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神吉宏充五段(当時)「南君がかわいそうや。みんな四冠王と棋王が悪い!」

近代将棋1992年5月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 A級順位戦最終戦を見に関西将棋会館へ。唯一の大阪対局、内藤-南戦は6時26分に、あっさり終了した。中盤はかなり難解な形勢だったが、内藤九段に見落としがあったらしく、その後は勝負どころがなかった。

 感想戦で「まだ……と指すところだったね。本譜は見てるほうも、やってるほうも面白くなかった」と内藤九段。”見ているほうも”とは内藤九段らしい。

 打ち上げには両対局者の他、森安九段と淡路八段が出た。顔ぶれを見ると幸せな人はほとんどいないが(南さんは棋聖と王将位を失ったなかり)、席はにぎやかだった。

内藤「来年はB1の打ち上げをやってもらおう」

毎日新聞の福井記者「検討します」

淡路「B2は、やらないんですか」

 何とも苦いジョークだが、私は性格が素直(無神経?)なのでアハハと笑う。

内藤「王将戦は指し込み制を復活すべきですよ。そのほうが絶対、面白いんやから。でも、そうなったら、挑戦者になるの、勇気いるなァ」

 内藤九段はよく飲み、よくしゃべった。

「この世で一番割りの合わない仕事をしているのは、詰将棋で長編を作ってる人やね。二番目が歌手」と言い、それから私のほうを向いて「三番目は、文章を書いている人かな」。

 九段は一昨年から歌手活動を再開し、新曲も出しているが、例えばシングルが1枚売れた場合、自身に入ってくるお金は2円にも満たない(!)そうだ。

 打ち上げのあと、内藤九段、森安九段、淡路八段とスナックへ。私は東京のA級順位戦が気になって仕方がなかったが、内藤九段に直々に誘われては行く一手。

 森安九段はマイクを離さない。内藤九段も請われて2曲歌った。下戸の淡路八段はボックスの隅で「生きているのが辛い」と言い、私は若い美女のオッパイを触っている(こちらが望んだのではなく、先方が”あたし、胸には自信があるの。触って”と言ったから触ったのだ)。

 酒場の、こういうアナーキーな雰囲気は、悪くない。私たちが東京の結果を知ったのは午前2時ごろだった。

某月某日

 関西将棋会館で棋王戦第4局を取材。打ち上げのあと羽生さん、谷川さんらと2次会へ。「南君がかわいそうや。みんな四冠王と棋王が悪い!」と神吉さんが言う。反論はなかった。

* * * * *

防衛を決めた棋王戦第4局の時。将棋世界1992年5月号、撮影は弦巻勝さん。
王将戦第5局に勝ち、四冠王を達成した時。将棋マガジン1992年5月号、撮影は中野英伴さん。

* * * * *

内藤國雄九段の「来年はB1の打ち上げをやってもらおう」と淡路仁茂八段(当時)の「B2は、やらないんですか」。

二人には、9年前にもやや似たような苦いジョークが飛び出している。

不吉な冗談

* * * * *

「この世で一番割りの合わない仕事をしているのは、詰将棋で長編を作ってる人やね。二番目が歌手。三番目は、文章を書いている人かな」

そのことが好きでやることほど、割りに合わない仕事になる傾向があるのかもしれない。

* * * * *

南芳一九段は、この年の初めまでは棋聖・王将の二冠だったが、両方とも谷川浩司竜王・王位(当時)に奪われている。

そのような中で南九段は棋王戦の挑戦者となったが、羽生善治棋王(当時)に敗れている。

「『南君がかわいそうや。みんな四冠王と棋王が悪い!』と神吉さんが言う。反論はなかった」

この場面で、「いえ、そんなことはありませんよ」と言うと、南芳一九段が悪かったことになってしまう。

勝負なのでもちろんそのようなことはないし、かといって「世の中が悪いんです」と無責任なことも言えず、ここは沈黙の一手しかない状況だったのだと思う。

 

河口俊彦六段(当時)「ずいぶん昔の話だが、大山にも同じような事件が起こった」

将棋マガジン1992年1月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 勝負師の真価は、逆境にどう対処したかで決まる。

 いささか旧聞になるが、琴錦の優勝は、その点で印象的だった。

 大関候補と期待されていたとき、女性をめぐるスキャンダルが発生した。スポーツ紙はいっせいにこれを叩いたが、見出しを見ると、破門か引退か、という有様だった。

 私はあまり愉快でなかった。力士はいい相撲をとるのが第一であり、だらしない相撲をとって批判されるのは当然だが、プライバシーをとやかくいわれるのは、ちょっと筋ちがいのように感じるからである。

