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大山康晴十五世名人「困った相手が出てきたもんだ」

将棋世界1971年1月号、大山康晴名人の十段戦〔中原誠八段-大山康晴十段〕第3局自戦記「三転、四転、トン死負け」より。

 2連敗した。しかも、錯覚したり、攻めの常識を見損じるやらで、さんざんのていたらくである。振り飛車を指しながら、二番も続けて100手以内で負けたことは、経験がない。

 気持ちを引き締めて盤に向かってはいるのだが、中原さんの顔を見ると、なぜか闘志の火が燃えさからなくなってしまう。

 困った相手がでてきたもんだ、と思っている。しかし、3連敗しては、タイトル保持も難しくなる。3戦目は、土壇場に立つ思いで、立ち向かうことにした。

 ところが、なんとも指し手がギコチなく、勝ちが見えながら、キメることができず、もたつきを繰り返しているうちに、トン死負け、というはずかしい結果になってしまった。

 3連敗しては、もう後がない。徳俵の一角に、剣ガ峰ででこらえる自分の姿を客観的にながめるほどの余裕を持って、4戦目を戦う覚悟でいる。

(中略)

 大事な一番なので、振り飛車の中でもっとも好きな四間飛車を指す気になった。これも一つのとらわれといえるものだが、人情でしかたがない。また負けても納得のいくことなのでもある。

 先に7二銀としたのは、中原さんは位で押し込んでくるのが得意なので、玉頭に金銀を盛り上げる作戦に備える意味であった。

 この用心深さが長続きすればいいのだが、このごろは、肝心なところで、その気持を忘れ気味になる。

 ”年かな”とも思う。

(以下略)

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大山康晴十五世名人47歳、中原誠十六世名人22歳の時のこと。

たしかに、25歳の年齢差は親子でも不思議がないわけで、闘志がなかなか湧かないのも無理はない。

更には、相手に闘志を燃やさせない中原十六世名人のキャラクター的な要素も追い打ちをかけている。

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現代に当てはめてみると、羽生善治三冠は今年の9月に47歳になるが、その頃に22歳なのは阿部光瑠六段、青嶋未来五段、佐々木大地四段、梶浦宏孝四段。

ただし、羽生三冠は闘志をエネルギーにするタイプではないので、大山十五世名人ほど年齢差による心理的な影響は無いものと思われる。

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大山十五世名人が「”年かな”とも思う」と書いているが、これは、棋士全員に油断をさせようという、自戦記を通した盤外戦術である可能性が高い。

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藤井聡太四段はあと9日で15歳となる。

といっても、まだ15歳。

藤井聡太四段も相手に闘志を燃やさせないタイプ。

本当に凄い棋士が現れたものだと、あらためて強く感じる。

 

 

佐藤康光二冠(当時)「中村選手と似てるんですよ、私が」

将棋世界2003年2月号、佐藤康光棋聖・王将の自戦記「堅さが生きる」より。

 11月に対局が少なかったということもあるのだが、トルコとイタリアに行ってきました。

 トルコには現地に駐在している同級生が居り、いる内に一度、ということで今回実現した。

 ヨーロッパとアジアのかけ橋と言われる本国、顔を見ているとやっぱりアジア、という感じがするのだが、大多数のトルコ人はヨーロッパ人と思っているという。何となく突っ張った感じで面白い。

 イスタンブールはさすがに歴史を感じさせる街で素晴らしい。

 またカッパドキアの有名な奇岩。一体どうすればこういう形になるのか。自然の風化によるものだそうだが不思議だ。そういうもの程美しいはずなので、我々の目の方がおかしいのかもしれない。

(中略)

 イタリアへは観光もあったのだが主な目的はW杯以降興味をもったサッカー観戦。どれにするか行く前に迷ったが中村俊輔選手を見に、南部のレッジョ・ディ・カラブリアへ。海もきれいで過ごしやすい街かと思っていたのだが最近火山が噴火したり、結構大変そうだ。

 アタランタとの一戦だったがさすがにサポーターの熱気がすごい。活気があっていい空気を吸うことができた。ブーイングもすごいが隣の人に仲間と分かると抱きつかれ参った。結構怖い人が多いから気を付けて、と言われたのだが全然。親切な人ばかりであった(笑)。運がいいのか、はたまたナカムゥラー(こちら的に表現)の影響か。これは分からない。

 しかし最近になって何でこれが見たかったのか理由が分かった。

 中村選手と似てるんですよ、私が(顔じゃないですよ)。置かれている立場、環境、プレースタイル、とかね(どこが?と言われそう)。僕の方が年長だからいい手本にならないとね!(張り合ってどうする!)

