「自戦記」カテゴリーアーカイブ

佐藤康光棋聖(当時)「最近、どうも変だ。調子が良い悪いということではなく、頭大丈夫?という事件が起きたからである」

将棋世界2003年8月号、佐藤康光棋聖(当時)の「自由な指し回しに屈する」より。

 最近、どうも変だ。調子が良い悪いということではなく、頭大丈夫?という事件が起きたからである。

 名人戦第4局。海老名でのイベントに参加する。当日は解説の他に指導対局やサイン会等あったが大盛況であった。

 将棋も千日手指し直しで深夜の決着が確定したにも関わらず、半数以上の方が最後迄残っておられた。熱心なファンの方が多い。会場の都合がどうしてもつかず、途中で打ち切りになってしまったが、来年以降も是非続けていただきたいと思う。もちろん今度は終局迄続くとより良いと思う。

 さて、解説でその千日手の話題になる。一緒にいた鈴木大八段、真田六段らと研究するがその時は後手の妙手順を発見できず、理由は分からずじまい。

 会場で私は「自慢ではないが先手番で序中盤で千日手はしたことがありません(確かどうだと思う)」と言ったのだが口は災いの元ですね。

 その2日後。勝ち抜き戦で杉本六段と対局。先手番で駒がぶつかる前に千日手にしてしまう。構想ミスがありその局面は既に作戦負けと判断したのであるが後日森下八段に打開する手順があったのを教わりボー然。そんなに難しい順ではなかったのだが…。時間を湯水のように使い何を考えていたのだろうか。

 指し直し局。これからいよいよ終盤戦に入ろうかというのがA図。

 ここで私は△6九飛と打つ。これが自然だと思ったのだが局後、杉本六段に指摘される。ここは△8四飛と打つ好手があった。馬が逃げれば△8九飛成と一手で取れてはっきり得。また▲4五銀として▲3五歩を狙っても△4二桂と一回受けてから桂を取って良い。

 飛を敵陣に打ち込むのでなく縦横無尽に使う感覚。この後はうまく指された。

 その8日後。王座戦で渡辺五段と対局。流行の相掛かり棒銀から難解な攻防が続いたがB図の局面は私が良くなっている。

 ここでうまい手があります。先程の事を学んでいれば答は簡単ですね。

 そう、正解は△6七飛。縦横に使う十字飛車の威力。以下▲7八金なら△6六角▲同金△8七飛上成!以下詰み。よって▲7八銀と受けるよりないが△6六角▲同金△同飛成で私が優勢であった。

 しかし何という事か、私の指した手は△4九飛。以下▲7八金△5八と▲9五馬でやや苦しくなった。

 感想戦で指摘され又ボー然。全く学習機能はない様だ。

 対局中、△3九飛との比較はしたのだが何故か全く考えなかった。

 どうも飛を持つと敵陣深くに打つ認識になっている様だ。しかし立て続けとはいけませんね。頭もかなり固くなっているのかもしれない。

 他にも恐らくいろいろな欠点があるのかもしれない。チェスやゴルフの様にトレーナーやティーチングプロがいればもっと客観的に判断できるのだろうか。

 いずれにしても困った問題である。

(以下略)

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飛車は縦の使い方と横の使い方があるので、片方の使い方が盲点になってしまうこともある。

角には縦・横の概念がなく斜めだけなので、飛車に比べれば盲点になるケースは少ないかもしれない。

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「最近、どうも変だ。調子が良い悪いということではなく、頭大丈夫?という事件が起きたからである」

佐藤康光九段ならではの味のある表現。

羽生善治竜王、森内俊之九段、郷田真隆九段は使わないけれども、先崎学九段、藤井猛九段、木村一基九段、行方尚史八段、山崎隆之八段なら好んで使いそうな表現だ。

 

