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先崎学四段(当時)「笑いすぎて疲れてしまったので、別室で羽生とバックギャモンをする。大勝。羽生が顔をしかめ、眉をつり上げて口惜しがる」

将棋マガジン1990年7月号、グラビア「第48期名人戦第3局 中原強攻突破、地元で再びリード」より。

 第48期名人戦第3局は、5月8日、9日、宮城県松島町の「松島センチュリーホテル」で行われたが、挑戦者の中原誠棋聖が谷川浩司名人を降し、2勝1敗と再びリードを奪った。

 相掛かり戦から中原が新趣向を見せたが、これが不発。2日目午前中には、早くも谷川優勢と控え室。

 しかし「中原さんは、きっとそんなに不利だとは思ってないよ」は、立会人の森雞二九段、青野照市八段の意見。局後、その点を問われた中原は「そう?悪いの?」と答え、一同大爆笑。

 ともあれ、中原の頑張りは凄まじく、エビ・カニと同じくらい谷川が大嫌いな入玉をちらつかせ、遂に逆転勝ちを収めたのであった。

将棋マガジン同じ号のグラビアより。大盤解説の島朗前竜王から「この局面から、君達が谷川名人の方を持って指したら、持ち時間が何分あったら勝てますか?」と聞かれているシーンと思われる。撮影は弦巻勝さん。
将棋マガジン同じ号のグラビアより。感想戦。撮影は弦巻勝さん。

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将棋世界1990年7月号、先崎学四段(当時)の第48期名人戦第3局現地レポート「敗因が分からない」より。

 名人戦を見に行こう、と思いたったのは、中原が挑戦者に決まったときだった。

 最近充実著しい中原の、生涯でもっとも成熟した時期の指し回しをこの目で見届けたかった。

(中略)

 観戦旅行の目的はというと(当然将棋の勉強が主なのだが、それだけではツマラナイでしょう)、バックギャモンをすることである。

(中略)

 一日目の夜は両対局者ともリラックスムードだった。二人とも僕らがやっているヘボな麻雀を眺めていた。絶対に自分ではやらないところがおもしろい(当然か)。

 二日目の控え室では、陽気なメンバーが揃ったため騒々しい。森、青野の両立会人は、昔、この二人に米長先生を加えて阿佐ヶ谷躁病連盟と名乗っていたことがある。この二人にカメラマンの弦巻さんや羽生、先崎などが加わり、いやはやうるせえうるせえ。酒がないだけで、ほとんど温泉旅行での宴会である。

 昼食を食べると、突然外が晴れていることに気づく。部屋のなかにずっといるため、そんなことに気が回らなかった。まったく不健康である。

 そこでせっかく松島まで来たのだから、少し外を散歩しようと話がまとまり、森、羽生、先崎、弦巻、『将棋マガジン』の中島さんの5人で、近くの島を一周する。

 島はなかなか大きく、ちょっとしたハイキングだった。ああ、外はこんなにいい天気だったのか―当たり前のことに感動する。たまりにたまったストレスが毛穴から抜けていくようだ。それに比べ対局室はストレスのかたまり。こんな日に将棋を指す手はない。ざまあみろ(でも名人戦には出たいな)。

 ハイキングから帰ると、バカに谷川のほうが優勢になっている。控え室は無責任のかたまりのため、いいたい放題。

「中原さん気でも狂ったんじゃない」

 などなど、バカなこといってみんなで笑いころげている。笑いすぎて疲れてしまったので、別室で羽生とバックギャモンをする。大勝。羽生が顔をしかめ、眉をつり上げて口惜しがる。愉快愉快。寿命が少しのびたような気がした。

(以下略)

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羽生善治竜王(当時)は将棋マガジンからの依頼で観戦記の仕事、先崎学四段(当時)と森内俊之四段(当時)はプライベートの旅行で宮城県・松島へ行っている。

立会人がギャンブル好きな森雞二九段であったことも、渡りに船だったろう。

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「中原さんは、きっとそんなに不利だとは思ってないよ」

中原誠十六世名人が、自分の形勢について非常に楽観的であることは有名な話。

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二番目の写真にあるように、羽生竜王が観戦記者として感想戦を間近で聞いているわけで、両対局者も内心はいろいろな意味で気になって仕方がなかったのではないかと思う。

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「羽生が顔をしかめ、眉をつり上げて口惜しがる」

羽生竜王が、将棋だけは感情を表情に出さないけれども、もともとは負けず嫌い、ということがわかる。

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この時の羽生竜王による観戦記など。

羽生善治竜王(当時)の観戦記(前編)

羽生善治竜王(当時)の観戦記(中編)

羽生善治竜王(当時)の観戦記(後編)

棋士による棋士の物真似

 