 ともあれ楽しい旅であった。

 しかし10回も飛行機に乗ったのはやや度が過ぎた。あまり値段が変わらなかったのでついつい。さすがに疲れる。皆さんも気を付けましょう(誰もいないよ!)。

 今月は南九段との朝日オープンの一戦を振り返ってみたい。

(以下略)

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あの佐藤康光九段が書いたとはすぐには信じられないような、はじけ飛んだ文章。

読んでいて嬉しくなってしまう。

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カッパドキアと聞いてとても懐かしい感じがした。きっと高校時代の世界史の授業で習って以来、何十年ぶりかに目にする地名なのだと思う。

世界史の授業で頭に残った言葉といえば、「アウストラロピテクス」「テニスコートの誓い」「カノッサの屈辱」「ヌルハチ」ぐらいという情けない状況。

「カッパドキア」は、その次にランクされる言葉になるので、頭には残っていなかったけれども聞けば思い出す、という位置付けだ。

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中村俊輔選手の2002年の頃について、Wikipediaには次のように書かれている。

2002年5月、2002 FIFAワールドカップ日本代表への招集が有力視されていたが、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことや、当時の日本代表監督であったトルシエの選考基準に合致しなかったことなどで落選した。ケガが癒えた直後の同年7月、イタリアのセリエAのレッジーナに移籍、レギュラーを確保しプレイスキックを任され、7得点をあげてセリエA残留に貢献した。

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私はサッカーについてあまり詳しくないので、佐藤康光二冠(当時)と中村俊輔選手の置かれていた立場、環境、プレースタイル面での共通点は説明ができない。

きっと奥深いものがあると思うのだが。

 

 

木村一基七段(当時)の究極の玉捌き

将棋世界2002年12月号、木村一基六段(当時)の第33回新人王戦決勝三番勝負第3局自戦記「嬉しい初優勝」より。

 かなり満足できる成績だった前期に比べ、今期は散々である。その中で、この新人王戦だけ、唯一決勝に残ることができた。

 ベスト8の顔ぶれを見ると、一番新人は奨励会の佐藤和俊君で、後は中堅ばかり。

 この棋戦、去年は松尾歩五段に2連敗してしまった。松尾君にはその後王位リーグでも負け、5月から始めた研究会でもほとんど勝てない。どうやら彼は私のことをカモと思っているようである。

 そんなこともあって今期は1回は勝ちたかった。相手は鈴木大介七段。ひとつ年下ながら、いつも私の前を歩んでいる。奨励会員の後輩を、いつも食事に誘っている。人望が厚く、明るく楽しいいイイ男だ。

 さて第1局、後手番ながら急戦で行ったのだがこれが全く上手くいかなかった。鈴木七段も間違えて勝負形にはなったのだが、その流れをつかむことができなかった。

(中略)

 第2局、意地でも急戦で行く予定だったが気分が変わって穴熊にした。作戦勝ちとは思ったが具体的に仕掛ける順が分からず、かなり苦心した。

 B図、ここから▲4五桂とタダの所に跳ねたのが好判断で、以下攻めがつながった。上手く指せた一局だったように思う。

 やっと1勝することができた、とりあえず良かった。そう思いながら帰ったのを覚えている。

(中略)

 さて第3局。1局勝てたから満足です、とはならない。当然次も勝ちたい。

 このシリーズ、1局はゴキゲン中飛車になるだろう、と思った。鈴木七段がこれで高勝率をあげているからである。だから対戦が決まった時から、ゴキゲン対策も考えていた。

1図以下の指し手
△6二玉▲6八玉△5四飛▲3六歩△5六歩▲6六歩△5五角(2図)