自戦記「”姥捨て山”にはまだ行きたくない」

将棋マガジン1985年12月号、関根紀代子女流三段(当時)の第8期女流王将戦A級リーグ〔対 山田久美女流初段〕自戦記「”姥捨て山”にはまだ行きたくない」より。

 山田さんと私は、今まで5局闘って1勝4敗と無残な星です。

 年齢の差は、山田さんが私の約三分の一ぐらいですが、同じ群馬県出身のせいか、とても可愛く思っています。

 山田さんはたしか18歳。私にも16歳になる女の子がいますが、山田さんと二つしか違わないせいか、対局している時でも母性本能を発揮して、どうにもしまらなくなったり、又その逆に闘志が湧きすぎて気持ちがスリップ状態になってしまい悩んでいました。

 そんな或る日、その事を知人に話してみたところ、いとも簡明に「関根さんもその人と同じ年になったつもりで、可愛い声を出せば同等に闘えるわよ」と、教えてくれました。

 今回、早速実行に移そうと決意して、この対局に臨みました。

 対局10分前”番茶も出花”18歳になったつもりで、心浮き浮き「お早ようございます」

 盤の前に座っていた彼女、私のあまりに可愛いい?声に、けげんそうな顔つきで、しばし注目。

 しかし、すぐに盤に向かい、精神統一に心掛けているようでした。

 対局が始まり間もなく手洗いに立った私、何気なく鏡をのぞいた途端四六のガマよろしく、タラリタラリ、シワ32、ああ無情、しばらくは茫然自失の態、気を取り直して対局室に戻り(おばんです、とはいわない?)将棋に熱中した次第です。

(以下略)

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とても面白い自戦記。

事前の周到な対策と準備の効果があったのか、この一局は関根紀代子女流三段(当時)が勝っている。

* * * * *

関根紀代子女流三段(当時)はこの時まだ44歳。

自戦記のタイトルにわざわざ”姥捨て山”という言葉が使われているのは、この2年前に姥捨て山が物語の主軸となっている映画『楢山節考』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞し、当時は姥捨て山がかなり一般的な用語となっていたためと考えられる。

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四六のガマとは、前足が4本指、後足が6本指のニホンヒキガエル(ガマ)のことで、ガマの油売りがこの口上を使っていた。

シワ32は、4×8=32の地口。

栗よりうまい十三里(九里四里うまい十三里、9+4=13)と同系列。

豊川孝弘七段の、「味良し道夫」「間に合わじ仁茂」「角筋を社団法人」「この手は渋い、渋谷の将棋指し」なども地口の王道だ。

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「関根さんもその人と同じ年になったつもりで、可愛い声を出せば同等に闘えるわよ」

このような発想をできる人が指南書的な本を書けば、かなり売れるのではないだろうか。

 

羽生善治三段(当時)の初自戦記

将棋マガジン1985年10月号、「奨励会対局拝見」より羽生善治三段(当時)の自戦記「目標に向かって」より。

 この奨励会の日まで僕は4連勝中だった。まだまだ先は長いがこれを生かして昇りたいと思う。

 さて、この日の1局目の相手は中田功三段です。

 中田三段にはこの前の講習会で負かされたのでぜひとも借りを返したいと思い対局に挑みました。

昭和60年7月24日
▲三段 羽生善治
△三段 中田功

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5八金右△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5六歩△8二玉▲9六歩△9四歩▲3六歩△7二銀▲6八銀△3三角▲2五歩△5二金左▲5七銀左△4三銀▲6八金上△5四歩▲4六歩△6四歩▲4五歩△7四歩▲2四歩△同歩▲3五歩△同歩▲4四歩△3四銀▲4三歩成△8八角成▲同玉△4三金(1図)

序盤の重要性

 僕が奨励会に入会して変わった事は序盤の重要性を知ったことだった。(その割にはうまくいかないが)

 アマ時代は適当にやっていても作戦負けにはならなかったが、奨励会に入会するとちょっと変な手を指すと作戦負けになってしまう。特に矢倉や香落には色々な常識があることを知った。