 そういう状況で、琴錦は優勝した。

 マスコミはどう言うか、新聞をていねいに読んだ。手のひらを返す、とはこのことか。スキャンダルは忘れられ、なかには、男の甲斐性みたいに書いてあるのもあった。

 勝負師は勝たねばならぬ、の鉄則をあらためて痛感させられたが、それにしても琴錦は偉い。

 スキャンダルにしたって、彼には彼なりの言い分があろう。それをいっさい口にせず、マスコミを恨まず、甘えずに、いまに見ていろ、と歯をくいしばった。

 もし、言い訳したり、被害者意識を持ったりすれば、今頃は幕尻か十両に落ちているだろう。

 ずいぶん昔の話だが、大山にも同じような事件が起こった。こちらはまったくの誤解だったが、それでも、書かれてしまえば痛手はのこる。それを払拭するには勝たねばならない。大山はすぐそれをやってのけた。

 棋士が、大山を史上最強の棋士、と買うのは、逆境における強さをよく知っているからである。

(以下略)

* * * * *

ワイドショーの基本は「他人の不幸は蜜の味」。

視聴率を稼ぐための安易な方法で、昔から続いている。

ワイドショーではないテレビ番組のプロデューサーが公の場で話している(現状を嘆いている)のを聞いたことがあるが、「社会的に成功している人が何かのスキャンダルに巻き込まれ、そのことによって、どんどんその人が失墜すること」がワードショー制作者の大好物であるという。

どこかの週刊誌が載せたネタなどを大きく取り上げ、各局がその人に対する一斉攻撃を始める。

それが本当にあったこと(琴錦の例)の時もあるが、ガセの場合も多い。本当にあったことでも、10のことを20に増幅することだってある。

さんざん、あることないこと悪口を言っておいて、誤報だったとしても、訂正や謝罪などほとんどなし。

あったとしても、視聴者はそのようなことにはあまり興味はなく、強く報じられた誤報の方ばかりが頭の中に残ってしまう。

なんとも、やるせないことだ。

* * * * *

三浦弘行九段の冤罪事件の時に実証済みだが、ワイドショーでは初めからどのように報じるかのシナリオ(三浦九段を叩く)ができており、事前に取材を受けて、そのシナリオと反することをコメントしても、そのコメントはまず取り上げられることはない。取り上げられるのはシナリオの意に沿ったコメントばかり。

これでは、ワードショーの姿を借りた、創作のドラマと言われても仕方がないだろう。

 

「皆さん、これから小池重明君の遺書を読み上げますので、聞いてください」

近代将棋1992年7月号、関則可さんの「小池重明、最期の8ヵ月」より。

1986年の小池重明氏。近代将棋1992年7月号、撮影は炬口勝弘さん。

 去年の夏場だったか、石岡市の焼肉店(今回、小池の喪主をつとめられた古沢文雄氏が経営)で紺野延男氏(富士開発会長)と私と3人、一杯やっている所へ電話が入った。やがて古沢氏が席にもどってきて「誰からの電話だと思う?」と聞く。知る由もない。「小池からなのよ」に「えっ!!」となった。「あの野郎、電話で泣きやがんのよ、男のくせして、泣く奴があるか、バカ野郎」。小池にはさんざ苦い目にあわされてきた古沢氏だが、鬼の目にも涙の風情。よほどの惨状が見てとれた。

 旬日を経ず、文字通りの裸同然で紺野氏宅を訪れた小池だった。「会長の将棋クラブで休ませて頂けませんでしょうか」「ああいいですとも、使ってください。そう言いましたよ私は」。紺野氏の後日談。けれど、クラブに起床したのもわずかだった。緊急入院の要があったのだ。

「あと1ヵ月です。遺体は必ず引き取ると保障してください。こう医者がいうのよ、まいったね」と古沢氏は語る。

 石岡市の将棋関係者は皆暖かい。生活保護の手配からあらゆる面倒を見られて、小池は無料で(わずかながらも小遣いももらえて)入院することができたのだ。

 やがて連絡があって、私は今福栄氏を誘い小池を見舞った。相当悪いとの情報だが、なに殺しても死にそうもない頑丈な奴、大丈夫だろうとタカをくくっていた私の目に映った小池の姿は、丁度、アウシュビッツに収容されていたユダヤ人そのものであった。私は後ずさりする思いだった。小池は力なく笑った。

「関さんにゆずっておけばよかったですよ」

 この意味は、小池が古沢氏の店で店長をやっていた時、ナイトクラブの女性を私が連れて行ったことと関連する。数ヶ月後、小池はこの女性と出奔したのだ。亭主やその知り合いのチンピラに脅されたらしいのだが、「やることはとっぽいくせに全く根性がない」と古沢氏は怒り、軽蔑する。