 ゴキゲン中飛車は途中必ず△3五歩と突き、△5四飛から△2四飛と強く戦うのが特徴である。▲2六飛(1図)はその牽制で、△3五歩に▲3六歩△同歩▲同飛△5四飛▲3七桂(変化1図)となれば後手の金銀が動きづらく先手よし、が狙いだった。数年前の藤井-鈴木大の竜王戦で確か似た局面があったと思う。

 ところが△5四飛~△5六歩。これは▲6六歩で、以下△5七歩成には▲同銀。先手良し。以下木村圧勝。

 そう思っていたら△5五角。むむむ。

2図以下の指し手
▲3七桂△5七歩成▲同金△5六歩▲6七金△3三桂▲2九飛△3五歩▲同歩△4四角▲5八玉△3五角(3図)

 △5五角なんて、こんな縁台将棋のような手はあるまい、と思っていたが、考えているうちに酷くなっていることに気付いた。途中△5六歩を利かされるのを(▲同金は△3七角成~△5六飛)うっかりしていた。

 とんでもないことをした…▲2九飛は△4五桂の防ぎ。

 一方、△3五歩~△4四角と鈴木七段の指し手は冴える。

 自分の軽率さに対する後悔ばかり。次に△3五角から中央を突破されては終わりなので、先に▲5八玉とかわしておく。

3図以下の指し手
▲3六歩△2四角▲6五歩△1四歩▲6八銀△7二玉▲6四歩△同歩▲5五歩△4四飛▲5六金△3五歩▲同歩△3六歩▲2五桂△1五角▲1六歩△4八角成▲同玉△3七銀▲5七玉△3八銀不成(4図)

 このシリーズが始まるに当たって、私は2つのことに注意しようと思った。

  1. 鈴木七段の指し手につられないように、慎重に指す。
  2. 序盤で悪くならないようにする。

 慎重に指すには指したが、慎重すぎで持ち時間に2時間も差がついてしまった。序盤の形勢については策士策に溺れる、でご覧の通り。この形勢では最善手を指しても必敗なのがつらい。

 △2四角は好手。▲2五歩と打ちたいがそれは△5七歩成。▲同銀は△1五角。桂取りを何で受けても△3七角成~△4五桂でつぶれる。▲同金は△同角成~△5六歩でやはりつぶれてしまう。

 普通に指していては勝ち目がないので、▲6五歩から▲6四歩と捨てて相手玉を気持ち悪くしておく。

 鈴木七段は終局後、途中の△6四同歩を「△同飛だった」と何度も悔やんだ。ところが本当に悪かったのは△4八角成で、ここは△3七角成とすべきだった。

 以下▲同銀△同歩成▲4六歩△4七銀▲6七玉△5六銀成▲同玉△6五金▲6七玉△4六飛(変化2図)のほうが良かった、というのが感想戦での結論である。

 4図、ぴったりの手があった。

4図以下の指し手
▲6七玉△2五桂▲5四歩△4七飛成▲5七金△3七竜▲5九飛△5六歩▲同玉△6五桂▲6七金△4七銀不成▲6六玉△4六竜▲7五玉(5図)

 飛車が逃げると△4七飛成▲6六玉△2五桂で次に△7四桂が厳しい。

 ▲6七玉が好手。これで難しくなったと思った。

 △2九銀成で銀損になるが、それは▲3三桂成△同金▲5四歩で勝負。次の△5三歩成が敵玉に響く。

 鈴木七段が考え出した。時々「そうだったか」と呟く。

 長考した後、△2五桂。飛車が取れないようではおかしい。続く△5六歩も単に△6五桂▲5三歩成△5七桂成▲同銀△4七銀成と絡まれた方が嫌だった。

 ▲6六玉となっては切れ模様になってしまった。完全に逆転。ここから勝ちを意識した。

5図以下の指し手
△4八銀不成▲5六飛△同竜▲同金△5七桂成▲5三歩成△5六成桂▲4五角△8二玉▲5六角△4六飛▲6七角△7四歩▲6四玉△4七飛成▲5八金△4六竜▲4五飛△3七銀不成▲4七歩△4五竜▲同角△7二銀(6図)

