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関根茂九段「生まれ変わっても一緒になろう」(関根九段のご令嬢・千恵さんからコメントをいただきました)

関根茂九段が2月22日に87歳で亡くなられたが、このブログの「関根茂九段逝去」の記事に、関根九段の長女の関根千恵さんからコメントをいただいた。

関根茂の長女、千恵です。心暖まる記事の引用をありがとうございます。両親は、父が息を引き取る直前まで本当に仲が良く、生まれ変わっても一緒になろうと、ここ最近では良く来世の結婚の約束をしておりました。いままで、父がお世話になり、本当にありがとうございました。

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関根茂九段と関根紀代子女流六段の来世の結婚の約束。

本当に素敵な、感動的な二人の約束。

故・原田泰夫九段は「将棋の国」という言葉をよく使われていたが、将棋の国へ旅立った関根茂九段にも大きな楽しみが一つ増え、残された方々にも希望が残る展開だと思う。

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関根茂九段の若い頃の写真を探しているうちに、千恵さんと一緒に写っている写真が偶然見つかった。

将棋世界1973年5月号、関根茂八段(当時)がA級にカムバックを決めた時の写真。

東京より千葉に近い葛飾に住まうのは健康によい、そして釣りが唯一の趣味の関根八段。毎日近所の神社に長女千恵ちゃんと連れ立っての散歩が日課という。

が、この写真のキャプション。

柔和で優しい顔の関根茂八段、千恵さんをとても可愛がっていた様子がうかがえる。

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関根千恵さんは、現在、株式会社オーガニックビューティーの代表を務められている。

オーガニックビューティーは、自然化粧品の企画・開発、販売、卸し等を行っている会社。

千恵さんは東京理科大学理学部数学科を卒業後、電機メーカーでSEとして働いていたが、その時期にストレスが原因で肌のトラブルに見舞われ、化粧品で治そうと100種類以上を試してみたものの(千恵さんはもともと化粧品マニアだった)、一向に治らず。

途方に暮れていた時、たまたま手に取ったのが当時はまだマイナーだったオーガニックコスメで、使ってみると、見事に改善したどころか、以前よりも肌の調子が良くなったという。

千恵さんはオーガニックコスメに魅了され、ついにはその化粧品を扱っていた会社に転職をしてしまう。

その後、引き抜きなどもあってオーガニックコスメ数社や他社の社長を経て、2014年から現在の会社を立ち上げている。

オーガニックビューティーのローズドビオ

オーガニック化粧品スペシャリスト 関根千恵(スキンケア大学 )

千恵さんは、販売、薬事業務、インストラクター、マーケティング、企画、広報、マネージメントと、この業界の一通りの仕事を経験している超エキスパートだ。

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ちなみに関根千恵さんが卒業した東京理科大学理学部数学科は、私がいた学科の隣の学科。(私は理学部応用数学科という学科)

昔、何かの本で関根茂九段のお嬢さんが東京理科大に通っていると書いてあったのを読んだ記憶があり、(へー、そうなのか、後輩なんだ)と頭の片隅に残っていたのだが、このような形でブログにコメントをいただいて、私の周辺では嬉しい驚きに包まれている。

 

 

羽生善治五冠(当時)「物が欲しいというより、竜王が欲しいですね」

将棋世界2001年9月号、「第14期竜王戦決勝トーナメント開幕」より、「賞金3,200万円の使い道」の質問の回答を抜粋。

  • 藤井猛竜王 ローンの返済ですかねえ。

  • 谷川浩司九段(1組優勝)う~ん、ちょっと浮かばないですねえ。

  • 中村修八段(1組2位)とりあえずヤマハのグランドピアノを買いたいかな。

  • 羽生善治五冠(1組3位)物が欲しいというより、竜王が欲しいですね。

  • 郷田真隆八段(1組3位)海外のスポーツ観戦(ゴルフやF1など)を満喫したいですね。

  • 井上慶太八段(2組優勝)世界一周旅行にでも行きたいですね。

  • 畠山鎮六段(2組2位)税金で取られてしまうので、期待はしていません。

  • 富岡英作七段(3組優勝)余計なことは考えず、対局に臨みたいと思ってます。

  • 脇謙二八段(3組2位)車を買いかえて、家族で海外へ。

  • 木村一基五段(4組優勝)一人で使い切る。

  • 北島忠雄五段(5組優勝)引退後、家内と世界旅行に行きたいですね。

  • 伊奈祐介四段(6組優勝)高級マンションに住んでみたいですね。

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この期、羽生善治五冠(当時)が挑戦者となり、藤井猛竜王(当時)から竜王位を奪取している。