 局面は研究通りに進んでいったのでよしよしと思っていたが△4三金で手が止まってしまった。

 △4三金には▲4四歩があるので良いと思っていたが△3三角と打たれるのに気がついた。仕方なく▲6六歩としたがこれでは作戦失敗だと思った。

 これから研究する時にはもっと突っ込んでしなければならないと思った。

1図以下の指し手
▲6六歩△2五歩▲3一角△6二飛▲4四歩△3三金▲3七桂△6五歩▲5三角成△2二飛▲5四馬(2図)

盛り返す

△2五歩は手を与えるため損だと思います。ここは△3三角と打って歩得を生かした展開にすれば良かったと思います。

 2図では盛り返したと思いました。

2図以下の指し手
△2六歩▲4五桂△同銀▲同馬△8四桂▲6七金右△4九角▲4三歩成△6六歩▲同銀△2七歩成▲2九飛△7六桂▲同金△同角成▲5五馬△7三桂▲3三と△5四歩▲2二と△5五歩▲6七歩△3八と▲7九飛△8五馬▲5七銀上△5六歩▲同銀(3図)

同期の影響

 僕は自分でも信じられないぐらいのスピードでここまで昇ってくることができました。

 その原因の一つに同期の影響があると思います。

 追い抜こう、追い抜かれまいという熾烈な争いがあるからです。

 2図から△2六歩は悪手で△5三歩と打てばまだまだ難しい戦いが続いたと思います。

 △5三歩以下▲同馬△3六歩▲3五歩△4七歩…といった進行が予想されます。

 3図では完全に逆転したと思いました。

3図以下の指し手
△7六金▲7七銀打△6六金▲同銀△7六銀▲7七歩△6五歩▲5五銀左△5四歩▲6四銀△3七角▲7三銀成△同角成▲7六歩△8四馬引▲7五歩△同馬▲同飛△同歩▲6五銀△8五銀▲7四歩△5五馬▲6六銀△1九馬▲5五歩△7一香▲6四角(最終図)  
 まで、107手にて羽生の勝ち

辛勝

 この将棋、序盤の仕掛けで失敗して苦しくなりましたが、1図でじっと▲6六歩と辛抱できたのが良かったと思います。

 結果的には大差になりましたが、2図で△5三歩と指されていたら、きっと負かされたと思います。

今後の課題

この対局に勝って5連勝になりましたが次の対局の中田宏樹三段に持将棋指し直しの後に負かされてしまいました。

 最近、将棋の内容があまり良くありません。序盤で簡単に作戦負けをしたり、必勝の将棋を落としたりします。今後の課題は将棋の内容を良くしていくことです。

 具体的に言うと、序盤で作戦負けをしない、終盤で震えない、時間の使い方をうまくするです。

 そのためには努力していくしかないと思います。

 

〔師匠の二上達也九段から一言〕

 彼の場合、まだ歳も若いですし、ここまで順調に進んできたといえます。将来性としても、いずれはタイトルを争えるような棋士になるのではないかとみているんですがね。まだ、将棋だけを夢中でやっていていいと思います。しかし、これから進学とか世の中のわずらわしいことがでてくると思うのです。そのときに彼がどう対処していくかが問題でしょう。そのようなことも含めてスランプに陥ったとき、本人がどう考えるか。いつまでも調子のよさが続くわけはないですから、その辺りが師匠として心配なだけで、技術的なことに関してはまったく心配していません。

 進学については、長い人生を考えると高校くらいは行っておいていいんじゃないかと思います。私としては世の中の人と広く交流するという気持ちは持っていてほしいですね。いわゆる将棋バカにはなってもらいたくありません。(談)

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羽生善治竜王にとっての初自戦記。

羽生善治三段、14歳。

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中田功七段も、この頃はまだ三間飛車一筋ではなかったようだ。

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桂を使わない対四間飛車▲4五歩早仕掛け。

やってこられたら嫌だ。

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「この前の講習会で負かされたのでぜひとも借りを返したいと思い…」

