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知られていなかった棋界七不思議のうちの一つ

将棋世界2003年12月号、佐藤康光二冠(当時)の自戦記「独特の感覚に苦しむ」より。

 先月の話の続きになるが棋聖就位式は無事終了。ファンも含め沢山の方に来ていただきました。ありがとうございました。そしてバイオリンは自分が思っていた半分の出来。やはり本番になると指が動かなくなる所が悲しいが次にこういう機会があったら少しでも上手くなっていたい。

 また第11期銀河戦で優勝することができた。実は全棋士参加の棋戦では初めての優勝だった。以前森内九段が数々の優勝がありながらタイトル獲得がなかったのが棋界の七不思議と言われていたが、私はそれとは逆ということで自分自身では少し気になっていたのだが今回の優勝で気分が晴れた。嬉しい優勝であった。

 話は変わってやや旧聞になるが9月上旬に将棋合宿に参加した。泊まりがけで行くのは恐らく棋士になって2回目。7、8年前迄遡る。久しぶりである。

 2泊3日だったが朝は6時半より対局。さすがにこんな早い時間に将棋を指したのは初めてで森下八段の影響か。本当に食事以外は休みもなく飽きもせず、対局後は王位戦第5局の難解な終盤や最新型の研究等夜中の2時頃まで。

 久しぶりに将棋だけのことを考えられた時間であった。考えてみると修行時代の十代から二十代前半迄はこういう生活だった気がするのだがいつしか今になってみるといかに時間を割いていないのかを痛感。少しでも多く時間を増やしたいと思った。また悩めば悩む程課題も増え、考えれば考える程面白い将棋の素晴らしさを再確認させてくれた充実した時間であった。

(以下略)

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「実は全棋士参加の棋戦では初めての優勝だった。以前森内九段が数々の優勝がありながらタイトル獲得がなかったのが棋界の七不思議と言われていたが、私はそれとは逆ということで自分自身では少し気になっていたのだが今回の優勝で気分が晴れた。嬉しい優勝であった」

佐藤康光九段は、1987年に四段になって以来、この文章が書かれた2003年までに、竜王1期、名人2期、王将1期、棋聖2期を獲得している。

一方のトーナメント戦は、若手棋士のみが出場するテレビ東京の早指し新鋭戦 で2回優勝(1990年度、1991年度)をしているが、全棋士参加の棋戦での優勝は2003年の銀河戦が初めてだった。

たしかに、言われてみなければ気がつかない、意外なことだ。

佐藤康光九段は2003年の銀河戦優勝以降は、NHK杯戦で3回、銀河戦で2回、全棋士参加ではないがJT将棋日本シリーズで2回、大和証券杯ネット将棋・最強戦で1回と、それまでの歴史を取り戻すかのようにトーナメント戦で優勝を重ねている。

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森内俊之九段は、1987年に四段になって以来、2003年までに、

  • 全日本プロトーナメント優勝2回
  • NHK杯戦優勝2回
  • 早指し将棋選手権優勝1回

全棋士参加ではないトーナメント戦では

  • JT将棋日本シリーズ優勝1回
  • 新人王戦優勝3回
  • 早指し新鋭戦優勝 2回

でありながら、2002年の名人戦まではタイトル獲得がなかった。

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森内俊之九段のことは明らかに棋界七不思議とされていたが、佐藤康光九段のことは棋界七不思議には数えられていなかった。

もっとも、その時々の棋界七不思議がどのような七つなのか、全てを挙げられる人はいなかったはずなので、佐藤康光九段が全棋士参加トーナメント戦で優勝がなかったことも1995年頃から2002年までの棋界七不思議の一つとしても良いと思う。

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森内九段がタイトルと縁がなかったこと以外で、棋界七不思議とされていたのが、「竜王戦1組優勝者が挑戦者になったケースが一度もない」。

2011年夏までは明らかに棋界七不思議のトップを行くものだったが、これを打ち破ったのが2011年1組優勝の丸山忠久九段が竜王戦挑戦者になったこと。

現在では「竜王戦1組優勝者が挑戦者になることは非常に稀である」ということで棋界七不思議の七番目くらいに位置付けらそうだ。

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現在の棋界七不思議には、佐藤康光九段の対局時の昼食での「冷やし中華に餅追加」が加えられても良いような感じがする。

