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升田流新手と大山流新手

近代将棋1982年12月号、小林勝さんの「棋界パトロール 新手」より。

新手一生

 将棋の戦術は、これまで幾多の新手が出現するごとに大きな変貌を見せてきている。その歴史の中で忘れてはならぬ棋士は何と言っても升田幸三九段であろう。そのたぐいまれなき腕力を武器とし、卓抜した構想力で、それまで”位”や”模様”を大事とした時代に”速度”の重要性を前面に打ち出した升田九段。今、思い起こすままに九段の新戦法・新構想・新手の数々を上げてみても、

  1. 升田式早石田
  2. 振り飛車△6五銀戦法
  3. 急戦矢倉
  4. 腰掛け銀・駅馬車定跡

………等々がある。

1では、プロ間では斜陽戦法となっていた急戦早石田に独自の強烈なサバキをもって新しい息吹を吹き込んだ。

2は、受け身がちな振り飛車を持って、4三の銀(後手番の場合。先番なら6七の銀)を単騎5四~6五と繰り出して敵玉頭にユサブリをかけ、この応対で居飛車陣が凝り形になるのを見すまして△2二飛~△2四歩とかさにかかって行くもの。

3は、銀矢倉全盛の頃、囲いの完成と角の転換が早い金矢倉を用い、棒銀などの急戦にでて、当たるを幸い敵の矢倉城を粉砕してしまった。

4は、角換り相腰掛け銀戦法において、元来、敵からの攻めを牽制する役目の4六角を▲3五歩の一歩交換から▲3六金と進出するために一役かわせ、以下、一気呵成に敵の本丸に手を染めて行く。

 これらの新戦法(新手)の数と質の高さを考えてみれば、新手一生を旗印に「将棋は芸術だ」と言ってはばからなかったのも当然といえよう。升田九段は現役を退ぞいたが、升田将棋は現代将棋の中に脈々と生き続けている。九段の創案になる矢倉における雀刺し戦法(第2図)などは現象的に見て、最も分かり易い例であろうか。

 2図以下の攻法は読者の皆さんにあっては常識かと思われるが、一例を上げれば▲2五桂△2四銀▲1三桂成△同銀▲1四歩△2四銀▲2五歩△同銀▲1三歩成にて先手必勝である。現在のプロ対プロの戦いでは、後手側はこういうヒドイ目に会わぬよう前もって工夫をこらし、そこから駒組み戦なり中盤の戦闘へと局面が流れていくわけだが、それにしても、その破壊力はもの凄い。

 しかし、升田将棋の凄さというか恐ろしさは、こうした破壊力にあるのではなく、それが多分に予告的なものであるというところにある。剣道に例えてみれば、百メートル(ちと大げさか)も向こうから、剣を大上段に振りかざし、イザとばかり升田九段は打ち込んで来る。相手は当然それと気づき、百メートルの間に対策を立てようとする。『どうしよう……正面から立ち向かうか、そう見せて体をひらいて一度イナしてから切りつけるか、それとも三十六計とばかり逃げてしまうか……』しかし、結局、そういったことは全く意味なく升田九段に斬られてしまう。それが恐い。居合などで何くわぬ顔をして敵に近づきハッと断る、なんていうのではないところが凄いのである。

 単発の”手”ではない大きな流れの中での構想力、新構想こそが升田将棋の真骨頂である。

受動的な新手

通算18期名人位に就いた大名人・大山康晴十五世も定跡を変えてきた人として忘れてはなるまい。大山将棋は勝負にカラく、勝負師として実利を取った人である。平たく言えば”内容より勝ち負け”といった印象が強い。だから升田九段に較べて大したことがないかというと、それは違う。

 3図をごらん願いたい。今となってはアマチュアの有段者氏なら誰でも知っている四間飛車側4一飛・1三香の陣立て。これは大山十五世名人の手になるものである。この駒組みが現われる以前は、振り飛車側が4二飛・1一香のままでノンビリ構えていたものだから居飛車側から▲4五歩と仕掛けられ、以下△同歩▲同桂△4四角▲2四歩といとも簡単に先手良しとなっていた。ところが、2図での▲4五歩は△同歩▲同桂△5一角で居飛車の攻めはカラ振りになることはご存知の通りである。

