が終わっての結果は次の通りだった。

森安秀光九段(順位1位)8勝2敗→昇級
島朗七段(順位6位)8勝2敗→昇級
児玉孝一六段(順位13位)8勝2敗
羽生善治竜王(順位21位)8勝2敗

* * * * *

翌年、羽生竜王(順位3位)は8勝2敗の1位でB級1組に昇級している。

* * * * *

「駄目だと思っていても一縷の望みを託してつい指してしまう、それが順位戦なのです」

順位戦の厳しさが生々しく伝わってくる。

* * * * *

「順位戦での連敗は初めて。ショックが、全身を駆け巡る気がしました」

羽生九段も、何から何まで順風満帆というわけではなかった。

このようなことを踏みしめてきたからこそ、後の飛躍につながったのだと思う。

 

佐藤康光五段(当時)「福崎先生は私がアマ時代、二枚落ちから教えていただいた兄弟子でやりにくい気持ちがあったが、兄弟子のほうがより緊張されていたようだ」

将棋世界1990年9月号、佐藤康光五段(当時)の第31期王位戦七番勝負第1局〔対 谷川浩司王位〕自戦記「開幕戦を飾る」より。

 6月29日、私は福崎先生に勝って王位戦の挑戦者になった。

 福崎先生は私がアマ時代、二枚落ちから教えていただいた兄弟子でやりにくい気持ちがあったが、兄弟子のほうがより緊張されていたようだ。

 挑戦者になり、意外と早かったなという気がした。2年前の王位リーグで森九段にプレーオフで敗れたのだが、その時自分の甘さを痛感し、もしタイトル戦に出られるとしても遠い先のように感じていたからだ。

 それが今期、森先生との将棋はトン死で拾わせていただいた。本当にツイていたと思う。

 挑戦者になり、初めは不安な気持ちが頭に募ってきた。果たしていい将棋が指せるかと。

 第1局迄2週間ほどあったが特別な準備は何もしなかった。先後が決まっていないという事もあったし、普段通り指そうという気持ちが強かったからだ。この気持ちで今までの諸々の不安は消え飛んだ。

(中略)

 いよいよ1局目を迎えた。場所は岐阜県・下呂温泉の「水明館」。過去、タイトル戦で幾度も激闘が繰り返された場所だ。

 先輩の棋士からいい所と聞いてはいたが、食事、景色、施設など素晴らしい所で、温泉につかりながら明日はいい将棋が指せればと思った。

 前夜祭では関係者の方々と接し、いろいろお話を聞くことができた。残念だったのは緊張してまともなあいさつができなかったことだ。2局目からは直したいと思う所である。

 前夜祭の後、疲れたのかぐっすりと眠ってしまった。

(中略)

 谷川先生は私が大阪の奨励会に入会した時ちょうどAクラスにおられ、それからすぐ名人位を奪取された。目標、また尊敬している棋士の一人である。

 当時、入会した頃の私の頭に強烈に残っている出来事がある。

 関西会館の控え室で棋士や奨励会員数人がある一つの詰将棋を突っつき回していた。皆解けずウンウンうなっている所に谷川先生が来られその詰将棋を見るや数十秒で解き、皆をア然とさせていた事がある。その時Aクラスの恐さというものを子供心に感じたものだ。

 谷川先生は和服である。私は1局目は和服が間に合わなくて洋服にしたが、2局目は和服でいくつもりである。

(以下略)

