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NHK将棋講座2018年11月号「佐々木慎六段-佐藤天彦名人戦」観戦記

今日は、NHK将棋講座最新号の発売日。

◯表紙は豊島将之二冠のイラスト。

○深浦康市九段の講座「振り飛車なんてこわくない」、11月のテーマは「三間飛車のさばきを封じよう」。▲3七桂~▲4五歩の急戦の仕掛けを網羅した解説。三間飛車党の方にとっては、誰にも読んでほしくないと思うほど、様々な形の三間飛車が居飛車に粉砕されている。「康市のひとりごと」がとても良い。

◯後藤元気さんの「渋谷系日誌」は、安用寺孝功六段の自戦記、菅井竜也王位-糸谷哲郎八段戦終了後の昼食の様子、後藤さんが阿久津主税八段邸へ遊びに行った時の話、読者からの手紙、佐々木慎六段-佐藤天彦名人戦終了後に飲みに行くことになった経緯のようなこと、宮田敦史七段と藤井聡太七段と詰将棋の話など盛り沢山。

○段・級位認定 次の一手問題

○将棋連盟からのお知らせ

○女流棋士会からのお知らせ

○日本女子プロ将棋協会からのお知らせ

○「重箱のスミ」クイズ

○テキスト感想戦

○付録は、「阿部健治郎の囲い最前線 相居飛車編②角換わり」。相手の動きをよく見ないで駒組みをすると失敗する実例をもとにしながら、角換わりの指し方を理解する。コンパクトにまとまっているので、短い時間で効率よく角換わりの変化を勉強できる。

〔NHK杯戦観戦記〕

◯2回戦第3局 安用寺孝功六段-広瀬章人八段

「再びこの舞台で」 自戦記:安用寺孝功六段

◯2回戦第4局 羽生善治竜王-高野智史四段

「貫禄の羽生新手」 観戦記:鈴木宏彦さん

◯2回戦第5局 糸谷哲郎八段-菅井竜也王位

「棋士が将棋を指す意味」 観戦記:小島渉さん

◯2回戦第6局 佐々木慎六段-佐藤天彦名人

「最後まで利いた筋違い角」 観戦記:私


今月号には私が書いた観戦記(佐々木慎六段-佐藤天彦名人戦)が掲載されています。

この対局よりも前に行われた叡王戦・鈴木大介九段-郷田真隆九段戦(郷田九段が勝ち)と同じ局面が出現。佐藤天彦名人も佐々木慎六段もこの一局をそれぞれ研究していましたが、佐藤名人が「この局面になったらやってみるつもりでした」と、郷田九段が指した手とは違う研究手が指されました。

解説は広瀬章人八段。この対局の勝者と広瀬八段が3回戦で戦うという珍しいケース。

対局前の控え室でのこと、収録後の感想戦で現れた変化、後日の話、佐々木六段の奥様、愛猫「けいちゃん」のことなど、テレビには映らなかったエピソードも盛り込んでいます。

NHK将棋講座2018年11月号、ぜひご覧ください。

 

NHK将棋講座 2018年 11 月号 [雑誌]

 

福崎文吾八段(当時)によるユニークな棋士紹介(後編)

将棋世界2005年6月号~11月号、福崎文吾八段(当時)の「関西将棋レポート」より。

 杉本昌隆六段は振り飛車党で、息の長い戦いが得意だ。誠実な人柄でおしゃれである。独身時代は家の中の所々にブラシを配置し、ヘアーメイクを怠ることがなかった。杉本「いつでも整えられるので便利です」とニッコリ。(10月号)

 杉本六段はファンタジーにたとえるとヒーラー(癒やし手)だ。その人当たりは関西でも随一で、私は元気がない時はまず彼に話しかける事にしている。振り飛車党で作戦勝ちが得意だ。(11月号)

