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先崎学五段(当時)「この手が見えぬようではA級に上がる資格がない」

将棋マガジン1991年4月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 大広間では、森(雞)-田中(寅)戦と、吉田-前田戦(ともに順位戦)がおもしろい形。歩得をした田中が肩を怒らせている。森はいない。そこへ石田が来た。思いここにあらずの顔。それを見て、

「さあ頑張るぞ、楽しませてくださいよ」と田中が言った。

 我にかえった石田が、

「そんなバカな。5連敗して上がろうなんて虫がよすぎる。私はともかく、他が上がらせないよ」

「いやいや希望をいっただけです」

 ご存知の通り、田中は5連敗したあと4連勝。上がるとか言っても、まだ負け越しである。しかし、かすかでも目があるとはたいしたものだ。ただ、今日石田が勝つと望みが断たれる。

(中略)

 対局が多く、羽生をはじめスター棋士が大勢対局しているが、なんといっても人気があるのは、加藤と石田である。昼間からこの対戦が評判になっている。

 戦い方も加藤独特のもので、相矢倉の流行形から、3七に無条件にと金を作らせた。常識的にいって、それでよいはずがないが、天才の考えはちがう。後からと金を飛車で追い回し、自陣の一段目に引きずり込んで殺してしまった。その有様をお伝えしたいところだが、紙数がない。

 夕食休みのとき、対局者達の雑談を聞きながらウトウトし、ちょっと元気が出た。

「寅ちゃんの昇級はありえない。ボクが負かす」と言っていた森も、中盤の指し方がまずく、必敗形である。

「まだ息があるぞ!」

 田中は勢いよく控え室に入ってきた。ところが、加藤-石田戦は、石田優勢である。控え室では優劣を大げさに言う傾向があるが、それを割り引いても、加藤に勝ち味がすくない。「なあんだ」田中はがっかりして対局室へ戻っていった。

 B級1組の降級は1名。鈴木が苦しい立場で、同僚達にはこれが読み筋だったらしい。しかし、福崎を破ったりして粘り、今日も勝てばまた首がつながる。

(中略)

 将棋はこれまで。鈴木は正座で腕組みし、ジッと動かない。小野はうつむいたまま。その背後に森が立って盤面を見つめている。田中も立ったが、こちらはすぐはなれた。

(中略)

 端歩を突かれ、11分考えて鈴木は投げた。早すぎるようだが、不自然ではない。

 それを確認し、森は盤の前に戻って投げた。鈴木は負けて降級が確定したからである。

 こういう情景を私は好きである。内心は他力をあてにしながら、見て見ぬふりより、よっぽど率直で堂々としている。

 さて、加藤-石田戦である。対局はあらかた終わり、みんな控え室へ集まって田中をはやしている。

「5連敗したときは破産しそうな会社だったのにな。今や人気銘柄だ」と、これは株通の桐谷。

「だけど、元のもくあみになりそうだ」誰かが継ぎ盤を見ながら言った。

「いいよ、これだけ楽しませてもらえれば」田中も念力をかける気がない。それほど離れているのである。

 12図は石田が△6九銀とかけたところだが、いわゆる”筋に入った”形だ。

(中略)

 △1二歩は皮肉な受け。加藤は動かす駒がない。▲3九香とまたもや香を立てたが、これまた苦しまぎれに見えた。

13図からの指し手
▲1七飛△2六馬▲3七飛△3四歩▲同飛△同金▲同香△4一玉▲7四歩△1三歩▲7三歩成△1二飛▲3三歩△3一歩▲5五歩(14図)

 大熱戦である。しかし手の解説はうんざりだろうから、くわしいことは省く。

 問題は△4一玉だった。ここは△4二玉と逃げるのが正着で、以下、▲2三成桂△3八飛▲2四成桂△5九馬と、わかりやすい順で石田が勝てた。

 ▲7四歩の取り込みから、▲7三歩成が生じ、△1二飛と逃げるようでは後手がおかしい。

「やや!やったか」田中が奇声を発した。

 ▲5五歩と突き、香がピッタリ利いている。完全に流れは加藤のものである。継ぎ盤が2組あり、一つは青野、田中、森組。もう一つは、羽生・先崎・郷田等が囲んでいるが、あまりのことにみんな呆然としている。