升田幸三七段(当時)「阪田さんの追善会で、銀を泣かせるわけにはいかん、と思うた」

将棋マガジン1990年10月号、東公平さんの「明治大正棋界散策 銀が泣いている」より。

「わてが死んだら、きっと誰かが、芝居や活動写真にしよりまっせ」と生前の阪田三吉関西名人は、よく人に語っていたそうである。

 みごとな予言だった。私は、尊敬と同情の深い思いをこめて、以下三吉と書く。

 没年月日は昭和21年7月23日で、私の13歳の誕生日だから憶えやすい。満76歳だった。同じ年の3月12日には”宿敵”関根金次郎十三世名人が、満77歳で没しており、「後を追うように」三吉もこの世を去ったのだった。

 没後ほとんど年月をおかず大阪出身の北條秀司氏が、新国劇のシナリオ「王将」を書き、辰巳柳太郎、島田正吾の好演と相まって大評判をとり、次に東宝で映画化され、今や不朽の名作とまで言われているわけだが、遺族から「お父ちゃんはあんな人やない。アホの三やんとはなんだ。映画化は許さない」と訴訟沙汰にまでなったことがある。

 東宝側が「これは伝記ではなくフィクションである」と逃げを打てば、遺族側は「そんなら、阪田も関根も、玉枝(本名はタマエ)も、すべて仮の名に変えてもらいます」と反論した。どう折り合いがついたものか詳しくは知らないけれど、「女房の小春」は役名であって、本名はコユウ。北条氏が名前を知らなかったのではなく、舞台で三吉が大声で叫ぶときに「コユウ」では響きが悪いため、音の効果を考えて明快な「コハル」にしたのだと聞いている。

(中略)

 吉屋信子の随筆「私の見た人」は、朝日新聞に連載され、同社発行の文庫本にもなっているが、徳富蘇峰、小林一三、新渡戸稲造、モルガンお雪、横綱玉錦、古今亭志ん生など、40数人の有名人に混じって坂田三吉も出て来る。

 昭和12年といえば、三吉が無冠の棋士として南禅寺、天竜寺の対局に臨んだ年であるが、吉屋信子女史は講演のため菊池寛、吉川英治、佐藤春夫、小島政二郎といった作家たちと共に大阪の新大阪ホテルに泊まった。

 フロントから「来客」の連絡を受けた吉屋がロビーへ行くと、<羽織に着流しの小柄な><どう見てもどこかの店の番頭さんかとみえる>人が訪問者で、まったく覚えがない。

 <そのひとは幾度も腰低く頭をさげて、まったく小商人じみていた。>そして用件は、菊池寛への伝言なのである。

 <そうした言葉より多く頭をさげつづけるので私は困ってしまった。椅子をすすめても客は辞退して立ったままだった。>

 そしてまた何か言い続けるのだが、よく聞き取れない。吉屋女史はじれったくなり、どなたでございましょう、と問うた。

<「ハイ、てまえはサカタサンキチでございます」。この名乗りの時だけは、日本中でだれでも知っている名を告げるようにはっきりとした。>

 そうしてまた腰をかがめ、三吉は帰った。後刻それを菊池寛に話すと、「待たしておけばよかったのに。そりゃあおもしろい人物だよ」と残念がって説明してくれたというのである。

 <私は生涯の不覚を悔いた。>そして戦後、映画で「王将」を見た吉屋信子は、<「イツゾヤハゴメンナサイ」と故人にわびつつスクリーンを見詰めて涙が流れて―流れて仕方がなかった。>と結んでいる。

 三吉のお辞儀の長かったのは有名で、ていねいな人と比べても、3倍も5倍も頭を下げ続けていたという。帰る相手が車の場合でも、ずっと頭を下げ続け、見えなくなるまで最敬礼であった。また、一度でも世話になった人は「恩人」と称して忘れることがなかった。

(中略)

「銀が泣いている」。阪田三吉のエピソードの中で最もよく知られている言葉だが、書く人によっていろいろと脚色されている。しかしよく考えれば、三吉はこういう言い回しが天才的に上手だったし、二度も三度も「銀が泣いとるよってに、この将棋はあかん」などと言ったかもしれない。

 私の調べでは、参考棋譜の対関根戦が名言の出所だと信じる。異説に、対井上義雄八段戦の歩越し銀だという話もある。

 この対局が珍しいのは、「香車次第」と呼ぶ手合割だ。すなわち「一番手直り」というケンカ腰の勝負であって、まず関根八段が左香を落とすが、上手の勝ちなら第2局は角落ちで、下手の勝ちなら平手(先)。それにも阪田が勝ちなら3局目は関根が先手、さらに阪田が勝てば、逆に左香落ちという約束だった。