 増田五段は森信雄門下で、村山聖亡き後の筆頭弟子。そのせいか男前である。神吉さんは「謎のイラン人」と呼んでいたが…。(瞳が大きくまゆげが太いの意)(9月号)

 増田五段はファンタジーではドワーフの戦士となる(強靭な肉体と必殺の武器を持っている)関ヶ原の戦いの真田昌幸のような雰囲気を持った棋士で、軍師タイプといえよう。(11月号)

 小阪七段はいわゆる神戸組の棋士。神戸組とは、藤内一門や、神戸方面在住で大御所の内藤九段が大好きな棋士のこと。小阪七段は捌きのスペシャリストで、きっとゲームソフトの倉庫番もうまいと思う。(7月号)

 矢倉規広五段は、あの有名な烏天狗こと燻し銀の桐山清澄九段の弟子である。規広さんはピュアな棋士で、無欲無心だ。だがギャンブルが大好きでよく熱くなったりする。それでいて顔は何かキョトンとしており、ほのぼのとしている。(10月号)

 対する中田宏樹七段は陽気な桜井昇八段の門下。棋風は危ない橋を渡る…それもハダシで、という感じだ。特に将棋観はユニークだ。ある日子供がドロだらけになって遊びから帰ってきた。ママ「またドロだらけになったの。新しい服を着たばかりなのに」と悲しい顔。だがその子の顔は晴れやかだった。無心に遊べた事に満足だった。中田七段は、紙一重のぎりぎりの受けが得意だ。常にみずからの可能性を試している。勇者といえよう。(11月号)

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昨日がシミュレーションゲーム系なら、今日はロールプレイングゲーム系。

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だからといって中田宏樹七段(当時)がデビル(中田宏樹八段の久賀市からのあだ名)とならないところが、福崎文吾八段(当時)の秀逸な芸。

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以前、次のような記事を書いている。

中村太地王座、斎藤慎太郎七段など、現代はこの頃に比べて勇者キャラクターの棋士が増えていると思う。

棋士をドラクエキャラクターに例えると・・・

 

福崎文吾八段(当時)によるユニークな棋士紹介(前編)

将棋世界2005年6月号~11月号、福崎文吾八段(当時)の「関西将棋レポート」より。

 井上八段は戦略家で、横歩取りや相掛かりの手将棋を得意にされている。(6月号)

 井上慶太八段は関西棋士の人望が厚く、おもしろい人柄だ。C級の時に昇級の一番を逃して泣いたが、兄弟子の谷川浩司さんから「その努力は報われる。何も無駄な事はない。 谷川浩司」という手紙をもらいその後立ち直りA級までかけ上がった人だ。(10月号)

 畠山鎮六段はいつも剣豪のような雰囲気を持った棋士で、名前は鎮(まもる)でも棋風は攻めの構想に威力を発揮することが多いようだ。(6月号)

 畠山鎮六段は森安正幸六段の弟子である。正幸先生は温厚篤実で、とてもやさしい方だ。鎮さんは細木数子のズバリ言うわよではないけど、ハッキリした所が多く、風貌はサムライのようだ。ちなみに阿部隆八段は新選組の隊長の雰囲気を持っている。(10月号)

 有吉九段は火の玉流と呼ばれる強烈な攻め将棋でありながら、「真剣白刃取り」とも呼ばれている。これは武術の言葉で、その意味は抜き身の刀を素手で受け止める技のこと。(6月号)

 酒井六段はやはり神戸組で人柄も将棋もサラリとしている。また、気がつきにくい手筋を発見するのが得意だ。(7月号)

 西川七段は私と奨励会が同期で、そのせいか初めて会った時から今まで年をとっていない、と思う。(8月号)

 西川七段は私と奨励会が同期だ。さらに同じ12月16日生まれの射手座。なぜか歳は私が2つ上だ。棋風は居飛車党で筋の良い攻めと味の良い受けが得意。佐々木成政の鉄砲隊のような雰囲気を持った棋士だ。ちなみに御子息の和宏君は奨励会の1級で、振り飛車穴熊が得意だ。(11月号)