(中略)

14図からの指し手
△4二玉▲5四歩△4三玉▲3八桂△3七馬▲4六桂打△4五歩(15図)

 ここで△4二玉と逃げ出しを図るのでは、先の△4一玉の非がはっきりした。なりふりかまわず△4三玉と上がって入玉を狙うが、加藤は心得て▲3八桂と予防線を張る。

 さらに▲4六桂打とつなぎ、△4五歩と突いたところが最後の山場。 

 控え室の面々はおそろしく手が見える。(15図で)▲3五金はすぐ発見されたが、以外に面倒なところもある。

 そのうち先崎が、15図で▲4七金と打つ手を見つけた。どうだ、と胸を張れば、田中がけたたましく笑った。図に乗った先崎は「この手が見えぬようではA級に上がる資格がない」。

 ▲4七金は妙手。△同馬と取れば▲5三歩成△4四玉▲5四と△3五玉▲2六金までぴったり詰む。

15図からの指し手
▲3五金△5四金▲同香△3五銀▲5三香成△同玉▲5四金△5二玉▲5三歩△4一玉▲4三金△4二金▲同金△同玉▲4四歩△同銀▲4三歩△5三玉▲5四金△5二玉▲3二歩成△同歩▲4四金△5八飛▲3二香成△同飛▲5四歩△6一桂▲5三銀△同桂▲同歩成△同飛成▲同金△同玉▲5四飛△4三玉▲5五桂△3三玉▲3四飛△4二玉▲4四飛△3一玉▲4三桂成△4一香▲3二成桂△同玉(16図)

 加藤は金打ちが見えず、▲3五金と平凡?な手で攻めた。

 局後、先崎の言葉を伝えたら「たしかにそれは言えるね」と笑った。勝った棋士は何を言われても怒らない。

 ▲3五金もわるくなく、以下玉を下段に追い詰めて寄り形である。玉は裸でせまく、考えやすいし、自分の玉は安全で、トン死筋もなければ一手すきもかからない。そんな楽勝の将棋が、なんでこんなに長引くのか。

 本気で強くなりたかったら、15図からを盤に並べられるとよい。ここに、玉を詰まさなければ勝てないし、詰ますのは容易でない、との将棋の本質があらわれている。

 もし並べれば、プロに二枚落ちでなぜ勝てないかが判るだろう。必勝になりながら、やさしい寄せを逃して負ける。後で教えられればばかばかしくなるような手だが、実は、その正着はやさしく見えてやさしくないのである。天才加藤がこんなに手こずるくらいだから。

 16図となり、またみんな盤の前に集まりだした。あやしくなったからである。

 継ぎ盤で羽生が▲1二飛と打ち、郷田に△2一玉と逃げられて、アッと声をあげている。

16図からの指し手
▲3五飛△3三歩▲4一飛成△同玉▲3三飛成△4二銀▲4四香△3二金▲3四桂△6四馬▲4二桂成△同馬▲5三銀まで、加藤九段の勝ち

 ▲3五飛が素晴らしい感覚。やっぱり加藤は天才だ。継ぎ盤の面々も田中も、ようやく終わった、と息をついた。「田中株は大暴騰だな」そんな声も聞こえた。

 終了は午前1時51分。石田は青ざめていた。勝てば断然有利だったのに、負けては三番手に後退である。

 これほど戦いながら負けては、飲まずにいられないだろうが、あいにく残った面々はモノポリーを始めていた。

 石田は「つまらぬゲームが流行りおって」と内心ふてくされたことだろう。

* * * * *

ラス前のこの日が終わって順位戦B級1組(昇級2名、降級1名)の状況は、

小林健二八段(3位)9勝1敗(昇級確定)

加藤一二三九段(7位)6勝4敗

石田和雄八段(9位)6勝4敗

田中寅彦八段(1位)5勝5敗

森雞二九段(4位)3勝7敗

鈴木輝彦七段(12位)2勝8敗(降級確定)