ぜひとも借りを返したい、羽生善治三段が言うと恐ろしさが10万倍に感じられる。

あまりにも恐ろしい。

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「僕は自分でも信じられないぐらいのスピードでここまで昇ってくることができました。その原因の一つに同期の影響があると思います。追い抜こう、追い抜かれまいという熾烈な争いがあるからです」

まさに羽生世代の切磋琢磨。

奨励会同期・同年代では佐藤康光初段(15歳)、森内俊之初段(14歳)、郷田真隆初段(14歳)、同年代では先崎学初段(15歳)。

奨励会入会同期では古作登三段(22歳)、豊川孝弘二段(18歳)、小倉久史1級(17歳)、飯塚祐紀3級(16歳)などもいる。

奨励会時代から始まっている羽生世代の切磋琢磨。この流れが将棋界の時代を大きく変えることになる。

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師匠の二上達也九段のコメントも非常に素晴らしい。

 

 

「私がこんないい手指したのに、ずるい。私がお客さん楽しませたのに、賞金もっていっちゃってずるい」

素晴らしい自戦記。

将棋世界1985年1月号、小野修一五段の第15期新人王戦第2局〔対中村修六段〕自戦記「返してもらった70万円」より。

<何を思ったか>

 将棋観などというと口はばったいけれどもそれは自分自身の人生観であり、百人の棋士がいれば百の将棋観があると思うのだ。今回は自分の将棋観と中村君の将棋の質というものを中心に、新人王戦第2局を通して勝負というものの本質を考えていきたい。

(中略)

 今年度の新人王戦決勝三番勝負は、第13期と第14期の優勝者で争われ、結果は大方の予想を裏切り私の2連勝で幕を閉じた。ただ今期に関しては中村君をいままで苦手にしていたにかかわらず(1勝4敗)、負けると思っていなかった。

 これは強がりではない。正直そう思っていたのである。

 これからその理由をのべる。

<かっこうの良さ>

 将棋というのはいろいろな指し方がある。覚えたばかりの人は自由奔放だが、強くなるにつれ定跡を覚えそれに拘束されるようになる。勝ち方もだんだんかっこういい手、かっこうのいい勝ち方を覚えるとそれに味を占め陶酔してしまう。だれしもそういう時期はあるだろう。事実奨励会時代から四段になって数年間というのは将棋とはそうやって決めるものだという意識が私にもあった。

 参考1図を見ていただきたい。

これは昭和56年の十段戦4回戦、相手も中村君、ここで私は天来の妙手▲3五銀を放って、以下△同銀▲5三角成△6一玉▲3五馬△同飛▲2四飛△3一角▲3二銀。いかにもほれぼれする手順で今の私からとても考えられない。こういう勝ち方の好きな鈴木(輝)六段なら負けても本望であろう。

<意志が手を呼ぶ>

「意志が手を呼ぶ」以前金子九段がこのようなことを書かれていた。前の図面なんか本当にそうだ。好手を指してかっこう良く勝ちたいという気持ちがこの局面を作り上げ、作ったような好手を指し優勢になった。ところが勝ったのはだれか。中村君なのだ、私がこんないい手指したのに、ずるい。私がお客さん楽しませたのに、賞金もっていっちゃってずるいよう。この一件以来私は、妙手を必要とする序盤の組み立てはしなくなった。

<中村将棋>

 中村君の序盤はうまくない。というより、受け身に回るのが好きなのである。というより型通りの攻め合いの将棋が苦手なのだ。さらに言えば、そういう気持ちにならないのだろう。「ここよこせ」「ハイ」「ここもよこせ」「ハイ」。そういうことを繰り返しながらそれほどは取られていない。そのうち持ち時間と中終盤の足腰の強さを利用して逆転させる。本譜の4図においては後手の作戦勝ちであるが、残り時間において△2時間対▲3時間。千日手を避けるのは本来は先手の責任なのに、持ち時間の使い方で責任を相手に押し付けてしまった。本当に勝負に辛いのはいつもながら感心する。

