棋士のエピソード

中田功五段(当時)の昇級を祝う会

近代将棋1993年7月号、故・永井英明近代将棋社長(当時)の「編集手帳」より。 中田功五段の昇級を祝う会が5月24日午後6時から、都内原宿の東郷神社「水交会」で開催されました。東郷神社は”勝負の神様”、中田五段が1980年奨励会の試験を受け...
観戦記

河口俊彦六段(当時)「そういうレベルに羽生の将棋は達している。うっかり指し手について、言う気になれないのである」

将棋世界1994年8月号、河口俊彦六段(当時)の第64期棋聖戦〔谷川浩司王将-羽生善治棋聖〕第1局観戦記「谷川の錯覚」より。 本題に入るが、将棋の話がこれまたしにくい。 そもそも「横歩取り戦法」が判りにくいのだ。どこからどうやって戦いが始ま...
棋士のエピソード

桐谷広人六段(当時)の決断

将棋世界1994年8月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in 東京将棋会館」より。 お腹も空いたので、同じく取材に来ていた桐谷さんを誘って外に食事に出た。 桐谷さんも昨日から林葉情報を集めていたそうで、全く知らなかった話も訊かせてく...
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林葉直子倉敷藤花(当時)の受難(第二章)

近代将棋1994年9月号、団鬼六さんの「橇の鈴さえ淋しく響く」より。 ただ、驚かされたのはこの件に関するマスコミの異様なばかりの騒ぎようである。私は林葉直子の偉大さをあらためて思い知らされた気分になった。たかが女の将棋指し一匹がちょいとドロ...
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林葉直子倉敷藤花(当時)の受難

近代将棋1994年8月号より。 5月29日、林葉倉敷藤花が将棋連盟の勝浦理事「休養願い」を提出して、その後、連絡が途絶え、”林葉さん、失踪”という記事がテレビ、週刊誌、スポーツ紙で取り上げられて大騒ぎになった。詳しいことはマスコミ各方面をに...