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昔は、関西若手棋士七不思議というものがあったようだ。

24年前の関西若手棋士の七不思議

 

 

先崎学八段(当時)「飛車を大きく捌くのが好きな棋士が、飛車のある角落ちよりも飛車のない飛車落ちのほうが得意というのは、将棋とは不思議なものである」

将棋世界2003年12月号、先崎学八段(当時)の「駒落ちのはなし」より。

 将棋指しは、駒落ちの上手に関して、おおまかにいえばふたつのタイプにわかれる。

 飛車落ち派と角落ち派である。飛車落ちと角落ちというのは兄弟分であるが、似て非なるもので、上手として指しこなすコツもまるで違う。まあプロであるのだからどちらも指しこなせるのだが、やはり得手不得手、好き好きがわかれるのである。

 飛車落ち派の代表は鈴木大介八段である。「角落ちよりも飛車落ちのほうが上手は勝ちやすい」などとよくいっている。どうも本気のようなので、飛車落ちの上手に相当の自信があるか、角落ちに自信がないかなのだろう。

 藤井猛九段も飛車落ち派である。本人は公言していないが、あきらかにそうだ。またこれは一局も見たことがないのだが、久保利明八段も飛車落ち派であろう。想像で書くが、彼は角落ちの上手は苦手に違いない。なにしろあの捌きの将棋ですからね。

 ベテランの棋士でいえば、鈴木君の師匠の大内延介九段なども飛車落ち派である。これも久保君と同じく豪快な捌きの棋風であるところからだろう。飛車を大きく捌くのが好きな棋士が、飛車のある角落ちよりも飛車のない飛車落ちのほうが得意というのは、将棋とは不思議なものである。

 ここまで棋士の名前を見て、もうお分かりでしょう。そう、飛車落ち派は振り飛車党の棋士に多いのである。たしかに飛車落ちの上手の陣は振り飛車の陣形に似ていなくもない。あるいは居飛車の将棋である角落ちは慣れがないということか。だとすれば、昔、内藤國雄九段が『続・血涙十番勝負』(講談社刊)で山口瞳氏相手に指したように、初手△2二飛!とすればいいと思うのだが。

 一方、角落ち派は大勢いる。これは角落ちのほうがハンデが小さいのだから当たり前である。その他大勢といってもよい。総じてベテラン、故人の棋士に角落ちの名手が多いのは、昔、朝日新聞上で行われたアマプロ熱血の角落ち戦の影響だろう。

 このA級棋士とトップアマ10人が対決する企画は、朝日新聞のいわゆる「名人戦問題」の余韻冷めやらぬ時期だったこともあり、プロ側もプライドをかけた本気の勝負をしたものだった。成績もプロのほうが押していたと思う。特に大山、中原、米長、加藤の四棋士は四強と呼ばれ、圧倒的な成績をほこっていた。同じ朝日の紙上での今のアマプロ戦の現状を見たら天国の大山先生は何というか。なにやらあの世から怒鳴り声が聞こえてきそうなのである。

 はなしを戻すが、角落ちの上手が得意な棋士は、角落ち派というよりは、駒落ちが得意な棋士ということになるのかもしれない。いまの時代でいえば、まずは前回書いた通り羽生である。他には森内俊之君も強い。特に角落ちの上手なんて、あの粘っこい棋風でやられたら下手は嫌になるだろう。同じような意味で中村修八段なども本気を出せば強いだろう。

 逆に苦手の代表は、佐藤康光棋聖と島朗八段。佐藤君の角落ちは、すぐに攻めて切れてしまう。島さんは、本質的に粘りの将棋なので、気合を入れれば実は強いのかもしれないが、そういう場面をまだ見たことがない。森下八段も同じタイプである。

 若手では……といいたいところだが、私は自分より下の世代の駒落ちはほとんど見たことがない。おそらく読者のみなさんもそうであろう。これは不幸なことである。よって、勝手にタイプを決めることにする。なにせ一局も見ないで決めるので、書かれた棋士の人、気を悪くしないでくれよ。