将棋世界同じ号、王位戦第1局終局後の佐藤康光五段(当時)。撮影は中野英伴さん。

* * * * *

時系列的には、羽生善治竜王誕生→屋敷伸之五段が2度目の棋聖戦挑戦→佐藤康光五段が王位戦挑戦、という流れになる。

この時点で、屋敷五段は棋聖戦で2勝2敗、佐藤五段は王位戦で1勝1敗。

将棋界的には10代棋士がどんどん攻め込んできている光景だ。

この後、屋敷五段は3勝2敗で中原誠棋聖から棋聖位を奪取、佐藤五段は3勝4敗で谷川浩司王位に敗れる。

* * * * *

「福崎先生は私がアマ時代、二枚落ちから教えていただいた兄弟子でやりにくい気持ちがあったが、兄弟子のほうがより緊張されていたようだ」

王位戦リーグ、佐藤康光五段(当時)は紅組で5勝0敗。白組は福崎文吾八段(当時)と阿部隆五段(当時)が3勝1敗同士で最終戦直接対局。

阿部五段が勝っていたとしても、挑戦者決定戦は同門対決となっていた。

この時の福崎-阿部戦の対局後の様子が描かれている。

谷川浩司名人(当時)「歌わないと感想戦のとき一言もしゃべりませんからね」

* * * * *

「私は1局目は和服が間に合わなくて洋服にしたが、2局目は和服でいくつもりである」

羽生九段も屋敷九段も初めてのタイトル戦第1局は洋服だった。

やはり、10代棋士の場合はあらかじめ準備しているわけではないので、和服は第1局には間に合わないというのが定跡のようだ。

 

羽生善治竜王(当時)「あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする」

将棋世界1990年8月号、羽生善治竜王(当時)の連載自戦記〔新人王戦 対小倉久史四段〕「開幕戦を飾れず」より。

 本当に久し振りの対局。中51日なんてプロになって初めての事。対局過多で週に2局も3局も指さないといけない時もきついが、こういう状態も結構、淋しいものがある。というわけで、新年度の開幕戦は張り切って行くことにした。

 対戦相手は小倉久史四段。小倉四段は私と奨励会同期で、研究会などでもかなり指している。いわばお互いに手の内を知り尽くしている。

 中原門下にもかかわらず(?)振り飛車一辺倒という、最近の若手棋士の中では珍しい存在である。

(中略)

 局後の感想戦で色々な変化をやってみたが、どれもうまくいかない。

 どうも5図以下は私に勝ちは出ないようだ。

 負ける時は当たり前だが、負けるように負けるように出来ているもの。

 せっかくの開幕戦を飾れなくて残念だが、また気分を一新して頑張って行きたい。

(中略)

 私が奨励会三段の時に初めて公式戦に参加することができた。

 新人王戦である。

 長時間の持ち時間は初体験なので新鮮な気分だった。

 それから4回出場させてもらっているが、あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする。

 もっとも、新人王戦で優勝することが私にとって一つの目標だった。

 何と言ってもこの棋戦は若手の登竜門になっているから。

 そして、一昨年その目標を達成することができ、優勝できた時は本当に嬉しかった。

 しかし、今回はどうだっただろう。以前のように優勝を目指して行っていただろうか?

 やはり、1回新人王になってしまっていること、タイトル保持者であることを考え合わせると気持ちに変化が生じた感がある。

 だからといって、本局は一生懸命やらなかったわけではない。

 私は私なりに全力を尽くしたつもりである。

 しかし、何か欠けているものがあったかもしれない。

 私の最後の新人王戦が不完全燃焼のような形で終わってしまうのは残念でならない。

 こうなったら小倉君に頑張ってもらって優勝してもらおう。

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将棋世界同じ号、連載自戦記ページの写真。

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「本当に久し振りの対局。中51日なんてプロになって初めての事」

この対局が5月18日で、直近の対局が3月27日。

羽生善治九段にとっては、ある意味で奇跡的なことだったかもしれない。

* * * * *

「それから4回出場させてもらっているが、あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする」

新鮮な気分が失われるということは、次のステージに進んでいる証拠で、決して悪いことではないと思う。

* * * * *

「しかし、今回はどうだっただろう。以前のように優勝を目指して行っていただろうか?やはり、1回新人王になってしまっていること、タイトル保持者であることを考え合わせると気持ちに変化が生じた感がある。だからといって、本局は一生懸命やらなかったわけではない。私は私なりに全力を尽くしたつもりである。しかし、何か欠けているものがあったかもしれない」

新人王戦が悪いわけではないが、新人王戦という棋戦の特質上、このような気持ちの変化があっても当然だと思う。

新人王戦に対して今まで100層の闘志があったものが99層になったとして、この紙一重の差が結果に大きく影響する場合もある。

* * * * *

現在の新人王戦は、タイトル戦経験者の出場資格はないが、それ以前のタイトル戦経験者を見てみると、

  • 1998年に三浦弘行六段(当時)が棋聖失冠後に新人王戦初優勝
  • 1999年に藤井猛竜王(当時)が3度目の新人王戦優勝
  • 2005年に渡辺明竜王(当時)が新人王戦初優勝