 こちらの玉は裸のまま酔っ払ったように中段をさまよっている。とても不安である。

 苦しくなった鈴木七段は飛車を交換して△5七桂成。清算すると△6五飛と打たれていけないのでじっと▲5三歩成とした。途中▲6四玉も怖い手だが、後手の陣形の低さ、それから5三との存在が大きく、大丈夫である。以下▲4五飛、▲4七歩と丁寧に受ける。

 優勢になった局面でまず決めることは、勝った時のコメントとか賞金の使い道とかではなく、受け切って勝つか、競り合って勝つか、方針をはっきりさせることである。

 受け切る、と方針をはっきりさせたら、徹底して受ける。これが曖昧だと、いつの間にか受け損ねて逆転されやすい。

6図以下の指し手
▲6五桂△9二玉▲6三と△同銀▲同角成△6二歩▲7二飛△同金▲同馬△6三飛▲同馬△同歩▲同玉△8二飛▲7三金△同桂▲同桂成△8一金▲5五角(投了図)  
 まで、113手で木村の勝ち

 ▲6五桂~▲6三ととなってようやく後手玉も危なくなってきた。▲6三同玉も危険なようだが一番わかりやすい。

 20時30分、鈴木七段が投了。投了図、後手玉は詰めろ。受けはあるが、先手玉は捕まらない。

 新人王。誰しもが違和感を抱きそうな称号。私も全くピンとこないが、やはり嬉しい。

 内容は良くなかったけれど、これをいいきっかけに、また精進していきたいと思う。

 

 先日、弟分である飯島栄治君(仮名)と会った。

「先生(彼はそう呼ぶ)、おめでとうございます」

「ありがと」

「第3局の日、僕は外出していて、夜に見に行くつもりだったんです」

「ほう」

「行く途中に後輩の奨励会員に電話で形勢を聞いたんです、そうしたら何て言ったと思います?」

「わかんないなあ」

「ふけたほう、ですって、イヒヒ」

「……」

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鈴木大介六段(当時)がこの対局の2年前に将棋世界の連載「鈴木大介の振り飛車日記」で次のように書いている。

不思議なことに奨励会の頃から木村五段の玉は堅ければ堅いほど寄せやすく、逆に薄ければ薄いほど寄せづらい玉で、特に玉を裸にしてしまったら目が爛々と輝くのだから玉を堅める党の僕には理解出来ない所があった。

木村一基五段(当時)「世界一投げっぷりが悪く、相手は誰だろうと盤上では信用しない」

この、木村一基六段(当時)の会心の一局は、まさにそのような展開だ。

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私には4図は振り飛車側必勝の局面に見えてしまうのだが、それを受け切って優勢にしてしまうのだから、「千駄ヶ谷の受け師」の面目躍如である。

木村六段の玉捌きが非常に印象的だ。

玉が動いた手だけを抽出すると、▲6八玉▲5八玉▲4八同玉▲5七玉▲6七玉▲5六同玉▲6六玉▲7五玉▲6四玉▲6三同玉。

同じ場所には一度として戻っていない。常に新しい場所を動き続けている。

絶妙を飛び越えて、究極という形容詞を使いたくなるほどの玉の動きだ。

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最後の奨励会員の「ふけたほう」。

これは飯島栄治四段(当時)が電話で「どっちが優勢?」という聞き方をしたのだと思われる。

 

 

豊川孝弘五段(当時)「子供の頃から憧れていた森雞二九段」

将棋世界2002年1月号、豊川孝弘五段(当時)の第43期王位戦予選〔対 森雞二九段〕自戦記「魔術師のひねり飛車と戦う」より。

 僕が将棋にはまって、夢中になりだしたのが中学2年生。その時初めて買った将棋の実戦集が「森雞二の中飛車好局集」。1局1局を「うぁーっ、すげえ」と感動しながら並べたことを、今でもはっきりと覚えている。