得意:丸山忠久、屋敷伸之、木村一基、渡辺明

苦手:北浜健介、行方尚史、堀口一史座、野月浩貴

 こんな感じである。まああまり深く考えないでください。

(以下略)

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振り飛車党の棋士は、厳密には正確な言い方ではないが、飛車よりも角を可愛がる傾向が強いと感じられる。

鈴木大介九段は、将棋の醍醐味は竜を切る時、と話していたことがある。

大内延介九段の怒涛の攻めも、竜をバチバチ切っていた印象が強い。

久保利明王将も八段時代、湯川博士さんの『振り飛車党列伝』で「飛車は割合、気軽に切りますが、角はけっこう計算します」と語っている。

中田功七段は、「飛車は切るため。なくてもいいんですよ。だからぼくは角落ちがダメ。飛車落ちは大好き」と言っている。

中田功五段(当時)「飛車は切るため。なくてもいいんですよ。だからぼくは角落ちがダメ。飛車落ちは大好き」

飛車落ちの玉の囲いは、江戸時代の振り飛車のような囲い。

振り飛車党の棋士が飛車落ち派というのは、非常に説得力がある話だ。

飛車を捌く、には飛車を切って他の駒と交換するという意味も含まれる。

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飛車を非常に大事にしたのが、振り飛車名人と呼ばれた大野源一九段だった。

とにかく、飛車を敵陣に成るか飛車交換をするか敵の飛車を取って敵陣に打つかの将棋だった。

「大野さんに勝つには、玉ではなく飛車を詰めれば良い」と冗談で言われていたほどの、飛車使いの名手だった。

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自分が下手の立場で、飛車落ちと角落ち、どちらが指しやすいか考えると、個人的には圧倒的に角落ちの方が好きだ。

例えば極端な例で1図。

1図から▲7四歩の攻撃が成り立つ。

▲7四歩△6三金(2図)は必然。

ここから、▲6四角△同金▲7三歩成(3図)と技が決まる。最低でも飛車交換にはなる。

しかし、8二に飛車がいなかったら△7五歩で全くつまらないことになってしまう。

敵の飛車がいてくれるからこそ攻めがいがあるというもので、相手の飛車がいないと攻め筋も減るし、振り飛車的な攻めのモチベーションが上がらなくなってしまう。

そのような意味もあって、私は飛車落ちよりも角落ちの方に好意を持っている。

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上手側も下手側も、飛車落ち派、角落ち派に分かれるものなのだろう。

 

 

どこまでが誤植なのかを判断するのが難しい記事

将棋世界1986年7月号、沼春雄五段・編集長(当時)の編集後記より。

 先日、本誌の46年8月号を見ましたら”小学一年生で初段”という見出しで小さな記事が載っていました。

 初段コースを卒業したそうなのですが、名前を見ると岩川浩司君(9歳)となっていました。

 どうも現棋王のようなのですが、それにしては初段まで24ヵ月と長すぎたようですし、9歳で小学一年とは少し異常。いったいこの中に何箇所の誤植があったのでしょうか。

(以下略)

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将棋世界1971年8月号、若松政和四段(当時)の「小学一年生で初段」より。

 私の教室に岩川俊昭、浩司の両少年が通っています。兄が13歳、弟が9歳(小学1年生)ですが、このほど弟の浩司君が初段コースで見事1200点(23回目)を獲得しました。往復ハガキの表書きから解答まで全部自分で書いています。(ハガキを見るまでは誰かが代筆されているものと思っていました)

 棋質も豊かだし、2年近くの努力と頑張りは大したものだと感心しました。初段コースを現在めざしておられる方々や年少者のはげみになればと思いお報せした次第です。

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この将棋世界1971年8月号で明らかな誤植なのは、

  • 小学1年生→小学3年生
  • 岩川→谷川

の2点。

それ以外に誤植があるのかどうか、考えてみたい。

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「このほど弟の浩司君が初段コースで見事1200点(23回目)を獲得しました」

この当時の将棋世界の初段コースは1回が3問で100点満点。最速でも初段になるのに1年かかる。(1986年当時および現在の初段コースは最速で2ヵ月)