 もっとも、八段が香を引かれて指すはずはないから、もしそうなれば”有力者”が口を利いて、中止または延期にしただろう。

 この時、「阪田三吉は、もし負けたら生きては大阪へ帰らぬ覚悟だそうな」という噂が流れていたという。関根は46歳、阪田は44歳。拙著『阪田三吉血戦譜』第2部の64ページに、「両師ともに最も充実していた時期」と書いたが、ここで訂正だせていただく。関根八段は40歳のころに軽い脳溢血で倒れたことがあって、以後、少し棋力も下り坂になっていたようで、いわゆる無理のきかない体になっていた。しかし、「さらりと指す」左香落ちは絶品で、すばらしい出来栄えと思われるのである。

 この異例の「一番手直り」の決戦は、阪田の七段昇進が東京方に無断であったことが根にあり、関根が、過去の戦績から「香香角である」と突っ張ったことにより発生した。

 会の名称は「阪田七段歓迎会」となっているが、これは阪田を支持する東京の小野五平名人(83)と、小野の後援者である芳川顕正伯爵(同じ徳島県出身)ら政界財界の有力者が主催したからで、関根と阪田にとっては、命運を賭した”決闘”であった。小野名人が高齢のため、次期名人問題がからんでいたのだ。観客は上流階級を中心に120余名。自分たちも指しながら関根-阪田戦を見る趣向である。

 三吉が不馴れな「七間飛車」を採用したのは「平手でも負けぬ」自信の表明であった。

 棋譜を追っていただきたい。

 次に記すのは昭和4年に「大阪朝日新聞」に口述筆記で連載した『将棋哲学』の一節。

「その時自分は▲8五銀という手を指した。その銀は進退きわまって出た銀だった。出るに出られず引くに引かれず斬死の覚悟で捨て身に出た銀であった。ただの銀じゃない。それは阪田が銀になって、うつ向いて泣いてる銀だ。それは駒と違う。阪田三吉が銀になっているのだ。その銀という駒に阪田の魂がぶち込まれているのだ。その駒が泣いている。涙を流している。(中略)この一番を負けたら、何年かの苦心が泡と消える。スゴスゴと旗を巻いて退却しなければならぬ。何でも勝ちたいと思ってあせった末、そういう手が出たのだった。根が強情なものだからやはりそういう強情な手が出る。その時関根さんの方でその銀を大事にして、敵方にニュッと出た銀ではあるけれど、折角出て来た銀である、今殺さなくとも、しばらく滞留させてあげよう、まあゆっくりなさい、といった態度に出られたらとても勝てる将棋ではなかった」

 阪田三吉の泣き銀。私が説明する必要はなさそうである。談話と銀の動きは、ぴたりと合っていると思う。

(中略)

 昭和22年5月18日。大阪市の四天王寺本坊で「阪田三吉追善会」が開かれ、東京から木村義雄、土居市太郎、金易二郎、花田長太郎、加藤治郎が出席し、大阪方の升田幸三、木見金治郎、村上真一、大山康晴、大野源一と、席上対局を行った。

 最も注目を集めたのは、木村名人と升田七段の対戦だったが、1図で升田は、銀を引かず、▲2四銀と敵歩頭へ進めたのである。「阪田さんの追善会で、銀を泣かせるわけにはいかん、と思うた」の感想がある。出席者700余名を前に升田は、手向けの花を投げた。

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参考棋譜

大正2年4月6日 於東京・築地倶楽部
「阪田七段歓迎会席上」
香車次第
△八段 関根金次郎
▲七段 阪田三吉

△3四歩▲7六歩△4四歩▲5六歩△3二飛▲6八銀△4二銀▲5七銀△6二玉▲7五歩△7二銀▲7八飛(平手なら三間飛車だが、左香落ちに限っては七間飛車と呼ばれる)△4三銀▲7四歩△同歩▲同飛△5二金左▲7六飛△7三歩▲4八玉△7一玉▲3八銀(▲3八玉から▲4八金直の形も古くから知られていた。穴熊はこの時代、損な形と軽視され用いられなかった)△6四歩▲3九玉△3五歩▲9六歩△9四歩▲5八金左△8二玉▲6六銀△4五歩▲7七桂△3六歩▲同歩△同飛▲7五銀△5四銀▲3七歩△3四飛(2図)

▲9七角△6三銀引▲2八玉△6五歩▲8六銀(3図)

▲8六銀(3図)は先逃げだが、ここから三吉の苦闘が始まる。以下、この銀が何度動いたか……。

△7四歩▲5七金△1四歩▲5五歩△1三角▲7九角△3三桂▲6八角△8四歩▲6六歩△8五歩▲同銀(4図)

▲8五同銀(4図)。「進退きわまって出た」銀。

△7三桂▲9四銀△6六歩▲8六飛△8三歩▲6六飛△9三歩(5図)