 大山十五世名人の新陣立ては、居飛車の5筋位取り戦法にあって青息吐息の振り飛車に活を与えた。振り飛車もなかなかイケルじゃないか、と、プロ棋士全体を見直させた。大いに攻撃的である升田九段の新手・新構想に較べて非常に地味であり、大向こうを唸らせるようなハデさはほとんどないけれど、4一飛・1三香は将棋の定跡史の中で大きな意義のある新手であった。振り飛車は息を吹き返し、今日の全盛を迎えたのである。

 大山新手の特長は、すべからく、相手の動き・意志(次にこう攻めるぞ………)に対するものであるというところにある。それは受け身であり、自らの意志を通すよりも、相手の意志をまず容認する。これは少なくともアマにとって面白いことではない。”受ける”からウケない。言葉の遊びではないが、要するにそういうことなのであって、新手の数と質において、十五世名人の名をそこなうようなことは微塵もないのである。

 新手の例が一つだけでは納得がゆかぬ攻撃派もおられようからもう一つ。4図をごらん下さい。

 図の△3一金(3二の金を引いたもの)が大山新手である。この手の意味は、先手の▲3五歩△同歩▲同飛に△3二飛と回る手を作ったものだが、この手の出現により今まで、容易に3筋で一歩持って攻勢を取ることができた3八飛戦法の利がなくなり、振り飛車陣を攻略することが難しくなったのである。

 参考までに、4図以下▲3五歩△同歩▲同飛△3二飛▲3八飛(▲3六飛もある)は振り飛車側から△2二角や△4五歩の手段があって居飛車容易でない。

(以下略)

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升田幸三実力制第四代名人の新手・新戦法は、ここに書かれている以外にも、

  • 升田式ひねり飛車(升田式九間飛車を含む)
  • 対居飛車左美濃
  • タコ金戦法
  • 棒銀で△5四角に対する▲3八角
  • 升田流向かい飛車

などがある。

升田新手、新戦法は、当時のB級1組の七段が対局相手の時に初登場することが多かったという。

ただ、棒銀▲3八角のように、大山康晴十五世名人とのタイトル戦の舞台で初登場した新手もある。

「升田新手の被害者第一号にはB級1組の七段あたりがよく選ばれていた」

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大山十五世名人の新手は、振り飛車の日常の中に溶け込んでいるものが多い。

升田流は非日常、大山流は日常、それぞれの新手にはそのような違いもあるかもしれない。

非日常的な雰囲気が漂っているから、升田新手の人気が高いとも考えられる。

 

「アレ?私はまだ王将じゃなかった」

近代将棋1983年5月号、スポーツニッポン新聞社の松村久記者の「第32期王将戦 王将交代劇に見た”底知れぬ恐ろしさ” 米長新王将誕生」より。

 挑戦者米長邦雄棋王が3勝1敗と大山康晴王将をカド番に追い込んで迎えた第32期王将戦七番勝負第5局は、3月3日、4日、横浜市磯子区の横浜プリンスホテルで行われた。米長、絶対優勢だが、大山は前期、中原誠名人(当時)の挑戦を受けて、やはり第5局を1勝3敗のカド番で迎えて快勝、その後千日手局もはさんで4勝3敗の大逆転防衛劇を演じた実績がある。勝負の流れは、この一局でどう変わるかはわからない。ともに負けられぬ心境で臨んだことだろう。

 しかし、2日夕刻、ほぼ同時刻に横浜プリンスホテル入りした二人は、いつもと同じリラックスムード。地元横浜在住の作家、斎藤栄さんのアイデアで、前夜祭に神奈川県の日本酒「王将」(小田原市)が卓上を飾った。大山は「全国歩いたけど、王将というお酒は初めて。小田原にあったとはねェ」とご機嫌だし、米長も「どれどれちょっと味見を」と杯を出しながら「アレ?私はまだ王将じゃなかった。今度は是非”棋王”という酒を造ってもらわなくちゃ……」と軽口を叩いていた。

(以下略)

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相手をカド番に追い込んでいる状況での「アレ?私はまだ王将じゃなかった」は米長流の挑発。

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年が明けての王将戦七番勝負、挑戦者が渡辺明棋王なので、構造的には「アレ?私はまだ王将じゃなかった。今度は是非”棋王”という酒を造ってもらわなくちゃ……」と同じことを言うことができる環境。

もちろん、酒ではなく、「アレ?私はまだ王将じゃなかった。今度は是非”棋王”という餃子を造ってもらわなくちゃ……」でも良くて、これは栃木県で行われる第3局の前夜祭にはピッタリと考えられるが、当然のことながら実現される可能性は非常に低いと思う。

 