 人妻との駆け落ちは私の知る限りでも3度目だ。天下晴れてのチョンガーがなぜいつも人妻なのか、全く理解に苦しむところだ。おまけにその終末が捨てられ、のたうって、世話はない。

 1ヵ月、2ヵ月、状況は絶望的ながら臨終の連絡は来ない。くそねばりは小池将棋の身上だから、あるいは奇蹟の大逆転もあり得るかともまた見舞いに出掛けたら、病院も移っていてさらに痩せこけてしまっていた。この時は、紺野氏の母上の葬儀で東京の将棋関係者数人も同道したのだが、皆一様に息を飲んでしまった。文字通り骨と皮だけで、黒く丸い目だけが異様になまめいて大きく見えた。口々に皆なぐさめの言葉を発したが、それはいかにも空しく響いた。「もう詰将棋を解く元気もなくて」ボソリ小池はつぶやいた。ついこの間まで酒を飲み、将棋を戦っていた連中を前にし、もはや越えることの出来ない溝の向こう側に置き去られた身を、この時小池は悟ったのではなかろうか。

 さらに1ヵ月、別な用事で紺野氏を訪ねた私に、奥さんが「小池のバカ、自殺を図って精神病院に入れられちゃった」という。「石岡市に一銭の税金を収めたわけでもないのにタダで面倒見てもらって、自殺だって、どうしようもないバカだよ、あいつは」。これから将棋の本を届けに行くけど一緒にどうか、と奥さん。金属のとびらがガチャンと閉まる所だと聞かされ「遠慮しますわ」と尻ごみした私だったが、この後、生きて小池の顔を見る機会はなかった。点滴の管をはずして自ら命を絶ったという。

 通夜、告別式には東京や地元から思いの外の参列者があって、関係者をホッとさせた。

 骨つぼに収まりきらない骨を皆で拾い、3歳から小池を育てたというご養父にお渡しした。骨は実母と祖父母の眠るお墓に納められると聞き、胸なでおろす。

 すべてが終わり、焼肉店で慰労会を開始しようとした矢先、「皆さん、これから小池君の遺書を読み上げますので、聞いてください」と紺野氏。ノリ付けの封が開けられた。そこに書かれていたのは、特に世話になった人達への感謝と生命保険金の使途、好き放題生きてきたので悔いはない、との一言が添えられていた。

近代将棋1992年7月号より、小池重明追悼慰労会の模様。

* * * * *

やはり、このような話を聞くと、感傷的な気持ちになってくる。

まさしく、実録・小池重明最終章。

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関則可さんは1977年に日本アマチュア将棋連盟を設立し、初代理事長となっている。「将棋ジャーナル」の発行人も務めている。

また、1970年代前後はゴーストライターとして多くの棋書を書いていたと言われている。

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小池重明追悼慰労会の写真、左の列の手前から2番目が関則可さん、その一つ奥が読売新聞の小田尚英さん、もう少し奥には読売新聞の山田史生さん、泉正樹六段(当時)。

右の列には新井田基信さん、小滝元靖さんなど、アマ強豪の顔も見える。

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このほぼ2ヵ月後、大山康晴十五世名人が亡くなる。

1992年は、若山富三郎、尾崎豊、松本清張、五社英雄、松尾和子、太地喜和子なども亡くなっている。

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小池重明氏「すべてを告白します」(前編1)

小池重明氏「すべてを告白します」(前編2)

小池重明氏「すべてを告白します」(中編1)

小池重明氏「すべてを告白します」(中編2)

小池重明氏「すべてを告白します」(中編3)

小池重明氏「すべてを告白します」(後編1)

小池重明氏「すべてを告白します」(後編2)

小池重明氏「すべてを告白します」(最終回)

 

林葉直子女流二冠(当時)「この私が思わず赤面してしまうような言葉が将棋の中にもあることを知らされたのである」

将棋マガジン1992年4月号、木屋太二さんの第18期女流名人位戦第4局〔林葉直子女流名人-中井広恵女流王位〕観戦記「ファジー林葉 強運の逆転劇」より。

将棋マガジン同じ号より。撮影は中野英伴さん。

 林葉直子VS中井広恵。

 今季の女流名人位戦はライバル&親友の対決。

 対戦成績は39戦して林葉の20勝19敗とほぼ互角。名人・王将の林葉が二冠を守るか、王位の中井がさらに一冠を加えるか。

 開幕前の予想は、直子だよ、いや広恵だろうと真っ二つに分かれた。どこから見てもいい勝負の二人である。ところが、いざ、ふたをあけてみると……。

 第1局中井勝ち。第2局も中井勝ち。連勝で、あっさりと中井が名人位に王手をかけてしまった。

―林葉、精彩なし

―林葉、奇策におぼれる

―林葉マジック不発、カド番に

 こんな見出しが将棋各誌に躍った。

 五番勝負で2連勝2連敗のスタート。明と暗。よし、いけるぞの中井と、ヤバいかなの林葉。マスコミはすわ中井、名人復帰かと気の早いこと早いこと。

 中井も「第3局できめる」とコメントした。それで怒ったのか開き直ったのか、第3局は林葉が勝った。第1局袖飛車、第2局初手▲5六歩とパフォーマンスを見せた林葉が、この一局は向かい飛車から普通に美濃に囲って勝ったのである。