三浦六段と渡辺竜王はそれまで新人王戦で優勝がなかったので、闘志は変わらなかったと思われるが、過去に2度新人王戦で優勝していて竜王1期目の藤井竜王が新人王戦で3度目の優勝を果たしたことは、そのような意味で驚異的なことだと思う。

1999年時点で新人王戦で3回の優勝は、森安秀光九段と森内俊之九段のみ。

トップタイの記録にしたいと闘志が燃え上がったとも考えられる。

羽生善治竜王(当時)「今、将棋界で一番横歩取りを知っているのは誰かと聞かれたら、僕はためらわず『中川大輔』と答えるだろう」

将棋世界1990年7月号、羽生善治竜王(当時)の将棋世界指定局面戦〔対 中川大輔四段〕自戦記「一手の重さ」より。

 今、将棋界で一番横歩取りを知っているのは誰かと聞かれたら、僕はためらわず「中川大輔」と答えるだろう。

 その研究、実戦の豊富さは他の追随を許さない。だから、彼と対局する時は横歩取りを避けるかというと、そんなことはない。なぜなら、せっかくの勉強のチャンスを失ってしまうからだ。そんなわけで、今回の対局は前から楽しみにしていた。

(以下略)

* * * * *

近代将棋1989年11月号より、撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

この時に行われたのは、前号まで「横歩取り専門学校」の講座を連載していた中川大輔四段(当時)との横歩取り指定局面戦。

中盤まで中川四段が優勢だったが、終盤に羽生善治竜王(当時)が逆転して勝っている。

この次の号では、違う局面での横歩取り指定局面戦(森下卓六段-中川大輔四段)が行われ、中川四段が勝っている。

* * * * *

「だから、彼と対局する時は横歩取りを避けるかというと、そんなことはない。なぜなら、せっかくの勉強のチャンスを失ってしまうからだ」

このような姿勢の積み重ねが羽生九段を作り上げてきたのだと思う。

目先の勝負にこだわらず、もっともっと大きなものを見据えている。

難しいことだけれども、少しでも見習いたいものだ。

 

羽生善治五段(当時)「遂にここまで来た。棋王戦、棋聖戦では準決勝で負けて悔しい思いをしたので、そんな感じだ。僕にとっては初めての挑戦者決定戦」

将棋世界1989年11月号、羽生善治五段(当時)と森下卓五段(当時)の第2期竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局ダブル自戦記「竜王への道」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。挑戦者決定三番勝負第1局終局後の羽生善治五段(当時)。撮影は中野英伴さん。

 

(羽生五段)

 遂にここまで来た。

 棋王戦、棋聖戦では準決勝で負けて悔しい思いをしたので、そんな感じだ。

 僕にとっては初めての挑戦者決定戦。

 対する森下五段は…………もう他の雑誌や将棋世界によく書いてあることなので、ここではあえて何も書きません。

 ただ、森下五段とは研究会や何やらで会うことが多く、こういう勝負となるとちょっと味の悪い思いもすることがあります。

 ちなみに、この対局の前々日にも研究会で会い、竜王戦の話題も山ほど?出ました。

 盤を離れた森下五段は非常に快活で、僕が言うのも変ですが、”好青年”という言葉が本当にぴったりです。

 けれども、勝負となれば話は別。

 棋士同士のつきあいはどうしてもある一定の線を引かなければならない様です。

(森下五段)

将棋の先生というと、だいたい楽観派強気の方が多いですが、私は逆に弱気の代表派。

 勝とう、という気合いや勢いよりも、負けるのではないか、負けたらどうしよう、というほうから先に考えてしまいます。

 我ながら情けないのですが、性格だから仕方がありません。

 全く、強気の方が羨ましい限りです。その弱気のせいか、事前に自戦記を頼まれた対局は、勝ったためしがありません。

 本局も然り……。

 羽生五段との過去の対戦成績は、私の2勝4敗。弱気の私としては、また負けるのではないかと考えてしまうところ。

 負けると、また負けるのではないか考えてしまい、勝てば勝ったで、今度は負けるのではないかと悩む。

 全く弱気というものは、つくづく損な性格だと思います。

(羽生五段)