4図以下の指し手
△8六歩▲同銀△8五銀▲7五銀△同角▲同歩△7六銀打▲5八銀△6七銀不成▲同銀△7六金▲同銀△同銀▲5八角(5図)

<70万円>

 ここでざっと本譜の進行を追ってみよう。本局は中村君のひねり飛車を予想した。最近は矢倉で上位棋士に勝っているのであるいは矢倉かと思ったが、飛先不突矢倉は意外であった。

 先手の雀刺し模様からの▲4六歩、これが問題の一手でここは▲3七銀から▲2六銀~3七桂が飛先不突矢倉らしい攻撃態勢。ただこの将棋に関しては、どうこられても作戦負けしない、つまり一局の将棋だが、そうする自信はあった。おそらく▲4六歩と突いた中村君、ことこの将棋に関してはそこまで洞察して序盤の組み立てはしていない。つまりこの形においては序盤の質量は、私の方が勝っていたから▲4六歩と指したと思う。それをとらえて7筋から一歩交換して後手番としては十分な作戦勝ち。

 ただ4図からの△8六歩は少し無理だが、時間切迫のおり千日手にはしづらい。そこでまた70万円の勉強のつもりで攻める側のもつ勢いに期待した。ただ▲5八角と打たれた5図では自信がなかった。

5図以下の指し手
△7七歩▲同桂△8七銀成▲同金△8六歩▲8三歩△同飛▲8五歩△8七歩成▲同玉△8六歩▲同玉△7八金▲5七角△5五歩(6図)

<勝負>

 私は割りと、勝負に関する本を読んだり考えたりするのが好きで、江崎誠致さんの「盤側の風雪」碁の勝負をあつかった本だけれども、これなど何度読み返したかわからない。その中に「勝負を決する一瞬」という言葉が出てくる。

 碁の橋本宇太郎九段といえば昭和の名棋士だが、その人が大盤解説のときしゃべった「勝負とは一瞬のうちに決まる」という言葉を土台に大山名人の将棋にふれ「一局の将棋には何度かのチャンスが訪れるもので、自分は初めのチャンスは見送って次のチャンスを待つことが多い。それを受けといえばいえるが、ただ受けるだけではない」といった大山名人を、引き絞った弓をもう一つ引き絞って矢を放つ姿といっている。勝負の決する一瞬を人目にも鮮やかにとらえるか、忍の中でとらえるか。それはそれぞれの棋士の才能の質によって異なるにちがいない。

 林海峰は誰の目にも触れない深い世界でその作業をあやつっているのではないか、いささか神秘的な考察にすぎるきらいはあるかもしれないが、そうした不思議な才能が林海峰にはあるように思えてならない、といっている。

6図以下の指し手
▲同歩△7七金▲7四銀△6七銀▲同角△同金▲8三銀成△4七角▲1四歩△同歩▲1二歩△同香▲1三歩△同香▲2五桂△2九角成▲8一飛△3一桂(7図)

<人柄>

 本譜にもどろう。二枚角を自陣に並べたあたりでは先手の方が良さそうに見えるが実際はいい勝負なのだろう。局後問題になった▲8三歩も難しい所で、▲8五歩と打っても△8七歩成▲同玉△5五歩でそれなりに手が続く。△7八金▲5七角に△5五歩が好手だった。これは本譜の進行を見てもらうとわかるように、▲8三銀成に対し(角を取らずに)△4七角と打つ読みである。

 このあたり私は勝ちを読み切ったけれども、記者室の検討は最後は正義(中村君)が勝つということだったらしい。なるほど人柄が良いとは素晴らしいことだ。

7図以下の指し手
▲1三桂成△同桂▲1四香△2四銀▲1三香成△同銀▲2五桂△8三馬▲1三桂成△同玉▲1四歩△2四玉▲3五銀△3三玉▲2二銀△同玉 (投了図) 
 まで、118手で小野の勝ち