右香落ちが指されなくなった理由

近代将棋1983年5月号、松田茂役九段の「質問箱」より。

右香落の定跡はないのか

Q.拝啓、昔は右香落ちが指されていましたが、現在はなぜ指されなくなったのですか。また他の駒落ちは、ある程度まで定跡化されていますが、右香落ちの定跡はないのですか、ありましたら手順等よろしくお願いいたします。(宇都宮市 Nさん)

A.右香落は、地味な一本道のいつも同型になりやすい将棋に展開するので玄人好みはしたが、一般受けしなかった。

 同じ香落でも左香落の方はすごく面白い変化が続出するので、一般ファンに喜ばれました。その為に次第に左香落の影に隠れて、ついに忘れられたのです。

 右香落の定跡としては、天野宗歩(天保弘化のころの名棋士)のあらわした将棋精選に

右香落下手方▲6六角上がり
△8四歩▲7六歩△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△6二銀▲9六歩(4図)

と紹介されています(現代風に書き直しました)。

4図以下の指し手
△4四歩▲9五歩△8四飛▲6六角△5四飛▲7七銀△6四歩▲5六歩△同飛▲5八飛△同飛成▲同金右(5図)

 となって「飛の打ある故下手方甚よろし」と13字だけ解説されています。

 現代の将棋本と違って昔の本は手順のみで簡単な解説でした。

 尚、天野宗歩は角交換して6図のように展開したら、▲9四歩△同歩▲6一角と打って、以下「下手方少々手落ありても持将棋には慥かになる」と解説しています。

「たしかになる」というのは負けのない将棋だという意味かと思います。

 大橋宗英(天野宗歩クラスの幕末の天才)の書いた将棋早指南という棋書にも

△8四歩▲7六歩△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△4四歩▲9六歩△6二銀▲9五歩△8四飛▲6六角△7四飛▲7七銀△6四歩▲8六歩△同歩▲8八飛△6五歩▲7五角△7二金▲8六飛△8三歩▲9四歩△同歩▲9二歩(7図)となって、「下手方よろし」と5字で講評しています。

 明治時代に新聞将棋が始まったとき、新聞社としては有名大家同士の平手戦を要求したわけですが、棋士が少なかった為に駒落も掲載され、そうなると、香落は面白い左香で十分間に合い右香落はますます影が薄くなりました。

 以来、左香のみもてはやされたわけで、有段者のあいだでは、まず左香落を指して、上手が負けたら平手を指すという”香落次第”というのが通例でした。

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「同じ香落でも左香落の方はすごく面白い変化が続出するので、一般ファンに喜ばれました」

左香落上手は振り飛車。多くの場合は居飛車対振り飛車の対抗形、関西では相振り飛車も指されていた。

昔から、アマチュアには振り飛車が好まれる傾向があったということになるのだろう。

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「飛の打ある故下手方甚よろし」

「下手方少々手落ありても持将棋には慥かになる」

江戸時代の解説もなかなか味がある。

 

定跡を信用しない「創造派の三強」

将棋世界2002年4月号、島朗八段(当時)の「やさしい序盤ストラテジー」より。

 ちょうど竜王戦七番勝負が始まり、東京の第1局で立会人の中田宏樹七段と一日目に横歩取りの話をした(私はNHK解説で昼間そんな余裕があった)。中田さんは読みの深さでいえば、私たちの年代では間違いなくトップクラスだ。また、自力真っ向勝負を身上としているため、定跡を信用しないことでは定評のある郷田棋聖、山崎五段と並ぶ「創造派の三強」と呼ばれている(私の中だけで)。そんな中田さんも最近は他の人の将棋も並べる勉強法を取り入れられたそうだ。この話を聞いた佐藤康光さんが「それは鬼に金棒ですね」と恐れているくらい、中田将棋は専門家間でとても評価が高い。

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郷田真隆九段、山崎隆之八段、中田宏樹八段、それぞれ棋風は異なるが、定跡やそれまでの成功例・失敗例を鵜呑みにすることなく、自ら道を切り開くスタイルであることが共通しているということだ。

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中田宏樹八段の将棋について、福崎文吾八段(当時)が絶妙なたとえ話で語っている。

福崎文吾八段(当時)によるユニークな棋士紹介(後編)

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郷田真隆九段、山崎隆之八段、中田宏樹八段、それぞれ若い頃はプリンス、王子、デビルと呼ばれていた。

ドラゴンクエストなどのロールプレイングゲームの世界の雰囲気が漂う。