ということになった。

石田和雄八段(当時)が勝っていれば、田中寅彦八段(当時)昇級の可能性がなくなっていた。

* * * * *

最終局では、石田八段も田中八段も勝ち、石田八段が昇級することとなる。石田八段が意地を見せた形だ。

* * * * *

「この手が見えぬようではA級に上がる資格がない」と大胆に言う先崎学五段(当時)。

「継ぎ盤で羽生が▲1二飛と打ち、郷田に△2一玉と逃げられて、アッと声をあげている」と、継ぎ盤で向かい合っている羽生善治前竜王(当時)と郷田真隆四段(当時)。

今から考えれば夢のような控え室だ。

「こりゃ化け物の集まりだ」という雰囲気だった午前2時の対局室

将棋マガジン1991年2月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 私はだいぶよいと思っていたが、順位戦は楽に勝たしてくれない。とことん粘られ(私の寄せがへただったせいもある)終わったのは午前零時直前だった。

(中略)

 残っているのは、森下-佐藤(康)戦だけ。腰はまがり、眼はしょぼついているが、それを見ぬ手はない。

 局面は9図。盤側に座って盤面を見たとたん、眼がかすんだ。これは判らない。秒読みの声を聞きつつ駒を数えてみると、森下の駒数は持将棋規定にぎりぎりの数である。

 で、とりあえず△8九飛と打って、9筋の香と歩を逃さぬ、と指せば佐藤が勝ちだろうと思った。

 ところが佐藤は、△1八玉、△1七香成、△1四歩といった手を指した。その間森下は盤上の自分の駒を全部逃げて、持将棋成立。

 それはよいが、佐藤も持将棋にするなら、58秒まで読ませることはないだろう。7・8・の声とともに素早い手つきで指すのだが、時間が切れるのではないかとひやひやした。

 2時を回っていた。さっき神谷が「みんな焼き肉を食べに行きますけど」と誘ってくれたが、すしならともかく、焼き肉は重い。2,3年前は平気で食べられたのだが……。

 屋敷が入って来て感想に聞き入っている。森下も佐藤も屋敷も、それと観戦記担当の井口さんまで、みんなニコニコしている。こりゃ化け物の集まりだ、と思った。

 呆れ返って席を立つと、すかさず森下が「先生、帰るんですか」。

 私はムニャムニャと言って逃げ出した。

 さて、不思議なもので、指すにせよ見るにせよ、盤をはなれると元気になる。帰りの車の中で、再開された森下-佐藤戦の展開を考えた。そして佐藤が勝つと確信した。

 あの9図の局面で、私なら、せっかくここまで指したのだから、しゃにむに勝ちに行っただろう。佐藤は「入玉の経験がないので怖い」と言ったが、勝ち目が多いことは判っていた。にもかかわらず、持将棋でよし、としたのである。

 またまた昔の話になるが、八段になったばかりの中原が花村と対戦したとき、終盤に千日手にしたことがあった。ずっと優勢で打開すれば勝てそうだったが、中原は指し直しを喜んでいた。つまり、負けなければよい、いずれ勝てる、の自信があったのである。佐藤も同じだったろう。

 この予感、珍しく当たった。

(以下略)

* * * * *

将棋マガジン1991年2月号、「第49期順位戦C級1組」より。

 森下六段対佐藤(康)五段戦は予想と期待にたがわぬ死闘が展開された。

 まず第1局は秒読みだけで80手を越し、午前2時5分、197手までで持将棋となる。そして指し直し局も双方1分将棋まで指して、終了したのが午前5時22分であった。

* * * * *

午前2時。

「屋敷が入って来て感想に聞き入っている。森下も佐藤も屋敷も、それと観戦記担当の井口さんまで、みんなニコニコしている。こりゃ化け物の集まりだ、と思った」

屋敷伸之棋聖(当時)は、この日に対局があり、敗れている。

屋敷九段はいつもニコニコしているので、午前2時であってもニコニコしているのはそれほど不思議ではないが、森下卓六段(当時)、佐藤康光五段(当時)、観戦記担当の井口昭夫さんという、これからの指し直し局に直面している人たちまでがニコニコしていたのだから、河口俊彦六段(当時)が化け物の集まりと思った気持ちも十分に理解できる。

* * * * *

会社で言えば、午前2時まで会社で仕事をしていて、さて帰ろうかと思った頃に、それまで別の部署で仕事をしていた人たちが近くの会議室でこれから3時間近くの会議を始めようとしているのを見た時の気持ち。その会議の出席者がみなニコニコしていた、という状況。

やはり化け物の集まりだとしか思えない。

なおかつ、会議よりも対局の方がはるかに精神的にも肉体的にも重労働になるので、化け物の度数がアップするわけで……

 

「アマチュアが真似できる将棋を指してくれ、の声が、対局者の耳に入り、戦型も変わる、ということにならないものだろうか」

将棋マガジン1990年6月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 マスターズゴルフと名人戦が始まると、春たけなわという感じになる。

 毎年その二つを見比べて、一方はますます盛んになり、一方は淋しくなる、ということはないんでしょうな。

 それはともかく、痛切に感じるのは、マスターズゴルフにおける、パトロン(観客)とプレーヤーの素晴らしい一体感である。一打一打に声援を送るのはもちろんだが、ときには、選手の気持ちを動かすことさえある。

 たとえば、選手が無理をしまいと思ったとする。しかし、観客はトライを要求する。声には出さねどそういう雰囲気はテレビの画面からも伝わってくる。そして、成功すれば大歓声だし、失敗しても勇敢な行為を讃える拍手が起こる。

 競技の性質が違うから、言っても仕方がないことだが、我が将棋界も、プロがつまらない将棋を指したらブーイングが起こり、アマチュアが真似できる将棋を指してくれ、の声が、対局者の耳に入り、戦型も変わる、ということにならないものだろうか。

 大内が対局室に入って来て、ポツリと言った。

「広告代理店の人に、将棋界をどう見ていますか、と聞いたんだ。そうしたら、自分達でやりたいことをやっている、と言っていたよ」

 御説ごもっとも。

(中略)

 特別対局室では、羽生-先崎(週刊朝日)の特別棋戦が行われていて、それを、テレビ2局が取材中だ。スタッフは一般社会のルールで取材しようとするから、いつもの妙に気を遣っておどおどしたところがない。お好み対局でもあるし、うるさいことを言う棋士もいないから、対局室に遠慮なく入り込んでカメラを回す。羽生も先崎も面食らったろうが、文句もいわず、いやな顔もしなかった。そう、こういうことになれた方がいい。ただ先崎が「参りましたよ。カメラがトイレまで追っかけてきた」とボヤいたのにはみんな大笑い。

取材陣の熱気に高揚したのか、将棋は素晴らしかった。最後に先崎が奇跡的な詰みを発見して逆転勝ち。もう人を遠ざけて対局をする時代ではない。

(以下略)

* * * * *

「アマチュアが真似できる将棋を指してくれ、の声が、対局者の耳に入り、戦型も変わる、ということにならないものだろうか」

この河口俊彦六段(当時)の文章が書かれたのは矢倉全盛期だが、アマが真似できない将棋だからこそ、見ていて楽しいという面もあると思う。この辺のバランスは難しいところだ。

歴史的には、升田幸三実力制第四代名人が、アマチュアが真似したくなるような振り飛車やひねり飛車の新しい形を多数指していた。

* * * * *

「広告代理店の人に、将棋界をどう見ていますか、と聞いたんだ。そうしたら、自分達でやりたいことをやっている、と言っていたよ」

大内延介九段は、1990年代後期、広告会社をパートナーとして、「国際将棋フォーラム」を実現させている。

* * * * *

「もう人を遠ざけて対局をする時代ではない」

このような言葉を見ても、河口俊彦八段の感覚は非常に先見性のあるものだったことがわかる。

「ダンナがいるからって、そういういい方ないんじゃない」

大親友について語る。

将棋マガジン1991年4月号、林葉直子女流王将(当時)の「私の愛する棋士達 中井広恵女流王位の巻」より。

 彼女は雪国で育ったせいか、肌の色が透けるように白い。

 きゃしゃな肢体は、今にも折れそうで、誰かがささえてあげなくてはいけない、そんな感じすらさせる。

 黒々として艶やかな肩まで伸びた髪を白い指でかきあげるしぐさがまた色っぽい。

 時折、一重だが大きくうるんだ瞳で見つめられるとドキッとする。(中井広恵相手にそんなこと思ってどうするんだっ!)

 そして、私が彼女の一番好きなところは性格だ。

 素直で、気さくで、やさしい。

 情にもろくて、おひとよし。

 ちょっと怒ると怖いけど、カラッとしているさっぱりした性格。からかうと、真剣になって怒ったりするが、それも魅力的である。

 私が女流棋士になったばかりの頃従って、10年近く前になるか、はじめて彼女に会ったのは。

 天然パーマで短い髪の毛。ちょっとプクプクしていて、気の強い少女だった。

「そうじゃないよ!」

 ハッキリと自分の意志を主張し、なおかつ、物おじしない子。

 北海道と九州の田舎モノ同士だがお互い将棋という男性社会のプロを目指した者同志ということもあり、すぐに意気投合した。

 以来、彼女のダンナ様(植山五段)よりも長い年月私は付き合っているような気がする。

 女同士にしか解らない苦労もたくさんあったのだ。

 奨励会で修業してきた、そしてお互いに、男性に勝てる女流棋士になりたいと目標が同じだったせいかよく二人で話した。

 もっと強くなりたい。

 もっと将棋を指す女の子が増えないかと。

 奨励会というのは、全国の県名人クラスの超天才児の男の子がプロ棋士を目指して修業する、いわば養成所のようなところだ。

 将棋を勝とうとする数十人の男の子たちの中にたったひとりぼっちの女の子。

 私が奨励会を断念する直前に広恵ちゃんが奨励会に入会したという形で、すれ違いだった。

 女の子だということに甘えてはいけない。

 けれども、大変だったろう。

 私は、笑励会で4級が最高だった。

「大変だよ、がんばってネ」

「うん」

 そのとき力強く答えた彼女。

 将棋マガジン等に載る奨励会の成績表、いつも私はまっさきに広恵ちゃんの名前を見ていた。

 あー、負けばっかり。お、今月は勝ってるな…と。しかし、一時期5、6級で低迷していたものの、すぐに、4級になった。

 そして、時間をかけたものの、最終的には2級まで。

 確かこの数年前に、私から女流名人位を奪っていたはずである。

 周りにいた人たちには、女流名人になって広恵ちゃん偉いネ、そう言っらしい。

 確かに、女流名人になるということは名誉なことである。

 しかし、それを不満気に彼女が私にこう言った。

「女流名人も、すごく嬉しいけど奨励会で昇級できたときは、もっと嬉しいのにね」

 と、少し悲しそうに。

「うん、うん、そうだよネ…」

 私もその気持ちが痛いほどよく解った。

 これは、それを経験した者同志にしか解らないことである。

 ある奨励会員がボソリと、「ノイローゼになりそうです」と言っていたぐらいだ。それほど奨励会とは恐ろしいところなのだ。

 女流棋界で活躍する中井広恵も素晴らしいと思う。

 けれども私が思わされるのは、あの奨励会でしかも2級まで上がれたというのが、もっとスゴイことだと思う。年齢制限まで頑張りぬいた彼女に、ちょっと遅いけれども拍手を送りたい。

 結婚プラス、奨励会もやめて、心の負担が、少し軽くなったのだろうか、最近の後女は、生き生きしている。

「うちのダンナ様ってやさしいのよ」

 とオノロケを、私に聞かせる始末だ。

 おまけに、2歳も年下なのに、結婚では先輩だということで、恋の手ほどきもしてくれる。

「それじゃだめよ」

「だってぇ」

「直子ちゃん、一生結婚できないよ」

「ダンナがいるからって、そういういい方ないんじゃない」

「でも、直子ちゃんには結婚向いてないよ」

「……あのねぇ」

  私のムスッとした顔を見ながらゲラゲラと大口を開けて笑う。

 私が広恵ちゃんをからかうことも多いが、私も相当広恵ちゃんにからかわれている。

 将棋の対局さえなければ、ほんとうに良い友なのだ。

 いや、将棋があってこそ、ここまでの仲になれたのかもしれない。

 黙っていれば、美人でキュートな中井広恵なのに、しゃべると、うるさいったらありゃしない。

「ねぇ、ちょっと聞いてよ、ひどいと思わない」

 と広恵ちゃんが面白そうに言う。

 「だってね、みんなに、林葉直子に似てきたって言われるのよォ」

「何それーっ!」

「うるさいから、直子ちゃんみたいって」

「ちょっとぉ…ヒドイんじゃない、それって」

「そう思うでしょ」

 二人で顔を見合わせて、大笑い。ほんとうに、くだらないことで二人して笑いだすのである。

 おかげで、二人一緒のときは、男性陣から敬遠されてしまう。

 その理由は、私と中井広恵のパワーがスゴい…と。

 一人でいればまだ大人しいものの、二人一緒になると、相当うるさいらしい。なんせ二人で十人分の元気があるといわれるぐらいだ。

 広恵ちゃんが結婚する前も仲がよかったが最近は特にだ。

 結婚前の彼女は私と一緒のとき彼に話をよくし、彼の心配ばかりをしていた。

「今日、ちょっと待ち合わせてるの」

 と、誘ってもそっけなかったし…。

 女の友情ってそんなもんネ、私は少し寂しく思っていたものだ。

 ある時期を境に、うんと女っぽくなった広恵ちゃん。

 それは今のダンナ様植山五段とお付き合いしはじめてからだ。

 恋をすると女はきれいになる、その言葉通りに。

 小ブタちゃんがなぜか、白鳥になった感じだった。

 彼女は会うごとにキレイになっていた。

 女の友情云々で、美しく変身することは決してない。

 結婚したせいか、最近は性格が丸くなり大人の女に変身。

 単純で明るいところは、今でも同じだが、以前はちょっとトゲがあったのだ。

 物事をハッキリするという点で。

 それが結婚後、消えたのである。

 今は将棋も、明るい可愛いい性格もパワー全開で困ったものだ。

 愛する人に愛されて、幸せそうな彼女の笑顔は、最高である。

 私から見ると、広恵ちゃんが羨ましくって仕方ない。

 誰からも可愛いがられて、明るく無邪気な彼女。

「広恵が羨ましいよぉ」

「何言ってんの、直子ちゃんのほうでしょ、それは」

「だって広恵、可愛いもん」

「はぁ、直子ちゃんにそんなこと言われると気持ち悪い、直子ちゃんは美人なくせに」

「ううん、広恵のほうがずっと可愛くて美人だよ」

「そんなこと誰も言ってくれないわよ。直子ちゃんは美人なんだから」

「うそ、みんな私に対して言う言葉がないからそう言ってるだけ、社交辞令よ」

「そんなことないって、直子ちゃんは美人よ」

「ううん、広恵のほうがずっと美人で可愛いいわ」

 二人でお互いのことを誉めあった後に、深いタメ息…。

「けっきょくさ、私たちって誰からも言ってもらえないからって二人で慰めあってて、情けないわね」

「そりゃそうだ」

「アホらしいね」

「あーぁ、私も愛する人に、可愛いネ!って頭を撫でてほしいわ」

 私のその言葉に彼女が無邪気な笑顔でほほえみながら、

「直子ちゃんは、当分無理よ」

 と、あっさり言う。

 私は、もうすでに❤とでも言いたげに。

 そして「これ、ダンナ様が私にこっそり買ってくれたの」と。

 白くほっそりした美しい彼女の中指に輝くパールリング……。

「ずるいっ!私には誰もくれないわよ」

 私がブスーッとするのを見て、ガハハハハッ、と大口笑いの広恵ちゃん。

「直子ちゃんも、そのうち、誰か買ってくれるわよ」

 愛された女は強し!ってことか。そして、いつだったか女流名人位の就位式で彼女が、「恋をしても将棋が強くなった、と言われるようがんばりたい」

 と述べていたことを実感させられた私である。

 けれど、私はまだ本当の恋をしていないから、もっと将棋が強くなるってことだと広恵ちゃんに言いたい。

 私を目の前にして、ニコニコ笑いながら平然と、

「女流王将もそろそろ、私にくれたっていいんじゃない」

 なんて言う彼女。

 その場は、ヘヘッと笑って誤魔化した私だが、今、言わせてもらう。

 せめて、たったひとりの私の恋人を取らないで!と。

 アナタにはダンナ様がいるでしょ。

 いくら親友といえども、これだけは、譲れないもの…。

 一般的に考えて親友から恋人を奪われるというのは、辛いハズだ。

 気は合うものの、将棋のタイプがまったく違う私達。

 恋愛の面は、広恵ちゃんに一歩先を越されてしまったが、こと将棋に関しては、そうはいかぬ……よ。

 将棋盤を挟んで対局のとき、彼女の雰囲気は迫力がある。

 きゃしゃな彼女が、戦士のように仮面をつけ変身する。

 細く女らしい指先から、厳しく響かせる駒音。そして、鋭い眼光を飛ばす。

 彼女が、私に負けたときは、また更に色っぽい。

 乱れ髪で…、色白の肌にほんのりと赤味をおびた頬。

 ナハハハッ!!

 広恵ちゃんが色っぽくなれるのは、私に負けたときってことだ。

 そう親友だからって気を付かわずに私との対局では安心して、色っぽくなってもらいたい。

 美人で可愛くって、笑顔のステキな私の愛する中井広恵❤(あー、よっこいしょと)

(以下略)

「私の愛する棋士達」シリーズでの写真

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「北海道と九州の田舎モノ同士だがお互い将棋という男性社会のプロを目指した者同志ということもあり、すぐに意気投合した」

北海道の人と九州の人は、日本の両端ということからか、仲が良くなる(気が合う)傾向がある、と九州出身の北海道の大企業に在籍する人から聞いたことがある。

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中井広恵女流名人(当時)の「恋をしても将棋が強くなった、と言われるようがんばりたい」は名言。

中井広恵女流名人(当時)「恋をしても強くなる」

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「女流王将もそろそろ、私にくれたっていいんじゃない」と、中井広恵女流王位(当時)が林葉直子女流王将(当時)に言う。

現在で言えば、渡部愛女流王位が里見香奈女流王将に言うようなもので、これは今ではとても考えられないようなことだが、現実にあったらあったで、非常に盛り上がると思う。

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「女流名人も、すごく嬉しいけど奨励会で昇級できたときは、もっと嬉しいのにね」

奨励会を途中で諦めることになった二人の気持ちを思うと、とても感傷的になってくる。

「この番組を見ていた女性ファンが将棋の内容はそっちのけで、郷田の顔ばかり見ていたという」

将棋マガジン1991年9月号、「公式棋戦の動き NHK杯戦」より。

近代将棋1990年5月号、撮影は弦巻勝さん。

 将棋界で一、二を争う美形の郷田四段がテレビに登場した。

 対戦相手は神崎五段で、乱戦模様から5図の局面に進む。

 △3五歩の飛車取りに、先手の応手が注目されるところ。

5図以下の指し手
▲5七桂△5四銀引▲5六飛△5五銀▲同飛△5四金▲同飛△同銀▲6五金(6図)

 図から▲2六飛と寄るのも一局だが、郷田は▲5七桂と力強いd攻めに出た。これに対し△3六歩は▲6五桂が好調子となるので△5四銀引としたが、5筋に飛車が回れて先手が一本取った感じだ。

 本譜、郷田は飛車を切っての猛攻。▲6五金と厚みのある攻めに出て、切れない将棋となった。

 余談だが、この番組を見ていた女性ファンが将棋の内容はそっちのけで、郷田の顔ばかり見ていたという。

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郷田真隆九段が初めてNHK杯戦に登場した時の話。

5図からの▲5七桂のような手を一度でもいいから指してみたいものだと思う。

何時間考えても思い浮かばないような、プロ的な手だ。

* * * * *

「この番組を見ていた女性ファンが将棋の内容はそっちのけで、郷田の顔ばかり見ていたという」

これは、この文を書いた方の直接の知り合いの女性が話したことだと推察できる。

NHK杯戦の場合、いつも顔が映っているというわけでもないので、このようなケースでは、逆に一生懸命ブラウン管(当時)を見続けてしまうかもしれない。

* * * * *

郷田真隆四段(当時)の顔、若手俳優にも見えるが、やはりしっかりとした棋士の顔をしている。意外と歌手には見えない。