 1図の局面は最近流行の形で、相矢倉になればこの局面になると思いました。このあたりからが作戦の岐路で、色々考えられて対局者は楽しい所ですが、見ている方はつまらない所です。

 相矢倉は本当に一部のマニアしか解らない世界なのかもしれません。

 まあ、これから宮崎勤と結びつけることもできますが、まあ、やめておきましょう。

 矢倉が出来ないと居飛車党はつとまらず、居飛車党が多いプロ将棋界は矢倉が多くなるのが当然というわけです。

 しかし、いつの時代にも流行の逆を行こうとする人達はいるもので、こういう人達を個性派というのでしょう。

 森下五段はその逆で典型的な流行派ですが、普通の流行派と違ってデータだけを頼っている感じがしないのです。

 その辺が強さの秘密なのでしょう。

 将棋界では珍しい攻守にバランスのとれたタイプです。

(森下五段)

 そうこう言っている間にも局面は進んで行きます。

 戦型は矢倉戦。

 矢倉の将棋は、私の対局では一番の比重を持っていますが、全く難しいものです。

 何回やってもわからない。同じような感じなのですが、ホンの少しの違いが、全く別の将棋を生み出します。

 本局の対戦相手の羽生五段とも、矢倉の将棋を一番多く指します。

 1図。とりあえず▲8八玉と囲いに入城して、すぐに詰まされる心配はなくなりました。

 よく私の棋風は受けだと言われますが、私はとくに受けを意識しているわけではありません。

 負けるのではないかという心配が、負ける要素を少なくしようという発想となり、結果として受けの手が多いということでしょう。

 苦労性なんでしょうか?

(中略)

 数年前に飛先不突き矢倉が登場して、先手がいいように勝ち星を稼いだ時がありました。

飛先不突き矢倉は、まさに革命的な戦法で、抜群の勝率を誇っていましたが、後手の対応もだんだんと進歩してきて、最近はほぼ五分五分になったようです。

 また飛先不突き矢倉と並んで、▲4六銀~▲3七桂型戦法が、一時圧倒的な猛威をふるっていました。

 ▲4六銀~▲3七桂型から、▲3五歩とポンと突き捨て、▲2五桂と勢い良く跳ねて攻めていけば、相手は壊滅としたものでしたが、これも対策が進歩してきて最近は容易に潰れなくなりました。

 この近代矢倉の最先端をいく、飛先不突きと▲4六銀~▲3七桂型が以前のようにうまくいかなくなったので、最近は意外にも、昔のレトロ矢倉が人気を盛り返しているようです。

 私の選んだ戦法も、最先端の飛先不突きから、結局レトロな昔の矢倉でした。

(羽生五段)

 わりあいにじっくりとした将棋になりました。

 僕の方としては先攻しにくい展開になりましたが、後手番なので仕方がないのでしょう。

 順序は逆になりますが、対局当日の朝、連盟の玄関の所に行くと、テレビカメラが来ているので、ビックリ。

 どうやら今度、衛星放送で囲碁、将棋のニュース番組をやるので、その取材の様です。

 また、今回竜王戦七番勝負の第1局は公開対局になるので、将棋界にも明るい兆しが……と思うのですが、これはちょっと楽観的すぎるでしょうか。

 さて局面の方ですが、先手は▲3八飛~▲4五歩をねらっています。

 △1三銀型なので、中央で戦いになれば、先手有利となります。

 そこで、△3三桂と跳ねることになるのですが、それだと囲いがかなり薄くなります。

2図以下の指し手
△1二香▲9六歩△9四歩▲3八飛△1一玉▲4五歩△同歩▲同桂△4四銀▲4六銀△4五銀▲同銀△4四歩(3図)

(羽生五段)

 △3三桂は定跡と知っていたけれども嘘だと思った。

 そこで穴熊にしていれば仕掛けにくいだろうと思ったので△1二香。

 ▲9八香△1一玉▲9九玉△6二飛▲8八銀△6四歩の相穴熊の展開を予想していた。

(森下五段)