「物が欲しいというより、竜王が欲しいですね」が猛烈な迫力を持った言葉だ。

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藤井猛竜王と中村修八段と伊奈祐介四段が現実路線、

畠山鎮六段が超現実路線、

谷川浩司九段と富岡英作七段がストイック路線、

郷田真隆八段が独身優雅海外路線、

井上慶太八段、脇謙二八段、北島忠雄五段がファミリー海外路線、

木村一基五段が独身意固地路線。この気合いで木村一基五段は挑戦者決定戦へ進出している。

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3,200万円あったら何をしたいだろう。

3億2千万円あったらとか320万円あったら、と桁が1つ違えば考えやすいが、3,200万円は意外と微妙な金額帯かもしれない。

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竜王戦挑戦者になりながら、その機会を不当に奪われた三浦弘行九段のことを考えてしまう。

名誉回復・他棋戦も含めた三浦九段への補償を一日も早く、三浦九段の納得のいく形で実行してほしいものだ。

 

 

「この間、トイレで○○三段が”たのむ、俺を殺してくれ”って言うんですよ。わかりますか。俺たち、命かけてるんです」

将棋世界2001年9月号、テレビ番組制作ディレクターの岡美穂さんの『「愛」について語りたい』より。

 私は鳩森神社の境内で、震える手を合わせながら祈った。神様、お願いです。午後の将棋も勝たせて……。

 この日は女流アマ名人戦。一手目から私の指は震えていた。かろうじて2勝したあと、昼食休憩で箸を持つ手がまだ震えている。「鉄の神経を持つ女」と呼ばれる私が、すがるような思いでこの神社にやってきたのだ。そのとき、ある映像が脳裏にフラッシュバックしてきた。今から6年前、この場所で私は一人の奨励会員のために祈っていたのだった。

 

 1995年2月、私の人生は一変した。羽生対佐藤の竜王戦を追ったドキュメンタリー番組を偶然見た瞬間から、自分のまわりの風景が将棋一色に染まっていった。通うバーも、読む本も、つきあう人々も。

 ことに奨励会三段リーグの壮絶な戦いは私の心を突き動かした。世の中にこれほどまでに純粋で残酷なときを生きている若者がいるということを、多くの人に伝えたかった。羽生善治が次々とタイトルを取り、脚光を浴びている陰で、黙々と指しつづけている若者たちがいることを知ってほしかった。「昼の光に、夜の暗闇の深さがわかるものか」という言葉がある。その暗闇で、人知れず美しく輝く男たちを世に知らせたい、その一心でテレビ局に企画を売り込んだ。

 さいわいNHKで放送が決まり、撮影がスタートした。主人公は愛達治三段(現指導棋士四段)。当時30歳の愛さんは年齢制限のため、次の三段リーグで勝ち抜かなければ、プロ棋士になるためにひたすら耐えてきたこれまでの15年が無駄になるという、まさに人生の崖っぷちに立たされていた。私たち取材スタッフは1995年10月から96年3月まで、戦いの最中の貴重な半年間を愛さんとともに過ごさせてもらった。

 取材中には、スタッフが将棋に対して無知だったこともあって、さまざまなところからクレームがついた。将棋会館での初日の取材が終わると、奨励会幹事からは怒鳴られ、『週刊将棋』には「取材に配慮が足りない」と批判され、奨励会員からも抗議を受けた。100人以上の奨励会員の前で「みなさん、本当に申しわけありません。でも、あなた方のひたむきな姿を記録に残すことが、私の使命だと信じています。どうか協力してください」とお詫びをし、懇願したこともある。

 ある三段からはこんなことも言われた。

「この間、トイレで○○三段が”たのむ、俺を殺してくれ”って言うんですよ。わかりますか。俺たち、命かけてるんです。あなた方の取材はこの半年で終わるかもしれないけど、俺たちは人生がかかってんすよ」

 愛さんの自宅に伺ったある日。愛さんはひとりで「人生ゲーム」をしていた。「ひとりじゃ寂しくない?」と訊ねると「相手がいないから」と言うので、撮影を中止してゲームを始めることになった。しなやかで美しい愛さんの指から振り出される賽の目はつねに鋭く、「さすが勝負師」と感心したものだ。当然、愛さんが圧勝した。そして「ゲームならうまくいくんだけどなあ」と独り言のように呟いた。それが人生についてなのか、将棋についてなのかは今もわからない。

 あの半年間、愛さんのために私たちができたことといえば、鳩森神社で祈ることだけだった。何の助けにもならないとわかっていても、私たちはひたすら祈りつづけた。神様、お願いです。どうか愛さんがプロ棋士になれますように……。

 愛さんの夢は結局かなうことなく、奨励会を去ることとなった。テレビの取材など受けるから駄目だったんだと囁かれたりもした。それを知ってか知らずか、最後の日に愛さんはこう言ってくれたのだ。

「今まで応援されることなんかなかったから、みなさんに応援されて本当に嬉しかったっす。みなさんがいてくれて心強かったっす」

 愛さんの優しさが心に沁みた。あの過酷な状況下、撮影を承諾してくれた愛さんに対する感謝の気持ちは今も忘れない。この番組は『次の一手で人生が決まる』というタイトルで、1996年3月に放映された。

 

 午後の対局が始まろうとしていた。私は鳩森神社で平静を取りもどしていた。「大丈夫、命を取られるわけじゃないでしょ」、そう自分に言いきかせた。

 今、私の部屋には「女流アマ名人戦(Bクラス)優勝」と刻まれたトロフィーが燦然と輝いている。そして「これからも将棋、がんばりなさいね」と微笑みかけてくれるのだ。

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岡美穂さんと初めてお会いしたのは(と言っても新宿の酒場「あり」で遭遇したわけであるが)1996年の初夏の頃のことだった。

岡さんは、今の言葉で言えば、女子力が高くかつ男気に溢れた大人の女性、というのが私の印象だ。

その岡さんが、『次の一手で人生が決まる』の撮影でこれほど苦労されたとは、この記事を読んで初めて知った。

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瀬川晶司五段の『泣き虫しょったんの奇跡』のあとがきには、

 最後に、本書の執筆にあたり、取材その他すべての面でいつも僕をサポートしてくれた岡美穂さんと講談社の山岸浩史さん。対局に負けたあと、食事につきあってもらったことも多々ありました。このお二人がいなければ本書の完成はありえなかった。心から感謝しています。本当にありがとうございました。

と書かれている。

岡さんの、『次の一手で人生が決まる』の制作の過程で積み重なった思いが、年齢制限で奨励会を退会してその後プロ編入試験にチャレンジをする瀬川晶司アマ(当時)へのサポートという形として表れたのだと思う。

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岡さんをOさんとして、1998年の近代将棋に記事を書いたことがある。

料亭へ行こう!

この2010年のブログ記事で「店によく来る大物プロ棋士にこの対局の立会人をお願いしてOKをもらうなど」と書いているが、これは「あり」のママが中原誠十六世名人に立会人のお願いをしてOKの返事を得たということ。

「盛り上がりは更に増したのだが、それぞれの人が忙しくなったりして、対局は実現されなかったと思う」と書いているが、これは、直後に林葉直子さんの関連で週刊文春に記事が出たり、私の平穏な私生活に危機が訪れたり、などのことがあったということ。週刊文春とも私とも関係なく、料亭行きが懸かった対局は行われていない。

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岡さんは英国人男性と結婚をして、現在は英国在住。

月に一度、現地の日本人学校で将棋を教えている。

 

 

アサヒスーパードライの広告「キレ味。この一手。第1回 先崎学八段」

将棋世界2000年10月号の、アサヒスーパードライの広告「キレ味。この一手。 第1回 先崎学八段」より。

 修行時代からずっと憧れていたのが森将棋だ。強引なサバキ、綱渡りのような終盤…。森九段の順位戦の棋譜は何度並べたかわからない。その森九段と順位戦B級1組のリーグ終盤で当たった。僕にとってA級に昇格するためには絶対に勝たなければならない大きな一番だった。森九段の作戦は力戦中飛車。定跡形ではなく「力で勝負しよう」と言っている。さすがは憧れの森九段だと思った。僕もその気合いを受けて突っ張ったので大乱戦になった。中盤は森九段の力強い受けにあって僕の攻めが切れ模様になりかけたのだが、▲5三銀(図)の放り込みが会心の一手。このタダ捨てを森九段はうっかりしていた。図から△同金に▲6二角がキレのある攻め筋だ。以下は飛車を取って攻めがつながり、勝つことができた。感想戦で「一発くっちゃったよ」と森九段に言われたときは、無性に嬉しかった。

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観戦記で譜割りをする時に悩むことの一つは、ポイントとなる手が指される直前の状態(次の一手の問題のようなイメージ)を図にするか、その手が指された局面を図にするかという選択。

