LPSA公認棋戦「日レスインビテーションカップ・女流棋士トーナメント」に、主催者特別推薦選手として林葉直子さんが出場することが発表された。
スポット的なことだとしても、非常に素晴らしい快挙だと思う。
15年前に林葉さんが退会した時に書かれた中井広恵女流六段の文章がある。
二人の上にそれぞれ15年の歳月が流れ、そして今回の出来事。
とても感慨深いものがある。
近代将棋1995年11月号、中井広恵女流王将(当時)の「棋士たちのトレンディドラマ」より。
とうとう直子ちゃんが将棋界を去ってしまった。「とうとう」というのは、何となくそんな予感がしていたからだ。
直接、彼女の口から「やめたい」とか「やめようと思っている」という話は聞かなかったが、長年つき合っていると、だいたい考えている事がわかるものだ。
(中略)
将棋界を離れる理由に、やる気が無くなったからと記者会見で答えている。昨年の失踪騒ぎ以後の成績は、確かに信じられないほど黒星が多い。
マスコミは、将棋が勝てなくなったから、やる気が失せたという見方をしていたようだが、その逆で、やる気がなくなったので勝たなくなったという方が正しいだろう。
それは彼女の対局の消費時間が物語っており、午前中、しかも30分も使わずに負けてしまうこともしばしばだった。
直子ちゃんとは、小学生の時から一緒に戦ってきたわけで、対局も非公式なものも含め百局近く指している。
その彼女がこんなにも早く将棋界を去ってしまうのは、残念だし、淋しいし、同時に悔しい思いもある。もっと一緒に頑張りたかった。
でも、林葉直子という人間は、常に私の前を歩いていたから、その彼女が時間も使わずコロコロ負けてしまうなんていう姿も見たくなかった。
何故そんなに熱が冷めてしまったのか。いろいろ原因はあると思うが、いかなる理由にせよ、将棋に対する情熱が無くなったら、棋士は終わりである。
きっぱりと将棋を捨てるのも、勝負師らしい引き際という事になるのだろうか。
彼女の退会は急に決まったが、当然残っている対局は不戦敗ということになる。
この、退会の時期というのも難しく予選の抽選前にやめる意志を伝えれば迷惑はかからないが、一年中何かしらの対局がある現在ではそれも無理。
(中略)
そういう意味で、彼女の写真集出版は「将棋界を離れる一つの決断」だったのかもしれない。
写真集で海外に将棋を普及したいという彼女の言葉に、何もヌードにならなくとも……とマスコミは声をそろえて言っていた。私も同じ意見だが、でも、海外に普及しなきゃ……と彼女が考えていたのも事実で、どうしたらいいかというのを真剣に話していた。
方法はともかく、彼女が退会してからも将棋に関わってくれるのは嬉しい。ただ、それなら退会ではなく引退でも良かったのでは…とそれが残念でならない。
これからは違う世界で生きていくことになるが、彼女のことだから、逞しく頑張ってくれることだろう。
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中井広恵女流六段と林葉直子さんは、よきライバルであり大親友だった。
このブログの過去の記事より。