<終わりに>

 中村君とは6年前、私が四段、彼が初段の時から研究会で指している。私が大幅に負け越している。率にすると私の2勝8敗ぐらいだろうか、この対戦成績、むろん中村君は時間の使い方もうまく勝負に辛いからこうなったのだが、その中でも私自身が中村君の強さを正直に見つめられない。これがまずかった。勝っている方が弱い、むろん微妙な相性もあるが、そんなことは勝負の世界では考えられない。

 つまり私は自分に都合の悪いことには目をつぶってしまったのだ。女性が常に自分を美人と見ようとする心理と同じである。それがお互い公式戦で争うようになり、王位リーグ入り、十段戦4回戦、全日プロベスト8入り。この大切な勝負をことごとく失うはめになる。

 ただこの新人王戦に限り中村君は好調ではなかった。参考2図を見てもらいたい。

 ここは酷評された局面で、▲1五桂△2二玉▲2四歩と打てば簡単な寄せだった。むろん弱いから読めない問題意識をスリ変える気はないけれど、相手を信用して、もっと細かい受けの手順を用意しているととらえ、▲1五桂を突っ込んで読まなかったのも事実である。局面を見ていながら局面を読んでいないのである。私も威張れたものではないが、今期中村君が好成績をあげているけれど、不調とみるのはこの手順に対する受けが用意されていないのだ。そんな雑な将棋ではなかったはずである。

 本譜は△4七角に受ける手はなくなっているので端攻めの勝負で、流石に一番いやなことをやってくる。△3一桂の受けでは△2四銀▲4一銀△2五銀▲同歩△4二金引でも残っていた。こちらは▲3二銀成△同金▲3三銀以下詰まされると思っていたけれど一枚足りない。こちらの手順がスッキリしていたが、△3一桂も勝ちを読み切って打った手であり、勝負とは勝つか負けるかなので、正しい勝ち方という考え方はあまり好まない。

 坂田栄男の天下が続くと見られた囲碁界で、それを負かした林海峰は、粘りの碁とか言われて評価が低かった。それを正しく評価したのが現在の覇者、趙治勲である。その評価は他人の見えないところを見ているという感じが強かったが、この誰の目にも触れない深い世界をあやつっていたのが、一時代前の将棋界では大山名人であり、周囲がどうやっても勝てなかったのは、大山名人の芸の高さもさることながら、負けた理由がわからないということにその根本原因があったのではないか。中村君の強さが計りづらいのはそれと同じ側面をもっているからではないだろうか。

 本局私の2連勝はそれなりに世間に強いインパクトを与えたかもしれないが、私自身は自分の強い部分も弱い部分もよく理解しているので、たまたまいい巡り合わせが来たと思っている。それと今回の私の勝因は、中村将棋の強い部分というものを、外見にとらわれないでよく考えたこと、これに尽きる。

 これで今まで取られっぱなしだった賞金額が約70万円、今回も同額ぐらいの差額がありやっと取り返した。対戦成績も互角に近くなってうれしい。中村君の強さは十分に理解したので中村君もこれからは相手を甘く見ず、なおかつお手柔らかにお願いしたい。

 それと今回は三番勝負自体に両対局者外の周囲の思惑が入り過ぎたようで、図々しい私が勝ってしまったが、本当はもっと静かな気持ちで将棋を大切に指したかった。勝負以外には人柄のいい中村先生には、また研究会で教えていただきたいと思っている。

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非常に面白い自戦記。

故・小野修一八段の自戦記で最も有名なのは「もぐらだって空を飛びたい!」(「将棋自戦記コレクション (ちくま文庫)」に収録)だが、この「返してもらった70万円」はその2年前の自戦記。

「もぐらだって空を飛びたい!」に勝るとも劣らない自戦記だと思う。

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参考1図からの▲3五銀は、滅多に見ることのできない、まさに内藤國雄九段の「妙手探し」に出てくるような華麗な一手。