△9三歩(5図)では、「まあゆっくりなさい」と△8四歩と突き、△7五歩を狙えば上手十分だった。

▲9五歩△7五歩▲8五銀△8四歩▲9六銀(6図)

▲9六銀(6図)。生還はしたが、ひどい悪型。

△7四飛▲7八歩△6四飛▲6五歩△7四飛▲9四歩△同歩▲9五歩△7六歩▲9四歩△9二歩▲9五銀△7七歩成▲同歩△8三桂▲8六銀△8五歩▲9七銀(7図)

▲9七銀(7図)。「うつむいて泣いている」銀。

△9四飛▲5八金引△6八角成▲同金△7四飛▲8六歩△4六歩▲同歩△6四歩▲8五歩△6五桂▲8六銀(8図)

▲8六銀(8図)。ようやく戦線に復帰した銀。

△7一玉▲4八角(9図)

▲4八角(9図)。うまい勝負手。指しかけの夜、夢の中で発見したと三吉の話にある。

△7九角▲6九歩△8八角成▲9二香成△同香▲9三歩△同香▲6七飛△7五歩▲7六歩△9八香成▲9五歩△4七歩▲同飛△6六香▲7五歩△7三飛▲7七金(10図)

▲7七金(10図)。観戦者は驚いた。厳密には最善手でないが、関根の意表に出、楽観を誘う。

△同桂成▲同銀△5六金▲8八銀(11図)以下略、164手までで阪田七段の勝ち。

  

▲8八銀(11図)。この銀は15回動いてようやく使命を果たし、逆転勝ちに結びつく。「命がけ」の気迫が伝わって来る、長い辛抱だった。

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阪田三吉「銀が泣いている」のすべて。

阪田七段歓迎会席上の関根金次郎八段-阪田三吉七段戦、阪田三吉の思いが非常に色濃く感じられる一局。

最後に銀は成仏できているが、そこに至るまでの過程が苦難の連続だった。

▲4八角(9図)などは阪田三吉でなければ指せない手だと思う。

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「三吉が不馴れな「七間飛車」を採用したのは「平手でも負けぬ」自信の表明であった」

これは、七間飛車(結果的に相振り飛車になる)が、上手の左香がないという弱点を攻めない指し方ということ。

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升田幸三七段(当時)の▲2四銀と敵歩頭へ進めた一手。「阪田さんの追善会で、銀を泣かせるわけにはいかん、と思うた」が、とても心を打つ。

今日の記事タイトルが「銀が泣いている」ではなく、升田実力制第四代名人の言葉なのも、この言葉を紹介したかったから。

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新大阪ホテルは開業が昭和10年。中之島3丁目にあったという。ベネチアンゴシック式鉄筋コンクリート造の8階建。

現在は建物がなくなっているが、資本的にはリーガロイヤルホテルグループということになる。

大正2年の「阪田七段歓迎会」が行われた東京・築地倶楽部は、築地のどの辺にあったものなのか、記録などが全く見つからない。

会員制の倶楽部であったことは間違いなさそうだ。

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関根金次郎十三世名人のほぼ4ヶ月後に亡くなった阪田三吉贈名人・王将。

宿命のライバル、おしどり夫婦(元を含む)、親友は、比較的近い時期に亡くなるケースが多い。(敬称略、括弧内は没年月日)

  • 大山康晴十五世名人(1992年7月26日)、升田幸三実力制第四代名人(1991年4月5日)
  • 芹沢博文九段(1987年12月9日)、板谷進九段(1988年2月24日)
  • 岸田今日子(2006年12月17日)、仲谷昇(2006年11月16日)
  • 樹木希林(2018年9月15日)、内田裕也(2019年3月17日)
  • 津川雅彦( 2018年8月4日)、朝丘雪路(2018年4月27日)

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新国劇『王将』の阪田三吉…辰巳柳太郎、関根名人…島田正吾は、例えは非常に不適切かもしれないが、『吸血鬼ドラキュラ』の映画における、ドラキュラ伯爵…クリストファー・リー、ヴァン・ヘルシング教授…ピーター・カッシングと同様の鉄板の布陣。

映画『王将』も素晴らしいキャスティングとなっている。

  • 『王将』(1948年、大映)阪田三吉…阪東妻三郎、関根名人…滝沢修、小春…水戸光子、玉枝…三條美紀
  • 『王将一代』(1955年、新東宝)阪田三吉…辰巳柳太郎、入江名人…島田正吾、小春…田中絹代、玉枝…木暮実千代、君子(次女)…香川京子
  • 『王将』(1962年、東映)阪田三吉…三國連太郎、関根名人…平幹二朗、小春…淡島千景、玉枝…三田佳子
  • 『続・王将』(1963年、東映)阪田三吉…三國連太郎、関村名人…中村伸郎、玉枝…丹阿弥谷津子、君子…三田佳子
  • 『王将』(1973年、東宝)阪田三吉…勝新太郎、関根名人…仲代達矢、小春…中村玉緒、玉枝…音無美紀子