 森九段の将棋と言えば「終盤の魔術師」「イナズマ流」「一閃」等々、強烈な感じでかっこいいものが多い。実際、森九段の将棋からは、そういった匂いがプンプンしてくる。

 森九段と対戦するのは。本局で2局目。1局目の対戦、まずは頭に焼きついている図をご覧あれ。

 図で魔術師の指し手は、△3五歩。シブイ。1三馬の働きを消しにかかった受け感覚の一着。ただこの手は僕も読み筋で、狙いの一手を放った。▲8三歩。対してノータイムで△同銀。この手で僕はしびれてしまった。以下▲6三歩成と、と金を作って好調にみえるが△2九と▲3一飛△5一桂と進んでみると僕の敗勢。以下80数手将棋は続くが惨敗。持ち時間が3時間の将棋だったが、森九段の指し手はほとんどがノータイム、”力”と”センス””格”の違いを頭に刻まれた一局だった。そんなこともあり、実は8年半ぶりの対戦なのだが、心して本局に挑んだ。

(中略)

 四段になってから10年が過ぎた。盤上での活躍は『記憶』になし。これからの活躍も……。悲しくなってきたので、やめにしておこう。

 ただ今期順位戦は、今のところ結構たのしみがある。このまま茶飲み友達のI藤能さんとともに、上がったりなどしたら、「冴えない中堅の逆襲」と活字に書かれたりして、なんてことを考えたりしている(ウソ)。

(中略)

 森九段といえば、盤の脇に日本一高い山のミネラルウォーターがいっぱい、というイメージが僕の頭の中にはあったのだが、本局、森九段の脇には緑茶のペットボトル?今でこそ大勢の棋士が、ミネラルウォーターなどを脇に戦っているが、僕が奨励会に入ったばかりの昭和57年当時は、ほとんどの棋士が、野田さん(当時連盟4、5階の主と言われた伝説のおばちゃん)か塾生の入れたほうじ茶を飲む人が大半だった。

(中略)

 将棋指しの手は華奢な感じで、子供の頃から将棋の指し過ぎが原因で、人差し指が駒をつまみやすいように、中指側に反っている人が大勢。

 そんな中で森九段の手は、ごつく感じる。「ブシッ」。ふつう駒音は「ビシッ」と表現されることが多いが、森九段の力強い独特の駒運びからは「ブシッ」という感じで、僕の耳には響いてくる。好きな手つきの一つだ。

(中略)

図以下の指し手
▲6五歩△同歩▲同桂△6四角▲8八角△3三桂▲2七銀△7四歩▲同歩△7五歩▲7三歩成△同桂▲6六飛△6五桂▲同飛△8六歩▲同歩△8二飛▲7七角△7六歩▲5九角△7七歩成▲同角△7二飛▲7八歩△7六飛▲5九金(図)

 ▲6五歩が機敏な一手。4図の△9二飛では△8二飛が堅実で正解だった。以下▲2七銀ならば、そこで△9二飛~△7二飛と千日手含みで頑張る。ともかくそうやるべきだった。

(中略)

 ▲8八角。うまい手だった。全然気付かなかった。続く▲2七銀もいい手だ。完璧に”森ワールド”にはまってしまった。△7四歩の18分間は、手を読んでいたというよりは、唖然としている時間だった。▲7三歩成を利かしてから▲6六飛も冷静。▲7三同桂成ならば△7六歩でまだまだと思っていた。

 5図の▲5九金は、善悪を超越した森流の指し手だ。

5図以下の指し手
△7四金▲6六飛△7五飛▲8七桂△6五飛▲同飛△同金▲7一飛△6六歩▲7四飛成△5三桂▲6六角△8九飛▲7五角(6図)

 △6五飛とぶつけて、僕の残りは30分。森九段は依然ビシビシのノータイム指しで、1時間しか使ってくれていない。

 ▲8七桂は何だかよく分からない手なのだが、そうこられると思った。

 少し持ち直したか、そう思って△8九飛と打ちおろしたのだが、▲7五角が凄い手。8七の桂馬がジワリと効いてきた。

  

6図以下の指し手
△同角▲同桂△9三角▲7一角△7五角▲6九歩△9九飛成▲5三角成△同角▲6五竜△6四香▲7四竜△6九香成▲4九金△6八成香

(中略)

 5分で指された▲7一角が、森九段らしからぬ落手。▲6九歩と受けられていたら依然僕の苦戦だった。

 △7五角の1分は希望の光が、見えてきた時間だった。

(中略)

 投了図からは▲5七玉の一手に△4七飛以下簡単な即詰み。子供の頃から憧れていた森九段にやっと勝つことが出来た。嬉しい!やった!!