 モデルチェンジは見事に成功した。あるいは、それが中井にとっては意表だったか。

「負けたらしょうがないと思っていましたが、3連敗しなくて本当によかった。中井さんにも協力していただいて、一局でも多く指せたらうれしいです」

 林葉の笑顔が初めて見られたシリーズ第3戦。

 あれからちょうど1週間。同じ場所(東京将棋会館特別対局室)で再び対決する二人―。

(中略)

 定刻7分前、挑戦者登場。4月に出産予定の中井はデニムのマタニティドレス。

 その姿を見て報知新聞の観戦記担当の湯川恵子さんが「妊娠すると前が大きくなるタイプと後ろが大きくなるタイプがある。中井さんは背中が大きく見えるわね」と小声でささやく。

 4分遅れて名人入室。超ミニの金色のツーピース。例によって派手なスタイル。詰めかけた取材陣は、いきなりクラクラである。

中井「場所間違えてるんじゃないの」

林葉「これ、初めて着たの。かなり短いんでゲゲッとなっちゃって」

 顔を見合わせてハハハと笑う二人。

将棋マガジン同じ号より。撮影は中野英伴さん。

 この明るさ、気安さは林葉・中井戦ならではのもの。他の対局者、例えば清水がらみだとこうはならない。開始前からいきなり真剣勝負の雰囲気が漂ったりする。

 座ると、ヒザが10センチもとびだした。林葉は赤いハンカチでシャッターをおろす。

 第4局は林葉の先手。彼女の先手番は楽しい。面白い。定跡破りの手をいろいろ見せてくれるからだ。

 初手、▲9六歩、▲5六歩、▲3六歩、▲5八飛。

 林葉も周囲の期待に応えて、手を変え品を変えやるが、マジックはたまに使うと効果が出るもの。このシリーズでも中井に見破られて連敗スタートとなってしまった。

 それで本局は第3局に続いて「普通じゃん」の四間飛車。▲1八香で穴熊に作戦決定。

(中略)

 中井がストレートで勝負するピッチャーなら、林葉は変化球ピッチャー。▲4五歩がその手始め。

「穴熊って指したことないの。今日はこれでいこうって決めてたわけじゃなく、気がついたらこうなっていたということで……」

 ファジー林葉の局後感想。

 正体不明は今始まったことではなく、こちらもびっくりしないが、▲3七桂から▲1七銀には「……」、ただただ唖然とするのみだ。いったい林葉の感覚、頭の構造はどうなっているのだろうか。

2図以下の指し手
△8六歩▲同歩△7五歩▲2八飛△7六歩▲5九角△3五歩▲同歩△同角▲3六歩△1七角成▲同香△7七歩成▲同角△7二飛▲4六角△9二香▲1八玉△7六飛(3図)

「これはさすがに……」と中井がいった。終局後の話。負けられないという言葉があとに続くことは容易に想像できるだろう。

 林葉陣はパンツを脱いだ穴熊である。対して中井陣は一糸乱れぬ銀冠の堅陣。その差だけで、中井が早くも勝ちの予感を抱いたとしても不思議ではない。プロ棋士なら100人が100人、中井側を持ちたいと思うだろう。

 実際のところ、3七桂も1七銀もバックさせたいような駒である。林葉も「変な指し方だったかな」といったが、それでも決して失敗したとは思わない。

 なんとかなるさ、今までだってなんとかなってきたんだから……。

 ハッピー、楽天性。それが林葉の最大の強みである。

(中略)

5図以下の指し手
△4三金寄▲2二銀△同玉▲2三銀△同金▲4三馬△2九銀▲3七玉△2八銀▲4六玉△3四桂▲5六玉△6六金▲同角△同成香▲同玉(投了図)  
 まで、121手で林葉女流名人の勝ち

「林葉さんの負けですね」

「中井、名人復帰だ」

 控え室ではこんな声が飛び交った。

 指し手のほうも森内、中川、郷田らの研究ですでに結論が出ていて、攻めるなら△2八銀、受けるなら△4三金打でいずれも後手・中井の勝ちといわれていた。

(中略)

