棋士のエピソード

真部一男七段(当時)が坊主頭になった理由

将棋世界1984年3月号、信濃桂さんの「東京だより」より。 年末から年始にかけてヨーロッパ旅行をしたという大内八段。聞けば交響楽団に同行したとかで、ユニークといおうか、こんな旅はちょっとない。本誌に登場したこともある小林研一郎氏が名古屋市民...
講座

「お前はもう死んでいる」というような中盤の一手

将棋世界1971年1月号、内藤國雄八段(当時)の連載講座「駒の交換」より。或る決闘― 一閃、櫂と太刀を交えさっと別れた二人。 一方の鉢巻は額で割れて落ち、それを見て相手は笑みを浮かべた。だがその直後血へどを吐いて倒れたのは笑みを浮かべた方だ...
奨励会

勝又清和四段(当時)「師匠」

将棋世界1995年5月号、勝又清和四段(当時)の四段昇段の記「師匠」より。 何故石田和雄九段門下なのか、僕がよく訊かれる質問である。 僕がアマチュアのときは内田昭吉先生に教わっていた。内田先生は、今は普及指導員としてNHKスクールの講師をし...
棋士のエピソード

H三段(当時)の証言

近代将棋1989年10月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。某月某日 日本海旅行から帰ってきたばかりの東六段と関西将棋会館でバッタリ。「どうでした」と聞くと「よかったですよ。料理もうまかったし」。「南さんも旅行に行ったらしいですね。久美浜...
自戦記

羽生善治名人の非常にさりげない自戦記

将棋世界1995年6月号、羽生善治六冠の第53期名人戦〔羽生善治名人-森下卓八段〕第1局自戦記「将棋に負けて勝負に勝つ」より。 4月に入り、暖かく、桜の花が咲く時期がやって来ました。 そして、将棋界ではこの季節は新しい年度の始まり、名人戦の...