 たまに、アマチュアの人から「どうやったら強くなれるんですか?」と聞かれることがある。だいたいの場合僕の答えは決まっていて「自分より強い人とやる、負けて強くなるんです」そしてチョット間をおき「たまに自分よりも弱い人とやる、これも大切です」(オーッ偉そう)。これは目先の、実戦を主体としたものだが…。結局、強くなるか、ならないか、それを決めるのは、好きか、嫌いか、楽しいか、楽しくないか、そんなことだと思う。要は自分に合ったレベルの楽しいやり方であれば、程度の差はあれ、絶対に棋力は伸びるはずだ(余程変な勉強の仕方か、プロを目指すんでなければ)。

 プロとかアマとか、そういったものは関係なく『強くなりたい』『強くなる』こういった気持ちが、将棋が強くなるためには、一番大切な事だと思う。一番単純にして難しい”志”。夢中で将棋に打ち込めるよう、また頑張ってみよう。毎度の事だけど…。

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駄ジャレは現れてこないが、豊川孝弘七段らしさが溢れ出る自戦記。

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冒頭の、頭に焼きついている図からの△3五歩▲8三歩△同銀が凄い。

野蛮という表現も違うし、野性的という表現も違う。やはり森雞二九段には「魔術師」が一番ピッタリくる。

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5図の▲5九金のところでは▲3八金と落ち着くのが自然だが、豊川孝弘五段(当時)が「善悪を超越した森流の指し手だ」と書いている通り、▲5九金はいかにも森雞二九段らしい主張の入った一手。

6図の▲7五角も華麗で豪快な捌き。

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先崎学九段も、子供の頃は 森雞二九段の将棋に心酔し、何度も何度も棋譜を並べている。

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今日からの名人戦第4局の立会人が森雞二九段。

先週、現役最後の対局があった森雞二九段だが、どのような面白い話をしてくれるのか、目を離すことはできない。

 

 

大山康晴十五世名人の石田流崩し対抗策

将棋世界1982年5月号、中原誠名人の第31期王将戦〔大山康晴王将-中原誠名人〕第5局自戦記「石田崩しがウラ目」より。

 例によって、居飛車対振飛車の対抗形。

 四間飛車は当然予想された戦法。

 振飛車には左美濃というのが、最近の私の傾向だ。こんどの王将戦も第3局を除いてすべて左美濃で戦った。去年の王位戦あたりから多用しているが、戦法の優秀性を認めているからにほかならない。

 だが本局は、序盤にやや趣向をこらした。変化を求めたといってもいい。▲7八銀がそれだ。第1局でも▲6八銀という手を考えたが、そのときは考えただけにとどまった。▲7八銀は玉の囲いをあとまわしにし、左翼の盛り上がりを意図している。

1図以下の指し手
△3五歩▲6八玉△3二飛▲7七玉△7二銀▲8七玉△6二玉▲2五歩△3四飛▲4六歩△7一玉▲4七銀△1四歩(2図)

 ▲8六歩と突いた時点では次に▲8七銀から▲7五歩のような手をねらっていたが、△3五歩をみて気が変わった。△6二玉なら▲8七銀と上がったろう。△3五歩は、▲8七銀なら、場合によっては「△6二玉を見合わせる」という大山王将の感想があった。