 対する畠山成幸七段は最近英会話カフェを開設したそうだ。外国の友達が多く、異色の棋士だ。前に成幸さんから市川猿之助主演のスーパー歌舞伎の券をもらい、いっしょに見た。内容は三国志の軍師・孔明編だった。私は感動のあまり途中から涙が止まらなくなってしまった。こんなことはタイタニック以来だ。成幸七段の棋風は振り飛車党で、先日、創元社から「角交換振り飛車」(ネット将棋で流行の戦法)という本を発売された。おもしろいから、ぜひ買ってください。(11月号)

 浦野七段は最近「5手詰ハンドブック」と「3手詰ハンドブック」と詰将棋の本を立て続けに出した。(どちらも日本将棋連盟刊)私の教室であまりやる気のなかった少年が俄然興味を持ったのが「3手詰ハンドブック」だった。浦野七段は詰将棋界最高の賞である看寿賞を受賞されている。それでいて一度も誇る事もなく透明な人柄で、まるで三国志の軍師・諸葛亮孔明のようだ。(9月号)

 対する平藤六段は角換わりの将棋が得意で、繊細で微妙なキカシを得意にしている。また理論と感性がマッチしている。(10月号)

 私がもっともいっしょに遊んだ棋士といえば、まっさきに浮かぶのが南芳一さんだ。若い時は私の家に時々泊まり、私の家から対局に出かけたりしたこともある。ある時、南さんが何か元気がないと思って熱を計ったら39度5分もある。その時、平藤さんと南さんと私でパソコンの三国志をしていたのだが、2人に説得され南さんは渋々帰っていった。また南さんは手品師にもなりたかった事がある。彼の話術は巧みで、私はよく大笑いしたものだ。(10月号)

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福崎文吾九段は、日本国内で個人用パソコンが出始めた1983年頃からパソコンで「三国志」や「信長の野望」などのゲームを楽しんでいた。

福崎文吾七段(当時)と百貨店

棋士の紹介に三国志や戦国時代などの武将の名前が出てくるのは、そういう意味では福崎九段のお家芸だろう。

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「細木数子のズバリ言うわよ」は、2004年8月から2008年3月まで放送されていたTBS系の人生相談バラエティ番組。正式な番組名は『ズバリ言うわよ!』。

細木数子さんが大人気の頃。

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今日の17:50から、ニコ生で、福崎文吾九段と糸谷哲郎八段が『信長の野望』を実況プレイするという番組が放送される。

ゲームの進行もさることながら、二人の会話が最も興味深いのではないだろうか。

【盤外企画】福崎文吾九段・糸谷哲郎八段が『信長の野望』を実況プレイ(ニコ生)

今日は武士系、三国志系を中心としたが、明日はもっとユニークな棋士紹介が現れる。

 

先崎学八段(当時)の絶妙な楽屋落ち

将棋世界2003年6月号、7月号、先崎学八段(当時)の「駒落ちのはなし」より。

 いくら「丸投げ」から始まった連載とはいえ、校了まで2週間を切っているのに丸投げのままなのである。先崎学が無責任な人間ならば、このページは白紙のまま発売されていたであろう。

 だいたいにおいて、今からすぐ人を集めるなんて無理が利くわけがない。なにしろ2、3日しか猶予がないのである。

 どうしようと悩んでいた時、私の頭に電流が走った。日本で一番無理が利く人種を思い出したのである。

 雑誌編集者だ。作家のためならどんな不可能でも可能にする。作家が白いといえばカラスも白い、そういう世界に生きている人達ならば、急遽集まってくれるかもしれない。

 もちろん私は大作家ではないから私が白いといってもカラスは黒いし、そうそう無理をいうわけにはいかない。とはいえ、ことは将棋だ。将棋に関することで、私が将棋ファンの彼らに声をかけるのだ。出版社の編集者といえども将棋を前にすれば、将棋オタクである。ということは、こと将棋に関しては私は大作家のようなものではないか。

