湯川博士さんが近代将棋で連載していた「アマ強豪伝」シリーズから、「将棋界の旦那」と言われた故・七條兼三氏の話の4回目。
今日は、七條兼三氏の旦那道について。
(湯川博士さんのご厚意により、「アマ強豪伝 七條兼三」のほとんど全文を掲載させていただきます)
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お金が絡むと…
「七條さんは威張るから嫌いだ」
こういう人もいるし、逆の人もいる。
「私は何十年もお付き合いしているが、とても紳士的な人です。お酒を呑んで酔い潰れることもないし、しつこく絡むこともしない」
私など後者に近いが、威張る(実は振りをしている)七條さんを見たことがある。
この違いはなんだろうと考えた。
実は、人間関係にお金が絡むかどうかではないか。レッスンに来た囲碁・将棋の先生は月謝をもらう立場で、旦那と芸人の仲だ。当然、旦那と芸人の関係でなければならぬ。
若い棋士は、自分のわずかな経験で考えるしかないから当然理解できない。奨励会のときから「先生先生」と言われつけているから、おつものつもりで対応する。
「ここはこう指すのが筋です」
「こうやれば良かったのだが…」
ごく当たり前の会話だが、七條さんにはカチンとくることもある。
(お前みたいな若造になにが分かる…)
これは将棋指しへの怒りではなく、戦後になって変わった価値観に腹が立つのかもしれない。それらが局後の酒席で出ると、
「あの社長、なに威張っているの…」
という反発になる。
七條さんは戦前の芸人と旦那の物差しを持っている。ところが多くの将棋ファンや旦那は戦後の物差しで、むしろ棋士に気を遣う風潮である。それもおもしろくないことで、
(本来、芸人とはこういうもの…)
そのことを示してやろうという気がどこかにある。それもこれも、金を払って雇った芸人という感覚が根底にあるからではないか。
たとえば七条サロンに来る紳士たちは、お金をもらっているわけではない。囲碁・将棋の友人関係であるから、決して七條さんが威張るような場面は出てこないし、酔ってつむじを曲げるようなこともない。だが、同席している棋士(師範)は友人のごときであるが友人ではない。
このこと(旦那と芸人の関係)を踏まえないと、七條さんのような、階級倫理観を持った人を理解できない。
私もお付き合いをする上で、一切の金銭関係が生じないよう心がけてきたし必要以上に甘えないようにした。ただ一度だけ失敗をした。
ある将棋雑誌でアマプロ勝ち抜き戦をやったら、アマがまぐれで四、五、六、七段とプロを勝ち抜いて、次には八段に挑戦という大事件になった。ところがその主催誌はまさか八段まで行くとは思わないから、予算が足りなくなった。そこで寄付集めをすることになり
「七條さんを紹介してほしい」
と私に依頼してきた。いつも原稿を書かせてもらっている義理があるので、気軽な気持ちで担当者を七條サロンに連れて行った。七條さんが寄付の話を聞いているうち表情が曇り、
「…なんでオレが君のところの棋戦に金を出さなきゃいけないのかね」
これを聞いて、(イカン、失敗した)と思った。七條さんが苦虫を噛んだ表情になり、応対が悪いと怒りだすかもしれない。
若い担当者は突然、座敷に手をついて、
「申し訳ありません。七條社長には全然関係ない話を持ち込みまして…。なにぶん貧乏会社でして、なんとかアマを八段と戦わせたいという一心で、失礼なお願いでした…」
と謝った。しばらく苦々しい顔を造っていたが、やがて表情が解けて、
「ところで、いくら出せばいいの?」
金額は覚えていないが、指を一本出したような気もする。そのあとは担当者も一緒に酒を呑んだが、あとで筋の通らない話を持ち込んだ自分を恥じた。たぶん私の顔を立ててくださったのだろうが、二度とこんな思いはしたくないと思った。ふだんの好意に寄り掛かった甘えは、彼がいちばん嫌うことだった。せっかく友人関係にあるのに、金銭をねだった結果になったことが悔やまれた。
(つづく)
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湯川恵子さんから聞いた話。
七條兼三氏の集まりで、将棋会のあと大勢で飲み会になった。
酒が残り少なくなったので湯川恵子さんが冷蔵庫に酒を取りに行こうとすると、七條兼三氏が、
「湯川さん、あなたはお客様なのだから座っていなさい」。
七條兼三氏は同席している指導棋士(師範)に酒を取ってくるよう命じたという。
七條兼三氏は戦前の「芸人と旦那の関係」そのものを実践していた。