1962年、東映の『王将』では、阪田三吉の弟子役で千葉真一さんが出演している。全方位で強そうだ。

「谷川さん、妬かないかしらね」

将棋マガジン1990年5月号、中平邦彦さんの第8回全日本プロトーナメント〔羽生善治竜王-谷川浩司名人〕決勝第2局観戦記「頂上決戦は対スコアに」より。

 将棋界が本当の意味で変わろうとしている。

 若さの奔流が、音立てて流れて、その勢いをもう誰も止められない感じがする。ソ連や東欧の激変、誰もついこの前まで予想もしなかった国際社会の枠組が変わるのに似ている。それがいい方向に向かうかどうかはわからないが、激動を自分の目で見ることができる幸せを思う。

 谷川名人と羽生竜王。

 将棋界の激動を代表するチャンピオンは、この二人以外にあるまい。この二人が、いつ”本気”で激突するか。それは、すべての将棋ファンが思い続けた夢だった。

 しかし、片や名人、片やB級2組の六段ではつまらない。強い、強いと言われた羽生が一日も早く谷川と肩を並べる地位に来て、正面からガツンとぶつからねば面白くない。

 そんな一日千秋の思いが全日プロで実現した。羽生はもう、名人と肩を並べる竜王である。タイトル戦ではないが番勝負、しかも、谷川の独壇場の棋戦だ。互いに負けられぬ意地の激突は必至である。

『今、タイトル戦で一番対局したい相手は、と聞かれれば、羽生六段とためらわずに答えるだろう』

 羽生竜王誕生で出版された将棋世界増刊号で、谷川名人が書いた文章である。ほほうと思った。内容にではない。行間から漂う意気込みを感じたからだ。

 大山、中原、谷川の三名人が見た羽生善治の原稿なのだが、大山、中原の場合はある一定の距離感が感じられるのに、谷川だけが乗っ込んでいるといおうか。ともかく、真正面から「わが敵、いざ」と対峙している感じがある。

 年齢が近いこと、これから気の遠くなるほど長年月、組んずほぐれつの激闘をやる立場もあるだろう。しかしそれだけではない何かがある。どう言えばいいか。鋭く尖った闘志ではなく、生涯の好敵手を得た、わくわくするようなおののきといおうか。

 谷川は羽生の「大物」ぶりも面白く書いている。将棋まつり席上対局の直前なのに、羽生が先崎と楽しげに囲碁を打ったこと。竜王戦のえぐい勝負の最中に欠伸をしていたこと。奔放ともいえるが、まだ子供といっていいその行動に少々あきれながら、大勝負にあがらない資質を見抜き、自分の過去も思っていたのではないだろうか。谷川もまた、大勝負ほど強かった。羽生をとりまく、そんなわからない部分、わかる部分を、多分、谷川は他の誰よりもわかっている。そんな気がする。

(中略)

 さて第2局は大阪の料亭「芝苑」。地元関西であり、谷川はここでまだ負けたことがない。谷川には好条件がそろっているが、羽生の強味は、実はそういった悪条件下で無類の強さを発揮する点にある。

(中略)

 2図で昼休みである。

 再開5分前に谷川は現れたが、羽生がなかなか来ない。朝から報道陣が多く、テレビ取材も2社あった。残った民放テレビは4月放送の特番を組むべく、羽生を追っていた。これまでならテレビは大抵谷川を追ったが、10代竜王は絵になるのだ。

「芝苑」の若女将で将棋三段、谷川ファンの久島真知子さんがこんな冗談を言った。

「谷川さん、妬かないかしらね。怒ったりしたら損して負けるわよ」

 羽生、急ぎ足で登場。テレビライトの中、高い駒音で▲8四飛。

(以下略)

東京・広尾「羽澤ガーデン」での第1局。昼食時、報道各社の注文に応え、縁側に出た両対局者。将棋マガジン1990年5月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。
着付けを手伝ってもらっていた時代。将棋マガジン1990年5月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。

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「ソ連や東欧の激変、誰もついこの前まで予想もしなかった国際社会の枠組が変わるのに似ている」

この文章が書かれた1年半後、1991年11月にベルリンの壁崩壊、12月にソ連が崩壊している。

1990年時点では、ソ連や東欧が変わるとしても、ソ連の崩壊、ベルリンの壁崩壊まで至るとは予想されていなかったと思う。

そのことと同様に、将棋界も、1990年のこの時点では谷川-羽生という図式を激変の後に訪れる姿として多くの人が考えていたかもしれない。

しかし、この後に佐藤康光九段、郷田真隆九段、村山聖九段、森内俊之九段、藤井猛九段、丸山忠久九段の順にタイトル戦に登場、そして羽生善治九段は七冠達成と、羽生世代の棋士が猛烈な活躍をすることになる。