 なんかちょっと違う気もするが、そんなこんなで、我々は出版業界の方に無理をいって、日時をセッティングした。

(中略)

 というわけで、当日は8人の人に集まってもらった。この人達は、私が日頃からお世話になっている人、よく酒を飲んでいる人、仕事上お世話になっている人などである。まあこの3つは境目があってないようなもので、つまりは原稿と将棋と酒の三種混合デスマッチを戦っているような関係である。

(中略)

 決戦は4月7日。場所は大塚の寿司屋「咲屋敷」。ここのご主人は大の将棋ファンで、講談社御用達の店である。

(中略)

Round2 下手 グラドル岡

 さて、二番手。本日紅一点のグラドル岡嬢(24レーティング520点)である。グラドルとはグラビアアイドルのことだ。岡嬢になぜこの名前がつくかというと、本誌のグラビアに登場したことがあるという、ただそれだけなのである。実はこの原稿を書くにあたり、グラドル岡だけニックネームが決まらなかった。そこで岡嬢をよく知る人物に相談すると、ボンレス岡というのはどうやといわれたのだが、私にも武士の情けはある。将棋世界のグラビアといえども立派なグラビアで、そこに載れば(しかもカラーだった)まあ心を思いっきり広くしてお釈迦様のような目で見れば、グラドルといえなくもない。

 グラドル岡嬢は、4五歩位取りから二歩突っ切りをやってきた。ふむふむ、この連載を読んできてくれているな。私はちょっぴり嬉しくなった。

(中略)

 ▲7三歩の瞬間、ギャラリーからため息が洩れる。まず、この後に登場する高沢推理虫が深いため息をつく。すると、つられて皆ため息が出る。一番の強者がつくため息に、ほかのため息が重なるのがおもしろい。

 グラドル岡嬢もその気配を察したらしく「あれーっ私やっちゃったのぉ……あーごめんなさい」と動揺の色を隠すことができない。「でも、うん、頑張らなきゃ」。将棋を指す女性特有の、こうした可愛らしさと男っぽいさばさばした両面が、私は好きである。キャッキャッとはしゃいでキリッとしまる、グラドルの面目躍如といったところだ(岡嬢、これはイヤミではないよ)。

 この将棋は、ここで大差になってしまった。

(中略)

 グラドル岡嬢、惜しくも敗退。小さな写真でグラビアアイドルとからかわれたのが不本意だったのか、こうなったら次はバニーガール姿で将棋世界のグラビアに出る(内輪のパーティーでホントにバニー姿になった前科あり)と息巻いているが、その日は将棋界が終わる日である。

Round3 下手 高沢推理虫

 ここまでは24のレーティングを見てもお分かりの通り、私にとって比較的楽な相手であった。これはイカン。先崎をこのまま調子づかせるなということで、送り込まれた刺客が、本日の最強者、高沢推理虫(24レーティング2100点)である。本職は新潮社の小説誌の編集をしているのだが、かたわらでミステリーの評論もしており、ミステリー好きの私にとっては雲の上の人なのである。棋風は新潮社の名に恥じない慎重な将棋である。そういえば、新潮社の人は皆そうだ。偶然とはいえおもしろいものである(かといって講談社の人が高段者だとは限らない。すみません、長々とくだらないダジャレで)。東大将棋部出身、まあはっきりいって四枚落ちでは手合違いだ。

(中略)

Round4 下手 今泉亭詰吉

 次のチャレンジャーは、当日のアル中予備軍の集団の中にあって最もアル中に近いという今泉亭詰吉氏(24レーティング1812点)であった。「いやぁ、こないだ大崎さん(いわずと知れた元本誌編集長。作家。高橋和さんをさらって世間をアッといわせた。アル中)と朝の8時まで飲んじゃいましてねえ」などと平気でいうヒトである。