 手順や水面下の駆け引きは全く違いますが、組み上がった2図だけを見れば20年前の将棋とも言えそうです。

 その局面に、いきなり波紋を投げかけたのが△1二香でした。

 これには驚きました。

 こちらが攻める態勢が完了しているのに、穴熊に組もうという、なんと大胆不敵な指し方かと思いました。

 私にはとても真似できません。

 対して私は、▲3八飛から▲4五歩と単純というか、バカ正直というか、真正面から攻めかかりました。

 他にも様々な駆け引きのある指し方がありそうですが、正直な私としては、正直な指し方をした、と言えるでしょう。

 後手は▲4五歩に単に△2二銀もあり、また▲4五同桂に△4二銀と引く変化も有力ですが、本譜は△4五銀と桂を取って△4四歩で銀を殺す最強の受け。

 如何にも羽生さんらしい受けで、私もこうなると思いました。

(羽生五段)

 本譜▲4五歩に△同歩がまずく、△2二銀と辛抱すべきだった。

 半人前の穴熊なのに対等に戦おうとした考えが悪かったのだ。

3図以下の指し手
▲4四同銀△同金▲4八飛△3三銀▲4六角△5五歩▲同歩△9五歩▲同歩△2二銀左(4図)

(羽生五段)

 森下五段の快調な指し手が続きます。▲4八飛に対する受けが難しいのが誤算でした。普通は△4五桂ですが、▲4六銀、▲4六角のどちらでも自信がないし、△4五銀も▲5三銀△3七角成▲4四銀成△4八馬▲4五成銀△5八馬▲4六角で悪い。

 本譜△9五歩~△2二銀左は夕食休憩中に考えた勝負手で、残っていた借金をようやく返済できた感じです。

(森下五段)

 ▲4四同銀から▲4八飛は予定。

 こう指すところだと思いました。

 対する△3三銀も予定通り。

 問題はここからです。先手の桂損ですが、後手も歩切れが痛い。

 どちらが良いのか悪いのか、ここでは全くわかりませんでした。

 ▲4六角のぶつけでは、他にもいろいろな指し方があり、どれが最善かは全くわかりませんでした。

 ▲4六角とぶつけた時の気持ちは、わからないから、後手の返事を聞いてみよう、と思っていました。

 △5五歩と最初の返事は予想していましたが、▲同歩のあとがまたわからず。

 このあたりは、手探りで指していました。▲5五同歩で夕休。どう指してくるのか非常に興味がありました。

 再開後の一手は、△9五歩の突き捨てから△2二銀左。なるほど、うまい呼吸だなと思いました。

4図以下の指し手
▲5四歩△同金▲7三角成△同桂▲4三銀△4七歩▲3二銀成△4八歩成▲4三角△3二飛▲同角成(5図)

(羽生五段)

 借金を返済したと言ってもこの忙しい局面で後手を引いているのですから良い理屈はなく、依然として苦戦が続きます。▲5四歩が厳しい一手で困りました。

 以下、△7三同桂までは一本道ですが、次の▲4三銀を僕は軽視していました。

 ▲4一飛成ならば△4二飛とぶつける手がいつでもあるので、戦えると思っていたのですが、甘かった。

 △4七歩はこの一手ですが、▲3二銀成が厳しい追撃。

 とりあえず△同飛と取りそうなものですが、▲5八飛でジリ貧になりそうなので、△4八歩成と勝負に出たのですがこれもまずかった。

 そう指すと5図までは一本道ですが、後手敗勢です。

 △9五香が予定だったのですが、▲9一飛△3一銀打▲5四馬で全然駄目。

 この終盤での誤算は致命的で、このまま押し切られると思いました。

 ところが、ここからドラマが始まる。

(森下五段)