 私は▲6八玉から▲7七玉と上がった。△4五歩なら▲8七玉と寄ってなんでもない。本譜の進行は▲8六歩の一手にムダがなく、むしろ得した感さえある。

 後手が△6二玉と移動してはじめて▲2五歩と突いた。石田流がもしいやなら、△3五歩と突かれたところで、▲2五歩を決めればいい。それはそれで別の将棋だ。

 石田崩しにはある程度自信を持っていたので、私はむしろ歓迎している。

 結果的には左美濃になった。

2図以下の指し手
▲5八金右△3三桂▲1六歩△8二玉▲3八飛(途中1図)

 図から4手進んだところで昼食休憩。

 ▲3八飛がねらいの一手。

途中1図以下の指し手
△1三角▲1五歩△同歩▲3六歩(途中2図)

 <▲4七銀-▲3八飛>+<△3四飛-△3三桂>の形だけいえば、48年の王座戦、対大野九段戦や、今期王将リーグ、対森安八段戦で経験がある。密かにねらっていた順だ。

 大山王将は△1三角とのぞいた。△2五桂なら▲4五歩といくつもりだったが、これも難しい変化になる。

 私は▲1五歩と突き捨て、▲3六歩と突き出した。対大野戦はこの形で後手が居玉だったから大成功をおさめたが、そんなことを思い出し、内心シメタ、うまくいくんじゃないか、などと思ったりもした。

途中2図以下の指し手
△1四飛▲3五歩△3二金(3図)

 大長考の末、△1四飛。局後、大山王将は「ここが一番つらかった」と語った。

 この手で△3六同歩なら▲1五香と走り、△1四歩に▲3五歩△同飛▲3六銀と出、△6五飛▲1四香(A図)で先手十分。

 A図以下△2二角と引けば、▲1一香成△同角▲6六香がある。

 また△1四飛で△2五桂なら▲3五歩△同角(△同飛は▲同飛△同角▲3三飛の角銀両取りで先手勝勢)▲3六飛(B図)と浮き、次に▲4五歩と▲2六歩をみて、先手十分指せるというヨミ。

 △1四飛はありがたいとは思ったが、指されてみると実にいい辛抱であった。

 ▲3五歩に△3二金は当然。

3図以下の指し手
▲3四歩△同銀▲4四角△4五歩▲3五歩△3七歩▲同飛△4六歩▲同銀△4五銀(4図)

 3図では先手有利である。

 私は長考の末、▲3四歩と突き出した。決めにいった感じだが、これがよくなかった。優勢を意識しすぎたきらいがある。

 別段焦っていたつもりはないのだが、どこかに焦りがあったことも否定できない。大局を見る眼がちょっと曇っていたのも事実だ。

 ここは▲3六銀ぐらいで十分だった。

 それもちらっと考えたが、59分の長考中、読みの大半は▲3四歩と▲4五歩に絞られていた。▲3四歩で▲4五歩は、△同歩▲4四歩のとき、△同銀と取る手があるので驚いた。▲3四歩と突くと△4六歩(C図)と突き返される。

 銀の取り合いは再び△4六歩とたたかれるのでとても指しきれない。藪をつついて蛇を出す感がある。

 △3四同銀に▲4四角で一日目が終了。

 大山王将の封じ手は△4五歩。

 この合わせ歩を少し軽視していた。角成りを受けてくれるものとばかり思っていたのだ。△4三金なら▲7七角、または▲2六角、どちらでも先手が指せる。

 私は再び長考で、▲3五歩と打った。突き捨てたばかりで元の位置に歩を打つのは少し変調だが、ゆっくり指そうという読み筋であった。

 ▲4五同歩とあいさつするのは、△同銀▲3三角成△同金▲同飛成△2二角打▲2三竜△9九角成(D図)とされてつまらない。

 D図で▲1四竜と飛車を取れば、△2二角引がぴったりだ。

 大山王将の△3七歩が好手。続いて△4六歩も気合の充実した一手。▲4六同銀で▲3六銀とかわすのは、△4五銀▲5三角成のとき、△3一角とぶつけられ、▲同馬△同金となるが、先手の得はほとんどないといっていいだろう。

4図以下の指し手
▲3三角成△4六銀▲3二馬△3七銀成▲同桂△3五角▲3六歩△4四角▲5五銀△2六角▲2七金△4四角▲4三歩(5図)