 氏は大の落語好きにして詰将棋マニアである。シブイ趣味である。これでアル中でなければ風流人なのだが、惜しむらくはアル中なのである。

 今泉亭詰吉氏は、文藝春秋から私が出した名著(誰もいってくれないから自分でいうのである)『浮いたり沈んだり』の編集担当者である。

 小学生の頃から強豪として大会に出ていたらしく、羽生、森内、そして私などとも大会で顔を合わせているのが自慢なのだ。

 月日は流れ、あれからはや20年。片や文藝春秋の編集者、そして片や将棋指し。そのふたりが本を作るのだからおもしろいものである。

(中略)

Round5 下手 山岸金曜日

 5人目は山岸金曜日氏(24レーティング1723点)。金曜日というのは妙な名前だが、講談社から出している雑誌の日本語読みである。氏はそこの机であるらしい。机といっても椅子はない。金曜日の机(デスク)なのである。金曜日というのは、あらゆる芸能人、政治家、スポーツ選手から蛇蝎のように嫌われている雑誌で、そこの机である氏はというと、すべての有名人に嫌われる存在なのである。最近は『島ノート』を売りまくって鼻高々で「俺はこれから将棋の本を作って生きる」と口癖のようにいっているが、その夢が現実となった日には、永田町と東京ドームのベンチ裏では拍手がおきるであろう。

 もっとも本人は意外な好人物で、金曜日の机という肩書からは信じられないくらい、誰にでも愛される人である。ただしアル中である。それとなぜか、中井広恵さんの大ファンなのである。本人曰く「世の中のどんな女性よりも美しい。中井さんのためなら人生捧げます」。単なるファンというなら分かるが、ここまでいわれると、金曜日のカラーグラビア写真の見過ぎの反動としか思えない。

(中略)

Round7 下手 ジャックダニエル矢吹氏

神の登場に場内はどよめく。

「おお神だ」「神が来た」

 神は成績表を一瞥して「なんだ山岸、お前ホントに勝ったのか。今泉、だらしないな」と威厳のある声で周りの人間にことばをかける。

 ジャックダニエル矢吹。講談社の彼は、よく分からないがそこそこ偉い人で、名著(二冊ともエライ賞を取ったらしいからこういうのである)『聖の青春』『将棋の子』の編集担当者でもある。村山聖という人間がいなかったらもちろん『聖の青春』はなかった。大崎善生という人間がいなくてもなかった。しかし、このジャックダニエル矢吹氏がいなくてもあの本は世に出なかったのである。そんなスゴイ人なのだが、なぜか社内では最近ダニエル矢吹と呼ばれているらしい。どこからどう見ても日本男児の氏がなんでダニエルなのかさっぱり分からないが、ダニエルといえば、やはりジャックダニエルではないだろうか、ということなのである。

 ジャックダニエル矢吹氏がなぜ四枚落ちの神様なのか。それはひとえに氏のプロとの対戦数の多さからくる。

 四枚落ちの下手だけで100局以上!これほど恵まれたアマチュアは外にはいるまい。とにかく、棋士を見つけては四枚落ちの対戦をせがむ。棋士も『聖の青春』のいきさつは知っているからまあ一局となる。

 そして成績は……まあ3割ぐらいの勝率らしい。しかし、これだけ指すと四枚落ちの戦法は、ありとあらゆるものを試したらしいのである。そして「神」と呼ばれるまでになったのだ。

 ところが神様、遅れて来た時からちょっと酔っていた。社内でダニエルと呼ばれるのはやはりストレスが溜まるのだろうか、とにかくヘロヘロなのであった。

 第16図は出だしの局面。

(中略)

 以下はボロボロになってしまったので、神様を汚す棋譜は載せずにおく。局後もさらに酔っ払いながら、ジャックダニエル矢吹氏は熱く四枚落ちを語るのであった。今、日本で一番四枚落ちに熱い男は、こうしてアルコールの海に沈没した。

(以下略)

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テレビディレクター、新潮社編集者、文藝春秋編集者、講談社編集者の方々。

このメンバーは、今はなくなった新宿の酒場「あり」の常連。

先崎学八段(当時)は講談社将棋部の師範だった。

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「岡嬢になぜこの名前がつくかというと、本誌のグラビアに登場したことがあるという」

このグラビアとは、女流アマ名人戦の出場メンバー紹介のページでのこと。

テレビ番組制作ディレクターの岡美穂さんは、それとは別に、将棋世界2001年9月号に随筆を書いている。

「この間、トイレで○○三段が”たのむ、俺を殺してくれ”って言うんですよ。わかりますか。俺たち、命かけてるんです」

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「内輪のパーティーでホントにバニー姿になった前科あり」

これは岡さんの「二度目の成人式」パーティーでのこと。私も出席していたが、本当にビックリした。

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山岸金曜日である山岸浩史さん。

山岸さんは将棋に関して数々の名記事を書いているが、その中でも代表的なのが、将棋世界に連載していた「盤上のトリビア」。

伝説の名作「盤上のトリビア」

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ジャックダニエル矢吹こと矢吹俊吉さんは『聖の青春』『将棋の子』『あっと驚く三手詰』などの編集担当者。

『聖の青春』担当編集者の随筆

「なんだ山岸、お前ホントに勝ったのか。今泉、だらしないな」など、いかにも矢吹さんが言いそうな台詞で、可笑しい。

 

大友昇八段(当時)「こんな状態では将棋は指せぬ。引退する」

将棋マガジン1984年4月号、清水孝晏さんの「思い出の棋士たち」より。

大友昇八段

 直情型の棋士である。B1に降級した直後に十二指腸潰瘍で入院、退院、また入院を繰り返していたが「こんな状態では将棋は指せぬ。引退する」といいだした。私などは「まだ若いのだから2、3年くらいすぐ経ってしまうから辛抱したら」と止めたのだが、彼氏の性格で思い込んだら命がけ、ついに引退を決めてしまったのである。彼との出会いは昭和25年のアマ名人戦にはじまり、プロになって大阪新聞の東西勝継ぎ戦で14連勝の取材から親しくなり、そのころ誕生した東洋工業の600ccクーペで東京から仙台まで6時間で突っ走るという快挙を為し遂げたこともある。が、帰りは恐ろしくなり私は汽車にしたが、まだ自動車が少ない頃に運転免許をとっていたのだから異色の棋士といえよう。

 14連勝もさることながら、彼を檜舞台に送り出したのは昭和33年の早指し王位戦(三番勝負)の挑戦者になり、大山王位を向こうに回し堂々と渡り合ったことであろう。結果は善戦した第1局を失ったためか2連敗におわったが、五段での活躍は大友昇の名をあげた。

 この早指し王位戦は各3時間という短時間制をとったおもしろい棋戦であったが、大友五段のあといくばくもなく発展的解消をとげた。

(中略)

 引退後の大友さんは西武線の練馬駅前に道場を開いていたが、健康の回復とともに無性に将棋が指したくなったのであろう。いま将棋ジャーナルのアマ・プロ平手24番勝負を続行中。

 やはり将棋は好きなんですね。大いに声援をおくりたい。

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大友昇九段は森雞二九段と郷田真隆九段の師匠。

1968年にA級に昇級してA級には1年在籍。

1972年、B級1組のまま40歳で引退している。

劇的な人生だったのだろう。団鬼六さんが大友昇九段を主人公にした小説を書きたがっていたほどだ。

明日も大友昇九段のエピソード。

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1996年、森雞二九段A級復帰・郷田真隆六段昇段(五段→六段)祝賀会。新宿の中国料理店にて。真ん中が大友昇九段。近代将棋1996年8月号、撮影は弦巻勝さん。