谷川浩司九段が将棋を覚えたのが5歳の頃。

羽生善治棋聖の場合を見てみると、

  • 将棋を覚えたのが小学1年(6歳か7歳)の時
  • 八王子将棋クラブで8歳の春に5級、9歳になった頃に初段

谷川浩司九段、羽生善治棋聖とも9歳でアマ初段ということは、谷川浩司少年が将棋世界の初段コース23回で初段は大いにありうる回数と言えるだろう。

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谷川浩司少年は、この翌年1972年5月5日の子供の日にNHK教育テレビで、北海道の兼田睦美さん(中学2年、現在の福崎文吾九段の奥様)とのチビッ子対局に出演している。

谷川浩司少年が奨励会に入ったのは1973年、小学5年の時のこと。

羽生善治少年は、10歳で四段、11歳で五段になり、奨励会に入るのは1982年、12歳(小学6年)の時。

このように見ると、小学4年から急速に棋力が伸び始めるとも考えられる。

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ちなみに、将棋世界1971年8月号の「小学一年生で初段」は、沼春雄奨励会二段(当時・第一回高校選手権大会個人戦優勝)の「高校生の季節」と同じページに載っている。

沼春雄五段(当時)が昔の自分が書いた記事を読んでいる時に発見したのだろう。

 

 

NHK将棋講座2017年11月号「中村修九段-行方尚史八段戦」

今日は、NHK将棋講座2017年11月号の発売日。

◯表紙は阿部健治郎七段のイラスト。

○佐藤和俊六段の講座「カズトシ流 主導権をにぎる振り飛車」の11月のテーマは「抜群の破壊力!先手中飛車」。1週目が中飛車の基礎知識、2週目が5筋位取り中飛車vs急戦、3週目が5筋位取り中飛車vs持久戦、4週目が居飛車角交換型6四銀。ゴキゲン中飛車から居飛車側が5筋の位を取らせてくれた時とくれなかった時、それぞれの指し方が丁寧に解説されている。12月もカズトシ流中飛車がテーマ。

◯後藤元気さんの「渋谷系日誌」は、柳瀬尚紀さんを偲ぶ会、中野隆義さんの葬儀、読者からの手紙の紹介。中野隆義さんの葬儀の後に行った居酒屋で、鈴木大介九段が中野さんの『棋士が太陽剣を捨てる日』を「これまで読んだ観戦記のなかで最高の観戦記だった」と語ったことなどが取り上げられている。

『棋士が太陽剣を捨てる日』の抜粋→先崎学五段(当時)へのラブレター

○段・級位認定 次の一手問題

○将棋連盟からのお知らせ

○女流棋士会からのお知らせ

○日本女子プロ将棋協会からのお知らせ

○「重箱のスミ」クイズ

○テキスト感想戦

○付録は、阿部健治郎七段の「囲い最前線 居飛車対振り飛車編2 舟囲いPart2」。舟囲いでの振り飛車退治。舟囲いが楽しくなるような内容。

〔NHK杯戦観戦記〕

◯2回戦第3局 中村修九段-行方尚史八段戦

「6年前の後悔」 観戦記:私

◯2回戦第4局 阿部健治郎七段-稲葉陽八段

「同学年の対決」 観戦記:小島渉さん

◯2回戦第6局 阿久津主税八段-佐藤天彦名人

「さらなる高みをめざして」 観戦記:大川慎太郎さん

◯2回戦第7局 豊島将之八段-木村一基九段

「棋士の作法」 観戦記:佐藤圭司さん


今月号には私が書いた観戦記(中村修九段-行方尚史九段戦)が掲載されています。

中村修九段が6年半前から後悔していること、それは東日本大震災が起きた日の対局でのことでした。

2年前の中村九段のtwitterにそのことが書かれています。

この時の対戦相手が行方尚史八段。

実際には行方八段が昇級するのは中村九段が降級した翌期のことになるのですが、中村九段から見たら同じ期と思えるほど後悔をしていたのだと思います。

対局前のインタビューでも、中村九段は、大震災のあった日の対局のことに触れています。

中村九段と行方八段は6年振りの対局。

中村九段の6年前の後悔を背景とした、エピソード50%、指し手のこと50%の観戦記となっています。


NHK将棋講座2017年11月号、ぜひご覧ください。

NHK 将棋講座 2017年 11月号 [雑誌] (NHKテキスト)