 自信があって角を切ったわけではない。容易じゃないと思いながら、▲3三角成を決断した。が、ここは、いったん▲5五角と引き、△5四歩と突かせてから▲3三角成もあった。微妙なところである。

 △3三同金ならもちろん▲4五銀。後手は△4六銀と取り、勢い▲3二馬△3七銀成▲同桂となった。二枚替えで悪いはずはないのだが、先手有利とも言い難い。△3五角と出られて思わず長考となった。

 1時間あまり考えたところで二日目の昼食休憩となり、再開後も念を入れ、ようよう▲3六歩と打った。このままだと△3九飛と打たれる筋が早い。(△6九飛成▲同銀△7九角成)角のいちを変えたいのだ。

 △2六角なら▲4八金打の読みであった。

 いったん△4四角と引き、▲5五銀と使わせてから△2六角が巧妙。もっとも▲5五銀では▲5五桂もあった。

 次に▲1五香△同飛▲4三馬が一つのねらい筋となる。あるいはこの方がよかったかもしれない。

 ▲4三歩で▲4五桂は、△4九飛とおろされて自信が持てない。ここではつらい局面といえるだろう。

5図以下の指し手
△9五歩▲同歩△9八歩▲同玉△2九飛▲8八玉△2七飛成▲4四銀△同飛▲5五角△4九飛成▲4二歩成△2九竜上(6図)

 大山王将の端攻めが素晴らしい大局観。

 △2九飛なら▲4二歩成△2七飛成▲4四銀△同飛▲4五歩△1四飛▲4三馬で勝負になると思っていた。

 △9五歩がとにかく凄い手だ。まさか手抜きもできない。▲同歩に△9八歩が鋭い。▲同香は△9九銀でしびれる。

 飛打ちを防いで▲7九金なら△2九飛、▲7七銀も同じだ。▲8八桂と穴埋めするよりないが、駒を使ってくれれば銀打ちが悪手にはならない。やはり△2九飛と打って後手がよい。

 で、▲9八同玉。△2九飛に▲8八玉もしかたがない。急いで▲4二歩成は、△9六銀▲7九桂△2七飛成▲8八玉△9七歩と打たれて先手が悪い。桂馬を使わされると楽しみがないのだ。

 封じ手以降、だんだん苦しくなっていたが、△4四同飛の場面が唯一のチャンスだった。▲5五角が敗着に近い。

(以下略)

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ここまで中原誠名人の3勝1敗。

しかし、この七番勝負は大山康晴王将が4勝3敗で防衛を果たしてしまう。

形勢判断のあやまりも敗因の一つ。

3図、いいと思ったものが、思ったほど良くはなかったと中原名人は後に述べている。

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▲4七銀-▲3八飛~▲1五歩~▲3六歩の石田流崩しは、中原名人が1973年の王座戦三番勝負第2局、対 大野源一八段(当時)戦で初めて指した手順。

石田流の悲劇(後編)

この時は石田流側がまだ居玉の段階での急戦ということで、破壊力は抜群だった。

しかし、石田流側がきちんと美濃囲いに入っている時には、同じような話にはならないというのが本局。

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途中2図からの△1四飛が、これぞ大山流という一手。

このような手もあったのか、と感心させられる。

以下▲3五歩△3二金(3図)と進んで、本譜は▲3四歩から先手が変調になったが、中原名人が書いている通り▲3四歩ではなく▲3六銀なら、これはこれで一局だったのだろう。

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しかし、3図から▲3六銀とされて、石田流側は動きづらい辛抱の局面。

大山康晴十六世名人だから指しこなせる展開であり、私のような「忍」とは縁遠い人間にとっては局面を維持できない可能性が高い。

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ここ2~3年は少なくなったが、以前は石田流本組に対して、▲4七銀-▲3八飛~▲1五歩~▲3六歩で攻めてくる方が結構いた。

今度、この順で攻められたら、一度は途中2図のような局面から△1四飛と指してみて、どれほどの苦難が待っているのか試してみたいと思う。