このような手が指せれば、私などは一生の思い出のうちの一つに入ってしまうだろう。

しかし、プロの場合は事情が異なるということになる。

 

 

羽生善治四段(当時)の驚異の金銀損の攻め

将棋世界1986年5月号、羽生善治四段(当時)の第8回若駒戦決勝〔対 神崎健二二段〕自戦記「ラッキーな優勝!」より。

○最後の出場○

 若駒戦の出場は2回目、前回は1回戦負けだったので今度こそがんばりたいと思った。1回戦から苦戦の連続ながら決勝まで勝ち残ることが出来た。関東の代表として恥ずかしくない将棋を指したいと思い、大阪に向かった。

(中略)

○早くも作戦負け?○

 関西の代表は神崎二段、前々回の優勝者である。もちろん今回が初顔合わせ、棋風も全く解らない。

 ▲7八金の所、▲6八玉から▲7八玉と一手得する作戦で来ると思っていた。それならば矢倉中飛車か急戦矢倉にするつもりだった。▲3五歩と突かれて、普通▲2六歩の形が▲2七歩になっているので少しおかしいことに気がついた。しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ。

1図以下の指し手
△同歩▲同角△4五歩▲6八角△5三銀▲4六歩△4四銀右▲4八飛△3四銀▲3五歩△同銀右▲4五歩(2図)

○飛先不突き矢倉の優秀性○

 ▲6八角の所で▲2六角と反対の方に引かれるほうがいやだった。こういうことができるのも飛先不突き矢倉の優秀な所だと思う。

 と言っても▲6八角は悪い手ではない。△3四銀まではよくある形と思ったが飛先不突きの利点で▲3五歩と打たれることに気がついた。

 ▲2六歩の形ならば△同銀右▲4五歩△3六歩▲4六銀△2六銀でこちらが良い。2図は手の広い局面なので長考に入った。

2図以下の指し手
△3六歩▲4六銀△6四角▲3五銀△3七歩成▲4九飛△4七歩▲6五歩△7三角▲4四歩△4八歩成▲4三歩成△同銀▲4四歩△5二銀(3図)

○金銀損○

2図で考えた変化は3通り。1つめの変化は△3六歩▲4六銀△5三角、2つめの変化は△6四角▲3六歩△同銀、3つめが本譜の手順。

 1つめは押さえ込んでいきたい将棋なので本筋だとは思うが、じっと▲7九玉(変化2図)と寄られて▲5五歩や▲3五銀△同銀▲4四銀など、玉型が良くなれば思い切った攻めが出来るのでとても受け切る自信がなかった。

 2つめの手順は▲同銀△1九角成▲4六角△同馬▲同飛(変化3図)で次に▲4四歩△4二金引に▲6一角が厳しい。なお▲4六角のところ▲4四歩△4二金引の交換を入れると、△4五歩▲4八飛△1四角でこちらが面白い。

 本譜の手順も銀損になるので自信がなかったが、この順が一番逆転の可能性があると思った。▲4四歩に手を抜いたのは勢いで、△3三金寄では負かされそうな予感がした。2度目の▲4四歩は小さなミスで、ここは▲6四歩△同角▲4四歩△5二銀▲6五銀△4九と▲6四銀△同歩▲7九玉△5九と▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化4図)ではっきりしていた。角をにげずに▲3七桂がいい手で角をにげると2段目から飛車を打たれて歩切れのために困ってしまう。

 3図で昼食休憩。

3図以下の指し手
▲3四銀△4九と▲7九玉△5九と▲4三金△4二歩▲3二金△同玉▲8八玉△6九と▲5七角△4七と▲6六角△3八飛(4図)