 △9五歩と一本突き捨て、△2二銀左と穴熊を固めた指し方は、実にうまいタイミングというか、勝負の呼吸だなと感心しました。

 しかし、感心ばかりしているわけにはいきません。

 後手のうまい勝負呼吸に対し、こちらはあくまで単純、正直に▲5四歩。

 自信はハッキリ言って全くなく、なるようになれと思っていました。

 対して△5四同金はやや意外。△5五桂と厳しく指されるのが嫌でした。

 しかし△5四同金も、ロープの反動を利用する羽生流の感じです。

 ▲4三銀の打ち込みでは、▲4一飛成も有力でした。

 ▲3二銀成と金をとった局面で、羽生さんが考えているので、私なら取って考えるが、取る前に考えるものなのか、などと考えていたら、△4八歩成と飛車を取ってきました。

 エーッと驚きました。

5図以下の指し手
△8六桂▲同歩△同歩▲同銀△5九飛▲7九桂△3一銀打▲4三金△3二銀▲同金△4三角▲4一銀△5八と▲3三金△同銀▲3二銀打△6八金(投了図)
まで、96手で羽生五段の勝ち。

(羽生五段)

 △8六桂は非常手段で、普通に指していては追いつけないと思っていました。

 ▲7九桂が少し手堅すぎた様で、△3一銀打で難しくなった様です。

 そして、▲4一銀が敗着。

 ▲3三金△同銀▲2四歩ならば勝負はどう転んだか解らないでしょう。

 本譜は何とか寄せ切ることができました。

 この将棋は森下五段にしてみれば将棋に勝って勝負に負けたという感じで、納得がいかなかったと思います。

 僕の方も勝ったとは言え、内容は悪く、反省の多い一局だった。

 第2局はもう少し自分に納得の行く様な将棋を指したいと思っている。

 月日が流れるのは早いもので、今年の12月でプロになってからちょうど4年になる。

 チャイルドブランドでいられるのももうそう長くはないので?このチャンスを逃さないで頑張るつもりです。

(森下五段)

 当然△3二同飛と成銀を取られて、それで難しいと思っていたのに、△4八歩成だったので、驚くと同時に、勝ちになったのではないかと思いました。

 それにしても△4八歩成とは大胆な一手で、よく決断できるものです。

 私ならば、詰みまで読み切らないと、とても指せそうにありません。

 前譜▲4三角で勝ちを意識しましたが、すると急に残り時間が気になりました。

 それまでは一心に盤上のことを考えていましたが、勝ちを意識してから、少ない残り時間でちゃんと勝ち切れるかと、時間のほうに気が回ってしまいました。

 余計なことを考えると駄目ですね。

 以下の指し手は全く腰が入っていません。特に▲7九桂はなんたる中途半端な一手。あきれ返るばかりです。

 かくして第1戦目は惨敗。修行不足もいいところです。もっともっと勉強をしなければと、痛感しました。

将棋世界同じ号のグラビアより。挑戦者決定三番勝負第1局終局後。撮影は中野英伴さん。

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ダブル自戦記は、それぞれの自戦記を別々に読むのも面白いが、手間はかかるものの、時系列の順番に双方を同時に読むという方法もあり、こちらも面白い。

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「このあたりからが作戦の岐路で、色々考えられて対局者は楽しい所ですが、見ている方はつまらない所です」

羽生善治五段(当時)のこの率直さが嬉しい。

「相矢倉は本当に一部のマニアしか解らない世界なのかもしれません。まあ、これから宮崎勤と結びつけることもできますが、まあ、やめておきましょう」

凶悪殺人犯とどのように結びつくのか、これは想像がつかない。

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「棋士同士のつきあいはどうしてもある一定の線を引かなければならない様です」

棋士同士のつきあい、友情について、先崎学九段が後年、非常に本質的なことを書いている。

先崎学八段(当時)「すべてはふたりが変えたのだ。あの時から将棋界は変わっていったのだった」

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「△3三桂は定跡と知っていたけれども嘘だと思った」

このような考え方が将棋を発展させてきた。

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「それまでは一心に盤上のことを考えていましたが、勝ちを意識してから、少ない残り時間でちゃんと勝ち切れるかと、時間のほうに気が回ってしまいました。余計なことを考えると駄目ですね」

大優勢の将棋を落としてしまった森下卓五段(当時)。

「負けると、また負けるのではないか考えてしまい、勝てば勝ったで、今度は負けるのではないかと悩む」と冒頭に書かれているが、このような負け方をした直後なので、なおのことそのような思いが増幅したのかもしれない。

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羽生マジック的な手は出ていないが、相手を間違えさせるパワーも、広義の羽生マジックと言えるだろう。