 中井が必死に追ったのは△7七成香の手順。

 これも局後、大山十五世名人を交えた検討で△2六桂以下の詰めろと分かり、中井勝ちと出た。

 つまり、この3手のうちひとつを指していれば中井に勝利の女神は微笑んだのだ。

 本譜は△4三金寄。嗚呼この手が敗着。すかさず林葉▲2二銀から▲2三銀と連打。▲4三馬と金を取って大逆転である。

「玉を追った時、△4五歩が逆王手になるのをうっかりした」と中井、これで△4三金寄と指した理由が分かった。

(中略)

 中井の敗因は、5図で勝ち筋がたくさんあったこと。

 それが迷う元になった。げに将棋は恐るべし。

 林葉直子はこうしてまたカド番を脱出した。強運ぶりかくの如しといった一局であった。

 これで2勝2敗のタイ。

 決着をつける第5局は2月17日。本誌が発売される頃には名人が決まっている。ニッコリ笑うのは直子か広恵か―。

別室で対局中の大山康晴十五世名人が感想戦に加わった。将棋マガジン同じ号より、撮影は中野英伴さん。
将棋マガジン同じ号より、撮影は中野英伴さん。

* * * * *

「場所間違えてるんじゃないの」

「これ、初めて着たの。かなり短いんでゲゲッとなっちゃって」

中井-林葉戦ならではの朝の光景。

上から2枚目の写真は、まさにそのような一瞬に見える。

* * * * *

「場所間違えてるんじゃないの」

一度使ってみたくなるような言葉だ。

男性の棋士の対局であれば、燕尾服やタキシードを着てきた場合に、そのように言われるかもしれない。

やはり、会社などの勤務先に燕尾服やタキシードや和服で行っても、そう言われることは必至。

* * * * *

2図の▲1七銀と上がった局面、たしかに上がってみると、▲2八飛と回って後手玉の玉頭を攻めたくなってくる。

もちろん、せっかく組んだ穴熊から▲3七桂~▲1七銀とする発想はなかなか浮かばないわけだが。

* * * * *

大山康晴十五世名人はこの時、竜王戦1組(対石田和雄八段)の対局の最中。

この一戦は、大山十五世名人が勝っている。

* * * * *

「中井の敗因は、5図で勝ち筋がたくさんあったこと。それが迷う元になった。げに将棋は恐るべし」

財布に1,000円しか入っていなければ真っ直ぐ家に帰って幸せな日常が待っていたものが、財布に10万円あったばかりに、帰り道にどこかへ遊びに行ってトラブルに巻き込まれ、散々な目に遭うような現象。将棋においてはこのような事例がたくさん起きる。

* * * * *

この対局の前夜の写真がある。

羽生善治棋王と先崎学五段のC級1組順位戦ラス前の夜の検討風景。

1992年近代将棋より、撮影は弦巻勝さん。

植山悦行五段と中井広恵女流王位。中井女流王位は出産間近で翌日が女流名人位戦第4局。この日は連盟宿泊。植山五段が諸々のサポートをしていた。

写真の左端に写っているのは中原誠名人で、立ったまま、羽生棋王と先崎五段の検討をのぞき込んでいる。

この日は、森内俊之五段がB級2組への昇級を決めている。

* * * * *

将棋マガジン1992年4月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 注目されたのは屋敷-森内戦。当然控え室でも研究の中心になっていたが、継ぎ盤を覗くと、15図の局面だ。形勢は玉の固い屋敷が優勢という。

 誰かが「森内君は負けると、9勝1敗でもだめなの。かわいそうだなあ」と言ったがまったく同感。

(中略)

 それを屋敷は△8五桂と打った。

「いくらなんでも、おかしいよね」

 先崎は羽生を見た。

「意表、意表と出るのが屋敷流なんだろ」

 羽生が言うと、そういうもんか、と先崎はうなずいたが、屋敷が指したのでなかったら、辛辣な一言が出るところだった。

 すかさず▲6五飛の強手が出て流れが変わった。

(中略)

 最後の数手、森内は勝ちを確信して指した。その間の2、3分で心にゆとりが生じた。勝ったうれしさをかみしめながら指していたのだろう。

 屋敷が投げると、森内はうつ向いた。どうしたんだろうと見れば、彼の眼はうるんでいた。男性的な森内の顔に涙はよく似合う。こんないい場面を見たのは初めてのことである。負けて悔し涙をこぼす棋士はいたが、嬉し涙を見せた棋士はいない。

* * * * *

この女流名人位戦第4局については、林葉直子女流二冠(当時)も心境を綴っている。

近代将棋1992年4月号、林葉直子女流二冠の「直子の将棋エアロビクス」より。

 将棋にもお色気を!