○望外の好転○

 昼食休憩中にはひどい将棋になってしまったと思っていたが先手の玉型が悪いので、苦しいながらも大変だった。

 △5九とは自慢の一手で、放っておくと△6九と▲同玉△3九飛で一枚使わなければならない。次の▲4三金が敗着になった。ここは▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化5図)で桂馬を取れば▲3三歩△同桂▲4三金で攻めが続く。

 本譜の手順は先手の角が6六の好位置に行ったのだが、△3八飛と打たれると銀が渡せないので攻め方に困る。

4図以下の指し手
▲2二銀△同玉▲4三歩成△5五歩▲3三金△同桂▲同と△3一玉▲6八桂△4四銀▲7五歩△5七と(5図)

○勝利を確信○

 ▲2二銀には△3四飛成でも勝ちだが、△同玉のほうが勝ちが早いと思い選んだ。△4四銀と要のと金を取りに行って、どうやら勝負あった感じ。

 しかし▲7五歩といやな所を突いてくる。ここで△3三銀ならば▲同銀成△同飛成▲7四歩でうるさい。次の△5七との意味は、▲同金ならば△6八と▲同銀△7六桂で寄り筋。▲同角ならば△3三銀▲同銀△同飛成▲7四歩で、角をにげた時に▲5五角を消しているのである。

 どうやらゴールが見えてきた。しかしどんなに良い将棋でも油断すると危ないので慎重に指した。

5図以下の指し手
▲2三銀成△3三銀▲同成銀△同飛成▲5七金△3八竜▲6七金寄△5八銀▲3三歩△6七銀成▲2三銀△7八成銀▲同玉△6八と▲同銀△7九金▲6七玉△7六金▲同玉△8五金▲6七玉△7六金打▲5七玉△6六金▲4六玉△2四角(投了図)
まで、106手にて羽生の勝ち。

○若駒戦のこと○

 若駒戦は奨励会の有段者が参加できる唯一の棋戦です。対局の少ない奨励会員にはとても励みになるので、これからも続けてほしいと思います。僕も初段の時に初めて若駒戦の対局通知をもらった時には、嬉しくて対局の日が待ち遠しかったことを覚えています。

 この将棋を振り返ってみますと、序盤に▲3五歩と仕掛けられて早くも苦しくしてしまいました。しかし中盤で金銀損しても、玉型の悪さをついて2枚のと金で飛車を取りに行ったのが結果的には良かったようでした。神崎二段としては角を6八に置いたまま、それを取らせて攻めれば良かったと思います。ただ神崎二段は角を取らせるのを考えていなかったそうで、その点ではとてもツイていたと思います。

 そして4図になっては完全に逆転しました。5図以下は割合にうまく寄せ切ることができました。しかし内容としてはイマイチという気がしました。もっともっと勉強して良い将棋を指したいと思います。

 この後表彰式で優勝カップをもらいましたが、それをもって帰って来るのが意外と大変で、何となく優勝したんだなあという気持ちになりました。

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2図から3図に至るまでの金銀損の攻め。

中盤に入ったばかりの局面での、驚くほどの踏み込みの良さと勇猛果敢さ。

たしかに金銀損ではあるが、と金が2枚できているので金銀と金2枚の交換と見ることもできる。なおかつ先手の飛車を殺せるわけで、非常に説得力のある指し方だ。

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「しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ」

と羽生善治四段(当時)が書いているように、この頃の羽生四段は、序盤は荒削りだったものの、豪腕の中終盤力で勝利を重ねていた。

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この羽生四段の自戦記は、将棋世界での初めての自戦記で、15歳の時に書かれたもの。

月並みな言葉ではあるが、15歳の文章とは思えないほどしっかりとしている。

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下の写真は、この対局が行われた頃の羽生四段。中学3年生。

貴公子然とした少年なのに、この対局で現れたような、野蛮と賞賛したくなるような強烈な攻撃を仕掛けてくるわけで、そのギャップがすごい。

この頃の別の棋戦での羽生善治四段(当時)。中学3年生。将棋世界1986年4月号掲載の写真。撮影は中野英伴さん。