激変は、常に想像を上回るものなのかもしれない。

 

「羽生は、勝負のオニだ」

将棋マガジン1990年5月号、「ドキュメント’90 第48期順位戦最終局」より。

 3月6日。C級1組順位戦は大詰めを迎えた。昇級者2名のうち、1名はすでに羽生と決定。残る1名を目指しての争いは、ここまで1敗を保持してきた森下と2敗キープの土佐にしぼられていた。

 1敗の森下は、もちろん自力であるが、最終局の対戦相手は、あの羽生である。第9戦で、羽生は泉に土をつけ、泉の昇級の望みを断ち切った。自らの昇級が決まっていて、対泉戦は羽生にとってはいわば消化試合であっただけに、千日手2局を作ってまでも泉を負かしに行った羽生を見て、控え室の面々は、「羽生は、勝負のオニだ」と、うめいたものだった。

(以下略)

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C級1組順位戦ラス前、羽生善治竜王-泉正樹六段戦(タイトル・段位は当時)が行われる直前は、

羽生善治竜王(8勝0敗、2位、昇級が既に決定)
森下卓六段(7勝1敗、20位)
泉正樹六段(6勝2敗、3位)
土佐浩司六段(6勝2敗、15位)

という状況。

泉六段にとってラス前は、まさに負けられない一戦。

このような中、羽生竜王が千日手2局を経て泉六段に勝ったのだから、「羽生は、勝負のオニだ」と言われるのも無理はない。

ラス前が終わって、

羽生善治竜王(9勝0敗、2位、昇級が既に決定)
森下卓六段(8勝1敗、20位)
土佐浩司六段(7勝2敗、15位)
泉正樹六段(6勝3敗、3位)

となり、泉六段の昇級の可能性がなくなった。

* * * * *

最終局、羽生竜王は勝っても負けても、翌期のB級2組での順位は変わらない。

そして、森下六段に勝って、結果的に森下六段の昇級を阻んだ形となった(土佐六段は最終局に勝ち昇級)。

控え室では、ラス前の時の「羽生は、勝負のオニだ」から更にエスカレートして、「鬼だ」「人間じゃない」などの声があがったという。

血涙の一局

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よくよく見てみると、土佐六段も6戦目で羽生竜王に敗れている。

昇級の目があった泉六段、森下六段、土佐六段の全員が羽生竜王に敗れているわけで、実際には羽生竜王は3人の中の誰の得になることもやっていないし、相対的には誰の損になることもやっていないことになる。

同じ勝ちでも、タイミングの違いによってドラマになったりならなかったりする好例かもしれない。

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将棋マガジン同じ号の「対局日誌」に掲載された羽生-森下戦の局後の写真

 

「屋敷、井上が決まり、後は中田宏か沼」

印象的な物語のような展開。

将棋マガジン1990年5月号、「ドキュメント’90 第48期順位戦最終局」より。

 3月13日、C級2組順位戦最終日。この日、56人という大所帯の成績のすべてが決まり、来期の自分の位置が確定する。

 棋士の大晦日にたとえられる順位戦最終日。いい正月を迎えられる可能性があるのは、上から中川、中田宏、屋敷、以上8勝1敗。井上、沼、神崎、以上7勝2敗。

 イキのいい若手に混じって、40代の沼の健闘が異彩を放っている。

 1敗の3人にしか自力はないが、井上と沼は順位が上まので、勝てば昇級の可能性は高い。順位の悪い神崎はよほど展開に恵まれないと難しいという状況。

 午前10時開始。東京千駄ヶ谷の将棋会館の対局室は、C2順位戦一色。

 モニターテレビに映る、特別対局室の最上座を、和服に威儀を正して占めているのが、佐瀬勇次八段。今期は9敗と、片目も開かない成績で既に降級点も決定している。

 やる気なしでもおかしくないが、この最終戦の対屋敷戦には期するものがあった。これにピンときた人は相当な事情通。

 昇級戦線に残っている沼は、佐瀬の弟子で娘婿。中川は孫弟子にあたるという関係を知れば、合点がいくと思う。屋敷に遺恨はないが、佐瀬一門の総帥としては、二人のライバルを倒して援護射撃をしたいところで、”ハイ、お通り下さい”とはいかないのだ。自力のない沼にとっては値千金だし、中川にとっては、負けて2敗となっても昇級の可能性が残っているだけに、この援護射撃が決まれば大いに助かる。

 持ち時間6時間の順位戦は、陽が落ちて夜戦に入ってからが本格的な勝負だ。夕休過ぎになると、明かりに吸い寄せられる昆虫のように、記者室に人が集まって検討が始まる。

 今年は例年に比べて、人の集まりが少ないように見える。1敗陣の中川、中田宏、屋敷の3人が手厚いので、波乱の目なしと思われているのかも?