 これは私がかねてから強く主張していたことである。

 桂馬のフンドシなんて言葉はあるが、これは色気のある用語とはいえない。

 桂馬はパンティとか、金のブリーフ、あ…、これはちょっと生々しいか…。

 ま、いずれにせよ、金や銀などカタそうな名前ばかりだから、それにホンワカ色気のある言葉などかぶせた諺など作ってみては…と私は常々思っていたのだ。

 ところが、つい最近になって、

「まあ!な、なんということを…」

 と、この私が思わず赤面してしまうような言葉が将棋の中にもあることを知らされたのである。

 しかしその言葉は、女流プロに対して言われてこそ色気があるのであって、男性棋士に対して言われてもドウモ…ね、うふふふふ…。

 ところで、この原稿は、女流名人戦が2勝2敗のタイとなった時点で書いている。したがって、この原稿が近代将棋に載る頃には、私は”前女流名人”が”現女流名人”かのどちらかである。

 もちろん、私は後者のほうでありたい。

 しかし、そんなことは現時点では神のみぞ知る、である。

 ”直子のエアロビ…”を目にされた時点で、もし私が前者の立場であったとしたら、直子は来期、必ずリターンマッチに登場し奪回できるようにがんばります。

 もし、運よく後者の地位に踏みとどまることができたなら、少しばかり後ろにふんぞり返っちゃおうかな…なーんて考えはよくない、よくない。

 ”実るほど垂れる稲穂かな”のたとえ通り、一層の精進をして、最強の女流名人になれるよう努力をします…、ハイ。

 今期の女流名人戦、私はのっけから2連敗してしまい、あせった。

 逆転が得意な私とはいえ、正直言って、広恵(中井女流王位)にタイトル戦で3連勝したことはないのだ。

 それがのっけから2連敗。

 私が女流名人位を守るためには、残りの3局を全部勝たなければならない。

 勝てるだろうか…。

 いや、とても無理だろう。それは過去の実績が物語っている…。

 ああ、これでまた女流名人位ともおさらばか…と―。

 そんなことを私が考えるとお思いだろうか。小説や映画にするなら、こんな場面で林葉直子は大いに苦悩しなければならないところだ。

 しかし、それは本物の勝負師なんかになれっこない繊細な神経の持ち主である小説家やシナリオライターなどの考えることだ。(もっとも、私も小説らしきものを書かせていただいていますが、繊細な神経を持ち合わせていないため、エッチなことを書いてゴマかしていますの、オホホホ…)

 私の場合、過去3連勝がないからといって、そんなことでひるむような女ではない。

 過去に3連勝がないなら、今度こそやってやろうじゃないのッ、と、とっさに考えてしまうのだ。(誰です?だからモテないんだ、と言っているのは…)

 これは私だけじゃないと思う。本物の勝負師なら、おそらく誰でもこうだろう。

 過去のデータなんか、本人にとっちゃ何の参考にもなりはしないのだ。

 大ゲサに言わせてもらえば、この一番だけが全人生を賭けた勝負なのだから。

 何連敗だの、勝率何割だのということは、前に向かって前進している者にとっては単なる足跡のようなもので、振り返ったからといって、別に何の益もないことなのだ。

 勝つときは勝つ。負けるときは負ける。

 勝負を前にして思うことはそれだけである。

 そんな考えだから、土壇場であるにもかかわらず、私は今回も自分にまったく経験のない戦法を採ってみた。

 穴熊戦法である。

 この戦法は、言うまでもなく王様を端っこに連れて行き、そのまわりを金銀でがっちりと固め、玉の堅さで勝負しようというものだ。

 私も、もちろんその戦法を採用しようと決めたときはそのつもりだった。

 ところが、棋風というものは恐ろしいもので、私の王様の潜り込んだ穴は、いつしか周囲の岩や壁をとっ払われてしまい、天井はポッカリと大きな穴をあけ、敵機の姿が間近に見え、味方の戦車が周りをごう音を立てて走り回るありさまとなってしまっていたのである。

 つまり、守りの要である桂や金銀が王様を離れて戦闘参加態勢をとり、王様からは遠く離れて戦うべき飛車が、王様のすぐ横に来て、戦闘を開始するといった常識破りの戦型になってしまったのだ。

 私は奇を衒ったのではない。

 なるほど、私はしばしば自分の勉強不足を補う意味で、序盤に常識はずれの手を指す。それは、相手の研究範囲内での戦いを避けようという意図からなのだが、今回はそうではなかった。