昨日の三浦弘行八段(当時)は前者、今日の先崎学八段(当時)は後者を選んでいる。

このスーパードライの広告シリーズ全体で見てみると、

  • 第1回 先崎学八段 後者
  • 第2回 田中寅彦九段 後者
  • 第3回 島朗八段 後者
  • 第4回 屋敷伸之八段 前者
  • 第5回 森内俊之八段 前者
  • 第6回 鈴木大介八段 前者
  • 第7回 森下卓八段 前者
  • 第8回 丸山忠久名人 前者
  • 第9回 山崎隆之四段 前者
  • 第10回 行方尚史六段 前者
  • 第11回 三浦弘行八段 前者
  • 第12回 米長邦雄永世棋聖 前者
  • 第13回 中座真五段 前者
  • 第14回 佐藤康光九段 前者
  • 第15回 久保利明七段 前者

と、前者の方が多くなっている。

この局面で複数の候補手があるが、このように考えてキレのある一手を指した、という時には前者になることは間違いないが、手の性質、好みによっても分かれるところなのだろう。

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アサヒスーパードライは1987年2月から販売が開始され、1997年以降、年間シェアがNo.1となっている。

ビール嫌いの私も、スーパードライを初めて飲んだ時は、飲みやすいビールだと驚いたものだ。

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「キレのある一手」と反対の概念は「コクのある一手」ということになるのだろう。

「キレのある一手」がカミソリのように冴えた鋭い手とすると、「コクのある一手」は漢方薬のような一手。

厚みを増す一手、超忙しい局面でじっと端歩を突いておく一手、などであろうか。

 

 

アサヒスーパードライの広告「キレ味。この一手。第11回 三浦弘行八段」

将棋世界2001年8月号の、アサヒスーパードライの広告「キレ味。この一手。 第11回 三浦弘行八段」より。

決断の攻め

 畠山成幸六段と私が優勝を争った第29回新人王戦決勝3番勝負の第1局。

 相矢倉から中盤で角取りに△2四銀と打たれたのが図の局面。

 以下、本譜は

▲1三桂成△同玉▲1四歩△2二玉▲1三銀△3一玉▲2四銀成△同歩▲2五歩と進んだ。

 図で▲6八角と引いているようでは△7六歩と取り込まれて苦しい。ここで角を逃げずに▲1三桂成がキレのある一手だった。対して△同香なら、じっと▲6八角と引いておけば、次に▲2五歩△3三銀▲1四歩の攻めが残る。

 本譜の△1三同玉には、あくまで角を逃げずに▲1四歩~▲1三銀と露骨に打ち込んで攻め続けた。以下△同桂なら▲同歩成△同香▲同香成△同玉▲3三歩で何で取っても▲2五桂がある。結局、角が最後まで3五で頑張ったおかげで、終盤の▲4四角と飛び出す決め手にもつながった。

 私の棋風は「渋い受けの棋風」と言われるのだが、本局は切れ味鋭く攻めを続けることができたと思う。

 

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このアサヒスーパードライの「キレ味。この一手。」は将棋世界だけで展開されたアサヒビールの雑誌広告で、棋士が登場して、自身のキレ味のある一手を紹介していくというもの。

将棋世界2000年10月号から2001年12月号まで出稿されており、

  • 2000年10月号 第1回 先崎学八段
  • 2000年11月号 第2回 田中寅彦九段
  • 2000年12月号 第3回 島朗八段
  • 2001年1月号 第4回 屋敷伸之八段
  • 2001年2月号 第5回 森内俊之八段
  • 2001年3月号 第6回 鈴木大介八段
  • 2001年4月号 第7回 森下卓八段
  • 2001年5月号 第8回 丸山忠久名人
  • 2001年6月号 第9回 山崎隆之四段
  • 2001年7月号 第10回 行方尚史六段
  • 2001年8月号 第11回 三浦弘行八段
  • 2001年9月号 第12回 米長邦雄永世棋聖
  • 2001年10月号 第13回 中座真五段
  • 2001年11月号 第14回 佐藤康光九段
  • 2001年12月号 第15回 久保利明七段

と、この年度のA級在籍棋士や若手注目株棋士が登場している。

羽生善治五冠(当時)は、過去に麒麟「秋味」の広告に出演しているため、このアサヒスーパードライの広告には登場していない。

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図からの▲1三桂成は、よく出てきそうな局面。

なるほど、こう攻めれば良いのかと、頭に入りやすい。

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今日は三浦弘行九段の復帰第2戦、王座戦2次予選、三浦弘行九段-先崎学九段戦が行われる。

勝負は紙一重の差の連続。対羽生善治三冠戦で見事に復活しているように見えるが、4ヵ月以上のブランクはこの紙一重の感覚を鈍らせている可能性もある。

それだけでも、今回の冤罪事件は罪が非常に重いわけであるが、三浦九段にとっては紙一重の感覚を何枚分も取り戻したり検証したりする作業が続く。

早く、三浦九段が勝ちまくる日常が戻ってほしい。