 井上-大野戦。大野の四間飛車に対して、井上は居飛車穴熊。これを見た大野も穴熊に入る。しかし開戦後、井上にさばかれて、大野圧倒的不利。自陣飛車を放って必死に防戦したが、好転のきざしがない。

 井上は毎年好成績だが、いつもいいところで脱落している。昨年は最終局の昇級の一番、大ポカで敗れて涙をのんだ。プレッシャーに弱いタイプと見られていたが、今回の将棋は逆転の余地がないだろうというのが、記者室の診断。

 70歳と18歳、現役最年長と最年少の対戦なのが、佐瀬-屋敷戦。佐瀬は序盤、積極的に動く。勝負所では1時間半の長考と、若手顔負けの奮闘ぶり。しかし、大器屋敷の強烈なパンチが炸裂して、形勢は芳しくない。それにもめげず、佐瀬は粘る。

 息の抜けない好勝負を展開しているのが、中川-沼戦。

  ▲2六歩△3四歩▲7六歩△4四歩の出だしは、後手の沼がいわゆるウソ矢倉に誘導しようとしたもの。しかし、矢倉が好きでない中川は、すぐ▲2五歩△3三角と決める。

 矢倉ができなくなった沼は飛車を振るのだが、今度は中川の居飛穴を牽制するために向かい飛車に。

 昇級のかかった勝負とあって、いろいろな思惑がからんだ序盤だ。

 結局、沼は△3二金型の向かい飛車作戦から、△4五歩(1図)と元気よく開戦した。

 2図は夕休に入った局面で、△6六角成の王手に▲7七桂と受けたところ。

 まだまだ難しいながらも、若干後手が指せているのでは、というのが検討陣の意見。

 夕休後まもなく、「指しましたよ。ビックリしたなあ。△2五飛ですよ」と、既に対局が終わっている先崎四段が、指し手を伝えに記者室に入ってきた。

 2図で△4四銀▲7五角成△同馬▲同歩△3八角と飛車をいじめたいというのが、普通の発想。もちろんこれも沼の読み筋で、以下▲2八飛△5六角成▲5七金△2七歩▲5六金△2八歩成▲6六角というような進行に嫌なところがあるので、やめて△2五飛のぶつけを選んだのだ。

 ただ下手すると、△2五飛はいっぺんに負けにしかねない過激な手。

「△2五飛とは、ふるえてないね」

「いや。ふるえまいと意識しすぎて、じっとした手が指せない、逆ふるえがあるんだよ」

 予想と違った展開に、記者室の検討も熱を帯びてきた。進行につれて、沼よしの声が出始めた。

 有力検討陣の青野八段、羽生竜王も同意見なのだが、”私が指せば”という言外の意味が込められている?ので、まだまだ断定できない状況だ。

「沼さんがいいじゃないですか。勝ちですよ」と、対局が終わったばかりの小林宏五段が記者室に入るなり、きっぱりした口調で言った。

 前期のC2最終局、8勝1敗という成績で、勝てば昇級だった沼の前に立ちはだかったのが、小林宏である。14年ぶりに巡ってきたチャンスを打ち砕かれた沼が再び、最終局で望みをかけて戦っている。これが小林にとって嬉しくて声援したかったに違いない。

「こんなチャンス二度とない」と言っていた沼が、続けて昇級に挑んでいる。しかも、いい将棋を指している。記者室のムードは次点バネの沼の肩を持つ声で占められた。

 3図は、7六にいた馬を香で取った局面。

 中川は馬を犠牲に、と金を作って後手玉に迫る。次の一手は当然▲5二と。この時の指し手が難しいと見えた。△同香は寄ってしまうし、手抜きで寄せ合うのは後手足りない。”逆転”かの声があがったが、落ち着いて△5二同金という手があった。▲7一銀と打たれるが、△9三玉と上がって、上部に金が頑張っているので、寄りがない。