 カド番である以上、負ければこれが最後の一局となるのだ。

 ならば相撲の貴花田ではないけれど、正々堂々と正攻法で戦ってみよう。

 それで負ければ仕方がない。また一から出直すだけだ。そう考えたのだ。

 だから、7六歩、3四歩…とふつうの滑り出しとなった(これがニュースとして週刊将棋に取り上げられたのだから驚く!)。

 穴熊の周辺がそんな形になったのは、戦いの推移の過程においてそうなっただけのことである。つまり、奇を衒うというより、そういう形にしてしまうのが私の棋風とでもいうのだろう。

 さて、私のこの棋風が、超ド級のお色気戦法だったのである。

 対局終了後、X先生は、そのドギツイ言葉をいともあっけらかんと私に向かっておっしゃったのだ。

 それは、おそらく相手が私だったから言えたのであろう。

X先生「すごいね、直子ちゃん…」

私「何が…?」

X先生「だってパンツ脱いだだけかと思ったら股まで広げちゃって…」

私「えーっ!?」

 私は、一瞬あ然とした。

 将棋のこととは思わなかったからだ。

 X先生、目を丸くしている私を横目で見ながら、ニタリとしておっしゃった。

「ふふふ、穴熊でね、桂が早々に跳ぶことを『パンツを脱ぐ』と言うんだよ」

「じゃ、股を広げるって?」

 ちょっと頬をふくらませて先生を見た。

「ああ、それはね、穴熊のまわりの金銀が上にあがって行った場合、そう言うんだよ、あははは…」だって―。

 これからは、恥ずかしくって桂も跳べなくなりそうな林葉直子でした❤

* * * * *

「パンツを脱ぐ」がいつ頃から使われ始めた用語なのか定かではないが、この頃はほとんど一般的ではなかったことがわかる。

更にその進化形があることは、今回初めて知った。

* * * * *

「過去のデータなんか、本人にとっちゃ何の参考にもなりはしないのだ。大ゲサに言わせてもらえば、この一番だけが全人生を賭けた勝負なのだから。何連敗だの、勝率何割だのということは、前に向かって前進している者にとっては単なる足跡のようなもので、振り返ったからといって、別に何の益もないことなのだ」

これは名言だと思う。

* * * * *

この期の女流名人位戦は、最終局に中井女流王位が勝って、女流名人位を奪取している。

中井広恵女流名人・王位(当時)の嘆き

 

村山聖六段(当時)「将棋を指します。だから、僕を引退させないでください」

将棋マガジン1992年2月号、萩山徹さんの第7回天王戦決勝〔谷川浩司竜王-村山聖六段〕観戦記「矢倉最先端の攻防」より。

 谷川浩司VS村山聖の関西同士による決勝戦。立場は同じだが、どうしても谷川が受けて立つ印象なのは否めない。しかし、村山ら有望な若手は、トップクラスと堂々と渡り合う実力を備えているし、新鮮な顔合わせで面白い決勝戦が見られるという前評判だった。

 対局場は静岡県大仁町の「大仁ホテル」。高台にあって富士山の眺望が美しい場所である。

 天王戦の決勝はタイトル戦と同じ設営で行われ、前夜祭も開かれる。ところがハプニングが起こった。大阪から来るはずの村山は体調が悪く、前夜祭に出席できないという。

 そこで主役が谷川一人の、ちょっぴり寂しいパーティになった。

 席上あいさつに立った谷川、「前夜祭のパーティなどで歓迎されると、お祭り気分になって、ここまでくれば満足という気持ちになりがちです。しかし、後になって優勝者の名前はみな覚えているが、準優勝者は忘れ去られてしまう。歴史に名を残すようにがんばりたい」ときっぱり。万場の拍手を浴びた。

 気になる村山は、午後8時過ぎに現地入り。各社のカメラマンの要望に応じて、立ち会いの広津久雄九段を挟んで、谷川と一緒に写真に収まったが、顔色が悪く冴えない。翌朝の対局は大丈夫か心配になった。

(中略)

 午前9時対局開始。対局場に当てられたのは、ホテルから歩いて3、4分のところにある「安宅」という離れ。村山は前夜に比べるといくらか回復したように見えるが、やはりだるそうだ。離れから、雲の上に浮かぶ富士が見えたが、目に入ったかどうか。

(中略)

 局面は早くも勝負所を迎え、4図の局面で昼食休憩に入った。

 しかし、村山は休憩だけで食事はパス、ウーロン茶だけで、離れを動かずに過ごした。それで体が持つのかと気にかかるが、普段の対局の時も食べないらしい。

(中略)

 先手陣がしっかりしているのに対し、後手陣は急所にと金が迫っている。大勢は決し、谷川の寄せを待つばかりになった。

 午後2時53分終了。体調がすぐれなかった村山にとっては不満足な将棋だったに違いない。「完敗です」とうなだれた。

 感想戦では、谷川の方も優勝の喜びを素直に表せないような様子にも見えた。

(中略)

 この対局から1週間後、対局で東京に出てきた村山は、見違えるように元気になっていた。

 本局の将棋のことを聞くと、「お恥ずかしい」と頭を抱えた。しかし、「この形で指してみたい手があるんです。今度やるつもりです」と目を輝かせた顔は、1週間前と別人のようだった。

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近代将棋1992年2月号、「棋戦展望」より。

天王戦

 竜王・谷川と怪童丸・村山の対決となった第7回天王戦。チャイルドブランド出身の一人としては、やや出世が遅れている観がある村山だけに、ここは一躍名を上げるチャンスであったのだが……。

 決勝対局は、静岡県「大仁ホテル」で行われた。対局者は対局日前日の夕刻までにホテル入りし前夜祭に出席することになっていたが、予定の時間を過ぎても村山がなかなか現れず関係者はやきもき。夜も更けてから村山は、師匠の森信雄五段に抱きかかえられるようにして対局場にたどり着いた。持病である腎臓の具合が急に悪化したとのことで、対局だけはなんとかやり抜こうと、必死の思いでやってきたのだった。

 村山の根性は凄いが、根性だけでは残念ながら将棋は勝てない。翌日の将棋は谷川の冴えた指し回しだけが目に映る内容になってしまった。怪童丸も病には勝てず。体を直して出直しである。

天王戦決勝対局当日の村山聖五段(当時)。「いささかしょんぼりした表情であった」とキャプションに書かれている。将棋世界1992年2月号より。
勝ち抜き戦

 羽生-村山戦が組まれたのは、先の天王戦決勝から6日後のこと。真っ白な顔で、将棋を指すのがやっとという感じの村山の様子は、東京の将棋会館にもとうに知らされていた。大方の予想が、羽生の楽勝となったのも無理からぬところである。

 ところが、フタを開けてみると、先番を得た村山は角換わり腰掛け銀の積極戦法を採用して、いざ戦わんかなの意気盛ん。羽生が棒銀に出ようと動いたわずかなスキを見逃さず機敏に先制パンチを繰り出して局面をリードしてしまった。これには見ている者たちも呆気に取られたが、対戦者の羽生もアレレッと驚いたに違いない。

 羽生の6連勝を阻止して、体が大丈夫ならやっぱり強いとあらためて評価を高めた村山。勝ち抜き者となるこの棋戦だけで週1局ペースの対局がつく。村山の大敵は自分の体と言えそうだ。

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大崎善生さんの『聖の青春』に、この天王戦決勝の時の出来事が描かれている。

天王戦決勝の前々日、村山聖六段(当時)は、高熱のため(アパートの階段を降りて外に出るだけで精一杯)、不戦敗を決意する。

村山六段から手合課に打診したところ、このことが師匠の森信雄五段(当時)に伝わった。

森五段は早速村山六段のアパートへ行き、「もし、指せなかったら、引退するしかない、それでもええんやな」と告げる。

これまでも何度か体調不良からくる不戦敗はあったが、天王戦決勝はタイトル戦と同様、主催社が何ヵ月もかけて対局場を設営し、立会人を依頼して、そしてこの決勝戦のために1年間棋士たちの棋譜を新聞に掲載してきている。「この不戦敗は、それらを全部無駄にしてしまうということなんやぞ」と。

「ファンやスポンサーのために棋士は全力で将棋を指す、それが宿命であり責任なんや。もし、それが果たせないのなら残念だけど引退するしかない。それで、ええんやな」とも。

村山六段の体調のことを一番理解している森五段が、このようなことを告げなければならなかったのは本当に辛いことだったろう。

村山六段は、高熱で苦しかったのか、その場では何も言わなかったが、森五段が自分の住むマンションに戻ってしばらくすると、村山六段から「僕、引退しなければいけないんですか」と電話がかかってくる。

「将棋を指します。だから、僕を引退させないでください」

この時の、涙が出るようなやりとりは『聖の青春』を読んでいただくとして、森五段が村山六段を伊豆まで連れて行くこととなる。(新幹線で三島まで、そこからはタクシー)

森五段は、40度近い熱を出している村山六段の額に濡れタオルをあて、一晩中それを交換した。

翌朝、村山六段の熱は嘘のようにひいていた。

大崎善生さんは、「将棋は谷川の攻めが冴えわたり村山のボロ負けに終わった。しかし、村山はなんとか棋士の責任をまっとうすることができた。勝ち負け以上にそのことが森と村山に与えた喜びは計り知れないものがあった」と結んでいる。

『聖の青春』の中でも、特に印象深い話の一つだ。

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