 

 

 

石田節の絶妙大盤解説

将棋世界1986年6月号、第44期名人戦〔中原誠名人-大山康晴十五世名人〕、「石田八段の大盤解説」より。

15:00
 63歳の老雄大山名人が12年ぶりに出て来て、久しぶりの名人戦ですね。中原名人は38歳、円熟期と言えます。現在の局面はもう終盤戦に入っています。(局面を映し出すモニターテレビを見て)これは早く解説しないと終わっちゃうかもしれません。

 中原名人は居飛車穴熊にしました。相手が大山名人だから、年の差を考えて長い戦いに持っていこうとしたのだと思います。これで居飛穴が勝つようなら執拗に用いる事が十分考えられます。私は居飛穴は好きではありません。しかし棒銀なんかでいくと、棒銀がさばけた時には玉が詰まされているんです。実に大山名人はうまいですよ。中原名人もあまり用いないが、対大山戦には最有力の策と考えたに違いありません。A級順位戦の4敗中3敗が居飛穴に対してですから。

 最近の大山名人は昔のような局面を長引かせる事は考えないで、意図的に決戦を早めようとしているように思えます。これが自ら墓穴を掘ったように感じますね。まだ終わってませんけど。

15:20
(中略)
 うーん、これはダメです、ダメです、ダメです。どうも受けがない。大山ファンには申し訳ないが、どうもいい順が見つかりません。皆さんどうですか、大山ファンでこれなら受かりますよという手があったら、どんどん言ってください。

17:00
 何かあっけない勝負でした。浜松のファンにはちょっと残念でしたね。一局目に大山名人が勝つと面白かったんですけど。それでは今、感想戦を見てきましたので、二人の感想を交えて最初から解説してみましょう。

(中略)

 中原さんとしては久々と言っちゃ失礼ですが、胸のすく勝ち方でした。本当なら夜の八時、九時になるような熱戦で、皆さんと一緒に一手一手の攻防に酔いしれたかったのですが、終わってしまって―。どうもありがとうございました。

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この直後、場内は一斉に大拍手が湧き起こった、と書かれている。

石田和雄八段(当時)の名解説と石田節。

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「しかし棒銀なんかでいくと、棒銀がさばけた時には玉が詰まされているんです。実に大山名人はうまいですよ」

「これが自ら墓穴を掘ったように感じますね。まだ終わってませんけど」

「大山ファンでこれなら受かりますよという手があったら、どんどん言ってください」

「中原さんとしては久々と言っちゃ失礼ですが、胸のすく勝ち方でした」

「皆さんと一緒に一手一手の攻防に酔いしれたかったのですが」

文字だけ読んでも十分に伝わってくる石田節。これに、石田九段の声と話し方と表情が加われば、面白さが三倍増する。

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更にボヤキが加われば、完璧な石田和雄九段の世界。

例えば、2005年12月に放送されたNHK杯戦、高橋道雄九段-郷田真隆九段戦。解説が石田和雄九段で司会が千葉涼子女流三段(当時)。この時の映像から解説を書き起こしてみた。

石田「私思うんですけどね、千葉さんね、つくづく。昔の棋士はね、勝って酒を飲み、負けて酒を飲み、なんてね、ええー、そういう形でやってましたよ。だけど今の棋士はあんまり(手のひらを振りながら)もう、酒をたしなむ程度ですね」

千葉「そうですね。一部の棋士を除けば」

石田「まあまあ、それはいつも例外はありますが、昔はむしろ飲まないほうが例外ぐらいで、ウン、今は飲むのが例外というのが、時代が変わってきているんですねえ。そう思います」

千葉「石田先生はあまり飲まれない方なんですか?」

石田「私が?私が?…まあ、飲み出すともう止まらなくなっちゃうんですよ。行くとこまで行っちゃうという感じで。いやもうね、何でですかね。飲み出すと止まらなくなってしまうんですよ」

(以下略)

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石田和雄九段の、対局時や感想戦の時とは異なる傾向のボヤキも、もの凄く良い味を出している。

オールドファンにはおなじみの石田和雄九段の名解説だが、新しい将棋ファンの方も石田和雄九段の解説を聞けば、石田和雄ファンになることは間違いないと思う。