 実戦は△9三玉以下、▲2二竜△8六桂▲2五竜△7八桂成▲同金△7七香成▲同銀△9六桂。いよいよ寄せに入った。

 寄せ手順がくまなく調べられる。間違えなければ寄せ切れるという結論が出た。沼にとって幸運なのは、中川が残り2分なのに対して、1時間近くも時間を残していること。

 関西で行われている、中田宏-伊藤博戦の動向が気になるのだが、どうしても関西会館との連絡がとれない。ギャラリーのイライラも増す。

 11時27分、井上勝ち。後はキャンセル待ちだ。

 佐瀬-屋敷戦は、佐瀬が時間いっぱい使って頑張るが、形勢は絶望的。籠城して奮戦する老将を思わせる。

 富岡六段が佐瀬側をもって、しつこく抵抗していたが、サジを投げてしまった。

 11時49分、屋敷勝ち。昇級一番乗りである。必勝になっても、浮ついたところもなく、腰を落として寄せ切った。こういう点が大器と呼ばれる所以であろう。

 0時6分、ヨレながらも沼がゴールイン。この時点で井上の昇級が決定。

 音信不通だった関西会館と連絡がとれた。中田宏優勢だった将棋がもつれて、現在進行中。どちらが勝つか分からないという情報が入る

 中川-沼戦と同じ頃、隣の桐谷-木下戦も終わった。中川-沼戦を取り囲んだ取材陣に、桐谷が他の結果を尋ねたのに対して、「屋敷、井上が決まり、後は中田宏か沼」と手短かの応答。

 中田宏-伊藤博戦にすべてをゆだねることになった沼。次報が入るまでの時間、長い長い時間に感じられたに違いない。

 感想戦の途中で、伊藤博勝ちの報が入った。沼の昇級決定だ。これを伝えても、「ええ!? 本当なの」をくり返し、信じられないといった顔の沼。電話で確認した旨を話しても「ガセネタじゃないの?」と顔のこわばりは消えない。

 選挙の当確情報で、バンザイをした後に、当確が消えた例もあることだし、無理もないところか。また、昇級を逸した中川の無念さを思えば目の前で大喜びもできないのだ。

 それでも、次第にこわばりもほぐれて、笑みが洩れる。信じられる頭の状態になったようだ。

 前期の最終局の光景がオーバーラップしてきた。

 将棋会館飛燕の間―全く同じ場所に沼は座っていた。背を丸め、口をとがらせ、泣き出しそうにも見える顔で感想戦をやっていた。

 前には対照的にピンと背筋を伸ばした、小林宏がいた。そういえば、沼の隣には、今日と同じように桐谷がいた。その前に座っていたのは中川だ。中川は桐谷に勝って、新参加の順位戦で8勝目をあげたところだった。順位を上げて、来期こそはと夢をふくらませていたろう。

 今年も何か同じような顔と場面だ。しかし、配役が違う。昨年脇役に甘んじた男がついに主役の座を射止めた。

 今期は、井上、沼という、前期泣きを見た二人が上がった。一方では屋敷のようにノンストップで飛ばしていく者がいると思えば、沼のように15年ぶり、40歳で初のC級1組という珍しい例も起こる。

 いろいろなドラマを秘めた勝負の一つ一つ。今期も560個の白黒の星が全部表に埋まった。

 昇級した沼、屋敷に、日浦、先崎と加わって、数人でささやかな打ち上げをやるために外に出た。

 うまそうにビールを飲み干し、バカッ話に興じていた沼だが、突然しんみりした口調で「2月末に亡くなったオヤジが、一昨晩、夢の中に出てきたんだ。励ましてくれているような気がしたよ。昨晩は出てこなかった。きっと眠れなくしては、と思ったんだろうね」。はっとして顔を見ると、目が潤んでいた。

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「佐瀬-屋敷戦は、佐瀬が時間いっぱい使って頑張るが、形勢は絶望的。籠城して奮戦する老将を思わせる」

弟子、孫弟子の援護射撃のために奮闘する和服姿の佐瀬勇次八段に、心打たれる。

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「有力検討陣の青野八段、羽生竜王も同意見なのだが、”私が指せば”という言外の意味が込められている?ので、まだまだ断定できない状況だ」

ハッとさせられる視点。

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「前期のC2最終局、8勝1敗という成績で、勝てば昇級だった沼の前に立ちはだかったのが、小林宏である。14年ぶりに巡ってきたチャンスを打ち砕かれた沼が再び、最終局で望みをかけて戦っている。これが小林にとって嬉しくて声援したかったに違いない」

昨日も登場した小林宏五段(当時)。今日も清々しい。

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「2月末に亡くなったオヤジが、一昨晩、夢の中に出てきたんだ。励ましてくれているような気がしたよ。昨晩は出てこなかった。きっと眠れなくしては、と思ったんだろうね」

苦労人の沼春雄七段。

佐瀬勇次名誉九段が亡くなって以降、沼春雄六段(当時)が木村一基三段(当時)の師匠代わりだった。

木村三段が三段リーグ最終戦に敗れて昇段を逃したとき、沼六段と飲みながら泣いている。

1996年三段リーグ最終局

木村一基四段(当時)「あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない」